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県民の1/3に避難指示が出された今回の台風。 教会には被害はなかった。 が、家には軽度の被害あり。 朝、ゴミ出しをして玄関前を見ると2枚の板が置いてある。家の部材が剥がれ落ちたのを近所の人が拾ってくれたようだ。 どこの板が剥がれたのか眺めると、2階の雨戸の戸袋の板が一部なくなっている。 どうやって補修したらいいのかと、その場所へ行って戸袋を外から見ると、板をはめ込んであるだけ!下を何か(にかわ?)で固定してあるらしい。 とりあえず落ちた2枚(落下した衝撃で割れて2枚になったようだ)を木工用ボンドで接着した。
August 11, 2014
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今日の礼拝は主題が「悪霊追放」、聖書日課は旧約:サムエル上16:14-23、使徒書:使徒16:16-24、福音:マルコ5:1-20でした。前の教会では全て朗読し、なるべく全てのテキストに関連するように説教を組み立てていましたが、鈴鹿教会は1ヶ所のみの朗読なので、使徒16:16-24を選び、「悪霊もイエスに従う」という説教題にしました。選曲は教会福音讃美歌と讃美歌21は私が選曲しましたが、ワーシップは週報作成と奏楽を担当してくださっている長老さんが提案してくださった2曲をそのまま採用しました。この2曲が説教の内容といちばんマッチしていたと思います。というようなことも説教の中で触れておきました。(1)「聖なる聖なる聖なるかな」 Reginald Heber/John Bacchus Dykes言うまでもない定番的な歌ですが、教会福音讃美歌の訳で歌いました。2行目は「われらの賛美を受けたまえ」と続きます。讃美歌21では「聖なる聖なる聖なる主よ、夜ごと、朝ごとにほめたたえん」です。(2)「グローリー ハレルヤ イエス 勝利」 わたしは初めての歌。出所は知りません。「イエスの御名は自由…解放…勝利…悪魔の力 破る」先ほどyoutubeで検索したらいくつか動画が見つかりました。事前に見ておけばよかったと思う反面、それほどのこともないかとも…。もっとも録音状態のよいと思われたyoutube動画(静止画)を挙げておきます。2分半過ぎからの曲です。https://www.youtube.com/watch?v=kV3OSYrbBbU(八戸ノ里キリスト教会)(3)「イエスわがすべて」 ミクタム1-18「喜び、平安、愛、イエスの名前にあり」イエスの名前の力を歌っています。(4)説教前「イエスは委ねられる」 Jeffery Rowthorn/Cyril V. Taylor「イエスは委ねられる 伝道のみ業 『神のことば伝え、病をいやせ』…」伝道する教会に聖霊を求める歌です。(*)説教 プロジェクタの画面6枚分。a.聖霊が働く時、悪霊も働くb.霊を見分ける必要c.祈りの場(礼拝)に向かう時に起こった事件d.正しいことを言いながら私たちを神から引き離す悪霊e.悪霊を利用して儲けようとする者(も悪霊に憑かれている)f.常に聖霊に従い、祈りと賛美を!(5)説教後「すべての人よ、主をたたえよ」テゼ共同体/Jacques Berthierたぶん、テゼの歌は鈴鹿教会では初めてではないかと思います。https://www.youtube.com/watch?v=e7v3baLOVQ8(6)献金「目を上げよ、王の王に」ミクタム1-70「王の王のみ前に拝し、歌え」(7)頌栄「父・子・聖霊のひとりの主よ、栄えと力はただ主にあれ、とこしえまで」曲:Thomas Hastings
June 29, 2014
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昨日は車を運転しなかった。9月前半に東京へ行った時以来だ。関西線で阿漕(津の次の駅)へ行くのに富田駅でICカードをタッチして入場した。津で乗換時に不安になって、運転手に阿漕ではICカードが使えるか聞いたら、カードは四日市までだという。入場記録を取り消すための書類を書いてくれた。
November 17, 2013
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今日の聖化大会、午後は私が司会に当たっている。集会で歌う賛美歌は聖会専用の歌集2冊の中から選んでいるが、歌集1は私が名古屋に来る前に作られたものだと思う。主に「聖歌」と「インマヌエル讃美歌」から選ばれている。歌集2は2006年の秋に作ったもので、内山勝先生と私が中心となって編集し、主に「讃美歌21」と「ひむなる」から採っている。午後の集会のために私が選んだのは「聖霊の神、きよき愛よ」(讃美歌21 344)「あめなる喜び」(讃美歌21 475)「光の子になるため」(讃美歌21 509) 3曲ともUnited Methodist HymnBookにあるものを選んだ。夜の司会は内山勝先生で「御前につどい」(ひむなる 15)「あなたをたたえ」(ひむなる 31)「主のようになること」(ひむなる 146)要するに二人とも自分が選んで歌集に収めた曲から今日の歌を選んだのわけだ。でも、主題には合っていると思う。ちなみに、私は今日の説教題と聖書箇所を知らされる前に選曲して奏楽者に伝えていた。
October 24, 2013
