「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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嵐の時
★ 嵐の時 ★
嵐の時(1)前ぶれ 2月13日
大学時代は、大学構内にある男子寮で暮らした。
男子寮は、どんなに貧乏な学生も生活費のことを心配しなくていいように51%国の補助を受けていた。
私も、食費、水光熱費、全て入れて1ヶ月1万円弱で暮らしていた。
もちろん、人件費を抑えるために、食事を作ってくれるおばちゃん以外は、専門の管理人と言う者もいなく、全てが学生によって行われていた。自主運営自主管理が、寮のモットーだった。
血気盛んな年頃の男共をまとめていくためには生半可なことでは済まなかったらしく、寮の管理運営には非常に厳しいものがあった。私と同期で入寮した新入生は、100名あまり、ところが4年生になった時は、その半分にも満たない数になっていた。先に断っておくが、自主運営自主管理は、私が卒業して数年して崩れ、今ではこれから書くようなことは全くなくなったそうである。
入学式も終え、男子寮に入った私は、夜になって同室の藤田と一緒に色んな話をしていた。
藤田が言った。「夜中の0時を過ぎたあたりから、何かが始まるって噂していたよ。」
私が言った。「何かって、何?肝 試しか何かか?」
藤田:「よく分からないけど、大変な 事らしい」
そうこうしているうちに夜中の0時を過ぎた。
私達、1年生の部屋は4階に位置していた。その階段を複数の男が上ってくる。階段を上る下駄の音が次第に近づいてきた。4年生だ。下駄を履くのは4年生だけに許されていると昼間、食堂で開かれた寮の紹介の時に言っていた。
その時、私達はやがて始まるであろう儀式について何も予想していなかった。
嵐の時(2)ストーム 2月14日
「起きれー」廊下に大声が走る。バンバンバン。バットで壁を殴っている音だ。何が始まったんだ。私達は、ドアを開けて廊下を見た。他の部屋の1年生も同じように見ている。「並べーーー、一列に並ばんかあ」寮の役員をしている4年生達だ。私達は、びっくりして廊下に一列に整列した。「気をつけーー」「お前ら、気をつけ知らんのか?気をつけはなあーー・・視線は45度、両手の中指はズボンの折り目に沿わせる。足は60度に開く。」全員、緊張した状態で言われるように姿勢を正した。「よーーし、端から順番に番号」初めてのことなので、声が小さいやら途中で噛んだりして、何度もやり直された。その次は自己紹介だ。出身高校と学部、学科、高校時代に所属していたクラブ等を大声を張り上げて言わされた。もちろん、声が小さかったり、噛んだりしたらやり直しだ。一通りすんだら済んだら、昼間食堂で紹介されなかった寮の掟みたいなものの紹介がされた。とりあえず、4年生の役員はそれで済んだ。「やれやれ、終わった。」私達は、胸を撫で下ろして、やっと寝れるとベッドにもぐりこんだ。ところが・・・別働隊が階段を上がってきた。そして、入れ替わり、立ち代り同じことが何度も繰り返された。これらの儀式はストーム(嵐)と呼ばれた。
少林寺拳法部の2年生が上がってきたとき、ある一年生の前に立ち止まった。「お前、今日の入学式の前に、俺がクラブ紹介のパンフレットを配ったとき、丸めて捨てたよな。」二年生は聞く。「いいえ。」一年生は答える。「嘘を言え、お前は捨てた。」「あれは、後ろを歩いていた母に渡しただけです。」「お前は、母親に渡すとき、丸めて渡すのか?」パンチが一年生の顔面を襲う。蹴りが入る。実をいうと、その光景を私は昼間目撃していた。確かに、彼は面倒くさそうに渡されたパンフレットを丸めて捨てていた。また、悪いことにこの一年生は、入寮するとき、バットを持って寮に入ってきた。きっと、舐められないようにという気持からだったのかも知れない。別働隊のストームの時、野球部の先輩に聞かれた「お前は、高校時代、野球部だったのか?」「いいえ、違います。」「あの、バットは何のためのバットか?」答えられなかった。この一年生はこの日ぼろぼろな状態になってしまった。
