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いやあ、ちょっとご無沙汰しちゃいました。 復帰したとは言え、なかなかペースが掴めずに、また間があいてしまいました。 先ほど日記記入率を確認したら、どんどん若返ってついに十代!何と18パーセントですよ、あなた。 さて、話は8月19日に行われたイベント、"2006 Summer Live in Karuizawa" の続きです。 第3部は「 ビートルズコンテスト?! 全国大会決勝戦」。 そしてその審査の間に行われた第4部は、ジュディマリのコピーバンド TRA3 の演奏。 僕はジュディマリをほとんど知らないので、新鮮に楽しめましたよ。ボーカルの女の子はかわいくて若さ爆発の歌を聞かせてくれたし、バックのバンドの水準も高く、審査を待つ間にふさわしいパフォーマンスでした。 で、その第3部「 ビートルズコンテスト?! 全国大会決勝戦」ですが、これは当日来ていた楽器のできる人、歌える人を組み合わせて、即席バンドを作ってビートルズの曲を演奏させ、コンテストを行うという企画で、後から考えると、当日のメインのコーナーだったとも言えそうです。 コンテストとは言っても、演奏の良し悪しを競うものではなく、いくつかの基準を設けてそれをクリアするごとにポイントが加算(もしくは減点)され、その基準もあとから知らされるというもので、出来上がった即席バンドに科せられた課題は、演奏するビートルズ曲を3曲選ぶこと。そしてもし前のバンドと同じ曲をやってしまったら、そのバンドにはペナルティが課せられ、減点対象になるというものでした。 当日はジョージ役とポール役が多かったようですが、1バンド5人から6人程度の編成で、全部で6バンドが結成され、出演順も決まり、いよいよコンテスト開始となりました。僕も一応この中の1つに入れていただき、いわゆるリンゴ役という大役を果たすことになったのですが・・・。 やる3曲が決まったものの、そのうちの1曲はここ何年も聴いていないし、ドラムのパターンはおろか、ほとんど曲の構成もわかっていない曲だったんですよ。 さあ、ここでクイズです。 次の3曲のうち、僕が曲名を聞いた途端、ハタと困ってしまった曲はどれでしょうか。 1. She Loves You (シー・ラブズ・ユー) 2. Yer Blues (ヤー・ブルース) 3. Long Tall Sally (のっぽのサリー) あ、これはもう、クイズなんてもんじゃありませんよね。 そう、皆さんご推察のとおり、2. Yer Blues (ヤー・ブルース) でございます。 言い訳じみてしまいますけど、この曲はちゃんと練習するか、きちんと聴き直さない限り、その場でできる類の曲ではありません。 因みに、1. She Loves You (シー・ラブズ・ユー) は、何度かやったことがあるので普通にできたと思います。ただね、僕は「ワン・ツー」でいきなり入るということを知らなかったので、1度目は曲が始まらなかったんです。これってきっと、ビートルズのコピーバンドでは常識なんでしょうね。まあ、そのことを察して2度目には普通に入れましたけど。 あと、3. Long Tall Sally (のっぽのサリー) は、叩いたことのない曲ですが、発売当時シングル盤を買った僕としては、曲の構成もわかっていたし、リズムも特に難しくなかったので、問題はなかったと思います。 で、やっぱり問題は 2. Yer Blues (ヤー・ブルース) でした。 曲決めの時『ヤー・ブルース』はよくわからないと何度も言ったんですが、「いいですから。大丈夫ですから」と言われて、最終的にはには、そうか、いいのか、ドラムがなくても曲は進むんだろうなというような勝手な解釈をして、気楽な構えで臨んだんですよ。 僕らは4番目の出番で、最初のバンド2番目のバンドと進むうち、あることに気づいたんです。「みんな曲がちゃんとわかっているじゃないか!」 まあ、今からすればコンテストが始まってからでも曲は替えられたかなと思うと、あの時やっぱり別の曲を主張すべきだったなあと、反省しております。 『ヤー・ブルース』が嘆きの『ヤー・ブルース(Yer Blues)』となった経緯がこれでおわかりのことと思います。 僕は、あの曲がイベントを台無しにしてしまったような気がして申し訳なく思ったものでしたが、とりあえず主催者からはあれでとても盛り上がったというようなフォロー?のコメントを頂いた上、メンバーからは良く知らない曲を選んでしまって申し訳ないといわれたりして、更に恐縮してしまいましたよ。 で、審査も終わり第4部も終了して、ハイテンションな「宴たけなわ状態」のまま、最終章 「5. アコギライブコーナー (3組出演)」を迎えたのでございます。 ********************** 次の数字を見てやってください。アクセス数8/26 :57 8/27 :60 8/28 :448 8/29 :85 8/30 :190 8/31 :141 9/1 :60 この中の「8/28 : 448 」ですけど、この日には日記を書いたわけでもないですし、どうしてこんなにアクセス数が多かったんでしょう。 日記を書いた8/29と翌日の8/30の数字を見ていただけるとおわかりのように、僕の場合、3桁あればそれだけで赤飯モンです。 8/28 はあまりに数が多いから、ちょっと最新訪問者を確認したところ、ある時間帯に数秒おきに同一人物がカウントされているんですよ。まあ、原因はこれだとわかりましたが、この OCN の謎の人物はその後現れていないのでしょうか、カウンターが変だったのはこの日だけで、その後は問題は生じておりません。因みに9/11のアクセス数は33でした。(笑) もう一つアクセスに関連した話題ですが、僕が楽天をさぼっている間に僕のアクセスカウンターがゼロに戻ってしまったらしいんですよ。 まあ、このトラブルはいろんな人が体験しているようなので、別に驚きには値しないでしょうが、下のような内容のメールが届いたときには思わず笑ってしまいましたね。 あなたのホームページのアクセスカウンターが、 10アクセスを超えました。 つぎは50アクセスを超えたときにお知らせします。 今後とも引き続き楽天広場でお楽しみください。 それで、今の僕のアクセスカウンターですが、いろいろ計算してちょうど 77777 の頃にトラブルがあったので、そこに約 3000 ほど足して、111111 ぐらいから再開してもらうことにして、今の数字になったのです。 でもね、みなさん、僕はとんでもない勘違いをしていたんですよ。77777 + 3333 = 約111111 じゃなかったんですよ。 88888 ぐらいから再開してもらうべきところを、111111 という数字を連想してしまったのはなぜだったんでしょう。 よく考えた結果 3333 を 33333 だと思い込んでいたんですね、たぶん。Sigh...
2006.09.12
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"From Me to You" by the Beatles 1963 "2006 Summer Live in Karuizawa" 2. プチライブコーナー (3バンド出演) 上記の、8月19日(土曜日)軽井沢の某所で行われたライブ、第2部「プチライブコーナー」に出演した3バンドはかなりユニークな構成で、1バンド目が Liverpools(リバプールズ)。まあバンド名ですぐにおわかりのとおり、ビートルズのコピーバンド。 3番目は先日の日記に書いた即席バンドで、"ミックY本氏と気さくな仲間達"で、こちらも何しろ「ミック」ですから、バレバレのストーンズ。 で、この二つに挟まれた謎の "軽井沢婦人" とは?! その正体はウクレレバンドでした。こういうのやっぱ癒し系って言えばいいんでしょうか。 え?違いますよ~~。イヤラシ系じゃなくてイヤシ系~。 ウクレレ x 2 + キーボードの女性3人組です。女性ですから、もちろん「婦人」で結構なんですけど、なぜ「軽井沢」が付くんでしょう。みなさん東京の方のようですし。 そのバンド名の由来はいまだに謎ですけど、まあ、軽井沢で演奏しているんですからいいってことですかね。 結構音量的にも大きめのバンドが続いていましたから、まさにさわやかな軽井沢の風のごとく、心休まるサウンドでした。 前後しましたが、群馬のビートルズ・コピーバンド Liverpools は、今までにも何度も見ていておなじみのバンドでしたが、この日は満員の会場の皆さんに大いに受けていて、気分良く演奏できたと思います。おなじみのビートルズ・ナンバーをコピーバンドで聴く楽しさを再認識しましたよ。 コピーバンドであるからには、やはり見た目を大事にする態度は大いに見習うべきでしょうね。 ただねえ、スーツやジャケットって、夏には暑いんだよね、リバプールズさん。・・・と、ついつい同じように、なりきりを目指して当日ジャケットを着た僕の本音です。どんなに暑かろうとスーツを脱がないのは、立派だと思いました。 なお、今日のタイトルの最初にある「僕から君へ」は、もちろん Liverpools のこの日のオープニング・ナンバー "From Me to You" のことでございます。 この曲のサビは、今聴くとシンプルに聞こえますけど、当時は衝撃的でしたね。 十分メロディアスで、ほかでは聴いたことのないようなコード進行で、終わりの部分ではあの独特のハモリ。中学3年ぐらいでああいうものを体験しますと、この年まで引きずるのだということを僕が証明しております。 3番目のバンドに関しては、8月22日の日記を読んでいただくとして、さて次回は気になる「 ビートルズコンテスト?! 全国大会決勝戦」の模様を書きたいと思います。 ********************** 今回この素敵なイベントを企画した、素敵なご夫婦の素敵な奥様の素敵なブログを読んでいたら、自宅でとれた大きめのズッキーニをこの日の賞品にするかもしれないということが書いてありましたが、どうやら企画倒れだったようです。 実は、うちでも今年巨大なズッキーニが採れたんです。その大きさは、賞品に出されかけたあのズッキーニを遙かに凌ぐモノで、長さはボックスティッシュの2倍、太さはボックスティッシュ2個分はありましたよ。 どうしてそんなに大きくなったのかと申しますと、ようするに「見落とし」です。 ズッキーニは多少大きくなってしまっても、中の種の部分をくり抜けば、おいしくいただけますので、これも試しにそのようにして食べてみましたが、とても食べられる代物ではございませんでした。 というわけでお口直しに、今日はうちの庭のズッキーニの花の画像をご覧ください。左の Freepage List の一番下に入っています。なお、この画像のリクエストは、楽天仲間の tougei1013さんです。
2006.08.29
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前回は、19日(土曜日)軽井沢の某所で行われたライブでチャーリー・ワッツになりきらせて頂いたことを書きました。 ああ、クイズの答えですが、皆さんもうおわかりのようで、敢えて書かなくてもよろしいかと思いましたが、一応念のためここに記しておきます。 そうです。『悲しみのアンジー (原題"Angie")』でした。 で、このイベント、実はビートルズがらみのイベントで、来た人ほとんどがビートルズに造詣の深い方たちばかりだったんです。 つまりストーンズはあくまで余興的色彩が濃く、「ビートルズだからストーンズ」という連想から安易に、否、巧妙に仕組まれたフシがある。しかし、企画としては大成功でしたね。あそこでストーンズを挟んだから前後が更に目立つというわけですよ。 午後2時から始まったイベント、終わったのがほぼ10時ごろでしたから約8時間音楽漬けでしたが、時間の経過を忘れる楽しさの連続でした。 ビートルズがらみとは言っても、全体的には内容は様々でしたし、飽きることもなく疲れも忘れる1日でした。 以下に、当日のチラシから全体の流れをざっと説明しておきます。 "2006 Summer Live in Karuizawa" 1. ライブコーナー (3バンド出演) 2. プチライブコーナー (3バンド出演) 3. ビートルズコンテスト?! 全国大会決勝戦 4. コンテスト審査 (その間1バンド出演) 5. アコギライブコーナー (3組出演) で、今日は「1. ライブコーナー (3バンド出演)」の話を。 最初に登場したバンドは TRY2 。今回のイベントを主催した友人夫婦の在籍するバンドで、以前から気になる存在でしたが、拠点が東京なので今までは聴く機会がありませんでした。 しかしある程度予想はしていましたが、これほど良いバンドだったとは! 主に70年代80年代のロック・ポップスをやるバンドということですけど、その実力はプロ顔負けで、さらにその選曲のセンスの良さと、アレンジの見事なこと。しかもこの日は僕にとっても十分懐かしい50~60年代の曲が2曲あって、実にゴキゲンでした。 ただ、僕より遙かに若い彼らは、この2曲は後にカヴァー曲として聴いているわけで、50~60年代の曲としての認識はないのは当然のことですけどね。 さて、この50~60年代のヒット曲2曲とは一体なんでしょうか? おっ、今日のクイズだなと思ったあなた、2曲のうち1曲は既にタイトルに書いていますので、クイズにはなりません。そう、オープニングに演奏された1958年のヒット曲ドメニコ・モドューニョのヒット曲『ヴォラーレ』です。元祖イタリアンポップスみたいな曲ですね。後にジプシー・キングスがヒットさせたので、そちらの方がおなじみという人の方が多いでしょうかね。 僕らにはイタリア語の歌詞の方が耳に残っていますけど、ジプシーキングスのは、途中がスペイン語なんですね。今回 TRY2 がジプシーキングス・バージョンを下敷きに見事なアレンジで歌ってくれたのは、このスペイン語混じり(というよりむしろイタリア語混じりと言うべきか)の方でした。 さあ、ここからがクイズです。 TRY2 が3曲目に歌った曲はなんだったでしょうか。 ヒント-1:オリジナルヒットは1967年。 ヒント-2:数え切れないほど多くの人にカヴァーされている。 ヒント-3:ディスコバージョンが一番知られているようだ。 ヒント-4:TRY2 のメンバーによると「キミヒト」...。 ヒント-5:2004年2月9日の日記で、書いています。 もうおわかりですね。まだわからない人はヒント-5にもある2004年2月9日の日記をクリックしてみてくださいね。この時の皆さんのコメントが凄いです。 "off of" の謎が解き明かされているんですから。 さて、「1. ライブコーナー (3バンド出演)」の2番目に登場したのは、地元長野県では結構知られた男性デュオ、ヤマショウズでした。 かつてバックをやらせてもらったこともあるので、もちろん良く知っている二人ですが、この日出演するということはまったく知りませんでしたから、ビックリしましたね。 彼らは全曲オリジナル曲の演奏でしたが、その胸にせまる歌詞を初めて耳にする県外の人たちが多かったので、大受けしてました。やはり『君への想い』はいい曲だね。 そしてこのコーナー最後に登場したのが、"She Said"。 "She Said She Said" じゃなくて "She Said" ね。 ビートルズの好きな人にはおなじみの "She Said She Said" からバンド名をとった She Said ですが、ビートルズ中期から後期を見事に演奏するこの人達の実力には、感心してしまいました。 今年はビートルズ来日40周年ということで、それを意識してかどうかは定かではありませんが、全員法被姿。浴衣地の薄手の法被でしたから、夏っぽくてなかなか良かったですね。 演奏はといえば、オープニングは当然 "She Said She Said" でしたが、4人の持ち歌を一人ずつ歌ったり、最後には女性二人のメンバーを前面に押し出して、ピンクレディの振り付けで歌うといった凝った仕掛けもあり、実に楽しいステージでしたよ。年甲斐もなく前に出て踊ってしまったのは僕だけじゃありませんでしたよ。 さて、この中でドラムの人はリンゴの持ち歌を歌たわけですが、その曲はなんだったでしょうか。 ヒント-1:間奏では観客の皆さん、ブクブクやってました。 え?イエローサブマリン?・・・ブッブ~~~。残念でした。 あ、またクイズみたいになってしまった。 実は、以前僕らもこの曲をやったことがあって、つい懐かしくなってしまったのです。 そう、あのタコの歌、"Octopus's Garden" ですよ。 それにしても聴き応え&見応えのある「1. ライブコーナー (3バンド出演)」でした。 次回は「2. プチライブコーナー (3バンド出演)」のことなどを書くかもしれません。お楽しみに。 ********************** しかし、TRY2 といい She Said といい、かわいい女の子が二人も三人もいるバンドは華やかで良いですなあ。 今回のイベント、女性の参加も多く、とても和やかな雰囲気が醸されて、その点も楽しかった重要な要素だったと思います。 昔はバンドといえば男ばかりでしたから、隔世の感がありますね。
2006.08.24
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19日(土曜日)、軽井沢の某所で行われたライブでは、ストーンズを3曲叩かしてもらいました。チャーリー・ワッツになりきって叩いたつもりですけど、評判は悪くなかったです。 面識のないメンバー同士即席のバンドでの演奏でしたが、皆さんの実力に支えられて、恙無く終えることができました。 ボーカルのミック・Y本氏、演奏前にちょこっと話したんですが、ごく普通のまともな好青年ででした。ところが曲が始まると、これがなかなかのミックぶりで、結構凄い。ノリノリの観客にあおられて更にミック度はエスカレートしましたよ。 え?3曲ってどんな曲だったかって? 実はね、「炸裂」などとタイトルに書きましたけど、むしろ「軟弱者のストーンズ」(「関連日記」参照) を代表するような3曲でした。それでも、2曲目にやった "Honky Tonk Women" は「軟弱」というにはちょっと微妙ですかね。けど、残りの2曲は紛れもない「軟弱者のストーンズ」に入る名曲ですよ。 まず1曲目は、みなさんもきっとお好きな "Ruby Tuesday (ルビー・チューズデー)"。 さて、ここからはクイズですよ。 3曲演奏したストーンズのうち、最後に演奏した残りの1曲は何だったでしょうか。 ヒント-1:年代順に並べると、"Ruby Tuesday"、"Honky Tonk Women"、そしてこの曲ということになります。演奏もこの順にやりました。つまり70年代に入ってからの曲ですね。 ヒント-2:"Ruby Tuesday" については過去の日記で書いていますが、この曲については、70年代ということもあって、まだ書いたことはありません。 ヒント-3:かなり軟弱で(つまり名曲で)、邦題に『悲しみの...』が付いちゃいます。でも『悲しみのジェットプレーン』ではありません。念のため。 ヒント-4:アルバムでいうと『山羊の頭のスープ』に入っています。大ヒット曲ですよね。 ヒント-5:この曲はいろいろ難しい面もあるけれど、あれこれ悩まずにとりあえずやってみることが大事なんです。なにしろ「案ずるよりは産むが安し」ですから。つまりほら、アンジーるよりは産むが安し。・・・とかって。 さあ、みなさんもうおわかりですね。どの辺でわかりましたか。誰もがよく知っている曲だったでしょ。 ストーンズ、ぜひまたやりたいです。ミック・Y本さん、ぜひまたよろしくお願いします。 ☆関連日記:以前に書いたストーンズ関連日記です。 『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』マリアンヌ・フェイスフル 軟弱者のストーンズ 続 軟弱者のストーンズ ストーンズのブライアンとミック ☆1. お待たせ~ストーンズのブライアンとミック☆2. 終章です~ストーンズのブライアンとミック ☆3. ********************** さて、19日(土曜日)、軽井沢の某所で行われたライブの詳細は徐々に書かせてもらうとして、皆さん、高校野球の決勝戦見ました? 引き分け再試合の方は、1時開始ということで、ちょっと無理かなと思ったら、そこはそれ高校野球のこと、テンポ良い試合運びでちゃんと僕の仕事開始時間に間に合って終わるという、気持ちの良い最終戦でしたよ。 何十年振りかでまともに高校野球を見ましたよ。特に早実の試合はかなり見ました。 まだテレビのない時代でしたが、小学生の頃、王貞治が甲子園で投げた時のことは良く記憶しています。当時はラジオで聴いていたんですよね。その時からかどうかはわかりませんが、早実は出てくると応援したくなります。 あと、慶應が出てくると、やはり丸坊主でないのが嬉しくて応援したくなりますね。 ああ、それにしてもあの全員丸坊主っていうの、どうにかなりませんかね。腹が立ちますからあまり言いたくありませんけど。
2006.08.22
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ムッチー穴沢、久々の登場でございます。 いやね、"No More Blues" っていう曲をね、このたびじっくり聴いてみたのよ。 あまりちゃんと聴いたことがなかったこの曲、いろいろ調べたらボサノバ1号だって。しかも1958年にできたっていうんだから、こいつぁ驚きだよ。 しかし、こんなことも知らなかったんだから、自分の無知さ加減に呆れてしまったね。 ジャズの人たちの間では "No More Blues" という英題で通っているこの曲のポルトガル語の原題は "Chega de Saudade"。ブラジルの人たちの発音では「シェーガ・ヂ・サウダーヂ」("de" は「で」じゃなくて「ぢ」ね)。邦題は『想いあふれて』です。 英訳の歌詞を読むと、「♪ もう悲しくはない 家に帰るんだから、・・・」いう出だしでわかるように、望郷の念に駆られていた「私」が、ついに故郷に戻るという内容だね。心の平安をまもなく取り戻せるんだ、一刻も早く戻りたいという気持ちを表すかのごとく、ゆったりとしたメロディーとは裏腹に、早口言葉さながらの歌詞が続く。 しかし、これは何度も聴いているうちにすごい曲だなあと、感心してしまった。 まずは作曲者アントニオ・カルロス・ジョビン自身によるピアノを聴いてみた。 まさに正調ボサノバ曲! フルートの演奏に続くジョビンのピアノは、特に難しいことをやるわけではなくて、メロディーを淡々と弾き、曲を覚えるのにも最適ですね。 レコードのオリジナルは御大ジョアン・ジルベルトのようで、歌としてはさすがその後のボサノバの方向性を示した記念碑的パフォーマンスといわれるだけのことはある、オススメですね。 このほか、カヴァーものが相当数あるけれど、女性ボーカルが多いですね。 デュエットものもいくつかあるようですが、ベベル・ジルベルトは父親のジョアン・ジルベルトとデュエットしていて、結構いい感じですね。 単に娘と父親というだけで、全然違うんですけど、『恋のひとこと』を歌うナンシー&フランクのシナトラ父娘を連想してしまいました。 それで、僕が凄い曲だと感じた最大の要因は、曲作りにおけるユニークさにあるのでした。 この曲、マイナー(短調)で始まり、途中サビがメジャー(長調)になる。・・・と、ここまでは別によくあるわけですが、このサビが終わってはじめのメロディーに戻ったはずなのに、ここはマイナーではなくメジャーになっている。 初めて聴いたときには、メジャーに展開するサビがかっこいいなあと思ってはいたのだけど、元に戻ったと見せかけて、メジャーのままだったとは! 後で譜面を見たら、♭(フラット)1つから♯(シャープ)2つに変わったまま終わっているじゃないですか。 つまり、ギターを弾く人なら、コードを思い浮かべてもらうと簡単にわかると思いますけど、Dm が D になってそのまま終わるということなんですよ。 ほかにもこういう曲はたくさんあるのかどうか、見当もつきませんけど、ちょっと思い浮かばないです。 誰かご存じない? ご存じでしたらぜひ教えてください。 いやあ、この曲でボサノバの歴史が始まったことといい、作られたのが1958年だったことといい、僕はまったく知りませんでした。 60年代の半ば、ビートルズの日本デビューの頃の Getz/Gilberto (ゲッツ/ジルベルト) が最初だと勝手に思い込んでいたんだから、穴沢も随分おめでたい男よのう。 それにしても1958年とは、随分古いですよね。ロックンロールの歴史といい勝負だ。 関連日記:『恋のひとこと』 『君に夢中』 ********************** 夏風邪を引いたままお盆休みに入ってしまい、調子良くないですが、休みだという自覚が風邪をあまり意識させないのがいいですね。もっともそろそろ治りかけなので、当初のような辛さはないのも事実ですけど。 さて、どこかの変わり者が時代錯誤な参拝をするようなので、私も対抗して、時代錯誤なボサノバでも奏でて2006年の8月15日を迎えると致しましょうか。 ホント、しょうもない男やで、最後まで。あのライオン丸。
2006.08.15
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もう1週間経ってしまったので、なかなか上手く書けないかもしれないけど、一応メモ代わりに簡単に記しておこうと思います。 3月19日、久々のライブでした。 このところずっと一緒にやらせてもらっている「クラプトン大好きさん」のバックで、おなじみの曲をやりました。「クラプトン大好きさん」の職業柄、主催の高校生バンドの招きに応じたもので、出演4バンドのうち3バンドが高校生という状況の中、ついつい気合いが入りましたね。 リハで驚いたのは、どのバンドもライブハウス慣れしているということ。彼ら高校生にとっては、こういう所も特別な場所ではなく、只の発表の場なんだなあ。僕なんか、滅多にライブハウスに出ていないから、PA さんの言っている言葉の意味が理解できるようになったのも最近の話。今でもライブハウスは憧れで、ましてそこでライブなんて、夢のような話なのです。 3つの高校生バンドのうち2つが、偶然僕の出身高校のバンドで、もう一つが僕が今住んでいる町の高校生3人組ということもあって、ある意味で感慨深い一夜のライブでした。 2つのバンドはこの春卒業する3年生バンドですが、どうやら全員卒業後の進路も決まっているようで、バンドなんてやりながら現役でそういう所に合格しちゃうの?って、思わず叫んでしましそうな大学の子も何人かいて、これも驚きでした。しかも浪人はいないようなのです。 それに、この高校生たちのレベルの高さは何だ。どのバンドも信じられないほど楽器が上手い。 また、特に主催のバンドの、個性的で見事な音づくり、曲作り(全曲オリジナル!)には、ただただあきれるばかりでしたね。 この時蘇ってきたのが、僕の高校時代のことでした。 1967年、ビートルズ来日の翌年、僕らは高校の文化祭でビートルズetc. をやったんですが、この当時は田舎でバンドといえばベンチャーズばかり。前々年の文化祭ではベンチャーズ、前年はラテン系のコンボバンドは出たけれど、ビートルズ系はなし。つまり、ボーカルの入ったバンドは僕らが初めてだった。 それまでは正式なクラブ活動としてではなく、有志が集まってその時限りの文化祭バンドを作ってやっていたり、ブラスバンドのピックアップメンバーでやったりしていたのを、僕らは正式に顧問も据えて同好会を作ったのです。 バンドは5人メンバーで、レパートリーはビートルズ曲を中心に十数曲。楽器やアンプは借り物が半分以上で、貸しスタジオやライブハウスなんて影も形もないし、つまり練習する所もろくになく、バンドスコアなんて存在していない時代、いろいろ工夫してどうにかやりましたね。それでも、バンドは何よりも楽しく、そして日々が充実していたことだけは確かで、あのころの自分は人生の中でももっとも生き生きしていたのかもしれないと思うことがあります。 僕は、今とは違って、前に出て文字通りギターをかきむしりながら歌ったわけだけど、その時のことは左の Drums のページに記したとおり。まさに同じ年齢の芦原すなお著「青春デンデケデケデケ」の世界で、周辺の高校からも噂を聞きつけて見に来るほど、それなりに人気も博しました。 バンドをやろうと決心して、メンバーを集め、形ができたのが今から約40年前(1966年)、僕が高2の秋のこと。当時は文化祭が秋にあったので、その後の1年間はバンド中心の生活で、3年の文化祭が終わってから始めた受験勉強では、とうてい現役合格は望めず、見事浪人の道へ。 しかしメンバーのうち2人は現役で某有名私大に入ったんですから、大したもんです。1年遅れて僕も、この2人とは別の私大に入りましたが。 先週の日曜日は、約39年後の自分と、自分より38歳(?)も下の僕らの直系の後輩バンドが、同じステージで演奏するという奇跡的な1日を過ごしたのです。 トリを務める主催バンドのすばらしい演奏と見事なステージングを見ながら、遙かに下手で遙かに見劣りしただろうけれど、たぶん同じような興奮と、同じような高揚感で歌った約39年前の自分たちが、頭の中で何度もダブっては消えてゆくのを覚えました。
2006.03.26