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"Joy to the world, the Lord is come"、英語賛美家の父ともいわれる Isaac Watts の作品です。クリスマスが近づくと教会でなくてもあちこちで聴こえてくる有名な歌ですね。今日の礼拝の後の賛美家練習でまず CDで "Joy to the world, the Lord is come" (曲はANTIOCH) を聴きました。http://youtu.be/O5hj518Iugk「皆さん、この歌は世界でも有名なクリスマスソングですが、この歌を讃美歌(うちの教会では「讃美歌21」)で探せますか?」すると、たいていの人は『諸人こぞりて』を開きます。「もう一度かけますから、出だしの英語をよく聞いてください」♪Joy to the World …「Joy to the World!と歌っていましたね。『諸人こぞりて』の楽譜左上の英語を見てください。"Hark the glad sound! the Savior comes" 作者はPhilip Doddridgeと書いてあります。だから、讃美歌(21)に載っているのは Joy to the world ではありません。実は讃美歌には今聴いていただいた歌は載っていません。英語で歌われているのと日本の讃美歌の『諸人こぞりて』は同じ曲でも全く別の歌です。」そして英語の原歌詞と和訳(http://lyricdata.seesaa.net/article/26516434.html)を見ます。(ただし Lord は「神」ではなく「主」と訳すべき)そして、中田羽後訳の『民みな喜べ』を歌いました。さて、『諸人こぞりて』ですが、英国の歌集 The New English Hymnal から譜面(BRISTOL)を印刷、私の訳で対訳を作り、The New English Hymnal のCDで聴きました。同じ曲の動画はこれ http://youtu.be/VMAhB8Inymk後からわかったこと"Joy to the world, the Lord is come" が載っていない歌集が英国には少なくない。というかあまり載っていない。"Hark the glad sound! the Savior comes" 載っている歌集と載っていない歌集があり、英国ではBRISTOL、米国ではRICHMONDで歌われることが多いようです。米国聖公会の歌集には2曲併記してありました。日本の賛美歌集では「聖歌」「聖歌総合版」「インマヌエル讃美歌」という中田羽後編(総合版は和田編)に中田羽後訳のものが"Joy to the world, the Lord is come"『民みな喜べ』とANTIOCHの組合わせで載っていますが、他の歌集には一切載っていません。また中田以外の全ての歌集に「諸人こぞりて」がANTIOCHとの組み合わせで載っています。私の手持ちの海外の歌集と私が見た範囲のYouTube動画ではANTIOCHに"Joy to the world, the Lord is come"以外の歌詞を当てている例は見当たりません。聖歌系を除いて日本の歌集はこの曲に関しては世界的に例外的な国といえるでしょう。こうした事態が起こった理由は「讃美歌21略解」よればこうです。1903年(明治36年)の「讃美歌」にはANTIOCHの対して両方の歌詞が載っていたのですが、DoddridgeのHark...(諸人こぞりて)の方が曲にマッチしていたため、Wattsの Joy to the Worldは歌われなくなってしまったというのです。翻訳の出来具合でこうなってしまったのですね。しかし、その後 Joy to the World を訳し直そうという動きはないのでしょうか。また、Hark the glad soundは現在でもいくつかの曲で歌われているので、日本の歌集も別の曲を充ててもいいのではないでしょうか。現に1954年版までBEECHERを当ててきた「あめなるよろこび」は、21ではもう1曲HYFRYDOLも加えるということをしています。今年出版された「教会福音讃美歌」がWattsの名作を拾ってくれなかったことが、そしてANTIOCHに『諸人』をそのまま残してしまったのがちょっと残念でした。日本語だけで歌っている分には何も差し支えないのですが、外国の人と一緒に歌うチャンスがある教会ではどう対処しているのでしょう?
December 16, 2012
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今朝、神学校の同級生が「ブログに説教要旨を掲載した」と書き込んでいました。見ると、「旧約における神の言葉 20121209 イザヤ書59・12~20 説教要旨」とあります。私も教団の聖書日課を使っているので同じ個所です。すぐさま「ありがとうございます。さっそく使わせていただきます!」と書いて使ってしまいました。彼の説教の中心聖句は16節の「主は人ひとりいないのを見/執り成す人がいないのを驚かれた。主の救いは主の御腕により/主を支えるのは主の恵みの御業。」私は説教題が「恵みの鎧、救いを兜」、これは17節の「主は恵みの御業を鎧としてまとい/救いを兜としてかぶり、報復を衣としてまとい/熱情を上着として身を包まれた。」から採っています。また、私は旧約・使徒書・福音書の3個所を読み、なるべく全てに言及することにしているので、彼の説教要旨をふくらませただけではダメですが、しっかり最初の部分に組み込ませてもらいました。こうしたことができるのは、同級生だからかなと思います。神学生時代に夏の実習で1ヶ月間地方の教会で毎週説教しましたが、その時に有名な説教者の説教集を持っていきました。その説教集と同じ個所を説教するのです。でも、結局その説教集は全く使えませんでした。その本に書かれている説教はとてもすばらしい説教なのですが、私が語る言葉にはならないのです。しかし同級生の説教は、私が語ってもおかしくない言葉なのです。時代のせいなのか、その当時の神学校の空気なのか、あるいは彼と私の共有している何ものなのか、そんなものがあるのだと思います。http://biyo-c.org
December 9, 2012