寮は、南寮と北寮からできていた。私達は、北寮にいたのだが、南寮にすごいやつがいた。昼間、4年生にしか許されていない下駄を履いて、役員室に入るなり、「新聞をくれ」と言ったらしかった。彼はその夜、ものすごい制裁を4年生から受け、翌日逃げるように寮を出て行った。
初日、最後のストームが終わった時、腕時計を見たら朝の6時50分をさしていた。その間、ほとんどずっと、「気を付け」の状態だった。翌日、ほとんど寝ていない状態で初めての授業。一般教養課程の物理工学の授業だったと思う。遅れないように教室に入る。ものの5分もしないうちに睡魔に襲われた。いつの間にか、うつぶせの状態で深い眠りに入っていた。周りがざわざわとして目が覚めた。授業が終了していた。ストームは、3年生の前期くらいまでほとんど毎晩続けられた。早くて1時まで、ほとんど3時、4時まで続けられた。
嵐の時(3)出て行く者、残る者 2月15日
入学というか、入寮後1ヶ月、仲間達がどんどん寮を出て行った。私と同室の藤田も出て行った。浪人して医学部を目指すという理由だった。骨のある奴は自分ひとりで役員室に行き、退寮を告げた。私は見たわけではないが、殴られて飯も食えないほど、顔を腫らしていたそうだ。
軟弱な奴は親を呼んだ。たまたま、残る私たちと退寮する仲間の母親と話す機会があった。部屋の片づけをしている。一緒に残ってやっていくように子供に言ってくれないかと言ったら、「うちの子は体が弱いんです、あなた達とは違う。」泣きながら言った。他人の母親の涙をその時初めて見た。その後彼とは時々、共通科目の授業で一緒になることがあったが、いつも元気そうに最前列で授業を受けていた。
退寮者は、1ヶ月を過ぎると減っていったが、2年生を終わる頃までは、ぽつりぽつり続いた。中には布団を担いでストームの完全に終わった朝方逃げた者もいた。寮には後で退寮願いの手紙が届けられた。役員は、逃げた者と親しく寮に残った同級生に彼を呼んでくるように言った。無駄だった。
退寮した者にキャンパスや、授業で顔をあわせることもあったが、彼らは私たちを避けるように生きていた。授業以外の事には目もくれずという態度だった。
寮生だけで、酒を飲む催し物がある時、何をやらされるか分からない恐怖心から私は必ず酒をがぶ飲みする癖がついていた。酒は恐怖心を和らげてくれたが、がぶ飲みしてはいけない。いつも酒に飲まれていた。酒乱と言われ、上級生の目に留まった。ある夜、「月見ストーム」というのがあった。屋上に上がって「出た出た月が丸い丸い真ん丸い・・」を大声で皆で歌わされるのだ。この時、ある上級生が私に屋上から飛び降りるように命じた。5階建てのビルだった。その上級生はべろんべろんに酔っていた。私は剣道部に所属していた。その上級生と同級生の剣道部の先輩が一緒に来ており、中に入ってくれて飛び降りなくて済んだ。
この事件から、さすがに私も身の危険を感じ、休みの日、家に帰り、あったことを説明し。母親に寮を出たいと言った。私の親が一緒に役員室に来てくれることは先ず無いと思ったが、顔を腫らす覚悟で一人で役員室に行くにしても、その後は仕送りの問題がある。自分ひとりで勝手なことはできない。とりあえず聞いてみた。だが、予想していたとおり、寮を出て暮らせるだけの仕送りは出来ない、寮を出るなら大学を辞めてくれ。すんなりと言われた。話し合いが終わって大学に戻るとき母はバス停まで見送りをしてくれた。やはり心配はしていたのだろう。結局、私は卒業まで残った。
1学年上に高校時代、番長をしていた者がいた。役員に言った。「寮の代表者と1対1で喧嘩して、俺が勝ったら退寮することを認めてくれ、もし、俺が負けたら、卒業まで寮にいる。」
役員をやっていた4年生には、空手部、少林寺拳法部、柔道部などが勢ぞろいしていた。番長をしていた男は、結局卒業まで寮にいた。