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先ほど午後6時50分からの BS ニュースで、宮川泰さんが亡くなったことを報じていました。 しかし、名前を間違えて読んで、しかも訂正なしでしたけど、こんなことはいけません。 いや、それよりも、NHK のアナウンサーが宮川泰を「みやがわやすし」と読んでしまうくらい、この偉大なジャパニーズポップスの作曲家の存在も、彼方に忘れられてしまっているのが現実なのかと思うと、それも悲しいです。 初めて名前を目にした人には、ぜひ覚えておいてもらいたいです。『恋のバカンス』を作曲した偉大な作曲家は「みやがわひろし(宮川泰)」さんです。 この人の歌にも随分世話になったなあ。特に中学生の頃は、良く歌いました。 伊東ゆかりの『歌を教えて』が一番好きです。次は中尾ミエの『長い髪』(←タイトル自信なし)ですけど、どちらも音源は手に入りません。けど、どちらも大体歌えます。 亡くなられたことは残念ですけど、仕方ありません。 ご冥福をお祈りします。 ☆追記:今、夜7時のニュースでも先ほどと同じニュースをやっていました が、今度は「みやがわひろし」と女性アナウンサーが読んでいました。一応、念のため。
2006.03.21
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“I Call Your Name”by the Beatles 1964 ちょいと。音楽好きのあなた。Woodpecker のホームページ、覗いてみてごらんよ。楽天仲間の KYONTAN さんのご主人(Mr ダンナ)が経営なさっているレコード店のホームページなんですよ。 ご覧いただければわかりますが、とにかくそのレコード & CD の豊富な在庫には驚きます。 その中の7inch のコーナー(ROCK-7')の Beatles をクリックしたら、ずいぶん懐かしいジャケ写真が2枚……。 そうです。一番上の『ツイスト・アンド・シャウト』と4番目にある『のっぽのサリー』です。 実はこの2枚、発売当時買って、すり切れるほど聴いたレコードだったんですよ。 この2曲はどちらもずいぶん流行りました。 1964年、ちょうど僕が中学3年生のときでした。少年サンデーを毎週買ってしまうとなかなか残らない小遣いの中から、レコードを買う金を捻出するのは難しくて、サンデーは我慢してその分をレコードに回すというようなことをしていた頃です。 『ツイスト・アンド・シャウト』には、しびれましたね。なにしろ「シェキノベービー」ですからね。B 面の『ロールオーバー・ベートーベン』の方もよく聴きました。これは B 面にもかかわらずラジオでもよくかかりましたっけ。『ベートーベンをぶっ飛ばせ』ですからね、何てったって。どちらも A 面と呼んでもいいくらいでしたね。 『のっぽのサリー』がヒットチャート入りした頃に、星加ルミ子がラジオで「この曲を歌っているのは、たぶんポール・マッカートニーだと思います」と、紹介していたのが印象的でした。 今なら誰が聴いてもポールにしか聞こえませんがね。まだ日本に紹介されて間もない頃でしたから、こんなこともあったんですよ。 さて、その『のっぽのサリー』の B 面には、ビートルズ初期のオリジナルの中でもひときわ燦然と輝く名曲、"I Call Your Name" が収められていたんですから、この出会いには感謝せねばと思うのです。 名曲と言っても、かねてから僕が勝手にそう思っているだけで、誰もそんなことを言いそうにないから、その辺もあまのじゃくの僕としては密かにうれしい。 この時期のビートルズのオリジナル曲は、それぞれに随分個性的なポップチューンに仕上がったものが多いわけですが、それらとは一線を画する点に注目したいです。 まず、この "I Call Your Name"、とってもロックンロールに聞こえるくせに、いわゆるブルースコードの12小節に収まる正調ロックンロールとは、ずいぶん趣の異なる洒落た作りになっていることは、特筆すべき点ではないでしょうか。 マイナーで始まるイントロがいきなりメジャーに展開して、かっこいいなあ。 歌が入るとしばらくは普通の8ビートで進む。下から上まで音域を使ったメロディー優先で、シンプルな歌詞がそれに乗る。 そしてサビになるとベースとギターが、いわゆるロックンロール風のバッキングに。でも、コード進行はブルースコードではない、独特のもの。 そして、間奏ではリズムがハネて、なんと効果的なこと。 効果的といえば、曲全体を通して、カウベルの使い方が実に良い。この時期これほど上手くカウベルを使った曲があったろうか。ほかに思いつかない。 もうひとつ。初期ビートルズのオリジナル曲で極めて独創的なあのコーラスが、この曲では全く聞かれないことも、大きな特徴と言えます。 この曲のカヴァーはあまり聴いたことがありませんけど、僕の持っている CD では、ママズ&パパスのものがありますね。 彼らはもちろんあのコーラスでハモっていますけど、アレンジがあまり馴染めないせいか、イマイチなんですよね。 コーラスの素晴らしさが売りのママズ&パパスがイマイチに聞こえるということは、どういうことでしょう。要するにコーラス向きの歌ではないということなんでしょうか。だから、あの独特のコーラスが魅力的だった初期のビートルズも、敢えてこの曲にはコーラスを付けなかったんでしょうか。 そうなると、余計、この曲に独自のコーラスを付けて、バンドでやってみたいという気になってきます。ちょっと無謀かなあ。実際できるものかどうか、ほかのメンバーに訊いてみないといけませんね。 『のっぽのサリー』の B 面に収められた "I Call Your Name" ですが、文字通りすり切れるほど聴いたことはいうまでもありません。 『ツイスト・アンド・シャウト』も『のっぽのサリー』も、2枚ともどこに行ってしまったか、今となってはわからないのが残念です。でも、たとえ手元に残っていたとしても、Woodpecker で売っているような値段は付きませんね。盤質が悪すぎてね。 そういえば、ビートルズやストーンズとは格が違うけど、これと同じようなレコードがもう1枚あったなあ。B 面をすり切れるほど聴いたシングル盤が 。 高校に入ってまもない頃だったかなぁ、結構気分的にはうきうきしていた頃に買った、H.H. の H. という、うきうきするような曲で、その B 面がね。僕が中学生の時に S.D. さんが歌って流行った美しい曲のカヴァーでね。 どうして、イニシャルトークみたいになってるかって? 決まってるじゃないですか。クイズですよ。クイズ。 え~~~、また変なクイズですか~~。 と思ったあなた。……そのとおりです。 では、今日の日記中クイズ。問:1965年に、私穴沢ジョージがシングル盤を買ってよく聴いた「H.H. の H という曲」は、いったい誰の歌う何という曲でしょう。そして、この A 面以上によく聴いた B 面の曲のタイトルは何だったでしょうか。 ☆ヒント:H.H. はグループ名。曲名の H は、邦題の人物名のイニシャルですよ~。 というわけで、次回はこの「H.H. の H という曲」のことでも書こうかと思っとります。
2006.03.09
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“What's Going On”by Marvin Gaye 1971 え~~、毎度ばかばかしい日記におつきあいいただき、誠に恐れ入谷の鬼子母神、おいらイリヤのクレアキンでございます。 まずは訂正からでございまして。 前々々々回の日記でマービン・ゲイの名盤 "What's Going On" の CD を、ネットオークションで100円で落札したと書きましたが、よく考えたら280円でございまして…。え~~、開始価格が280円、落札価格も280円、つまり、わたくし以外は誰も入札せずに買えてしまったというわけなのでございます。100円というのはもう一つの方でございました。金額を間違えて書いてしまいましたが、280円でも十分に「救出」に値すると、ソウル R&B の達人、楽天仲間のとっちさんもおっしゃっておりますので、「救出」の部分には訂正は必要なしということでご了解頂きたいと思うような次第でございまして…。(熊)「お久しぶりでやんす、ダンナ。お~くしょん…!」 (穴)「あれれ、熊さんじゃないか。今年も鳥インフルエンザかい?鳥ノオリンピックに因んで。もう終わったけど」(熊)「いきなり話の腰を折らないでくださいよ、ダンナ」(穴)「おぉ、これは失礼、腰骨を折ったのかい。さぞかし痛かったろう。「お~くしょん」は、クシャミにしては確かに変だ。で、話というのはなんだい?」(熊)「まったく、冗談きついんですから。ハ~クションじゃなかった、オ~クションで安物買いしたそうじゃないですか」(穴)「コレ、熊さんや。言葉遣いにはくれぐれも気を付けたまえ。安物買い、などと人を蔑視したような物言いは避けなさいななさけないな」(熊)「じゃあなんて言えばいいですかね。安物を買って失敗しちゃったときは」(穴)「あのね、失敗じゃないの。大成功なの」(熊)「まあ、確かにマービン・ゲイの "What's Going On" が100円じゃあ、救出も成功というべきかもネギ」(穴)「100円じゃなくて、280円。冒頭で訂正しておいたでしょ」(熊)「ぼうとうでって、千葉の海へでも行ってきたんですか。この寒いのに」 (穴)「千葉の海は房総。冒頭ですよ冒頭」(熊)「まあ、たしかに280円でもタダみたいなもんですね。冒頭といえば、タイトルがおかしいですよ。"What's Going On" の邦題が『十七歳の地図』ってえことですかい。『十七歳の地図』なんて、まるで、尾崎豊みたいじゃないですか。♪ セブンティ~~ンズ・マーップ…ってね」 (穴)「尾崎豊みたい、じゃなくて、尾崎豊。それに『十七歳の地図』が "What's Going On" の邦題なわけないでしょ」(熊)「"What's Going On" の邦題でなけりゃ、どうしてタイトルに使ったりしたんですか。まぎらわしいっすよ」(穴)「いや、白状するとだね。ネット・オークションで100円だったのは『十七歳の地図』の方だったんだよ」(熊)「なるほど。そりゃまた安いですね、確かに。けど、またどうして今更尾崎豊なんですか」 (穴)「何をおっしゃる熊さんや。決まってるじゃないですか、100円だったからでしょ」(熊)「え?それじゃあ、安いからつい落札しちゃったってえやつですか。特に買いたくもないのに。で、よく計算してみたら、振り込み手数料と送料で、結局は高くついちゃったってね。安物買いが陥りやすい甘い罠だわな」(穴)「ずいぶん適切なコメントをしてくれたじゃないか。経験者は語るっていうやつだね。しかし甘いな、熊ワトソンくん」(熊)「なんだ。甘い罠にはまったのは僕の方なのかい、穴ホームズ!」(穴)「残念ながら、That street ! その通り。君のコメントは間違いだらけであると指摘しなければならない。僕が100円だったからと言ったのは、「救出」の目的を言ったのであって、尾崎豊のファーストは前から欲しかったのだよ、ハハハ」(熊)「鬼の首取ったように笑ってますけど、何だか釈然としませんね。ま、年寄りの楽しみに水を差しても何だから、このくらいにしておきましょうかね」(穴)「え?年寄りの何だって…?」(熊)「いえいえ、何でもございません。ところで、前回のクイズですけど…」 (穴)「ああ、そうだソーダ。ソーダ水だ。三ツ矢サイダーだ、キリンレモンだ、リボンシトロンだ。なぜ CD がこんなに安かったのかっていうクイズね」(熊)「結構難しいって、みんな言ってますよ」 (穴)「これは難しくはないよ、熊ワトソンくん。ちょっと見方を変えるというか…」(熊)「雑草の天ぷら、じゃなかった、発想の転換というやつだね、穴ホームズ」 (穴)「アイアイサー。そうなのサー。CD というのは飾っておいても意味がない。すなわち聴けなければ仕方ないのだ」(熊)「当然だね」(穴)「然るに、ふつうに聴ける CD であり、なおかつ十分評価を得ているものでありながら、格安であるというのは、……」(熊)「もしや、違法コピーもの……」 (穴)「じょ、冗談はよしむらみちあき、おきしきな」(熊)「待ってくれ、穴ホームズ。わかりかけてきたぞきたきたきたいっき」 (穴)「さすが熊ワトソン君だ、ほどなく事件は解決を見ることとなろう。では、失礼する」(熊)「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。今逃げられたら読んでるみなさんに失礼でしょうが汁」(穴)「そりゃソーダ、クリームソーダ。こーら失礼した、コーラ・フロート」(熊)「ふざけてる場合じゃナイロン、テトロン、アセテート。しまった。ふたりともいつの間にか chappi chappi 化しているぞ」(穴)「結論を急ごう。つまり、マービン・ゲイの "What's Going On" が280円で、尾崎豊の『十七歳の地図』が100円だった理由は、どちらも「盤のみ」だったからなのさ」(熊)「な~んだ~、ジャケなしか~。ジャケなしの訳ありねぇ」 (穴)「あれれ、そんなにジャケんな言い方しなくても……」(熊)「あのね、だんな。ジャケットなかったら、価値はなくなることぐらいご存じでしょうに」(穴)「そのくらい分かりますけどね。まずは音ですよ。♪ 聞こえてこない CD ほど 寂しいものはない~ 布施明ってね」(熊)「そりゃそうですけど、ジャケットなしも随分寂しいですぜ」(穴)「ジャケットなんか作ればいいんだよ。パソコン持ってるんだから。オリジナリティあふれるかっこいいやつを。あ、そうそう。念のために言っておくと、"What's Going On" の方はね、裏ジャケはあったんだよ。なかったのは表だけ」(熊)「何だか負け惜しみに聞こえますけど」(穴)「いいの。安かったし、音には問題なかったんだから……」(熊)「まあどうでもいいですけど、こんな馬鹿話長々としてたら、みんな読まないで帰ってしまいますぜ。それより聴かせてくださいよ、マービン・ゲイと尾崎豊。特に『マーシー・マ-シー・ミー』と『15の夜』が聴きたいですね」 (穴)「おいおい、冗談言っちゃいけないよ。こんな朝っぱらから聴かせるわけにゃいかないね。一緒に手に入れたチャック・ベリーのアルバム聴いてみないかい。これがまたいいんだよ。渋いブルースとかやっててね……」(熊)「何ケチくさいこと言ってるんですか。尾崎とゲイの2枚が聴きたいんですよ。いいじゃないですか、減るもんじゃあるまいし」(穴)「いや、こんな朝早くにはだめだと言ってるんだよ」(熊)「じゃあ、昼飯食ったらまたこっちへ来るんで、そん時ならいいってことですか」 (穴)「いいや、昼もだめだ」(熊)「じゃあ、いつならいいってんですか、一体」(穴)「そりゃあね、夜だけに限られているんだよ。つまりジャケなしの CD は「盤のみ」なだけに、聴くのは「ばんのみ」……「晩のみ」ということで」
2006.03.07
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☆追記:電気用品安全法 どうやらマスコミも黙っているわけにはゆかなくなったようです。 NHK はじめ、あちこちのニュースやワイドショーが採り上げ始めました。 それと、リサイクル業者が立ち上がったようで、この法律の中から中古品を除外するようにと、署名運動をしている姿がニュースで映し出されていたのは、なかなか良い傾向ですね。 このまま「どうしようもない」などという理由だけで、なし崩し的に押し切られる形で4月に突入することだけは避けたいですよね。 ***************************今朝もはよから KYONTAN さんのところへお邪魔したら、こんなん読む羽目になりまして……。結局やりました。(笑)↓↓↓↓↓↓□■ルール■□ 見た人は全員やること! 絶対だから!嘘つきはだめ! 足跡に証拠残りますよ! <強制バトン> 『見た人はすぐやるバトン!』 ●今、どこに居る? 自宅のコンピュータ・ルーム●今、一番近くに誰が居る? ポチ子(仮名♀6歳)●今 どんな服装? 洋服(和服ではないという意味)●今、何食べたい? トルコで食べたあのスイカ●今、何飲みたい? シブ茶●今、真後ろには何がある? YAMAHA の古いピアノ●今、まわりを見渡して、いちばん目についたものは? たくさんのがらくた●今、誰に会いたい? 1964年のシルビー・バルタン●その人に今伝えたいことは? レコード買いましたよ!(『アイドルを捜せ』ね)●今一番歌いたい曲は? "I Call Your Name" by the Beatles●今頭の中でパッと思い浮かんだ言葉もしくは台詞は? ♪ I Call Your Name but you're not there... (当然こうなります)●今の体調は? 悪くない(特に良くもないけどたまに咳がね、ごほごほ)●今どんな気持ち? 淡々とした気持ち ********************** そういえば、以前同じく楽天仲間のヨタママさんから、食べ物に関するバトンが回ってきたことがありましたが、いつかじっくりやってみようと思っているうちに忘れてしまいました。まだできるようなら、あれ、やってみたいなあ。どうしたらできるでしょうかねえ。ヨタママさん。 それから、音楽バトンもいくつか来たことがありますけど、とても即答できるような内容でなかったので、失礼してしまいました。 今回は珍しく気楽にできたので、日記にアップしてみました。 あ、<強制バトン> って書いてあるからって、皆さんが真似しなければならないようなものではありませんから、どうぞご心配なく。 いわゆる「不幸の手紙」の類と思って、無視する方が健全というもの。決してこのようなものに惑わされてはなりません。(そういうおまえは、なぜやったという、陰の声もきこえてきますけど…(笑))
2006.03.04
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“Rollin' And Tumblin'”by 憂歌団 昨夜、10時2分過ぎにテレビを付けたら、BS2 で木村くんが歌っているじゃないですか。おお、これはラッキーと1時間半ばかり見てしまいました。 何しろ見始めたのが2分ほど過ぎてからだったのと、運悪くエンディング(と思われる)11時半を目前に、ついうとうとしてしまい、結局番組タイトルもわからないままでしたが、いやあ、堪能させて頂きましたよ。 ひょっとしたらと思って、わが尊敬する楽天仲間の幻泉館主人さんの昨日の日記を見たら、案の定、早速「木村充揮スペシャルライブ」のことを書いてくれていて、ゲストと曲目の詳細を記してくれていました。こういうマメなしっかり者がいてくれるのは嬉しいですねえ。本当に助かります。 あらら、1曲目の『俺の村では俺も人気者』を聞き逃しているぞ。ま、でもいいか。永井隆くん(通称ホトケ)と歌った次の『嫌んなった』が実に良かったから。ほら、デビュー・アルバムの1曲目で、しかも僕が初めて憂歌団を聴いたときもこれが1曲目だったからね。 デビュー30周年ということですけど、もう少し経っているんじゃないかなあと思って、いくつかサイトを覗いてみたら、レコードデビューが1975年ということで、昨年がデビュー30年ということでした。やはり、1年ずれていた…? しかし、ここに衝撃の事実が!…と言うほどのことではないのですが、実は僕が初めて憂歌団の存在を知ったのは、更に1年前のこと、正確には1974年の暮れ頃なんです。 その頃時々行っていた新宿のロック喫茶の壁に、大晦日に京大西部講堂で行われるライブのポスターが貼ってあって、その出演者のずっと下の方に「憂歌団」の文字があったんですよ。 当時、日本のブルースシーンは絶頂期で、良いバンドがいくつもあったんですが、バンド名に「憂歌団」と付けるようなセンスを持った人たちってどんなんだろうって、俄然興味が湧いてきたんです。 で、行きましたよ。僕の記憶に間違いがなければ、あれは74年の大晦日の前夜遅く。東京駅から大垣行き鈍行の夜行列車に乗り、大垣で乗り換え、朝大阪に着いた。 京大西部講堂はいろいろな意味で有名でしたが、その時が初めてでした。会場は満員で、異様な熱気に包まれていましたよ。 ところが、肝心の憂歌団は結局出演せず。もちろん憂歌団だけが目的ではなかったけれど、とても残念でした。ただね、このコンサート自体は凄く充実していて良かったですから、行った意味はありました。 特に、この時のトリを務めた上田正樹とバッド・クラブ・バンドというやつがかっこよくて、ボーカルの上田正樹というヤツは歌が上手くて、地元の若者達にはとても人気があってね。けど、このときが「解散コンサート」でね、そのせいかますますの盛り上がりだったのを覚えています。 なんだあ、こんな凄いバンド解散しちゃうのかぁ、残念やなぁと思いましたが、彼がその後しばらくして、サウス・トゥ・サウスというバンドを率いてメジャーデビューしたのは言うまでもありません。 それで、僕が初めて憂歌団を見たのは、約1年後、翌75年も終わり頃で、何と!テレビだったんですよ。これが。 たしか NHK の教育だった。ちょうど1st アルバムが発売になった頃で、4曲ぐらい歌ったことを覚えています。 さて、今日のタイトル『君といつまでも』に引っかかってやって来てくれた人も多いでしょうから、ちょっとそちらの方に話題を移しますね。 憂歌団はこの歌を初めの頃から持ち歌にしているんですが、初めて聴いたときから、ものすごく強烈な感動を覚えたもんです。 むろん木村くんの歌のせいであることは間違いないです。加山雄三が歌ったモノは、何度聞いても木村くんほど印象的ではありませんから。 木村くんがあの声であの歌いっぷりで「♪ おおぞら~染めてゆく~ 夕日~ 色あせても~」と歌うとき、僕はこの歌のこの箇所の持つ意味を知ったのです。 「夕日が色あせる」という言葉遣いの何気なさのせいで、これが「太陽の衰退」を意味するなどと思い至ったことがなかったのですが、木村くんはそこを意識させる歌い方なんですよ。作詞家岩谷時子の意図をきちんと伝えているということですよ。その歌唱力で。 昨日も、バックの演奏は洗練されたアレンジで、何人ものストリングスを従えていましたけれど、30年前と何ら変わらない「木村くんの『君といつまでも』」でしたよ。 一度君の歌に魅せられたら、たとえ太陽が輝かなくなっても、ずっと「君といつまでも」と思ってしまうよ。木村くん。 ********************** "Blues Band" を直訳して「憂歌団」と名付けたのでしょうが、今でもこのバンド名は、日本の数あるバンドの中で一番だと、本気で思っています。 みなさんは、バンドの名前で気に入っているものがありますか。洋の東西を問わず、いいやつがありましたら、教えてください。
2006.03.03
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“Sweet Sixteen”by Chuck Berry (1961) Original by B.B. King 今日は昼食時にテレビを、それも地上波を点けておいて大正解でした。午後1時からのTBS系「噂の! 東京マガジン」で、かなり詳しく「電気用品安全法」をとりあげていましたよ。こんな形でどんどんこの法律のことをメディアが問題にして行って欲しいですね。 番組では、主にリサイクルの観点から、この法律の持つ矛盾点を指摘していましたし、ミュージシャンにもインタビューなどしつつ、「文化の危機でもある」と主張していて、視聴率の少ない時間帯とはいえ、よくぞ採り上げてくれたと思ったのです。 前回の日記のレスで、楽天仲間の「ヘリオトロープの小部屋さん」が坂本龍一のサイト に、この法律に反対する署名運動がある旨、紹介してくださいました。もし、あなたに時間があってこの法律に関心があったら、彼のサイトを覗いてみてください。 電気用品安全法(PSE法)に対する署名というページに直接飛んでもいいかと思います。 そういえば、呼びかけ人の中には今日の番組にも登場した松武秀樹氏の名前もありました。僕は YMO はほとんど聴きませんでしたし、初めて目にする名前でしたが、松武氏は YMO でシンセサイザー・プログラムを担当していた人で、4人目のメンバーと言われていたんですね。 あと、「自慢のギターをビンテージアンプにつないで、伝説のロックンローラーみたいに演奏して」プロとしてやってゆきたいという夢を持った大西さんという17歳のギター弾きの女の子が登場していたけれど、近々買おうかと思っていたビンテージアンプ、どうやって手に入れるんでしょう。心配です。 「伝説のロックンローラーみたいに」っていう言い回しがおもしろかったですけど、ついチャック・ベリーを連想してしまいました。彼女には、最近ネットオークションで手に入れたチャック・ベリーの "New Juke Box Hits" という復刻盤 CD に入っていた B.B. King のカヴァー曲 "Sweet Sixteen" ("Sweet Little Sixteen" じゃないんですよ) を捧げたいと思います。 チャック・ベリーのあの薄っぺらい感じは、ブルースには合わないと思う人もいるかもしれませんけど、これがなかなか、何気なく流していると結構いいんですよ。ぎんぎんのギターソロもないけど、あまり気張っていないところがね。 電気用品安全法 電気用品安全法のページ 経過措置の 終了に伴う電気用品の取扱いに関して 特定電気用品以外の電気用品( 338品目)一覧 ********************** あ、そうそう、前回のクイズですが、そもそも僕が大きな勘違いをしていました。手に入れたマービン・ゲイの名盤 "What's Going On" の CD 100円ではなく、280円でした。このことも含めてまた日記にまとめたいと思っております。 今日はとりあえずこれまで。
2006.02.26
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☆救出:“What's Going On”by Marvin Gaye (1971) もし、あなたが「フェンダーのツインリバーブの掘り出し物見つけたぞ!60年代のビンテージものがたったの10万円だよ、きみ~」……などと大声で言おうもんなら犯罪ですよ。 あ、心配しないでください。 まだ大丈夫です。今年の3月31まではね。でもね、それ以降は大変なことになりそうですよ。 全国のギター弾きのみなさん、ベース弾きのみなさん、キーボードプレーヤーのみなさん、そして音楽ファンのみなさん、大変ですよ。 平成13年4月に施行された「電気用品安全法」の経過措置が終了するんですよ。 これだけでは何のことかわからない人も多いのではないでしょうか。いや、僕はつい先日友人に教わるまでこの法律の存在すら知らなかった。僕のような人はたくさんいそうです。 もしかするとマスコミも採り上げているかもしれないけれど、あまり聞いたことがないなあ。 確かに電気用品安全法の「(1) 法律・制度の目的」だけ見たら、立派な法律のようです。しかしね、そもそもリサイクルの観点から見たら、これは実に呆れた法律に思えますけど、皆さんどうよ。 第一、うちのように電気製品の半分近くを中古に頼っている家庭には、経済的な打撃を伴う切実な問題とも言えるわけで、リサイクル・ショップやバザー、フリー・マーケットで余生を楽しんでいるわたくしには、とうてい納得ゆきませんね。 いいかい、たとえば某リサイクル屋で見つけた掃除機。安かったけど、とても性能が良くて仕事場で毎日使っているけど、これが調子悪くなったらどうしてくれるんだい。 「まあそうおっしゃらずに。これからは安全な新品を買ってくださいよ。それがイヤなら、あと何年か待っててね。そうすれば PSB マーク付きの中古が出回りますよ」っていうことかい。 更に言えば、うちのレーザーディスク・プレーヤーと、8ミリビデオ・デッキと、ベータマックスのビデオデッキ、さらには、レコードプレーヤー、カセットデッキ、ステレオアンプとギターアンプ、etc. etc. こいつらが壊れたら、中古で見つからなければ二度と手に入らない可能性が高いのだぞ。 更に更に、うちのリーフリ・マーフリの DVD プレーヤーみたいな輸入物はひょっとすると入ってこなくなるのかい。 このことについて詳しい人がいたら、いろいろ教えて欲しいです。 でもね、ギターも弾かないし、新品しか買わないから関係ないと思っている人にも、ぜひ関心を持って頂きたいのですよ。 繰り返しになりますが、今まで中古品として出回り、リユースされていたものが、この4月からは、どこかに集められどーんと積み上げられ、処分されることになるんですよ。対象の電気製品って、ものすごい数になります。とくに、特定電気用品以外の電気用品( 338品目)一覧の、70番以降をよく見てください。 とりあえず、どう考えてもまだ使えるものは、有効に使うべきだと思うんです。 電気用品安全法 電気用品安全法のページ 経過措置の 終了に伴う電気用品の取扱いに関して 特定電気用品以外の電気用品( 338品目)一覧 ************************* ネット・オークションで CD 何枚か買っているんですけど、タイトルでもおわかりのように、今回の救出は大物でした。 そうです。おなじみ、マービン・ゲイの "What's Going On" です。このアルバムを通して聴くのは今回が初めてです。でも100円は安かったなあ。 え?どうしてそんなに安かったのかって? そこはそれ、みなさんの想像力を働かせてくださいよ。 あ、今日のクイズにしましょう。 なぜ、マービン・ゲイの "What's Going On" のアルバムが100円だったでしょうか。 ホントにいろんな人のカヴァーがある名曲です。だけど、"What's going on ?" って天国のマービン・ゲイさんに訊かれて、「あの頃の状況と35年後の今とを比べても、世の中はちっとも良くなっていないよ」って、言わなくてはならないのは、何だか申し訳ないような気もするなあ。 "What's going on ?" は、「何が起こっているの」「一体どうなってるの」っていうことだけど、気が付いたらひどいことになっていた、ではすまされない。今度の「電気用品安全法」の経過措置が終了するということについても、危うく「知らなかった」で終わってしまうところだった。 自分から知ろうとしなければ、自由と民主主義は守れないなあ。何しろ不自由さと反民主主義を押しつけたがっているとしか思えない「自由民主党」という凄く矛盾した名前の政党の人たちに、僕らは今、自由と民主主義を奪われかけているんだからなぁ。