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今日は午前中熱田教会で愛知西地区ニュースの発送、それから大学へ行って礼拝に出席。今日の説教者は名古屋堀川伝道所の島しづ子牧師だった。聖書は詩編133篇、「共に座る恵み」。説教要旨は以下の通り。2人のユダヤ人画家の話。シャガールはユダヤ教徒なのになぜイエスを描くのか?彼の描くイエスはなぜ明るく晴れやかなのか?彼にとってイエスはユダヤ人として自分たちと同じ苦難を体験した者だった。ベン・シャーンはリトアニア出身のアメリカの画家。イタリア系移民のサッコとバンゼッティの冤罪事件や第五福竜丸の被爆などを描いている。なぜ彼はイタリア系移民や日本の漁民の苦難を描いたか?彼の妻によるとアメリカが行ったこれらの事件に彼は責任を感じていたという。ベン・シャーンの作品に白い鳩と黒い鳩が共にいる絵がある。その上には詩編133篇の1節がヘブライ語で書かれている。肌の色、宗教、生き方が違っても一緒に生きていこうと言っている。平和とは穏やかに暮らすことではない。考えの違う者が共にいるのだから葛藤しながら歩むことだ。イエスは苦しめられた人たちと並んでいる。チャペルの後は隣の白鳥庭園へ。平日だがかなり賑わっていた。お年寄りや障がい者施設の人たちはわかるのだが、若いカップルもいたりする。紅葉がきれいだった。
November 14, 2012
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今日は2回目のキリスト教概説でした。昨年度と今年度は同じ授業にしています。マルコによる福音書を読んでいきますが、その前にキリスト教と聖書の表面的な解説をしています。プレゼンテーションソフトで授業の流れを作り、諸教派の礼拝を映像で見てもらうように用意したのですが、ノートパソコンは持っていったもののデータを持って行くのを忘れてしまいました。幸い、プレゼンテーションソフトよりもう少し詳しいものをワープロで作って、学内のサーバーに入れておいたので、それをスクリーンに映しました。文章だけ、かつ文字が小さいので後ろの席の学生たちは見るのが大変だったと思います。次回からはプレゼン関係も学内のサーバーに置くようにしようと思います。学生のチャペルレポートを受け取るため、キリスト教センターに行くと、職員の配置換えがあったのか、新しい職員がいました。彼女は私を知っていると言います。名札を確認すると、教会に来た人ではなさそう。K高校→K大学ということなので、高校の卒業修養会か、あるいは大学のチャペルアワーで私の話を聞いたのだろうと思います。大学の近くの道端(植えたもの?)にあったツタバウンラン大学の近くの駐車場の脇に生えていたマツバウンラン
April 19, 2012
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今日は学校に行って、金曜日に行われた学年末テストの答案を受け取ってきました。今週は「春の祭典」ならぬ「春の採点」ウィークです。昨日は日本基督教団中部教区愛知西地区東海地震対策準備委員会の会議を行いました。2月13日に予定していたものですが、義母が亡くなったため変更していただいて、ようやく昨日開くことがで来ました。この委員会は元々4名の牧師で構成されていたのですが、そのうちのお一人は、教会の牧師兼学院長兼校長になってしまって、今年度はずっと出席できなかったのです。ところが昨日は出席できるとのこと、日程が変わって良かったのかもしれません。今年度はメンバーを一人増員しました。永年高校の地学を教えておられた地質の専門家が加わって下さいました。この方が、地区内35の教会・伝道所を全部実際にその場所に行ってみて、危険性の有無を調べて下さいました。従来は地震による建物の倒壊のみを考えていましたが、東日本大震災では巨大津波の危険に注目が集まりました。しかし愛知西地区では津波がなくても、伊勢湾台風をきっかけに作られた防潮堤が老朽化し、地震で破堤する恐れが指摘されています。名古屋を南北に流れる堀川より西は地球の運動として地盤が沈下し続けていて、海面以下のいわゆるゼロメートル地帯の面積は日本でいちばん広いのです。名古屋付近では満潮時には平均海面より1.8mほど高くなります。津波が来なくても単に防波堤が一個所決壊すれば、広大なエリアで2m近く水没するのです。その他、地質図や古地図も用いて液状化の可能性や崖崩れの可能性なども勘案して、各教会ごとにどんな危険があるかの報告書ができました。このデータは地区総会に報告することにしました。
March 6, 2012
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今年もよろしくお願いします。
January 1, 2012
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裏庭の菊です。15年前に母が檜原(東京都西多摩郡)から持って来たものが増えました。春(と言っても年末から咲き始めますが)はスミレ、秋は菊が檜原から来たものです。ただし、全然庭としては手入れをしていません。八事層という礫層でいくら掘っても砂利ばかりの地面です。
November 30, 2011
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しばらく前に届いたホームページビルダー16をインストールしています。 一昨年あたりに買ったDVDドライブとハードディスクドライブがまだ取り付けてありません。 書かなくちゃと思っている手紙3通。 などなど。
October 12, 2011
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最近は、日毎の糧だけ、更新しています。http://kadesh.air-nifty.com/bread/2011/10/201110718123-a8.html最近「日毎の糧」ブログを更新するようになったのは、ツイッターで毎朝その日のみ言葉をツイートするようになったのがきっかけです。ツイッターは140字なので、ほんとに短いものです。それをブログに転載していたのですが、やはりちゃんとした文章を書いたほうが良いと思って、この頃はブログを先に書いて、その中から140字以内をツイッターに転載します。そうすると、膨大な時間がかかって、今日は2時間かかりました。
October 7, 2011
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先週、出席簿を作ったが、今朝見ると登録人数が増えている。急いで出席簿の作り直し。
September 29, 2011
