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“マーラーズ・パーラー(Mahler’s Parlor)” by PANTA 1976 PANTA(パンタ)が逝ってしまった。 PANTAは僕と同学年の早生まれ(1950.2.5生)だから、享年73。まさに他人事ではない気がして焦る。彼が闘病生活をしていることを知らずにいたのは不覚だった。 あまりに突然のことに感じたのは、てっきり元気に演奏活動しているとばかり思っていたからで、もっとどんな様子だったかは知っておくべきだった。こういうことには心の準備が必要だと、つくづく思う。 たまたま去年の2月5日が土曜日に当たり、ラジオで頭脳警察とPANTAの曲をがけてから、まだ1年5ヶ月しか経っていないのが嘘のようだ。ちょっと長いけれど、7/15の放送でも『マーラーズ・パーラー(Mahler’s Parlor)』をかけてしまった。僕の中でソロになってからのPANTAで一番好きな曲だから仕方ない。 とにかく、冥福を祈るばかりだ。 去年の2月10日にPANTAの思い出をちょっと書いたので、そちらを合わせて読んでいただければ幸いです。↓ 2022.02.10の日記「Panta (パンタ) 72歳」 今日もまたこれ↓を聴くとしますか。 “マーラーズ・パーラー(Mahler’s Parlor)” by PANTA 1976 そして、7月16日にはジェーン・バーキンが亡くなった。享年76。 ロンドン生まれでフランスで活躍した、可愛い人だった。どうか、安らかにお眠りを。 22日のラジオでは、この中↓から1曲選びますね。 ********** さて、テニスのウィンブルドン大会、男女シングルス共に先月の全仏がどうも自分の中で盛り上がらなかったんですが、その分今回の決勝は面白かったですね。特に男子のアルカラス(20歳)の優勝は見事でした。4時間半を超える死闘を、つい全部見てしまった。 いわゆる BIG4 以外の優勝は21年ぶりというからやはりとんでもない快挙だ。 そして車椅子テニス。やはりやってくれましたね。小田凱人(Tokito Oda)くん、ストレートで地元イギリスのヒューイットに勝っての優勝ですよ。これで全仏に続き四大大会二連勝。何しろまだ17歳ですから、今の強さが続いたら、とんでもない記録が生まれそうですね。楽しみです。とにかく怪我だけはないようにしてもらいたいと、ただそれだけです。 ********** 7月15日放送の「穴沢ジョージの “Good Old Music”」のオンエア曲です。今月の歌とリクエスト曲以外はロンドン出身ミュージシャン特集 (第2弾) のつもりでしたが、そうでもない内容になってしまいました。特に「今月の歌」が収まりきらなくて申し訳ありません。次週、2回分お届けいたします。1. Desperado (Linda Ronstadt) 2. Young Love (Tab Hunter) 3. My Special Angel (The Vogues) 4. Mahler’s Parlor (PANTA) 5. What Am I Doin Here with You (Twinkle) 6. The Kids Are All Right (The Who) 7. Itchycoo Park (The Small Faces) 8. A 13, Trunk Road to the Sea (Billy Bragg) 9. She (Elvis Costello) リクエスト曲は、3.酋長Kobaさん。ありがとうございました。 上記以外は穴沢選曲で、1.はこの日がリンダ・ロンシュタットの誕生日(1946.7.15生,77歳)で。2.は先週かけた’56年のソニー・ジェームスとの聴き比べで、’61年にカヴァーしてヒットしたタブ・ハンターヴァージョンで。4.は7/7に亡くなったPANTAを偲んで。5.~9.はテニスのウィンブルドン大会に合わせて、ロンドン出身の歌手の歌とロンドンで結成されたバンドの歌を。Twinkleは正確にはロンドンの西に隣接したサービトン出身です。 以上です。次回も英国特集(第2弾)の予定です。
2023.07.19
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“キューティ・パイ (Cutie Pie)” by Johnny Tillotson 1961 (日本語版) by 伊東ゆかり 1963 1963年のカレンダーが今年と同じなので、この年の8月31日にどんな曲が流行っていたのか、ちょっと調べてみましたが、やはり夏の曲が多かったですね。 同じ年の8月に東京で売れたレコードと比べてみても面白かったですよ。 ジョニー・ティロットソンの『キューティ・パイ』は、本国では61年の発売。B面だったせいでヒットはしませんでしたが、日本では63年に大変売れました。伊東ゆかりのカヴァーもとても良かった。素敵な歌ですよね。 何度聴いても「キューリ・パイ」に聞こえるのも、アメリカ訛りだと知るのに随分時間がかかったものでした。本当に当時は、こういうことを教えてくれる人が周りにいませんでしたね。 何しろ、中学1年の英語の教師は、「l(エル)」と「r(アール)」の区別も教えてくれませんでしたから。 “キューティ・パイ (Cutie Pie)” by Johnny Tillotson 1961 ********** 全米オープン、ベスト4が出揃いましたね。 錦織くんに続いて、大坂なおみさんも負けてしまった。 特に大坂さん、今回は決勝まで行けるのではないかと思わせておいて、苦手のベンチッチに割と簡単に負けてしまったとこなんかは、彼女らしいといえばそれまでだけど、ちょっと残念。 もう少し体を絞って、全豪に備えてもらいましょう。 準決勝のベンチッチとアンドレエスクが楽しみですね。 男子はやっぱりナダルで決まりという感じでしょうか。 台風13号の影響で、風が強いです。雨も雨戸を打ち付けていますが、それほどひどい様子ではありません。とりあえず、いつものようにやり過ごせば、明け方には少しは収まるでしょう。 皆さんもどうぞお気をつけて。 ********** 8月31日の穴沢ジョージの “Good Old Music” のオンエア曲です。1. So Much in Love (The Tymes) 2. Candy Girl (フォー・シーズンス) 3. ワイプ・アウト (サファリーズ) 4. Surf City (ジャンとディーン) 5. Green Green (ニュー・クリスティ・ミンストレルズ) 6. Till I Waltz Again with You (テレサ・ブリューワー) 7. 太陽に歌って (ゲール・ガーネット) 8. 恋の合言葉 (モンキーズ) 9. キューティ・パイ (ジョニー・ティロットソン) 10. 暑い夏を吹っ飛ばせ (ナット・キング・コール) 11. ミスター・ベースマン (ジョニー・シンバル) 12. ヘイ・ポーラ (ポールとポーラ) 13. 渚のデート (コニー・フランシス) リクエスト曲は、5.ウィンカー・ダッソーネさん。6.座波ソーメンさん。7.与那原コスモスの西銘さん。8.ミスターコーラさん。以上、ありがとうございました。 上記以外は、すべて穴沢選曲です。1.~5.は、1963年8月31日付 Bilboard Hot 100 で下降中の曲です。流石に8月の最終日、夏らしい曲が多かったですね。ちなみに、5.の “Green Green” は、いただいたリクエストが63年の曲で、偶然その時下降中の曲だったんですよ。また、9.~13.は、同じく1963年の8月中に東京で最も売れたレコードの中から選曲しました。日米の違いは当然で、当時は随分遅れてアメリカの情報が入ってきましたからね。 では、次回もよろしく。
2019.09.06
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“I Can’t Explain” by The Who 1965 5月19日の穴沢ジョージの “Good Old Music” オンエア曲です。1. #54 When I Get Thru’ with You (Patsy Cline) 2. #45 夢の渚 (エルビス・プレスリー) 3. #35 涙ながらに (ジョニー・ティロットソン) 4. I Can’t Explain 5. Barbara Ann (以上、The Who) 6. ワイルドで行こう (ステッペン・ウルフ) 7. Puppy Love (ポール・アンカ) 8. 霧の中の二人 (マッシュ・マッカーン) 9. #32 Playboy (マーヴェレッツ) 10. #30 セコハン・ラブ (コニー・フランシス) 11. #9 愛さずにはいられない (レイ・チャールズ) 12. #1 白い渚のブルース (アッカー・ビルク) 6.~7.がリクエスト曲。6.シュガーさん。7.ミスターコーラさん。8.座波ソーメンさん。リクエストありがとうございました。 上記以外は、穴沢選曲。4.&5.はピートタウンゼントの誕生日(1945.5.19.生、73歳)に合わせて。残りは全て1962年の5月19日付 Cash Box Top 100 の中から赤丸急上昇曲とNo.1 の曲をお届けしました。曲名の前に順位を記してあります。 以上、次回もお楽しみに。 ********** いつ頃からか、知らないうちにテレビのスポーツ解説者が平気で「有効的」と言うのを耳にするようになって、近頃では何度も耳について気になって仕方ありません。 最初、「ゆうこうてきなパスを出した」というような言い方をサッカーの解説者がした時、一瞬、相手チームに「友好的な」パスを出したんかい?と、思ってしまった。 響きからしてすでに変だと分かるわけだけれど、なぜ「効果的」と言わなかったのか、その方が不思議だった。 「有効」はそれ自体形容動詞だから、「的」を付けたらおかしいでしょうに。 「静か」に「的」を付けるとおかしいのとおんなしですよ。 「効果的」と言いなさい。 以前はいわゆる「ら抜き言葉」がずいぶん気になったものでした。 僕は今でも自分ではこの「ら抜き言葉」は使わないことにしていますが、テレビに出てくる人の半数くらいの人が平気で「見れる」「居れる」「着れる」「起きれる」などと言っていますね。 今となっては市民権を得た言葉遣いだという人もいるようですが、馴染めません。 そういえば、若い頃勤め先にアルバイトで来ていた大学生が、「来る」の否定を「こない」ではなく常に「きない」と言っていて、これは方言なんだなと勝手に思っていました。何しろ大学生ですから、正しい言い方を知らないはずはありませんからね。 で、どこの出身か聞いてみたら、東京都北区でした。しばらく混乱してしまいましたが、北区の方言だとすれば問題ないわけだと思った次第です。 後に、埼玉県では「きない」と言うのだと知り、北区も荒川越えれば埼玉だから、言葉の相互乗り入れはあったんだろうと、納得しました。 もう一つ。鼻濁音ですが、これはもう関西の人たちには説明しても無駄かもしれませんね。 初めて吉田拓郎の歌を聴いた時に、助詞の「が」の音が耳について仕方ありませんでした。 そもそも、日本列島のある地域を境にして、そこから西の方面には鼻濁音は存在しないのだとその頃知ったわけです。 でもね、鼻濁音は鼻濁音で、どんな時でも使ってしまうのは、やはり一種の方言というべきなんでしょうか。 たとえば、アフガニスタンの「ガ」を、僕は子供の頃から鼻濁音で発音していたので、今でも気が付くと鼻濁音になっていることがある。ニューギニアの「ギ」とか、シカゴの「ゴ」なんかもそうだ。 やっぱ、外来語の「ガギクゲゴ」はほとんどが鼻濁音にはならないですよね。 でも、周りが皆そうだったので、何の抵抗もなく使っていましたね。 言葉は変遷するのが世の常だということはわかっているつもりですが、使い慣れない言葉遣いが増えて来たのが、自分が年をとったせいだと割り切らないことにしています。 こんなことばかり考えていたらキリがないです。“I Can’t Explain” by The Who 1965
2018.05.20
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“落ち葉のコンチェルト (For the Peace of All Mankind)” by Albert Hammond 197310月10日は「目の愛護デー」でしたから、“穴沢ジョージの Good Old Music” では、前半はリクエスト曲をかけましたが、後半はタイトルに「Eye や Eyes の付いた曲」を特集しました。オンエアした曲は次の12曲でした。 1. 花はどこへ行った (キングストン・トリオ) 2. 落ち葉のコンチェルト (アルバート・ハモンド) 3. Hello It's Me (トッド・ラングレン) 4. 魔法を信じるかい (ラヴィン・スプーンフル) 5. マシュ・ケ・ナダ (セルジオメンデス&ブラジル66) 6. 恋の片道切符 (ニール・セダカ) 7. Dark Eyes Twist (ベンチャーズ) 8. 夢見る瞳[Dreamy Eyes] (ジョニー・ティロットソン) 9. 片目のジャック[One Eyed Jack] (ジョニー・バーネット) 10. I'll Close My Eyes (ジョニー・ソマーズ) 11. 恋のキラキラ星[When the Love-light Starts Shining through His Eyes] (シュープリームス) 12. 君の瞳に恋してる[Can't Take My Eyes Off of You] (フランキー・ヴァリ)1.~6.がリクエスト曲。1.旧友の tougei さんから。これは僕もレコードを持っていました。2.糸満ろまんさんとミスターコーラさんから。秋の定番ですね。邦題のおかげですかね。3.小禄の新垣さんから。大変渋いところで、良かったです。4. ミスターコーラさんから。ラヴィン・スプーンフル!ビューティフル!5.大度のブッチーさんから。久しぶりのセルメンでした。6.ケンちゃんの奥さんから。まさしくオールディーズの王道ですね。7.~12.が、目の愛護デーに因んで「Eye や Eyes の付いた曲」の特集。の8.が1958 年で、それ以外は全部 60 年代の曲でした。番組の性質上ということもありますが、僕がみなさんに聴いてもらいたい曲ということでこうなったと思ってくださいね。さて、随分涼しくなって参りました。みなさん、お身体にはお気をつけて。 ********** 秋になると、アルバート・ハモンドの『落ち葉のコンチェルト (For the Peace of All Mankind)』が聴きたくなるっていう人は多いようですね。かく申す私もその一人。 原題 (訳:すべての人の安寧のために) と邦題の乖離についてはいろんな人が思っているとおりで、話題にするようなことでもなさそうですが、ただ、この邦題についてはひと言「上手い!」と言っていいんじゃないでしょうかねえ。 原題だけでなく、内容ともこれだけかけ離れた邦題なのに、秋になるとこの曲を思い浮かべるんですから、ものすごいことです。 そもそも、アルバート・ハモンドの『カリフォルニアの青い空』と『落ち葉のコンチェルト』を知らない人っているんだろうか。大変素晴らしいメロディー・メイカーだったんですね。 “落ち葉のコンチェルト (For the Peace of All Mankind)” by Albert Hammond 弘田三枝子さんのカヴァーもあったんですが、この曲はやっぱり「男」の歌だと思うんですよね。 “落ち葉のコンチェルト (For the Peace of All Mankind)” by 弘田三枝子
2015.10.15
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“Time of the Season (二人のシーズン)” by the Zombies 1969残念なことに、三週連続訃報です。Ben E. King が、4月30日亡くなりました。ご冥福をお祈りします。永遠の名曲 “Stand by Me (スタンド・バイ・ミー)” だけでなく、ドリフターズ時代の数々のヒット曲も含めて、後のミュージシャンに多大な影響を与えたのは言うまでもありません。先週土曜の “穴沢ジョージの Good Old Music” では、特集を組むかどうか迷いましたが、結局 “Stand by Me” をバックで流しながら、ゲストと話すという形になりました。Ben E. King に関しては、いずれまたじっくり取り上げようと思っています。さて、そのゲストですが、はるばる信州から「疑惑のジョージ」さんがサモサさんを連れてやって来てくれました。で、疑惑さんと僕は話し出すと止まらない危険性があるので、杏さんにブレーキ係をお願いして、久々ににぎやかな「お友達大作戦」となりました。最初に皆さんから頂いたリクエスト曲を3曲、そのあと、以前疑惑さんたちとバンドでやった曲を5曲かけて、それらにまつわる話などしているうちにあっという間に時間となってしまいました。まだまだ話し足りない感じでしたし、曲ももっとかけたかったですね。疑惑さんとサモサさんには、また沖縄に来ていただいて、続きをやりたいと思いますので、よろしくお願いします。お送りしたのは次の8曲です。 1.雨に消えた初恋 (カウシルズ) 2. Lady Madonna (ビートルズ) 3. Needles and Pins (サーチャーズ) 4. One Boy (ジョニー・ソマーズ) 5. すてきな16才 (弘田三枝子) 6. Silence Is Golden (フォー・シーズンス) 7. 二人のシーズン (The Zombies) 8. So Much in Love (The Tymes) 1. 2. 3. が、今週のリクエスト曲。1. は糸満ろまんさん、2. が旧友の tougei さん、3. がミスターコーラさんからでした。3. と4. の間に、“Stand by Me” を流しながら、ちょっとおしゃべり。4. ~ 8. は、以前バンドでやった曲の中からの抜粋です。4. ~ 6.は、疑惑さん選曲。7. 8. は、穴沢選曲です。以上、放っておくとつい話が暴走してしまう、“穴沢ジョージの Good Old Music” でしたが、お楽しみいただけましたか。 ********** ゾンビーズの『二人のシーズン』っていう曲は、実に彼ららしい見事な作品でしたね。 印象的なあのイントロも、おなじみのオルガンの間奏も、そしてかっこいいコーラスも、この曲がやはり彼らの集大成だったんじゃないでしょうか。 カーナビーツのお陰もあって日本でヒットした『好きさ好きさ好きさ (I Love You)』以来の大ヒット曲となりましたが、この人たちのセンスの良さは、今更言うまでもありませんね。 ちょうどフラワームーブメントが一段落しかけた頃ですから、その辺りの影響は歌詞にも反映されているのでしょうが、曲の持つ彼ら独特の英国らしい暗さが、魅力の根源にあると思うのは、僕だけでしょうか。 楽天仲間のとっちさんも絶賛していますからね、ゾンビーズ。 とりあえず、今日も聴いてみましょうか。 “Time of the Season (二人のシーズン)” by The Zombies 5月2日は、忌野清志郎の命日でしたね。今回1曲もかけなかったので、近いうちに Ben E. King と一緒に特集しようかなあ。 清志郎の歌う “Stand by Me” も結構いいですよ。 “Stand by Me” by 忌野清志郎
2015.05.07
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“I'll Never Find Another You” by The Seekers 1964一昨日の “穴沢ジョージの Good Old Music” いかがでしたか。前半にリクエストを全部で5曲、いつもながら番組の性質を理解していただいている皆さんのグッドな選曲のおかげで、曲順決定も実に上手く行きました。・・・と、自画自賛しておりますが。後半は、ちょっとした「リバプール対マンチェスター」の一戦と、それに続き最後は2曲の "Another You" を。というわけで、次のような曲目でお送りしました。 1. アイドルを探せ (シルビー・バルタン) 2. Georgia on My Mind (レイ・チャールズ) 3. 風に吹かれて (ボブ・ディラン) 4. Summertime (ジャニス・ジョプリン) 5. ハロー・リバプール (カプリコーン) 6. マンチェスターとリバプール (ピンキーとフェラス) 7. 恋の特効薬 (サーチャーズ) 8. Just One Look (ホリーズ) 9. I'll Never Find Another You (The Seekers) 10. There Will Never Be Another You (Chet Baker)1. ~ 5. がリクエスト曲。1. 大度のブッチーさん。2. tougei さん。3. 糸満ろまんさん。4. 八重瀬のカツオさん。5. ミスターコーラさん。以上、リクエストくださった皆さん、ありがとうございました。5. がリバプールの歌だったので、そこからはちょっと連想ゲームのような選曲になりました。6. と 5. の共通点は「どちらもイギリスのグループで、女性ヴォーカルをフィーチャーしている。そして日本で売れた」と、ここまではいいんですが、本国では売れなかったバンドであることも付け加えさせてもらいました。7. は、リバプール代表。8. は、マンチェスター代表。9. と 10. は、2曲の "Another You" で、どちらも大好きな曲です。以上が、 3月7日の “穴沢ジョージの Good Old Music” でした。では、次回もおたのしみに。 ********** ジャズをやる人たちの間で、"Another You" といえば、スタンダードナンバーとして有名な “There Will Never Be Another You” のことだと知ったのは、以前軽井沢であったジャズ合宿の時だった。 もちろん長いタイトルだから縮めて言ったりするのはよくあることだけど、"Another You" やりますって最初に言われた時、えっ?シーカーズ?って、一瞬思ったりしたもんでした。 当然、ジャズのセッションで、シーカーズの “I'll Never Find Another You” はやらないわなと思ったら、 “There Will Never Be Another You” が始まったんですよね。ああ、そりゃそうだと、納得。 ジャズの方の "Another You" は、曲が良いので誰のものもいいんですけど、僕はどうしてもチェット・ベイカーがすぐに頭に浮かびます。 良いですねえ、若き日のチェット・ベイカー。 もちろん晩年の枯れた感じも素敵ですが、まだ若いのに既に枯れ始めているかと思わせる独特の乾いた感じは、誰にも真似できるもんじゃありません。 で、このことはトランペットと声の両方に当てはまるから不思議です。 もう既に何度か書いたことかもしれませんが・・・。 シーカーズの "Another You" は、1964年当時にそれほど日本では流行らなかったせいか、邦題の『恋はたったひとつ』はあまりなじみがない。こちらを使えば紛らわしくないし、そんなに長くもないけれど、たぶん『ジョージー・ガール』が流行った頃に、ついでに良く聴いたときには、原題の方を耳にしていたような記憶が・・・。 “I'll Never Find Another You”、これがまた名曲でね。かなりいろんな人がカヴァーしていますよ。 ジュディスの張りのある声と、12弦ギターの音を前面に出した演奏。まさにシーカーズの真骨頂のこの曲が、ダスティ・スプリングフィールドのお兄さんのトム・スプリングフィールドの作品だと知ったのは、つい去年のことだった。 前回ちょっと触れた Dusty と Tom の兄妹がやっていた The Springfields は、きっとシーカーズのようなバンドだったんでしょうね。 Dusty は、オーストラリアからツアーでイギリスに来ていたシーカーズが気に入って、彼らのために曲を書くように進言して、この曲が生まれたということです。 知らないことばかりですよ。まったく。 いずれにしても、この2曲 "Another You" 。永遠に歌い継がれるのは間違いありません。 “There Will Never Be Another You” by Chet Baker “I'll Never Find Another You” by The Seekers
2015.03.09
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“Sixteen Cubes of Sugar” by Brian Hyland 19612月7日の「fm たまん」 “穴沢ジョージの Good Old Music” は、いかがでしたか。前半はスタジオに来てくれたゲストの皆さんが、大いに盛り上げてくれましたが、オールディーズを期待していたリスナーの皆さんにはちょっと我慢していただくことになりましたね。でも、後半はしっかりいつもの “穴沢ジョージの Good Old Music” に戻りましたね。ゲストに来ていただいたのは、糸満在住の16歳のラッパー “The Sho” と、レゲエDJ で Friewnds Abroad 糸満支部の「たましん」さん、そして“The Sho” くんと同じく Friewnds Abroad で学ぶ、ショウエイくんの3人でした。先週とは打って変わってとてもにぎやかなスタジオになりました。今回は次のような選曲になりました。 1. Who I Am (The Sho) 2. Friends Abroad [うちなーぐち] (ラコルド) 3. Chill Der Fxxk Out (The Sho) 4. Only Sixteen (Sam Cooke) 5. Sixteen Cubes of Sugar (Brian Hyland) 6. Sixteen Candles (The Crests) 7. You Really Got a Hold on Me 8. Baby It's You (以上、The Beatles) 9. 遥かなるアラモ (ブラザーズフォー) 10. Bye Bye Baby (フォーシーズンス) 1. 2. 3. は、ゲストの持ってきた CD からの曲で、1. 3. が何とラップ。僕の番組でかかる可能性はほぼないと思われるジャンルで2曲もかけちゃいました。2. は、去年の11月29日に、アルベルト城間さんが番組に出てくれた時に持ってきたCD の曲 “Friends Abroad” ですが、このたび5カ国語でそれぞれ別のアレンジ、別のアーティストで録音された6曲入り CD (最後にインストヴァージョンも入っている) ができて、それを持ってきてくれました。で、「たましん」さんのおすすめ、うちなーぐち (沖縄方言) ヴァージョンをかけました。それにしても “The Sho” くん、しっかりした自分の考えを持っていて、とても16歳とは思えない。それにカナダ生活が長かったり、ピースボートにも乗ったりしているので、英語が完璧でしたよ。4. ~6. は、ゲストの “The Sho” が16歳なので、出演記念に16歳関連のオールディーズ・ナンバーを聴いてもらおうと・・・。7. 8. は、今週の掘り下げコーナー。ビートルズのアメリカ上陸が、1964年の2月7日なのを記念して。初期のカヴァーモノを。9. 10. は、定番オールディーズ・ナンバーのエンディング2連発。今回はリクエスト曲ですよ。9. がミスターコーラさん。今回はブラフォーで。10. は杏さんから「ベイシティーの曲のオリジナルを聴いてみたい」とのことで。以上、今回で17回目の “穴沢ジョージの Good Old Music” でした。来週はバレンタインデーだぞ~。聴いてくださいね。 ********** 16歳の頃を思い出してみると、背伸びして幼さばかり目立つ自分に赤面してしまう。 今時はどうだか分かりませんが、当時の自分の実感としては、男の10代なんてまだまだ。25でもゴミみたいなもんですよ。 それに反して、女の人は随分早く大人になるもんだなあと思っていました。 女の子は、19ぐらいまでは信用しない方が良いと知ってからは、逆に二十歳になったら女性は大人になるとも思ったものです。 あ、これはもちろん大いに個人差があるので、あくまで平均的な日本人はこんなもんかなという程度のことなんですけどね。 で、欧米はというと、この日本の19の女の子が16ぐらいに下がるんだと思います。 たとえば、おなじみニール・セダカの『素敵な16歳』では、こんな感じ。 ♪ You've turned into the prettiest girl I've ever seen Happy birthday sweet sixteen 見たこともないようなきれいな女の子になっちゃって 誕生日おめでとう 素敵な16歳さん ブライアン・ハイランドの “Sixteen Cubes of Sugar” というなかなか素敵な歌があります。邦題はそのまま『16個の角砂糖』で、パラキンが日本語訳で歌っていましたね。 この歌も16歳になった女の子に向って、将来は結婚したいと男の子が歌っている内容なんですが、こんな歌い出しです。 ♪ Sixteen cubes of sugar On a gown of pink and white 16個の角砂糖 ピンクと白のドレスに付けて ここでの角砂糖がまさか砂糖そのものをさしているとは思えませんが、その角砂糖が「あと二つ増えたら」つまり18歳になったら結婚しようと言っています。 「ヘイ、シュガー!」とか言うその sugar から来ているんでしょうかね。この角砂糖は。 近頃角砂糖ってお目にかかる機会が少なくなりましたね。 子供の頃は普段から家にあるようなものではなかったので、大変貴重なもののような気がしていましたが、箱入りではなく袋入りで安く売られるようになった頃から、見向きもしなくなった気がします。 今はスティック・シュガーに取って代わってしまったんでしょうか。 角砂糖を時々懐かしく思うこともありますが、砂糖自体、特に白砂糖は、健康のことも考えてか、その立場は微妙です。 とはいえ、僕は紅茶には砂糖を入れますし、コーヒーでも入れることが多いです。子供の頃、甘いものは御馳走だったからね。 “Sixteen Cubes of Sugar (16個の角砂糖)” by Brian Hyland
2015.02.11