2006.02.13
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先日のおまけのクイズはやはり少々難しかったようです。結局皆さんのコメントを最後まで読むと、答えはわかりますけどね。 第1問は Graham Nashでした。この Graham は、当時僕らは「グラハム」だと思っていました。まあ、いまでもグラハム・ナッシュと言ってしまいますけどね。正確には、カタママさんがお書きのように「グレアム」ですよね(グレアム・グリーンとか)。今回は便宜上グラハム・ナッシュで進めます。 ホリーズ(The Hollies)のグラハム・ナッシュは、68年にクロスビー・スティルス・アンド・ナッシュで新境地を開きますが、ここにニール・ヤングが加わったクロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤングでの活躍は、皆さんご存じでしょう。 最後のヒントで、若い人が加わったというのは、確かに最年少(ですよね)のニール・ヤングが加入したという意味ですけど、彼、「ヤング」なので「若い」と掛けたつもりでした。幻泉館主人さんはこれに気づいてくれました。 でもね、とっちさんがおっしゃるとおり、せめてイギリスからアメリカに渡ったぐらいのことは付け加えるべきでしたね。 ホリーズはとても好きなバンドでしたが、何しろレコードを持っていなかったので、ラジオでした聴いていなかったため、情報に乏しかったです。実は、グラハム・ナッシュがホリーズにいたということを僕が知ったのは、彼がクロスビー・スティルス・アンド・ナッシュで活躍し始めたときでした。あの『バス・ストップ』の大ヒットの時でさえ、メンバーの名前までは知りませんでしたね。当時はそんなもんでしたよ。 さて、1963年2月2日にはビートルズがヘレン・シャピロのツアーに同行。この時期、"Please, Please Me" が11週連続で全英 No.1 ヒットとなったそうです。 この時のステージはどうだったんでしょう。ヘレン・シャピロはビートルズに食われてしまったんでしょうか。 どちらかといえば、ヘレン・シャピロは若者の絶大な支持があったようにも思われないんですけど、たぶん世代的にはビートルズの面々といい勝負だから、結構両方とも同時に受け入れられたようにも思うんですよ。まあ、これは僕が自分自身両方を同時に受け入れられたという過去があるので、それを元に判断しているんですがね。 そうそう、ところでヘレン・シャピロといえばやっぱり、『悲しき片想い』と『子供じゃないの』ですよね。まあ、この辺のことは以前に何回か話題になっていますが、これが日本語で流行った頃は良く大声で歌ったものでした。小6から中1にかけてでしたかね。『悲しき片想い』の方は飯田久彦の男性バージョンもありましたけど、弘田三枝子の方が売れたかな。関連日記:ホリーズ『バス・ストップ』(2002.11.06) 『悲しき片想い』(2002.11.06) またまた『子供じゃないの』(2002.11.10)
2006.02.05
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では、早速練習問題の答えから。 日本では平尾昌章でヒットした『恋の片道切符』ですが、オリジナルは誰が歌ったでしょう。 (2) ニール・セダカ 原題は "One Way Ticket (to Love)" でした。 ********************** 1. 1960年、平尾昌章のヒット曲といえば...。 正解:(5) ミヨちゃん これはずいぶん流行りましたね。「つぶらな瞳」という言い回しは、これ以来よく使うようになったと思います。途中の語りがかなり恥ずかしかったですね。あれ…?語りってどんなんでしたっけ。完全に忘れています。作詞・作曲、平尾昌章。歌、平尾昌章でした。 まき~♪さんが、ドリフターズの加藤茶が歌っていたとコメントを付けてくださいました。いわれてみれば確かにそのような気もしますが、僕は70年代のある時期、ほとんどテレビを見ていませんので、わからないんですよ。2.「♪ ぼくの恋人( )へ行っちっち~」の( )に入る言葉は? 正解:(4) 東京 これはさすがに間違った人はいませんでしたね。何しろ集団就職とかの全盛期ですからね。1ドル360円の固定相場制の時代には、そう簡単に海外へ行ったりできませんでしたし。 作詞・作曲は浜口庫之介ですが、歌詞がなかなかアレですよね、3番の冒頭とか結構すごいです。「♪ 上りの急行が シュッシュラシューと行っちっち~」ですからね。まだ新幹線ができる前、急行列車が良く走っていましたね。それにしても、最後に付け足しのように「♪僕も行こう あのこの住んでる と~ぉきょうへ~~」というのはどうかと思います。そうやってみんな東京へ出て行って、その結果がマンモス都市東京でございます。3. オリジナル「三人ヒロシ」で正しいのは。 正解:(3) 水原弘、井上ひろし、釜苑(かまやつ)ひろし 今回最大の難問でしたね。にもかかわらず、幻泉館主人さんとツキミ姫さんは正解でした。 1958年のミュージックライフで「新しく今年の春のヴィデオ・ウエスタン・カーニバルに登場したニュー・シンガー、左よりヒロシ釜苑、水原弘、井上博の三人のヒロシ」と写真入りで紹介されています。この時点では、まだ守屋浩は入っていなかったんです。ムッシュかまやつがスパイダースに入るのはもう少し後のこと。それにしても、かまやつさん長いですよね。 あと、注目すべきは、守屋浩も含めて、かまやつひろし以外はみんな普通の流行歌手(ようするに歌謡曲歌手)になったってことでしょう。4. 『黄色いさくらんぼ』を歌った女性三人組は。 正解:(3) スリー・キャッツ みな当時活躍した女性三人組ですね、ゴールデン・ハーフ以外は。でも、ゴールデン・ハーフがこの曲をカヴァーしたときはずいぶん驚きました。どうして『黄色いさくらんぼ』なんだってね。 (1) のスリー・バブルスのネーミングは、ミツワ石鹸の CM で彼女たちが歌っていたことと関係があるかもしれません。(2) のベニ・シスターズは、ポップなカヴァーもので人気がありました。この中で一番有名なのは、正統派のスリー・グレイセスでしょうか。コーラスもきれいでね。 なお、『黄色いさくらんぼ』作詞は星野哲郎、作曲はまたまた浜口庫之介であります。ところで、スリー・キャッツはその後どうしたんでしょう。いわゆる一発屋ですかね。5. ジミー・ロジャースの歌う『渚にて』のオリジナルはどこの曲。 正解:(4) オーストラリア 邦題は『渚にて』ですけど、ようするに幻泉館主人さんご指摘のとおり、みなさんよくご存じの "Waltzing Matilda (ワルツィング・マチルダ)" ですから。 それにしてもこの映画、1964年に第三次世界大戦で核兵器が使用されて人類が滅びてしまうという内容は、怖かったですね。しかも、1964年には実際にキューバ危機が起こりましたからね。 五黄の寅さんのコメントにあるクリフ・リチャードの "On the Beach" も懐かしいです。 ********************☆ おまけの問題:私は誰でしょう 正解:浜口庫之助 奥さんは女優の渚まゆみ。かつて歌手として紅白歌合戦にも出場したことのあるハマクラさんですが、ちょっと調べたら、紅白には3回出場していて、1953年初出場の時に歌った歌は、なんと!あの『国境の南』だった。その後、作曲家として有名になりました。第1号ヒットが『黄色いさくらんぼ』だったと思います。あと『僕は泣いちっち』は作詞・作曲ともハマクラさんです。まき~♪さん、カタママさん、お二人は『バラが咲いた』と『涙君さよなら』には気づいたようですね。あ、らいばあさんもね。 というわけで、今回の(というより今回も)成績優秀者は、全問正解の幻泉館主人さんでした。いつもながらあっぱれなできばえで、ひたすら感心してしまいます。次回はまた満点阻止問題を盛り込もうかと、今から画策しています。 皆さんも楽しみに待っていてくださいね。 ******************** では、前回に続いて、本日のおまけのクイズ二連発です (一応2月2日に因んだ問題ですよ)。 第1問:今日(2月2日)が誕生日です。私は誰でしょう。 ・1942年イギリスのブラックプール生まれです。 ・長年イギリスでバンド活動していました。 ・このバンドは穴沢ジョージの好きなバンドでした。 ・1968年このバンドを去り、3人組を結成。 ・後に若い人?が加わり4人組に。 第2問:私は誰でしょう。 ・1963年のこの日、ビートルズが私のツアーに同行したのよ。 ・もちろんイギリスでのお話だわ。 ・え?私の人気?そりゃあ、当時は最高だったわね。 ・日本でも随分売れたのよ。 ・ええ、子供じゃないわよ。♪ウォ~ウ ウォ~ウ ウォウ ほな、また来ておくれやす。 待ってるさかいに。
2006.02.02
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みなさん、音楽クイズでっすよ~~~。 え、そうですか。2週間前にやったばかりじゃないかって? 僕にしては珍しく早いんじゃないかって? おっしゃるとおり、そのとおり。まあ、いいじゃないですか。堅いことおっしゃらずに。楽しんでいただければ本望です。 実は先日、久しぶりにスカパーのラジオで、平尾昌章(後の昌晃)の『恋の片道切符』を聴いてね。まあ、オリジナルは CD も持っているし、良く耳にするけど、平尾昌章は懐かしかったなあ。 まあ、そんなこともあって、この曲が流行った1960年(僕は小学5年生になった年ですけど)のクイズですよ。 では練習問題。 日本では平尾昌章でヒットした『恋の片道切符』ですが、オリジナルは誰が歌ったでしょう。 (1) ポール・アンカ (2) ニール・セダカ (3) エルビス・プレスリー (4) パット・ブーン (5) チャック・ベリー このような易しい問題ばかりです。 あ、でも、もし、まったくわからなかったり知らなかったりしてもいいんです。ようするに昔のことですから、わからない人はお若い人だということで、……。そういう場合は、勘を働かせてぜひチャレンジしてみてくださいね。答えは、「コメントを書く」をクリックして書き込み願います。 Good luck. ********************** 1. 1960年、平尾昌章は『恋の片道切符』のあと、オリジナル曲を歌って大ヒットさせましたが、そのタイトルは次のうちどれでしょう。 (1) ミッちゃん (2) ミキちゃん (3) ミエちゃん (4) ミカちゃん (5) ミヨちゃん2. 守屋浩の『僕は泣いちっち』の歌詞の冒頭で「♪ ぼくの恋人( )へ行っちっち~」の( )に入る言葉は? (1) ニューヨーク (2) ロンドン (3) ハワイ (4) 東京 (5) あの世3. 守屋浩といえば「三人ヒロシ」を思いだした人も多いでしょう。では、オリジナル「三人ヒロシ」で正しいのは次のうちどれでしょう。 (1) 守屋浩、水原弘、井上ひろし (2) 守屋浩、井上ひろし、釜苑(かまやつ)ひろし (3) 水原弘、井上ひろし、釜苑(かまやつ)ひろし (4) 守屋浩、水原弘、五木ひろし (5) 釜苑(かまやつ)ひろし、角川博、ヒロシ4. 前年から1960年初頭にかけて、ヒットを続けた『黄色いさくらんぼ』歌った女性三人組は。 (1) スリー・バブルス (2) ベニ・シスターズ (3) スリー・キャッツ (4) スリー・グレイセス (5) ゴールデン・ハーフ 5. 『黄色いさくらんぼ』とちょうど同じ頃、映画「渚にて」の公開に合わせて、サウンドトラック盤やジミー・ロジャースの歌う『渚にて』も売れましたが、これのオリジナルはどこの曲でしょう。 (1) アルゼンチン (2) ハワイ (3) メキシコ (4) オーストラリア (5) イタリア ******************** 平尾昌章だの守屋浩だの、ちょっと最近ではあまり話題に上らない人たちが主役の1960年音楽クイズ、いかがでしたか。 まあ、楽しんでいただければそれだけで十分でございます。 というわけで恒例のおまけのクイズでおます。 ☆・私は以前歌手でしたが、60年代には作曲家として活躍しました。 ・妻はまゆみです。。 ・今日の問題の中に私の作った歌があります。 ・後に流行った曲で有名なものですか? 何かが咲いたり、何かにさよならしたりね。 以上、みなさん「コメントを書く」をクリックして、どんどん答えを書き込んでください。 間違ったって全然恥ずかしくありませんからね。なにしろうんと古い話題なので。
2006.01.30
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みんな、おっげんき~。 寒いぞ。 寒い日は、暖かい南の国を思い浮かべながら、『シエリト・リンド』や『国境の南』でも歌って、気を紛らわせるっていうのはどうでしょう。 実はラテンの名曲『シェリト・リンド』とスタンダード・ナンバーの『国境の南』を混同してしまい、関係各位には大変ご迷惑をおかけしてしまったんです。 そもそもことの始まりは僕の早とちりからでした。 その日は、夜久しぶりのライブで、帰ったのが10時近かったんです。 年の瀬も押し迫っていたのに、翌日は朝から仕事だったから、楽天をちらっと見たら早めに休もうと思っていました。 日記編集ページの「おすすめ新着」で真っ先に僕の目に飛び込んだのが、浪速のアイドル chappi-chappiさんの陽気な歌声「ア~イ ア~イアイア~イ♪」でした。 お、これなら歌えるぞ。「ア~イ ア~イアイア~イ♪」だもんね。 これだけですぐにメロディーが浮かぶんだから、大したもんだと、自分で感心しながら日記を拝見すると、どこにも『国境の南』というタイトルが書いてない。で、かわりに『シエリト・リンド』だと……(因みにこの時点で僕の頭に浮かんでいたメロディーは、間違いなく『シエリト・リンド』でした)。 おかしいなあ……、ああそうか、そうだったかもしれない。『国境の南』のスペイン語のタイトルは『シエリト・リンド(Cielito Lindo)』だったかもしれないね。 ……こんな風に思い込んでしまったから、幻泉館主人さんがせっかく Cielito Lindo の楽譜と MIDI ファイルをリンクしてくれても、ほらやっぱりね、などとますますおかしな方向に行ってしまったのです。 あとから冷静になって『国境の南』のメロディを思い出してみたら、あまりに違う (『シエリト・リンド』は三拍子だし) ので愕然としましたが。 そもそもの誤解の元は、やはり「ア~イ ア~イアイア~イ♪」ですね。 『国境の南』の場合は「♪ アイアイアイア~イ アイアイアイア~イ」で、終わりの合図みたいに「締め」に使われているわけですけど、『シエリト・リンド』の「ア~イ ア~イアイア~イ♪」は明らかに途中のメロディーで、こんなにも違うのにねえ。 もしお暇なら、『国境の南 (South of the Border)』のメロディーと歌詞を確認してみてください。有名な曲ですから、ご存じの人も多いでしょう。 うちにはフランク・シナトラと、パッツィ・クラインがありますが、この Midi File は、パッツィ・クラインの方に近いです。軽快なラテンのリズムを使って、結構いいアレンジですね。 シナトラ親分の方は、ビッグ・バンドをバックに従えたお得意の4ビートで、僕らが子供の頃に聴いていたのも大体このどちらかのアレンジだったように思います。 "Down Mexico Way" の副題のついた『国境の南』に「♪ アイアイアイア~イ アイアイアイア~イ」が採用されたのは、メキシコ系の歌に、「アイアイ」がよく使われているから作曲家が思いついたんでしょうね。 最後に付け足しのように使われている「♪ アイアイアイア~イ アイアイアイア~イ」ですけど、これがないと全然『国境の南』にならないから不思議です。 今回の件、浪速のアイドル chappi-chappiさんのページではすでに謝っておきましたが、とりあえずここでもはっきりしておきたかったんで、肩の荷が一つ下りた気がして、ホッとしています。 でも、まだ全部下りていない感じだなあ。 ひょっとしてあの件かなあ。……いや、本人よくわかっているんですけど、こうやってごまかしているからますます肩は凝るばかりです。 懸案事項は一つずつ片づけていかないと、まずいですね。 ということで、2ヶ月後に迫った春を心待ちにしつつ、今日も元気に歌いましょう。はい、皆さんご一緒に。「♪ アイアイアイア~イ アイアイアイア~イ」
2006.01.28
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“This Land Is Your Land”by Woody Guthrie 1940 昨日(1月20日)は、フェリーニ(Federico Fellini)の誕生日でした。 昨日のおまけのクイズ。最後のヒントの出し方はよくなかったかもしれませんね。「僕(穴沢)はローマが好きです」ったって、このローマが「フェリーニのローマ」だとは誰も気づきませんよね。 でも、「僕(穴沢)はフェリーニのローマが好きです」なんて書いたら、クイズになりませんからね。仕方ないですよね。うんうん。などと勝手に納得してます。 また1968年のこの日には、ウディ・ガスリー(Woody Guthrie)のトリビュート・コンサートが行われました。 場所がカーネギーホールというのは、意外な気がしませんか。 フェリーニとウディ・ガスリー。このふたりには、たぶん何の共通点もありませんけど、僕はある意味で若い頃ずいぶん世話になったなあと思うのです。あ、もちろん間接的にですよ。 僕はいわゆるフェリーニ・フリークでもないし、映画マニアでもないから、全作品を見ているわけではないけれど、あえて言わせてもらえば、「道化師」「ローマ」「オーケストラ・リハーサル」の3本には、本当に感動してしまいました。 この3本は制作の手法が似ているから、きっと僕はこの手のものが好きなのかとも思うけど、たぶんこの監督じゃなければ、ああいう仕上がりにはならないだろうとも思えるのです。 まさに映像の魔術師でございます。 特に「ローマ」は、僕の「忘れられない映画ベストテン」の中に入りますね。あのラストシーンは圧巻でしたよ。 さて、皆さんにとってのベスト・オブ・フェリーニは何ですか。 「道」ですか。それとも「甘い生活」ですか。あ、「ローマ」? ウディ・ガスリーのトリビュート・コンサートですが、出演者は、ボブ・ディラン&ザ・バンド、ジョーン・バエズ、ピーター・ポール・アンド・マリー…といいますから、ホントに豪華な顔ぶれですね。 幻泉館主人さんが書いてくださったように、ウディ・ガスリーはこの人達の「お師匠さんみたいな人」なわけですから、当然とは言え、今から見てもすごいですよね。 五黄の寅さんの書いてくださったアーロ・ガスリーの「アリスのレストラン」は懐かしいですね。 映画は1969年の制作ですけど、歌はもう少し前だったかしら。それとも歌と映画は同時でしたっけ。相変わらず記憶は曖昧です。はい。 「この土地は君と僕のために作られたのだ」という最後のヒントは、おなじみウディ・ガスリーの『我が祖国 (This Land Is Your Land)』の一節「♪ This land was made for you and me」を、例によって直訳してみました。 僕は昔から、この曲の日本語タイトルはイヤでした。 『我が祖国』って、……。こんなタイトルじゃまるで「国」について歌っているみたいな誤解を生みませんか。"land" の訳語として「国・国土」が間違っていると言いたいわけじゃないですけど、まだ「土地」のほうがいいや。 あの日本語歌詞も嫌いでしたね。 「♪ この国はみんなの国 フロム北海道 トゥザ九州アイランド~」 オリジナルにある次の歌詞、PPM は省いて歌っているなあ。ブラフォーはどうだったろう。この辺のとこが気になってます。たぶん幻泉館主人さんが教えてくれるよ~~。 ♪ In the squares of the city In the shadow of the steeple Near the relief office I see my people And some are grumblin' And some are wonderin' If this land's still made for you and me. そういえば幻泉館主人さん、以前にウディ・ガスリーのこと書いていなかったっけ…と思って探したら、見つかりました。あらら、そうか。"land" は既に話題になっていたのね。 我が祖国(幻泉館主人さんの2004年11月24日の日記) ウディ・ガスリーといえば、僕の大好きなビリー・ブラッグの『マーメイド・アベニュー』欲しいと思っていたんですが、いまだに持っていません。持っていないのに言うのも変ですけど、絶対おもしろいと思いますよ。 で、検索して紹介しようと思ったら、花房浩一さんがとっても詳しく書いていました。 BILLY BRAGG & WILCO - Marmaid Avenue
2006.01.21
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では練習問題の答えから。「♪ ゆぅきやこんこ あられやこんこ~」のタイトルは? 正解:(1) 雪 ********************** 1. ビートルズは1962年1月1日、初めてロンドンでレコード会社のオーディションを受けたとき、マネージャーのブライアン・エプスタインが言われたのは。 正解:(4) 「...リバプールに帰りたまえ、ミスター・エプスタイン」 五黄の寅さんが「たしかデッカのオーディション受けたけどもダメで、EMIに行ったんじゃナカータでつかね」とコメントしてくださったとおりです。 元旦から仕事なんかするからいけないんですよ。大物を釣り逃がして後に解雇されたデッカの社員たちも、前夜トラファルガー広場で大騒ぎして、宿酔いだったんじゃないの?......などと言いたくなるところですが、実際その場に居合わせたとして、彼らのその後を見抜けたかどうか。 神のみぞ知る、でっか?2. 1966年の1月1日にアメリカのヒットチャート1位になった曲は? 正解:(1) サイモンとガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』 幻泉館主人さんが「真冬の大都会という感じがする」と言っていますが、サイモンとガーファンクルが「冬のもの」に聞こえるのは、僕だけではなかったようですね。やはり、冬のニューヨークでしょうかね。 (2) ビートルズ『恋を抱きしめよう』、(3) ナンシー・シナトラ『にくい貴方』、(4) バーズ『ターン・ターン・ターン』、(5) ママズ・アンド・パパス『マンデー・マンデー』、すべて66年前半のヒット曲ですね。 今からちょうど40年前です。 3. 1935年1月8日生まれのエルビス・プレスリーが生まれたのは。 正解:(4) 午後12時20分。 こんなこと普通わかりっこありませんよ。......満点防止問題? 「5択でわからんときは3と答えるのが受験の極意?」という貴重なご指摘もありましたが、センター入試も近いことですので、受験生の裏をかかせて頂きました。4. そのプレスリーと同じ1月8日生まれの大物は? 正解:(5) デビッド・ボウイ 一応選択肢は全員イギリス人にしましたが、デビッド・ボウイがロンドン出身と言うことは僕も知りませんでした。 くろっかすさん、よくわかりましたね。ご存じでしたか。 なお、ジミー・ペイジも、1944年の同じ日にロンドンで生まれています。恐るべし、1月8日。5. 『ウィンター・ワンダーランド』の日本語の歌詞。( )に入る言葉は? 「♪ 雪だるまの周りで ( )をしよう~」 正解:(1) 雪投げ(雪合戦は楽しいのだ) なぜかこの部分に来ると、つい ♪ 雪だるまの周りで 「雪かき」をしよう~ って、歌ってしまうんですよ。 tougei さんは、「雪合戦は日本人だけ?」と書いておられますが、この歌詞はもちろん日本人が勝手に書いているわけですから、我が国の冬に合わせていると考えれば、おかしくないと思いますけど。あ、訳詞の人ごめんなさい。悪気はありませんよ。 それから、こういう歌は訳詞が1つでないことも多いので、そこんとこ、どうぞよろしく。 ******************** さて、おまけのクイズ「私は誰でしょう」 正解:A.A. ミルン "Winnie-the-Pooh (クマのプーさん)" の作者です。 ヒントの中の「頭の軽い...」というのは、映画の日本語版の中で久米明氏があの口調で語りを入れているんです。たしかに、ぬいぐるみですから頭は軽いですけどね。 昔創元推理文庫で読んだ『赤い館の秘密』も結構おもしろかった記憶があります。 雪当たりばったりで答えてくださった、まき~♪さん。見事に雪に当たって「ばったり」倒れてくださいました。しかも僕の好きなブラッドベリだったのに...。(笑) ツキミ姫99さん、幻泉館主人さん。大正解でした。 というわけで、クイズに参加頂いた皆さん。及び、これを読んでくださった皆さんも、ホントにありがとうございました。おかげさまで、やっと今年最初の楽天日記を書くことができました。 ******************** では、本日のおまけのクイズ二連発。 幻泉館主人さんがすぐに答えてくれそうです。(笑) 第一問、今日が誕生日です。私は誰でしょう。 ・1920年生まれ。 ・イタリア人です。 ・世界的に有名です。 ・僕(穴沢)はローマが好きです。 第二問、私は誰でしょう。 ・1968年の今日、私のための追悼コンサートが行われました。 ・場所は、カーネギー・ホール。 ・出演は、ボブ・ディラン&ザ・バンド、ジョーン・バエズ、 ピーター・ポール・アンド・マリーほかでした。 ・この土地は君と僕のために作られたのだ。じゃあ、まったね~~。
2006.01.20
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みなさん、音楽クイズです。 あ、わかってますから、あまりそのことには触れないでください。 確かにもう18日で、新年のご挨拶もろくにしないまま、突然クイズだなんて、楽天日記生活者のみなさまにしてみれば、ふざけた話、言語道断ツツジだと、お怒りなのもごもっともですともわがとも。 そこはそれ、怠け者の穴沢のすることだからと、さらりと水に流しておくれでないかい。しょうにかい。 え?水に流してもだめ?寒くて凍っちゃうって? それじゃあ仕方ない。氷漬けにでも何にでもなりましょう。 ええ、なりますとも。あ、でも7月まで待ってね。氷漬け。 ところで、大雪はとんだ災難だったね。 その後大雨になったり、もうむちゃくちゃですね。一応峠を越えたということだけど、くれぐれもお気をつけください では例によって練習問題から。「♪ ゆぅきやこんこ あられやこんこ 降っては降ってはずんずんつもる~」で始まる曲のタイトルは? (1) 雪 (2) 雪降り (3) 雪やこんこ (4) 雪当たりばったり (5) 犬と猫 このような易しい問題ばかりです。もし、まったくわからなかったり知らなかったりしても、勘を働かせてぜひチャレンジしてみてくださいね。答えは、「コメントを書く」をクリックして書き込み願います。 ********************** 1. 新年にふさわしく、1962年1月1日の出来事。この日初めてロンドンでレコード会社のオーディションを受けたビートルズですが、マネージャーのブライアン・エプスタインが言われた言葉は次のどれでしょう。 (1) 「...今すぐ契約させてくれ!ミスター・エプスタイン」 (2) 「...ところでシンガーは誰だい、ミスター・エプスタイン」 (3) 「...1年後にもう一度来てくれ、ミスター・エプスタイン」 (4) 「...リバプールに帰りたまえ、ミスター・エプスタイン」 (5) 「...今日はありがとう。近いうちに連絡させてもらうよ、ミスター・エプスタイン」2. 同じく1月1日ですが、こちらは1966年のこと。この日アメリカのヒットチャート1位になったおなじみの曲は? (ヒント:冬に流行ったからかもしれないけど、今でも寒いときに聴くのが良いなあと思う) (1) サイモンとガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』 (2) ビートルズ『恋を抱きしめよう』 (3) ナンシー・シナトラ『にくい貴方』 (4) バーズ『ターン・ターン・ターン』 (5) ママズ・アンド・パパス『マンデー・マンデー』 3. これまた新年にふさわしく、1月生まれに関する問題です。さて、かの大物エルビス・プレスリーは1935年1月8日生まれですが、何時何分に生まれたでしょう。 (1) 午前0時20分。 (2) 午前2時20分。 (3) 午前10時20分。 (4) 午後12時20分。 (5) 午後2時20分。4. そのプレスリーと同じ1月8日生まれの大物は? (ヒント:ロンドンはブリクストン生まれなのです) (1) 故フレディー・マーキュリー (2) ミック・ジャガー (3) エリック・クラプトン (4) クリフ・リチャード (5) デビッド・ボウイ 5. 『ウィンター・ワンダーランド』の日本語の歌詞の一部です。( )に入る言葉は何でしょう。 「♪ 雪だるまの周りで ( )をしよう~」 (1) 雪投げ(雪合戦は楽しいのだ) (2) 雪かき(お手伝いする子は偉いのだ) (3) そり遊び(思いっきり滑るのだ) (4) たこ揚げ(正月の遊びの定番じゃ) (5) たこ踊り(?) ******************** さて、今回はほとんど「ロック・366(←左の「用語解説」参照)」のお世話になって作ったクイズですが、ついでにおまけのクイズ.「私は誰でしょう」も「ロック・366」から。 ☆おまけのクイズ ・私は1882年生まれの作家です。 ・今でも世界中に老若男女を問わずファンがいます。 ・私が作り上げたキャラクターは頭が軽いです。 ・推理小説も書きましたけど、やっぱり児童文学作家ですかね。 ・え?ロックとどういう関係があるって?良く訊いてくれました。 実は後にブライアン・ジョーンズが私の邸を買ったんです。 で、そこで死んだんですよ。 以上、みなさん「コメントを書く」をクリックして、どんどん答えを書き込んでください。 間違ったって全然恥ずかしくありませんからね。なにしろうんと古い話題ばかりなので。
