「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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単身赴任一人暮らしの思い出
兵庫県の明石市に単身赴任していた。5,6階建てのマンションと名のつく普通のアパート。
新幹線が横を通り、昼間は薄暗かったが、どうせ、昼間は仕事だし・・と思い1年間住んでいた。
職場は三宮だったが、帰郷するとき便利なようにと兵庫県でも西の外れに位置したところに住んだ。
隣には、学生と思しき女性が住んでいたが、上下左右の住人とは、何の付き合いも無かった。
住み始めて数ヶ月は、まあ、なんとなく快適に過ごしていたが、ある夜から、隣の女性のもとに男友達や女友達が遊びに来るようになった。
マンションと言っても、2世帯毎の壁がしっかりした物らしく、私と彼女の部屋の壁は、かなり薄く、ちょっと大きな声で話していたら、内容がわかるくらい聞こえた。
それは、12時過ぎごろから始まった。食事、ゲームだ。牛タンゲーム、王様ゲーム。延々と朝まで続いた。
王様ゲームの時、
「AがBの生乳を揉むこと。」
『何? 生 ちち・・・・』 何てことやってんだ。
しーーーーんとして
「なあ、なあ、さわった? 生乳首?」
『おい、おい・・・・』
単身赴任一人暮らしの思い出(2) 兵庫県明石市
夜中の10時くらいから集まって、朝までドンちゃん騒ぎを繰り返された。毎日ではないにしろ、一睡もできなくて出社することも何度かあった。
しょうがないので、マンションの管理人に言いつけることにして、部屋の中央にラジオカセットを置いて録音することにした。
録音後、聞いて見ると、何を言っているか、所々はっきりとは分からないが、うるさい事が十分に分かるものだった。
マンションの管理人に言いつけた。マンションの管理人は、数日して、証拠があったら欲しいというので、録音したテープがあると答えた。
大家はテープを取りに来なかった。
隣の娘が、いったに何をしていたか、親に知れると困るからだと思った。
その後、隣の娘は部屋を出て行った。
私が子供の頃は、夜中になったら、静かにするように教えられた。
口笛を吹くと蛇が出てくるとか言われた。
(ある霊能者が、霊視をしている時、口笛を吹いていた。なんで口笛を吹くのかと司会者が聞いたら、蛇でなく邪を呼ぶためだとか言っていた。迷信と関連するところがあると思った。)
近頃の子供は、そんなことも親に教育されていないのか?かくいう、私の息子も、0時を過ぎて部屋の掃除を始めたことがある。とことん叱った。今は大学に行って一人暮らししているが、周囲の住人に迷惑を与えてないか少々心配だ。
単身赴任一人暮らしの思い出(3) 愛知県豊田市
仕事の都合で愛知県豊田市に単身赴任していたことがある。私はここに、1年ほど住んでいた。
もともとこの街は「ころも町」と言ったそうだが、天下のトヨタ自動車ができてから、社名が、そのまま町名になったと聞いて驚いた。
この時は出来たばかりの木造の二階建てのアパートで、上下に2世帯が住むことが出来た。
6畳1部屋だったが、天井が非常に高く、中二階があり、そこへは梯子であがるようになっていた。
私はこの中二階を寝室スペースとし、万年床にしていた。
アパートの2階にあがる階段の下には、コインランドリーが用意されていた。
ある日、新婚の夫婦が下の階に引っ越してきて、私の部屋に挨拶に来た。
二人とも、上品で、美男美女と言っても良いくらいのカップルだった。
特に奥さんは、知性を感じさせる女性に見えた。
このアパートに、新婚夫婦は、どうやら初めてのようだった。
二三日経ったある深夜、私はものすごい怒鳴り声に目が覚めた。
なんと、あの夫婦が喧嘩をしているのだ。
「この、くそ男、馬鹿にするんじゃねえぞ。」奥さんの声だ。「そりゃ、こっちのせりふだ、馬鹿女。」
えええーーーー、あの夫婦が?・・・その後、言葉に表せないほどの、罵り合いが続き、奥さんは、外へ飛び出し、旦那さんが追っかけていくのが分かった。
私は、やれやれ、と思いながら、再び眠りについた。
人は、見かけによらないものだ。