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“I'd Rather Go Blind” by Rod Stewart 1972 (Original by Etta James 1967) パスタブログの、穴沢です。 あ、もしかすると本気にする人がいるかもしれませんね。 IOC総会で「汚染水の影響は、港湾内で完全にブロックされている」と強調してしまった首相の安全宣言。前首相の「収束宣言」以来の、まさかのビックリ発言でしたが、なにしろ、時々こういうのも本気にしてしまう善良な市民が大勢いるらしいですから、・・・。 あら、なんの話だっけ。いきなり逸れてる気がします。 そうそう、パスタです。 けっして、パスタブログではないんですが、パスタのこと書くと、読んでくれる人が結構いるんですよ。つまり、客寄せパスタか。ん? 先日、作り置きのミートソースを食べたんですが、これを「スパゲッティ・ボロネーゼ」っていうんだと知ったのは、初めてイギリスに行った時のことでした。 で、どうなんだろう。 みなさんは普通に「ミートソース」と呼びますか。 それとも、「ボロネーゼ」派? 例によって、自分でトマトから作るんですけど、20代の頃から作っているので、今更レシピがどうの、調理法がどうのと、あれこれ考えることもないんですが、常に同じ味になるというわけではありません。 その時のトマトがどういうものか、例えばちゃんと木で熟したものか、店頭で赤くなったものかだけでも、大きな差が出るのは間違いないです。が、良いトマトはなかなか手に入りにくい。いっそのこと、水煮缶 (最近は紙パックもある) の方が良いとも言えるかな。 で、今回のトマトは、庭で熟したミニトマトをソースにしたものと水煮缶のミックス。 実はね、庭で熟したと言っても、かなり酸味が強くて、水煮缶の手助けをあおいだ次第。 その作り置きのミートソースをZiplock に入れて冷凍しておいたやつを、フライパンで温めて、パルメザンチーズ、トマトペースト、オリーブペースト、それからアルペンザルツを少し加えて味を整えました。 いつもならマッシュルームを入れるところを、良いモノが手に入らなかったので、地元産のアワビ茸にしたら、ちょっと食感がいまいちでした。次回は、キノコはどうしようかと思案中。 僕のミートソースで最大の特徴は、タケノコを細かく切ったものを入れるところだと思いますが、これも今回のものはちょっと柔らかすぎて、何だか物足りない感じでした。 う〜〜ん、こんな風に考えてみると、ミートソースも奥が深いぞな。って、素材の問題だけですが。 僕らの若い頃には、パスタって、言いませんでしたよね。 スパゲティーって、言ってました。あ、スパゲッティじゃなくて、スパゲティーね。はねないし。ティーとティの違い。コンピューターもコンピュータですか。 しかも、ナポリタンかミートソースでしたよね。 時々イタリアンなんていうのがあると、あれは何だろうって思ったものでした。で、注文してみたら、結局ただの塩味でしたっけ。 それと、今みたいに注文してからゆでるなんていうんじゃなくて、大量にゆでておいて、注文分だけフライパンで温める方式でしたから、アルデンテもクソもない。そうは言っても、使っている麺とゆで方によって差がなかったわけでもありませんがね。まあ、それでも大抵が太い焼きそばか、細いうどんみたいなもんでしたよ。 友達がバイトしていた喫茶店で、7人前のナポリタンの注文が入って、でっかいフライパンで苦労して作っていたのを思い出しました。 高校生の時に、土曜日が半ドンだったから、帰りに時々街の食堂でナポリタンを食べたことも忘れられない思い出ですが、なぜかミートソースって、食べた記憶がありません。他の店でもね。 後にレストランでバイトするようになって、初めてそこのミートソースを食べた時に、こんなにうまいもんだったのかと、思ったものでしたけど、その後、それ以上にうまいミートソースには出会っていません。どこのものもトマト味がほとんどなくて、デミグラスソースやグレービーソースみたいな、茶色いのが多かったように思います。缶詰のミートソースは、酸味が強すぎたり甘過ぎたりして、まるで別物だしね。 20代の後半、もうとっくにそのレストランはなくなっていましたが、あのミートソースが食べたいなあと思って、当時のチーフコックに電話をして、大体の作り方を教わったんですよ。 つまり、僕のミートソースは、その時のレストランの味に限りなく近いものなんです。 タケノコを入れるのは、このレストランのナポリタンに入れていたのを応用したんです。 ちょっとパスタ食べるだけでも、いろんな記憶が蘇ってきます。だから、パスタブログになっちゃうんでしょうか。 ま、いいか。 また、ミートソース作っておきますから、食べに来てくださいよ。 ********************** さあて、昔よくロック喫茶で聴いたアルバムが手に入りました。CDですけど。 Rod Stewart の “Never a Dull Moment” このB面は、ほとんどカヴァーですけど、名曲揃いでしょ。 特に、“I'd Rather Go Blind” なんか、涙無しでは聴けません。 が、後にこの曲のオリジナルを聴いた時には、本当に参ってしまいました。 Etta James の凄さを知ってしまったからね。これこそ涙モノです。 先日、NHK-BS で『キャデラック・レコード』やってましたね。偶然見たんですけど、ビックリな映画でした。ロックンロール黎明期の Chess Record を舞台にした、本当に良くできた作品でした。興味のある人はいろいろ検索してみて。 その中に、Etta James も出てくるんですが、ビヨンセが演じた Etta は、実にすばらしかった。ここでも、“I'd Rather Go Blind” 歌ってますから、機会があったら、ぜひぜひ見てください。 結果的には、オリジナルとビヨンセの “I'd Rather Go Blind” を絶賛してしまったような格好ですけど、最初にこの歌を教えてくれたのは、ロッドくんなので、彼にも感謝したいところです。 “Never a Dull Moment” のB面は、あのジミヘンの “Angel” で始まるっていうのも大事なとこですね。「きのう、天使が空から降りて来たんだ・・・」っていうあの名曲ですが、アレンジがとてもいいので、みなさんもきっと気に入ってくれるでしょう。 あと、“I'd Rather Go Blind” の入った Etta James のアルバムって、結構少ないので、買う時には気をつけてくださいね。僕は、3枚組のアンソロジーを入れて、全部で4組持っていますが、80年代に初めて買った寄せ集め盤にしか入っていません。 ********************** 最近、体調だいぶ良いです。ご心配いただいたみなさんには、本当にいろいろありがとうございましたと言いたいです。 では、Buon Appetito! 聴き比べてみよう↓↓↓ “I'd Rather Go Blind” by Rod Stewart” “I'd Rather Go Blind” by Etta James” “I'd Rather Go Blind” by Beyonce”
2013.09.19
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「『歌をおしえて』っていう歌を教えて?」「うん、わかった。こんな感じだよ・・・」 ♪ 歌をおしえて(ややや~や) あなたのうたを(ややや~や) いつも口ずさむの あのメロディー(やややややや) ・・・と、ここまでは正しかったんですけど、次が微妙に違ってました。 ♪ ひとりの時に(ややや~や) 思い出したい(ややや~や) 感じていたいのよ あなたのこと この「♪ ひとりの時に…」は「♪ ひとりでいると…」だと思っていました。さて、サビです。 ♪ 優しいムードで~ ちょっとブルーな~ だけどもあなたが~ 歌うと素敵 あ、「♪ だけどもあなたが~」だったんですね。「♪ けれどもあなたが~」じゃなかったんですね! ♪ 歌をおしえて(ややや~や) あなたのうたを(ややや~や) いろんな思い出を 秘めてる歌 この1番の最後は「♪ 感じていたいのよ あなたのこと」って、歌っていましたよ。 申し遅れました。以前も書いたように、ジャパニーズ・ポップス史上忘れることのできない名曲、作曲:宮川泰、作詞:安井かずみ、伊東ゆかりの歌った『歌をおしえて』ですよ。 1960年代の数ある名曲の中でも、これと中尾ミエの『おんなのこだもん』(作詞・作曲は、やはり安井かずみ・宮川泰)は、傑出していると思います。 ********************** そうなんですよ。もう何ヶ月も前のことですけど、ひょんなことから、この曲の音源が手に入ったんです。40年来の懸案事項だったので、あまりにあっけなく手に入って、拍子抜けしていますが、こんなものなのかしらねえ。 CD のタイトルは(長いよ)、「伊東ゆかり プレミアム・ベスト~60カラットの愛の歌~」で、全60曲。3枚組です。 以前書いた日記の中で、僕は「全部歌える」と豪語したのですが、上で書いたとおり、細部に何カ所か、微妙に言葉遣いの違っているところがありました。 2番に至っては、ほぼ全面的に記憶の底に沈んだままになっておりました。ま、要するにすっかり忘れていましたよ。けど、メロディーは正確に覚えていたので、許してやってください。 そういえば、「歌詞は覚えているけど、メロディーは忘れた」というものはないですよね。その逆はきわめて多いけど…。 2番のサビは好きなのでちょっと聴いてください。 ♪ 耳元をすぎる~ 夜風のように~ 甘く聞こえたの~ あなたの声が CD の解説は伊東ゆかり自らが書いていて、この『歌をおしえて』については、「1964年のレコーディングだそうですから、もう40年以上たつんですねぇ。以後ずっとお世話になる、安井かずみさんと宮川泰さんの作品です。アメリカン・ポップス風のコーラスがキュート。」ですって。まるで他人事みたいで、笑っちゃいますよね。 レコーディングが1964年というのは、記録があるんでしょうから正しいんでしょうけど、僕はこの曲ができたのはその前年だと思うので、勝手に1963年としておきました。土曜の午後、学校から走って帰って来て、カバンを放り投げ、急いでテレビのスイッチを入れて「森永スパークショー」を見ていたのは、中学2年のことだったので、・・・。これは間違いないと思いますよ。 そう、この歌はその「森永スパークショー」の「今月の歌」みたいなコーナーで初めて歌われたんですよね。中尾ミエの『おんなのこだもん』もそうです。 ところが一つ困ったことが…。それは、確信が持てないんだけれど、何だかもう1曲、やはり伊東ゆかりでとても気に入っていた歌があったような気がするんですよね。もしかすると、全然そんなものはなかったかもしれません。でも、万一思い出せたら、またそのときは書かせてもらいましょう。 ********************** もうひとつ。二月ほど前ですけど、今度は「ミエ・まり・ゆかり 3人娘 CD-BOX」という6枚組のボックスセットがネットオークションであまりに安く出ていたんで、買ってしまいました。しかも新品で。 この中の「伊東ゆかりベストコレクション」には、『聞いちゃった歌っちゃった泣いちゃった』という聴き覚えのない曲が入っていたんですよ。で、解説読んだら、なんと!『歌をおしえて』のB面の曲ですって それと、この曲は3人娘全員が別々にレコーディングして、中尾ミエは『おんなのこだもん』のB面で、園まりだけA面でリリースしたそうです。どの程度売れたのかはわかりませんけど、なかなか思いつかない企画ですよね。 でも、このボックスセットの「伊東ゆかりベストコレクション」には『歌をおしえて』が入っていない! なぜなんだろう。 そもそも「ベストコレクション」で20曲は、少ないんじゃないの。 ・・・しかし、値段が値段でしたし、珍しいものがたくさん聴けましたから、おおむね満足しております。 関連日記:60年代音楽クイズ(日本篇-2)(←『歌をおしえて』初出 ) ☆正解日記(日本篇-2)(←『歌をおしえて』解説あり )
2008.10.03
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“Love Letters”by Ketty Lester 1962 Original by Dick Haymes 1945 9月23日は何の日だったでしょうか。 お彼岸の中日。秋分の日。昼と夜の長さが同じ日。・・・まあ、いずれも正解ですよ。 ただ、僕はなぜか「23日だから、ふみの日だ」というのが頭に浮かんだら、それが離れなくて・・・。というのも、例のビッグマン君の訃報をいただいたのに、まだ返事を出していなかったから。 えっ!3ヶ月も返事出さなかったんですかっ! そうなんですよ。もう、ただただ呆れてしまうばかりでしょ。 そこで思いついたのが「ふみの日だから、今日書こう」だったんですよ。実際には一日遅れて24日に書いたんですけどね。 言い訳するのもみっともないですけど、最近はどんな連絡でもほとんど eメールでしょ。手紙を書く機会は本当に減りました。 一番最近出した手紙は何だったのかさえ思い出せない。今年は暑中見舞いも出さなかったので、年賀状が一番最近出した郵便でしょうか。 そもそも「ふみの日」なんて、20年ぐらい前に当時の郵政省の主導で始まったわけで、それほど国民に浸透しているものでもなさそうだけど、どんなことにかこつけてでもいいから返事を出さなくちゃと思うあまり、とっさにしがみついたような次第です。 ********************* 古今東西、手紙の歌はたくさんあるけど、僕が一番好きな手紙の歌と言えば、"Love Letters (邦題:ラブレター)"。それも、Ketty Lester (ケティ・レスター) のやつが最高だね。 いろんな人にカヴァーされていて、親しみやすい素敵な曲だから、知っている人も多いね、きっと。 一番最初に聴いたのがいつのことなのかはぜんぜん覚えていないけど、プレスリーのカヴァーより前からケティ・レスター版は耳にしていた。もちろんラジオから聞こえていたんだろうと思う。 でも、ケティ・レスターの名前はずいぶん後になって FM の番組か何かでようやく覚えて、エアチェックしたカセットにやっと名前を書けたのを記憶している。 2~3年前こと、インターネットでケティ・レスターのことを調べていたら、この歌が彼女のオリジナルではないということがわかった。ちなみにオリジナルは Dick Haymes (ディック・ヘイムズ) で、作曲はあの Victor Young (ビクター・ヤング) だった。 問1:このことを知ったとき僕のとった行動を推察しなさい。 答え:何ぃ!ケティ・レスターがオリジナルじゃないだとぉ? と叫んで、さっそく Amazon で Dick Haymes を検索し、CD を2枚注文した。 問2:届いた Dick Haymes の CD で、真っ先に正調 "Love Letters" を聴いた穴ジョー君の反応は? 答え:やっぱ、ケティ・レスターのが一番やね! オーケストラをバックに、ソフトボイスで語るように歌うディック・ヘイムズは、まさに40年代を代表するクルーナーだ。しかし、やっぱりピンと来ない。どこか物足りなさが残ってしまう。 ソウルフルに歌い上げるケティが声で勝っているとかそういう話ではない。どちらの声もそれぞれに素晴らしい。 では、ディック・ヘイムズのオリジナルとケティ・レスターのカヴァーの一番の違いはどこでしょうか。 これはあまりにもはっきりしているなあ。 つまりアレンジですよ。 ビクター・ヤングの書いたメロディーがとても良いのは言うまでもないけど、オリジナルの4拍子に対して、8分の6拍子にアレンジされているケティ・レスター版の見事さは、オリジナルを聴いてこそ再認識できた。イントロの、ピアノが奏でる印象的なメロディーが、まさにいつ聴いても心にしみ入るように響いてくるのも、バラードだけど弾むようなこの8分の6のなせる技。 その後いろんな人がカヴァーしているが、皆このケティ版を踏襲していて、イントロのメロディーもそのまま使っているのも興味深い。 そうだ、そういえばペギー・リーのベスト盤にも入っていたっけ。アレはどんなアレンジだったろうと思って、久しぶりに聴いてみた。 ほーら、やっぱりね。ケティ・レスター以前は、ディック・ヘイムズと同じで4拍子なんだ。だからあまりピンと来なくて、いつも聴いていたいと思わなかったから、忘れていたんだね。 もう1枚、ジュリー・ロンドンのベスト盤に入っているのは8分の6で (というよりジャズワルツというべきか)、こちらは好きで、良く聴いているなあ。やっぱ、8分の6がいいよ、この曲は。 あ、そうそう、ジュリー・ロンドンのはケティ・レスター同様1962年の録音なんだけど、そういえば、この曲の作詞をした Edward Heyman (エドワード・ヘイマン) がジュリー・ロンドンの夫だったって、どこかで以前読んだことがあるぞ。 ということは、あれかい。つまり、ケティの名アレンジ盤を聴いたエドワード・ヘイマンが、ジュリーに「おい、Love Letters 8分の6で歌いなよ」とか言って、「ええ、わかったわ」ってなことになって、その名も "Love Letters" という LP が出来ちまったのかい。 いや、これは当たらずといえども遠からずかもしれないなあ。 まあ、真相究明はいずれ暇が出来たら、ゆっくりさせてもらいましょう。 ♪ あなたの心から直接届く愛の手紙 離れていても二人をこんなに近づける 夜もひとりぼっちじゃない あなたの書いた愛の言葉があるから この「手紙」を携帯やパソコンに届いた「メール」に置き換えれば、今時の "Love Letters" なんだろうか。でも、もし置き換え可能だとしても、これはあくまで1番についてだけ言えることで、2番を読んでみると、この歌が手紙時代のものだと言うことがよく分かる。 ♪ 一行残らず暗記しちゃうよ それからあなたの署名に口づける そしたらもう一度最初から読み返す あなたの心から直接届く愛の手紙をね この2行目ね。♪ And I kiss the name that you sign... やっぱ、口づけるのは手紙じゃないとね!もちろん直筆の署名だからね。つまり、ダイレクト便だね。♪ ...straight from your heart だからね。 メールって、ほら、手書きじゃないわけだし、プリントアウトでもしない限り、画面というかハードディスクというか、そういうものの中に保存されることになるでしょ。タイプライターで一文字ずつ打ち出して行くっていうのとも違うしね。 それに、プロバイダが間に入ってるし、何となく誰かの手を経由して来るみたいな感じがするっていうか、誰かに見られてるんじゃないかって思ってしまうことはないかい。監視されているっていうかさ。 でも、いろいろ言ったって、手紙時代は去ったね。これからはハードディスクさんとどうやってつきあって行くかだね。けど、手紙という手段が完全になくなったわけではないから、場合に応じて使い分けも可能ということで・・・。 ところで、この "Love Letters" という歌は、そもそも男性が歌ったわけだけど、ディック・ヘイムズやプレスリーよりも、ケティ・レスターやジュリー・ロンドン、アリソン・モイエなんかの女性陣の歌の方が断然心に響くのは、なぜかいな。・・・単に僕が男だからだろうか。 みなさんは「手紙」の歌っていうと、どんなの思い浮かべますか。教えてください。 (文中訳:穴沢) ********************* 先日「ねんきん特別便」っていうやつが届きましたよ。でもあれって、結局自分で全部調べ直さない限り、向こうでは何も分かっていないっていうことですよね。僕のような波乱にとんだ (?) 生き方してると、思い出すのも無理な部分が多すぎて・・・。職場も住所も転々としてるからなあ。記録というのも苦手だったしなあ。 それと、わざわざひらがなで「ねんきん」って、なんでしょう。目立たせているつもりでしょうか。「ゆうちょ銀行」みたいで、あまり好きになれません。あれも「郵便局」のままでいいのにねえ。
2008.09.28
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“Route 66” by Chuck Berry (1961) Original by Nat King Cole (1946) 一昨日は、イチローがヒットを打つところを見たくて、大リーグ中継 (シアトル・マリナーズ vs ロサンゼルス・エンジェルス) を見ていたら、ある政党の総裁選挙の特集をやるからと、いきなり放送が終了してしまった。 まだ6回の表だったかな、イチロー君はノーヒットで、いよいよ後半に入ろうっていうところだったのに!何てこった、ホントに。 腹が立ったので、もちろんテレビは消して、カードリーダー買いに出かけましたよ。 そういえば、野球中継の中でプレーオフの話になって、アナウンサーが「ロサンゼルスはドジャースも出てくる可能性がありますからねえ。そうしたらプレイオフでハイウェイ・シリーズということも考えられますねえ」というようなことを言っていた。 なにぃ~、ハイウェイだと~~。 このハイウェイはルート66のことに違いないぞ。 つまりシカゴ・カブス対ロサンゼルス・ドジャースの対戦が実現すれば、 ♪ Travel my way, Take the highway that's the best... ♪ It winds from Chicago to LA,... だからね!これぞまさに「ルート66・シリーズ!別名:ハイウェイ・シリーズだ」などと、話の前置きを聞いていなかった早とちりな僕は、とっさに思い込んでしまった。 だが待てよ、…そういえば再三エンジェルスが地区優勝したって言ってたなぁ。それに、有名なサブウェイ・シリーズはニューヨーク・メッツとニューヨーク・ヤンキースがインター・リーグで対戦することを意味するのだから、2000マイル以上離れた2球団じゃなくて、在ロサンゼルスの2球団、すなわちエンジェルス対ドジャースのことなのか。…なんて考えていたら、2000マイルが一気に1マイルぐらいに縮まっちゃったみたいな気がして、急にシラケちゃいました。 まあそれでも念のため Google さんのお世話になって、確認しておきましょう。 というわけで、若干苦労しましたが、見つかりましたよ。 Yahoo! Sports の MLB のページで、インターリーグについて Jeff Passan という人が "Suggestions to make interleague play better" という記事を書いていて、その中に次のような記述がありました。 The simple idea: Better rivalriesOK, we've got the Subway Series, North Side vs. South Side, the Beltway Series, L.A.'s Freeway Series, the Highway Series (I-70 for St. Louis-K.C. and I-71 for Cleveland-Cincinnati), the Bay Bridge Series, the Lone Star Series and the biggest of 'em all this year, the Sunshine Series. いくつかよく分からないのがありましたから更に調べると、BC SPORTS の Futon Report: MLB's Interleague Play ? Hot or Not? という書評の中で、次のような分かりやすい一覧に遭遇しました。 The Subway Series (Yankees-Mets) The Battle of the Windy City (Cubs-White Sox) The Freeway Series (Angels-Dodgers) The Buckeye Series (Reds-Indians) The Sunshine Series (Marlins-Devil Rays) The Great White North Series (Brewers-Twins) The Lone Star Series (Astros-Rangers) The Show Me Series (Cardinals-Royals) Canada's Past vs. Present (Blue Jays-Nationals) The Earthquake Series Rematch (A's-Giants) どちらか一方にしかないシリーズもあり、結局よくわからないものもありましたが、大体把握できましたね。 そうですよ、あなた。このNHKのアナウンサーは、フリーウェイ・シリーズ (L.A.'s Freeway Series あるいは The Freeway Series) のことをわざわざ日本人に分かりやすく、ハイウェイ・シリーズって言い換えたんですよ。余計なお世話だっつうの。 でも、これですっきりしましたよ。ロサンゼルスの2球団、アメリカン・リーグの Angelsと,ナショナル・リーグの Dodgers によるインターリーグ対決のことを、フリーウェイ・シリーズというのでした。 で、ハイウェイ・シリーズっていうのは、ハイウェイI-70号 沿いのセントルイス・カージナルス対カンサスシティ・ロイヤルズ、あるいはハイウェイI-71号沿いのクリーブランド・インディアンズ対シンシナティ・レッズのことだったんだ。 I-70、I-71の"I" は Interstate Highway System (IHS) の頭文字で、州を超えて国内に広がる高速道路網のようです。つまりこの場合の Highway は高速道路ですから、米語は厄介です。 ま、とりあえずハイウェイシリーズについては一件落着ということでよろしいでしょうか。 ********************** 前にも書いた気がするけど、ここ数年、ネットオークションと Amazon のおかげで、うちの CD コレクションは以前と比べると飛躍的に充実して参りました。まあ、いろいろとっちらかって収拾がつかなくなっているという事実も一方にはあるわけですが。 そんな中、2年ほど前 (だったと思う) チャック・ベリーの米国CHESS盤のアルバムを2枚、ネットオークションにて安価に手に入れましたが、どちらにも『ルート66』が入っていたんですよ。 それまで持っていた「チャック・ベリー・オリジナル・スーパーヒッツ26」という、文字通り26曲入りの国内正規ベスト盤にも入っていなかったから、チャック・ベリーの『ルート66』を聴くのは初めてでしたよ。 2枚のうち、一方は "MORE ROCK 'N' ROLL RARITIES" で、おなじみの "Rock 'n' Roll Music" や "Sweet Little Sixteen" なんかも入っているけど、珍しい曲が多いです。 もう一方が特に僕の気に入りの1枚で、1961年3月発売の LP の復刻盤 "NEW JUKE BOX HITS" 。しかし、タイトルとは裏腹にジュークボックスに入るようなヒット曲がこの中から1曲も出てはいないが、これが実にオススメ盤であるのだ。 選曲はブルース中心で、なかなか渋い曲が多く、ジャケットもそのままなのが嬉しい。 ついつい夜中に一人で聴きたくなってしまうのだ。 元祖ロックンロールのチャックベリーについては、"Jonnie B. Goode" ぐらいは知っていたけど、僕らの世代は、ほぼ間違いなくビートルズの "Rock 'n' Roll Music" 経由で聴いたんですよね。 ビートルズのかっこいいアレンジに比べると、やけにぺらぺらで息抜きタイプのロックンロールに聞こえたもんでした。 そんなチャックベリーの歌う『ルート66』は、やっぱり誰のものより脱力系で、これはこれで好みです。 ストーンズの1st. の CD のライナーで越谷政義氏が「ナット・キング・コールやTVテーマからのリメイクではなく、ストーンズのアイドル、チャック・ベリーがLP<NEW JUKE BOX HITS>の中で取り上げていたものをカヴァーした」と書いていました。 これは間違いないと思いますが、チャック・ベリーの方はピアノ伴奏がかなり前に出ていて、当時のロックンロールらしい仕上がりなのに対して、ストーンズはピアノ無しのギターバンドの音になっているのだ。
2008.09.14
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“Route 66” by Nat King Cole (1946) Also by the Rolling Stones (1964) 先日、近くのライブハウスで友人のピアノトリオのライブがあった。後半がセッション・タイムで、僕もちょっと叩かせてもらったりしたが、大変よい雰囲気で楽しかった。 セッションで『ルート66 (Route Sixty-six)』が歌われたとき、ベースマン氏が MC で「歌詞に都市がいくつ出てくるかわかりますか」と、クイズのように言いながら、結局よくわからなかったので、今回ちゃんと歌詞を読んでみた。 では改めて、久々の文中クイズです。 Q. 『ルート66』の歌詞には都市がいくつ出てくるでしょうか。 とりあえず歌詞を追いながら都市名が出てきたらチェックしてみましょう。 まずは1番から。 ♪ If you ever plan to motor west, Travel my way, Take the highway that's the best Get your kicks on Route 66. 車で西部に行くなら ハイウェイが絶対おすすめ 66号線はわくわくどきどき ハイウェイったって、高速道路じゃないよ。いわゆる「街道・国道」の類だね。アメリカ映画で良く出てくる町と町を結ぶ、あれだね。この "Get your kicks..." っつうとこがかっこいいんだよね。 ♪ It winds from Chicago to LA, More than two thousand miles all the way. Get your kicks on Route 66. うねった道はシカゴからLAまで 全長2000マイル以上 わくわくしますよ66号線 出てきましたね。まず、(1)シカゴ、(2)ロサンゼルス。 ついついアメリカ大陸のハイウェイだから、どこまでもまっすぐな一本道かと思いがちだけど、地図で見ても分かるように、さすがに一直線というわけには行かないようだね。 ♪ Now you go through Saint Looey Joplin, Missouri, and Oklahoma City is mighty pretty. You see Amarillo, Gallup, New Mexico, Flagstaff, Arizona. Don't forget Winona, Kingman, Barstow, San Bernandino. サビです。ぞろぞろ地名が登場します。 (3)セントルイス、(4)ミズリー州ジョプリン、(5)オクラホマ・シティー、(6)アマリロ、(7)ニュー・メキシコ州ギャラップ、(8)アリゾナ州フラッグスタッフ、(9)ウィノナ、(10)キングマン、(11)バーストウ、(12)サンバーナーディノ。 セントルイス (Saint Louis) は、元来フランス王から取った地名だから、わざわざフランス語読みにして最後の "s" の音を省き。 Looey と表記しているのは、洒落てるなあと思うと同時に、Looey と Missouri で韻を踏ませるためだと分かる。 シカゴのあるイリノイ州から、ミズーリ、カンザス、オクラホマ、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナを経て、ロサンゼルスのあるカリフォルニア州まで、全部で8州をつなぐ66号線ですが、歌の中に全州が出てこないのは、やはり脚韻との関係もあるからだ。 ♪ Won't you get hip to this timely tip: When you make that California trip Get your kicks on Route 66. この最新情報しっかり頭に入れておこう カリフォルニアに旅するんだったら 66号線で楽しもうってね ☆文中クイズの答え、 はい、もうおわかりですね。全部で12都市が登場しました。 お疲れさま。 (文中訳...今回は結構ひどい訳でした...:穴沢) ********************** 70年代に入ってから、ローリング・ストーンズの!st. と 2nd. を相次いで手に入れた。1st. はアメリカ・ロンドン盤を正式に国内盤でリイシューしたもので、その安さに思わず飛びついて、即買した。2nd. は英国デッカの直輸入盤で、どちらもすり減るほど聴いたものだ。 その 1st の B面3 曲目に『ルート66』が入っていたのを知ったときは、かなり驚いた。で、90年代の中頃、ストーンズのデッカ盤・ロンドン盤のオリジナルが CD で復刻された時は、更に驚いた。デッカの1st. の1曲目が『ルート66』だったんですよ、あなた。 『ルート66』といえば、僕らにはテレビドラマですっかりおなじみの曲だったわけで、ジョージ・マハリスの声が今でも頭に響きますよ。でもね、ストーンズの『ルート66』、これがまた良いんですよ、ホント。まだ聴いたことのない人はぜひどうぞ。何しろストーンズのデビューアルバムのA面の1曲目ですからね。 こういうスタンダード・ナンバーですから、いろんな人に歌われていますけど、誰の『ルート66』が好きですか。 僕はストーンズの他にも・・・。あ、この話題、次回に回してもいいですか。長くなりすぎて誰も読んでくれないと困るので。 では、お休みなさい。