2006.01.18
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12月3日といえば、もう2週間も前のことなんですけど、今日もまたテナーサックスの名手Q.いしかわさんが熱唱したお話ね。 ハリケーン・カトリーナに襲われたニューオーリンズの惨状は、人工衛星を介して、即座に我が家の茶の間で目にすることになった。 このニュースの直後から僕の頭の中で鳴り続けていた曲が、ルイ・アームストロングの作ったもう一つの名曲 "Do You Know What It Means to Miss New Orleans?" だった。でも、僕のところにはサッチモの CD はあるけど、これは入っていない。そうだ。以前しばらくの間、地元のデキシーランド・ジャズのバンドでドラムのお手伝いをしていたとき、たしか、MD でいろんな曲をもらっていたなあと思って、探してみたけど、歌入りはない。 で、それから数ヶ月たってしまって、ハリケーンの話題も随分下火になった頃、Q.いしかわさんのライブでこの曲が聴けたなんて、随分ラッキーだった。なにしろ、フルバージョンで歌の入ったものをきちんと聴いてみたいという欲求が、ハリケーン以来ずっとあったからね。 まず前奏で、が~~ん。と来たね。 あれれ『ミス・ニューオーリンズ(Miss New Orleans)』だよ。 僕にはQ.さんがどうしてこの曲をやろうとしたか、すぐに理解できたから、鳥肌の立つのを感じてしまったね。 Q.さんだって当然、ジャズの発祥の地ニューオーリンズの惨状を見て、黙っていられなかったに決まってる。ピアノの前奏に乗せながら、ニューオーリンズに寄せる想いをボツボツと語るQ.さんの気持ち、ひしひしと伝わってきたなあ。それに続く歌とサックスには、その溢れ出る想いが十分に感じられたのは言うまでもない。 一体誰が、泣かずにこれを聴けただろうか。…などと言いつつ、このわたくし、表面はにこにこしてた。何しろうれしさも半分あったからね。 以前お手伝いしていたデキシーランド・ジャズのバンドでは、この曲は良く演奏した。何しろこれは、そのバンドのテーマで、ライブの始めと終わりに必ずこれをやるのだから、すっかりおなじみの曲というわけだったけど、タイトルはバンドの皆さんがいつも『ミス・ニューオーリンズ(Miss New Orleans)』(←もしかすると邦題かな) と呼んでいたので、この長い正式タイトル "Do You Know What It Means to Miss New Orleans?" の存在には全く気が付かずにいたのだ。 さらに、バンドのテーマで演奏するのは、初めの8小節だけで、ついに1度もフルバージョンではやったことがなかった。 Q.さんが歌い始めて、またまた、が~~ん。 え?Miss New Orleans って、動詞の "miss" だったのかあ! なんとなく、Miss は女性のことを表していると思いこんでいたので、これはびっくりしたなあ。 タイトルをきちんとわかっていたら、こんなことは起こらなかったかもしれないけど、まあそれでも、タイトルだけだとこの Miss は両方にとれないこともない。 ただ、歌を聴いてすぐに動詞の "miss" だと気づくくらい、わかりやすい間違いだったので、結構ショックだった。…と同時に、この歌の良さがさらに心にしみてくるのだ。 『ニューオーリンズを懐かしく思うって、どういうことかわかるかい』で始まるこの歌。きっと今年は全米でいろんな人が思いだして歌っただろうなあ。 そんな折、つい先週のことだけど、スカパーのラジオを聴いていたら、なんとこの曲がかかってね。それがまたじつに味わいがある素晴らしいバージョンだったのよ。一瞬、Q.さんか!と思ってしまった。 でも、演奏はピアノトリオにトロンボーンとアルトサックス。したがってQ.さんではない。 それにしても印象的なトロンボーンだなあ。軽めのサックスも、曲にピッタリで、かなりの名演奏じゃないか。演奏は、Carolyn Breuer & Hermann Breuer …知らないぞ。誰だろう。 これは夫婦なのかなあ。でも、歌っているのは男性だけだから、 Hermann Breuer さんは歌手なのかなあ。この Carolyn さんは一体どこにいるんだろう。 いろいろ悩んでもしょうがないから、早速 UK Yahoo! さんにご相談。 出てきましたよ。随分たくさん。 そうか、親子だったのか。父と娘ね。父親がトロンボーン奏者で、娘はサックス奏者。どちらもヨーロッパではかなり知られたオランダのミュージシャンだった。あ、お父さん、ピアノも弾くんだね。 Carolyn Breuer Hermann Breuer & Carolyn Breuer 4tet 楽しいだけでなく、いろんなことを教えてもらって、ためにもなり、Q.いしかわカルテットのライブは実にお得感満点でした。 ********************** さっきまで快晴で、一体どこで雪が降っているんだろうなどと思っていたら、急に雲行きが怪しくなってきました。まだ雪にはなっていませんが、鹿児島でずいぶん降ったということですから、この辺に降らない方がおかしいですかね。時間の問題かな。 今年は、正月の大津波、真夏のハリケーンと来て、締めくくりは、日本列島大寒波でしょうか。 みなさん、くれぐれもお気を付けて。
2005.12.22
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今日もあいかわらずQ.いしかわカルテットの話ね。 皆さん、"P.S. I Love You" で思い浮かべるのは、やはりビートルズですかね。 歌詞が比較的簡単なので、その昔ノートに書き写して覚えたりしたから、今でもすんなり歌えてしまう。 詞の内容はといえば他愛もないものだけど、いい曲だと思ったもんだね。 一番印象的だったのは、'♪ Treasure these few words till we're together...' 以下のところ。 コーラスがふつうに、ハモるんじゃなくて、小節の頭のところだけ、'♪ Tresure words gether...' みたいに歌っているでしょ。 あれがユニークで、斬新だと思ったわけ。他にあんなのないよねえ。それとも何か参考にしたのかなあ。誰かわかったら教えて欲しいです。 それでね。僕らにとってビートルズのデビュー曲っていうのは、『抱きしめたい』だったけど、本国イギリスでは、『ラブミー・ドゥー』で、B 面がこの "P.S. I Love You" だったから、初めてビートルズのレコード買った少年少女達は、そのユニークなコーラスをいきなり聴かされたわけだね。 これはきっと、強烈な印象を与えただろうね、当時の若者に。 さてさて、同名異曲というサブタイトルを付けたんですから、もう一つ "P.S. I Love You" についても書かなくては。今日はそっちがメインだし。 1934年に作られたスタンダード・ナンバーで、作詞はあの『ムーン・リバー』のジョニー・マーサー。作曲は巨匠ゴードン・ジェンキンス。 当然、様々なミュージシャンに採り上げられ、素晴らしい歌及び演奏が残っている。 ビートルズはかなりスタンダード・ナンバーも良く聴いていたようなので、当然この曲も知っていただろうから、タイトルは借用した可能性がかなり高い。…と思ったりする。 あ、もしかするとこんなことはビートルマニアの間ではもはや常識なのかもしれない。残念ながら、僕には真相はわからない。 で、ジョニー・マーサーの詞を聴く(読む)と、う~ん、さすがだ。上手いもんだなあと、感心してしまう。 ♪ Dear, I thought I'd drop a line The weather's cool, the folks are fine I'm in bed each night at nine P.S. I love you 拝啓、手短にお手紙認めようかと思いました 寒くなりましたが、こちらは皆元気でおります 毎晩9時には床についておりますのよ 追伸、お慕い申し上げております 1930年代の曲だし、その昔ビリー・ホリデーなども歌っていたので、当時の女性口調で訳してみたのだ。ちょっと古くさく感じたとしても、お許しを。 それはともかく、この1番でガツ~ンと来ちゃうよね。 ビートルズ(書いたのはポール?)とジョニー・マーサーを比べても変かもしれないけど、どちらも文面がそのまま歌詞になっているとすると、ビートルズの方は、手紙そのものが若者の書くラブレターで、追伸に「愛してます」を添えるというより、追伸でさらにだめ押しをしているようなものであるのに対し、ジョニー・マーサーの方は、普通の何気ない内容の手紙の終わりに、文字通り「あっ、そうそう、うっかり忘れてたけど、愛してます」というような感じで、 "P.S. I Love You" って。 マーサー先生、わかってらっしゃる。この辺のツボを心得てらっしゃるんですよね。 ♪ 昨日は少し雨降りよったけど 特に不満なことはありまへんわ 汽車ん中は相変わらず埃っぽかったでっしゃろか 追伸、あんさんが好っきやねん 2番はハナモゲ関西弁で勘弁したってや。憂歌団の木村くんになって読んでみてください。マーサー先生、怒りよるやろか。それより、楽天仲間の関西系軍団に顰蹙買いそうやな。 この先サビから3番にかけてもなかなかなもんで...。 ♪ ブラウンさんのところに手紙を書いておいてください できるだけ早くね あの人たちうちに寄ってくれたんです 私焼け焦げを作っちゃいました 台所のテーブルにね ええと、書くことはこれくらいですかね 私からは他になにもありません この辺で終わりにします そうそう みんなあなたのこと心配してますからね P.S. I love you 最善は尽くしています あなたの望みに応えられるようにね 「考えて」という標語を掲げました ところで買わなくてはいけませんね 新しいお皿を一揃い あ それより洗わなくっちゃ 流しに積み上がっているお皿 他になにも伝えることはありませんわ 毎日一日が一年のように感じられること以外は 毎晩あなたの夢を見ています P.S. I love you 一気に訳してみました。例によって誤訳・珍訳お許しを。 Q.さんが熱唱する "P.S. I Love You" は、この曲を歌うにふさわしいであろう若い女性の心を十分伝えるものだった。ああいうジーンと胸に響く歌を、年に1度くらいは聴きたいものだ。 12月3日、1st Call Club で行われたQ.いしかわカルテットのライブで、印象に残る一曲だった。 (文中訳:穴沢) ********************** カラオケを選曲するためのあの本(←正式名称がわからない)をめくってビックリすることがありますよね。曲名選曲しようとしたら、同じ曲名で複数並んでいることがあって、何人か同じ曲を歌っている人がいるということも勿論あるんですけど、同名異曲が結構ありますよね。 「同名異曲」はさすがに「同床異夢」のような四字熟語としては認知されていないようで、何度打っても「同名医局」と出てしまいますね。「どうめい」と「いきょく」を別々に打っても、「同名」はすぐに出るのに「異曲」は何度変換してもだめですね。やはり「医局」か「委曲」しかありませんね。 「委曲を尽くす」なんてなかなか使いませんけど、「同名異曲」もあまり使いませんかね。…。 ♪ 拝啓、昨日は寒くて夜少し雪も降りました 今は良く晴れて外はまぶしいです 毎晩9時には帰宅しておりますのよ 追伸、コメントお待ち申し上げております
2005.12.18
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“Recado Bossa Nova (The Gift)” by Q.Ishikawa Quartette Also by Eydie Gorme (Original 1959) Q.いしかわさんのライブで、チッコ相馬さんのドラムを初めて聴き、その演奏につい引き込まれてしまったことは既に書きましたが、当日ライブのあと、チッコさんと話す機会がありました。 演奏が終わって、持ってきたシンバルを片づけているときに、ご迷惑かとは思ったけれど、話しかけてしまったんです。ライド・シンバルは何を使っているか見たかったのと、左に置いたのがパイステのフラット・ライドなのを確かめたいのもあってね。 で、よく見ると、やはり左は間違いなくパイステのフラット・ライド。 「左にフラット・ライド置いてるんですね」 「ええ、変わってるでしょ」 「そうですね。初めて見ました。右のライドは何ですか」 「ああ、なんか、もう古くって、テープなんか貼ってありますよ」 などとやりとりしつつ拝見したら、何と!思いっきり使い込んだパイステのフォーミュラ602じゃないですか。 左にライドを置くというのは、ジャズの人はよくやりますし、僕も大抵クラッシュ・ライドを置くので、特に驚くようなことではないんですけど、フラット・ライドという選択はなかなかしないですよね。 僕は、フラットライド、結構好きなんですよ。 先日も新品同様の K ジルのフラット・ライドをヤフオクで落札したばかり。いい音してますよ。あと、イスタンブールの Mediun Thin のフラットライドも持っています。どちらも20インチですけど。 以前持っていた18インチの K ジルのフラット・ライドは、あまり出番がないからオークションで売ってしまいましたが、買ったときよりずいぶん高く売れて、ビックリしちゃいました。 あ、話が逸れましたけど、僕も今度真似して、左にフラットライド置いてみたいなあ、などと思いました。でも、ああいう叩き方ができなければ意味がないわけで、まずはいい音を出す練習からでしょうかね。当然。 あと、フォーミュラ602のミディアムも持っているのだから、これからはガンガン使おうかとも思いましたね。 ところで、そのチッコさんに、僕の一番好きなドラマーはアル・ジャクソンだという話をしたところ、何と、チッコさんもアル・ジャクソンが一番だとおっしゃるではありませんか。 チッコさんによると、当時のあの辺のミュージシャンは、アル・ジャクソンがいたから、彼の元に集まってきたのだそうです。もし、彼がいなかったら、どうなっていたんでしょうね。ブルースやソウル・ミュージックの流れがずいぶん違ったものになっていたでしょうね。 それで、先日ここで書いたアルバート・キングのプロデュースをやっていたことなどもよくご存じで、例のエルビスのカバーアルバムのことなども話し、実に盛り上がりました。 数あるドラマーの中で、アル・ジャクソンの名前が最初に出て来るというのも、そうあることじゃありません。しかも、ジャズのライブのあとですから、ジャズ・ドラマーの話になるならともかく、いきなりアル・ジャクソンですからね。 さて、チッコさんは88年にニューヨークに渡り、2年間あのバーナード・パーディに師事したんだそうです。 1952年生まれで、70年には既にプロデビューしているんですから、なにもそんな習いに行く必要なんてなかっただろうと思うんですけど、そこら辺が並のドラマーと違うとこなんですね。 詳しくは伺っていませんが、どんなにその道を極めたとしても、やはり本物を求める気持ちがずっとあったんでしょう。その結果、一念発起渡米したんだろうことは、容易に想像がつきます。 バーナード・パーディのことでは、楽天仲間のツキミ姫さんがわざわざその教則ビデオをアメリカに注文して取り寄せたということを書いていました。版権は、日本のリットー・ミュージックが持っているようなんですが、日本では既に廃版になっているということです。 ツキミ姫さん憧れのジェフ・ポーカロが影響されたファンキー・ドラマーとして有名なバーナード・パーディですから、その日記を拝見して、ぜひ僕もビデオを見てみたいと思いましたが、アメリカに注文するなんてめんどくさいし、どこかで見つけたら買えばいいかという結論に達したようなわけでした。でも、できれば早く見つけてぜひそのファンキーなプレイの解説を聞きたいです。 で、そのバーナード・パーディーも、やはりアル・ジャクソンの系統で、彼を尊敬しているということでした。 チッコさんと話してみて、アル・ジャクソン、改めて偉大なドラマーだったと、再認識した次第です。 チッコ相馬というドラマーのプレイに圧倒された直後に、その本人と、アル・ジャクソンの話で盛り上がるとは! エレベ一筋、久末隆二と、いきなりドナルド・ダック・ダンの話で盛り上がったことといい、このたびのQ.いしかわ・カルテットのライブは、アフター・コンサートも含めて充実度満点でした。☆関連日記 11/27はアル・ジャクソンの誕生日だった 落語版:「冷たくしないで」☆ツキミ姫さんの日記 Groove Master★Bernard Purdie ********************** 同行したうちのうるとびが、Q.さんの CD ご本人に直接注文しましたが、すぐ送られてきました。lalameans さんが持っているという "Q's Groove" です。 その中に、ライブでもやった僕の好きな "Recado Bossa Nova" が入っていました。この曲はジャズの人たちが好んで演奏しますから、おなじみの人も多いでしょうね。 僕はこの曲は、昔は歌で良く聴いた覚えがあったんですけど、その後歌付きのバージョンをついぞ聴かなくなっていたんです。 ところが、昨日、友人で作曲家のカルロス井上氏が、貸してもらいたいと頼んでおいた CD を届けてくれたんですが、なんとなんと、その中にイーディ・ゴーメの歌う "The Gift (Recado Bossa Nova" があるじゃないですか。英語バージョンですけどね。 何とも凄いタイミングでした。 早速聴き比べたりしております。
2005.12.11
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“Nica's Dream”by Q. Ishikawa Quartette Original by Horace Silver (1956) 前回の日記に書いた、Q.いしかわさんのライブ。バックを務めたメンバーも初めて聴く人たちでしたが、これがまたそれぞれに素晴らしいんです。 みなさんその道のプロであり、Q.さんのバックで演奏するくらいですから、テクニックについても凄いのは勿論言うまでもないんですが、それとはまた別の凄さを一人一人に感じましたね。 因みに、このたびの‘Q.いしかわ Quartette’のメンバーです。 Q. いしかわ (T.Sax & Vocal) 清水 絵里子 (Pianoforte) 久末 隆二 (Electoric Bass) チッコ 相馬 (Drums) まず、ピアノの清水絵里子さん。 年齢的にはQ.さんのお孫さんと言ってもいいくらい若い(30代に入ったばかり)んですが、その若さにふさわしいパワフルさと、その若さにふさわしからぬ落ち着きを兼ね備えた、巧みな演奏を聴かせてくれました。 メンバー紹介の際のQ.さんの説明では、元はといえば絵里子さんのお母さんがQ.さんの生演奏を聴かせたのが、ジャズの道に入ったそもそものきっかけだそうですから、彼女のジャズ歴はまさにQ.さんと共に歩んだ日々であるというわけです。息が合うのは当然。きっとお互いに次にどういうフレーズが来るかなんて、なにも考えずにわかってしまうんでしょうね。 クラシック一筋で育ち、まだ20歳そこそこだった絵里子さんがジャズを始めたのが、Q.さんのサックスを聴いたからというのは、わかる気がします。まだ若い絵里子さんは、とても自然に、純粋にジャズの持つ魅力に惹かれたんだと思います。なにしろQ.さんのサックスですからね。 すらっとした、スリムな体型ながら、骨太のピアノを弾く美人の絵里子さんは、さぞかし人気者でしょうね。 でも、いつも保護者のようにQ.さんの目が光っているので、色男ジャズメンたちもなかなか近づけないのではないかなどと、楽しい想像をしてしまいました。 ベースの久末隆二さんは、エレベー一筋35(?)年。1953 年の1月1日生まれですから、生まれた時からかなりおめでたい人ですね(失礼!)。 今回、Q.いしかわさんのスタンダードナンバーふんだんのストレートなジャズが聴けるというので、初めはウッドベースを想像していました。当然でしょ。その方が、絵的にもね。 しかし、エレキベース一筋というからには、それはそれできっと本人なりの特別なこだわりもあるだろうと、思わないでもなかったんです。 ところが、始まってビックリ。ジャジーなエレキなら任せておけ、ジャズはウッドベースなんて誰が決めたんだ…とばかりのスイング感。しびれましたねえ。さらに、そのクールに一点を見つめて坦々と弾く表情にも、秘めたる闘志のようなハートが感じられて、一遍で気に入ってしまいましたね。 で、ブルースの "It's All Good" とか、8ビートの曲(何だったか忘れました)になると、まさしくドナルド・ダック・ダンばりの、かっこ良さ。そのベースの構え方も、どことなく 'Duck' Dunn を彷彿とさせるじゃないですか。 え?何ですって…?誰だい、まったく。アヒルに似ているのかなんて言ってるのは。 ほら、このところ日記にも登場しているアル・ジャクソンと一緒に、ブッカー T. & MG's でベース弾いてたあの、Donald 'Duck' Dunn ですよ。 終わってから一応御本人にその話をしたら、何と偶然にもと言うか、やはりと言うか、とっても好きなベーシストだそうで、喜んでいましたっけ。僕もうれしかったですよ。 さて、いよいよドラムですね。 終始にこやかに笑みを絶やさず、その楽しく優しい人柄そのままにドラムを叩く、チッコ相馬さん。 1952年の生まれで、ベースの久末隆二さんとは同郷で、昔から良く一緒にバンドをやっていたようです。 この人のドラムは今まで見たどのドラマーと比べても、ホントに凄かった。 何がそんなに凄いかというと、すなわち強烈なその個性ですね。 ジャズを叩くドラマーにもいろいろいますから、実にみんな個性的ではあるんですけど、その個性って、それほど表に出ないことが多いんですよね。細かいところでかなりその違いはわかったりします。 でも、チッコさんは全然違う。初めから普通じゃないです。 そして僕にとっては、こんなにためになる、そして参考になるドラマーも少ないです。 近頃は、自分が向上したいという欲求があるから、ライブでドラムを見るとき、そのドラマーがどんなフレーズを叩くかとか、フィルインのパターンはどんなかとか、ようするにテクニックを少しでも学んでおこうと思って聴いたり見たりするわけです。特にジャズドラムを、ちゃんと叩けるようにしたいというのが、願いとしてもありますからね。 けど、今回の場合は、不思議でした。 チッコさんの持つその素晴らしいテクニック以前の、もっと奥深いところにあるものが、否応なしに感じられて、ずるずるその魅力に引きずり込まれて行き、すべてが自分の中にダイレクトに入ってきてしまうんです。 チッコ相馬のドラムを見て、聴いて、僕はドラムをやる上で一番大事なことを学んだという思いがしました。 そして、終わってから話をする機会があって、僕が一番好きなドラマーがアル・ジャクソンだと言った時のことを書こうと思ったんですが、長くなりそうなので、続きはまた次回にします。 Q.いしかわ さんのページ Q's Happy Life 清水 絵里子 さんのページ Jazz Pianist ERICCHO.COM 久末 隆二 さんのページ Ryuji's Site いわし亭 チッコ 相馬 さんのページ Funk Luv ********************* 今年もこの日がやってきました。 12月8日です。ジョン・レノンの魂は、25年経っても僕らの中で生き続けていると思いたいんだけど、世界はますますジョンの夢から遠ざかってゆくようです。 でも、太平洋戦争の始まった日に射殺された、日本とも縁の深い元ビートルズのジョンのこと、そして何よりも彼の残してくれた歌に世話になったことは、12月8日だからというのではなく、いつでも、忘れないようにしたいです。
2005.12.08
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“There Will Never Be Another You”by John Payne & Joan Merrill (1942) Q, いしかわさんのテナーを聴いてきました。 ひとこと、素晴らしい! 全編スタンダードナンバーに徹し、時折ご自身のヴォーカルを混ぜながら、途中の休憩を除くと正味約2時間半。 73歳の Q.さんの演奏する姿を見ながら、ああいうジイサンになるなら、年を取っても全然かまわないと思ったりしました。 ほとんどおなじみの曲か、少なくとも聴いたことのある曲だったのも良かったですね。時節柄、クリスマスに因んだ曲も聴けました。 僕はジャズの名曲といわれているものでも、結構知らないものがあって、この日も初めて聴く曲が2・3あり、修行が足りないと反省いたしました。 ジャズのスタンダード・ナンバーで、"There Will Never Be Another You" という名曲がありますが、ご存じでしょうか。 有名なとこでは、かのシナトラ親分やトニー・ベネットなんぞも持ち歌にしていましたから、聴いたことがある人も多いでしょう。 僕はこの曲、チェット・ベーカーのバージョンが大好きでね。 いや、チェット・ベーカーが歌えば、なんでもいいって言えてしまいそうですけど。そういえば、以前の日記で、チェット・ベーカーのことも書きましたっけね。 その、"There Will Never Be Another You" ですけど、Q.さんが思いを込めて演奏し、歌うと、これがまた実に良い。 声質も歌い方もチェット・ベーカーとは全く違うけれど、どこか共通するものがあるように思えて仕方がなかったんですよ。 その共通点が何なのかがわからない。これは宿題だね。 ところでこの曲、邦題が『あなたなしには』なんですけど、今では誰もそんな風には言いませんよね。 そうそう、10月の合宿でジャムセッションをやるときに、これをやるかどうか話していた人たち、"Another You" って、短縮してましたっけ。 今日は雪が大仏盛りましたよ。(←これ御教訓カレンダーもんですかね、lalameansさん) 改めまして、今日は雪がだいぶ積もりましたよ。凍てついてます。 というわけで、Q, いしかわライブ関連日記は、続きます。
2005.12.04
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“Everyone Thinks He Looks Daft”by Wedding Present (1987) 11月27日午前0時50分。 先ほどスポーツニュース(TBS系JスポーツスーパーサッカーPLUS)で、ジョージ・ベスト氏の訃報を聞きました。 享年 59 歳。僕と○歳(ゼロ歳ではない)しか違わなかったなんて、…。 ジョージ・ベストをご存じでない方は、とりあえず以前に書いた僕の日記を読んでください。2003年3月27日の日記『ジョージ・ベスト』ウェディング・プレゼント 久しぶりにウエディング・プレゼントの "Everyone Thinks He Looks Daft" を聴いています。『ジョージ・ベスト』の1曲目ね。 この高速カッティングギターは、何度聴いてもかっこいいなあ。 「ギターをかきむしる」という表現をすることがあるけど、まさにこれだね。 ボーカルがまたかっこいいよ。 ああ、それにしてもこの CD ジャケットのジョージ・ベストの写真は印象的だなあ。つまり、この写真を使ったっていうことが印象的だということなんですけど。 同じジョージだし、日記にも書いたことがあったりして、何となく親しみを感じていたので、ちょっと寂しいですね。