ストームの初日に少林寺拳法部と野球部の制裁を受けた彼は、見事、卒業まで寮にいた。意外と骨のある奴だった。
嵐の時(4)クラブ、酒、挨拶、食事、格付け 2月16日
寮生は、ほとんど運動部に入部させられた。文化部に入部した者もいたがストームの度に嫌がらせを受けた。私は、もともと剣道部に入るつもりでいたから、その点は救われた。
ストームで時には、一升瓶をもって上がってきた。一人一人ラッパ飲みさせられた。ここまで飲めと指でビンの横を指し示し、その線まで減るまで許してもらえなかった。私は、酒が飲めるほうだったので、これについても救われたが、酒を一滴も飲めない者は大変だったと思う。
先輩に対しては、どこであっても「こんにちは」と大声で挨拶しなければならなかった。声が小さかったりするとストームで制裁を受けた。目が合うと100m離れていても挨拶しなければならなかった。毎年4月、5月は、大学キャンパスのいたるところで「こんちは」「こんちは」と叫ぶ声がしていた。
夏休みに、自転車で一人、体力トレーニングを兼ねて片道60Kmのサイクリングに行ったことがある。その時、先輩らしき人と50mくらいの間隔で目があった。とっさに大声で「こんにちは」と挨拶した。その人は不思議そうな顔をしながら立ち去った。一般人だった。
寮の飯は、朝80円、昼120円、夜100円のメニューだった。どんぶりご飯とおかずが一品だった。朝飯のキャベツの味噌汁は結構うまかった。昼食にライスコロッケというメニューがあった。どんぶりに白飯、ソフトボールくらいの大きさのコロッケだった。コロッケの皮の下は飯が詰められていた。結局、おかずはコロッケの皮だったことになる。同期で、後に剣道部のキャプテンになったN君が、ある時、アキレス腱を切って外食が出来なくなったことがある。一週間ほど寮の飯だけを食べていた。ちょっと太り気味だったN君は確実に痩せていってちょうど良くなった。飯は、古々米、若しくは古々古米ぐらいだったと思う。真っ白な色ではなかった。
私は、今でも血圧が低い方だ。カロリーの足りない寮の食生活でもあったためか、ストームの長時間の立ちっぱなしで、何度か貧血を起こして倒れた。その場合は朝までゆっくり寝ることができた。ストームがかかっても、調子が悪くて寝ていますと仲間達が言ってくれたし、そこまで強要はされなかった。わざと倒れることもできないではなかったが、一緒に苦労をしている仲間達のことを考えたらそれはできなかった。
寮生は学年ごとに格付けがあった。1年は家畜、2年は奴隷、3年は人間、4年は天皇と言われていた。
嵐の時(5)女子寮への挨拶、全裸で走る? 2月17日
男子寮と女子寮は、構内の反対側に位置していた。ストームの時、私達は上級生に引き連れられ女子寮に行った。女子寮の前に一列に並べさせられ、一人一人例の挨拶をさせられた。前年、このストームで、挨拶が終わったら、全員全裸になって、男子寮まで、走って帰ったという情報が流れていた。(何故、全裸なのか未だに不明。上級生に露出狂がいた?)深夜の暗闇とは言っても、女子寮の電灯が男達を照らしている。女共からは丸見えだ。そのことを知ってか、彼女達は、窓から顔を出して「いやーだあ、本当」とか、キャーキャー話していた。ところが挨拶が終わった後、全裸になることなく私達は男子寮まで走って帰った。全裸のストームは、その後、別の機会に行われた。
2月の深夜、我々は構内にある陸上競技場に集められた。「これからグランド5周。上位10名までは、プラッシーを与える。」深夜2時をまわっていたと思う。冷たいプラッシーは飲みたくない。ただ、下位10名へのバツゲーム等がないことに安心していた。「よーし、ズボンとパンツを脱げ、上半身は風邪を引くからそのままで良い。」なにーーー。下半身でも風邪は引くぞ。そう思って、下半身裸になると。「よーーーーいどん。」号令がかかった。やってみればわかるが何とも走り難い、普段はじーとしているものが、前でブラブラしている。普段、自分の物のデカさを自慢している友達の走りが不安定で非常に気の毒だった。