2008.09.10
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“La Plus Belle Pour Aller Dancer” by Sylvie Vartan (1964) しばらく書かないうちにお盆も過ぎて、吹く風が秋です。 いろいろあった夏でしたけど、驚いたのは甲子園。慶応が出てきたね。2年前には早実のおかげで『都の西北』を何度も聞いたけど、甲子園で『塾歌』が聞けるとは夢にも思わなかった。ありゃ名曲だね。♪ ああっ我が義塾、慶応 慶応 慶応・・・ってね。一方『都の西北』は、♪ 早稲田 早稲田 早稲田 早稲田 早稲田 早稲田 早稲田・・・7回も連呼しているのか。 ♪ 白雲なびく駿河台 ~ おお明治・・・とか、♪ 若き我らが命の限り ~ 法政っおお我が母校~・・・とか、六大学の校歌はなかなかいいですが、すみません、東大と立教がわからない。 甲子園の慶応高校で何が一番うれしかったかって言えば、頭髪だね。坊主頭が一人もいない!昔からだけどね。こういう伝統を頑なに守ってくるのもなかなか大変だったろうね。なにしろ、お寺と無関係の普通の高校や中学でも、野球部といえばたいていが全員坊主頭の集団で、それをおかしいとも思わない人の方が多いような国だからね、ここは。ベスト8は上出来だと思うけど、できれば、炎天下に光る若い黒々とした頭髪をもっと見せつけてやって欲しかったね。 そういえば、赤塚不二夫が亡くなったね。テレビで知ったんだけど、一瞬、あれ?まだ生きてたんだっけ・・・などと、大変不謹慎な、失礼なことを思ってしまった。 赤塚漫画にはずいぶん世話になったから、やっぽりさびしいなあ。 初めて少年サンデーで『おそ松くん』を読んだのが中1の時だった。おそ松、チョロ松、カラ松、トド松、一松、十四松ってすぐに暗記して言えるようになったのが自慢だった。しかし六つ子を主人公にするとは、大胆な発想だったねえ。 それまでも比較的すぐ読めて1話で完結するギャグマンガが好きだったけど、『おそ松くん』のおかげで、それ以降の漫画はずいぶんおもしろくなったっけ。 少年サンデーはその後もけっこう読み続けたが、レコードを買うようになって、あまり買わなくなった。両方買えるほど小遣いをもらっていなかったからだ。 レコードといえば、それまではもっぱら、上京した5つ年上の兄が置いていったプレスリーやレイ・チャールズを聴いていたが、中2の時初めて自分の小遣いで買った。『大脱走のマーチ (サントラ盤)』だった。いや、それ以前にもソノシートは何枚か買った記憶があるが、肝心の中身を覚えていない。 なぜ『大脱走のマーチ』かって?・・・それはつまり、ちょうど中1の終わり頃にブラスバンド部に入ったからですよ。でも、欲しかったレコードはほかにたくさんあったのになあ、どうして『大脱走』なんか買っちゃったんだろうって、ずいぶん後悔もしたのを覚えている。 中2から中3にかけて買ったレコードは1枚も残っていないけれど、全てシングル盤と4曲入りのコンパクト盤だったことは間違いない。30センチのLPは高校生になるまで買えなかった。 一番買ったのはビートルズで、それでも4枚ぐらいだったか。あとはキングストン・トリオの『花は何処へ行った』とか・・・。他にも何枚かあったけど、あまり覚えていないなあ。もしかするとそれくらいだったのかなあ。 けど、絶対忘れられないのが1枚ある。シルヴィ・バルタンの『アイドルを探せ』だ。発売日にわざわざ電車に乗って県庁所在地まで買いに行ったからね。中3の秋だった。 初回のジャケットは、その後良く目にした上目遣いの正面を向いた青っぽいやつと違って、バルタンが横向きのやつで、この世のものとも思えないその美しさに魅せられて、四六時中眺めていたもんだ。 宝物のように大事にしていたはずなんだけど、あのレコードも何処へ行ってしまったんだろうか。 そんな時代だったが、同級生の T沢の家に遊びに行くと、文字通りレコードが山のように積んであった。主に歌謡曲だったが、その中にクレイジー・キャッツやポールとポーラなんかがあったのは、とてもうらやましかった。 T沢の家は洋服屋で、といっても洋品店ではなく、テーラーだから、いつ行っても父親は頭に手ぬぐいを巻いてミシンを踏んでいた。もしかすると仕事の合間に父親が聴いていたレコードもあったかもしれない。 ブラスバンド部にはT沢と二人で入って、後に彼は部長に、僕が副部長になった。トランペット吹きで、家にはギターもあって、音楽は好きだったから、僕にはとても良い仲間だったわけだが、彼はいわゆる「悪ガキ」で、しょっちゅうちょっとした暴力騒ぎを起こしたり喧嘩をしたりしてばかりいて、いつも先生に叱られていた。が、ブラスバンド部では最後まで部長としてしっかりみんなをまとめていて、トラブルはなかった。 クラスにはもう一人 N島という典型的な「悪ガキ」がいて、この二人で時々ちょっとした授業妨害みたいなことも起こしたりしたが、N島もT沢も、授業中はかなりおとなしかったという記憶がある。あれはたぶん、放課後に備えてエネルギーを蓄えていたのだろう。 3年前の正月に、行方不明扱いになっていた僕を捜し当ててくれたおかげで、同級会(クラス会)に出ることができたとき目にした光景は、衝撃的だった。 40年ぶりに見たこの二人、あろうことか、さんざん叱られた先生をガードするように両側から挟んで、ニコニコしているではないか。それを見ただけでも出席した甲斐があったと思ったものだったが、意地悪な僕は「信じられない光景だなあ」とからかうと、二人は異口同音に「さんざん迷惑かけたからなぁ」と、真顔で言っていた。 お盆にまた中学校の同級会があったので、3年半ぶりに出席した。 今回も N島・先生・T沢のスリー・ショットを期待して行ったのだが、出席者が12人と少な目で、先生は入院中とのことだった。すっかり好々爺になってしまった N島の隣に座って「T沢は?」と聞いたのとほぼ同時に、幹事から報告があった。「残念ながらT沢君が喉頭ガンで亡くなりました」・・・。 3年前に会ったとき、たしかにT沢は「老けたなあ」という印象だったけど、死んでしまうなどということは考えてもいなかった。「音楽はやってるのか」と聞いたら、「楽器は大変だからなぁ、やってないよ」と答えるので、「ギターなら今からでもいいんじゃないのか。中学の時『禁じられた遊び』を弾いてくれたじゃないか」と言ったら、懐かしそうな目をしながら「そんなこともあったなあ」と言っていたT沢が・・・。 40年ぶりに会っても、酔っぱらってあいかわらず悪態吐いている姿は、中学校時代のT沢そのもので、誰の目にもほほえましく、ただただ懐かしかったっけ。 ☆同級会関連日記:歌い初め:ルイジアナ・ママ ☆バルタン関連日記:アイドルを捜せ
2008.08.21
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“Bye Bye Blackbird”by Ringo Starr (1970) Original by Gene Austin (1926) 2002年の7月16日は、Peak District の Farm House に泊まっていた。 二度目のイギリス訪問はまずロンドンの友人宅に泊めてもらい、そこからレンタカーで Peak District を目指した。 インフォメーション・オフィスで紹介してもらったファーム・ハウスがとても気に入って、宿泊した。 野ウサギがたくさんいるような所だったが、明け方、窓から外を見ていたら、ブラックバードが何羽もいた。やはりこの鳥はイギリスに似合うなあ。 久しぶりに見たブラックバード。鳥好きの息子にすぐに教えてやった。そして飽きもせず二人でずっと、美しい声でさえずりながらちょんちょん飛び回るその姿を眺めていた。初めてビッグマン君のフラットから見た時のことを思い出しながらね。 この気に入りの Farm House に連泊した後、ビッグマン君一家の住むグロスターシャーに向かったのだった。 ********************* "Bye Bye Blackbird" を初めてちゃんと聴いたのは、リンゴスターのファーストアルバム「センチメンタルジャーニー」だった。 スタンダードナンバーばかり12曲集めたこのアルバムは贅沢にも、一人一曲、12人のアレンジャーを使って作り上げ、リンゴはヴォーカルに徹するというのが話題になった。 金のない学生時代だったけれど、これは発売後まもなく、つい買ってしまった。思わず手が出たのは、やはり豪華なアレンジヤーの名前につられたからだった。裏ジャケの曲目の下のArranged byに続いて並んだ錚々たる編曲者の名前を見れば、十分納得していただけると思う。 この "Bye Bye Blackbird" は、あのビージーズのモーリス・ギブがアレンジを務めていて、これがとても良い。このアルバムのベスト3に入れていいと思う。 イントロのバンジョーだけの演奏に歌が入り、ベース、ドラムが加わり、ピアノが入る。良くあるパターンとは言え、とても心地よいアレンジぶりが曲の良さを引き立たせていると思う。 この曲はアメリカのスタンダード・ナンバーなので、ここに出てくるブラックバードは「クロウタドリ」ではなく、「ムクドリモドキ」だ。・・・とは言っても、クロウタドリと違って見たことがないので、どういう鳥か分からない。 ムクドリはうちの庭にも良く来るし、大量に発生することがあって、おなじみさんだが、モドキが付くとどう違うんだろう。あとで Google だな、これは。 ********************* 昨日、義母が息を引き取りました。 20年前、英国滞在中に単身アエロフロートに乗って娘に会いに来たときは、さすがに驚いたけれど、あの行動力が、その後の大病も克服した源だったんだろうと、納得させられる。 どうぞ安らかに。
2008.07.16
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“Blackbird”by the Beatles (1968) ウィンブルドンが佳境に入ってきましたねえ。シャラポワさんもイバノビッチさんも早々負けてしまって、バイディソバさんもベスト4に残れなかった。残念。 ウィンブルドンと言えば、ロンドン・・・。21年前、ちょうどウィンブルドンの少しあとにロンドンに行った。当時は当たり前の南回り。香港乗り換えのドバイ給油で、22時間かかった。 一泊付きの航空チケットだったので、初日はノッティングヒル・ゲイトの安宿に泊まり、翌日からは日本で知り合ったイギリス人に紹介してもらったビッグマン君(仮名)のところに世話になった。 イギリスにおける生活体験の第一歩ということもあって、テムズ河畔のパットニーにあったビッグマン君のフラットでの思い出のひとつひとつが、今でも心に残る。 赤煉瓦造りの建物は、日本に持ってくれば、そのまま古い洋館として文化財にでもなりそうだが、これがごく一般的なイギリスの家屋だから驚いてしまう。 明らかに何度もペンキを塗り直した扉を開けると、まず乳製品のにおいがする。これは英国滞在中あちこちでその後何度も体験するのだが、夕食の時その理由が判明した。 イギリス人はバターを冷蔵庫に入れないのだ。 後に、誰が教えてくれたか忘れたが、「パンに塗るには冷蔵庫に入れない方が良いだろう」ということだった。最近では真夏には30度を超えるようなことも良くあるようだが、その夏イギリスでは半袖になったことは一度もなかったから、涼しい気候ならではの習慣だと思ったものだった。 当時まだスモーカーだった僕のために、ノンスモーカーのビッグマン君は、台所の隅の少し出窓のようになった場所を喫煙コーナーに提供してくれた。 ロンドン2日目。窓を開けて目に入ってくる景色のどれもが新鮮で、遙か異国の地で新たな生活が始まる実感が湧いてくる。その時あの窓辺で吸ったショートピースの香りは、全くたばこを吸わなくなった今も懐かしくよみがえる。 7月の長い日がようやく暮れた頃、再び喫煙コーナーでたばこを吹かしていると、ふと、鳥の鳴き声がした。 夜にこんなに鳴くのは近所で飼われている鳥だろうと思ったが、それにしてもきれいな声でよくさえずる鳥だなあと感心して、声のする階下の方を見下ろすと、地面で何か動いた。目を凝らしてよく見ると、小型のカラスみたいな鳥が・・・。 "Blackbird.(ブラックバードだよ)" ビッグマン君がいつの間にか横に来て、一緒に窓の下を見ながら教えてくれた。 えっ!ブラックバード。そうか!これがあのホワイトアルバムのブラックバードなんだ!頭の中であの歌詞とメロディーが・・・ ♪ Blackbird singing in the dead of night... 「♪ 真夜中に鳴くブラックバード...」って、これのことだったんだ。 "Blackbird(ブラックバード)=クロウタドリ" の実物を知らなかった僕は、この時すべての謎が解けたようなすっきりした気分を味わいながら床についた。 あの夜僕に「ブラックバード」を教えてくれたビッグマン君は、僕らの英国滞在中にいろいろ力になってくれた。 その後、日本にも来て、何年か英語教師をしたりしていた時には、一緒に遊んだりしたが、僕らと同じように渡英してあのパットニーのフラットで世話になった美人女性(K子さん)と結婚し、息子が二人できたのを期に、ビッグマン・ペアレンツの住むグロスターシャーの田舎に家を買い、移り住んだ。 息子と3人で2度目の英国行きを敢行した時も、その家に厄介になりずいぶん世話になった。いつか日本にまた来るようなことがあったら、恩返しをしなくてはと思っていた。 最初 K子さんから久しぶりに手紙を貰った時、ひょっとしたら訃報かなと、悪い予感がした。ビッグマン・ペアレンツもそろそろそのような年齢になりつつあるので、覚悟しながら封を開けて、思わず凍り付いた。 訃報という悪い予感が当たってしまった。しかし、まさかあのビッグマン君の訃報だなんて、誰が想像できたでしょう。 正義感が強く、サイクリストで、教養もあり、何よりも家族を愛し、英国の美しい田舎町で幸せな家庭を築いていた彼が、突然いなくなった。 何も恩返しできていないのに、どうしたら良いんだろう。 神様は本当に残酷だ。僕は一生、ビッグマン君に何もお礼ができなかったという悔恨の念を携えて生きて行かなくてはならないのです。 いくら気丈でしっかり者の K子さんでも、さすがに辛い思いをしているだろう。子供達は元気にしているだろうか。 やっぱりさんざん世話になった、ビッグマン・ペアレンツもどうなさっているか、心配だ。 子供達と海岸に行って化石を取ろうとしたのか、崖から転落したということだが、手紙を読み終えた僕の頭には、不謹慎にも "Blackbird" のフレーズが、あのとき一緒に聴いたクロウタドリのホントに歌うような鳴き声と共に、鳴り続けた。 ♪ You were only waiting this moment to be free... ビッグマン君、君は十分自由だったではないか。次に会うのがあの世だなんて、ひどい話だなあ。 地下鉄の駅を降りてパットニー・ブリッジを渡り、あのフラットまで連れて行ってくれたロンドン2日目が、つい昨日のことのようです。とても21年たったとは思えませんね。 どうぞ安らかに!
2008.07.04
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“I Wanna Be Your Man”by the Rolling Stones 1964 Original by the Beatles 『彼氏になりたい』は前回もちょっと書いたストーンズの歌った "I Wanna Be Your Man" の邦題だけど、レノン・マッカートニーが他人に歌わせた曲の中でも、その単純さは際立つ。だからビートルズがこれを LP に入れたときにリンゴに歌わせたのも合点がゆく。 けどねえ、これのストーンズが歌ったやつを聴いてみてくださいよ、お嬢さん。 ミックの投げやりな歌いっぷりとバックのブルージーで荒削りな演奏は、まさに初期のストーンズの真骨頂だし、レノン・マッカートニーがそのあたりも意識して作ったとしたら、それはそれでやはり凄い。 あ、そうそう、前回僕はストーンズがビートルズの曲をカヴァーしたと書いたが、あれは正確ではなかった。正しくはストーンズのマネージャーがビートルズに頼んだわけで、それをビートルズもリンゴに歌わせたということだった。 初期のビートルズが他人に歌わせた曲はかなりあって、そのいくつかは相当名曲といえるのだけど、一部の支持しか得られていないように思える。 以前にも書いたことで重複するけど、僕はビートルズが他人に歌わせた歌はほとんど全部好きだ。「他人」たちに気合いが入っているからだろうか。大抵はおすすめできる。 いずれにせよ、『彼氏になりたい(I Wanna Be Your Man)』も、どう考えてもリンゴのよりストーンズの方がいいし、アップルジャックス(Apple Jacks) が歌った名曲 "Like Dreamers Do" も、「アンソロジー2」の中でポールが歌っているデモよりはるかに良い。ポールのは、コード進行が変で、気持ち悪い。 そうそう、ポールといえば、あの離婚の慰謝料、桁外れな額ですよね。 そもそも、ポールにはジェーン・アッシャーのタイプより、リンダのような「母親タイプ」がお似合いでしたから、今回の場合も後になって「しまった!」と思ったことでしょうね。 けど、ああいう額が払えるというのも恐ろしい。 さて、次の日記でも書くとするか。 あ、ところでみなさん、迷惑な書き込みとかトラックバックとかどうしてます? あれこれ対策をしてもあまりなくなりませんよね。 最近日記はアップしなくても、迷惑書き込みだけは時々削除していて、そのたびに疲れちゃって、やっぱり書くの面倒になって、・・・。悪循環ですわ。 などと日記書いていない言い訳をしています。
2008.03.27
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先週の土曜日のことですけど、Q.いしかわ Quartette のライブに行って来ました。これで3年連続ですけど、今回も良かったですよ~。 すっかりおなじみのメンバーでやって来ました。 Q, いしかわ (T.Sax & Vocal) 清水 絵里子 (Pianoforte) 久末 隆二 (Electoric Bass) チッコ 相馬 (Drums) 今回座った位置からは、ピアノの清水絵里子さんの顔がとても良く見えたので、ついつい演奏中の表情を観察してしまいました。 それにしてもこのメンバーの両端の二人は表情が豊かです。 ええ、ピアノの絵里子さんと、ドラムのチッコさんですよ。 エレベの隆二さんは表情を変えないのがトレードマークのような人ですけど、この日は時々笑っていました。 このバンドの一番良いのは、終始楽しさが伝わってくるところですね。 それにしても、Q.いしかわさんは、本当に若いなあ。 ああいう老い方を目標にしようと、今年も思った次第です。 十八番の "Recado Bossa Nova" 今年もやりましたが、去年・一昨年とは随分選曲を変えていました。 中でも圧巻は "In My Life"。そうです、ビートルズのあの曲ですよ。 さぞかしいろんなことを経験してきたであろう、76歳のQさんの吹く "In My Life" 、実に味わい深いものでした。 で、実は、Qさんとジョンレノンは誕生日が同じなんですよね。さらに、今回発売になったニューアルバムのタイトルが "In My Life" なんですよ。 "In My Life" もいろんな人にカヴァーされていますが、あの1番の歌詞のせいか、その人のそれまでの人生を歌っているように聞こえてくるのです。 Qさんは歌無しですけど、あのサックスで十分に76年の人生を歌っていました。 以前、この歌のことを書いたので、ちょっと探してみたらありました。 ********************** ♪ There are places I remember, all my life, though some have changed some forever not for better, some have gone, and some remain, この3行目の better がね。for good の good を比較級にして韻を踏ませたんだと気づくのに、だいぶ時間がかかりましたね。 この続きもいいですよね。 ♪ all these places have their moments, with lovers and friends, I still can recall, some are dead and some are living, In My Life, I've loved them all 僕はここまでが好きなんですよ、この曲。 (2004年7月27日の日記より) ********************** 自分の書いた日記を引用してしまった。 上で書いた「1番の歌詞」っていうのはこれのことです。 for good を for better としたセンスだけでなく、とても20代の若者が書いたと思えないこの詞の内容に、改めて驚かされますよね。 ♪ 今まで生きてきて 記憶に残っている場所はある 永遠に変わってしまった所もあるけれど それほどでもない所もある 消えてなくなった所とか まだ残っている所とか 「ラバー・ソウル」の中の曲なので、ジョンがこれを作ったのは1965年。ビートルズが方向転換をし始めて、そろそろステージから下りようとしていた時期と重なる。 もしかしたらこの歌は、ジョンが自分の人生の一区切りを感じてできた歌なのかもしれない。 たまたま今日はジョージ・ハリスンの命日で、人生というものを見つめ直すのにふさわしい一日だった。 (文中訳:穴沢) 関連日記: 2004.7.27の日記 2005.12.04の日記 2005.12.08の日記 2005.12.11の日記
2007.11.29
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“If I Fell” the Beatles 1964 ビートルズの初期は、当時あまり考えられなかったよぅなその曲作りが新鮮で、思わず感心してしまうようなものが多かった。"If I Fell (恋におちたら)" は、その中でも特にとりあげて語られるべき1曲だと、かねてから思っていた。 とにかく、あのイントロ、いやむしろバース(Verse)と呼ぶほうがふさわしいかもしれない、最初の8小節。いきなりジョンが一人でつぶやくように歌い出す。このコード進行とメロディーラインはしびれるなあ。 で、最後の2小節で徐々に盛り上げて、コーラスに入る。これがまた絶妙の入り方だ。 コーラスは、当然ポールが上、ジョンが下を歌う。60年代初期ビートバンドのオリジナル曲に特徴的な、コーラスが前提の曲だね。ソロで歌うと変だよね。 こういう曲をカヴァーするとしたら、当然コーラス主体のグループか、ピーターとゴードン(Peter & Gordon) みたいなデュオがいいんだろうなあと思っていたが、実はそのピーターとゴードンのカヴァーがあった。 彼らは、何しろデビュー曲の『愛なき世界(A World Without Love)』からしてレノン・マッカートニーの作品だし、その後も何曲かレノン・マッカートニーの作った曲を歌ったことでも知られているが、それらはピーターとゴードン用のオリジナル曲だったので、ビートルズの曲をカヴァーしているというのとは違う。その彼らがまさにビートルズの "If I Fell" を歌っているのは長年知らない事実だった。 手に入った CD をわくわくしながらかけた。しかも3曲目の "If I Fell " から。 ……期待はずれという表現は適切でないかもしれないが、予期していたものとはまるで違っていたのがショックだった。 おそらく、あまりビートルズに近いアレンジにしたくなかったのだろうが、いくら何でもこの曲をピーターのソロで押し通すなんて。 男性デュオだろ。ピーターとゴードンって。 何でハモらないんだ。素朴な疑問がわいてしまうなあ。 確かに "If I Fell " は、ジョンとポールで聞き慣れているけれど、ピーターとゴードンのハーモニーでもぜひ聴いてみたかった。けれど、それは叶わぬ夢で終わった。 そういえば、どこかでこの "If I Fell " は「女性の立場で歌った歌で、片岡義男の日本語訳が間違っている」というようなことを読んだ気がして、検索したら、ありましたよ。某検索サイトの一番上に出てきました。 なるほど、♪ Don't hurt my pride like her. の "like her" が、「主人公が女」の根拠なんですね。おお、しかも、中学生の時に気が付いたんですね。それなら ♪ That you would love me more than her の "than her" も根拠に上げてもらいたかったなあ。 なぜここでの "like" は、接続詞ではなく本来の前置詞として使われていると考えてはいけないのか。その方が不思議だ。 それに、"than" も口語では、当たり前のように前置詞として使われるから (例:She's older than me -"STAY WITH ME" by Eighth Wonder }、あまり大きな声で、「動詞の目的語になっている」と断言はできないだろう。 もちろん、その気になればどちらの意味にも取れるとして、どう解釈してもかまわないが、ここはそれまでのジョンの作った「他愛もない愛の歌」の数々と比較して、語られるべきだろう。 実は、僕もこの "than her" に悩んだひとりだ。 でも、あとででてくる "like her" とも考え合わせると、どう読んでも何度考えても、前置詞と捕らえて解釈する方が自然だし、片岡義男氏以下、歴代のビートルズ訳詞者たちは間違っていないと思ったものだ。 過去の日記で、ジョンの「他愛もない愛の歌」について書いたものを選んでみました。 From a Window No Reply It's Only Love I Call Your Name ********************** この曲のタイトルっていいなあ。 "If I Fell" で止めたところがかっこいいんです。 もちろん歌い出しですぐにばれてしまうし、初めてタイトルを聞いても、次に "...in love with you..." が来るのは、だいたい想像が付くってもんでしょうけど、このタイトルがもし "If I Fell in Love" とか "If I Fell in Love with You" だったりしたら、あまりに普通だし、直接的で、興ざめですよね。 でも、邦題を "If I Fell " に合わせたら、『もし落っこちたら』とか『もし転んだら』とかになって、話にもなりません。『恋におちたら』だよね、やっぱ。 あれこれ話題も提供してくれるこの曲を、先週の土曜日、月に1度行われる Beatles Night というライブ・イベントのセッション・タイムで歌わせてもらいました。 案の定、歌詞忘れちゃったところがあったり、いろいろ共演者にも迷惑だっでしょうが、大変楽しませてもらいました。 今週の土曜 (今日だ) は、1年ぶりにQいしかわさんのライブです。
2007.11.24