2005.11.27
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“Don't Be Cruel” by Albert King(熊)「♪ 冷たくひやして スイカにビール…、っときたもんだ。旦那~、おはようさんで~す」 (穴)「おう、誰かと思ったら、熊さんかい。それにしてもずいぶん季節はずれの歌だねえ」(熊)「冗談じゃない、そいつぁこっちのせりふですぜ。旦那がタイトルに『冷たくしないで』なんて書くからでしょ」(穴)「そうかそうか、そうかがっかい。おまえの母さん、いとう梅子。逆さに呼んだら子梅いとう」(熊)「あれれ、どっかで聞いたようなギャグだと思ったら、前回のまんまじゃないっすか」(穴)「人呼んで、コピー&ペーストギャグ!@」(熊)「なに手ぇ滑らせてるんですか。@打っちゃってますよ」(穴)「@あっと、しまった!消し忘れ。しかしよくそんな替え歌知っていたねえ。あがた森魚ですよ、アガタ」(熊)「相変わらずくだらないダジャレだけは健在ですか。あがた森魚の「ジパングボーイ(日本少年)」に入ってるんでげしょ。一度聴かせてもらったことがあったんで、覚えてたんですよ。♪ 冷たくひやして スイカにビール…、ってね」(穴)「その先は?」(熊)「忘却の彼方ですよ。♪ ビヨ~ンッ the リ~フ...... 」 (穴)「おいおい、今度はハワイアンかい。これまた季節はずれな」(熊)「お言葉を返すようですが、穴ジョーの旦那。忘却の彼方といえば、『珊瑚礁の彼方へ』と連想が働くのは、知的生命体の宿命とでも申しましょうか…。嗚呼、インテリは辛いなあ…」 (穴)「何がインテリだか、知的生命体だか。痴的性牝遺体の間違いじゃないのかい」(熊)「およよ、恐ろしい誤変換」(穴)「あのね、誤変換じゃないの。意図的変換なの。知的遊戯の範囲なのです」(熊)「…。ところで何の話でしたっけ」 (穴)「しまった。いつのまにか熊さんのペースにはまってしまったじゃないか。いかんいかん、維管束。理科で習った維管束」(熊)「あっしのペースじゃなくて、旦那のペースでしょうが」(穴)「じゃ、ここいらでセルフコンテント・ギャグは終了ということで…」(熊)「セルフコンテント・ギャグだなんて、わからない人に笑えないようなギャグ飛ばさないでくださいよ」(穴)「お、引っかかったね、明智くん。わからない人に笑えないようなギャグだから、自己満足ギャグ、すなわちセルフコンテント・ギャグというのだよ。カンラカラカラ」(熊)「こりゃまた、人間も古いと思ったら、笑い方も古いね」 (穴)「何かおっしゃいマスタカしまむら(ローカルギャグぽん)」(熊)「ところで、サブタイトルの "Don't Be Cruel" by Albert King ですけど、アルバート・キングがあのプレスリーの曲をやっているっつうことでげすか」 (穴)「うん、なかなか良い質問だね。That street、その通り」(熊)「お、さりげない知的自己満ギャグ」 (穴)「わかるかい」(熊)「わからいでか」(穴)「実は60年代の終わりだから、今から3年半ほど前」(熊)「ちょっと。35年の間違いでしょ!」 (穴)「そうとも言う。つまりまだ私が大学生だった頃の話だけどね。我が国でブルースがブームになりはじめた頃のこと」(熊)「あ、いつかどこかで書いてましたね。ブルース・クリエーションとか、ウエストロード・ブルースバンドとかの時代ですね」(穴)「Table tennis!クリームとか、アメリカ人だけどおなじイギリスで活躍したジミヘンとかの影響で、ロックの好きな若者はブルースに目を向けるようになってね」(熊)「ジャニス・ジョプリンなんかもそうですか」 (穴)「日通!うん、そうや。…運送屋。で、そんな中、アルバート・キングのフィルモアのライブ "Live Wire/Blues Power" という LP をロック喫茶で聴いたんだよ」(熊)「お。出ました幻のロック喫茶、新宿編。お~い、とっちさ~ん」(穴)「こらこら、ロンドンにいる人呼んでどうする」(熊)「いえね、こういう時代だから、ひょっとすると、ここからでも聞こえるかなと思って」 (穴)「そうよねえ。瞬時に世界とつながるんだから、こりゃ大したもんだよ、WWWF は」(熊)「ちょいと、F がついてますぜ。それじゃぁ、プロレスでしょうが」(穴)「おっと、世界自然保護基金のつもりだったのに。WWW にひっかけてね」(熊)「それは、WWF でしょ!」 (穴)「いや、冗談はともかく、大したもんだよワールド・ワイド・ウェブはね」(熊)「で、アルバートキングの LP が良かったの続き…」(穴)「うん、これが素晴らしいの何の。ガツ~ンとやられましたね。ギターも歌も大したもんでっせ。ハートに突き刺さるっつうか、ハートをえぐられるっつうか」(熊)「一度聴いてみたいですね」 (穴)「うちにその頃買った LP あるから、あとでお聴きなさいな」(熊)「そういえば、まだレコード・プレーヤー持ってましたね」(穴)「持ってましたねとは失礼な。一昨年もらったんですよ」 (熊)「やっぱ必需品ですね、音楽好きには」(穴)「うん。それで、とても気に入ってしまったから、この LP を買ったんだけど、数寄屋橋のハンター(だったと思う)でもう1枚珍しい LP を見つけたんだよ」(熊)「アルバート・キングの?」(穴)「Table tennis!それがね、全編プレスリーのカヴァー。しかも初期のヒット曲ばかりやってるんだよ。タイトルは "King Does the King's Things" で、サブタイトルが "Blues for Elvis"」(熊)「う~ん、なるほど。「アルバート "King" が、"King" エルビスのやつをやる」ってわけだ。おもしろそうだなあ」 (穴)「何しろ当時のプレスリーって言ったら、変なちゃらちゃらした服着て、ディナーショーみたいなことやってるっていう印象が強かったので、…」(熊)「あ、エルビス・オン・ステージの頃ですね」(穴)「ブルースの大御所がプレスリーのカヴァーをやるっていうことが、頭の中でうまく結びつかなくてね。ちょっと迷ったけれど、買ってしまったのよ」(熊)「それが大当たりだった」 (穴)「That street、その通り。エルビス・オン・ステージの映画も見たけど、当時のロック好きの若者達には、プレスリーってあまり魅力のない存在だったのよ。だって、ジミヘンやジム・モリソンの時代ですよ、あーた」(熊)「プレスリーはもう時代遅れだったんですね」(穴)「僕なんかベルベット・アンダーグラウンドやティラノザウルス・レックスに夢中だったんですから。もっともプレスリーもおばさん方には人気があったけどね」(熊)「今の総理大臣みたいですね。あ、そういえばその小泉さんとプレスリーがならんでいる合成写真使った CD 中古屋に売ってますけど、あれイヤですね」 (穴)「モノクロ写真なんで、つい勘違いして買いそうになってしまう。…で、そんな時に初期のプレスリーの曲ばかりを、ブルースマンのアルバート・キングがどういう具合にやっているか、ぜひ聴いてみたくなったっていうわけ。以来、ずっと僕の愛聴盤だね」(熊)「CD はないんですか」(穴)「実は今年の初め、何となく Amazon で検索したら、このアルバムが CD 化されて出ているじゃありませんか。勿論アメリカ盤なんだけど、即注文。1420円」(熊)「安すぎ~~」(穴)「うん。この値段はショックだったね。昔買ったアメリカ盤の LP、確か1800円くらいで、とても安いと思っていたくらいだからね」(熊)「Amazon って、つい注文しちゃいますよね。ところで、"Don't Be Cruel (冷たくしないで)" は?」 (穴)「そう。B 面の1曲目でね。僕はこの LP の B 面が大好きで、いつも針を落とすたびにワクワクしたもんだよ。特にラストの "Love Me Tender" ね。あ、これはまたいつか書こう。待てよ、前にどこかで書いたなあ……。ところでいよいよ本題」(熊)「あれれ、もうそろそろ終わりかと思っていました」 (穴)「そう簡単には終われない事情があるのよ、実は。アル・ジャクソンっていうドラマーがいたのは知っているね。僕の大好きなドラマー」(熊)「オーティスのバックで叩いていた人ですね。つまりブッカー T と MGs でも」(穴)「おぉ、ブレネリ。その通り、That avenue!」(熊)「なにしろ、穴ジョー日記読んでますから」 (穴)「週1日記だけどね」(熊)「しかも不定期の…」(穴)「余計なことはイワンと移転か。…ん?言わんといてんか…」(熊)「本題本題」 (穴)「そう、実はうちにあるアルバートキングの2枚のアルバムのバックでドラムを叩いているのが、アル・ジャクソンだ……とばっかり思っていたんだけど、 "King Does the King's Things" の CD の裏ジャケに参加メンバーが書いてあって、ドラムは Willie Hall だって」(熊)「LP のジャケットには書いてなかったんですか」(穴)「うん。でも、プロデュースとアレンジの所には、真っ先にアルジャクソンの名前がある。だからてっきりドラムも叩いていると思ってしまって、わんわんわわ~ん」(熊)「そういえばツキミ姫さんのところで言い訳してましたね」 (穴)「そうなんだよ。谷川岳で遭難だよ」(熊)「あ、とんでもない遭難ギャグ」 (穴)「すまんすまん、つい教養が邪魔してね」(熊)「へえ~、そうなんだ」 (穴)「あるブスがある山脈に登ったんですが、遭難してしまいました。さて、あるブスが登ったのはどこの山脈だったでしょうか」(熊)「は~~い、あるブス山脈~~」 (穴)「あらら、どうしてわかっちゃったかなあ」(熊)「わかるがな」 (穴)「じゃ、次ね。麻生太郎がある山に登ったんですが、遭難してしまいました。さて、麻生太郎が登ったのはどこの山だったでしょうか」(熊)「は~~い、あそうさんだから、阿蘇山!」 (穴)「ぶっぶ~~、太郎山だよ~~(ローカルギャグぽんぽん)」 ********************** もうおわかりだと思いますが、前回のおまけクイズの答え。 島村抱月の死因は、「風邪」でした。 当時猛威をふるったスペイン風邪の犠牲になったのです。いわゆるインフルエンザですよね。みなさん、今年は鳥インフルエンザが危ないようですから、十分気を付けましょうね。
2005.11.25
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久しぶりにクイズ作りましたが、「復活」にテーマを絞ったら結構大変でした。でも、みなさんがこうして楽しんでくれているので、苦労も忘れます。 はじめに。 今回の成績優秀者は、またまた全問正解の「幻泉館主人さん」でした。 幻泉館主人さんの完璧な解答と解説は、思わずうんうんと首を縦に振りながら読んでしまいます。五黄の寅さんのように、セルフチェックに利用している人もいるくらいです。よく考えてみれば、正解日記も必要ないかもしれませんね。 でも、今回は解説を押さえ気味にして、クイズを盛り立てるという彼の奥ゆかしさも垣間見え、恐縮してしまいました。 練習問題「♪ カチューシャかわいや別れのつらさ~」のタイトルは?「(2) カチューシャの唄」でした。 「復活」は、松井須磨子が島村抱月と立ち上げた芸術座の初回公演作品で、この歌はその劇中歌。有名な歌なので、若い人でも、メロディーを知っているんじゃないでしょうか。 ♪ カチューシャかわい~や 別れのつらさ~ せめて淡雪とけ~ぬ間に 神に願ひ~をララかけぇましょか...... のような感じですね。 (1) の『カチューシャ』は、ロシア民謡で「♪ リンゴの花ほころび 川面に霞み立ち......」ですよね。 では解答解説でございます。1. 松井須磨子の死因は? 正解:(2) 後追い自殺 愛する島村抱月の後を追っての自殺でした。 (1) の「逃避行中シベリアで凍死」というのは、トルストイ原作の「復活」に因んで、ロシアが登場すると盛り上がるかと思いまして…。夢野久作の「氷の涯」なんかも頭をよぎりました。 (3) 右翼テロによる暗殺ほか、どれもありそうで、ひっかかってくれればおもしろいと…。2. 「ビートルズ復活祭」の主催は? 正解:(2) 勿論、ビートルズ・シネクラブ 僕はこのビートルズ・シネクラブには、その設立当初に出入りしていて、「ビートルズ復活祭」にも60年代終わりの第1回~2回の頃にちょっと関わりました。その後ずいぶん規模が大きくなったようですが、どうなったでしょうね。 どうやら、こんな形で(→ザ・ビートルズ・クラブ)活動しているようです。 (1) ビートルズ・ファンクラブというのもありましたね、たしか。 (3) ジョンとジョージを復活させる会は、会そのものの存在が確認できておりません。(笑) (5) 英国リバプール市とは無関係ですが、ありそうでしょ。 3. 『私はイエスがわからない』を歌ったのは? 正解:(1) マグダラのマリア (2) ビバ・マリアは、映画のタイトル。BB と ジャンヌ・モローが主演してね。おもしろかったなあ。 (3) 蟻の街のマリア。ホントに天使みたいな人でした。 (4) マリア・カラス。オペラ歌手。 (5) 安西マリア。夏木マリと混同しそうになります。同時期だったので。 4. 邦題に『平和の誓い』という副題のついた "Last Night I had the Strangest Dream)" を歌っている二人組は? 正解:(5) サイモンとガーファンクル 邦題は『きのう見た夢(平和の誓い)』、幻泉館主人さんのレスにあるように、アルバム "WEDNESDAY MORNING,3AM(水曜の朝、午前3時)" に入っていますが、日本でも日本語版で結構流行った歌です。「♪ 平和の小鳩よ ○○○ておくれ~ 平和なあした○ ○○○ておくれ~…」ってね。あ、○の箇所は伏せ字ではなく、覚えていないだけです。どなたか歌詞覚えていませんか~。反戦歌だって普通のはやり歌の一部だった時代のことね。 (1) ゆずや、(4) スキマスイッチの皆さんが生まれる前の話ですよ。 5. 「テニスコートの誓い」って、どこの国の出来事? 正解:(1) フランスは、ベルサイユ宮殿テニスコートだす。 フランス革命の時の重要な出来事として知られていますね。ただ、これが音楽とは無関係であることを問題文中に記さなかったので、曲名だと思ってしまった人もいるようです。誤解を招くような作問は今後しないよう、心がけたいと思います。 (2) 離婚先進国アメリカの場合、花形テニスプレーヤーだったアガシと才色兼備女優ブルック・シールズ、マッケンローと可愛い女優テータム・オニールのどちらも離婚して再婚してますね。この話題は以前のクイズでも採り上げましたが。 ******************** 以上、久々のクイズ、しかもうんと古い話題ばかりでしたが、参加者5名は上出来と、自分では納得しております。 今後は、更に多くの参加者を獲得すべく精進したいと思います。 というわけで、巻末クイズ~~。 問:松井須磨子は島村抱月の後を追って自殺したわけですが、 その島村抱月の死因は何だったでしょうか。 (1) 風邪 (2) 結核 (3) 大腸カタル (4) 脳卒中 (5) 自殺
2005.11.16
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数ヶ月前のこと。久しぶりに楽天日記を書き始めたとき、思わず「永い眠りから覚め」などと書いてしまったけど、これは「長い眠り」とすべきだったかな。「永い眠り」って、「永眠」のことかしらなどと思ったら、そうか、「永い眠りから覚めた」なんて、まるでイエス・キリストの「復活」ではないかということで、「復活」にちなんだ、あるいは「復活」にかこつけた音楽クイズです。 では例によって練習問題から。「♪ カチューシャかわいや別れのつらさ~」は、松井須磨子主演「復活」のテーマ曲の冒頭ですが、この曲のタイトルは? (1) カチューシャ (2) カチューシャの唄 (3) カチューシャ蚊はイヤ (4)オチューシャはイヤ (5) イホーチューシャはだめ(交通安全運動の歌) このような易しい問題ばかりです。もし、まったくわからなかったり知らなかったりしても、勘を働かせてぜひチャレンジしてみてくださいね。答えは、「コメントを書く」をクリックして書き込み願います。 ********************** 1. さて「復活」で主演した松井須磨子は、26歳という若さでこの世を去っていますが、その死因は何だったでしょうか。 (1) 逃避行中シベリアで凍死 (2) 後追い自殺 (3) 右翼テロによる暗殺 (4) 一酸化炭素中毒死 (5) 列車転覆事故による事故死2. そろそろ感謝祭の時期ですね。イエス・キリストの復活を祝うイースター(復活祭)というのもありますね。ところで、復活祭といえば、何と言っても「ビートルズ復活祭」ですよね。さてこれはどこ(だれ)が主催していたでしょうか。 (1) 当然、ビートルズ・ファンクラブ (2) 勿論、ビートルズ・シネクラブ (3) あの、ジョンとジョージを復活させる会 (4) いうまでもなく、オノ・ヨーコ (5) 英国リバプール市 3. イエス・キリストといえば、ミュージカル、ジーザスクライスト・スーパースター(Jesus Christ Superstar) が思い浮かびますが、『私はイエスがわからない』を歌った登場人物は? (1) マグダラのマリア (2) ビバ・マリア (3) 蟻の街のマリア (4) マリア・カラス (5) 安西マリア 4. さて、穴沢ジョージはせめて週に一度は日記を書こうと、復活を誓ったわけですが、「誓った」といえば、邦題に『平和の誓い』という副題のついた "Last Night I had the Strangest Dream)" を歌っている二人組といえば? (1) ゆず (2) 橋幸夫と吉永小百合 (3) ライチャス・ブラザース (4) スキマスイッチ (5) サイモンとガーファンクル5. ところで、「誓い」といえば、思い出すのがあの有名な「テニスコートの誓い」ですが、どこの国の出来事だったでしょうか。 (1) フランスは、ベルサイユ宮殿テニスコートだす。 (2) アガシとブルック・シールズの誓い。離婚先進国アメリカさ。 (3) ローンテニス発祥の地、イギリス!だね。ウィンブルドン。 (4) 夏の軽井沢。例のあのお方と○○子さんがね。 (5) オーストラリアンオープン参加の松岡と伊達の、メルボルンの誓い。凱旋帰国したら有明でもんじゃ焼きを食べよう! ******************** 以上、みなさん「コメントを書く」をクリックして、どんどん答えを書き込んでください。 特にそこのお若い人。チャレンジ精神、大事ですよ。ぜひやってみてね。間違ったって全然恥ずかしくありませんからね。なにしろうんと古い話題ばかりなので…。
2005.11.14
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“La Variete”by Weekend 1982 ちょっと目を離していると、あっという間に一週間やひと月が過ぎてしまうんですよ。 皆さん、どうして毎日日記が書けるんでしょう。 その情熱は一体どこからやってくるのでしょう。 せめて皆さんの情熱の7分の1でも僕にあったら、きっと週一日記ぐらい書けるのになんて思ったりしています。 で、ちょっと左のカレンダー見たら、先週は土曜日に書いています。もし今日書けば、金曜日なのでやはり週末に書いたことになって、これはこれで一貫性があるのではないかと、気づいたようなわけです。 というわけで「週末ライター」目指してみようかと、...。 こらっ!誰ですか。 「終末ライター」の間違いだろうなどとくだらない冗談言っているのは! どうせ間違えるなら、せめて「週末ライダー」くらいにしてくださいよ。これでも昔バイクに乗っていた頃は、立派な?「週末ライダー」やってん。 あれれ、何で語尾が突然関西弁化しとるんやろ。 ま、いいか。 とにかく「週末」いうたら、ウィークエンドやん。 そやさかい、今日は久しぶりにネオアコ日記ちゅうわけやないの。 え?今頃気づいた? 遅いっちゅうねん。そこの元ネオアコ少女の方。そっちのニューウエーブ少女だった人。あ、向こうのテクノカットしとったおっさんも。 そろそろわてのタイミングとか、そういうモンに付いてきてもらわんと、立派な中年には、なれんとよ。 Weekend って、なんだか不思議だったなあ。 僕はあの素敵なジャケットに惹かれて LP も買ったし(いわゆるジャケ買いね)、何度も針を落として聴いていたはずなのに、メロディーが浮かんでこないんです。 誰ですか。それはおまえが年だからだなんて、あまりにも当たり前な反応しかしないのは…。そういうことだから、立派な中年に……。あ、いかん、近頃めんどくさいことをさけるのに、つい「コピー&ペーストギャグ」を多用しがちだ。そっちの方向に行くのはやめときましょうね。 とにかく、良く聴いたはずでも、メロディーが浮かんでこないのは、もしかしたら、特に好きで聴いていたからという訳じゃなかったのかもしれないと気づいたんです。 だって、同時期の aztec camera や Pale Fountains、Friends Again なんかは、いつでもメロディー浮かんでくるし、……。 そういえば、Weekend の LP って、今手元になかったっけ。 早い話が、テープにコピーして、売ってしまったのだ。 そのカセットはどこだ? ひょっとすると、今聴いたらとても気に入ったりする可能性もあるなあ。あとで、カセット大捜索してみようか、などと思いつつ、正解日記に移らせていただきます。 ********************** さて、前回の日記の冒頭クイズ、さすかに幻泉さんと五寅さんにあっさりクリアされてしまいましたね。 でも一応「正解日記」です。 問1の4人は、みんな11月3日生まれだったんですよ。 なんせ、ネタ本が「ロック・366」(←左の「用語解説」参照)ですから、古い人しか載っていませんので、名前を見たところで、ちんぷんかんぷんだった人も多いことでしょう。 この3人の中では Lulu さんが僕よりひとつ年上で、一番近いです。 Birt Jansch は1943年。Brian Poole は41年ですから、僕よりずっと上の人でした。 問2の4曲は、僕の生まれた年のヒット曲です。 日本の場合は見え見えですけど、米国のヒット曲がわかりにくかったと思います。 そもそも、どうしてマリオ・ランツァの『オー・ソレ・ミオ』なんて、ヒットチャートに入っていたのでしょう。随分綿密な考察が必要になってしまいます。 ただ、第二次大戦後の敗戦国イタリアには、日本同様米軍が駐留していたわけで、そのせいで米国内でカンツォーネが流行ったなんてこともありそうです。第一次イタリアブームってとこでしょうか。日本でも、この時期イタリア映画が流行ったはずです。もうちょっと後かな。 『バリ・ハイ』は、映画の「南太平洋」が1958年の制作なので、このペリー・コモの歌ったレコードは、ブロードウェイで上演されていたオリジナルのミュージカルがヒットしていた時期と呼応しているようです。 見え見えの日本のヒット曲『銀座かんかん娘』と『青い山脈』の方は、いまさら特に申し上げることもありませんけど、『銀座かんかん娘』については前に書きましたっけ。あとでリンク貼っておきます。 あ、そういえば、『銀座かんかん娘』のオリジナルは高峰秀子だったんですね。とっちさん。 ********************* そうそう、前回の「タイトルクイズ」の答えですけど、11月4日に行った tougei1013 さんの個展会場で流れていた曲です。他にもビートルズがランダムに選曲されて、流れていました。 tougei1013 さんの個展には、いつもビートルズが流れているんですよね。これが結構よろしいんです。作品の雰囲気と合っているというか、……。 ではみなさん、「週末日記」来週もお楽しみに。 関連日記:☆アリベデルチ・ローマ(2004年10月8日の日記) ☆ワン・ボーイ&カンカン娘(2004年10月15日の日記)
2005.11.11
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“The Night Before”by The Beatles 1965 ☆ 冒頭クイズ~~ 問1:次の4人に共通する事柄を述べよ 1. Birt Jansch (バート・ジャンシュ) 2. Brian Poole (ブライアン・プール) 3. Lulu (ルル)......ヒント:風邪薬ではない 4. 穴沢ジョージ (Another George) 問2:次の4曲に共通する事柄を述べよ 1. "O Sole Mio (オー・ソレ・ミオ)" - Mario Lanza 2. "Bali Ha'i (バリ・ハイ)" - Perry Como 3. 銀座かんかん娘 (高峰秀子) 4. 青い山脈(藤山一郎) ********************** 冒頭からクイズです。 ぼうとう・・・、っていうと?静岡県の半島からですか? No.No. そじゃあ~りません。それは、伊豆半島でしょ・・・。 千葉県の半島ですよ。「ぼうとう半島」ね。・・・、ん? ところで、こんなクイズ、一般の人にはマニアックすぎて、ちょっとついていけないんじゃないですか、...って? つまり人を寄せ付けない排他的クイズ・・・っておっしゃりたい? 排他的ねえ。・・・そうそう、「はいた的」と言えば、歯医者の予約をすっぽかしてから、次の予約をしていないなァ。 悪い歯を抜いてもらってからは、歯痛的な状態から脱出しているので、つい油断してしまっていますけど、正直言って、歯は大事です。自分の歯を数本失っているので、本気でそう思うのです。 では、とりあえず今日はこのくらいにして、次回はクイズの正解日記を書く予定です。 あれれ? 冒頭クイズと、どうでもいいようなダジャレだけで終わりですかって? そう、そういうわけ・・・。 久しぶりに楽天日記に手を出してしまったので、ちょっと控えめにしているんですよ。 それじゃあ、あんまりじゃないかって? こういうクイズには、ヒントが必要だろう・・・ですって? それもごもっとも。おっしゃるとおり、ミリタリ総理。 では問1のヒント。 1. バート・ジャンシュ(ヤンシュの表記もあり) は、ペンタングル(Pentangle) を結成したギタリスト。 2. ブライアン・プールは、あのトレメローズを率いていたおにいさん。グループ名も、はじめはただ The Tremeloes (トレメローズ) だったのが、後には Brian Poole & the Tremeloes (ブライアン・プールとトレメローズ) になったんでがな。 3. ルルさんには、既にヒントが付いていますが、いまさら言うまでもなく、あの『いつも心に太陽を(To Sir with Love)』のルルさんです。 4. 穴沢ジョージ (Another George) は、当ホームページの管理人。詳しくは、プロフィールをご覧ください。 あらら、ヒント出し過ぎだね。 え?それでも全然わからないって? いいんです。わからなくてもクイズはできる。 ヤマカンでチャレンジしましょう。 ********************** そうそう、肝心なことを忘れていました。 誕生日には皆さんにお祝いの言葉をいただき、誠にありがとうございました。 この通り、穴ジョーは健在ですけれど、楽天復活宣言ができるほど余裕がないのが現状です。 一体何をしているかって? ほら、いつかも話したとおり、ヤフオクとかいろいろね。 あ、そうだ。 もうひとつ。既にご存じの方も多いかと思いますが、良くこちらに来てくださる tougei1013 さんの個展を見てきました。 とても素晴らしい作品の数々、実物を見るとその美しさと斬新さがさらに良くわかりますね。 明日までやっていますので、お近くの方はぜひどうぞ。 ☆タイトルクイズ~~ 問:なぜ今日のタイトルが、ビートルズの "The Night Before" なのでしょう。
2005.11.05