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午前10時から、弥富学区広報誌の校正午後3時から、一宮でギリシャ語勉強会時間が足りない。印刷屋に勤めていた頃、あるいは学生時代に駅員のバイトや本屋の店員をしていた頃は、仕事の時間は即ち勤務先にいる時間だった。製本をするのも切符を切るのも、書棚に本を並べるのも、会社にいないとできない仕事だった。だから家にいるときは仕事はなかった。牧師や教員という仕事は礼拝堂や学校にいる時間だけが仕事ではない。説教や授業というのはその時間にその場所に行けばいいというものではない。予め用意をしておかなくてはならないし、それにかかる時間は、かければいくらでもかかって限りがない。学校に関しては非常勤講師なので、授業の時間に学校にいればいいのだが、授業の準備は授業時間とは別に家でしている。その他、訪問や面接という仕事もあるし、尋ねてきたり電話をかけてきたりする「かもしれない」人に備えて待機している住職ならではの仕事もある。で、「次回の礼拝説教のための勉強」というのはあまりしたくない。そうではなく、一般的にというか常に学んでいる必要があると考えている。…のだが、私はあまり勉強家ではない。そこで、他人にぶら下がって勉強することにしている。ギリシャ語の勉強会などはまさにそうで、独学などとてもできないので、ギリシャ語を勉強する仲間にくっついて勉強するのだ。今日はローマ8:18~39ということになっていたので、予め読んで、主要な単語と文法的なことをチェックしておかなければならないのだが、昨日は夕方から夜は妻の運転手で岐阜まで往復し、今日の午前中は地域の広報誌の校正作業、校正作業をするということは、その前に誌面を作っておくことを意味するのだが、朝6時半から作業を始めて何とか9時過ぎに作り上げ、それから教会の会計の件で銀行へ行って、定刻の10時にコミュニティセンターへ。幸い校正作業は1時間足らずで終わったので、帰って来て修正点を処理。それからギリシャ語の予習を始めたのだが、丹念に読んでいる時間はない。とりあえず、本文のコピー&ペースト、単語集のコピー&ペースト、そして紙にプリントアウト。当たってからその場で考えるといういつものパターンになってしまった。今日は初めて参加する年配の方(ネットを介して我々の勉強会を知ったという方で、初めてお会いする)がおられた。その昔、大学で2年間勉強しただけというのだが、しっかり用意をしてこられていた。ちょっと恥ずかしい。一宮へ行くときに携帯を忘れてしまった。帰ってきたらAHIの会報担当職員から留守電が入っていた。今日午後、校正をするので、できれば来てほしいという内容だったが、できないってば。修正して欲しい点はメールしておいたのだが…。さて、明日は午前中に今日の午前校正した弥富学区広報誌の印刷をする。そしてお昼は名古屋学院大学のチャペルアワーの担当。明後日の朝は金城学院大学のチャペルアワーの担当。そして昼前から高校の授業だ。二つの大学のチャペルは、それぞれ印刷物になる可能性もあるので、同じ原稿で済ませるわけにはいかない。明日は新約から、明後日は旧約を選んでおいた。どんな話になるんだろう?大学のチャペル用にはちゃんとした文章を用意する。実際に話すのは文章から動く可能性は大きいのだが、特に金城は時間が短いので脱線している余裕はない。たぶん、用意した原稿の通りに話すことになるだろう。
September 26, 2011
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おはようございます。祝福がありますように!今日のみ言葉:使徒8:4~25より。 「エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。…ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。」 洗礼を受けただけでは十分ではない。聖霊も受けるべきである。カトリックや聖公会が洗礼だけでなく、堅信を必要としているのは、元来この理由だろう。福音宣教者フィリポが洗礼を授けたが、使徒の按手によって彼らは聖霊を受けた。堅信が主教によるのもこのためだろう。 「シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、言った。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください」。」 魔術師シモンは自分の魔術よりもすばらしいキリストの力に接して、単純に驚いたのだろう。そしてキリストを信じた。 キリストを信じたけれども、まだきよめられてはいなかった。自分の全てを神に明け渡すのではなく、自分の欲(必ずしも悪とは言えない高邁な理想かもしれないのだが)を満たすために神の力を借りようとした。そこに彼のつみがある。 洗礼を受けたクリスチャンでもこんなものなのだ。たたし彼は使徒に厳しく叱られ悔い改めた。
September 10, 2011
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5日目は作業はせず、帰るのみ。今回のメンバーは、全部で11人だがいくつかの特徴がある。知多半島の阿久比(アグイ)の教会から女性3名、うち2名は何回も来ているベテラン。同じく武豊(タケユタカではなくタケトヨ)の教会から女性1名。岐阜県の北方(キタカタ)の教会から女性1名、以前にも参加している。その他の6名は日本基督教団で、金城教会、名古屋中央教会の女性信徒各1名、男性は愛知教会の吉澤牧師、愛知守山教会の鎌田牧師、金城教会の木下牧師、そして私だった。木下先生は当初から木曜夜、新幹線で帰ることになっていた。ところが鎌田先生も教会関係の方が亡くなったため木下先生と一緒に新幹線で帰ったため5日目に帰るのは9人。ベテランの知里さんに前回は何時に出発したか尋ねたら、7時発だったというので、今回も7時発とした。TEFのメンバーの宿泊先はYWCAとなっていたが、女性の部屋が手狭で、日本基督教団東北教区センター「エマオ」に泊まっていた。そこで、吉澤先生と私がエマオに行き、彼女らと合流して帰ることにした。