単身赴任一人暮らしの思い出(4) 愛知県豊田市
月に1日は、岡山に帰えっても良いと出張規定で決まっていたが、1度だけ妻が、トヨタの単身赴任先に遊びに来たことがあった。
久しぶりの水入らずだったので、例の中二階で、夫婦のひと時を楽しんだ。
2,3日後、壁の向こうから、男女の楽しむ声が聞こえてきた。
「あちゃーーー、この間の、お返しか。ご丁寧なことだなあ。」私は思った。
数ヵ月後、中二階を降りて、買ってきた夕食用の弁当を食べていた時、隣から、隣人の男の声と、母親らしきご夫人の声が聞こえてきた。
「あんた、どうするの」
「責任を取るよ」
はっきりとは聞き取れないが、どうも、先日の楽しんだ結果、子供ができたらいしのだ。
今になって思うと、これができちゃった結婚ってやつだった。
数日後、男は部屋を出て行った。引越しの時、偶然、出かけようとした私と逢った。
人のよさそうな、笑顔がとってもすてきな男だった。
律儀にもお返しをしてくれて、責任を取る羽目になったとは・・・・
ちょっと気の毒だった。
(「お返し」とかって、私の考え方、感じ方って、ちょっとおかしくない? まあ、いいか・・・・・)
単身赴任一人暮らしの思い出(5) 愛知県豊田市
この豊田市の単身赴任には、そこに至るまで色々あった。
もともと、相手の会社からは9月から、6名を派遣するようにとの要請があったのだが、私の直属のB部長が他のセクションからの指示だったので、ほったらかしにしていたのだ。
9月になっても、一人も来ないので、相手の会社からお叱りの言葉をいただき、急遽、B部長の指示で、人がかき集められた。
私が言い渡されたのは、一週間前だった。
おまけに六人のうちの3人がその年入社した新入社員だった。
新人は土曜日に言い渡され月曜から豊田市に赴いた。たまたま、土曜日に休日出勤していたのだ。
豊田市に赴いてからは、1ヶ月ほどホテル住まいが続いた。
ある日、本社からA部長が私に豊田市に転勤するように説得に来た。
もともと、造船会社からこの会社には2年間の出向と言う約束だったし、既に1年が経過していたので私は断固としてこの説得を拒んだ。
だが、A部長は執拗に説得する。
それを見ていた新入社員の一人がA部長に言った。
「そんなに言うのなら、A部長が転勤したらどうですか?」
すかざすA部長は言った。
「わ、わ、私はこんな所には、転勤したくないよ。」
新人は言った。
「人を転勤するように言っていて、自分が嫌だは、ないでしょ。」
さすが、新人だ。言いたいことを言ってくれた。が、そのとおりだ。
A部長は、思わず漏らしてしまった自分の本音に、後は何も言えなかった。
この頃からだった、上役の人間が、皆、つまらない人間に見え出したのは。
単身赴任一人暮らしの思い出(6) 千葉県市原市五井
新婚当初、私達は千葉県市原市五井という所に住んだ。私の長期出張に新婚生活が重なったのだ。
木造二階建てのアパート、二階には二世帯が住み、一階は大家さんが住んでいた。
トイレは水洗ではなかった。二階にあるトイレが水洗でないのは面白い。
体内から出たばかりのあれが、管の中を壁にぶつかりながら下まで落ちていくのだ。
もともと、風呂は無かったが、前の住人がバイク事故で銭湯に行けなくなり、
ベランダに囲いを設けて風呂を急遽造っていた。
この風呂に入るには、ベランダに一旦出なければならない。
運良く、ベランダの向こう側から見えないように隣家の窓の無い壁がすぐ脇に立っていた。
冬の朝は、コタツに入って二人で朝食を食べた。吐く息が白かった。
トイレからは、常時、ほんわりと匂いが漏れていた。
数ヶ月、二人で住んだ後、子供が生まれるからということで、妻は途中から岡山に帰った。
それから、単身赴任の終わる3ヶ月間、私はこの家に一人で住んだのだ。
単身赴任一人暮らしの思い出(7) 大阪府枚方市
前の会社を退職して、派遣業に再就職し、派遣先の関係から、大阪府枚方市に1年間単身赴任した。
この時期は、岡山、大阪と二重生活のため、妻の両親の年金に頼るような有様だった。
アパートは枚方の駅から歩いて10分くらい、派遣先には、バスで10分くらいのところで、付近は結構にぎやかだった。
