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カレーラス~掲載忘れの原稿


1年ブリの掲載にご容赦を.....

先だってカレーラスのコンサートを初めて聴いくことが出来た。むしろこの出来事は体験という表現の方が適切かもしれない。

ほんの少しだけれどもCDや映像でしか聴いたことがなかっただけに、実際のカレーラスの声や姿を見られるのに始まる前から興奮した。

カレーラスは好きな歌い手なのに、何故か不思議にも雲の上のお人という認識で私の中で位置付けされ存在していた。それがいま眼前に実際のコンサートを聴けるとは夢にも思わなかった。

しばし、夢から現実に聴けたカレーラスの歌声は容姿に増して素晴らしいものであった。何処がという部分的なことではなく、全てに於いて凄かったとしか言いようがなかった。

演奏一回生、偉大なる芸術家は必ずといって言いほど、聴く人、観る人にそれぞれの心に無限大の恩恵を与えてくれるものである。
聴衆は自ずと今この時に一体になった感動に酔いしれる幸福を得る。それは演奏が素晴らしい、もの凄いというものとは別の境地を垣間見るからなのだとはっきり分かった。

様々なコンサートで味わう素晴らしさは他にも有るだろう。スタンディング・オーベーション
の拍手鳴り止まずも有るだろう。こういう感慨は亡きカルロス・クライバーのコンサート以来だったと記憶する。

だが聴くものにこれだけ幸せな気持ちを与えられる音楽は、たぶん他に類例を見ないかも知れない。だからこそ無量の至福を得られたコンサートほど「この時だけ」という刹那を感ぜずにはいられないのかも知れない。それだけ強烈な印象を焼き付けられるからだ。カレーラスの至高の芸術と溢れんばかりの優しさ、暖かい人間性に包み込まれた歌声には、余り有る抱擁の力が存在していた。

歌を謳うというのはたぶんこのことを言うのだろう。文字通りその歌声からはまばゆいばかりの光りを発し、聴くものに至高の感動という富を与えてくれる。
ゆっくりと天上から降り注ぎ舞う金粉を織り交ぜたような高貴な光りがあった。何処かしこに慈悲深い畏敬の念と暖かさを持っていた。一重に自らが大病を克服して得られた悟りの境地に近い暖かさであり、慈悲の心がこちらに伝わってきた。

今日聴きに来られた方達の熱烈なブラボーコール、気がつけば自らも総立ちし、一体となった一人として十分すぎるほどの必然性を兼ねていた。感慨無量、素晴らしい夢心地のコンサートであった。

                   2005.11.17 サントリーホール
カレーラス

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