YWCAには駐車場がないので毎日すぐそばの仙台ホサナ教会に車を置かせてもらっているのだが、ついに牧師にご挨拶するチャンスを作れなかった。ホサナ教会にはエマオで活動する男性のボランティアたちが宿泊していて自転車でエマオとの間を往復していた。YWCAに多数の男性が宿泊し、YWCA(を拠点にするJIFHのボランティアがエマオに宿泊し、エマオで活動する男性がホサナ教会に宿泊している…ややこしいが、とにかく助け合ってボランティアを受け入れてくださっている。教区センターエマオの隣に教会があるというので見に行ったら、日本基督教団仙台青葉荘教会だった。この教会の牧師島隆三先生はよく存じ上げている。学会でもご一緒させていただいているし、東海聖会に講師として来てくださったこともある。(楽天ブログでも!!)金曜日の朝、女性陣との待ち合わせの7時よりちょっと早く着いて教会の方を見に行ったら、牧師館のドアが開いていて、信徒らしき人と牧師夫人が会話していた。その後、「おはようございます」と挨拶し名乗ったら、島先生が出てきてくださった。吉澤先生と礼拝堂の中を見せていただいた。20年前に建てたものだが、地震ではほとんど被害を受けなかった。ただパイプオルガンの音が出なくなってしまった。しかし、すぐに修理に来てくださって直ったそうだ。教区センターの隣ということもあり、教区総会はここで行われる。今は10数名の女性ボランティアが教会に宿泊しているとのことだった。エマオの入口で記念写真。「まるでエマオでボランティアしてきたみたいだ」といいながら。3人が新幹線で帰ることになったので、私の車は仙台駅へ行くことになった。国見SAで他のメンバーと合流して帰った。所要時間は往路よりもだいぶ早く9時間で一麦教会に到着。全員が無事に帰ってくることができて感謝だった。
August 27, 2011
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祈祷会でマリアの賛歌に基づく歌、『新聖歌』72番「わが心主をほめ」を歌った。歌詞 "My soul doth magnify the Lord" Daniel Thambyrajah Niles作曲 GUNUNG NONA インドネシア民謡作詞者ナイルズ(1908-70)はスリランカのメソジスト教会の牧師、アジアキリスト教協議会の総幹事になった。曲はインドネシアのマルク地方に伝わる旋律とのこと(『讃美歌21略解』)だが、Gunung Nona(ノナ山)はスワウェシ島南部の山で、トラジャコーヒーで知られるTina Torajaの近くにある。(http://indahnesia.com/photobook/65/44/sulawesi_in_pictures.php)『讃美歌21』178番 「あがめます主を」と同じ歌だ。『讃美歌21』は歌いやすいのだが、『新聖歌』はものすごく歌いにくい。歌詞の日本語訳は違う。メロディも多少違うところはあるのだが、多少というレベルではなく歌いにくい。あまり歌いにくいので理由を考えてしまった。記譜上の違いは、『讃美歌21』は6/8拍子、『新聖歌』は6/4拍子である。メロディは弱起の曲となっているが、A A B B’という形式になっている。つまりパターンAを2度繰り返して歌い、次は別のパターンBを繰り返すのだが、Bの後半は1回目とは異なる。というわけで、4つの部分から成り立つ歌である。歌いにくい理由の第一は、譜面のレイアウトにある。『讃美歌21』は各部分を4小節ずつにし、譜面も4小節を1段にしている。ところが『新聖歌』は各部分を4小節ずつにしているのだが、譜面は5段にえがいている。つまり、譜面上一段に3小節ずつ記載しているので、最初のAは2段目の1小節目で終わり、2回目のAは3段目の2小節目で終わり、Bは4段目の終わりまで、そして5段目はB’の4小節と「アーメン」を付けているので、5小節を詰め込んでいる。このようなレイアウトが歌いにくくしている原因の一つである。もう一つの原因は、音楽の切れ目と歌詞の切れ目が合っていないことである。『讃美歌21』は前述のように1段には4小節、24拍があり、A・B・B’とも前半12拍、後半12拍が一つのまとまりとなっていて、歌詞もそれに合うように当てはめられている。以下それぞれの1節の歌詞を引用して比較する。『讃美歌21』178 1│234567│89101112┃1│234567│89101112┃Aあ│が-めま-す│主--をー┃わ│が-たま-し│い----┃Aた│た-えま-す│主--をー┃わ│が-ここ-ろ│は----┃B名│も-知れ-ぬ│む-すめー┃主│は-あえ-て│え-らび-┃B'み│子-のは-は│と-してー┃も│ち-いら-れ│た----┃『新聖歌』72(半角は四分音符の付点と八分音符)1│234567│891011121│234567│わ│が-ここ-ろ│主-をほ-め│た-だひ-レふ│891011121│234567│891011121│す----主│は-われ-に│目-をと-め│234567│891011121│234567│え-らば-レし│を----主│は-わが-ミを│891011121│234567│891011121│も-ちい-て│イェ-スの-は│は-とな-し│234567│891011121│234567│89101112┃123456┃み-かみ--は│世-びと--を│す-くい-タも│う----┃ア--メン-┃
December 2, 2010
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アドヴェント第一週に入っています。11月29日(月)ローマの信徒への手紙14:1~1211月30日(火)ローマの信徒への手紙14:13~2312月1日(水)ローマの信徒への手紙15:1~612月2日(木)ローマの信徒への手紙15:7~1312月3日(金)ローマの信徒への手紙15:14~2112月4日(土)ローマの信徒への手紙15:22~33突然、楽天リンクスβが終了してビックリしています。普通はβが終わると本番のサービスになるのだと思いますが…。
December 1, 2010