交差点の直ぐ脇だったので、昼間から夕暮れまでは、横断歩道の「とおりゃんせ」が鳴っていた。
6畳一間でキッチン付、バス、トイレも完備された4階建てビルの2階だった。
駐車場が直ぐ脇にあってまあ、まあ、申し分の無い場所だった。
ところが、8ヶ月経って仕事の都合で派遣先が兵庫県尼崎から伊丹方向に二駅行った猪名寺と言う所に変わった。
そう、今年4月25日、9時18分JR福知山線の大事故のあった近くだ。
枚方から京阪電車に乗り、京橋で乗り換えて、尼崎、塚口、猪名寺と片道1時間30分かかった。
つまり、1日3時間の通勤時間が必要とされた。
アパートを替えることも考えたが、敷金やらなんだかんだで、全て自腹で高額を払い込んでいたので、それも出来なかった。
単身赴任一人暮らしの思い出(8) 大阪府枚方市
この1日3時間の通勤が始まって暫くして、アパートの前の通りの工事が始まった。
派遣先からの帰宅は早くて夜中の9時過ぎ。朝は6時20分に起きなければならない。
昼間は、交通量が多いということで、夜中の11時過ぎから工事が始まった。
ものすごい工事の騒音と振動。まるで工事をしているその真ん中で眠っているような感じがした。
工事は朝の6時ごろまで、眠りの浅い夜が3ヶ月以上、ほぼ毎日続いた。
睡眠不足と仕事のストレス、長い通勤時間。
精神的にまいってしまい、派遣会社の責任者に相談したら、都会ではそんなことは当たり前のことだとの回答。
ほとほと困った。
我侭を言って派遣先を代えてもらうことにした。ところが次の派遣先が見つからない。
働けないまま1ヶ月は基本給分支給されたが、2ヶ月目からは支給額が0になった。
その間、私は大阪にある会社に就職しようと、履歴書を送りまわり、面接を受けまくった。
このことは、派遣会社の責任者も暗黙の了解をしていたみたいだ。
だが、ことごとく落ちた。原因は年齢だった。
SEとして再就職するには、よほどの栄光ある経験が無い限り35歳までとのことだった。
大阪中を歩き回っているうちに、沢山のホームレスを見た。そして、その中に自分の影も見てしまった。
京橋の京阪線とJRの乗換えをする広場、器を置いて一日中うずくまり、通る人達に恵みを乞うホームレス。
梅田の駅近くの道路の生垣に立ちションをするホームレス。
気づいてみると、沢山の人達がホームレス生活をしていた。
今まで気が付かなかったけれど、自分がその境遇に近づいてみると、沢山の人達が職を無くし、路上に生活していた。
私は、精神的なショックからか声がまともに出なくなっていた。
単身赴任一人暮らしの思い出(9) 大阪府枚方市
前の会社を辞めた時は、上司との間がギクシャクし、いたたまれなくなって辞めた。
派遣先を変えて欲しいと言った時は、長い通勤時間と深夜の工事の騒音がいたたまれなくなったからだ。
目の前にある、ちょっとした窮屈さに辛抱しきれず、逃げ出し、それ以上の窮屈な境遇に自分を追い込んでしまった。
自分だけでなく家族も巻き添えにしている。
その頃長女は高校生、息子は中学生だった、彼らの将来にも多大なる不安を与えてしまっただろう。
自分の愚かさが情けなくなった。
精神的なショックからか声がまともに出なくなったのも無理もない。
仕事が無い毎日、履歴書を送りに郵便局に行く時も、朝夕の食材を買いに行く時も、すれ違う人達の視線が全て私に注がれているように感じた。
「なーに、あの人、こんな昼間からぶらぶらして、仕事はしてないの。」
そんな、ありもしない幻聴が私の耳から入ってきた。
社会に出て、勤労という義務がどんなに自分を生かしてくれたか、大企業であった前の会社のネームバリューという後ろ盾がどんなに自分を崇高にしてくれ守ってくれたか身に染みた。
一人暮らしの静けさが、ひしひしと迫ってくる冬の寒さが、憂鬱な気持ちに拍車をかけていた。
単身赴任一人暮らしの思い出(10) 大阪府枚方市
私が大阪に単身赴任をはじめて、妻が地元の派遣会社に入社し、私の前の会社の関連会社で働くことになった。
妻にとっては、20年ぶりの勤めだ。
彼女の従兄弟が、私が辞めていた前の会社で出世していたお陰の入社だった。