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“Butch & Butch” by Oliver Nelson (1961)(熊)「ハ~イ、穴ジョーおじさん。こんちお元気で?」 (穴)「おう、誰かと思ったら、熊さんかい。冬眠からさめたかね」(熊)「冗談じゃない、そいつぁこっちのせりふですぜ。今までどこで寝てたんですか。もう冬になっちまいますぜ」(穴)「そうかそうか、そうかがっかい。おまえの母さん、いとう梅子。逆さに呼んだら子梅いとう」(熊)「何意味不明なこと口走ってるんですか」(穴)「いや、別に他意はない。どうもこないだの選挙以来、ちょっとした口癖のようになってしまってイカンざき」(熊)「そういうことなら、納豆食うかも、ネギ入れて。ところで、このところの日記の記入率どうなっちゃってるんですか」(穴)「どうなってるもこうなってるも、今日確かめたところ、21パーセント。しっかり20代を維持していますよ」(熊)「何得意そうにふんぞり返ってるんですか。年齢じゃあるまいし、20代なんて自慢になりませんよ」(穴)「そうそう、20代と言えば、先日ジャズ合宿の発表会というやつで、20代の若者と競演したのよ」(熊)「ほう~、さぞかし足引っ張ったんでしょうねえ、若者たちの」 (穴)「冗談言っちゃあいけない。足どころか、腕やら首やらあれこれ引っ張っちゃいましたよ(笑)」(熊)「やっぱりね」 (穴)「最初にやったピアノトリオは、ベースの青年が26、ピアノの女の子が21だからね」(熊)「ひえ~~、ダンナの孫みたいなモンじゃないですか」(穴)「オイオイ、いくらなんでも孫はひどいじゃないか。tougei さんじゃあるまいし、まだ孫には早い。でも、ベースの青年の父親が僕と同じ年齢だと判明したときは、思わずぶっ飛んだ。いや、別に驚いたわけじゃなくて、やっぱりそうか!…ってね」(熊)「ピアノの女の子に至っては、父親がダンナよりだいぶ下だったり…」 (穴)「卓球~!そのとおり。どうしてわかった?」(熊)「わかるがな、そんなもん。で、どうだったんです。その演奏」(穴)「うん、良く聞いてくれた。曲は "Butch & Butch"」(熊)「あ、それで今日のタイトルが『明日に向かって撃て』って......。あれれ、あの映画の原題は "Butch Cassidy and Sundance Kid" じゃないですか」(穴)「そんなこたぁ、ハンドレッドも承知よ。"Butch" と "and" が同じだけでも大したモンじゃないか」(熊)「そんな~、全然違うじゃないですか~」 (穴)「まあ、瓦せんべいみたいなことは抜きにして...」(熊)「何すかそれ。ひょっとして堅いことは抜きにして...のつもりですか」 (穴)「卓球~!愛ちゃん。あとで lalameans さんが教えてくれたんだけど、Oliver Nelson の『ブルースの真実』というアルバムに入っている曲でね」(熊)「あ、ごまかした!でもさすが lala のダンナ、詳しいですね」 (穴)「ま、僕はこのオリジナルを聴いたことがなかったから、当然メロディーも初めてなわけ」(熊)「でも、ブルースなんですよね」(穴)「そう。それが唯一の救いっていうか、いわゆる黄金の12小節だから、見失ったりしないだろうということではね」(熊)「ふむふむ」 (穴)「で、この曲を、キース・ジャレットがやっているらしく、彼女はそれを参考にして弾いたということなんだが、これが速い、上手い、凄い!」(熊)「まるで、吉野家みたいですね」(穴)「吉野家はないでしょ、吉野家は。せめて、渋谷ムルギーでしょ」(熊)「話が百軒店の方へスイングしちゃいそうですね。そうですか、ずいぶん凄かったんですね、そのピアノは」 (穴)「最初セッションでやったときに、思わず鍵盤叩く指に、目が釘付けになってしまったよ。若いのに大したモンだよ、全く」(熊)「そいつぁ、聴いてみたかったですね」(穴)「ベースも実に勢いがあって良かった」(熊)「そんなのに付いて行けたんですか」 (穴)「それが不思議なとこよ。何だか結構ノッてしまってね」(熊)「楽しんで演奏できれば、何よりじゃないですか」(穴)「自分としては荒さばかりで、反省点が多々あったんだけど、先生方も結構みんな褒めてくれるのよ。心意気を感じるとか、最後までずっとスイングしてたとか、ゴキゲンなドラムだとかね」(熊)「やさしいんだね、みんな」 (穴)「心優しきジャズメンよ。良かったところをきちんと評価してくれる。前向きなんだよ」(熊)「だめなところは言われなくてもわかりますしね」(穴)「そう。で、個性が重んじられるところが何より素晴らしい。で、ますますやる気になっちゃってさ。1年後を目指して、早速あしたから練習するぞっていう気になってしまう」(熊)「で、したんですか?練習」 (穴)「まあ、瓦せんべいなことは抜きにして、お茶でも飲もう」(熊)「あ、ごまかしてら」(穴)「何々、かすてらかい。今ちょっと切らしちゃってねえ。薄皮クリームパンじゃだめかい。結構渋茶に合うんだよ、これが」(熊)「なんでもいいですけど、練習もした方がいいんじゃないですか」 (穴)「はい、おっしゃるとおり。やすくにそうり。へぼそうり。スモール・ミリタリ・ファウンテン。そういえば、『明日に向かって撃て』と『俺たちに明日はない』って、いろんな点で似て内科医」(熊)「ずいぶん古いギャグ飛ばしてませんか?」(穴)「いけま専科?原題が人名ふたり並べてるし、邦題も「明日」が入ってるだけでよく間違えてしまう」(熊)「でも、さすがに『俺たちに向かって撃て』みたいな間違いはしませんけどね」 (穴)「あたり前田のびばりさん。…エンディングもよく似てたなあ」(熊)「ああいう映画って、60年代後半のあの時代が作らせたっていう感じがしませんか」 (穴)「まさにアメリカン・ニューシネマだかんね」(熊)「ブッチとサンダンスも、ボニーとクライドも、当時の若者にしてみれば、自分たちを代表しているような気分にさせてくれたんですよね」(穴)「ピンポ~ン!あ、間違えた。卓球~!」(熊)「ヘボいギャグ、いちいち訂正しなくたって…」 (穴)「でね、このたび演奏した "Butch & Butch"。僕の中では、完全にブッチとサンダンスになっちゃって、そうなるともう、先生が発表会のトリに持ってきたのも、あの映画のエンディングを意識したんじゃないか、などとあらぬ妄想も手伝って、一気に突っ走ったっていうわけなんよ」(熊)「う~ん、何となく納得するようなしないような…」(穴)「ま、いずれにしても、いい経験させてもらったよ、ホントに」(熊)「それもこれも lalameans さんのおかげですね」(穴)「そうよ。それを言わなくっちゃいけなかった」(熊)「まさに lala さんあっての穴さん…」 (穴)「これからもいろいろお世話になりそうだね。この場を借りて言わせてもらおう。lalameans さん、おおきにありがとさん。これからもよろしく」(熊)「今度みんなで、まりぃおジョーさんのとこでピザを食いましょうよ」 (穴)「あ、それ、アルカリ性!の反対…」(熊)「アルカリセイの反対?…いせりかるあ」(穴)「こらこら、せっかくのギャグが色あせるじゃないか」(熊)「じゃあ、今日はこれくらいにしておきましょうか」 (穴)「アルカリ性!…の反対」
2005.10.19
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“Danny Boy”by Eric Clapton 1997 (Original 1913) あ、今回の衆議院選挙のことではありませんよ。 確かにこんなタイトルだと、とんでもなく議席を増やした与党と、がっくり減らしてしまった野党第一党のことを連想させてしまうかも知れませんが、違うんですよ。 スポーツの話題ですよ。ずいぶん前に George Best のことを書いて以来の、サッカーです。 もう一週間にもなりますが、ワールドカップ予選で、イングランドが北アイルランドに1-0で負けたというニュースには、かなりビックリした人も多いことでしょう。あのベッカムがフリーキックをゴールポストにはじかれて、頭抱えていましたよ。 北アイルランドがイングランドに歴史的勝利=W杯予選 イングランドが北アイルランドに屈辱的敗北 ね、なにしろ「屈辱的敗北」ですからね。 あ、今回の民主党のことではありませんよ。念のため。 これって、良いたとえが見つからないけど、もし沖縄が日本の委任統治国みたいな存在だったとしたら、その沖縄に日本(本土)が負けたみたいな出来事でしょうか。北アイルランドの地元はさぞかし盛り上がっていることでしょうね。 なにしろ「歴史的勝利」ですから。 一応北アイルランドの様子、ネットで覗いてみました。 試合が終わってから、一時間以上たっても、ファンが競技場を去らなかったというような副見出しですね。 北アイルランド最後に笑う 北アイルランドといえば『ダニー・ボーイ』のふるさとですから、なんだか今回の勝利は他人事でないような気がしてね。でも、歌詞はイングランドがふるさとですから、『ダニー・ボーイ』くんは、今回の北アイルランドの 1-0 での勝利を喜んだとしても、若干複雑な思いはあるかも知れませんね。 ところで、皆さんの地域ではやはり与党が「大勝利」をしたんでしょうか。首都圏の結果には一瞬我が目を疑いましたが、考えてみたら、都知事はあの方でしたね。なんだか着々と何かが進行しているって言うか、都民の皆さんに彼の思想がシンタロウしてそれが首都圏一帯に蔓延しているようにも思えて、寒気を感じたりしますが…。残暑厳しい折、ちょうど良かったりして。 などと冗談言ってる場合じゃないがな。 **********************8. 「クラプトン氏、『ダニー・ボーイ』を語る」 以前、何人かのアーティストの中から誰の『ダニー・ボーイ』を一番聴いてみたいかというアンケートをしたところ、エリック・クラプトンをあげる人が多かったですね。 彼はPBS 制作のテレビ番組 "Danny Boy: In Sunshine or In Shadow" の中で、この歌に関して、「これはとてもアイリッシュな歌であると同時に、どんな場所で、いかなる状況下で歌われても、違和感がないように思う……」と述べています。 ところが、『ダニー・ボーイ』についてこのように語っているクラプトンが、何と!…歌っていないんです。 あ、待ってください。それじゃあ詐欺じゃないかようと、お怒りのあなた。お気持ち、ごもっともですが、もう少し話を聞いてください。 彼は歌う代わりに、ギター演奏という形で、きっちり仕事をこなしているんです。 彼は彼なりに、この歌には思い入れがあって、この番組企画をもらった際に、どのように自分なりの表現をしようか悩んだ結果、「……自分にとってこの曲は、できるだけシンプルにそして純粋に表現するのが最も良い方法と考えたんだ。つまり、ギターだけで(歌なしで)演奏すること。それが、この歌に僕が捧げることのできる一番純なものだし、一番尊敬の念を込めたやり方だと思ったんだ」という具合に、ガットギターで淡々と弾くわけですよ。 このときの演奏は、名曲 "Change the World" のシングル盤に入っているので、ご存じの人も多いでしょうが、極力アドリブを入れぬように努めながら、椅子に腰掛けて黙々と演奏する姿は、文句なしにかっこいいですよ。 (文中訳:穴沢) 関連日記:『ジョージ・ベスト』ウェディング・プレゼント
2005.09.15
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“Danny Boy”by Marianne Faithfull 1997 Original: 1910 今日はまずクイズにお答え頂き、答えを確認してからお読みください。☆冒頭クイズ:一週間のごぶさたでした。たまおきジョージです。さて、早速ですが、クイズです。 本日のタイトル『涙あふれて』の原題、オリジナルの歌い手、作詞・作曲者をすべて答えなさい。 答えは、こちらの過去の関連日記をご覧ください。 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 2002.11.18 の日記 7. 「深い悲しみを歌う資格」 マリアンヌ・フェイスフルが、PBS 制作のテレビ番組 "Danny Boy: In Sunshine or In Shadow" の中で歌っている『ダニー・ボーイ』は、バックの楽器編成やアレンジも含めて、まるでマレーネ・デートリッヒの『リリー・マルレーン』を思い起こさせる味わい深いものになっています。 まず楽器ですが、鍵盤をアコーディオンにしたところからして、ちょっとレトロな雰囲気を醸すのに十分ながら、弦はもちろんバイオリン。リズムはフルアコのエレキのみ。まるで1940年代です。いや、もっと前でしょうか。この編成で、ベース&ドラムが入っていないので、マリアンヌ・フェイスフルの低音が一段と響き渡るという仕掛けなのです。 手元に音源を持っていないので何とも言えないんですが、想像するに、この時期、彼女はこういう雰囲気の歌い方を得意としていたのではないでしょうか。あるいは今も......。 マリアンヌ・フェイスフルといえば、1964年にヒットした『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ (As Tears Go By)』を思い出す人も多いでしょうし、映画『あの胸にもう一度』の皮つなぎ姿を思い浮かべるという人もかなりいると思います。 でも、"As Tears Go By" から40年、月日は流れ、十分に年齢を重ねた貫禄は、隠しようもありません。 『ダニー・ボーイ』を歌うにあたって、彼女はインタビューで次のように語っているのがとても説得力があって、印象的でした。 「はじめてこの曲を耳にした頃は、まだ愛や喪失を今ほど経験していなかったっていうことがあるわね。私はこう思うのよ。『ダニー・ボーイ』を真に理解するには、本当に本当に愛した人をひとり、あるいは何人か失わなければだめってね......」(訳:穴沢、字幕がないので大変です) 様々な出来事を経て、深い悲しみを歌う資格を得たマリアンヌ・フェイスフル。たばこを片手に『ダニー・ボーイ』を低音で静かに熱唱するその歌からは、あの十代の美しい妖精のような姿と声は想像しがたいものがありますが、そのにこやかに語る明るさには、なぜかとても希望が感じられるのです。 ********************** 台風14号が、日本海を通過中で、こちらも強い風が時折吹きました。雨は降りませんでしたけどね。皆さんの所はいかがですか。ぜひ無事でいて欲しいです。 ニューオーリンズの惨状がテレビで映し出されるたびに、心が痛みます。以前前座をさせてもらったニューオーリンズ・ジャズのバンドのメンバーたちがどうしているかとても心配です。 戦争に使う金を被災地のために使ってもらえないでしょうか。 もしかしたら、今からでも助かる命があるかも知れないので、人を殺すための訓練を受けている人たちに、ちょっとの間武器を置いてもらい、かの地へ行って命を救ってもらうことはできないんでしょうか。
2005.09.07
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“Danny Boy”1913 7. 『とってもアイリッシュ』 PBS 制作のテレビ番組 "Danny Boy: In Sunshine or In Shadow" で、この歌『ダニー・ボーイ』が、アイルランド(特に北アイルランド) の人たち、およびアメリカなどにいるアイルランド系の人たちに、いかに愛されているかを知らされたわけですが、『ロンドンデリーの歌』が北アイルランドで古くから歌われていたことを考えてみれば、別に不思議なことではないとも言えるかもしれません。 ところが、『ダニー・ボーイ』の作詞者、フレデリック・ウェザリー(Frederic Weatherly) は、アイルランド人ではなかったのです。 何と!彼は、ブリテン島のイングランド人(つまりイギリス人)だったんです。 この歌については、アメリカに渡ったアイルランド人が故郷を懐かしんで作った歌だとか、歌詞はアイルランド独立運動のために書かれたものだとか、様々な説があるようですが、それらはどれも真実からはほど遠いと言わざるを得ません。 しかし、このような噂もひょっとすると正しいのではないかと思えるほど、この歌はイギリス人ウェザリーの詞を得て以来、アイルランドの人々の心の中に根を下ろしている実にアイリッシュな歌なのです。 憶測ですが、アイルランド人で、これがイギリス人によって書かれたものだということを知らない人も、かなりいるのではないでしょうか。なにしろ、彼らの中にはこの歌『ダニー・ボーイ』を、国歌のようなものだという人も多いくらいですから。 (つづく) ******************** 先日はしょうもないクイズに付き合って頂き、ありがとうございました。でも、日記記入率が22パーセントに落ち込んでも、こうして皆さんに訪問していただけるんですから、私も幸せモンでございます。 調子に乗ってナンバークイズ第2弾でございます。 ☆今日のクイズ「タイトルの「66666」は何を意味するでしょうか」 1. 日本直販のフリーダイアル番号 2. キリ番プレゼント番号 3. ロックの安売り 4. オーメン ……いえ、ホントにその気はあったんですよ。でも、知らないうちに過ぎてしまって。次回は間違いなくやらせて頂きます。
2005.08.31
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“Danny Boy”by Ronnie Drew (The Dubliners) 19876.『ダニー・ボーイ』誕生 さて、時代は20世紀に飛びます。 フレデリック・ウェザリー(Frederic Weatherly) は、1910年『ダニー・ボーイ』という曲を作詞作曲しました。 その内容がかなり悲しいものになっているのは、ちょうどウェザリーが実の父と一人息子を亡くし、失意の中にいるときに書かれたものだからなのです。 しかし、幸か不幸か、これは売れなかった。 そんな時、アメリカに渡ったウェザリーの義姉が、彼の地でアイルランド系移民によって良く歌われていた『ロンドンデリーの歌』のメロディーを気に入り、それを採譜して義弟に送ったのです。 すると、何と言うことでしょう。あらかじめ書いてあった『ダニー・ボーイ』の歌詞が、このメロディーにちょうどうまく当てはまったのです。 ウェザリーが渾身の思いを込めて書いた詞が最初の曲で売れなかったことが、名曲『ダニー・ボーイ』誕生のそもそもの発端だったというからわからんもんです。 しかも、ここでさらに驚愕の事実が…! (つづく) ********************* 楽天のよい子の皆さん、お久しぶりです。 さっき自分が最後に書いた日記の日付を見てびっくりしましたよ。何しろ7月4日ですからねえ。7月4日っていえば、あなた、アメリカ合衆国の独立記念日じゃあありませんか。だからどうっていうこともないですけど。 この間、色々ありました。毎年やってくるものでいえば、8月6日も9日もやってきました。それから8月15日もね。 でもねえ、ありゃあないよね。ほらあれだよ。 衆議院の解散。 参議院で法案が否決されたから衆議院を解散するっていうんだから、最初は大笑いしてしまった。 でも、そのうち背筋が寒くなって来ましたよ。前代未聞の強権政治だね。なにしろ、中学校で教わったのと違うんだものね。 参議院で否決された場合は、もう一度衆議院に戻して、そこで可決されたら法案は成立する。ただしこの場合は3分の2の賛成が必要だ......って、何十年も信じてきたのですよ。 まあ、初めから仁義無き戦いみたいなことが大好きそうな首相だから、本人はあれでも大まじめのつもりかも知れないね。 あまり考えない人たちには、ああいうただ怒鳴るだけの首相みたいなのが、きっとわかりやすいという印象があるんでしょうね。それがまた怖い。 ところで、イラクのサマーワに派兵されている人たちはどうなってしまったんでしょうか。いろんな噂はありますが、何しろ報道がきちんとなされないから、さっぱりわかりません。 とにかく一日も早く帰ってきてもらいたいものです。 さて、うちのポチ子(仮名)ちゃんですが、お産の経験がないから母乳が出ないと思っていたんですが、子猫がおっぱいをしゃぶっているうちに出るようになってしまいました。 そんなわけで、うちの子猫は犬に育てられているうちに、「ワンッ」と泣くようになってしまいました、......というようなことは一切ありませんので。念のため。 ちょっとわかりづらいですが、おっぱい証拠写真追加しておきましたので、お暇なときに、左の Cats & Dogs をご覧ください。 久しぶりのクイズですよ。 「タイトルの22パーセントとは何でしょう。次の中から選んでください」 1. 我が国の内閣支持率 2. 合衆国の大統領支持率 3. 我が国の血液型B型の比率 4. 穴ジョー楽天日記記入率 はい、そのとおりです。ついに22パーセントになりました。
2005.08.28
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“Danny Boy”by The Pogues 1987 今回、例によって UK Yahoo! で検索し、PBS 制作のテレビ番組 "Danny Boy: In Sunshine or In Shadow" で得た情報を確認しようと思ったのですが、非常に詳しいサイトがありました。マイケル・ロビンソン(Michael Robinson) という人の書いた膨大な資料です。 Danny Boy--the Mystery solved! あと、番組中で解説をしていたアルスター大学の教授、ジム・ハンター(Jim Hunter)氏自らが書いたページがありました。 The origin of Danny Boy or Londonderry Air この二つを読んでいただければ、『ダニー・ボーイ』(あるいは『ロンドンデリーの歌』) のすべてがわかります。 じゃあ、おまえの出番はないだろうって? そのとおり。 でも、読むのが面倒だという人もいるでしょうし、何より、僕が書くと宣言したのですから、一応起源などについて少し、とりあえずPBS の取材したものを元に、かいつまんで書きますので。あしからず。 *********************4. 「古いぞ "Londonderry Air (ロンドンデリーの歌)"」 初めてこの曲の楽譜が出版されたのは、1855年のこと。 古い音楽を集めていたジョージ・ペトリー(George Petrie) が、北アイルランド・ロンドンデリー州・リマヴァディ(Limavady) に住むジェーン・ロス (Jane Ross) から、このタイトルのわからない曲をもらい、"Londonderry Air" ("air" は「~節」のような意味) として "Ancient Music of Irland (アイルランドの古い音楽)" に載せたのが最初です。 ジェーン・ロスは1851年に、自宅向かいの路上でこの曲と出逢います。盲目のフィドラー、ジミー・マッカーリー (Jimmy McCurry) が弾くこのメロディーに魅せられ採譜をしたのが、この歌が世界中に広まるきっかけになったのです。(ただしマイケル・ロビンソン氏はこの説に疑問を持っていますが) しかし、作曲者はブラインド・ジミーではなく、さらに古いことは間違いないようです。5.「妖精が奏でるメロディー」 "Londonderry Air" の起源については諸説あるようですが、一つ僕の気に入っている伝説めいた話があります。 盲目のハープ弾き、ローリー・ダール・オカハン (Rory Dall O'Cahan) は、ある晩飲み過ぎて、フラフラと城から外に出てロー川 (the Roe) 沿いをさまよっていると、窪みにはまって気を失ってしまった。 ローリーを連れ戻すよう命じられた召使いたちは、遠くで鳴るハープの音色に引き寄せられる。そこでは、ローリーが気を失って倒れているが、不思議な目に見えない指がとても美しいメロディーを奏でているではないか。 意識が戻ると、ローリーは、妖精たちが奏でるその曲を自分で演奏できるよう必死に聴き取ってから城に戻ると、客人たちの前で、演奏したのだ。 ジェーン・ロスがこの曲を採譜する250年前のことでした。 ジミー・マッカーリー同様、スコティッシュ系のローリー・ダール・オカハンも盲目だったというのは、単なる偶然にしては出来過ぎのようにも思いますが、事実なのですから、驚きます。 ということで、続きはまた次回に。 ********************* 前回の最後に、挙げた四人のほかに、もう一人追加してください。ダブリナーズのヴォーカル Ronnie Drew さんですよ。まさに『正調デリー節』っていう感じの歌いっぷりなんです。 したがって、以下の五人となります。 Sinead O'Connor Ronnie Drew (The Dubliners) Shane MacGowan (The Pogues) Marianne Faithfull Eric Clapton ********************** いやはや、それにしてもうちに子猫がやってきてからというもの、毎日つい寝不足が続いております。 え?子猫のことは初耳ですって? 毎日やって来る野良猫の「猫タン」とは別物ですよ。 その子猫、元気すぎるほど元気でね。付き合って遊んでいると迷惑するほど大変ですが、まだ小さいからすぐに疲れてコテッと寝てしまったりするのがおもしろいです。 まだ乳離れしないうちにやってきたものですから、どうしても母親のおっぱいが恋しいのでしょう。うちのポチ子(仮名)におっぱいをせがむのですが、お産の経験のないポチ子は母乳が出ません。 でも、じっと我慢して子猫におっぱいを吸わせているポチ子の姿には、ついつい感動してしまいます。この光景は皆さんにぜひ見て頂きたいですね。ということで、左の Cats & Dogs をご覧ください。 彼女たちにとって、犬とネコの違いなんてどうでもいいんです。いろいろ教えられること多いです。
2005.07.04
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“Danny Boy”by Sinead O'Connor 1997 『ダニー・ボーイ』について、僕は長年誤解をしていました。まずはそのあたりのことから……。1.『ロンドンデリーの歌』が先だった いや、『ロンドンデリーの歌 (The Londonderry Air)』が先というのは間違っていませんがね。 小学生になった頃かそれ以前だったか記憶にはないですが、僕は物心ついた頃から『ロンドンデリーの歌』を知っていました。しかし、当時すでに『ダニー・ボーイ』という歌は存在していたということを、知らなかったんです。 『庭の千草』や『アンニー・ローリー』のようなアイルランド民謡は、『故郷の空』や『蛍の光』のようなスコットランド民謡同様、明治以降の日本で、女学生を中心に盛んに日本語で歌われていたのはご存じですよね。僕らの子供の頃も、まだ母親などはこの辺の歌をよく口ずさんでいましたよ。2.『ダニー・ボーイ』登場 しかし、1960年代に入った頃、ハリー・ベラフォンテの『ダニー・ボーイ』が、『バナナボート・ソング』で売れた勢いからか、結構流行ったんですよね。 その後、2~3年の間に、サム・テーラーのテナーサックスや、スリー・ファンキーズを抜けた高橋元太郎の歌で、ヒットチャートに入ったのは記憶しています。 このころには僕は詞の意味も知らないまま、「歌曲の世界で有名だった『ロンドンデリーの歌』を下敷きにした『ダニー・ボーイ』が、ポップスの世界でも売れたんだ」と思うようになっていました。「その後様々な歌手がカヴァーして、文字通りスタンダードナンバーとなった」と勝手に考えていたのは大間違いでした。3. すでにスタンダード・ナンバーだった "Danny Boy: In Sunshine or In Shadow" という PBS 制作のテレビ番組を数年前にスカパーで見た日から、僕の『ダニー・ボーイ』に対する偏見と誤解は一掃され、新たな目でこの歌を一から見直すことになったんです。 様々なミュージシャンによる印象的な歌と演奏をちりばめながら、そのミュージシャンや各界の人々へのインタビュー、および音楽評論家や学者の解説で構成された1時間もののこの番組は、昨今我が国でも流行の、どの「歌のルーツを探る番組」より遙かに興味深いものでした。たった1時間なのに、その中身の濃さは相当なものです。 これをビデオ録画して何度も見ました。ただし、字幕および吹き替えなしの英語放送なので、かなり苦労を伴いましましたがね。ほら、ずいぶん前のことですが、ポーグスのクリスマスソングの日記の一番最後で、ちょっとこの番組のことを書いたことがありますよ。 その中で、『ロンドンデリーの歌』に現在の『ダニー・ボーイ』の詞がついたのが、1913年のことだと知ったのです。作詞者はフレデリック・エドワード・ウェザリー(Frederic Edward Weatherly)でした。 続きはまた今度ね。 ********************** ところで、"Danny Boy: In Sunshine or In Shadow" の中では、様々な人たちが『ダニー・ボーイ』を歌ったり演奏したりしていますが、僕らにもおなじみの人たちを挙げてみますと、次のようになります。 シニード・オコナー シェーン・マッガワン マリアンヌ・フェイスフル エリック・クラプトン さて、みなさんはこの中でどれを一番聴いてみたいですか。 あるいは聴いたことのある人は、どれが一番良かったでしょうか。「コメントを書く」をクリックして、教えてくださいね。
2005.06.22