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ツイッターで得た情報です。Logos Bible Software and the Society of Biblical Literature are pleased to announce the release of a new, critically edited Greek New Testament.http://www.sblgnt.com/
October 30, 2010
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来月、大学のチャペルでお話しをすることになっています。今年度のチャペルで、どなたがどんなお話しをしているのか、私はわかりません。それで、先日チャペルの職員に今年度の記録を見せていただきました。それとダブらないようにお話ししようと思っています。今考えているのは、チリの落盤事故で70日目にようやく助け出された33人のこと。地下700mの30℃以上のところで、33人もの人々が行き続けていた。しかもそれぞれが役割を決めてそれを果たしながら生活(そう呼ぶに値すると思う)していたのは驚くべき事だと思いました。現場監督のルイス・ウルスアさんは事故後もみんなを束ねていました。そのみごとなリーダーシップに注目が集まっていますが、もう一人、ホセ・エンリケスさんも大きな働きをしていました。彼はベテランの鉱山労働者という顔と共に牧師という顔も持っていました。日本でも他の職業を持ちつつ、教会の牧師としての役割を果たしている人は少なくありません。私の場合は、牧師としてキリスト教学校のお手伝いをしているという立場なのでエンリケスさんとは違いますが、父の同僚だったF牧師は一般の企業のサラリーマンであり、牧師でした。その仕事ぶりから(日曜は絶対に出勤しないにもかかわらず)部長にまでなったと記憶しています。話をエンリケスさんに戻します。彼は地上とのやりとりが回復すると、聖書を33冊注文しました。全員に聖書を1冊ずつ配りました。そして定期的に礼拝を行ったそうです。エンリケスさんはプロテスタントの牧師ですが、ほとんどみんなクリスチャン(多くはカトリック?)だったようです。その彼らが聖書を手にして、聖書を解き明かしてイエス・キリストにある希望を語ってくれる人がいて、しかも、語るエンリケスさんは水害に遭ってレスキュー隊を待ち続けたこともある人ですから、彼の語る希望はリアルなものとして受け止められたことでしょう。2番目に地上に上がったセプルベダさんは「神が私を引っ張ってくれた」と語りましたが、彼らが信仰から出る希望によってこの難局に耐えたことを物語る言葉だと思いました。
October 26, 2010
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ヨハネが捕らえられた。そのいきさつはマタイが説明している(14章)が、マルコはそういうことは省いて、ただヨハネの先触れとしての宣教活動が終わって、それに代わってイエスの宣教活動が始まったことを述べている。マタイによれば、ヨハネの宣教の言葉とイエスの宣教の言葉は全く同一の「悔い改めよ。天の国は近づいた」だが、マルコはヨハネの宣教については、「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」と述べるのみだが、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」というイエスの言葉からヨハネとの連続性を見ることはできよう。 ヨハネは荒れ野に留まっていて、町や村から人々が彼のもとに出ていって彼の言葉を聞き、洗礼を受けて、そして町や村へ戻っていった。イエスは湖岸の町カファルナウムに住み、そこから近隣の町や村を巡回し、会堂で語り、家々で人々の病をいやした。二人は「神の国の福音」を語ったという点では共通しているが、ヨハネが病をいやし悪霊を追い出した記事はない。またイエスが洗礼を授けた記事もない(弟子たちに「洗礼を授けよ」と命じてはいる)。 イエスはガリラヤ湖のほとりを歩き、2組の漁師の兄弟を弟子にした。イエスが彼らに言われた言葉は、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」だった。魚をとることも意義のある仕事だ。しかし人を神のもとに連れて行く仕事はもっと意義があるだろう。私の父は戦争中、中国で警察官をしていた。戦後帰国して信仰を持ち牧師になった。それについて、「人を捕まえて監獄に入れる仕事から、人を捕まえて天国に入れる仕事になった」と言っていた。ペトロたち以上に大きな転換だったろう。私の記憶にある父の顔は柔和な顔だが、刑事をしていた頃の写真を見るととても鋭い目つきをしている。仕事によってこんなに顔つきが変わるものなのかと思う。 イエスが育ったナザレはガリラヤ湖からは20キロばかり離れたところにある。しかし最初の弟子たちがガリラヤ湖の漁師であったと記されているのは、魚をとる仕事から人をとる仕事へ、という転換をしましたかったからなのかもしれない。
October 26, 2010
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パウロおよび数名の囚人が皇帝直属の百人隊長ユリウスの監督の下にローマへ向けて出発した。おもしろいのは、軍用の船ではなく民間の船に乗り合わせていることである。現代、拘置所から裁判所まで、被告を一般の路線バスや鉄道で運ぶことなど考えられまい。しかしこの民活が災いした。船長や荷主は、物を運んでいくら、売っていくらという人々だ。だから早く運びたい、売りたい。これが無理な航海に走る原因となった。彼らの船はもう既に海が荒れて危険な季節に入っているのに、パウロの警告を無視して航海を強行した。結果はエウラキロンに遭ってひどい目にあったのである。船を軽くして沈没の危険を避けるため積み荷をすべて投げ捨て、最後には船具まで捨ててしまった。皆がもうダメだと諦めかけたとき、パウロは言った。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』一緒にいるすべての者は、主の弟子に任されている。何と大きな恵みではないだろうか。同時にその責任も大きい。