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“Sunday for Tea” Peter & Gordon 1967 紅茶が飲みたいときにミルク(牛乳)がないと「あ~あ」って思うのは、イギリスでミルクティーに慣れたからではない。もっと前からすでに僕にとって紅茶はミルクティーだったので、もう何十年にもわたる習慣になってしまっているからです。 その紅茶ですけど、ポットに残った出がらしを「うがいに利用すると良い」ということを、健康マニアの義姉だったか、うちのうるとびさんだったかが、教えてくれたんです。それまでただ捨てていた紅茶の出がらしをうがいに使うなんて、確かに良い利用法だなあと思って、時々うがいに使っていたんですよ。 ところが今年、暑くなった頃に、冷めた紅茶を飲みながら何となく思いついたことがあって、ちょっと実行してみたんですけど、これがあなた、意外にも素晴らしい発見だったんですよ。 ま、ようするに「出がらし紅茶をペットボトルにつめて冷蔵後に入れ、冷やして飲む」っていうだけのことですけどね。これが実に良い。市販のペットボトル入りの紅茶と飲み比べてみてください。かなり薄いようでも、紅茶の味は残っていますから。 そんなわけで、このところ時々ネタを提供していただいている、楽天仲間の オンデンさんが、日記で「午後の紅茶」について書いていましたから、僕も「自分で作る午後の紅茶」について書くことにしました。 オンデンさん、ネタ提供ありがとうございます。また、このたびは「 苺畑でつかまえて」のバナーを早速貼っていただき、嬉しゅうございます。 ********************** ☆ 自家製「午後の紅茶」の正しい作り方 ☆ まず、朝飲んだ紅茶の、ティーポットに残っている葉っぱを捨てずに、お湯を差してしばらくおいておく。水でもよい。 本来なら出がらしを薄めただけのその紅茶を、ペットボトルに移す。 量が少ないようなら、大胆に水を足す。 冷蔵庫に入れて午後にいただく。 夜にいただくと「夜の紅茶」とか「晩茶」、一晩寝かせてから飲むのが「夜明けの紅茶」または「翌茶」。 邪道ですが、ミルクや砂糖、レモン、シークワーサー、リンゴ酢などで味を添えるのも可能。 [注意] 決して暖めないでください。基本はアイスです。 ホットでいただくのは普通の紅茶です。 え?そうですよ。これだけですよ。いけませんか。 今まで、ただ捨てていた紅茶の葉っぱ。全部取っておいたらどれくらいの「午後の紅茶」ができたことでしょう。 そんなことに思いを馳せながらいただくと、また格別です。 あ、BGM ですか。 定番は "Tea for Two" 辺りでしょうが、ここはやはり英国青春歌謡 Peter & Gordon (ピーターとゴードン) の "Sunday for Tea" がよろしいかと。 ********************** "Sunday for Tea" ってこんな感じです。 チェンバロみたいな音の短いイントロのあと、まず1番。「もうすぐ日曜日 君とお茶するんだもんね もうすぐなのに 1時間が1日みたい」 日曜が待ち遠しいんですよ。♪ Each hour's a day to me~ って、1時間を1日じゃいくら何でも大げさなようですが、一日千秋ってほどじゃないですから、かわいいもんです。 2番はこんなです。「レタスとハム クランペットにジャムかも 楽しくなりそう 日曜のお茶だもんね」 レタスとハムには笑っちゃいますが、英国的ですね。ピーターラビットの中で、よくピーターがレタスかじっていますよね。クランペットにジャム付けていただくお茶なんて、これもやっぱり英国ですね。もちろんスコーンやサンドイッチでもいいんですけど。 サビがすごい。「君が僕にシュガーポットを渡してくれるとき 僕はついにわかってしまうだろう 君のすべてが僕と共にあるんだって」 シュガーポットって書いたけど、歌では sugar bowl です。「砂糖取ってくれる。…ありがとう」…これだけで二人は急接近するだろうと、この男は夢見ているんですけど、…結果は報告されません。 3番はこうなります。「今度の日曜 僕には特別な日曜 一緒にいればきっとわかる 二人が似たもの同士だって 日曜のお茶でね」 ♪ We're two of a kind~ が、「似たもの同士」ですね。 これで内容はすべてです。このあとバイオリン & チェロ + ピアノの間奏が入りますが、そのあとはサビに行ってから、1番に戻って終わり。イントロ同様、チェンバロが短くエンディングをまとめます。 とても軽快ないい曲だと思うんですが、いくらピーターとゴードンが清潔路線を歩いていたとは言え、1967年という年にこの内容で勝負しようとしても、なかなかねえ。この前も書きましたけど、67年と言えば、ジミヘン、クリーム、ドアーズですからね。ビートルズだったら、サージャントペパーズだ。だから、相当厳しいものがあったと思いますよ。 僕の持っている Rhyno の "the best of peter & gordon" のライナーによれば、...parent-pleasing pop like "Sunday for Tea."(...サンデー・フォー・ティーのような親を喜ばせるポップス) ってことになります。 まあそれでも全米で30位に入ったのは、健闘したと言えるでしょう。イギリスでは無視されたようですけど。 この歌はやっぱり普通に紅茶をいただくときの方が似合いそうです。自家製の冷たい午後の紅茶はいけませんね。 (文中訳:穴沢) こちら↓↓↓↓↓ネットで見つけました。 イギリスのお菓子:クランペット 英国好きの方、こちらのサイトは大変充実していて、面白いですよ。トップにバナー貼りましたので行ってみてください。 関連日記: 2002年10月13日の日記 ピーターとゴードンの『アイ・ゴートゥー・ピーセス』のことです ********************** 日記の件数が301になったのに気が付きましたよ。 楽天5年もやっていて、ようやく301ですからね。 え?記入率ですか。 堂々の15.9パーセント。…もはや笑いのネタにもなりません。はい。
2007.11.11
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“With a Little Help from My Friends” the Beatles 1967 今年もあと一月であの日がやってきます。 12月8日がジョン・レノンの命日で、太平洋戦争の開戦の日でもあることから、特に僕たちの世代の日本人にとっては、特別な日と感じる人も多いでしょう。 ジョンのこととか、平和のこととか、特にこの日だから意識するなんて、別にそういう必要はないと思う。この日だけ考えればいいというようなことでもないしね。それより、自分の心の中に、いつでも引き出せる引き出しを入れておくことが大切なんです。 でもね、12月8日前後にいろいろイベントが行われるようになって、若者がこの日のことや平和のことをいろいろ考えるきっかけになっているのは、とても良いことだと思う。素直によいことだと思うようにしている。 さて、そんな中、「苺畑でつかまえて」が今年も行われます。トップにバナーを掲げました。クリックすると公式ウェブサイトに飛びます。どのような催しかまだご存じない方は、ぜひ覗いてみてください。 一言で言えば、このイベントは「楽しむ」ことが前提で、しかも目的であると、勝手に思っています。つまり、そこからすべては始まるのだと。 なお、当日僕は昨年同様、雑用係をさせていただきます。 ********************** 自分自身に、難しい質問をしてみた。 Q. サージャント・ペパーズの中で一番好きな曲は? A. ちょっと待って。1曲?…え?それは難しいよ~? …やっぱ、こういうのって、非常に困るんですよね。ま、時代によって変わるという面もあるし、その時の心の有り様(よう)を反映するっていうこともあるからなぁ。しかもこのアルバムって、全体を通してひとつっていう感じがするしなぁ。 などと、ぶつぶつ言うのは、まだ決めかねているからです。 で、質問は変更。次のようになりました。 Q. 今日聴きたいサージャント・ペパーズの1曲は? ほら、これでだいぶ答えやすくなったと思いませんか? 今日は、"With a Little Help from My Friends" ですかね。 そういえば、この曲、Mad Dogs & Englishmen のジョー・コッカーがウッドストックで歌ってたけど、あの映画見るまで、ジョー・コッカーのは聴いたことがなかったから、とても興味深かったなあ。かなり好きです。 さあ、みなさん、次の中から、今日聴きたい1曲を選んでください。 01. Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 02. With a Little Help from My Friends 03. Lucy in the Sky With Diamonds 04. Getting Better 05. Fixing a Hole 06. She's Leaving Home 07. Being for the Benefit of Mr. Kite! 08. Within You Without You 09. When I'm Sixty-Four 10. Lovely Rita 11. Good Morning Good Morning 12. Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise) 13. A Day in the Life あ、こうやってタイトル並べてみたら、やっぱ「ルーシー」とか、「家出の歌」とか、「人生の一日」辺りも聴きたくなってきたぞ。 …というわけで、今日届いたジュディ・コリンズでも聴いて寝ます。
2007.11.07
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久しぶりに「穴沢ジョージさんのプロフィール」変更しました。あ、変更というより、付け足しですかね。 「好きな映画 HAIRSPRAY」を「好きな映画 HAIRSPRAY(1988)」にしましたよ。 どこがちがうかって? よく見てくださいよ、(1988)を追加したんですよ。 何を今更と思った人も多いでしょうが、ピンと来た人もいると思います。 そう。「ヘアスプレー(2007)」っていうのができちゃったらしいんですよ。というより、もう日本でも公開されているようです。 僕は、絶対に誤解されたくなくて、オリジナルの1988年版を強調したかったんです。何しろ、2007年版はまだ見ていませんし、……。 ********************** 1988年版 "Hairspray(ヘアスプレー)" が不朽の名作であるなどと、思っている人は少ないだろうが、僕は胸を張って断言できる。こんな素晴らしい青春ダンシング・コメディ映画は二度と作れっこないと。 1990年に入って間もない頃だったと思う。レンタルビデオ屋で「ヘアスプレー」に遭遇した。 東京暮らしをしていた頃は、こちらから求めなくとも様々な情報が容易に手に入ったのだけれど、田舎暮らしは、その気にならないとなかなか情報が入ってこない。いや、その気になっても手に入らない情報は多かった。 「ヘアスプレー」のことも全然予備知識がなかった。けれど、 ピンクフラミンゴの ジョン・ウォーターズ監督が放つ 全米大ヒットの青春ダンシング・コメディ??この謳い文句に心惹かれないはずはなかろう。 しかも、あのディヴァインやブロンディーが脇を固めているって…。このコメディーは絶対面白いに違いないと、勇んで借りてきたその日から、僕は完全なヘアスプレー・フリーク (単にこの映画のファンという意味、深くは知らないよ) になってしまった。上の謳い文句も、その後手に入れた8ミリビデオのセルビデオを見ながら書いているのだ。 「ピンク・フラミンゴ」などのジョン・ウォーターズ監督作品は、いわゆるカルト・ムービーに属するんだろうか、マニアは少なからずいたと思う。しかし、僕はどれもちゃんと見たことがないし、かなりグロテスクな内容だというので、敬遠さえしていたのだ。 しかし、この「ヘアスプレー」だけは世界中の老若男女に見てもらいたい映画なのだ。 まず、誤解を解いておきたい。 この映画、実はいわゆるミュージカルではないということ。 きっと、大方の人がミュージカル映画だと思っているのではないだろうか。まあそれも無理はない。 数年前、友人の作曲家カルロス井上氏と「ヘアスプレー」の話をしていたら、ブロードウェーで大ヒット中だという。 ちょっと待ってよ。「ヘアスプレー」がミュージカル化されて上演されているっていうことかい! まさにそのとおりだった。 そう、「ヘアスプレー」はそれまでの常識の逆を辿っているのだ。 たとえば、ブロードウェー・ミュージカルでも、オフ・ブロードウェーものでも、まず舞台でヒットして、それが映画化されるという道筋を辿ったはずだ。 思いつくミュージカル映画はなんですか。 「ウェストサイド・ストーリー」「南太平洋」「サウンド・オブ・ミュージック」「ヘアー」・・・ほらね。どれも、元々舞台で、後に映画化されているでしょ。 話を戻そう。つまり、ブロードウェーで上演されたからミュージカルだと、思っている人のために言っておきたい。 ミュージカルのメッカ、ニューヨークのブロードウェー、ロンドンのウェストエンドで今なお上演され、今年日本公演もあったのは、もちろんミュージカルだ。しかし、オリジナルの映画「ヘアスプレー」は、全編に63年当時のヒット曲が流れる青春ダンシング・コメディだけれど、出演者が突然歌って踊り出すという、いわゆるミュージカルとは違うのだ。あ、踊りはあるけど。 ああ、説明するのが面倒になる。 笑いが欲しい人、60年代ポップスが好きな人、R&B ソウル系の好きな人、マッシュポテトやツイストの踊り方を知りたい人、太めの女の子が好きなひと、ブロンドの女の子が好きな人、80年代のニューウェーブ系の好きな人、カーズのリック・オケイセックをちらっと見たい人、カルトムービー・ファンの人、アメリカの現代史を知りたい人、好奇心の旺盛な人、…… とにかくぜひ見てください。「ヘアスプレー(1988)」を。 「ヘアスプレー(2007)」を見る前に。ニューヨークやロンドンで「ミュージカル/ヘアスプレー」を見る前にね。 ケネディー大統領の暗殺された1963年は、重要なターニングポイントの年だった。その1963年のボルチモアを舞台に、歌やダンスを通じて、若者の間から人種的偏見や差別がなくなって行った過程を、明るくコミカルに、実に見事に描いたこの映画は、80年代の終わりにジョン・ウォーターズが放った、それまでの60年代青春モノに対する彼なりの回答なのだ。 この映画で一番好きな場面。 ソウルシンガー、トゥーサン・マッコール(Toussaint McCall)がテレビ番組にゲスト出演するシーン (本人出演) で、彼がヒット曲 "Nothing Can Take the Place of You" (実際は67年の歌なので時代がちょっとずれているが) を切々と歌う。ジーンと来る歌だ。 曲の途中カメラが外に出ると、ホームレス風の酔っぱらいの黒人のおじさんが、酒の瓶を片手に歌の続きを歌っている。夜空に響くその素晴らしい歌声。ものすごい歌唱力。このおじさん、実は有名なソウルの人なのかどうか、その辺はわからないが、僕は胸を打たれた。上手い演出だなあ。 ********************** ああ、ミュージカルのヘアースプレーも見たいなあ。 「ヘアスプレー(2007)」は舞台の映画化なのかなあ。 見た人、教えてください。 『三丁目の夕日』の続編ができたらしいですね。 第1作は、とても良かったです。続編にも大いに期待したいです。 でも、1作目のエンディングには、本当にがっかりでした。1958年の東京が舞台なのに、あのエンディング・テーマは無いだろう。どうしてああいう歌を使うのか、全くセンスを疑う。少しは「ヘアスプレー」を見習って欲しいぞ。 ・・・と、いいたい放題言わせてもらいましたけど、2作目のエンディングもああいう音楽使っていたら、今度こそ絶対に抗議します。
2007.10.31
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“Loan Me a Dime” by Boz Scaggs 1969 今日(10月29日)はあるミュージシャンの命日ですが、さて誰の命日でしょうか。 こんな書き方をしたら、まるでクイズみたいですけど、・・・そうっすね。クイズ形式で参りましょう。 次のヒントから「私」が誰か当ててみてください。ヒントは 1. ~10. までですが、どの時点でわかったかあとで教えてくださいね。 1. 私はギタリストです。かなり有名でしたよ。 2. 1972年に亡くなりました。え?まだお生まれになっていない? 3. オートバイ事故ですよ。まったくねえ。 4. 風貌は長髪とひげが特徴ですね。まあ、あの時代はみんなね。 5. 申し遅れました。出身は USA。ナッシュビル育ちです。 6. 初めはブルースや R&B をやってました。白人ですよ。 7. 1969年に弟と結成したバンドが大いに人気を得ました。 8. 同時期デレク&ザ・ドミノスに参加して『レイラ』を作りました。 9. 弟ですか?名前はグレッグ。キーボード奏者です。 10. バンド名ですか?オールマン・ブラザーズ・バンドですよ。 もうおわかりですね。答えは、デュアン・オールマン (Duane Allman)。伝説のギタリストの一人ですね。 あ、もちろん知らない人がいても全然おかしくありません。何しろ古い話ですからね。 もうすでに何度か書いたことがあるので、繰り返しになるけれど、僕は1969年頃からブルースを聴くようになっていたんですよ。 どうしてそうなったかというと、実に単純な話でね。67年にクリームやジミヘン、ドアーズなんかが登場するでしょ。ストーンズにもミック・テーラーが加入してね。本格的なロックの時代の到来ですよ。で、彼らは皆ブルースに傾倒したり影響を受けたりしていたというわけ。だから何となく抵抗なしにブルースも聴くようになったんですよね。 でも、やっぱり初めはいわゆる白人ブルースからでね。徐々に3大キングなんかも聴くようになったんです。また、日本にもブルースバンドがずいぶん出てきたんですよ。よく、学園祭とか日比谷の野音とかにも行きましたっけ。 70年代になってからしばらくして、ロック喫茶でデュアン・オールマンの『アンソロジー』というアルバムを聴いたんですが、この2枚組の1枚目に入っていた "Loan Me a Dime" が実に素晴らしいブルースで、いっぺんで気に入ってしまったんですよ。 で、歌っているのは若き日のボズ・スキャグス。そうです。彼はデビュー当時、ブルース歌ってたんですから驚きでしょ。というより、しばらくしてああいう歌を歌うようになって、人気者になったときには、それこそびっくりしましたよ。 2枚組の LP っていうのは当時かなり高くてね。このアルバムも、自分では買わずにロック喫茶でリクエストして聴いたものでした。 それが、3年ほど前でしょうか。これが CD 化されていることを知り、早速手に入れました。30年以上聴いていなかったのに、ほとんどのフレーズが次から次へと甦ってきます。あ、僕は弾けませんけどね。初めて聴いたときのロック喫茶の木のベンチも、常連客の顔も一緒に頭に浮かんできます。 "Loan Me a Dime" は13分もある曲なので、普通なら退屈しそうですけど、デュアン・オールマンのあのギターが十分に堪能できる13分は、決して長くないです。特に、最後に延々と続くギターソロは、一聴の価値ありだと思います。また、ボズ・スキャグスも、いわゆるブルース向きの声というよりむしろ頼りないような、それでいてしっかり聴かせるボーカルが魅力的です。 話は前後しますけど、80年代の後半、うちに CD プレーヤーが来た頃、下北沢の中古屋でこの曲のオリジナルを見つけたんです。Fenton Robinson の "Somebody Loan Me a Dime"。こういう曲ですから、オリジナルも当然聴きたくなるわけで、早速手に入れて聴いたんですが、こちらも歌とギターが実にかっこいいんですけど、デュアン・オールマンとボズ・スキャグスほどの感動はありませんでした。 デュアン・オールマン、僕と3つしか違わないのに、72年にはもう亡くなってしまったんですから、ホントに若すぎた死ですよね。
2007.10.29
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“Town Called Malice” by The Jam 1982 ボストン対クリーブランド、今日はボストンの地元フェンウェイ・パークでは、頻繁に BGM をかけているということに気が付きました。 8回途中、岡島が交代したときには、あちこちの球場で耳にするトロッグズの『ワイルド・シング』が、ほかにも、おなじみのところでは、プレスリーの『サスピシャス・マインド』やアイズリー・ブラザーズの『シャウト』なんかが聞こえてきましたが、3点リードして迎えた8回の裏の攻撃を前にした『スウィート・キャロライン』は、ものすごい盛り上がり方でした。 途中の歌詞はともかく、♪ スウィート・キャロライン ウォウォウォ~のところ、とくに ♪ ウォウォウォ~ は間違いなく全員で叫んでいました。あと、それに続く ♪ Good times never seem so good ~ のところでも何やら大声で叫ぶんですよ。よく聴いてみると、どうやら Boston! Boston! Boston! Boston! ってわめいていたようなんですけど、どうなんでしょう。 けど、今日一番驚いたのは、6回が終わったところでジャム(The Jam)の82年のヒット曲『悪意という名の街(Town Called Malice)』が、球場に響き渡っていたことです。いろいろ流れた曲のうちでも、はなはだ異色な感じでしたね。 なんだ、おまえは野球は見ていなかったのかなどと思った人はいませんでしょうか。大丈夫です、時々見てました。第7戦ボストンが勝ちましたね。リーグ・チャンピオンになりました。 で、『悪意という名の街』に戻りますが、ジャム解散寸前の曲ですから、どちらかというと R&B 色が濃く、スタイル・カウンシルへの繋ぎ役的に語られることも多いかと思いますが、でもそれは、楽器編成やアレンジに反映されているということで、アップテンポのノリの良さやシンプルなメロディーラインは、むしろ初期を思わせるものです。 ただ、ジャムを知っていると、アメリカ大リーグのリーグ優勝決定戦最終試合のバックで聞こえて来るというのは、ちょっとミスマッチというか、違和感もあるところです。でもこの曲をかけたのにはたいした理由はなく、たぶん、単に BGM の係の人が好きだからだと思うんですよ。 いずれにしても、アルバム "The Gift" の中でも一番かっこいい曲だと思うんですけど。 ♪ And - stop apologising for the things you've never done, Cos time is short and life is cruel - but it's up to us to change This town called malice. やってもいないことを謝るなんてよしてくれ 時間は足りないし人生は残酷なものだから でも変えるかどうかは僕たち次第だ この悪意という名の街を ウェラーくんの作詞家としての才能も、やはり見過ごせません。 (文中訳:穴沢)
2007.10.22
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“The Twist” by Chubby Checker 1960 & 1962 Original by Hank Ballard and the Midnighters 1958 ボストン対クリーブランド、昨日はボストンが勝ちましたね。 ハング・オン・スルーピーが聞こえてくるかなと思いましたが、どうもバックの音が小さくて、かかっている音楽まで聴き取れませんでした。でも、まるで "Y.M.C.A." のような "O-h-i-o" の「振り」をしているらしき女性がちらりと映ったんですよ。もしかするとその時球場にはハング・オン・スルーピーが流れていたのかもしれません。けど、真相は闇の中です。 米大リーグの試合でいいなあと思うのが、セブンス・イニング・ストレッチ(the Seventh-inning stretch) というやつです。 いよいよ地元チームのラッキーセブンの攻撃というところで、背筋を伸ばし肩をほぐすというのは、興奮したり疲れている観客の気分もほぐしてくれて、なかなかな名案だが、そこで敵味方関係なく観客全員によって歌われるあの "Take Me Out to the Ball Game" が、時にジーンと胸を打つ。この、ほのぼのしたメロディーの野球ファンのためのワルツは、全く攻撃的でない歌詞と相俟って、野球に興味のない人にも親しめる名曲です。 老いも若きも一緒になって、しかも野球場で、あんな風に歌える歌が存在するということがうらやましいです。 昨日の試合で "Take Me Out to the Ball Game" のあと、チャビー・チェッカーの "The Twist(ツイストNo.1)" がかかっていましたよ。 スタンドのファンは、この曲にあわせて一体になって踊っている……なんていうことはまったくなくて、中には踊っている人もいましたが、みんな思い思いのやり方で、文字通りセブンス・イニング・ストレッチをしていました。 "The Twist(ツイストNo.1)" は見事に BGM になっていましたね。 チャビー・チェッカーの歌う "The Twist(ツイストNo.1)" が、いわゆるツイストブームに火を付けたといわれています。1960年と62年の2度、全米 No.1 になっている曲ですから、知っている人も多いだろうし、60年代初期を代表するダンスナンバーとも言えるでしょう。 2度流行っているのは、つまり62年にはツイストブームがピークを迎えたということからでしょう。この時期、日本でも藤木孝の『ツイストNo.1』をはじめ、『ペパーミント・ツイスト』『サンライト・ツイスト』などのカヴァーものが各社競演で出たり、スリー・ファンキーズの『でさのよツイスト』みたいな「和製ツイストもの」も続々出されましたっけ。 で、この "The Twist" ですが、すでに1958年に R&B の大御所ハンク・バラード(Hank Ballard)がオリジナルを発表しているんです。作曲したハンク・バラードが、自らのバンド the Midnighters とやっている音源(アルバム・タイトル Singin' and Swingin')がうちにありますが、かっこいいですよ。 ハンク・バラードについては、このことも含めて以前落語版『サマータイム』 で書きましたので、お暇な人はそちらを参照願います。 "The Twist(ツイストNo.1)" をはじめ、次々とツイスト・ナンバーをヒットさせたチャビー・チェッカー(Chubby Checker)ですが、どの写真を見ても全然「ぽっちゃり型(chubby)」でもないんですけど、どうしてこのニック・ネームが付いたんでしょうね。 ・・・と思って、「 ポップス黄金時代 1955-1964」をぺらぺらめくっていたら、なんと1962年のところに出ていましたよ。 簡単に説明しますと、声もルックスもファッツ・ドミノそっくりだから彼にちなんで付けたということだそうです。つまり、次のようなことですね。 ・fats(太っちょ) = chubby(ぽっちゃり) ・domino (ゲームのドミノ) → checker (ゲームのチェッカー) う~~ん、思わずうなってしまった。 けど、どう見ても太っていないんだけどなあ。チャビー・チェッカー。…ちょっと丸顔ですけどね。 さあ、みなさん、ツイスト踊ってこの世の憂さを晴らしましょう。
2007.10.20
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“Hang On Sloopy” by The McCoys 1965 ボストン対クリーブランド、クリーブランドが勝ちましたね。 それにしてもウェイクフィールドの投げるナックルボールはものすごいです。「柔よく剛を制す」は、本家の柔道の世界ではあり得ないと言えそうですが、野球では可能という好例ですね。ただし今日の試合ではホームランも2本打たれ、大量失点して負けましたけどね。 ボストンは地元フェンウェイ・パークで8回の裏の攻撃に入るときに『スウィート・キャロライン』を、スタンドのファンが歌って盛り上げていますが、クリーブランド・インディアンズの本拠地ジェイコブズ・フィールドでは、昨日の試合中、あのマッコイズの『ハング・オン・スルーピー』が聞こえてきました。ただ、こちらはいつ流すか決まっていないようです。今日は聞こえませんでした。 で、ちょっと調べたら、こういうこと↓↓↓でした。 Who Is Sloopy and What Is She Hanging on to? このニューヨーク・タイムズの記事は、とても良く書けていますね。 テレビ中継ではほんの一部が聞こえてきただけなので、"O-h-i-o" のところは実際にどんな風に歌っているのか興味深いし、"Y.M.C.A." のような「振り」もあるらしいので、見てみたいですね。 マッコイズは、この曲ぐらいしかヒット曲がなかったと思うんですが、うちにある SEE FOR MILES の22曲入り寄せ集め盤 "HANG ON SLOOPY the McCoys" は、60年代ヒット曲(一部50年代も)が山盛りの、名曲カヴァー集になっています。つまり、元々好きな曲を自分たちなりに歌って楽しむ程度のノリだったのかもしれません。 上記の CD のライナーノーツによれば、この『ハング・オン・スルーピー』自体、バイブレーションズの "The Girl Sloopy" をカヴァーしたものなのですから、バンドの姿勢は明確だったとも言えます。因みに"The Girl Sloopy" はヤードバーズもカヴァーしているということですけど、うちにあるでしょうか。後で探してみようっと。 いわゆる一発屋だったのは事実ですが、その一発はその後も人々から愛され、しかも「オハイオ州公式ロック・ソング」に指定されているのですから、ミュージシャンとしては彼らは幸せ者ですよね。 ********************** McCoys(マッコイズ) の発音は要注意です。 僕らは、ついつい「マ」に力を入れて言ってしまいますけど、「コイ」に力を入れて発音してください。ま、英語がわかる人には常識でしょうけど。 その昔、あるイギリス人に「マッコイズ(McCoys) を知っているかい」と英語で訊いたら「わからない」と言われ、 "Hang On Sloopy" を歌っていたというと、「それは McCoys じゃないのか」って、完全に違う音に響いて、全然別のバンド名を言ったと思われたようです。ムッチー穴沢(←無知ということ)、本領発揮の瞬間でした。
2007.10.17
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“Do You Love Me”by Brian Poole and the Tremeloes 1963 Original by the Contours 1962 先日、約束実行宣言をしましたが、数ある未履行約束の中で一番すぐに果たせそうだと思ったのが、カラタチの花の写真の件です。 これは tougei さんからリクエストがあったもので、気軽に「いいですよ」っていう感じに、安請け合いしてしまったのです。 実際、カラタチの花をデジカメで撮って「はいこれですよ」って見せるだけですむものを、一応撮影だけはしたものの、めんどくさがってそのままにしておいたのがいけませんでした。 というわけで、このたび晴れて、カラタチの花の写真を左のフリーページの Plants の所にアップいたしました。今回、お詫びの意味も込めまして、カラタチの実の写真も一緒に入れましたので、お楽しみください。ま、要するに、もう実のなる季節が来てしまったということですけどね。 tougei さん、遅くなってゴメン。 カラタチ、こちらからも行けます。 ********************** こんばんは。ムッチー穴沢です。 久しぶりに「ロック366」を眺めていたら、今日10月12日は結構いろいろあった日なんですね。主だったところを拾ってみると、こんな感じです。(内容だけ抜粋) ・サム・アンド・デイヴのサム・ムーアの誕生日(1935) ・ジーン・ヴィンセントの命日(1971) ・ジョニー・レイの『雨に歩けば』がイギリスでチャートイン(1956) ・フィル・スペクターがワーナー・スペクター・レーベルを発足('74) ほかにもいくつか興味深い記述がある中の、次の記述がちょっと目を引きました。 ・Brian Poole and the Tremeloes [ブライアン・プール・アンド・ザ・トレメローズ] の "Do You Love Me" が、1963年のこの日、イギリスのヒットチャートで No.1 となる。 あらら、この曲って、デーブ・クラーク・ファイブ(Dave Clark Five) じゃなかったっけ。トゥレメローズのやつは知らなかったなあ。コントゥアーズ(The Contours) のオリジナルもデーブ・クラーク・ファイブのあと、だいぶ経ってから知ったという記憶がある。 一応調べたところ、トゥレメローズのシングルで全英 No.1 になったのは、あの名曲 "Silence Is Golden" と、この "Do You Love Me" の2曲だった。言い換えれば、デビュー間もないトレメローズが、この曲でヒットチャートのトップに躍り出たという重要な事実を、僕は知らなかったのだ。 ところでこの "Do You Love Me" で、途中「♪ ワッチェッナ…」みたいなかけ声がかかるところがあるんですけど、実際にはどう言っているんでしょう。この際聞き取りをして、解明しておこうと、久しぶりにうちにあるデーブ・クラーク・ファイブの CD を引っ張り出してきましたよ。 正解は、♪ Watch me now でした。 念のために Yahoo UK で検索して歌詞を調べてみましたので、間違いないでしょう。 このたびも自身のムッチーぶりに、穴沢本人が驚いております。 関連日記 : 『サイレンス・イズ・ゴールデン』