夜中に女子寮に挨拶に行ってから、数日後の日曜日の昼間、今度は女子寮の1年生が挨拶に来た。一人一人大声で挨拶をしていった。やらされている我々とは違って彼女らは自主的にやっていたらしく、皆、笑顔ではつらつと挨拶していた。この事件は寮始まって以来のことだった。「帰りは、全裸で走って帰って欲しかったなあ。」と言って、仲間と大笑いした。(今、こんなことを言ったら完璧にセクハラだあーーー)
嵐の時(6)人違い 2月18日
1年生も後期になるとストームも過激性を増した。まず、全員ビンタを受ける。「頑張っとるかーーー?」と言って一列に並んだ端から殴られる。パン、パンといい音が近づいてくる。時には、先輩がパチンコで負けたと言って殴られることもあった。ビンタは鼓膜を痛める。友達の何人かが鼓膜を痛めていた。ところが、その日は音が違っていた。ゴチン、ゴチンという鈍く低い音が近づいてきた。私の番だ。目から火が出た。殴っている先輩の手を見たらコーラのビンが握られていた。最後尾の者は、この時、セーターを血に染めていた。口を切ったらしい。
このストームから数日経って寮の剣道部の2年生と1年生で飲む機会があった。
コーラのビンのストームの話が出たとき、同じ1年生のK君が「あの時は、ナイフで刺してやろうかと思った。」
酔いに任せて言った。
2,3日後のストーム。コーラのビンのストームを行った先輩が私の前に立った。その頃私は酒癖が悪いということで上級生に目を付けられていた。「お前、俺に何か言いたいんじゃないか?」「え?」げんこつで左の頬を殴られた。「ナイフで刺したいんだろ?」「いいえ、そんな事を思ったことは無いです。」「嘘を言え」今度は右の頬を殴られた。
結局、5、6発殴られた。いやもっとだったかもしれない。私より奥に並んでいたK君が「すみません、それは僕が言いました。」と言った。「何?、お前か。」K君が殴られたが、私をいいだけ殴った後だったので、手が痛かったのだろう、2、3発で終わった。
私は、殴られている最中、「それは、K君が言いました。」と言ってもよかったが、言ってしまう事の方が殴られるより自分の心に傷を負わせると思った。真実がどうであれ自分が窮地に追い込まれた時の言い訳は、男を最低の格付けにしてしまう。相手に対して攻撃を加えるか、ひたすら耐えるかの2つの道しかない。小さい時、父親に木刀で殴られながら言葉でなく体で教わった教えだ。今になって考えると、かっこよすぎるかも知れないけど・・・・。
殴った先輩は剣道部ではなかったが、剣道部の先輩のOさんと友達だった。そして、このことがあってから、私は、特に制裁を加えられる事がなくなったような気がする。少なくとも、コーラのストームを行った先輩からは。
嵐の時(7)剣道部(前)2月20日
寮のこともあって、私は高校2年の夏休みで止めた剣道を再開した。1年半のブランクは大きかった。毎回、稽古が終わったとき、下半身の感覚が無くなるくらい鍛えられた。寮に帰ると深夜のストームが待っていた。
1年生夏休みの合宿は、いつまでも忘れられない。この合宿に入る前、合宿の噂を聞いて同じ1年生が二人退部していた。10時から12時まで筋力トレーニングとランニング。14時から16時までの稽古。18時から20時までの稽古を1週間続けた。1日の素振りの数だけでも1000本を超えた。1年生だったから、それぞれの練習の間に雑用が待っていた。
合宿2日目の朝のランニングの時、調子が良かったので、私は全速力でとばし、目的地点に1番で到着した。ほめられた。昼食の時間になり、飯が喉を通らない。残そうとしたら、前の席に座っていた同じ1年生のT君が、「午後からの稽古、もたないから食べてたほうがいいよ。」と助言をくれた。私は口の中に飯を掻きこんだ。次の瞬間、胃の中にあるものが全て、私の目の前に姿を現した。一般学生も食事をしていた学生食堂での話だ。次の日から5日間、私は3度の食事を全てヤクルトだけを飲む事にした。そっちの方が調子が良かった。