October 7, 2010
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イエスが悪霊を追い出したり、病気を癒したりしているのを見て多くの人は素直に「この人こそメシアではないか」と感じた。ところが「悪霊の親分の力でやってる」という者たちがいた。もちろん悪意があってそう言っているのだ。今日の個所はそういう悪口への反論である。 「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい、どんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない」。政権を取ったばかりで国民の評価を受けるに足る実績をまだほとんど作っていないのに、もう代表選がどうだこうだと言ってる民主党は、この2000年前の言葉を聞くべきだろう。教会もそうだ。クリスチャン人口が実質1%にも満たないような国で、狭い教会内で不和があったら、どうして99%以上を占める人たちに福音のすばらしさを伝えることができるだろう。 イエスが悪霊を追い出している。これは悪の力を無力化し、神の国、神の支配の到来を告げ知らせるものだ。人々を神のもとに導くためには、まず悪の支配から解放しなければならない。それを「ベルゼブルの力」などというのは聖霊に対する冒涜だ。 イエスはここでたいへん厳しい、しかし興味深いことを言っている。「人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない。人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」 ファリサイ派の人々が悪霊の追い出しに関してイエスに言った言葉は、きわめて不誠実なものだった。彼らはイエスの言動を注意深く聖書と照らし合わせて判断したわけでなく、ただイエスが人々から注目を浴びて、自分たちの教えから離れ去っていくことを警戒してイエスを悪く言ったのだった。だから彼らのイエス批判は矛盾がある。「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」とイエスによるめざましい活動を評価したことは、彼らの仲間の同じような活動についても適用されることになる。イエスほどのめざましい活動ではないので「悪霊の手下の力による」程度だろうか。理屈ではそうなるだろう。こういういい加減な発言についてイエスは厳しく問うのだ。聖霊(のお働き)に言い逆らう者は赦されないというのもそうだし、33節以下の「木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる」もそうだ。彼らの神との関わりが、聖霊と悪霊をきちんと見分けることのできない程度の関わりだから、彼らの信仰が導き出す結果もろくなものではない。最後に(聖霊の働きを「悪霊だ」というような)言葉についての責任にイエスは言及する。新共同訳「自分の話したつまらない言葉について」、口語訳「語る無益な言葉に対して」、新改訳「口にするあらゆるむだなことばについて」、New International Versionでは"for every careless word they have spoken"。
August 17, 2010
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神は6日間で天地を創造し7日目にお休みになった、それに倣って人も家畜もすべて6日間の労働の後の1日は聖日として一切の労働から離れなさいと定められた。念のためにいうと、週の第7日は土曜日である。最近月曜始まりのカレンダーが多いが、週は日曜に始まり土曜で終わる。しかし、週を最初の労働日から始めるとするなら月曜始まりは非聖書的ともいえない。「一切の労働」というのが注意を要する。手や足を使って何かをすると労働だが、耳で聞いたり、目で見たり、口で話したりするのは労働にならない。だから安息日にテレビを観るのは違反にならないが、テレビのリモコンを操作するのは律法に違反する。 さて、イエスたちが安息日に会堂に行くと片手が動かない障がい者がいた。イエスがこの人をどうするか皆注目した。イエスの愛の教えからすれば、放置しないだろう。しかし今日は安息日だ。ことにイエスを訴えようとチャンスを狙っている者はイエスが何をするか、よ~く視ていた。イエスはこのような人々の思惑にうんざりしていた。大事なことはこの片手の萎えた人が幸福を得ることではないか。障がいが理由でさまざまな制約を受けているなら、そこから自由になることではないか。しかし人々はイエスが律法を冒すかどうか、この男の件を口実にイエスを訴えることができるかどうか、そのためのネタとしてこの男に注目しているのだ。イエスは「安息日に善いことをするのは許されている」(他の訳では「正しいことだ」)と言い、ついでこの男に「手を伸ばしなさい」と言った。すると彼の手は元通りになった。 イエスはこの男に手を触れなかった。「手を伸ばしなさい」と言うのは律法違反ではない。この男の件でイエスを訴えようとする試みは不発に終わった。だから、「ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した」作戦を練り直す必要に迫られたのだ。 このような動きはイエスをうんざりさせた。彼は人々の病を癒し続けていたが、癒された人々がイエスを賞賛すればするほど、ファリサイ派らがエキサイトする。だから、癒された人に「言いふらすな」と抑えた。マタイはこれをイザヤ書42:1~4の成就と受け取っている。「わたしの心に適った愛する者」はイエスがヨハネから洗礼を受けた時(3章)と高い山の上で姿が変わった時(17章)に…から聞こえた声でもある。
August 15, 2010