2007.10.12
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こんにちは、マーク簿蘭です。 いや、知ってます知ってます。今日が月曜日じゃないということは重々承知しております。ただ、やっぱりちょっと昨日(火曜日)の朝起きたとき、月曜日感覚で、可燃ゴミ出しに行きそうになったりしてました。 実は休日の月曜日、すなわち一昨日ですが、可燃ゴミ出し忘れてしまったんですよ。付け足しのように休みが1日あって、得した気分なんですが、そのせいで木曜日まで可燃ゴミが出せないという副作用に悩まされております。 あ、こんな個人的なこと書くつもりはさらさら無かったんですが、つい…。 みなさんは月曜日というとどんな曲を思い浮かべますか。 まあ、次の1~4. のどれかでしょうね。(新しい順です)1. ニュー・オーダー2. ブームタウン・ラッツ3. カーペンターズ4. マリアンヌ・フェイスフル、ニール・ダイアモンド、ママズ・アンド・パパス 1. の場合、やはり "Blue Monday" は代表作ですし、80年代の英国音楽を語る上ではずすことはできません。 2. "I Don't Like Monday" はテーマがテーマだけに、なかなか重い曲でした。けど、これもメロディーがポップで、良い曲だと思いますよ。 3. の『雨の日と月曜日は (Rainy Days and Mondays)』に関してはじっくり聴いたりしたことがないので、あまりコメントできる立場ではありませんが、良い曲ですよね。 で、数ある月曜日の曲の中でも、僕ら60年代に十代を過ごした者にとっては、どうしても 4.が懐かしいですし、1.~3. に負けない名曲だと思うんです。 ところで、4.が何の曲かおわかりにならない人はいませんよね。 月曜日といえばこの曲と思う人は、世代を越えて多いような気がします。だって、そのものズバリ "Monday Monday (マンディ・マンディ)" ですからね。 オリジナルはもちろんご存じのようにママズ・アンド・パパス。1966年の大ヒット曲です。 ところが、マリアンヌ・フェイスフルとニール・ダイアモンドが当時この曲をカヴァーしているということを、僕は今世紀に入ってから知ったのです。前者は先日ヤフオクで落札したマリアンヌ・フェイスフルのベスト盤に、後者は書店で買った廉価盤 ("Red Red Wine" もこれに入っている) に入っていて、どちらも手に入れてからじっくり聴いたことがない。ということで、・・・ さあ、いよいよ "Monday Monday" の聴き比べですよ。 ここでは次の2点に絞って比較検討してみたかったんです。 その1. イントロがどうなっているか。 その2. あのブレイクはどうなっているのか。 その1. は、僕の手元にある全音楽譜出版社発行の楽譜集「永遠のポップス 1.」を見ていたら、イントロの歌詞が "Ba La Ba La La La, Ba La Ba La La La …" となっていてね。どうにも気になって…。 だって、「バ (ba)」よりは「パ (pa)」の方が自然に出てくるんじゃないですか。僕なら絶対「パ (pa)」ですよ。というよりも、今までずっと「パ (pa)」だと思っていましたから。で、結果は以下のとおりです。(便宜上、以下の頭文字で記します。 [M.F] マリアンヌ・フェイスフル [N.D] ニール・ダイアモンド [M.P] ママズ・アンド・パパス) [M.F] "Pa La Pa La La La, Pa La Pa La La La … " やっぱりね。案の定、「パ (pa)」でしたよ。女性のアカペラコーラスが美しいね。若き日のマリアンヌ・フェイスフルの、か細い声がまたいいじゃありませんか。…おっといけない、聞き惚れている場合じゃありません。ニールの金剛石さんはどうでしょう。 [N.D] "M m m m m m, M m m m m m … " ムムムって、ハミングですか。がっつーん!盲点突かれたなあ。あ、でも歌が始まると、バックの女性コーラスが…。でもどっちでしょう。はなはだ聞き取りづらいです。「バ (ba)」なのか「パ (pa)」なのか判別不能です。けど、イントロのド頭。生ギターが F のコードの下2本使って[C(ハ)]と [F(ヘ)]の音で、♪ ブブ~ン って入っているの、ちょいとかっこいいです。 さて、本命のオリジナルですよ。緊張するなあ。 [M.P] "Ba La Ba La La La, Ba La Ba La La La …" あれれ、「バ (ba)」かぁ。ある程度予想してはいましたけど、ちょっと残念でした。さすがは全音楽譜出版社発行の楽譜集「永遠のポップス 1.」ですね。よく聞き取っておられます。 というわけで、イントロの「バ (ba)」vs.「パ (pa)」の対戦結果は一勝一敗一引き分けでした。 それでは後半戦。「その2. あのブレイク …」です。 まず文中クイズです。当時この曲 "Monday Monday" はラジオ局泣かせでしたが、それはなぜでしょう。 もう答えは出ているようなものですが、ご存じない人のためにも一応 …。実は、この曲の後半終わり近くに、空白の数秒間があるんですよ。 実際、よくわかっていない DJ やアナウンサーがこれをかけると、まだ途中なのに、そのブレイクのところでいきなりしゃべり出したり、曲を止めちゃうことがありましたよ。 で、そのブレイクは注目したいところですよね。今度は、まずオリジナルを確かめてみましょう。 [M.P] 約 2.5 秒 ~ 3.0 秒。計測の仕方が難しくて、この範囲だということで勘弁してください。でも、今聴いてもこれは長いですよ。曲が3分22秒で、当時としては決して短い方ではなく、むしろ長い方。それが、2分34秒のところでいきなり切れますから、止めたくなるのも人情というもの。さて、ほかの二人はどうでしょう。今度はダイアモンドのお兄さんから聴いてみよう。 [N.D] テンポはほぼ同じですが、イントロが少し短いので、ブレイクは2分27秒のところで発生します。こちらも約 2.5 秒 ~ 3.0 秒空きますが、ひとつ大きな特徴がありました。ブレイクのあと、あのイントロと全く同じ、ギターの ♪ ブブ~ン が入ってから歌に戻るんですよ。だから厳密にいうと、1拍半食ってる分だけこちらの方が空白は短いんですね。これは大発見でした。あと、曲の長さが2分53秒で、ブレイクのあとが短く処理されています。マリアンヌさんはどうなの、どうなの。気持ちは焦ります。 [M.F] 2分34秒のところで 2.0 秒 ~ 2.5 秒の空白。これが明らかに一番短い。しかも、ほかの二つがブレイクに入った所で、付け足しのようにギターが1拍分コードを鳴らしていますよ。だからよけいに短く感じます。でも、明らかにこれも無音の数秒がありました。曲全体の長さは約3分09秒で、ほかの二つの中間でした。 オリジナルのママパパでは、4分音符で6拍空くという作りになっていたということなんでしょうが、やはりほかの二つはラジオ放送を意識して、音を入れたり少し短くしたということなんでしょうか。 ラジオでは、何秒間か忘れましたけど、わずかな無音状態でも、第一級の事故として扱われると、聞いたことがあるけれど、クラシック以外でこういう曲はほかに知りません。 あ、いけない。長く書くと、読むのが辛いですよね。歌詞のこととかは、また書く機会があるかもしれませんので、…。 (ここで約3秒の空白を入れる) 文章でも、いきなり空白入れられると、ずっこけてしまいそうです。
2007.10.10
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“Sweet Caroline”by Neil Diamond 1969(熊)「♪ スウィート・キャロライン ウォウォウォ~、っときたもんだ。旦那~、久しぶりでや~す」 (穴)「おう、誰かと思ったら、熊さんかい。それにしてもずいぶん嬉しそうだねえ」(熊)「へい。タイトルに知ってる歌ですからねえ。♪ スウィート・キャロライン ウォウォウォ~、ってね。ところで、何で今頃スウィート・キャロラインなんですか」(穴)「ほら、ボストンが3連勝してね。そのお祝いのしるしですよ。第2戦のラミレスのさよならホームランは凄かった」(熊)「そういえばボストン・レッドソックスの本拠地フェンエイ・パークでは8回の表が終わるとみんなで歌ってますよね、スウィート・キャロライン」(穴)「ご名答、名糖、ホームランバー」(熊)「ホームラン出たらもう一本。ところで穴の旦那、ニール・ダイアモンドなんて聴くんですか」(穴)「いや、ホントはね、最近いろいろ世話になってる楽天仲間のオンデンさんがね、ご自身のブログで UB 40 の "Red Red Wine (レッド・レッド・ワイン)" について書かれていたのでね」(熊)「おお、 "Red Red Wine (レッド・レッド・ワイン)" お懐かしうございます。あのプロモはよく覚えてますよ。モノクロなんだけど、パブでワインを飲むシーンで、突然ワインだけ赤くなるのがかっこいいんですよ」 (穴)「うん、そこは印象的だったね。きっとみなさんも覚えていることでしょう。だけど、若干誤解があるので訂正させていただこうか」(熊)「あっしの記憶に混乱があるとおっしゃりたいんでスカ、レゲエ」(穴)「いやなに、大したことではないのラスタ。"Red Red Wine" 実は飲んでいるのはビール。たぶんラガー、色が薄いから。でも、もしかするとイギリス人が好きなビターかもしれない。白黒だからよくわからない」(熊)「そいつは気が付かなかったラスタ。ほかにも何かあるんスカ、ツートーン…」(穴)「実はビールが赤くなる(実際はオレンジ色だけど)シーン。アリ・キャンベルがパブでビールを飲んでいるとチェリー (Cherry Oh Cherry Oh Baby の Cherry) が入って来る。実はロビンと一緒だった」(熊)「あ、思い出した。それを見たとたん、スローモーションになってビールが赤くなる、じゃなくてオレンジ色になる」(穴)「バドミントン、じゃなかった、ピンポ~ン!で、あのプロモ、ラストシーンがちょっと変だと思わなかったかい」(熊)「そういえば体格のいいオヤジが、犬を散歩させてるんですよね。で、酔いつぶれたアリを抱えて行くところでいきなり終わる…」 (穴)「そう。実はあれはほんの一部なんだよ」(熊)「えっ、"Red Red Wine" のプロモってもっと長かったっていうことですか」(穴)「ロングバージョンの一部っていうこととは、ちょいと違う。この曲の入っている "Labour of Love" という LP は覚えているかい」(熊)「名曲がぎっしり詰まっていましたよね」 (穴)「そうそう、全曲カヴァー曲でね。で、その LP と同じタイトルのビデオがあったんですよ。ミュージカル映画仕立ての白黒30分モノでね。全曲ではないけど、何曲も入っている」(熊)「そいつぁ知らなかったラスタ。それであの時のプロモはどれも白黒なんだ」(穴)「そう。"Cherry Oh Cherry Oh Baby" "Red Red Wine""Johny Too Bad" "Many Rivers to Cross" …」(熊)「ちゃんとストーリーがあるんですか」 (穴)「ま、一応ね。簡単にいうと最後はチェリーと結ばれて、結婚式のシーンで終わる。そのラストの式のシーンだけカラーなのだ」(熊)「しかし、よく覚えてますね。だいぶ昔のことでしょ」 (穴)「1984年でございます。…えっ!もう23年も経つのかい。…などと自分で言って、自分で驚いている場合ではないぞ。実はこの "Labour of Love" のビデオ、持っているんだよ。ベータだけど…」(熊)「なるほど、それで詳しいんですスカ、ジャマイカ」 (穴)「"Labour of Love ll" のビデオもある。イタリアのトスカーナ地方の、古い農家を改造したスタジオでの録音風景が、とてもいい。こちらは VHS」(熊)「いいなあ、今度見せてくださいよ。…ところで、本題から逸れてますよね」 (穴)「ほ、本題…… ZZZ …」(熊)「ちょいと旦那、寝たふりしてどうするんでスカ、ランブレッタ」(穴)「おっと、こりゃすまん、つい寝てしまった。な~んてね。実は起きてるんです(キッパリ)。 …つまりあたしがニール・ダイアモンドなんか聴くのかっていうことだろうが」(熊)「何を威張ってるんでスカ、ロックステディ」(穴)「確かにあまり聴かないんだけど、実はこの "Red Red Wine" はニール・ダイアモンドの作曲なんだよ」(熊)「意外な感じですね」 (穴)「うん。初めて「作曲ニール・ダイアモンド」の文字をを見たときは、さすがに目を疑いましたね」(熊)「で、どうなんです。オリジナルは」 (穴)「ぜひ聴いてみたいと思っていたんだけど、なかなか機会に恵まれなくてね。けど、4年ほど前見つけましたよ、廉価盤の寄せ集め盤。本屋の安売りコーナーでね」(熊)「おお~、出ました。安物買いの穴ジョーおやじ」(穴)「ちょいと熊さん、安物買いを馬鹿にしてはいけません」(熊)「そりゃそうだ。 "Red Red Wine" のオリジナルなんか、持っている人も少ないでしょうからね」(穴)「そのオリジナルなんだけど、なかなかいいよ。ただ、アレンジは UB40 の方が遙かに良いと言える」(熊)「なるほど」 (穴)「長くなるから、今日はこれくらいにしておこうか」(熊)「いきなり終わりですか」 (穴)「ちょいと眠くなってきた。で、最後に熊さんに質問。UB40 の視覚的特徴は何?…みなさんも思い出してみてくださいよ」(熊)「ヒントはないんですか、ヒントは」 (穴)「う~ん、ポール、ジミヘン、松崎しげる、…麻丘めぐみ」(熊)「はい、はい、はい!」 (穴)「熊さんどうぞ」(熊)「左利き」(穴)「ご名答、名糖、ホームランバー」(熊)「ヒントが答えみたいなもんじゃないですか」 (穴)「で、左利きがどうしたの」(熊)「最初見たとき、前でギター弾きながら歌っている二人が左利きなので、かなりインパクト強かったですよ」 (穴)「うん。アリとロビンのキャンベル兄弟だね。さすがに二人とも左っていうのは、その後もあまり見ないね。というわけでお休みなさい」(熊)「あれれ、今日はずいぶんあっさりしたラストじゃないですか」(穴)「ギャグの冴えない日は早く寝るに限る。果報は寝て待て。ZZZ …」(熊)「ちょいと。まだ昼前ですよ。ありゃりゃ、ホントに寝ちゃったよ。痴呆は寝て待て、ってか…」(穴)「誰が痴呆ですか」(熊)「あれれ、嘘寝(うそね)ですか」 (穴)「嘘寝(うそね)は人聞きが悪い。はら、我々穴熊だけにお互い得意でしょ、タヌキ寝入り …」 ********************** 関連日記 : オンデンさんの日記 UB40『ジョニー・トゥ・バッド』 この関連日記↑↑↑UB40『ジョニー・トゥ・バッド』の中で「…ほかにもまた何曲か採りあげたいですね」などと書いてあるのを見ましたか。今回一応3年ほどかかってこの予告を実現できました。 実は、今まで僕は日記の中でずいぶんいろいろ約束をしてきました。そのいくつかは果たせたと思いますが、まだまだ果たせていない約束が多くて、いつも自己嫌悪に陥ってしまうのです。 それなら早くその約束を果たせばよいのではないかと、お思いでしょう。 そのとおりです。今後はなるべく、一度した約束を守るために、残された人生、努力をしたいと思うわけです。
2007.10.08
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穴沢ジョージさんは T.レックス です!● T.レックスさんのあなたは、みんなに慕われる親分タイプです。物事に動じない強さと、明るく真っ直ぐな性格が魅力。周りに振り回されて右往左往するようなこともなく、常にどっしりと構えています。そんなあなたを、周囲も頼もしく思っているはず。また、何事も客観的に見ることができ、分析力に優れています。協調性もあり、相手をよく観察して駆け引きする能力もあるので、交渉ごとも得意としています。ただ、持ち前の面倒見の良さゆえ、必要以上に人に尽くしてしまうところがあります。せっかくの客観的に物事を見る力も、情におぼれて見えなくなってしまうことも。常に冷静さを心がけていれば、それも回避でき、周囲の信頼はさらに厚くなるでしょう。● 穴沢ジョージさんにもうすぐ出来るのは…娘です!● そんなあなたの本日の運勢はこちらです! 2007年10月3日付 1位 ★T.レックス ついに初体験! ********************** こんばんは、マーク簿蘭です。(注:Mark Bolan の和名のようです) いや、正直言いますとね、最初はかなり躊躇したんですよ。なにしろ「70年代バンド占い」ですから。 ほら、みなさんご存じのように僕の場合、70年代っていうとすっぽり抜け落ちているっていうか、よくわからないことが多くてかなりパッチーですから、知らないバンドが出てきたり、苦手なものが出てくる確率も高いでしょ。 でも、敢えてチャレンジして良かった~~~。 なにしろ T Rex ですからね。自慢自慢。 この占い、最近お仲間に入れていただいたオンデン1970さんに教えていただきました。 先日やってみたときと結果が違ってもいけないと思って、今朝一応世を忍ぶ仮の本名でもう一度やってみたんですけど、同じ結果でした。どうやら生年月日と血液型による判断のようです。 それで、占い結果ですけど、親分タイプとかってちょっと違うような…。その他表現が極端ではありますが、良く読んでみるとかなり当たっていると、認めざるをえないですかね。特に「頭脳明晰、眉目秀麗」・・・あ、こうは書いてないですか。 で、後ろの方にもうすぐ「娘ができる」などとあるのですが、これは一体……? 最後の「そんなあなたの本日の運勢はこちらです!」というやつも試しにクリックしてみたんですが、これは先日と違っていました。ちゃんと日替わりでランキングされるようです。 因みに、ご覧のように今日の僕は1位で、「ついに初体験!」という一言が添えられておりました。なんの初体験かよくわかりませんけど、ちょっとわくわくしますよね。とりあえず本日残りあと2.5時間ですが……。 ぜひこの機会に、みなさんも「70年代バンド占い」で楽しいひとときをお過ごしください。そして結果などご報告を。 こちら↓↓↓のトップで探していただければ、すぐ見つかります。 オンデン1970さんのページ なお、結果につきましては責任は負いかねますので、あしからず。 ********************** まあそんなこともあって、久しぶりにティラノザウルスのユニコーン聴いたり、T Rex の Slider 聴いたりしています。 以前、ジョン・ピールが亡くなったときに、ティラノザウルス・レックスについて書いたなあ (追悼:ジョン・ピール [2004.11.3 の日記] 参照)。 そうかぁ、あれからもう3年になろうとしているんだ。 穴沢生誕の日まで、後一月と迫りました。
2007.10.03
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『悲しき女学生』が隠れた名曲だったと、前回冒頭に書きましたが、これは必ずしも正しい表現ではなかったかもしれません。 この曲、本国ではヒットしたという記述は見つかりませんでしたが、日本では1962年に結構流行ったようです。従って、特に「隠れた」という形容はいりませんでした。 昔から知っていた曲ではあっても、ほかのヒット曲ほど耳に残らなかったのにはいくつか理由がありそうですが、そういう曲もあるという良い見本ですね。 というわけで今回じっくり聴かせていただいた感想を。 ********************** 4. いかしたイントロ いわゆるロッカバラードだが、特にシンプルなオルガンのアルペジオは印象深い。 イントロのバックは、エレキが軽くコードを押さえ、ウッドベースは常套句を奏で、スネアドラムがブラシで8分を刻む。これらがオルガンを支えて、ただのアルペジオは前面に押し出され、それでいてさりげなく、これから始まる歌を文字通り導く。 このオルガンによる3連のアルペジオは、サビ前まで続く。サビになるとオルガンはコードを押さえ、男性コーラスと相まって、盛り上げ役に回る。3連はピアノの高音部のコード演奏に任せる。つまりサビはロッカバラードの常套手段だ。そしてまたAメロに戻ると、最初と同じパターンを繰り返し、これ以上あまり凝らずにエンディングを迎える。約2分13秒。 で、どうなんだろう。3連のオルガンのアルペジオって、こういう風に使われることはあまり無かったような気がするのだけれど。 でも、どこかで聴いたような、何かを思い出したような感慨に襲われ、懐かしさがこみ上げてくる。きっと、同じパターンの好きだった曲が、ほかにも何か記憶の底に沈んでいるのだろう。 いずれにしても、このオルガンのアレンジがなかったら、僕はこの曲、こんなに気に入らなかったかもしれない。 5. 愛称:ボビーソックス この曲のシンプルなメロディーとアレンジは、単純でなんのひねりもない歌詞の内容にマッチしていると思うが、このシンプルさは本国で流行らなかった一因かもしれない。 さて、このたびじっくり歌詞を聴いてみた。 ♪ ブルー・ボビーソックス 君はひとりぼっちで 悲しいんだね ブルー・ボビーソックス 君は最愛の人を 失ったんだね 学校帰りはいつも 彼と一緒だったのに 今では一人で 帰るんだね 彼の心は ほかの誰かのところへ 君の知っている愛は すべて消え去って ブルー・ボビーソックス わかるよ 君がどんなに彼を恋しいか ブルー・ボビーソックス 今でも唇は求めているね 彼への口づけを でもいつの日か 君は見つけるさ 心から君を 愛してくれる人を そしたら誰も 二度と君を呼びはしないさ ブルー・ボビーソックス なんてね あ、思わず全訳してしまった。 まあ単純に、失恋した女学生に対する慰めソングなわけだね。「ブルー・ボビーソックス」のところは、そのまま「悲しき女学生」に置き換えてみてほしい。ほら、全く問題ないでしょ。 つまり、Bobby Socks はあだ名とか愛称のように使われていて、"Blue Bobby Socks" って「ブルーなボビーソックスちゃん」つまり「ボビーソックス履いた悲しい女学生さん」…というわけだから、『悲しき女学生』がかなり適訳と知るのだ。6. 邦題『悲しき女学生』に至る経緯(推測です) 『砂に書いたラブレター』のヒットから2年後の1959年に発表され、さらに3年後の1962年、日本で流行ったという流れの中で考えてみると、この曲にこの邦題が付いたわけは容易に推察できる。 僕の記憶では、一番最初に『悲しき~』のタイトルが付いた曲は、ケーシー・リンデンが歌い、ザ・ピーナツの日本語版で流行った『悲しき16才』だった (おそらくこの前には『悲しき~』はなかったと思うが、…)。 これが1960年のこと。 その後、61年から63年にかけては、みなさんご存じの『悲しき街角』や『悲しき足音』を筆頭に、『悲しき~』が続々登場する。 そして『悲しき女学生』も、この「悲しきブーム」とも呼ぶべき盛り上がりに合わせたかのように出てくるわけだが、これは冗談ではなく、実際にブームに合わせて発売したのではないか。 レコード会社は、何年か前の曲や本国で流行っていない曲でも、日本人受けしそうなものがあれば、それらしい邦題をつけてレコードにして売り出した。当時まだ、海外からの情報は、ダイレクトに我々の元に伝わっては来なかったから、誰も別に変に思うようなこともなかったのだろう。 こうして日本独自のヒット曲は数多く生まれ、『悲しき女学生』もそれなりに売れたというのが真相だろう。 (文中訳:穴沢) 関連日記 : 『恋の砂文字』 ********************** 『悲しき女学生』を調べていたら、同じパット・ブーンの 曲に『なみだの高校生』という、これまたとんでもない邦題の曲があったんですけど。 あ、嘘じゃありませんよ。 『なみだの高校生』に関しては、タイトルすら覚えていませんけど、是非一度聴いてみなくてはと、『悲しき女学生』を聴きながら思ったような次第であります。
2007.10.02
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"Blue Bobby Socks (悲しき女学生)" by Pat Boone 1959 先日の音楽クイズ「ボビー編」の中で、「パット・ブーンが歌った "Bobby Socks" の邦題は?・・・正解:(1) 悲しき女学生」というのがあったのを覚えていますか。 これは僕の記憶が間違っていて、原題は "Bobby Socks" ではなく、"Blue Bobby Socks" だったんです。どうも頭の中で ♪ ブ~ル~~ ボビー ソックス~.… って歌っているうちに、あれれ、Blue はタイトルにも付いていたっけ?・・・なんて、気になって、うちにある CD で調べたら、案の定 Blue が付いていたんです (日記の方は一応直しておきました)。 となるとですよ、みなさん、このとんでもない邦題が、実はかなり正しい訳だということになるんですよね。 え?どうしてかって? まあ、そう焦らないで僕の話を聞いてくださいよ。 **********************1. "Bobby Socks (ボビー・ソックス)" 何から書こうかと思ったけど、やはり気になるボビー・ソックスだろうか。 僕が認識していたのは、女の子が履く短いソックスというぐらいで、辞書によれば「ボビー・ソックス《くるぶしの上までの少女用ソックス;1940-50年代に流行》[BOB2; bobby pin の影響あるか](リーダース英和)」となる (この記述は COD を参考にしたようだ)。 つまり僕らが子供の頃、十代の女の子たちが履いていたのは、まさにボビー・ソックスだったのだ。さらに "bobby" が "bob hair" や "bob tail" の "bob" から来たと僕は思っていたけれど、どうやらそういう見方もできそうだ。実際には、折り返して履くか、あらかじめ折り返しがあり、フリル付きもあった。 画像で確認したい方は、こちら(Bobby Socks) をみていただくのがよろしかろうと。 Wikipedia の Bobby sock も簡潔にまとめていて、参考になる。 靴下の丈が時代で変化するというのは、その時代に流行したスカートやパンツ、靴との関連性が大きいだろう。 1940-50年代に流行ったロングのプリーツ・スカートや、短めのタイトなスラックスには、ボビー・ソックスを組み合わせるのがお似合いだった。その後ミニスカートが登場すると、それに呼応するようにハイ・ソックスやルーズ・ソックスが出てくるわけだ。2. "Bobby Sockser (=女学生)" "bobby sockser"「(主に1940年代の)流行を追う十代の女の子」(ジーニアス英和大辞典) アメリカで、十代の女の子たちがボビー・ソクサー(ボビー・ソックスを履く人)と呼ばれていた頃、我が国では、女子中高生たちは女学生と呼ばれていた。 これはおそらく、戦前、女学校に通っていた生徒を女学生と呼んでいたのが、戦後学制が変わっても使われたということだろう。 実際、県立高校でも、今では全部共学になっているが、僕の通っている頃はまだ戦前の女学校を受け継ぐ形で、そのまま女子校となっていた高校が各地にあった。が、女子校に通っていなくても、女子高校生は女学生と呼ばれていたと思う。 前回の日記のコメントで、幻泉館主人さんが書いていた小学館の雑誌「女学生の友」は、僕らが「小学○年生」という雑誌を買っていた頃、必ず広告の最後に載っていたという記憶はあるが、実物を手にする機会はなかった。従ってその神秘的なタイトルにふさわしく、中身も謎のままだ。その後大判になって、JOTOMO と名前を変えたということも知ってはいたが、実体は知らない。 学習雑誌と呼ばれてはいたが、「小学○年生」は漫画と付録が楽しみだったわけだから、「女学生の友」も案外その延長で、「平凡」や「明星」のたぐいと大差なかった可能性はある。3. "Blue Bobby Socks (悲しき女学生)" この曲 "Blue Bobby Socks" が発売された1959年、まだまだ少女たちはボビー・ソックス履いてハイ・スクールに通っていた。その時代、日本においても女学生という言葉はまだ一般に使われていた。 そんな折、1962年のこと。アメリカでの発売から3年後、日本でこの歌が流行ることとなった。ボビー・ソックス履いた女学生のブルーな気持ちを歌った内容だったので、「悲しき女学生」という邦題が付いた。 西暦2007年の今、女学生などという言葉は既に死語になってしまったけれど、当時としては何の違和感もなく受け入れられただろう。そしてそのブルーな乙女の心を「悲しき」と表現したところは、絶賛されて然るべきではないか。 などと、満月の夜に思ったわけである。 (つづく) ********************** 変なトラックバックとか、BBS への迷惑な書き込みなどは、タイトルに反応してやってくるというような話を聞いたことがありますけど、どうなんでしょうか。 もしそうだとすると、今日のようなタイトルには結構付きそうですね、変なやつ。 そういえば、以前『ホテル青い城』というのを書いたときも、たくさん変なのが付いた記憶があります。
2007.09.28