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“Danny Boy”by Harry Belafonte 1960(60年代ポップスとして耳にした『ダニー・ボーイ』に敬意を表して) 皆さんは、『ダニー・ボーイ』から何を連想するでしょうか。 僕は前の日記の最後で、この歌を「死というものを意識しながら聴く」などと書きましたが、実は「死」などという言葉を使ってはいるものの、別にたいそうな哲学的はことではないんです。 ようするに、死んだらどうしてもらいたいかということを考えてしまうんですよ。 単刀直入ににいえば、火葬よりも土葬がいいと思うんです。 実は、この歌の2番に出てくるようなシチュエーションが気に入っているんですが、この場合は明らかに土葬が前提で、火葬されてしまった場合、あまり実感がわかない気がするんです。 とんでもない前置きになってしまいましたが、このことを説明するためには、『ダニー・ボーイ』という歌の歌詞をちょっと説明する必要がありますね。もうよくご存じの人も、一応読んでいただき、間違いや至らない点などを指摘していただくと助かります。 1番の歌詞は後半が特にいいですね。 つまり、自分の元を離れて「行かなければならない」ダニーくんに、「待たねばならない」「私」が「きっと帰って来て」という場面ね。 この「私」は、ダニーの母親というのが定説のようになっているけれど、僕はこれが父親でも恋人でも兄弟姉妹でもかまわないと思うんですよね。♪ But come ye back when summer's in the meadow, Or when the valley's hushed and white with snow, でも帰っておいで 草原に夏が来たら 谷が雪で静まり 白く化粧してからでもいいから♪ 'tis I'll be here in sunshine or in shadow,― Oh, Danny boy, O Danny boy, I love you so! 日が差していても陰っていても 私はここにいるから オー、ダニー・ボーイ 大好きだから 季節なんかいつでもかまわないから、とにかく帰ってきて欲しい、それまで待っているから……という内容ですね。 もちろんこの1番だけでも、別れる運命を受け入れなければならない者の気持ちを、十分に伝えて余りあるとは思います。実際、いろんな人に歌われている『ダニー・ボーイ』ですが、時々この1番だけで終わってしまうものもあります。でも、ぜひ2番も聴いて欲しいです。 ♪ でもおまえが戻ったとき 花が皆枯れかけていて もし私が死んでいたら それもあり得ることだから♪ 私が横たわっている場所を おまえは見つけ 膝をついて 私に「ただいま」と言ってくれるね 北アイルランドの、荒涼とした草原の丘の上でも、なだらかな起伏のあるヒースやムーアの縁でも、またわずかな個数の村に一つだけある教会でも、そこにある小さな共同墓地で、ダニーは「私」を見つけてくれる。 いずれにしても、大地に眠るというのは、土に還るという意味からも、基本は土葬でしょう。やっぱ土葬がいいなあ。 2番の後半は次のようになります。♪ 私には聞こえる そっと私の上を歩くおまえの足音が それで私の墓は 暖かく心地良くなる♪ おまえは身をかがめて 私を愛していると言ってくれる そうすればおまえが死ぬまで 私は安らかに眠れるのだ 実は若い頃は、メロディーは好きでしたが、この曲のことをよく知らなかったんです。『ロンドンデリーの歌』をポップスに改造した曲…ぐらいにしか思っていなかったんですよね。 それが、歌詞ができた背景や、曲の生い立ちなどを知ってからは、俄然聴くようになったんですよね。 次回は、『ダニー・ボーイ』に関心を持つきっかけになったあるテレビ番組のことと、そこで知ったこの歌にまつわる秘話を少し……。などと、もったいぶってみました。 (文中訳:穴沢) ********************** 今回、一応60年代ポップスとして耳にした『ダニー・ボーイ』に敬意を表して、僕がおそらく一番最初に聴いたハリー・ベラフォンテ版を改めて聴いてみたんですが、困ったことに2番の歌詞の前半で一番肝心の "I" と "you" とが入れ替わっているんです。他にもいろいろ聴いていますが、こういうのは他にないですね。 これが誤解からでなく意図的に入れ替えたのだとしたら、かなりとんでもないことですが……、あ、でもライブバージョンだから、もしかしたら単に歌い間違えただけかも知れませんね。因みにこのあと2番の後半のかわりに1番の後半をもう一度歌っています。ちょっと、がっかり。 何しろこの歌詞ができたのは1913年のこと。細かい言葉については、各歌手によってホントにいろいろ違いがあっておもしろいです。
2005.06.16
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漣健児さんが、6月7日亡くなりました。74歳でした。 この人には「本当にありがとう」とだけ言いたいです。 60年代初頭、彼の書いた日本語の詞に乗って、英米のポップスは僕の体の中に入り込んだんです。以来、この分野に異常に関心が湧き、今日に至っているのですから、本当にどれだけお世話になったか知れません。 僕の過去の日記に、この人の名前がどれだけ登場したか調べてみました。 60年代のイギリスを代表する女性歌手(1) 『ビー・マイ・ベイビー』 『想い出の冬休み』 『ボーイハント』 『そよ風にのって』 (続)『そよ風にのって』 『砂に消えた涙』 このほかにも、書き込みに対するレスや、掲示板にも何度かあるし、彼の名前はなくとも、その詞の一部が登場しているものもありそうですが、さすがに探すのは面倒です。 ああ、そうだ。今年の正月に同級会の二次会で熱唱した『ルイジアナ・ママ』も、もちろん漣氏の傑作です。 彼の死のことは、カタママさんの書き込みがなければ、ずっと知らずにいたかも知れません。 教えて頂き、ありがとうございます。 去年から、僕がさんざん世話になった人の他界が相次いでいますね。 ジョン・ピール、高田渡、石津謙介、そして漣健児。 しかし、この人たちと面識があったわけではありません。言うまでもありませんが。 さらに、生で見たこともありません。高田渡氏も映像でしか動く姿は拝見したことがありません。漣健児さんに至っては、どんなお顔なのか、写真すら見た記憶がないのです。 でも、そんなことは関係なく、ほんとに僕の人生の中で大きな部分を占めていますから、不思議なものです。 ********************** 今日は、『ダニー・ボーイ』をじっくり聴きたい心境です。 人の死についてあれこれ考えたりする年齢は、とっくに過ぎてしまっているけれど、『ダニー・ボーイ』という歌を聴くとき、僕はどうしても死というものを意識しながら聴いてしまう。 続きはまたすぐ書きます。
2005.06.14
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“Poison Ivy”by the Coasters 1959 今朝は久しぶりにどんより曇った朝を迎えております。 台風4号が思ったより列島近くまで北上していて、雨がいつ来てもおかしくないようです。季節もいよいよ梅雨に入ろうというところでしょうか。 この時期、何と言っても田植えの済んだ畦などに可憐に咲くアヤメや、緑の中に映える黄ショウブがきれいです。 あとは、やはり「蔦」ですね。雨が降るごとに庭の蔦の葉の緑は増し、その力強さを主張し始めます。 我が家の「蔦」のことを日記に書いたのも、ちょうど去年の今頃でした。去年の5月19日の日記去年の5月22日の日記 その後の「蔦」ですが、あまり大きくなっていません。 予定では今年皆さんと「蔦見お茶会」を催すつもりでしたが、条件がよくなかったのか、生育速度がゆっくりで、まだまだ鑑賞に堪うるようなものではありませんので、もうしばらくお待ち頂きたいと思います。来年か再来年には、皆さんにお集まり頂き、盛大に「蔦見お茶会」を行いましょう。 左に現在の「蔦」の写真を載せますので、お暇な折りにご覧いただき、その成長をお祈り頂きたいと思います。 などと書いているうちにずいぶん晴れ間が覗いてきました。かなり暑いです。 コースターズのヒット曲 "Poison Ivy (ポイズン・アイビー)" の Poison Ivy (毒蔦=ドクヅタ?) が前から気になっていたので、去年蔦のことを書いたときに、ちょっと調べてみたんですよ。もう1年以上経ちますが……。 さて、poison(=毒)ですから、毒キノコやトリカブトのようなアルカロイド系の毒性を持ったものを連想される人もいるかもしれませんが、この Poison Ivy (ポイズン・アイビー)の場合は、むしろ漆に似ていると考えて頂くのがよろしいかと思います。 その名の通り、葉の形状は蔦のようにも見えなくもないですが、実際には蔦とは無関係のようです(ああ,よかツタ)。この葉に触れたり枝を持ったりするとかぶれるのです。ひどいときには全身に発疹が出るというのも、漆に似ていますね。 北米大陸ではかなり普通に見られるらしく、こんなページがありました。アメリカでの探鳥の注意点また、こんなマニアックなページもありました。What Poison Ivy Look Like さて、コースターズの "Poison Ivy" ですが、もう皆さんご推察のとおり、当然ドクヅタのような女の子のことを歌っているわけですね。 「見かけはバラやデイジーでも、実は彼女はポイズン・アイビーさ...」というような内容です。 リフの詞が怖いです。 ♪ Late at night while you're sleepin' poison ivy comes a'creepin' Arou-ou-ou-ou-ou-ound つまり「夜中に寝ていると這ってきて絡みつく」んですよ。 更にサビでは、「はしか、おたふくがぜ、みずぼうそう、ふつうのかぜ」を引き合いに出し、それぞれの症状を挙げた上で、 ♪ But poison ivy, Lord'll make you itch!! You're gonna need an ocean of calamine lotion You'll be scratchin' like a hound The minute you start to mess around と、そのかゆみのものすごさを指摘しているのです。 それにしても、「calamine lotion 一海(ひとうみ)分を必要とする」くらいかゆいというのですから、そのかゆみは大変なものなのでしょう。 コースターズは、僕の印象ではドゥーワップのコーラスグループですけど、歌にはコミカルなものやいわゆるノベルティー・ソングが多いですね。 好きな曲もかなりあるので、またいつか採り上げたいですね。 ところで皆さん、何かにかぶれたことってあります?僕は、漆にかぶれた友人を見て、全身にかゆみを覚えたことがありますが。 そういえば、「西洋かぶれ」なんていう言葉は、ほとんど死語になってしましましたね。
2005.06.10
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“Three Cool Cats”by the Coasters 1958 暑中お見舞い申し上げます。なんて言いたくなるほど、この数日暑い日が続いていますが、みなさんお元気でしょうか。 復活宣言したかと思ったら、ひと月以上も日記を書かなかったり、久しぶりに書いたかと思ったら、また一週間もあいてしまったり、毎度のこととは言え、みなさまにはいろいろご迷惑をおかけして申し訳ありません。 「猫タン」 うちに野良猫が遊びに来るようになったんです。名前はないわけですが、一応猫なので、息子は「猫ちゃん」、僕は「猫タン」などと呼んでおります。 この猫タン、子供を産んだばかりですが、うちのような猫好きの家で餌をたらふく食べて、しばらく遊んでからねぐらに戻りオッパイをあげるという、かなり効率の良い方法で子育てをしているようです。そのせいか、子供も順調に育っているようです。 今日も朝から餌を食べにきて、涼しい場所を見つけては、ごろんと横になり、またしばらくすると立ち上がって別の日陰を見つけごろりとなって、これを繰り返すんですよ。何しろ日向は暑いですからね。 猫は犬以上に涼しい場所を見つけるのが上手ですよね。「クール・キャッツ」 ネコは涼しい場所がすき。 ネコ=CAT。涼しい=COOL。 これから、クール・キャッツを連想する人が世の中にはどれくらいいるでしょうかねえ。すなわち、ネコ・涼しい、キャット・クール。クールなキャット。クール・キャッツときたもんだ。 あ、「ときたもんだ」で、クレージー・キャッツを連想したあなた!かなり年ですね。「♪ サラリーマンは 気楽な稼業と きたもんだ...」ですからね。 おっと、クール・キャッツね。 ビートルズが日本に上陸したころに、ビートルズの曲の日本語版を何曲か歌っていたのが、クール・キャッツですよ。 ほかにも東京ビートルズはじめ、いろんな人たちが日本語で歌っていたけど、クール・キャッツが一番印象に残っていますよね。つまりネーミングのせいでね。 あんまり鮮明な記憶ではないけれど、彼らはスリー・ファンキーズやシャープ・ホークス、その後のジャニーズ、スマップみたいなコーラスグループだったと思う。楽器なしのね。違ったかな。 以前疑惑さんが貸してくれた "From Liverpool to Tokyo" という、トンデモな CD で当時の彼らの歌声が聞けます。 いや、まさに「歌声」って感じ。まあ、多くを望む方がどうかしているというもの。当時僕らは本家本元に夢中で、全然聴こうともしなかったから、今じっくり聴いてみると、懐かしいと言うより、こういう世界もあったのかという驚きの方が先に来るのであります。「スリー・クール・キャッツ」 そういえば、ビートルズの「アンソロジー 1 」に、"Three Cool Cats (スリー・クール・キャッツ)" が入っていますけど、聴いたことありますか。若きジョージが結構熱唱してますよね。 ホントに初期のビートルズはおもしろいです。よくぞこんな曲をカヴァーしたもんだと、感心してしまいますよ。 オリジナルは、あのドゥーワップのコースターズ(The Coasters) です。 コースターズっていえば、"Poison Ivy" が一番有名かなあ。 "Poison Ivy" っていえば、去年の今頃「蔦」のことばかり書いていましたっけ。 ということで、次回は "Poison Ivy" と「蔦」のその後ですね。 ********************** Cool Cats (クールな猫) っていうのは、何か特別なフレーズですかね。単に「かっこいい猫」のことですかにゃあ。 ご存じの方、教えてキャット。 うちに来る猫タンのお姿はこちら
2005.06.07
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“The River of No Return” by Marilyn Monroe (1954) 6月1日。「ロック・366」(←左の「用語解説」参照) によると、ノーマ・ジーン・ベーカーが1926年のこの日に生まれている。 この人、もちろんマリリン・モンローとしての名声があまりに大きくて、初めて本名を知ったときは、ずいぶん変な名前だなと思ったものだった。 自分で言っておきながら、おかしいけど、「変な名前」というのも実に失礼な話ではないか。 でも、マリリン・モンローがノーマ・ジーンのままだったら、あんなに売れなかったかもしれないと思うと、芸名やペンネームというものの持つ威力も侮れない。 誕生日の話題かと思ったら、いきなり命日の話になって恐縮だが、そろそろ「桜桃忌」かい?さくらんぼがスーパーに並び始めたね。近頃は国産が高くて、アメリカ産のダークチェリーの方をよく食べるという人も多いだろうね。 今調べたら、「桜桃忌」は6月24日だった。 この太宰治の本名が津島修治だと聞いたときも、ちょっと違和感があった。なにしろ太宰がペンネームだとは思っていなかったからなぁ。 彼の作品で何が一番好きだったかと聞かれても、かなり困る。 『斜陽』や『人間失格』のような有名どころにも、その昔読んだ頃には、ずいぶんいろんな意味で触発されるものがあったけれど、結構短編にも好きなものがあった。でも、作品名はでてきても、あまり良く覚えていない。 太宰、今若い読者が読んだとしたら、どうなんだろう。僕らが読んだ頃は、まだ時代が「桜桃忌」をニュースにするような頃だったからなぁ。 ここに来るような皆さんにとって、戦後無頼派三人男の中では、坂口安吾が人気があるように思える。僕も一応読んだ。 けど、実は、僕は織田作之助にハマっていたのだ。 『青春の逆説』の初版を見つけて買ってしまったような事実も、今では楽しい思い出だね。高かったけど(でも2000円ぐらいだったかな)、後悔はない。発行された当時の本で読む醍醐味というのもあるからね。 織田作之助といえば、あの息の長い文体がかなり特徴的だけど、野坂昭如はずいぶん影響されたみたいだね。 その、野坂昭如に『マリリンモンロー・ノーリターン』という本があって、同名の歌も歌っていたけど、なかなかメロディーが浮かんでこない。 あ、いつのまにか、マリリン・モンローに戻った。 モンローという人は、亡くなってからも色々話題を提供してくれる人で、さんざん映画や歌の材料にされているなぁ。 「モンロー・ウォーク」という言葉もまだ死語ではなさそうだしね。あ、でも「モンロー主義」はマリリン・モンローさんとは無関係なので、要注意。......なあんて、おもしろくない冗談だった。久しぶりに書いているから、あまり鋭くないのは許して紅の豚。 「ロック・366」によると、モンローの他に、パット・ブーン、ロン・ウッド、ネルソン・リドルも6月1日が誕生日だ。 あと、あの「サージャントペパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド」も、67年のこの日に発売されたということだ。そういえば、87年にイギリスにいたとき、"It Was 20 Years Ago" というでかい看板をロンドンで見かけたっけ。ポールは、"When I'm 64" の中で歌ったように、「ワイト島に別荘作って孫たち膝に乗せている」ような暮らしぶりなんだろうか。 この日はまた、いろんなことがあった日で、あのブルース・ハープの大御所、ソニーボーイ・ウィリアムソンの命日でもあるし、ロバート・ワイアットが背骨を折った日でもある。 久しぶりに『湿布(←これはないだろう)じゃない、 シップ・ビルディング』でも聴こうかな。 あ、サイモンとガーファンクルの "Mrs Robinson" が、67年のこの日にアメリカのチャートで No 1 になってるぞ。1938年には、"Superman" がアクションコミック社というところからでている。あの人、戦前からいたのか。お、75年には、ローリング・ストーンズがアメリカ・ツアーを開始しているではないか。「ロック・366」は本当に役に立ちますねえ。 2005年、6月1日。穴ジョーさん、久しぶりに日記を書く。 みんな驚く。 ********************* そういえば、タイトルに使っておきながら、『帰らざる河』のことは何も書いていないじゃないか。……と思っているあなた。 僕もそう思います。すみません。 でも、映画のこととか、この主題歌のこととか、きっと誰かコメントで書いてくれますよ。そしたら、レス付けますよ。あ、皆さんの横レスも読めるかな。色々期待しちゃいますよ。 やっぱ、楽天日記は楽しいなあ。
2005.06.01
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“Nobody Knows You (When You're Down and Out)” by the Derek and the Dominos (1970) also by Bessie Smith (1929) 日本語版:『ドツボ節』憂歌団 (1972) 最初に「憂歌団」の LP を手にしたときからしばらくの間、『トンボ節』だと思っていた。(笑) ********************** 70年代に入って、国内アーティストの LP をほとんど買わないまま過ごしていたのだが、何年ぶりかでついに買ったのが「憂歌団」だった。はっぴいえんどの「ゆでめん」以来の画期的な出来事だったのだ。 憂歌団は、当時の日本のブルースバンド、たとえばブルース・クリエーションやウエストロード・ブルースバンドのような、典型的な一群の人気バンドの中にあって、そのアコースティックなスタイルがずいぶん特異であった。僕はすぐさま飛びついてしまった。 そんな彼らの1st アルバム「憂歌団」の中に何曲かあったカヴァー曲のうち、"Nobody Knows You (When You're Down and Out)" の日本語翻訳版『ドツボ節』には、感心してしまった。 この前 "Bell Bottom Blues" のレスでもちょっと書いたけれど、僕はこの「ドツボ」という言葉をそれまで知らなかった。 今でこそ「ドツボにはまる」など日常で使ったりするが、少なくとも、高校卒業まで育った僕の周りでは耳にしたことのない言葉だった。 この言葉は方言だったのか。いわゆる俗語表現だろうけれど、一体どこから来たのだろうか。憂歌団がタイトルに使った頃には、大阪では一般的な言葉だったのだろうか。 どなたかご存じでしたら、ぜひ教えてくださいね。 僕はこの曲は本来 Derek and the Dominos がやっているような、ゆったりとしたテンポの曲だと思っていたから、『ドツボ節』のテンポはかなり早いと思えた。 で、ちょうどそのころ渡米した兄に頼んで買ってきてもらったベシー・スミス(Bessie Smith) の二枚組の中では、彼女は Derek and the Dominos と憂歌団の間ぐらいのミディアム・テンポで歌っている。彼女は1929年にこの曲を吹き込んでいるから、当時このテンポがごく一般的だったのだろう。 それにしても、ずいぶん昔からある歌なんだなあと、それも驚きだったけど、当然オリジナルも彼女だったろう。また、時間があるときにじっくり調べてみたい。 で、この二枚組中開きのベシー・スミスのレコード・ジャケットを開いてみると、結構しっかりした解説が付いていて、"Nobody Knows You When You're Down and Out" のところには、「彼女自身、金で作った友人たちが、売れなくなると消えていってしまったのを目の当たりにしていた頃の歌で、ちょうど自分を歌っていたとも言える」という意味のことが記されている。 何度も繰り返すが、こんな、ブルースそのもののような暗い内容の歌なのに、マイナー(短調)でもなく、いわゆるブルースコードでもなく、明るいコード進行がかえって胸を打つ。 これがさらに40年後の Derek and the Dominos では、あのエリック・クラプトンの声とギターテクニック、そして不可欠なデュアン・オールマンの泣きのスライドギターを得て、不滅の名曲として定着したのだ。 クラプトンがこの曲を Derek and the Dominos のレパートリーに選んだということは、実に興味深いではないか。 二枚組の「レイラ」の LP は、元々のタイトルが "LAYLA and other assorted love songs" で、つまり「レイラ、およびその他ラブソングの詰め合わせ」というわけだが、「かつては百万長者で、今ではドツボに落ちてしまった」ことを歌ったような内容のラブソングというのも、ありかいね。 僕はこう思う。あくまで推測だけどね。 つまり、クラプトンはこの曲をぜひこのメンバーでやってみたかった。言い換えれば、デュアン・オールマンと一緒にどうしてもやってみたかったのではないか。 だから、全然ラブソングでも失恋ソングでもないけれど、大好きなこの曲が選ばれたのではないかと。 どなたかこの辺のことに詳しい人、いませんか。 さて、久しぶりに Derek and the Dominos の "Nobody Knows You (When You're Down and Out)" でも聴いてみようかと思う。これ、『誰も知らない』っていうのね。日本盤だと。 いろいろえらそうに書いたのに、実は「レイラ」の LP 、CD を手に入れたときに売っちゃったんですよね、確か。 後で探してみるけど、いや、たぶん売ったね。 LP だったら、一枚目の A 面の4曲目。最初に手に入れた CD だったら、二枚組だったから、一枚目の4曲目。去年500円で買った CD だったら、一枚に全曲収まっているので、単に4曲目。 そうなんですよ。一枚に収まってしまっているんですよ。 やっぱいいなあ、このイントロ。 ジム・ゴードンのドラムも好きだったなあ。 というわけで楽天仲間の皆さん、二枚組の「レイラ」の CD あまってます。欲しい方は、スタート0円のオークションを開催いたしますので、レスでお申し込みください。 さあ、穴ジョー・オークションだよ~~。 ただし、このオークション、出品者が勝手に打ち切る可能性がありますので、ご了承ください。 それから、個人情報はくれぐれも裏からお願いしますよ。 関連日記:幻泉館主人の去年の11月18日の日記
2005.04.19
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“Have You Ever Loved A Woman”by Derek and the Dominos 1970 土・日、一泊で東京に行って参りました。 4月1日に、上野・秋葉原へ行ったので、今月2度目の東京行きでした。滅多に行かなくなっているので、僕にしてはきわめて珍しいことです。 今年は桜が遅れていて、場所によってはまだ散りきらないソメイヨシノが見られました。ヤエザクラが満開でしたよ。 昨日(日曜日)は時間があったので、ちょっと必要なものを買おうと、お茶の水の楽器屋さん巡りをしました。 ところがお目当てものが見つからず、新宿に移動。 お茶の水は、楽器屋さんが固まっているので、あまり歩かなくてもいいんですが、新宿は数カ所に点在していて、ちょっと歩くのが辛い。 そこで、最もありそうなところから見てゆこうか、それとも一番遠いところから徐々に駅よりに戻るコースを取ろうか、少し迷ったんですが、結局全部見たくなるだろうからと、後者を選択。これが間違いの始まりだった。 駅から一番離れた店は、打楽器の売り場の規模を極端に縮小して、何もなし。 がっがりすると、足は徐々に重くなるが、気を取り直して、一番色々ありそうな2件目を目指す。 ここではいくつか迷うものがあったが、結局買わずに駅の近くまで来てしまった。駅の近くの店には、2週間前に秋葉原に行った帰りに見かけた、今回一番欲しいと思っていたものがあるから、寄っても徒労には終わらないと、幾分ホッとしながら売り場に行くと、・・・ない。目指していたものがない。 店員は、今注文すれば、明後日には入ると言ってくれるが、それならうちから近所のお友達の楽器屋さんに頼んでも同じことだから、注文はせず、小物を買って渋谷に移動です。 I 楽器店が移転して、ずいぶん大規模にやっているようだったので、だいぶ期待して行ってみたら、打楽器は端っこの方で、品揃えも新宿店の方がはるかに充実しています。ここにもなし。 ついていない日には、結局良いことなしで終わる予感が、・・・。 時計を見ると1時半。このあたりで昼飯だね。 渋谷に来て「ムルギー」のカレーを食べるのは、今回の目的でもあったので、迷わず百軒店を目指す。 ようするに、どんなにツイてなくても、これが成し遂げられたら一応は東京に来た意味はあると言い聞かせながら、懐かしいドアを開けた。 もう2時近くなのに、店内はほぼ満席で、若いカップルが2組、やはり若い女性の二人組と、後は一人で来ている若者と中年の男性客が四人ほどだったでしょうか。 いずれにしても若者が多いのは、うれしいです。存続のことを考えるとね。 ここで、ムルギーでの注文の仕方を。 「ムルギー一つ」あるいは「ムルギー大盛り」ね。 決して「カレーライス」とか「チキンカレー」などと言ってはなりません。どうか、覚えておいてください。 数年前にも食べましたが、もちろん味はほとんど変わらぬ昔のままで、ここがある限り、一瞬にして30数年前に戻れてしまう。文字通り、僕にとっては、深い味わいのカレーライスなのです。 「深い」というのは、思い出深いということとか、思い入れが深いなど、様々な個人的なことですけどね。 何だか食べているうちに涙が出そうになって、気がつくと鼻水が垂れかかっていました。けど、駅前でもらったポケットティッシュが役に立ったじゃありませんか。何だかツイて来たと思いません? 食べながらいろいろ思い出していたんですが、すぐそばにあった日本のロック喫茶の草分け「ブラックホーク」で初めて聴いた、デレク・アンド・ドミノスの "Have You Ever Loved a Woman" が、ずっと頭の中で鳴りやまなかったです。 そう、Derek and the Dominos とかクラプトンとかって、ちょうど70年から71年頃の渋谷とつながっているんです。 初めて「ジャンジャン」でブルース・クリエーションを見たときにも、彼らはクラプトンがカヴァーしていたブルースをやっていたしね。思えばあの時の竹田和夫のギターが、生の日本人ブルース・ギターとの出会いでしたっけ。 Derek and the Dominos の "In Concert" というアルバムがその後発売されて、これも「ブラックホーク」で聴いたという記憶があるんですけど。 このライブ盤の方が、ずっと重い感じがするのは、デュアン・オールマンがいないせいなんだということに、ずいぶん後になって気が付きましたよ。 久しぶりにおいしい思いをさせてもらったので、精算を済ませてから、厨房に向かって「ごちそうさま」と大声で言ってしまいました。 いや、ムルギーのカレーは元気が出ます。 後二軒だけ、南口の方にある楽器屋さんに寄る気になりました。足取りもずいぶん軽くなりましたよ。 途中、古書センターはどうなったかなあと思ったら、まだありました。シャッターは降りていましたけど。 そうなんですよ。以前、勇んで行ってみるとよく定休日でね。ほら、東京の古本屋って、日曜日休みっていうのが多いでしょ。神田でも戸塚でもね。ここも日曜が休みなのだ。覚えておいてください。 でも、渋谷古書センターがつぶれていなかったのは、ちとうれしかったな。どうやら、上の方の階は古本屋じゃなくなっているみたいだけど。 目指す2軒の楽器屋さんのうち一件目に、何と今回買う予定だったものがあったんですが、色違いで、ちょっと残念でした。 でもね、もういいんです。ムルギーと古書センターのおかげで、気分がきわめて良好で、腹が立ちませんもの。 いよいよラストのお店です。このお店を最後に選んだ理由は、駅に一番近い。ただそれだけです。 ここは、近くにあった店をギター関係専門にして、打楽器部門が独立した形でビルのワンフロアを使っています。あまり広くはないですがね。 ここにも欲しい物がなかったんですが、それでも最後の店だからと、いろいろ値段調べなどしたり、新製品を眺めたり、試奏する若者の演奏を聴いたり(うまい!)、ちょっと時間をつぶして、さあ帰ろうかと思ったんですが、何となく店員のお姉さんがヘッドを張っているスネアに目が行ったんです。 あの小ぶりのスネアって、12インチかなあ、今回の目的ではないけれど、ずっとYAMAHA の12インチのスネアを探していたので、気になってよく見ると、どうもあのタムホルダーが YAMAHA のようだ。しかも、僕が一番狙っていたタイプのようにも見える。 ヘッドを張り終えたスネアを、お姉さんは、ずらりとスネアが並んだ棚の下の床の上に無造作に放置して、向こうへ行ってしまった。 そこで、おそるおそる近寄ってみると、ああっ!ピーター・アースキンの12インチだ! まさにずっと欲しくて、ここ数ヶ月ネットオークションで待ち続けていたものが、目の前にあるではないか。10インチのものは2度オークションにかかりましたけど、この12インチにはお目にかかったことがなかったんです。 別の店員に思わず声をかけて聞いてしまいました。 「すみません、あのピーター・アースキン、中古ですか」 「はい」 この「はい」に反応して、次の瞬間、思わず「おいくらですか」と聞いてしまったのです。 ちょっと調べてから、なんと、こちらが驚くようなリーズナブルな値段が提示されたではありませんか。オークションの10インチでさえ、もっと高いのに!しかも「ソフトケース付きですよ」のだめ押し。つい「カードでお願いします」と言ってしまったのは、当然ですよね。 滅多に見ないものが見つかったと告げると、店員は「ラッキーですね。たった今入ってきたところです」って。うれしいこと言ってくれるじゃありませんか。 足が棒のようになっても、お目当ての物が手に入らなくても、すべてはこの上ない掘り出し物が手にはいるための、序章だった。 確かにほんのちょっと早くこの店に着いていたら、手に入らなかったかと思うと、無駄な一日に大いに感謝したくなってきました。 ********************** "Have You Ever Loved a Woman" のオリジナルって、誰ですかね。 僕の持っているフレディ・キング版がかなり Derek and the Dominos に近いので、やはりクラプトンはフレディ・キングのやつを下敷きにしたんでしょうねえ。 でも、ライトニン・ホプキンスなんかもやっていましたっけ。 オリジナルは誰か、ジョンリーさん、ご存じですか。 あれれ、今日もつい長くなってしまいました。 皆さんのところにも徐々に伺うつもりではいますので、当てにしないでお待ちください。 Derek and the Dominos の続きは、また今度。