子供達もかなり大きくなって、手がかからなくなったから、考えようによっては、20年ぶりに働き始めたことは彼女にとって良かったことかもしれない。
それまで、パソコンを趣味にしていた私を馬鹿にしていたが、状況が一転、私に教えを乞うことになった。
私は月に1度、岡山に帰っていたのだが、その度に色々パソコンの使い方について聞いてきた。
ところが・・・・
ある日、会社帰りに信号待ちで、渋滞していた妻の車に後方から別の車が追突した。
妻の前にいた車とサンドイッチ状態になり車は大破、使い物にならなくなったが運良く彼女に怪我はなかった。
また、仕事で銀行に寄った帰り、バックしてきた車が自転車に乗った妻をはねた。
この時も、怪我一つ無かった。
単身赴任していた状態で、立て続けに妻の悪いニュースが流れて来て非常に心配したが、妻は怪我一つ無く私は胸を撫で下ろした。
案外、彼女は強運の持ち主なのかもしれない。
単身赴任一人暮らしの思い出(11) 大阪府枚方市
年が明けた頃、岡山の職業斡旋会社から連絡があった。
実は前の会社を退職した後、前の会社が、次の仕事が見つかるまでと、色々と勉強させてくれながら、勤め先を探してくれる職業斡旋会社を紹介してくれていたのだ。もちろん、費用は前の会社が出してくれた。
噂に聞くと一人当たり500万円必要だったとのこと。
その会社には、前の会社のOBがいたので、気軽に色々と相談にのってくれた。
大阪の派遣会社もその会社が紹介してくれたのだが、派遣会社で働いている間も地元岡山の会社を探してくれていたのだ。
急いで岡山に帰り、面接を受けた。
ワラをも掴む思いが、好印象だったのかも知れない、採用が決まった。
単身赴任一人暮らしの思い出(12) 大阪府枚方市
実を言うと、私は料理が全く出来ません。
年をとって妻に先立たれでもしたら、自分で料理をしなければならないという危機感から、
大阪での単身赴任では、自炊をマスターしようと決心しました。
逆境状況でしたので、これを機に何かを得ようと思ったのです。
「ピンチはチャンスだ」が、その当事の私のスローガンでした。
まず最初にチャーハンに挑戦しました。
これが、なんと難しいことか。
火が弱いのか「からっ」としたチャーハンがなかなか出来ません。
ベチョーとしたまるで、タマゴご飯のようなチャーハンです。
結局、10回ほど挑戦して、「からっ」としたのができたのが1回だけ。
そして、この時、気づいたことがあったのです。
つまり、自炊をすると、お金が高くつくということです。
結局、挫折。
あとはコンビニの弁当で暮らしました。
まあ、朝は、ご飯とインスタントの味噌汁、ふりかけ、もしくはパンと牛乳でしたけど。
その当事、変なことを聞きました。
それは、ホームレスがコンビニの弁当に喜んでいるということです。
つまり、ゴミ箱に捨てられたコンビニ弁当は、防腐剤が多量に含まれているので、なかなか腐らないということです。
単身赴任で、私は防腐剤の多量に含まれた弁当をずっと食べていたということです。
多分、死んでも、数日は腐らずに済むでしょう。
よかった、よかった。
よくねえよ!
単身赴任一人暮らしの思い出(13) 大阪府枚方市 ラグビー優勝高校
私が、大阪での単身赴任時によく通っていたコンビニには、夕方になると大きな逞しい体つきをした高校生がたむろしていました。
ただでさえ、大柄な図体が威圧的だけでなく、店の前でしゃがみこんで食い散らかしたりしているのです。
注意しようと思いましたが、なんせ、図体のでかいのばかり、おまけにスキンヘッドもいる。
私なんぞは一ひねりで潰してしまいそうな奴ばかりです。
高校生であることは確かだがいったい、なんなんだ。
そう思いながら買い物をしていました。
暫くして、アパートの近くの高校のラグビー部が全国大会で優勝したというニュースを聞きました。
それからコンビニでの高校生の行儀悪さは、掻き消えていました。
彼らは、その高校のラグビー部だったのです。
優勝という栄冠が彼らの行儀悪さを直してしまったらしいのです。
そりゃ、優勝したラグビー部が近くのコンビニで行儀悪いと、マスコミが許しませんからねえ。
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