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“Mack The Knife”by Bobby Darin 1959 Original 1928 Covered by 尾藤イサオ 1963“If I Were a Carpenter”by Bobby Darin 1967 みなさん、先日は久しぶりの音楽クイズにお付き合いいただき、ありがとうございました。 そのおまけのクイズで「匕首」を読んでもらう問題を出したのは、ほかでもありません、4大ボビーのひとりボビー・ダーリンが "Mack The Knife (匕首マッキー)" を歌っていたからですよ。 また「ボビー」かい。…と思ったあなた、…そのとおりです。 でも、そうおっしゃらずに、ちょっと読んでやってください。これが結構興味深いん話なんですよ。 と言うわけで、ボビー・ダーリン登場です。 ********************** ボビー・ダーリンは、リアルタイムで聴くには僕はちょっと若すぎました。『匕首マッキー』や『ドリーム・ラバー』のようなヒット曲はよく耳にしたけれど、彼の持ち歌と知ったのは60年代に入ってしばらくしてからだったし、どんな顔してるのかもわからなかった。 うちにあるボビー・ダーリンのベストは、20曲入りだけど、主立ったヒット曲は網羅している、・・・と思う。買ってからほとんど聴いていない CD だっだので、ちょっと聴いてみるかなと思っている矢先、たまたま夜中に、スカパーのどこかの映画チャンネルで「ビヨンドtheシー~夢見るように歌えば~」というとんでもないタイトルの映画をやっていて、何となく見始めたら、あなた、これがボビー・ダーリンの伝記でね、眠たかったけれどついつい最後まで見てしまったんですよ。6月だったかな。 でも、これを見て驚いた。 僕はボビー・ダーリンのことを何も知らなかった。 生まれつき心臓に重い病気があって、長生きはできないと医者から言われていたことも、地位と名声を手に入れ、美人の女優をも手に入れたけれど、結局は挫折してしまったことも、37歳で亡くなるのだけれど、病気のことを考えるとよくそこまで持ったのだということも、何もかも知らないことだらけでした。 詳しくは、このヘンテコなタイトルの、良くできた伝記映画を見ていただくとして、僕が中でも一番驚いた事実を記しておきます。 ボビー・ダーリンは、あらゆるものが手に入ってもどこか満たされず、結局は妻サンドラ・ディーとも離婚してしまう。 折しも時代は大きく動き始め、ベトナム戦争が泥沼化してくる頃、ボビー自身それまでの普通のポップシンガーであることに疑問を持ち、反戦歌を歌うようになる。 そのころ、政治の世界では、若者の期待を一身に背負ってリベラル派に支えられたロバート・ケネディー上院議員が、大統領選めざし精力的に動き始める。ボビー・ダーリンは、このロバート・ケネディー(愛称:ボビー)の熱烈な支持者となる。 ・・・が、ご存じのように、兄 J. F. ケネディー同様、ロバートも暗殺されてしまう。そしてダーリンは・・・。続きは映画を見てください。 このロバート・ケネディー上院議員に関しては、最近の映画で「ボビー」という秀作があることを、楽天仲間のlalameans さんの日記 で読んで知りました。とてもわかりやすく書かれているので、ぜひそちらを読んでいただきたい。ちなみに僕はといえば、この映画はまだ見ていません。早く見たいです。 いくら60年代後半でも、あの『匕首マッキー』のボビー・ダーリンが、フォーク・シンガーになってロバート・ケネディーを応援しながら反戦歌を歌っていたというんで、僕はびっくりしちゃいましたよ。当時全然そんなこと知りませんでしたからね。 で、うちの CD にも入っていましたよ、あのティム・ハーディンの作った "If I Were a Carpenter (邦題:この小さな願い)" が。 そうか。この曲、ボビー・ダーリンで流行ったんだっけ。などと、映画を見ながら再確認した曲です。 "Mack The Knife (匕首マッキー)" と "If I Were a Carpenter (この小さな願い)" では、あまりに違う世界だとは思うけれど、映画を見て、彼がどのような生涯を送ったかを知る今、どちらもそのままボビー・ダーリンで、どちらもその時代の彼を象徴していることを認識させられました。しかし、僕は二曲ともリアルタイムで耳を傾けたという記憶がないのです。 『匕首マッキー』は尾藤イサオや弘田三枝子ががテレビでよく歌っていたから覚えたのだ。"If I Were a Carpenter" に関しては、流行ったという記憶すらない。 15歳まで生きられないと医者に宣告されて生きる人生って、、中身の濃い人生になるという証明なのでしょうか。いずれにしても音楽があったから、ボビー・ダーリンは37歳まで生きることが出来たと言えそうです。 ********************** 映画「ビヨンドtheシー~夢見るように歌えば~」のタイトル、原題はボビー・ダーリンのヒット曲から取った "Beyond the Sea" なのでしょう。 これは『ラ・メール (La Mer)』の英語版ですが、映画「ダイナー」の中でかかっていたと、「ほんの寝巻きで」さんがブログで書いていますが、その場面が思い出せません。これももう一度見なくっちゃ。 映画というのも、通してみるにはなかなか時間が必要なので、ついつい億劫になったりします。でも、今回取り上げた3本は、ぜひ見ると良いんじゃないかな、なんて思いますよ。 そういえば、"Mack The Knife" っていう曲は、ジャズの人たちは普通 "Moritate (モリタート)" って呼んでますけど、どうしてでしょう。原曲が、「三文オペラ」の挿入歌だということと関係あるんでしょうけど、・・・。ちょっと調べるのが面倒で。 そういえば「三文オペラ」、見たことないんですけど、原作ブレヒトですよね。
2007.09.22
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では練習問題の答えから。"Rubber Ball (ラバー・ボール)" は、日本では誰が歌っていたでしょう? 正解:(1) 鈴木やすし まき~♪さん、remi10さんご指摘の通り、歌手は鈴木やすしさんだけですもんね。「♪ ラバーボール おいらの胸に ラバーボール 恋がいっぱい~...」ってね。漣健児だ! イチローさんや蘭々は若い方にもおなじみでしょうが、鈴木ジムニーさんはご存じですか。そうです。ジープスタイルの軽自動車、あのロングセラーのスズキ・ジムニーさんですよ。3年ほど前まで、うちでも中古で買った 550c.c.の2サイクルのジムニーさん、乗っていたんですけど。緑色にスプレー塗装してね。結構トラブル多くて、末期は悲惨でした。 では、正解日記です。 ********************** 1. ボビーといえば、50年代の終わりから60年代の初めにかけて、4大ボビーと呼ばれた歌手がいましたが、次のうち4大ボビーでなかったのは? 正解:(5) ボビー・ソロ ボビー・ソロだけイタリア人ですから、残りの4人のアメリカ人歌手とは一線を画すわけです。これは易しかったでしょうか。みなさん良くできていましたよ。しかし、ジョニーも多いけど、ボビーも結構いますよね。2. パット・ブーンガ歌った "Blue Bobby Socks" の邦題は? 正解:(1) 悲しき女学生 今じゃ考えられないような邦題が付くのも、時代を反映していて興味深いとは思いませんか。個人的には、(2) の「涙のボビー・ソックス」なんかが気に入ってますけど、さすがに (3) を選んだ人はいませんでしたね。ユーミンに怒られます。(4) は、夏木マリの『絹の靴下』からの連想で、ボビー・ソックスったらやっぱ木綿かなと思って、でっち上げさせてもらいました。五黄の寅さんのフォローはさすがでしたね。3. ボビー・ヴィントン、モコ・ビーバー・オリーブでおなじみの『わすれたいのに』は、クローディーヌ・ロンジェも歌っていましたが、彼女は誰と結婚していたでしょう? 正解:(1) アンディー・ウィリアムス これは難問だったようです。当時僕はどうしてあのアンディー・ウィリアムスがクローディーヌ・ロンジェみたいな美人と結婚できたのか、理解できませんでしたね。ほら、まだ大人の世界を知りませんでしたから。で、その後の彼女がどうなったかお知りになりたい人は、勝手に自分で調べてください。カタママさんもちょっと触れておられますが、結構びっくりしますよ。4. 梅木マリが日本語でカヴァーした『ボビーに首ったけ』の冒頭の歌詞で、( )にはどのフレーズが入るでしょうか。「♪ ステキなひと ボビーのことよ ( )...」 正解:(2) 彼にお熱なのよ ボビーに「首ったけ」なのです。言い換えれば、彼に「お熱」なんですよ。訳詞はみナみカズみです。「首ったけ」や「お熱」はもう死語ですね。意味は十分通じるとは思いますが・・・。けど「イカす」は今でも使いませんか。5. ところで、ボビー(Bobby)といえば、ロバート(Robert)の愛称でもありますが、近いうちわたくし穴沢ジョージが日記で書こうとしているのは、次のどのロバートのことでしょうか。 正解:(5) ロバート・ケネディ ジョン・F・ケネディの実弟ロバート・ケネディ元米上院議員は、次回に僕の日記に登場いたします。どのような形で登場するかはあまり詳しく言えませんが、彼も「ボビー」ですから、そこんとこよろしく。 というわけで、参加者4名という前代未聞の低調に終わった今回のクイズではありましたが、のべ190名の方に読んでいただいておりますので、出題者としましては大変満足しておりますし、とても楽しませていただきました。 参加していただいた4名、まき~♪さん、remi10さん、カタママさん、五黄の寅さんのみなさまには、お礼として、アレサ・フランクリンかブラーかバーズの CD を差し上げたいと思いますが、一応欲しいかどうか私書箱にメッセージください。 ******************** さて、おまけのクイズの答えです。 「匕首」は何と読むでしょうか。 正解:あいくち まき~♪さん、五黄の寅さん、お見事です。知らないと絶対読めっこありませんよね。「匕」は確かに「なな」にも見えますが、「七」と見比べると、その違いがおわかりいただけると思います。 これも次回の日記と関係があるわけですよ、ダーリン。 つまり『匕首マッキー』ですよ。ダーリンのね。
2007.09.16
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では例によって練習問題から。 ボビー・ヴィーのヒット曲 "Rubber Ball (ラバー・ボール)" は、日本では誰が歌っていたでしょう? (1) 鈴木やすし (2) 鈴木イチロー (3) 鈴木蘭々 (4) 鈴木ジムニー (5) 鈴木善幸 このような易しい問題ばかりです。もし、まったくわからなかったり知らなかったりしても、勘を働かせてぜひチャレンジしてみてくださいね。答えは、「コメントを書く」をクリックして書き込み願います。 ********************** 1. ボビーといえば、50年代の終わりから60年代の初めにかけて、4大ボビーと呼ばれた歌手がいましたが、次のうち4大ボビーでなかったのは? (1) ボビー・ヴィントン (2) ボビー・ライデル (3) ボビー・ヴィー (4) ボビー・ダーリン (5) ボビー・ソロ2. パット・ブーンガ歌った "Blue Bobby Socks" の邦題は? (1) 悲しき女学生 (2) 涙のボビー・ソックス (3) あの日に帰りたい (4) 木綿の靴下 (5) ハマトラブギ 3. ボビー・ヴィントン、モコ・ビーバー・オリーブでおなじみの『わすれたいのに』は、クローディーヌ・ロンジェも歌っていましたが、彼女は誰と結婚していたでしょう? (1) アンディー・ウィリアムス (2) フィル・スペクター (3) フランク・シナトラ (4) シャルル・アズナブール (5) ジャッキー・デシャノン4. 梅木マリが日本語でカヴァーした『ボビーに首ったけ』の冒頭の歌詞で、( )にはどのフレーズが入るでしょうか。「♪ ステキなひと ボビーのことよ ( )...」 (1) とってもイカしてるの (2) 彼にお熱なのよ (3) 夜も眠れないわ (4) 会うのがコワイくらい (5) いつも一緒なのよ5. ところで、ボビー(Bobby)といえば、ロバート(Robert)の愛称でもありますが、近いうちわたくし穴沢ジョージが日記で書こうとしているのは、次のどのロバートのことでしょうか。 (1) ロバート・プラント (2) ロバート・ジョンソン (3) ロバート・デ・ニーロ (4) ロバート・スミス (5) ロバート・ケネディ 以上、みなさん「コメントを書く」をクリックして、どんどん答えを書き込んでください。 そこのお若い人も、チャレンジしてみてね。間違ったって全然恥ずかしくありませんよ。なにしろ、うんと古い話題ばかりなので…。 ******************** ☆おまけのクイズ:「匕首」は何と読むでしょうか。 え?・・・これがボビーに関係あるのかって? ええ、おおありナゴヤのコンコンチキよ、ダーリン。
2007.09.14
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“I Love How You Love Me” by Bobby Vinton 1968 タイトルを見て、『涙のロンリー・ブルー』という歌が存在すると思ったあなた、・・・いくらボビー・ヴィントンでもねえ、そこまですごいタイトルの曲はありませんよ。 でも、この前 Amazon で CD 買おうと思ったときに、今回手に入れたのとは別のベスト盤の曲目が、日本語で出ていてね。それがおもしろくて、コピペしておいたんですよ(原題はあとから付け足しました)。とくとご覧あれ。 1. ミスター・ロンリー Mr. Lonely 2. 涙の紅バラ Roses Are Red (My Love) 3. 涙の太陽 Rain Rain Go Away 4. 僕はトラブル・メイカー Trouble Is My Middle Name 5. オーヴァー・ザ・マウンテン Over The Mountain (Across The Sea) 6. ブルー・オン・ブルー Blue On Blue 7. ブルー・ヴェルヴェット Blue Velvet 8. ブルー・ファイアー There! I've Said It Again 9. ブルー・ハート My Heart Belongs To Only You 10. テル・ミー・ホワイ Tell Me Why 11. 君待つ心 Clinging Vine 12. ロング・ロンリー・ナイト Long Lonely Nights 13. ロンリー L-O-N-E-L-Y 14. 涙のサテン・ピロウ Satin Pillows 15. 悲しき兵士 Coming Home Soldier 16. いつまでも愛して Please Love Me Forever 17. こんなに愛しているのに I Love How You Love Me 18. 愛はいつまでも Ev'ry Day Of My Life 19. 涙のくちづけ Sealed With A Kiss 20. ミスター・ブルー Mr. Blue 邦題に「涙の」「ロンリー」「ブルー」がはいっているものが、全20曲中、実に12曲!5分の3。6割。すなわち60パーセントですよ。これはもう「街角」シリーズや一連の「悲しき」ものを思い起こさせます。もちろん、これが特に日本におけるレコードの販売戦略がなせる技だと、わかってはいますが、なかなか笑えます。 本国でも、"Blue Velvet" がヒットして、「"blue" で "lonely" な路線で行こう」とした形跡が伺えますね。 でも、"There! I've Said It Again" が『ブルー・ファイアー』になったり、"My Heart Belongs To Only You" が『ブルー・ハート』 になったりするのは、英語に対して英語で迎え撃つところが、見上げたもんだ。"Go-Kart Twist" が『サンライト・ツイスト』になったみたいなもんでしょうか。 ・・・などと遊んでいる場合じゃありませんよ。 17番を見てくださいよ。そう、そうなんです。"I Love How You Love Me" 発売当時の邦題が、『こんなに愛しているのに』などというものすごいものだったんですよ。 いやあ、知りませんでした。僕は、この曲はモコ・ビーバー・オリーブが歌ったときに『わすれたいのに』というタイトルだったので、そのままボビー・ヴィントンも同じだと思い込んでいたんですよ。 あの頃時々ラジオで聴くぐらいでしたから、ある程度は流行ったんだろうと思ってこのタイトルで調べたら、キャッシュ・ボックス誌年間ヒットチャートの46位にいるじゃありませんか! 46位ったって、年間チャートですから、たいしたもんですよ。 ちなみに、前後の曲を見てみましょうか。 ・・・ 43. サスピシャス・マインド(エルヴィス・プレスリー) 44. ベイビー、アイ・ラブ・ユー(アンディー・キム) 45. グッド・モーニング・スターシャイン(オリヴァー) 46. こんなに愛しているのに(ボビー・ヴィントン) 47. ユーブ・メイド・ミー・ソー・ベリー・ハピー(ブラッド、スエット&ティアーズ) 48. フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ(スティーヴィー・ワンダー) 49. 君に愛されたい(シュプリームス&テンプテイションズ) ・・・ ね、凄い曲が並んでいるでしょ。この中では、46. のほかには 49. の "I'm Gonna Make You Love Me" も僕の大好きな曲です。47. や 48. もいい曲ですね。しかし、どれも懐かしいです。45. はあの「ヘアー」の中の曲ですしね。「ヘアー」といえば、フィフス・ディメンションの『輝く星座ーアクエリアス』が同じ年の年間チャートを見ると、3位ですよ。 みなさんは、この中ではどの曲が好きですか? 前にも書いたように、僕は68年には予備生、翌69年の春は大学1年生になり、すでにヒットチャートなどには全く関心を無くしてだいぶ経っていましたが、68~69年というのは、世界中でいろんなことがあって、ものすごい年でしたから、こういうチャートなどを見ていても思い出すことは多いです。 しかし、こんな邦題だったとは全然記憶になかったから、ただただ驚いてしまいましたよ。でもまあ、これで前回僕が想像して書いたことが立証されたわけです。 もう一度整頓してみますと、次のようになりましょうか。 1968年にボビー・ヴィントンがカヴァーして出したレコード "I Love How You Love Me (邦題:『こんなに愛しているのに』)" は、翌69年にかけて全米でヒットした。日本ではモコ・ビーバー・オリーブが、このヒットをきっかけにカヴァーしたが、そのときの邦題は日本語訳に合わせて『わすれたいのに』だった。同時期、クローディーヌ・ロンジェが出したレコードのタイトルも、同じく『わすれたいのに』だった。原曲は、あのフィル・スペクターのプロデュースでパリス・シスターズが1961年歌った。そのときの邦題は『貴方っていい感じ』。名曲である。 次回は、ボビー・ヴィントンといえば、これかっ! ・・・ということで、『ミスタ-・ロンリー』でしょうか。やっぱ。 え?・・・『涙の紅バラ』がいいって? いやいや、『ブルー・ヴェルヴェット』だろうって? う~~む、結構いろいろありますねえ。 ・・・というわけで、やはりここは『涙のロンリー・ブルー』でお願いします。
2007.09.11
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“I Love How You Love Me” by Bobby Vinton 1968 Original by Paris Sisters 1961 日本語版『わすれたいのに』モコ・ビーバー・オリーブ 1969 あれれ?『わすれたいのに』の続きですか~?「キュウリのパイ」の続きじゃないんですか~? ・・・なんて思っている人も多いかと思いますが、間違いなんかじゃありません。 今日は前回の予告どおり、Amazon から届いた "うるわしの Velvet Voice?!" ボビー・ヴィントンの CD について書こうというわけですからね。 で、何でタイトルが『忘れたいのに』の「つづき」なのかって? それはね、あなた。ちょっと前の僕の日記を読めば明らかですよ。 ちょっと前っていうのは、ほんの4年半ほど前のことなんですけどね。・・・正確には 2003年2月7日の日記(『忘れたいのに』)。 久しぶりに読み返してみたら、その中で「・・・いくつかカヴァーがあるが、僕が好きなのはやはりボビー・ヴィントン盤。彼のヴェルヴェット・ボイスに実にふさわしい曲だ。ボビー・ヴィントンについては、また後日・・・」と書いてありました。 つまりこの場合の「後日」が4年半後の今日ということになり、この日記はその「つづき」なのです。 ********************** 冒頭にも記したように、1969年モコ・ビーバー・オリーブでヒットした『わすれたいのに』は、よく考えてみると、その前年ボビー・ヴィントンによってカヴァーされたのがきっかけだったと思うんです。・・・と言ってはみたものの、根拠ははなはだ希薄です。 僕には69年のモコ・ビーバー・オリーブの前後に、ボビー・ヴィントンとクローディーヌ・ロンジェのバージョンを聴いたという記憶があるんです。この61年のヒット曲を、ボビー・ヴィントン、モコ・ビーバー・オリーブ、クローディーヌ・ロンジェが、偶然相次いで出したとは思えないんですよね。 きちんと調べればわかるのかもしれませんけど、ちょっとめんどくさそうなので、今回は推理にとどめておきますが、68年にボビー・ヴィントンが出したのがきっかけで、相次いでカヴァーが出たということなんだと思います。 しかし、大いにヒットしたという記憶はないし、何かの B 面だったというようなことかもしれません。 で、本当は今回手に入れた CD のライナーノーツに、この辺りのことを知る手がかりがいくらか手に入るだろうと思っていたのです。 BOBBY VINTON - Blue Velvet - His Greatest Hits - [from UK] [Import] Amazon のページによれば、こういう CD ですからね。 [from UK] なんて書いてあるでしょ。アメリカ盤と違って、英国盤は結構ライナーが充実していることが多いから、期待もしたっていうわけですよ。 ところが、あけてびっくり玉手箱。 中から出てきたライナーは、ドイツ語ですよ、ドイツ語。 「イッヒ リーベ ディッヒ」とか、「イッヒ フンバルト ダス ウン( )」ぐらいしかわかりませんよ。 みなさん、くれぐれも注意してくださいよ。[from UK] と書いてあっても、ドイツ盤だったりしますから。もっとも、80年代のレコードなんかでも、英国盤かと思ってよく見ると別の国でプレスしたものとか多かったですし、EU って、あまりにも一つですよね。 ただ、できれば英語のライナーも欲しいです。・・・というわけで、もう1枚(正確には3枚組ですけど)頼んである方は期待できますよ。何しろ [from UK] と書いてありましたが、Amazon UK で調べたら、オーストラリア輸入盤ですからね。今度は EU じゃなくて、the Commonwealth ですからね。 で、一応 Box セットのようですし、ライナーも充実していそうなんですよ。・・・と、希望的観測。 だけど、どうして3枚組の Box セットのほかに、今回のベスト盤なんか買ったんですか?・・・というような素朴な疑問がわいてきますよね。 最初3枚組 Box セットを見つけたときは、これですべて解決!と思ったんですが、実はここに肝心の "I Love How You Love Me" が入っていないことに気づいたんです。この曲、昔レコード屋で見たときにはふつうのベスト盤に入っていたから、大抵の CD に入っているものだとばかり思っていたんですけど、これが案外ない! そこで、なるべく曲にダブりのない組み合わせで、 Box セットとベスト盤を1枚買おうと決めて、今回のような組み合わせになったんです。 今回の曲目は、 1. Blue Velvet 2. Roses Are Red 3. Sealed With A Kiss 4. Venus 5. Great Pretender 6. Earth Angel (Will You Be Mine) 7. Only You 8. Unchained Melody 9. When I Fall In Love 10. Mr Lonely 11. Take Good Care Of My Baby 12. Raindrops Keep Falling On My Head 13. Blue Moon 14. Rain Rain Go Away 15. L-O-N-E-L-Y 16. Tell Me Why 17. There I've Said It Again 18. I Love How You Love Me 19. My Heart Belongs To Only You 20. True Love ほら、スタンダードナンバーが多いでしょ。 しかし、その後、また Amazon に出ていた中にもう1枚欲しいものが見つかってしまいました。昔の LP を2枚組み合わせて1枚の CD にした、とってもお得感のあるタイプ、俗に言う "2 in 1"ですね。 幸いこれにもほとんどダブりがないので、近いうちに注文しようかと思っております。 いいですよぉ、ボビー・ヴィントン。 ********************** 4年半前の日記の続きを書いているのか、・・・なんてあきれている人がいたら、まあそんなに心配するなと、励ましておいてください。前回の日記だって、2002年11月21日の日記の続編のようなものでしたから。 ま、僕としては、4年半前にした約束を果たせてほっとしております。 けど、まだまだ履行できていない約束はいくつもあったような気がして、このまま死んだとしたら、「あいつは約束を果たさないまま死んでしまった」と、死んでからも後ろ指を指されるんじゃないかと、びくびくしながら生きることになるので、少しずつ書いてゆくつもりです。 どうぞよろしく。 只今、台風9号大暴れ中。みなさん、くれぐれもご注意を。
2007.09.06
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“Cutie Pie” by Johnny Tillotson 1963 日本語版『キューティー・パイ』伊東ゆかり 1963 今年の夏はほとんどキュウリを買わずにすんでしまいましたけど、もうそろそろ収穫も終わりを迎えようとしています。 あ、申し遅れました。私穴沢ジョージでございます。 お久しぶりでございます。 みなさんお元気でしたか?心配してたんですよ。どうしてるかな・・・って。 え?・・・おまえこそどうしていたかって? そりゃ、あなた、夏眠ですよ、夏眠。これはどちらかというと、"Come in." よりは、"Comin'." の方が近いです。あれ、そうでもないなぁ。"Come in." に近いかもしれない。 ・・・などと言って、ごまかそうとしていますが、だめですか。 それで、キュウリがたくさん採れてしまったとき、みなさんはどんな利用の仕方をするかと思って伺いたかったんですけど、もうそろそろ収穫量も少なくなり始めて、・・・ぁ、これはさっき書いたか。 でも、まだ冷蔵庫に何本もあるので、何か良い料理法をご存じの方は教えてください。とりあえず明日は、こちらの郷土料理「キュウリの粕もみ」をいただこうかと思いますけど。 ********************** アメリカ人はよく、"t" の音が "l" になって、語尾の "-ty" や "-tie" を "-ly" って発音するから、ジョニー・ティロットソンの歌う "Cutie Pie (キューティー・パイ)" が、当時中学生だった僕に「キュウリィパイ」にしか聞こえなかったのは、正しかったわけですよね。もちろん今聴いてもそう聞こえます。 ♪ My little Cutie Pie ~ は、♪ マリルキューリパ~イ・・・ですよ。 レスリー・ゴーアの『涙のバースデーパーティ』も、"It's my party' と書いても「イッツ・マィパーリ」ですしね。 "Cutie Pie" は、いっそのこと邦題を『キュウリのパイ』とかにしたら、かなりインパクト強かったんじゃないでしょうか。 『ナスのおやき』なんていうアンサーソングが流行ったりしてね。 「ナスのおやき」といえば、時々長ナスを適当に刻んだやつが入っているのに出くわしたりすると、がっかりします。やっぱ、丸ナスじゃないとね、tougei さん。 「ナスのおやき」を食べながら、伊東ゆかりの日本語版『キューティー・パイ』を大声で歌っていた頃は、僕は北信 (信州北部のこと) に住んでいましたから、結構うるさいんですよ、おやきには。 あと、近頃「おやき」と言いながらふくらし粉を入れて焼いたやつに出逢うこともありますが、これもいけません。そいつは「おやき」じゃなくて、ただの「まんじゅう」だろうが。 あれれ、何の話でしたっけ・・・。 そうそう、ジョニー・ティロットソンの『キューティー・パイ』でした。この歌が日本独自のヒット曲だということはだいぶ以前に書いた気がして、ちょっと過去の日記にさかのぼってみましたら、何と!2002年11月21日ですよ。このときは『ポエトリー』のことを書いたんですけど、コメントへのレスに書いてありました。 2002年11月21日の日記(『ポエトリー』詩だよ、詩) ジョニー・ティロットソンの日本でのヒット曲の中では、やはり "Poetry in Motion (ポエトリー)" が一番好きですけど、"Princess Princess (プリンセス・プリンセス)" も、この "Cutie Pie (キューティー・パイ)" も、いいですよね。 みなさんはこの3曲だとどれが好きですか。 "cutie pie" とは「かわいこちゃん」などと英和辞典に記されていた記憶がありますけど、今でも普通に使われている言葉なんでしょうかねえ。死語のようにも思いますけど、「キューティー・ハニー」やら「気分はピーチパイ」やらは、この「キューティー・パイ」が下敷きになっている可能性はなきにしもあらずと、言えなくもないような・・・。 いわゆるパイ料理というやつ、いいんですけど、結構手間がかかるのでなかなか食べる機会がありませんね。 でも、パイといえばやっぱりアップルパイでしょうか。東京にいる頃にコトブキのアップルパイというのをよく食べましたっけ。まだあるんでしょうかねえ。 ********************** 今夜はあの Velvet Voice でも聴きながら寝ようかと思います。Amazon で注文した CD が届いたんですよ。スタンダード・ナンバーをたくさん歌っているアルバムがあって、その中にどうしても欲しかった曲があったんでね、つい買ってしまったんですよ。 さあ、僕が CD をずっと欲しいと思っていたこの歌手は誰でしょう。そして、何の曲が聴きたかったんでしょう。 曲当ては難しいでしょうが、歌手はすぐにわかりましたよね。 次回はこの CD の感想など。 ではまた。
2007.09.03