2005.04.18
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“Bell Bottom Blues”by Derek and the Dominos 1970 楽天日記をお書きのよい子の皆さん、こんばんは。 こちらは梅が満開です。杏(あんず)もだいぶ咲き始めました。 桜もまもなくですよ。 特に例年より遅れているという印象はあまりありませんが、実際にはどうなんでしょう。 山の動物たちもそろそろ冬眠から醒めている頃でしょうか。 里にいる僕も、そろそろ永い眠りから覚めないと、花や虫や熊さんたちに申し訳ないですね。 というわけで、ずーっとほったらかしになっていた日記が、今復活した!?のです。 きっと「新着日記」に僕のが突然入って、ビックリしている人も多いでしょうが、別に楽天の不具合ではありませんので、ご安心ください。 いや、それにしてもずいぶん楽天の編集ページが変わってしまって、戸惑っております。 「おすすめ新着」には写真が付いて、一目瞭然になりましたね。けど、皆さんのページでは、僕のどの写真が反映されているんでしょうか。まあ、別にどれでもいいんですけどね。 さて、冬眠期間中のことですが、色々あったとは思うものの、咄嗟に何があったと聞かれても即答できません。 それでも気を取り直してちょっと思い出してみると、音楽関係でいえば、CD が何枚か手に入ったこと、相変わらずネットオークションでドラム関係のものを売ったり買ったりしていること、このところ結構ライブがあって、バンドの方もいろいろ充実していることなどが思い浮かびますね。 そのライブですが、3月下旬と先週土曜日には、クラプトンとビートルズを歌う友人のバックを、我ら The Three Georges が努めました。 去年もこの「わがままライブ」があったんですが、今年は全面的に僕らがバックをやるというスタイルで、かなりの曲数を演奏しましたよ。 何曲かやったクラプトンの中では、一番古いあの名曲 "Bell Bottom Blues" が好きな曲でした。 ********************** 以前にもきっとどこかで書いたとは思いますが、Derek and the Dominos の、おなじみ『いとしのレイラ(LAYLA and other assorted love songs)』のアルバムには、好きな曲が何曲も入っています。 ブルースのスタンダード・ナンバー "Nobody Knows You (When You're Down and Out)" (憂歌団が日本語で歌ってたなあ。『どつぼ節』っていう邦題でね) とか、やはりブルースで、"Have You Ever Loved a Woman?" とか、ジミヘンの名曲 "Little Wing" 、フレディ・キングも歌っている "Key to the Highway" とかね。 オリジナルでは、やはり "Layla『いとしのレイラ』" と、この "Bell Bottom Blues『ベルボトム・ブルース』" だーね、あーた。 "Layla" みたいな有名な曲については、皆さんご存じでしょうし、楽天の中ではしょっちゅう登場する曲でしょうから、今回は端折ります。もちろん、レスで書いてくれる分には大歓迎ですよ。 "Bell Bottom Blues" って、Blues(ブルース) という語がタイトルに付いているにしては、曲がいわゆる12小節のブルースコードが基調の「ブルース」とは違っていて、ずいぶんポップな仕上がりなのがまたいいんです。 もちろん、ド・ブルースの"Have You Ever Loved a Woman" なども、クラプトンの真骨頂が発揮されていますけど、この時期彼は、音楽的には、白人ブルースギタリストから完全に脱皮して、オリジナリティーあふれる曲作りの真っ最中だったのでしょうか。"Layla" 同様、あまりブルース色は感じられない けれど、僕にはとてもクラプトンにふさわしい名曲だと思ったものです。 元々僕は、このレイラのアルバムでもやっている "Nobody Knows You..." のような、「ブルースの人たちがやる、ブルースコードではない明るいコード進行の曲」が好きなんですよね (いまだにこのコード進行の正式な呼び名がわからないのが、歯がゆいです。ジョンリーさん)。 で、話は戻るけれど、"Bell Bottom Blues" は "Nobody Knows You..." のような曲調ではあっても、コード進行は違うし、サビの展開の仕方などにも特徴があるし、クラプトンのハスキーな声と合わせて、とっても良いのよ。 この曲を知らない若い人たちには、ぜひ一度聴いてもらいたいと思うのであります。 ところで、なぜ日記のタイトルが「エリック・クラプトン」ではなく「デレク&ザ・ドミノス」になっているかというのは、僕らの世代の人たちには説明の必要はないでしょうけど、若い人たちはどうでしょう。やっぱ、「どうして、クラプトンじゃないの?」って思うかな。 ま、その辺のところも含めて、後日続きを書きます。 ********************** 久しぶりに再開した日記なので、みなさんに読んでいただくために、簡潔にすっきりまとめてみようと思ったんですが、つい長くなってしまいました。 これに懲りずに、また読みに来てください。関連日記:落語版『愛しのラナ』ベルベッツ
2005.04.15
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“It's My Party”by Lesley Gore (1963) 今日2月15日が誰の誕生日かご存じでしょうか。 はい、うちの愛犬ポチ子(仮名)の誕生日でございます。 それにしても一体いつから犬と言えばポチ、猫と言えばタマというのが日本の常識になったのでしょうねえ。 まあ、そんなことはどうでもよろしい。とにかくうちのポチ子はめでたく5歳の誕生日を迎えたのでございます。 初めてポチ子がうちにきたときは、まだ(両)手のひらサイズで、ひょっとしたら大型犬?と思ってしまうくらいむくむくのぬいぐるみ状態でしたから、一応犬らしくなった今からはなかなか想像しづらいのでございます。 あ、結局両親が小型犬でしたから、やっぱり小型犬でした...。 小さい頃からうちにはたいてい猫がいましたから、ペットのいない暮らしの方が短いのですが、ポチ子は僕にとってのペット犬第1号です。 犬と猫が、人間にとって長い間なくてはならない存在であった理由も飼ってみればよくわかる。説明は不用ですね。 去年、14歳でなくなったうちのタマ子(仮名)と同じように長生きしてもらいたいです。 『涙のバースデーパーティー』って、めでたいポチ子の誕生日にしては悲しいタイトルですけど、前にも書いたように、僕にとって誕生日といえば、断然この曲と、ニール・セダカの『素敵な16歳』なんです。 これが流行った当時、ラジオから流れて来たこの素晴らしい曲に、1発で魅せられたことは言うまでもありません。 しかし、レスリー・ゴーアに関しては、その魅力的な声と、たった一枚のミュージックライフの広告の写真以外に、全く情報がなく、20年近くたってからビデオで見たその姿には、実にびっくりしたのでございます。 何をそんなに驚いたのかって、それがね、……ものすごい「チビ」だったんです。 当時、レスリー・ゴーアの画像として唯一僕が目にしていた『涙のバースデーパーティー』のレコードの広告は、彼女の斜め前を向いた顔だけの写真で、なんだかとても大人の雰囲気を漂わせた、かなり大柄な人を予想させるようなものでした。 しかもあの声でしょ。とてもチビだとは想像できませんよね。 話はそれますが、この人の声っていうのは、以前僕が好きな声の歌手を列挙したときに書いたかどうか忘れていまいましたが、はっきり言って僕の好みです。 さて、去年バザーで手に入れた、クインシー・ジョーンズの“Listen Up, The Lives of Quincy Jones”については、2004年11月16日の日記を読んでいただいた方には、記憶に新しいところだと思います。 実はこの CD の "Pop Medley" というところに、何と! "It's My Party (涙のバースデーパーティー)" が入っていたんですよ。 ということは、この曲にクインシー・ジョーンズが絡んでいたのは間違いないんだろうなあ、などと思っていたんですが、そもそもレスリー・ゴーアを世に送り出したのは、他ならぬクインシー・ジョーンズその人だったんです。 去年ひょんなことから知り合った、近所に住むジャズ通の友人がいまして、ジャズのことだったら彼に聴けばいいというほど、実に詳しいんですよ。 で、彼に、バザーでクインシー・ジョーンズの“Listen Up, The Lives of Quincy Jones”を 150円で手に入れたという話をしたら、こんなものを読んでおもしろかったと言って、分厚いクインシー・ジョーンズの自叙伝(翻訳)を貸してくれたんです。 “Listen Up, The Lives of Quincy Jones”に付いてきたブックレットは当然のことながら英語版で、しかも彼の半生を描いてはいても、映画の再現で、さすがにこの自叙伝の中身には遠く及ばないものです。しかし、クインシー・ジョーンズを知るには、このブックレットと自叙伝の組み合わせが最強だということは、間違いないでしょう。 その自叙伝、寝床で少しずつ読んでいたんですが、ちょうど昨日レスリー・ゴーアのプロデュースをしたところにさしかかったんです。 これも何かの縁。今日日記に書かなかったら、罰が当たりそうで、久しぶりの日記と、相成ったわけでございます。 その中で最も僕の興味を引いたのは、この曲でレスリー・ゴーアをデビューさせようとしていたとき、クインシーは偶然フィル・スペクターと会い、そこでフィルが「今度クリスタルズに『涙のバースデーパーティー』という曲を歌わせる」という。 つまり、この曲は既にできていて、誰がそれを使って誰に歌わせるかというのは、あとからだったということがわかったのです。 もちろんこの時は、クインシーの勝ちでした。 それにしてもなんて幅広いんだろう、クインシー・ジョーンズって。レスリー・ゴーアのプロデュースもしていたなんて。
2005.02.15
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“Goin' out of My Head”by Sergio Mendes & Brazil 66 1966Original: Little Anthony & the Imperials 1964 今日は朝からセルメンです。 セルメンですよ。セルメン。 え?…顔洗って出直して来たのかって? ……ひょっとして、センメン(洗面)と間違えた? あれれ、英語だと思った人もいるの? Sell Men「男を売る」とか、「面を売る」すなわち「顔を売る」とか。 セルジオ・メンデスとブラジル'66 というグループがいたでしょ。長いから略して、セルメン。 モームスとか、ミスチルとかみたいにね。 そうそう、正確にはセルメンは、セルジオ・メンデスさんのことで、セルジオ・メンデスとブラジル'66 の親分さん(越後さんと同じ名前ですね)。元々はジャズピアニストだよね。だから、バンドはブラジル'66 (読み方は "ブラジル六十六") と呼ぶ人も多かったですね。 あれ?もしかして、セルメンって、こういう省略の仕方で呼ばれた最初の人たちかもしれないなあ。 サイモンとガーファンクルだって、サイガーなんて呼ばなかったし。 あ、いたいた。……パラキン。僕の日記ではおなじみですね。ダニー飯田とパラダイスキング。 あ、もっと前の人がいた。……エノケン。榎本健一ね。 元祖はこのあたりでしょうかね。 でも、外国のバンドではこの人たちが元祖かなあ。 他にどんな省略バンド(やミュージシャン)あったっけ。皆さんに訊いてみたいです。 さて、セルジオ・メンデスとブラジル'66 (以下セルメン) ですが、ボサノバ好きの皆さんには、きっとこの人たちを評価しない人が多いんじゃないかしら。カヴァーモノ中心で、口当たりがよいから、玄人受けはしないでしょう。そういえば、同じ A&M のカーペンターズも、ジャンルは違うけれど、似たような存在だったかもしれませんね。 とくに、今はいろんな昔の音源や、土着的ブラジル音楽が簡単に手に入って、冷静に比較検討ができたりするから、余計にこの手のものは評価が下がる傾向にありそうな気もしますが、どうでしょう。 でも、僕らには、この曲『君に夢中』がはいったデビューアルバムが出た頃には、新鮮で大人っぽくて、ものすごくかっこいいサウンドに聞こえたもんです。 とくにこの『君に夢中』は、初めて聴いたときに、心にも頭にも響いて、抜けなくなってしまった曲です。 セルメンさんはさすがにピアニストだけあって、このバンドではかなりピアノが全面に出てきますが、決してイヤミなところがなく、この曲でもイントロと間奏のピアノが実にいいです。 イントロのフェイドイン気味のピアノソロは、シンプルなリズムを刻むだけのものなのに、これが効果的ですね。だんだん盛り上げていきなりブレイクして、何が始まるんだ?と思わせておいて、そっとささやくようにはいる女声ボーカル。 全体にこの人たちの強弱は極端で、ちょっとやりすぎじゃないのと思われる曲もあるんですが、この曲ではそれがかっこよく決まっていて、ついうっとりする箇所がこのイントロ以外にもまだある。 特に、サビでの、あの繰り返しのあとにおとずれるこの曲の最大の盛り上がりポイントですね。 たいていの他の曲同様、この曲も女性二人のユニゾンボーカルで進んで行って、ここから男性バックボーカルも入り、一番ボリュームも増すんですが、……♪ Goin' out of my head over you Out of my head over you Out of my head day and night Night and day and night Wrong or right I must think of a way Into your heart There's no reason why My being shy Should keep us apart この "♪ I must think of a way~" ですよ。 一瞬ここだけバックが抜けて、女性一人だけのボーカルで、しかもシャウトしてね。そのシャウトもふつうにシャウトするんじゃなくって、若干ためらいがちにふるえるような声でシャウトするのね。そのあとは徐々にささやきに変わってゆく。 ここでしびれなきゃ、どこでしびれるってえくらいのもんで、こういうことって、そうそうあるもんじゃない。 同じことをもう一度エンディング近くにやるんだけど、その時はまた歌い方が違うんだよね。シャウトを押さえ気味にしているんです。 "♪ a way~" のところでかかっていたバイブレーションもかけないでね。 だから余計に最初の "♪ I must think of a way~" が印象的です。 こういうのって、アレンジの勝利って言うんでしょうか。 でも、そのアレンジに見事に答える歌唱力と演奏技術に、ただただ脱帽ですね。 けだるさと明るさ、危うさと力強さを、同時に備え、まさにセルメンの真骨頂です。 今でも十代の頃聴いたときと同じ感動を与えてくれる曲に感謝です。
2005.01.31
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『はるかなる影』 1970 カーペンターズ" (They Long to Be) Close To You" CarpentersOriginal by Dionne Warwick 1963(*「救出」については、左の用語解説を参照のこと) うちの近くの BOOK OFF によく似た店では、このところあまり良い出会いがなかったんです。何しろ正月に大物を逃してしまってね。 まあ、ちょっと聞いてよ。 久しぶりにまとまった小遣いが入ったので、正月の7日、去年から目を付けていた、スタイル・カウンシルの DVD をこの店に買いに行ったんですよ。 そしたら、……ない! 3ヶ月もずっとぽつんと棚に入っていたスタイル・カウンシルが、ない! この時はちょっとショックでございましたよ。 もちろんスタカンの DVD ですから、「救出」を待つような安価なものではなく、普通に安かっただけなのでございます。つまり僕にしてみれば高かったと…。 別の店にあったベスト盤の CD は去年のうちにポケットに入っていた小遣いで買えたんですけど、この DVD は去年のうちにはちょっと買えなかったんです。 「ちゃんとまとまったお金が入ったら、その時はあれは僕のものになる」と、ずっと言い聞かせていたから、買いに行って、なくなっていたときのショックはひどいもんでした。 それでもね、気を取り直して BLONDIE の DVD 買いましたよ。もっとも、これは「救出」ですね。500円でしたから。 え?DVD で500円は、何かの間違いだろうって? いや、そんなことはないんですよ。ホントに500円だったんです。 今流行りのワンコイン・シリーズかって? そうじゃありませんよ。『トムとジェリー』じゃあるまいし。 正真正銘の BLONDIE あのデボラ・ハリーのブロンディーですよ。 何か裏があるんじゃないかって? いや、オフィシャル盤ですよ。ただし、米国盤ね。 それじゃ、リージョンが違うから見られないだろうって? はいはい、そのとおり。普通の DVD プレーヤーではね。でもね、こういうこともあろうかと、僕は「リーフリ」のプレーヤーを買ったのだ。「リーフリ」つまり「リージョン・フリー」ってえことね。 で、ブロンディーの感想ですが、実はまだ見ておりません。今日か明日にでも見たいとは思っていますけど。なにしろ、デビューしたての頃の「ビート・クラブ」の映像だからね。期待はでかい。 これからも、リージョン違いには、つい期待してしまいますが、あまり流通していそうもないし、どんなもんでしょうねえ。 さて、本題。今回の「救出」は皆さんご推察の通り、カーペンターズでございます。 いわゆるベスト盤で、2枚組の "Yesterday Once More" というタイトルのものです。294円(本体価格280円+消費税14円ということね)でした。 今まで、この店での「救出」の対象は、ほとんどが輸入盤でした。ここにおける輸入盤は、かなりひどい扱いを受けていますので、僕の「救出」の機会も多かったわけです。 この2枚組も、ジャケットを見る限りどこにも日本語はなく、いろいろ書いてある最後には、Printed in the U.S.A. ですからね。これは紛れもなく、米国盤だ。まあ、そんなことは僕にはどうでもよいので、即買いです。何しろ294円だから。 ところが家に帰って開いてみたら、なぜか丁寧に歌詞カードが入っているではないか。おお、米国盤にしては、親切よのう。よかよか。と、歌詞カード広げると、"CARPENTERS YESTERDAY ONCE MORE" の下に、カタカナで「カーペンターズ イエスタデー・ワンス・モア」ですって。 みなさん、これってあれですか。よくブルースの復刻版なんかで、輸入盤に日本語の解説付けて売ったりする、何て言うんでしょう、つまりあとから歌詞カードだけ印刷して挟み込んだっていうことなのかしら。 それにしても掘り出し物でしたよ。27曲入っていますから、ヒット曲は大体網羅しているでしょ。 ところで、告白タイム~~。 カーペンターズって、ほとんどわかりませ~ん。 あ、有名なヒット曲とか、もちろんわかります。でも、この二人組、あまり興味を持って聴いた経験がないんです。 でも、デビュー曲の『はるかなる影』は、大好きだった。 あ、いや、今でも大好きな曲です。たしか、僕が東京に出て行った次の次の年ぐらいに流行ったのだ。ヤマハがやっていた東京音楽祭の第1回目の時に来て、この曲歌ったんだよね。カレンがドラム叩きながら歌っていたと、見に行った友人が話してくれたっけ。 バカラックとハル・デイビッドのコンビは、やはり凄かった。 前にも書いたと思うけど、同じ頃流行った B.J.トーマスの『雨に濡れても』とかハーブ・アルバートの『ジス・ガイ』など、どれも全部良い。 で、この曲は1970年のリリースだから、その頃書かれたもので、オリジナルはカーペンターズだと、すっと思っていたんだけど、僕の持っている『永遠のポップス1.』という楽譜集では、1963&1969なんて書いてある。 仕方ないから、Yahoo UK にとんで調べてみた。 どうやらオリジナルは、あのディオンヌ・ワーウィックが歌ったらしいが、シングルでは発売されなかったということなので、彼女のアルバムに入っているということなのだろう。63年っていうことは、"Don't Make Me Over" の頃だろうか。 でも、知らなかったなあ。ディオンヌ・ワーウィックが歌っていたなんて。 これはぜひとも聴いてみたいものだ。 疑惑さんとか I さん、もしかしたら持っているかなあ。ひょっとして、去年借りたバカラック何枚かの中に入っていたかなあ。
2005.01.23
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“Daydream Believer”by The Monkees (1967) 15日、新しいスネアがやって来たんです。 新しいといっても、新品ではありません。例によってインターネット・オークションで落札したんですよ。 左の "Drums" の一番下に、"Ludwig-2" というのができているのにお気づきでしょうか。 え?…今、気づいたですって…?! それはいけない。早速クリックして、その美しい姿をご覧ください。 どうでしたか?…ね!かっこいいでしょ。 Ludwig (ラディック) のスネアといえば、ブラック・オイスターなきあとも、14x5 (単位はインチ) を2台 (メタルとメープル1台ずつ) 持っているのですが、今回我が家にやってきたのは、ずっと欲しかった14x6.5 で、材質はメープル。シルバー・スパークルという実にきらびやかなカラーのカバリングが施されています。 木目を活かしたラッカー仕上げの 14x5 と実に好対照で、用途に合わせた使い分けも、更に楽しくなりそうです。 音は思った通り素晴らしいもので、スチールとは一線を画す、メープル独特のふくよかさを備えていますね。従って、どんなジャンルにもしっかり適応できる柔軟性があるように思えます。 6.5 インチというサイズは、一応「深胴」に属するので、どちらかというとロック向きで、あまりジャズでは使わないようですが、このスネアに関しては、チューニングも容易で、ジャズだろうが演歌だろうが、何ら問題なく対応できますね。 とにかく、大いに気に入っています。 さて、このスネアで初めて叩いた曲はといえば、そうなんですよ。モンキーズ。おなじみの "Daydrem Believer" でした。 別に深い理由はありません。ただ、モンキーズの CD が、ドラム部屋のラジカセにたまたま入っていたからなんです。去年のクリスマスのライブでやったから、その時練習したままになっていたんですね。あはは…。 僕がこんな誰もが知っているような曲を採りあげるなんて、滅多にないことですから、タイトルで驚いた人もいるかもしれませんが、こういう訳だったんですよ。 モンキーズがデビューした当時僕らは高校生で、彼らはアイドルバンド。ましてやアメリカが、売ることだけを目的に作り上げたビートルズの猿まねバンドだったわけで、特に熱狂するような対象ではなかったけれど、その歌の中には、なかなか名曲がありましたね。 中でも、この曲と『自由になりたい(I Wanna Be Free)』は好きでした。どちらもキャッチーなメロディーとデイビー・ジョーンズの声が印象的で、今でも時々聴きたくなりますね。 "Daydrem Believer" という曲で当時一番驚いたのは、作詞作曲がキングストン・トリオのジョン・スチュアートだったということでした。何しろあのフォークのキングストン・トリオですからね。ほら、僕が中学生の頃にレコードを買ってさんざん覚えた『花はどこへ行った』の、あのキングストン・トリオですよ。とは言っても、ジョン・スチュアートが三人のうちのどのおっさんだったかは知りませんが。 いわゆるモダン・フォークの騎手といわれた彼らの歌からは、こういった曲は想像が付きませんでしたから、結構驚いたもんです。 イントロがいいですよね。なんだか寝言をつぶやいていますが、それに続くピアノ…。 それからあの歌い出しは、歌詞とメロディーのマッチングが秀逸ですよね。ここだけは歌詞カードなしでも聞き取れますもんね。 ♪ Oh, I could hide beneath the wings Of the bluebird as she sings The six o'clock alarm would never ring …ってなもんですよ。初めてでも歌えちゃいそうですよね。 あとはあの耳に残るリフレイン。少々うるさいくらいです。 ♪ Cheer up sleepy Jean, oh, what can it mean To a daydream believer And a homecoming queen この曲を歌っていたデイビー・ジョーンズは、その後イギリスに戻ってパブのオヤジになったと聞いたことがあるんですが、本当のところはどうなんでしょうか。 どなたか、ご存じでしたらフォローをお願いします。 ********************** あ、そうそう皆さん。前オーナー様は、結婚を期にこの大事にしていたスネアを手放すことにしたんだそうですよ。 そんなわけで、前オーナー様。ラディック、大切に使わせてもらいますから、どうぞ安心して、ラディックに注いだ愛情を新しいお相手にお分けくださいね。 あとのことは僕が引き受けましたから、どうぞお幸せに。 Cheers!
2005.01.18
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