部員は30名ほどいたが、全員が合宿のどこかで血の小便を出していた。健康管理センターが構内にあったのだが、剣道部ばかり入ってくるので、医師が不思議がっていたと聞いた。
昔からチビだった私もその頃にはその年代の平均身長には達していたが、体が細かったので、常に女子の先輩達が心配してくれた。私が学生食堂で吐いたときも、後片付けをしてくれたのは女子の先輩たちだった。それほど、か弱く見えたのだろう。先輩方、あの時は本当に本当に有難うございました。
剣道部自体は、あまり強いほうではなかったが、我々が4年生になって幹部を交代した年、九州地区の予選大会でベスト8に入り、全国大会である全日本学生選手権大会に団体出場した。
嵐の時(8)剣道部(後)2月22日
2年の時、K大学が、隣街に合宿に来た。私達は合同合宿という名目で合宿に参加することになった。と、言っても練習だけの参加で通いの合同合宿だった。K大学では1年生たちが入学式前から合宿に参加している。彼らの中には高校時代、各種大会で活躍した者も含まれていたと聞く。後に聞いたのだが、この時の1年生が4年生になった時、西日本大会で優勝した。
1年生の時に経験した単独の合宿ほど時間は長くなかったが、内容がすごかった。K大学の上級生に稽古をお願いしたとき、前蹴りで倒された。立ち上がる、前蹴りをもらう。そんなことを何回か繰り返した後、立ち上がっても倒されるので、しゃがんだまま「すみませんでした。」と言った。すると「よーーし」と言って許してくれた。何か悪いことをしたのか、自分の心に聞いてみたが思い当たらない。未だに思い当たらない。ごく普通の稽古だったのだろう。
考えてみれば、剣道の試合のルールで蹴ってはいけないことになっている。(警察の試合には「足がらみ」というのがある。相手の足をひっかけて倒す技である。)だが、稽古にはルールというものが無い。我々も、稽古中は連続10回の突きを喉に受けて道具置き場にもんどりうったりしたこともある。道場が柔道場と一緒の部屋だったので、私自身、稽古でわざと後輩を柔道場との境におびき寄せ、腰投げで柔道場に投げ飛ばしたこともある。
K大学との合同合宿の最終日、打ち上げの席で、1年生が気をつけの姿勢で立ったまま下呂を吐いていた。
どこも一緒だと思った。
嵐の時(9) 寮生の必修科目 2月23日
誰が決めたか知らないが、寮生には必修科目があった。一つは女子寮の風呂場を覗くこと、そして、もう一つは屋上に干している下着を盗んでくることだった。残念ながら、私はその両方を履行していない。本当に。嘘では無い。以下の内容は、実際に行った仲間に聞いた話である。
女子寮の屋上には、4階まで非常階段であがり、そこからは壁をよじ登らなければならない。とても危険だったらしい。
女子寮に「Kちゃん」というマンドリンクラブに所属するとても可愛い同級生がいた。
ある日、仲間の部屋に遊びに行くと、下着がぶら下げてある。
「誰のこれ?」とふざけて聞いたら、「Kちゃんの」と答えた「嘘だろ、なんで持ち主が分かるの?」
「遊びに言って、ちょっと留守した隙に箪笥から盗ってきたんだ。」「ありゃーーー」
また、女子寮に、私と同じ高校にいた「Aちゃん」という同級生がいた。
「Aちゃんの裸見たよ。」I君が言った。
「えーーーどんなだった。」思わず聞いてしまった。「いい、言わなくていい。」我に返り取り消した。
今思えば、完全な軽犯罪法違反である。といっても30年近い前のことなので、実行に及んだ仲間達も時効だと思う。寮生の中には「ここは、治外法権だ。」と言って間違った考えを持っている者もいた。ストームにしても本来の「どんな貧乏学生も、金を気にせず勉学ができるためにという本来の目的を忘れて行動している者がいた。どんな時代にも、どんな場所にも、必ずそんな人間はいるものだ。
最後に何度も言うが、寮生の必修科目について私はやっていない。嘘ではない。本当ーーーーーに嘘ではない。
興味はすっごくあったけどね。(正常だよね!)