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"Even The Bad Times Are Good" by Tremeloes 1967 「古いロックの CD 21枚」16枚目から18枚目はシド・バレット(Syd Barrett)、トッド・ラングレン(Todd Rundgren)、フー(The Who) です。 残りの3枚(19枚目から21枚目)は、英国盤の「寄せ集め盤 "The 60's Collection (60 HIT TRACKS)"」なので、一挙に行ってしまいますね。 ********************** No. 16 "THE MADCAP LAUGHS / SYD BURRETT" (米国盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1970年。 思わず No. 14 のピンク・フロイドの1st "THE PIPER AT THE GATES OF DAWN『夜明けの口笛吹き』" と聴き比べをしてしまいました。 これも内容をよく知らなかったんで、新鮮な驚きでしたね。とても聴きやすいです。大げさでないのが良いです。だけど、歌詞をちゃんと聴き取れたとしたら、どうなんでしょう・・・。ま、暇なとき、考えようっと。 でも、やっぱりこの人はピンクフロイドにいなくて良かったのかもしれません。『原子心母』や『狂気』(←何ちゅう邦題じゃ!)はこの人がいたらできなかっただろうし、こういうアルバムもソロだから残せたんだろうと思いました。 アマゾンでちょっと調べたら、この人のベスト盤もボーナストラックが入ったのとか、2枚を合体させたのとか、いろいろ出ているから、こういう放出の仕方も納得です。僕のような聴き方をするタイプの人間には、うれしいことですけどね。 No. 17 "ベスト・オブ・トッド・ラングレン(THE BEST OF TODD RUNDGREN) " (日本盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1998。国内独自編集盤。 帯によると「どれをとってもすべて名曲!メロディー・メーカーとしてのトッドをこれ一枚で堪能できる日本編集のベスト盤。全19曲収録」ですから、これまた非常にお得な買い物でした。 1970年から83年にかけてのベストで、彼の実体をよくわかっていない僕にはまさにうってつけのアルバムでした。 No. 18 "ザ・フー / ア・クイック・ワン+10 (THE WHO / A QUICK ONE)" (日本盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1967年。 タイトルの "+10" は、ボーナストラックが10曲も!入っているという大変お徳感のある1枚です。 フーというのもなかなか微妙です。僕は初期がとても好きなんですけど、あのロック・オペラというやつがかなり苦手なんですよ。でも、曲だけ取り上げると良いのがあるし、今まで持っていたベスト盤や BBC SESSIONS は必聴盤だと思うんです。 ア・クイック・ワンのアルバムでは、"So Sad about Us" なんかいいですね。 ********************** さて、寄せ集め盤ですが、"The 60's Collection (60 HIT TRACKS)"のこともちょっと。 今回の3枚組は、ビートルズのホワイトアルバムとは違って、3枚が別々のケースに入っているので、それぞれ1枚にカウントさせてもらいました。60 HIT TRACKS というサブタイトルが付いているように、1枚に20曲ずつの全60曲です。 英国盤の寄せ集め CD といえば、Object Enterprise というところから出された4枚組(全68曲)の "The 60's Collection" という同タイトルのものを持っていますが、うれしいことにほとんどダブっていないんですよ。一つには、前者が60年代前半が中心で、後者は後半が多いということがあるからだと思います。 で、4枚組の方には全く入っていなくて、今回の3枚組の方で目立つところというと、あの!トレメローズ(Tremeloes)が4曲、ペトゥラ・クラーク(Petula Clark)が4曲などですかね。ほかにも良い曲がいっぱいあるし、全く聴いたことのないグループも 2・3 あります。 どちらもイギリスだけでなくアメリカの曲も入っているわけですが、この手のオールディーズ寄せ集め盤というのは、ヒットした曲に差があるせいでしょうか、英国盤、米国盤、日本盤で、ずいぶん曲目が違っていておもしろいですよね。だから、格安で出ていたら、即買いしてしまいますよ。 ********************** このたびは「古いロックの CD 21枚」にお付き合いいただきありがとうございました。 ところで、一昨日ね、隣県群馬まで行って来ました。 これは、我が家の毎年恒例の行事のようなもので、大規模なフリーマーケットが目当てです。今年は息子と二人で行きました。 いくつか掘り出し物があって、遠くまで行った甲斐がありましたが、CD も8枚、格安で手に入れてきました。そのあたりのこともまた機会があったら書きましょう。 そうそう、FM群馬の実況生放送があって、Pistol Valve のみなさんが来ていて、目の前でたっぷり演奏が聴けました。これには息子も僕も大喜び。とても良かったですよ。
2007.05.01
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" Gimmie Some Lovin'" by the Spencer Davis Group 1966 「古いロックの CD 21枚」もいよいよ13枚目から15枚目です。今回はモンキーズThe Monkees)、ピンク・フロイド(Pink Floyd)、スペンサー・デービス・グループ(The Spencer Davis Group) ですよ。 ********************** No. 13 "ザ・モンキーズ/アイム・ア・ビリーバー(MORE OF THE MONKEES)" (日本盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1967年。 おなじみ、モンキーズのセカンドアルバム。オリジナルアルバムを CD 化したシリーズの国内盤です。 No. 14 "ピンク・フロイド『夜明けの口笛吹き』(PINK FLOYD/THE PIPER AT THE GATES OF DAWN) " (日本盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1968年。 何と言ってもピンク・フロイドのファーストですから、是非持っていたい1枚ですね。通して聴いたことはないけれど一番気になっていたアルバムです。しかし、このアルバムの邦題が『夜明けの口笛吹き』だとは知りませんでした。何となくアルバムタイトルも「ピンク・フロイド」だと勝手に思い込んでいました。 原題は "THE PIPER AT THE GATES OF DAWN" で、「暁の門に立つ笛吹き」ってえことかな。この狂気をうちに秘めたようなサイケデリックな雰囲気と、様々な音楽的要素を取り入れた音づくりが、後のプログレの基となったことは言うまでもありません。 No. 15 "THE BEST OF THE SPENCER DAVIS GROUP" (米輸入盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1987。CD のための編集盤だと思われる。 タイトル横に "featurinig Stevie Winwood" とあることからもわかるように、彼(スティービー・ウィンウッド)が在籍していた頃の曲を集めたコンピだが、ちょっと不思議なことが・・・。 チェックのために聴いているときに曲目と実際にかかっている曲が違っているところがあるので、裏ジャケの曲目と CD に印刷されている曲とを比べてみると・・・、あらら、実際には15曲入っているぞ。裏ジャケには10曲しか記されていないので、なんだかとても得したような気分です。 一応 EMI-USA から出たオフィシャル盤のようですけど、かなりいい加減なもののようです。 ********************** "Gimmie Some Lovin'" はとても懐かしいですね。僕は昔 Traffic(トラフィック) の "Welcome to the Canteen" というライブ盤の LP を持っていて、よく聴いた曲です。LP は売っちゃったので今は持っていませんけど、これも CD で取り戻したいです。 そのスペンサー・デービス・グループですけど、改めて聴いてみてその良さを痛感しております。 当時のイギリスでは、ブルースロックと呼ぶのでしょうか、このタイプのグループがいくつかあって、どのバンドもかなり良いですよね。 どんなタイプかっていうと、一言で言えばかなり黒っぽい音で、R&B やブルースに強く影響された音。いわゆる黒人音楽に対するあこがれがその歌と演奏に色濃く反映した音ですね。 え?たとえば・・ですか?・・・ほら、アニマルズとか、ヤードバーズとか、マンフレッドマンとか、ゼムとかね。数え上げたらきりがないですよ。 スペンサー・デービス・グループの場合、Rhyno の British Invasion には何曲か入っていますが、彼らの LP や CD は持っていないので、この CD に刺激されて、初期のアルバムの復刻盤 CD が欲しくなってしまいました。でも、安く買うのは難しいだろうなあ。 実は、今回の21枚のうち、この CD だけは最初に1曲目を軽くチェックしたとき、音がとぎれたり同じ箇所を繰り返すような症状があったので、本物のジャンク品かと思われましたが、レンズクリーナーでしっかり盤面を磨いたら、ふつうに聴けました。 というわけで、No. 15 まで終了。
2007.04.21
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" Walk on the Wild Side" by Lou Reed 1972 みなさんは今日のタイトルの「二人のキース」を見て、誰を思い浮かべましたか。 「古いロックの CD 21枚」を手に入れる前に、僕がこの質問をされたら、次の二組ぐらいしか思いつかなかったでしょう。 1. キース・リチャーズとキース・ムーン 2. キース・エマーソンとキース・ジャレット しかし、ここに紹介する二人のキースには、上の四人は含まれていません。 「古いロックの CD 21枚」の10枚目と11枚目は、キース(Kieth)とキース・ウェスト(Kieth West)です。そして12枚目は、ルー・リード(Lou Reed)。 キース(Kieth)とキース・ウェスト(Kieth West)の二人の曲は聴いたことがありませんでした。 ********************** No. 10 "98.6 BEST OF KIETH" (日本盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1996年ということで、つまり CD のための編集盤。しかも「世界初 CD 化」と帯に書いてある。 全27曲は、すべて66&67年の録音。ファーストアルバムとセカンドアルバム全曲、プラス、アルバム未収録4曲という豪華なもの。バッキンガムス、グレープフルーツ同様、今回のベスト3に入る大ヒット CD だ! いや、ホントに良かったです。この人(ただのキース)については僕は全く知らなかったので、ライナー・ノーツ入りの日本盤はありがたい。 そのライナー・ノーツで長門芳郎氏は、キースの"Ain't Gonna Lie" や "98.6" について、「とりあえずシングル盤は発売されたものの、いくら全米ヒットしたとはいえ我が国の AM ラジオや街頭でがんがん流れていたという記憶はない。専ら、米軍の極東放送=FENにかじりついて、アメリカのヒットポップスを聴きあさっていた僕は、キースの甘いハスキーな歌声と何とも洗練されたスマートなサウンドに一発で心を奪われたのであった」と記しています。 長門さん、僕と同世代の人のようですけど、僕の場合山国信州で高校生活を送っていましたので、さすがにFENは聴けませんでした。その代わりラジオ関西が鮮明に入ったので、いつも電リク聴いてましたけど。 No. 11 "Keith West EXCERPTS FROM...Groups & Sessions 1965-1974" (英輸入盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1995。CD のための編集盤。 アルバムタイトルにもあるように、キース・ウェストが在籍した3つのバンド (Four+1, The IN CROWD, TOMORROW) と、ソロの曲を集めた23曲入りの貴重な CD だ。 キース・ウェストも全く知りませんでした。こちらは英国盤ですけど、一応詳しい解説があるので、また時間があるときにゆっくり読んでみましょう。 No. 12 "トランスフォーマー/ルー・リード (LOU REED-TRANSFORMER) " (日本盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1973。 ソロ活動に入ってからのルー・リードの中では、『ワイルドサイドを歩け』が入ったこのアルバムだけは前から欲しかった。プロデュースはデビット・ボウイです。 ********************** 4月14日、久しぶりにラジオでしゃべることになったのですが、一人より誰か相手がいた方がやり安いので、どうしようかと思っていたところに、Tea さんとりっちいさんご夫妻が14日夜うちの方面でライブがあって、僕のドラムセットを貸して欲しいという連絡が入ったのです。 お、これは渡りに boat というわけで、ライブに行く途中ラジオにゲスト出演をお願いしてしまいました。 Tea さん・りっちいさんご夫妻とその仲間たち総勢6名様 (今回のユニット名、Beat Berry) のことですから、必然的にビートルズ関連の曲を何曲かかけることになりました。 この日はディープ・パープルのギタリスト、リッチイ・ブラックモアの誕生日でしたから、先日日記に書いた、「No. 6 "ディープ・パープル「ハッシュ」/Deep Purple" (日本盤)」から "Help" をかけたところ、ビートルズ関連ということもあり、また「リッチイ・ブラックモア」と「りっちいさん」が掛詞(単なる駄洒落?)になっていたりして、結構喜んでいただきました。 この "Help" ですが、とりあえずクイズ形式にして演奏しているバンド名を答えてもらったんですけど、ヒントなしではさすがにみなさんわからなかったようです。 ほら、みんな若いから・・・。いや、これはホント。 で、1968年のアルバムに入っているよと言ったら、みんなさすがに驚いていましたね。このファースト・アルバムは、今聴くとそのサイケデリックなアレンジとか、割とモダンな感じなのでね。 結局いくつかのヒントの後、Tea さんが見事正解を出してくれました。 ビートルズ関連の曲、ほかには「ビートルズがカヴァーした曲のオリジナル」と、「ビートルズが作って他の人が歌った曲」を特集しました。この辺のことはまた。
2007.04.16
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"C'mon Marianne" by Grapefruit 1968 Original by the 4 Seasons 1967 「古いロックの CD 21枚」の7枚目から9枚目は、ジョージィ・フェイム(Georgie Fame)、 グレープフルーツ(Grapefruit)、ジャクソン・ファイブ(Jacson Five) です。 No. 7 "ジョージィ・フェイム/get away with GEORGIE FAME" (日本盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1993年なので、つまり CD のための編集盤。なお、曲は全部1964~66年のものです。 ジョージィ・フェイムといえば "Yeh Yeh" が有名で、それ以外はちゃんと聴いたことがなかったので、僕にとってこのコンピはとても貴重です。"Sunny" が入っていましたけど、この人のもいいですよ。 No. 8 "Grapefruit/around Grapefruit" (英輸入盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1969。元の LP が69年にリリースされたもので、CD 化に際して1曲ボーナストラックが加えられています。68年~69年に出たシングル盤の寄せ集め。 いいなあ、グレープフルーツ。今回の21枚の中でもこれとバッキンガムスは特に良かったです。 No. 9 "ベスト・オブ・ジャクソン・ファイブ/JACSON 5, THE ULTIMATE COLLECTION" (日本盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1996。CD のための編集盤です。 ジャクソン・ファイブは、「アンソロジー」を持ってはいるのですが・・・。実はそのアンソロジー、バザーで手に入れたものの、帰って中身を見たら2枚組の1枚目しか入っていなかったという片肺モノだったんです。従って今回のベスト盤は、アンソロジーの2枚目をかなりカバーしているのでうれしいです。 マイケル・ジャクソンはジャクソン・ファイブの頃が、良かったですね、可愛くて。 ********************** グレープフルーツは、特にそのコーラスが素晴らしい。フォー・シーズンスの "C'mon Marianne" をカヴァーしているくらいだから、コーラスにこだわっていたことは明らかで、そのハーモニーはフォー・フレッシュメンやビーチボーイズを想わせる。 また、"C'mon Marianne" 以外はオリジナル曲ばかりだけれど、これがまた全部いい曲ばかりで、実に素晴らしい。 でも、こんなに良いグループなのにどうして世界的にヒットしなかったのでしょうね。いろいろ考えちゃいましたよ。 1968~69年という年は、ロックが様々な要素を取り入れて、大いなる飛躍を遂げていった時期で、口当たりの良いポップスが敬遠される傾向があった。ジャズ、クラシックの要素を取り入れたものが台頭してきたし、ビートルズもストーンズもサイケデリックな音づくりに励んだ。あるいはブルース・ロックもこの時期にその世界を確立したと言える。グレープフルーツが登場したのは、タイミングが悪すぎたんだと思う。 もしグレープフルーツが、後2年早く世に出ていたら、間違いなく世界的なヒットをしたと断言できる。 僕がこのグループのことを知ったのはだいぶ後のことで、当時は全然知りませんでしたけど、もしも65年とか67年にかけて、つまり僕の高校時代に彼らが存在していたとしたら、きっと僕はグレープフルーツ・フリークになっていたと思います。 ********************** それにしても、グレープフルーツの実の成り方ってすごいですね。あんな風に実の付く柑橘類はほかにないでしょうね。 大学生の時でしたか、初めてグレープフルーツを見たとき、なぜこれが葡萄(グレープ)果実(フルーツ)なのか全く納得がゆかなかったんですけど、みなさんはどうでしたか。変だと思いませんでしたか。 あ、・・・そうか、物心付いたときには既にあったんですね、グレープフルーツ。だから別に変だとも何とも思わなくて当然ですよね。 今思い出しましたが、大学時代、金がなくなるとよく日雇いのバイトに行きました。主に日通の仕事なんですけど、汐留の貨物駅近くの事務所からあちこちに連れて行かれるんです。 時々芝浦埠頭の方に行くことがあって、貨物列車に何かを載せたり、倉庫の仕事をしたりするんですが、倉庫にはバナナとかグレープフルーツが入っていて、今思い出してみても、あれは消毒の臭いと果実の甘い匂いが混じった、独特のものでしたね。 今でもバナナとグレープフルーツのにおいをかぐと、あの時の芝浦埠頭の倉庫でかいだ、独特の消毒臭を含んだにおいが甦ってきます。 柑橘類といえば、3月の終わりに東京へ行ったとき、多摩川の近くで八朔(ハッサク)がたくさんなっているのを目撃しました。 うちの辺りは寒いので、柑橘類はだめですね。せいぜいカラタチぐらいですよ。だから、あんなに大きな柑橘類がたくさん、しかも冬を越して春先になるなんて、なかなか信じがたい光景です。 そういえばその貴重な柑橘類カラタチですが、母の実家の庭に落ちていた実を拾ってきて種をまいたのが、4本ばかりあります。今ではかなり大きくなって、去年ついにその1本に花が咲いたんですよ。わずかばかりですけどね。 どんな花かわかりますか・・・? そうです、歌でおなじみの白い花です。そして、見事に実を結びました。庭の隅に種を埋めてから10年がたっていました。 今年はどのくらい咲くかわかりませんが、咲いたら撮影してみなさんに見ていただこうと思います。
2007.04.11
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"Mercy, Mercy, Mercy" by the Buckinghams 1967 Original by Cannonball Adderley 1967 左の "Freepage List" の一番下にある "CDs & LPs" の "21 Rock CDs" をクリックすると、今回手に入れた『古いロック 21枚セット』の画像が見られます。 めんどくさい方はこちら↓↓↓↓↓からどうぞ。 『古いロック 21枚セット』の画像 最初「古いロック」という表現はどうなんだろうと思ってよく写真を見たら、結構その通りでしたね。 実際、手元に来た21枚のうち明らかに70年代と言えるのは、シカゴの5枚目、ルー・リードの Transformer、トッド・ラングレンのベストの3枚だけで、ほかは全て60年代モノですよ。 60年代の終わり頃というのは、英米を中心に全世界において、ロックが様々な試みや模索を一つの垣根の中で行っていた、まさに飛躍の時期に当たりますから、数え切れないほど多くの名盤や名曲が、「ロック」の括りの中で出てきたわけです。70年代になるとこれがいろんなジャンルに枝分かれしていくわけですよ。 60年代後半は、ちょうど僕が高校生から予備校生だった頃だったので、なかなかレコードを買うほどの資金もなかったんですね。だから、今になって CD が結構安かったりすると、どうしても欲しくなって買ってしまうということになるのです。 ********************** さて、アルファベット順に並べた「古いロックの CD 21枚」の4枚目から6枚目は、バッキンガムズ (The Buckinghams)、シカゴ(Chicago)、ディープ・パープル (Deep Purple) の3枚です。 No. 4 "バッキンガムス マーシー・マーシー・マーシー(コレクション)/Mercy, Mercy, Mercy: A Collection by The Buckinghams" (日本盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリースは1991年なので、つまり CD のための編集盤ということ。 改めて聴いてみて、バッキンガムス、とってもいいです。 No. 5 "シカゴV/Chicago V" (日本盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1972。 シカゴは1枚目が欲しいところですね。でも、この辺もあってもいいか。 No. 6 "ディープ・パープル「ハッシュ」/SHADES OF DEEP PURPLE" (日本盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1968。 ディープ・パープルとはいっても、1st ですからね。これは昔よくロック喫茶で聴いたから懐かしいですけど、"Help" をカヴァーしていたのは覚えていなかったなあ。 日本盤アルバム・タイトル曲の『ハッシュ(Hush)』は当時ラジオでもよくかかったけど、あの「♪ ラーララッラー ララッラー ララッラー・・・」はどう考えても "A Day in the Life" のパクリだな・・・と思ったもんですね。もちろん、アップテンポにして曲に取り入れただけの「確信犯」であるという可能性も十分ありますけど。 クイズ:今回の3枚の共通点は? 答え・・・3枚とも国内正規盤でした。 ********************** No.4 ~ No.6 の中では何と言ってもバッキンガムスですよね。ちょっと見てみたいですよね。 前から持っている「ベスト(ザ・バッキンガムス・グレーテスト・ヒット/The Buckinghams' Greatest Hits)」は、1969年の LP を CD 化したもので、当時のまま11曲入り。しかし今回の「コレクション」、うれしいことに18曲。この時点で、少なくとも7曲は持っていないことになるぞ。 さてさて、ダブっているのはと・・・。 おお何と、8曲だぞ。よかったよかった。10曲は初めてだぞ。で、「ベスト」にしか入っていない曲が2曲あるのだ。・・・とまあ、こんなことで喜んでおります。 ちなみに今回初めての10曲は、3. I've Been Wrong Before 5. I Call Your Name 6. Makin' up and Breakin' Up 12. You Misunderstand Me 13. Where Did You Come From 14. This Is How Much I Love You 15. It's a Beautiful Day (For Lovin') 16. Difference of Opinion 17. I Got a Feelin' 18. You ですが、中におなじみの曲があるでしょ。ほら、5. ですよ。ビートルズの "I Call Your Name" ですよ。 この曲はママズ・アンド・パパスのカヴァーは持っているけど、バッキンガムスもやっていたとは! ビートルズのオリジナルについて興味のある人には、以前に書いた日記(ビートルズ『アイ・コール・ユア・ネーム』)を読んでいただくとして、さっそくバッキンガムスの "I Call Your Name" を聴く。 ママズ・アンド・パパスもバッキンガムスもちゃんとコーラスをつけて自分たちのカラーを全面に出しているから、これはこれでいいんでしょうね。ディープ・パープルの『ヘルプ』にも同じことは言えますね。 この CD 全体を通して言えることは、バッキンガムスには名曲が多いということ。特にあまり凝っていない初期のポップ・チューンには好きな曲がたくさんあります。日本でも流行った『マーシー・マーシー・マーシー』のようなカヴァー曲のアレンジがとてもいいのは言うまでもありませんしね。 次回は No.7~ No.9 ですよ。ここにはまたすごいのがあります。
2007.04.09
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"I'm So Tired" by the Beatles 1968 昨日の日記を書きながら、何か忘れている気がしていろいろ考えていたんですが、思い出しました。 やはり一人抜けていたんです。 そう、去年の今頃でしたね。宮川泰さんが亡くなったんです。 過去の日記(追悼:宮川泰)をさかのぼって見つけてしまったときには、ちょっとがっくり来ました。そうだ、この人も亡くなってしまったんだってね。 漣健児、宮川泰、青島幸男に続いて、4人目でした。植木等。 今日は日曜なので、朝からワイドショーのようなものをやっているよなあと思って、地上波をつけておいたら、案の定、日テレ系で植木さんの特集を組んでいました。何しろシャボン玉ホリデーの局ですからね。 歌手(ミュージシャン)としての植木等の凄さを、弟子の小松政夫が語っていたのが、やはり印象的でした。 ********************** 昨日届いた21枚の CD は、破損のあるケースは取り替え、ほぼ全部汚れていたので、お湯で絞ったタオルを使い、しっかりこすって汚れを落とし、最早ジャンクとは呼べない状態に甦りましたので、早速アーティスト順に(アルファベット順で)並べてみました。 最初の3枚が、バッド・フィンガー(BADFINGER)、ビーチボーイズ(THE BEACH BOYS)、ビートルズ(THE BEATLES) です。 昨日の日記のタイトルに、「~Magic Christian」が付いているのは、このバッド・フィンガーのアルバムのことだったんです。ま、ちょっとした予告編ですね。 このアルバムは絶対に欲しかった1枚。最初に写真を見たとき、あの特徴ある人差し指が上を向いたジャケットの絵が、真っ先に僕の目に入ったんですよ。 No. 1 "Magic Christian Music by BADFINGER" (米輸入盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1969。 "No Dice" は LP も CD も持っていますが、「マジッククリスチャン」は持っていなかったので、ほんとに良かったです。 No. 2 "ビーチ・ボーイズ・クリスマス・パーティー/The BEACH BOYS' CHRISTMAS ALBUM" (日本盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1964。 LP持っていますが、ボーナストラックが2曲先頭に入っています。これをアルバムの最後に入れなかったのは、最後の曲が "Auld Lang Syne" だからだね。え?どんな曲かって?ほら、卒業式とかに歌うあれですよ。そう、『蛍の光』ですから。 "Christmas Day" は何度聴いても素晴らしいです。この季節に聴いても全然問題ありません。 No. 3 "ザ・ビートルズ/The BEATLS" (日本盤) チェック完了。全曲問題なし。原盤リリース1968。 これは LP 持ってましたし、現在英国盤のCD を所有しているので、ダブりましたが、こちらは日本盤ですから、ナンバリングがない代わりに解説と訳詞のブックレットが入っていますね。 「ホワイトアルバム」を2枚通して聴いたなんて、何年ぶりでしょう。全曲聴いて改めて、このレコードをよく聴いていた当時のことが思い出されました。レコードには付録で4人のカラー写真が入っていて、壁に貼っていましたよ。 どの曲が一番好きかって?・・・なかなか難しい質問です。 当時は "While My Guitar..." ~ "Happiness Is a Warm Gun" が好きで、この2曲だけ聴くなんてこともよくありました。 "I Will"~"Julia" っていうのもいいですね。 あとは "I'm So Tired" ですか。やっぱ。 以上、最初の3枚は無事チェック完了。すべて異常なし。 どう?すでに元取った感じでしょ。 残りは18枚。それがものすごいラインナップでんがな。 いわゆる得体の知れない廉価盤というものがないのも、今回の特徴ですね。強いて言えば、"THE 60'S COLLECTION" という英国盤が3枚ありますけど、これも中身を見れば感動モノですよ。 じゃ、続きはまたね。 7時頃からやっていた植木等の特番、途中からだけどビデオにとってあるので、今から見ようと思います。
2007.04.01
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“Come and Get It”by Bad Finger (1969) 今度は植木等さんが亡くなりました。80歳でした。 時代がどんどん急ぎ足で過ぎてゆきます。 一昨年は漣健児さんが、去年の暮れには青島幸男さんが亡くなりました。 この二人に続いて3人目は植木さんだった。彼らが一番活躍した時期に、僕はその歌でさんざん世話になって、随分楽しい思いをさせてもらったのは、本当に幸運でした。 これがもしもう少し年上だったら、彼らのあんな歌、大声で歌うのはとっても恥ずかしかっただろうし、もう少し小さかったら意味がほとんどわからなかっただろうから、これはどう考えても僕は幸せです。 ・・・と、またコピー&ペースト日記です。 訃報に接して、すぐに日記に書こうかと思ったんですが、なかなかその気になれなかったんですよ。 でも、「穴ジョーのお悔やみ日記」で初めて知る人もいるかもしれないと思って、勇気を出して書いています。 いや、ほんとに勇気がいるんですよ。やる気失せてますから。何しろこのところ、オールドマックユーザーはひどいイジメに遭っていますから、・・・。ねえ、楽天さん。 ・・・と、ここまで書いてから3日以上過ぎてしまいました。 現在3月31日、明日から新年度。学生さんには大晦日のようなものですね。みなさんお元気なんでしょうか。 そういえば植木等が亡くなった前々日、僕は久しぶりに東京へ行って来ました。 夜渋谷を歩いたんですが、楽器屋で格安のドラムヘッドを2枚と、前から欲しかったエド・シグペンモデルのワイヤブラシを手に入れて、意気揚々(若干息切れ気味でしたが)道玄坂を上り、最終目的地「ムルギー」を目指したのです。 2年前にも同じコースを歩いたことなど思い出していました。あのときはもう一軒の方の楽器屋でピーター・アースキン・モデルの12インチスネアを手に入れたんだっけ。その後結構活躍しているし、いい買い物だったなあ。 で、百軒店に向かって右に曲がると・・・、まあ予想通りまた風景が変わっている。ジャズ喫茶なんて一軒もなくなっちゃったんだと、改めてため息つきながら左に折れると、あれれ、なんだか看板が見あたらないよ。でもドアは開いてる。あらっ?ムルギーやってないの?!そりゃないよ。二年ぶりだよ。勘弁してよ。 あきらめきれずに開いているドアから入ったら、おばさんとおねえさんが片づけに入っている様子。 (穴ジョー)「もうおしまいですか」 (おねぇサン)「すみませんねえ、8時までなんですよ」 穴ジョーとっさに時計をみる。8時3分でした・・・。 昼に上野の「昇龍」で久々に餃子を食べられたから、どうにかあきらめられたとは言え、相当がっかりしたことはおわかりいただけたでしょう。でも、今ちょっといいことがありました。 ゆうパックで CD が届いたんですよ。21枚。 え?「永遠のポップス21枚組」でも買ったのかって? ちっちっちっ。甘いね・・・。 ヤフオクですよ、あなた。 『古いロック 21枚セット 5,000円 スタート (キズがひどいです ジャンク品扱いでお願いします 音とびしても返品は無理です) 』・・・で、僕以外全く入札無く、すんなりゲットでした。 まあ、僕のことだから、そんなことだろうと想像した人も多いでしょうが、今チェックしているところです。 しかし全然音とびしません。確かにケースにヒビがあったり、歌詞カードが水をかぶった形跡があったり、考えようによってはジャンクと言えなくもないものが多いですけど、これは宝の山だ!!!ダブりはビートルズのホワイトアルバムだけ。5,000円 ったら、この21枚のうち、3枚ぐらいの値段だね。中古でも。 でもね、写真に写っていた21枚見たら、きっとみなさんも欲しくなったと思いますよ。絶対。 どんな21枚だったかは、明日以降のお楽しみということで、今日はこの辺で。何しろ21枚チェックしないといけないので。 ああ忙しい、忙しい。 関連日記: ☆正解日記~(食品編)(←クレイジー・キャッツの『これが男の生きる道』の話) アクセス数5万!『24000 のキッス』(←クレイジー・キャッツの『五万節』の話) 追悼:漣健児 そして『ダニー・ボーイ』 追悼:青島幸男『九ちゃんのズンタタッタ』 「ムルギー」 ********************** 植木さん、去年、手に入れたクレージーキャッツのシングルを集めた2枚組の CD 、今も時々かけていますよ。結構息子が気に入ってるんです。1960年代の初期、これらの歌が僕らに与えた影響の大きさを考えると、あなた方は本当に偉大だったと思い知らされます。だからテレビで「俳優の植木等さん」とか「コメディアンの植木等さん」とか紹介しているのは、あまり良くないと思いますね。「歌手で俳優の・・・」とか、「ミュージシャンで俳優の・・・」と言って欲しいです。・・・どうぞ安らかにお休みください。
2007.03.31
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"Secondhand Love" by Connie Francis 1962(熊)「あけましておめでファーザー!しさしぶりです」 (穴)「おっと、熊さんかい。それにしても、新年早々ひどいダジャレだねえ」(熊)「もう半月も過ぎて「おめでとうさん」はないでしょうから、ほんの照れ隠しでございマッスル筋肉」 (穴)「しかし久しぶりだねえ。ほぼ10ヶ月会っていないから珍客だね。あんまり珍しいから、川上犬のようなものだね。天然記念客だね」(熊)「お言葉返すようですけど「珍しい」はこっちのせりふですよ、ホントに…」 (穴)「いつまで冬眠してるんだとか、このままじゃ誰も読まなくなっちゃうとか言いたいんだろう」(熊)「あれれ、わかってるじゃないですか」 (穴)「あたぼうよ。何年楽天やってると思ってるんだい」(熊)「記入率17パーセントのくせに、ずいぶんいばってませんか」 (穴)「おい、今年の干支は何だっけ。え~と…、なんちゃって」(熊)「あ、すぐそうやってはぐらかすんだから」 (穴)「バレたかい。レバ高い。モツ安いのに。それにしても17パーセントはひどいね」(熊)「何ですか他人事みたいに。もっと書かないと、みなさんに存在すら忘れられてしまいますよ」 (穴)「何だって。そんざイスラ・ボニータかい。マドンナだね」(熊)「違いますよ。存在すら!」 (穴)「だから、そんざイスラでしょうに。それとも何かい、そん座椅子らだとでもおっしゃいますか、などとボケたフリをイグレシアス」(熊)「もうそれ、フリじゃなくてホンマモンのボケでしょうに」 (穴)「まてよ、イスラ・ボニータのマドンナネタ、前に使ったような……」(熊)「え~?ホントですか~。それじゃセコハン・ギャグじゃないですか」(穴)「笑う角には福来たる、福着た鬼は怖くない、ボケナス背負って逃げ回る。…ってね。さあみなさん、楽しく笑って過ごしましょう…。わっはっは」(熊)「だ、大丈夫ですか、穴のダンナ」 (穴)「そうねえ、そろそろだめかもしれない……と、見せかけて、いきなり話題を変えるカメレオン!」(熊)「ああ、びっくりした!何突然マイク握って立ち上がったりするんですか」 (穴)「一昨日ね、またFMに行ってきたのよ」(熊)「車で30分ほどのところにあるあのミニFM局ですか」 (穴)「シーッ、ミニはまずいよミニは。コミュニティーFMと言いたまえ」(熊)「こりゃまた失礼しました切りスズメ。小声でこごえる寒がりスズメ」 (穴)「いえいえどういたしましてんてんてんまりてんてまり天地真理」(熊)「へえ~、また行ってきたんですか。あの番組は生放送でしたよね。今回も勝手なこといいながら好きな曲でもかけてきたんじゃないですか」 (穴)「愛ちゃん!卓球~!ピンポン!とりあえず列挙いたします。ただし、リスナーを意識して自分がかけたい曲ばかりではないというところがね、……。じゃあ、一挙に行くよ。覚悟はいいね。 ま ジェームス・ブラウン マンズ・マンズ・ワールド ど ドント節 ハナ肇とクレージーキャッツ つ 月影のナポリ ミーナ な 涙の口づけ ブライアン・ハイランド ど ドノバン ユニバーサル・ソルジャー あ 明日なき世界 バリー・マクガイア あ アズテック・カメラ Walk Out to Winter あ アイズリー・ブラザーズ ツイスト・アンド・シャウト と 遠くへ行きたい ジェリー藤尾 お 想い出のサンフランシスコ トニー・ベネット こ コニーフランシス セコハンラブ ぶ ブレンダ・リー この世の果てまで で デレク・アンド・ザ・ドミノス レイラ ら ランチャーズ 真冬の帰り道ああ疲れた…」(熊)「こ、これは…」 (穴)「え、何を感動しているんだい」(熊)「感動じゃないですよ。呆れてるんですよ。何ですかこの脈絡のない選曲は。音楽ファンは怒りますよ、これじゃ」 (穴)「甘いねワトソンくん。ちょっと考えればわかることじゃないか」(熊)「あ、最初の2曲の意味がわかった。去年暮れに亡くなったあのジェームスブラウンと青島幸男だ!でも3曲目以降は…」 (穴)「ヒントは先頭の文字だよ」(熊)「でも、まさか、しりとりとか、そういうくだらないことではないでしょうに喘息」 (穴)「え?何でわかっちゃったのうこうそく?」(熊)「そんなの誰だってわかりますよ。それにしてもよく強引につなげたモンですね」 (穴)「そりゃ25分でここまで選ぶのは正直きつかったよ」(熊)「それにしてもこれ、しりとりの王道から逸れてますよ。ふつうは「あ」から始まって「ん」で終わるでしょ」 (穴)「まあそれもいいけどね、最初の「ま」は番組タイトルのお尻なの。で、最後は今の季節つまり「真冬」の「帰り道」には十分お気を付けてという高尚な落ちを付けたのである」(熊)「そうかぁ、…。でも、『想い出のサンフランシスコ』から『セコハン・ラブ』あたりがちょっと......」 (穴)「そうだそうだ、メロンソーダ。そういえば熊さん、餅は食べたかね」(熊)「餅ろん。…って言わせたいんでしょうけど、そうは行きませんよ」 (穴)「じゃ、なんて言うんだい。「当然」とか「無論」とか、そういったありきたりなのは困るよ」(熊)「チッチッチ…、ノンノンでっせ」 (穴)「お、取って置きのを用意しているね。聞かせてもらおうじゃないの」(熊)「…あれれ、何て言おうとしてたんだっけ」 (穴)「オイオイ、若いのに熊さんこそボケたかい」(熊)「いや、そういうことではなくて…、餅の話題だけに、ネタがつきたて…」 ********************** ◎今日の誤変換 〔誤〕胃ぐれ氏明日→〔正〕イグレシアス 〔誤〕何帝王都市手タンだっけ→〔正〕何て言おうとしてたんだっけ
2007.01.15
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"Fun Fun Fun" the Beach Boys (1964) 全国の穴沢ファンのよい子のみなさん、本年もよろしくお願いしますよ。 先日テレビを見ていたら、昭和42年の出来事を振り返るというようなことをやっていたんですけど、見ましたか。僕は最後の方をほんのちょっと見ただけでしたので、どうだったんでしょう。おもしろかったですか。 昭和とか、元号使われるとあまりピンと来ないですけど、要するに1967年ですよね。あ、そうそう、みなさんにとってはどうでもいいことでしょうけど、前回の日記で "Venus" が流行ったときには既に予備校生だったと書きましたが、僕が予備校生だったのは、1968年の4月から1969年の3月(正確には1月頃?)までの1年間でした。だから "Venus" は既に大学生だったかもしれません。・・・で、1967年のその番組で、その年流行った歌ということだと思うんですが、ブルーコメッツがたぶん紅白歌合戦で『ブルー・シャトー』歌っている映像が流れましたよ。 こういう古い映像がでるたびに、僕はあることが知りたくて、つい食い入るように見てしまうんですけど、さて、いったい何が知りたくて、僕の目は画面に釘付けになってしまうのでしょう。 おっと、新春特別お年玉クイズですね、これは。 でも、みなさん答えが知りたくてうずうずしていらっしゃるでしょうから、早速答えの発表をいたしましょう。 それはですね、使っているドラムがどんなものか見たくなってしまうからなんですよ。 ・・・え~?な~んだそんなことかですって?はい。そんな他愛もないことなんですよ。みなさんにとってドラムが何であろうがそんなことは全くどうでもいいことでしょうけど、僕にはどうしてもこれが気になってしまうんですよ。特に60年代の当時は国産のメーカーには大したものはなくて、プロが使っているドラムは大抵舶来品で、特にアメリカの3メーカー、ラディック(Ludwig)、グレッチ(Gretsch)、ロジャース(Rogers)は僕らのあこがれでした。 実は正直申し上げて、このときジャッキー吉川の叩いていたドラムが、どのメーカーのものだったのか僕には全くわからなかったのです。通常、ドラムセットの一番前面におかれるバスドラ(Bass Drum) には、各メーカー独自のロゴが記されていて、判別は容易にできるのです。もしかすると、バンドがよくやる独自のデザインのフロントヘッドを付けていたか、さもなければ僕が識別できないメーカーのものだったのか、いずれにしてももう少し映像が鮮明だったら、あるいはドラムをもっと大写しにしてくれたら、わかったかもしれませんが、とてもわかりにくかったです。 ところが、みなさん、後ろのビッグバンドですかねえ、ドラムがかなり高い位置にセットされていて、何とそれがロジャースだったんですよ。みなさん既にご存じの私愛用のロジャースです。誇らしげなそのロゴを確認できた時は嬉しかったですね。それにしてもドラムだけどうしてあんな高いところにいたんでしょう。たかがバックバンドなのに。 それから、昨日 CS で「ビーチボーイズの軌跡」というビデオをやっていて、これはかなり有名なものですけど、まだ見たことがなかったのでちょうどよかったから見ましたけど、特に前半がよかったですね。昔の映像がふんだんに見られましたからね。僕が当時唯一動くビーチボーイズを見たのは、アンディ・ウィリアムズ・ショーだったと思うんですが、その時の映像も使っていましたよ。全員アイビー・ストライプの半袖のボタンダウンで、まさにサーフィン・ミュージックにふさわしい姿でね。 しかし、やはり一番気になったのが、デニスの叩いているドラムは何だったのかということで、今回はその点に意識が集中していました。彼の場合ヘッドにロゴのないものが多く、前期の演奏風景でロゴのあるものはラディックが一度出てきただけでした。 通常ドラマーは、リンゴならラディック、チャーリーワッツはグレッチというような気に入りのメーカーのセットがあってしかるべきなのに、デニスは特に自分の決めたセットがないらしく、いろんなメーカーのものを使っていました。 そんな中に、ありましたありました。ロジャースを叩いているシーンがありましたよ。白黒の画面でしたが、明らかにホワイト・サテンのカバリングのロジャースでね、ただしバスドラのフロントはロゴ無しのヘッドですから、ラグとタムのエンブレムから判断するわけですが、実は僕のところについ最近届いたレッド・サテンのロジャースのセットを見ていれば、識別は容易でした。 あ、そうなんですよ。左の Freepage の Rogers 2 で書いたように、うちに3代目のロジャースが来たんですよ。今度はちょっと派手ですよ。旅立っていった2代目より見た目が断然気に入っているんですけど、先月23日に行ったライブで早速使ったところ、音がとても良くて、どうやら出番が増えそうです。 そんなわけで、今年は去年よりはよい年になりそうな気もします。というより、そうなって欲しいという願望ですね。去年はあまりにひどかったから。 ではみなさん、今年は健康で文化的な1年を送ってくださいよ。 ********************** ところで、『ブルー・シャトー』って英語とフランス語のミックスですよね。どうしてシャトー・ブルーにしなかったんでしょう。 イヤ、そもそも、なぜ城が青いんだ! とか、いろいろ疑問点の多い曲ですが、このタイトルの前に「ホテル」を付けると、謎は一瞬に解けてしまうんです。 『ホテル・ブルーシャトー』とか『ホテル青い城』だったらあり得るわけで、歌詞の内容とも矛盾が生じないというわけさ、ね。 このホテル、環境は悪くないですよ。森と泉に囲まれていますからね。「♪ あなたが僕を待っている~」というのも、「城」だとわけわかんなくなっちゃうけど、「ホテル」だったら問題ないですよ。 などと、この唄歌いながら考えたわけです。
2007.01.08
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"Venus" by Shocking Blue (1969) 28日は今年最後のライブでした。 今年3度目のクラプトン大好きさんのバックで、去年も同じ日にやった「早めのカウントダウンライブ」でしたが、今回もクラプトンの曲は比較的おなじみでない2曲だけで、選曲は70年代物を中心にいつもどおりかなりバラエティに富んでいました。 60年代の曲はビートルズの "Lady Madonnna" 以外は "Venus(ヴィーナス)" のみ。僕としては結構予習が大変でしたね。何しろ70年代の場合、メジャーなところは、一部を除いてほとんどちゃんと聴いていないので。 とは言え、"Venus" も流行ったときには既に予備校生でしたから、レコードを買うとかそういったこともなく、ラジオでよく耳にしたっていう程度ですね。ですから、ショッキング・ブルーのボーカルのあのお姉さんの名前すら、記憶にありません。 この人たちはオランダ人でしたよねえ。でも、今聴いても英語には特に強い訛りも全くなく、イギリス人だといってもわかりませんよね。スウェーデン人の ABBA や、ノルウェー人の a~ha も英語は完璧ですね。あの辺の人たちはみんな英語上手いよ。 そういえば以前イギリスにいたとき知り合ったオランダ人が、あまりに完璧な英語を話すんで、どうしてそんなに上手いのかと尋ねたら、「子供の頃からBBC 聴いてたからね」だって。僕らだって夜中になると北京放送ずいぶん混信していたけど、中国語一切わかりませんから、オランダ語と英語の類似性がなせる技なんだろうと納得するしかありませんでした。 そのオランダ人のお姉さんの歌う "Venus" ですけど、途中の歌詞で完全に誤解していたところがありました。今回歌詞カードをいただいて初めて知った驚愕の事実!それは一番肝心なあの箇所。 「♪ She's got it Your baby she's got it......」のところを僕は40年近くずっと、「♪ She's goddess Your baby she's goddess......」だと思っていたんですよ。 ほら、"Venus" ったら、女神でしょうに。女神ったら、goddess ですから、自分の中では予備校生の時からずっと、♪ She's goddess... なんです。 ねえ、みなさん、もしこれを読んでいるあなたが予備知識なしに "Venus" を聴いたとしたら、今書いたような誤解をしたかもしれないと思いませんか。今ではどう聴いても " She's got it..." にしか聞こえませんけどね。 ところで、Shocking Blue というのは、何のことでしょう。単に色を表す言葉でしょうか。ショッキング・ピンクとかありますもんね。 ********************** 『ヴィーナス』がバナナラマでリバイバルヒットした頃に、これに合わせてフォークダンスを踊ったという恐ろしい話がありますが、みなさんはご存じでしたか。あるいは実際に踊った人がほかにもいるのでしょうか。 久しぶりにものすごい誤変換に遭遇しました。 「あの辺の人たちはみんな永劫毎夜」 「永劫毎夜」などという四字熟語があったっけかと思ってしまった。何となく、大晦日にふさわしい誤変換だったようにも感じた次第です。 では、みなさん、よいお年を。
2006.12.31
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"It's a Man's Man's World" by James Brown (1966) ジェームス・ブラウンが亡くなりました。73歳でした。 時代がどんどん急ぎ足で過ぎてゆきます。 先週は青島幸男さんが亡くなりましたが、74歳だった。 訃報に接して、最初に頭をよぎったJBの歌は、"It's a Man's Man's World (マンズ・マンズ・ワールド)" でした。 ・・・これじゃ、ほとんど先週と同じだよ。以前よく使ったコピー&ペーストギャグみたいで、気が引けます。 『マンズ・マンズ・ワールド』はひたすらかっこ良くて大好きだったけど、僕はほかの彼の曲、あまりきちんと聴きませんでしたね。 これは当時、ツッパリの連中が好んだディスコミュージックとしての印象が強かったことと無縁ではないんです。 68~70年頃、コンポラのスーツを着て髪はリーゼントに決め、ディスコにたむろしていた彼らと、長髪にジーンズ履いて(あるいはアイビーで身を固めて)ロックを聴いていた僕らとの間には、随分はっきりと好みに差があったんです。 共通点は、どちらも市民権を得ていなかったところですかね。 そのツッパリと呼ばれた彼らの一番人気はこのJBで、『パパのニューバッグ』とかに合わせて同じようなステップで踊るのは何度か目撃した記憶があります。一応長髪でも、ディスコに行くことはありましたからね。ちょうどゴーゴー喫茶がディスコティックとも呼ばれ始めた頃ですっけね。 彼らはまたキャロルが好きで、その辺も一線を画す材料でした。 そういえばパーシー・スレッジの "When a Man Loves a Woman (男が女を愛する時)" もちょうど同じ頃でした。 この2曲には当時随分ビックリしたもんです。どちらもヒットするのは当然のような出来の良い曲ですけど、これらにはあの声以外は考えられませんから、なかなかカヴァーが難しいですよね。 僕が今持っているJBのアルバムは、"Get on the GOOD FOOT" という72年のアルバム1枚だけですけど、これぞ「ファンキーでゴキゲンな」ソウルの真骨頂ですね。これを機会にJBもっとちゃんと聴いてみますかね。決して嫌いなわけじゃないんだから。 それにしてもクリスマスにいなくなっちゃうなんて、まさにジェームス・ブラウンらしいじゃありませんか。色々あってもその都度不死鳥のように蘇っていましたから、この訃報は余計寂しかったですね。 ********************** 僕の住んでいる県には、かなりな発行部数の地方紙があるんですけど、この新聞かつては中央紙とはひと味違う独自の反骨精神が垣間見えたものの、近頃では「おくやみ新聞」と成り下がってしまったとの指摘が聞こえてきます。 あ、つまり僕の日記も似たようなものじゃないか、人のことは言えないじゃないか、......ってことですか?
2006.12.26
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青島幸男さんが亡くなりました。74歳でした。 時代がどんどん急ぎ足で過ぎてゆきます。 去年は漣健児さんが亡くなりましたが、やはり74歳だった。 この二人が一番活躍した時期に、僕はその歌でさんざん世話になって、随分楽しい思いをさせてもらったのは、本当に幸運でした。 これがもしもう少し年上だったら、彼らの書いたあんな歌、大声で歌うのはとっても恥ずかしかっただろうし、もう少し小さかったら意味がほとんどわからなかっただろうから、これはどう考えても僕は幸せです。 訃報に接して、最初に頭をよぎった青島作品は、『九ちゃんのズンタタッタ』と『それが悩みさ』の2曲でした。 これは、なぜかうちにレコードがあって良く聴いたからということもあるでしょうけど、初期のクレージーキャッツの強烈な作品群と肩を並べるほどの名作品とも言えるからでしょうね。 このレコード、ダニー飯田とパラダイスキングのクレジットで、A面が坂本九のリードボーカルの『九ちゃんのズンタタッタ』。B面は石川進がリードボーカルで『それが悩みさ』という豪華なカップリングだったんです。 『ズンタタッタ』の方は、なかなかシャレた青春ソングですよ。 「♪ 聞いてく~れ 聞いてく~れ 話さなきゃいられねんだ 素晴らしいんだ 素敵なのさ・・・」と、まくし立てるように始まる歌い出しと、それを受けて残りのメンバーが掛け合いの形式で歌い進むところとか、途中でいきなりバラードになったりするところなど、歌の出来もいいですよ。まだ若き日の坂本九のキャラクターとも合っていましたね。 「♪... 聞いちゃいけないよ あの娘(こ)はね 前から僕のこと 好きだったんだってさ~」という明るいオチも気に入ってたなあ。 石川進が歌う『それが悩みさ』も、B面と言えども侮れない、実にお薦めのコミックソングですよ。メロディーだけ聴いたらとてもコミックソングとは思えないですから、こういう曲は要注意ですよ。 「♪ ...話は上手いし ハンサムで 適当にやくざで インテリで どこへ行っても "モテて困るんだなぁ" そぅれが悩みさ ボボボンボンボン...」とか、なかなかでしょ。 この2曲、今でもおそらくほとんど間違えずに歌えると思いますので、まだ聴いたことのない人は今度歌ってあげましょう。関連日記: ☆正解日記~(食品編)(←クレイジー・キャッツの『これが男の生きる道』の話) アクセス数5万!『24000 のキッス』(←クレイジー・キャッツの『五万節』の話) 追悼:漣健児 そして『ダニー・ボーイ』 ********************** 青島さん、今年、クレージーキャッツのシングルを集めた2枚組の CD を手に入れて、時々かけています。1960年代の初期、もしこれらの歌がなかったらどうなっていたでしょう。‥‥そんなことを考えていると、いろんなことが頭の中でぐるぐる回ります。ご病気、苦しかったでしょうが、どうぞ安らかにお休みください。
2006.12.20
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きのう(26日)久しぶりに日記編集ページ覗いていたら、「さらば青春の光」だって?!「アメリカングラフィティ」ですと?!え?しかも書いているのはあの幻泉館主人さんではありませんか。 実に一月ぶり(もっと?)で読みに行かせてもらいましたよ。 思わず書き込みなんかもして、ちょっとこの楽天の雰囲気思い出しています。 あ、そうそう、日記編集ページって、「楽天ブログ 編集ページTOP」っていうんですね、今では。 そんなわけで、幻泉さんに触発されて久しぶりの日記更新です。 ********************** ところで、みなさんは『スタンド・バイ・ミー』といえば最初に何を思い浮かべますか。 1. ベン E キング 2. ジョン・レノン 咄嗟に、ベン E キング と思った人。・・・年がばれますよ。 でもこれほどオールディーズの名曲として認知されているのだから、一概に古い人ばかりが聴いているとも言えませんね。いい曲には違いないですし。あの名画『スタンド・バイ・ミー』のおかげで、若者でもこれを歌える人は多い。 しかし、まあ12月8日も近いことですから、ここはやはりジョン・レノンを連想する人の方が普通かと存じます。ただねえ、あのアレンジ、最初結構違和感あったんですよ。聴くうちに慣れましたけどね。 でも、ジョンの Rock'n'Roll の LP は、出たとき飛びつくように買ってしまいましたね。 あ、そうではなくて、『スタンド・バイ・ミー』で思い浮かべるもの「その 3.」があるんですよ。 3. アメリカン・グラフィティ 僕はね、断然この『アメリカン・グラフィティ』なんですよ。 ただし、この場合の『スタンド・バイ・ミー』は曲というよりはむしろ、曲プラス映画というダブルパンチで僕の顔面に襲いかかってくるんですよ。 そもそもことの発端は、この映画を見たときにさかのぼる。 リチャード・ドレイファスが物書きになって登場するでしょ。しかもあのエンディング! つまりこの映画自体が、『アメリカン・グラフィティ』に対するオマージュになっていることに気づくのに、何秒もかからなかった。 以来、僕の頭の中で『スタンド・バイ・ミー』といえば『アメリカン・グラフィティ』なのです。 見たことのない人はあまりいないと思うけど、一応説明しておきましょうね。 『アメリカン・グラフィティ』といえば、特にそのエンディングは実に強烈な印象として残っているんですよね。 登場した4人の顔写真と彼らのその後が画面で説明されるだけなんだけど、これのお陰で、この映画が単なる青春のひとこまを描いただけで終わっていない、珠玉の名編になっているではありませんか! motion picture のはずの映画のエンディングに、静止画とそのコメントを無音で4枚見せるだけでもなかなかですけど、この客観的に記されたコメントがいちいち胸を打つ。 映画の舞台となった60年代のはじめから、たった12~3年の間にアメリカに起こった様々なことなどや、海を隔てた日本でそれを見ている自分の12年間も同時に思い起こされてね。 若干違うけど、これとほとんど同じことを『スタンド・バイ・ミー』のエンディングでもやって見せた。これを見たときは思わず涙が出そうになりましたよ、ホント。 ところでみなさん、突然のクイズです。 映画『スタンド・バイ・ミー』のエンディング以外で僕が一番気に入っている場面は、次の1~3のどれでしょう。登場人物の名前を思い出せないので、次のように設定しました。 A. しっかり者のリバー・フェニックス B. 大人になってリチャード・ドレイファス(作家)になった子 C. ひょうきんな太っちょの子 D. 軍事オタクのメガネの子 1. AがBに学校で遭った辛い体験を泣いて語る場面 2. Bが森の中で鹿と出会う場面 3. CとDがお馬鹿な会話をする場面 答えは 3. で、「スーパーマンとマイティーマウスはどっちが強いか知ってるかい」「う~ん、マイティマウスかなあ」「バカだなあ、お前、スーパーマンに決まってるだろ。マイティマウスはマンガだぞ」「あ、そっかあ!」 などと言い合っているこのやりとりは、どんな漫才よりおもしろいと思ったものです。 (註)会話は今適当に思い出して書いているので、正確なやりとりを知りたい人は、あとでビデオで確かめてください。 実は『スタンド・バイ・ミー』という映画、僕の子供時代にダブるところがあって、余計に気に入っているんでしょうか。 それは、登場人物4人がそのまま僕の小学校5~6年の近所の4人と「強引に」重ねられるということなんですけど。 つまり、洋の東西を問わず、少年が4人も集まれば、多かれ少なかれその個性がうまい具合に4つに分かれるということなのでしょうか。 さて、僕は上の A.B.C.D. のどの少年だったでしょう。 ま、これはすぐにわかりますね。 ********************** ジョン・レノン追悼ライブイベントのおしらせです。 来る12月10日午後2時より、軽井沢万平ホテルのハッピーバレーにて、ジョン・レノン追悼ライブイベント『莓畑でつかまえて』が行われます。 これは、ジョンが家族と共に何度か夏を過ごした軽井沢で、彼を偲んで音楽をやろうというチャリティー・イベントで、僕も一応手伝える範囲で協力しようと思っています。 詳しくはホームページ↓↓↓↓↓でチェックしてください。 莓畑でつかまえて ところで最近某 FM 局で穴沢ジョージの名前を耳にした人がいるようですが、・・・それはわたしです。 僕だけでなく The Three Georges みんなで出たりしていますけど、詳細は後日また。
2006.11.28
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