嵐の時(10)絶対絶命 2月24日
2年の時、父が脳梗塞で倒れ、寝たきりになった。授業料が免除になったが、4歳年下の弟が医大を目指して勉強していた。1年でも留年したら、奨学金が取り消され、なおかつ親は子供二人に仕送りをする事態になってしまう。それは出来なかった。私は大学を止めなければならない。父は厳しい男でなおかつケチだったお陰で私がストレートで卒業できれば、なんとかなるくらいの貯金はあった。
剣道部の先輩と同室の先輩が、私と同じ学科だった。試験前になると、その先輩のところに行って、試験の傾向について情報を収集することができた。厳しく、怖い先輩達だったけれども、その点に関しては運命共同体という意識が強く積極的に協力してくれた。神様が私を寮に入れた理由がその時初めてわかった。また、寮がなかったら、大学に行くことも出来なかったかもしれないと思った。
嵐の時(11)ラーメン屋のアルバイト
350ccの中古のバイクを22万円1年ローンで買った。高校時代、バイクは禁止されていたので大学に入って乗るのが夢だった。私はアルバイトを沢山した。引越しのアルバイトが多かった。一番、思い出に残ったのは東京キットブラザースの裏方のバイトだ。
公演中、ファンが楽屋裏から侵入しないように、裏口で見張りをする仕事だった。公演が終わったら、後片付けだ。テレビで見たことのある人が私に「手伝いましょうか?」と声をかけてきた。柴田恭平だ。「いえ、自分の仕事ですから、いいです。」「あっ、そ」柴田恭平は立ち去っていった。テレビで見るように軽やかなステップでは無かった。(あたりまえだろーーーー)
ラーメン屋で半年ほどバイトした。バイト代が良く、3食付だった。ところが、マスター夫婦が別居しており、奥さんが時々、店に来た。そして、お客に嫌がらせを行った。ある日、マスターと大喧嘩になった。奥さんはふいっと外に出たかと思うと、店の中めがけて石を投げ入れた。照明が割れ、マスターが顔に傷を受けた。私は、冷蔵庫の裏でひたすら嵐が過ぎ去るのを待った。子供は小さな男の子と女の子が一人ずついたが、「ママは、昔のママと違う。」と言っていた。二人の夫婦に何があったのかは私は知らない。(知る必要もない。)
そんなこんなでラーメン屋は閉店することになった。私は気がまわる方だったので、マスターに受けが良く、店じまいの日に来てくれないかと頼まれたが、用事があって行けなかった。どんな用事だったかは、今になっては思い出せない。
嵐の時(完)
大学4年間は「嵐の時代」だった、寮、クラブ、バイト、学校、実家、全てに嵐が吹き荒れていた。高校を卒業するとき、私は、「か細」過ぎて、このままでは世間では生きていけないと思っていた。大学を卒業するとき、どこへ行ってもやっていけるという自信が付いていた。日本で5本の指に入る造船会社への就職が決まっていた。
社会に出て、およそ1年間は学生時代についてしまった夜型の体質に悩まされた。また、夜中に廊下などで物音がすると跳び起きることがしばしばあった。寮で受けたストームの後遺症だった。
社会人になって約20年間は穏やかな日々が続いた。そして、20年後、別な形の嵐の時が私を待っていた。(完)
あーーーー疲れた。思い出しても疲れる。
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