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イエス・キリストの十字架と復活はダビデの預言の成就で、私たちはその目撃証人だ、というペトロの説教によって多くの人々が心を動かされた。神が遣わしたもうたメシアを十字架につけてしまった、私たちはどうしたらいいのか?ペトロは次のように言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい」。英訳 New International Version では "Repent and be baptized, every one of you, in the name of Jesus Christ for the forgiveness of your sins."「悔い改めて洗礼を受けよ、あなたがた一人びとりが、罪の赦しのためにイエス・キリストの名によって」。英訳の方が悔い改めと受洗が固く結びついている。日本語訳では「めいめい」も「イエス・キリストの名」も悔い改めにはかからない。ここでは悔い改めることと洗礼を受けるということが不可分に結びついている。また、それが一人ひとりの自覚的な行為としてなされるべきことが言われている。悔い改めも自分一人で悪い行いを反省し、悪を避け善を行うよう努力するのではない。イエス・キリストの名において神の前に罪を告白し、神の支配に服する。神へ立ち返りますとの表明を洗礼という形で行う。このようにして罪が赦される。新共同訳は「罪を赦していただきなさい」としているが、原文は「罪の赦しのため」である。つまり「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」という質問への答は「罪を赦していただきなさい」(赦すという神の行為を表す動詞)ではなく、「悔い改めて洗礼を受けなさい」(悔い改める+洗礼を受けるという2つのわたしたちの行為)である。「そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」。「受けます」は未来。他の日本語訳では「受けるであろう」「受けるでしょう」と訳しているが「もしかしたら受けられないかもしれない」というニュアンスが入ってしまうのを避けるために「受けます」と言い切ったのだろう。the gift of the Holy Spirit を「賜物として(の)聖霊」(新改訳・新共同訳)とするか「聖霊の賜物」(口語訳)とするか。giftが単数なので「賜物としての聖霊」の方が良いだろう。 悔い改めと一体となった洗礼は「罪の赦しのための洗礼」なのだから、受けることによって当然罪が赦される。しかし、聖霊を受けるというのは約束として未来形で書かれているので、水で洗礼を受ければ自動的に聖霊も受けたことになるわけではない。洗礼者ヨハネによれば「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが…その方は聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」。ヨハネは彼の洗礼で十分だとは言ってなかった。人が水で授けるバプテスマだけでなく、イエス・キリストご自身が授けるバプテスマを受けるべきだ。主のもとに招かれたすべての人に与えられている約束なのだから、受け取らないのは損だ。いや、聖霊を受けることをしないのなら、イエス・キリストという犠牲によって罪を赦されたユダヤ教徒に過ぎないのではないかと思う。「聖霊が私を生きる」ところにキリスト教徒ならではの人生があるのだろう。最初のキリスト者たちはまさにそのように生きた。その日ペトロの説教を聞いてイエス・キリストを信じた3000人は「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」。「信者たちは皆一つになって…、おのおのの必要に応じて…分け合」い「神を賛美していた」。 経済のシステムとしては財産の切り売りではもたない。ここでは、互いに助け合う共同体を形作ったことを受け止めるべきだろう。 高齢者の所在不明が問題になっている。地域で最長寿の人が、実は何十年も前から行方知れずだったという。驚き呆れるような話だが、それぞれのケース毎に深い事情があるようだ。二人の幼児が泣き叫ぶ声を聞きながら誰も助けることをせず、死んでしまった事件もある。聖書が説く隣人愛を育まずに個人の尊重だけが言われて、核家族化・個人主義がゆがんだ形で進んだ結果だろうと思う。使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心でありたい。
August 6, 2010
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とき 2010年7月2日(金) 13:30~15:00 会場 銀座教会 東京都中央区銀座4-2-1 主題 「メソジスト礼拝の創始者--ウェスレー兄弟」 発題 坂本誠先生(ナザレン小岩教会牧師・ナザレン神学校校長) 主催 更新伝道会
June 26, 2010
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2日遅れの記事ですが、日曜日は父の日でした。教会学校では2回ぐらいかけて?お父さんへのカードを作ったようです。で、これがその作品。
June 22, 2010
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去年の春、それまで教会のサイトを置いてきたALLESNETを退会した。それからしばらくJustMyStageに仮に移動しておいたのだが、JustMyStageは「ホームページビルダー」を使わないとファイルを転送できない。そして、「ホームページビルダー」は"WEB標準"の書き方に対応していない。最近はなるべく新しいファイルは標準で記述しようとしているのだが…。そういうわけで「仮設」状態をどうしようかと思っていたのだが、1年経ってしまったので、この際独自ドメインを取得することにした。 biyo-c.orgムームードメインで取得して、サイトはロリポップサーバーにという格安パターン。かつては自分の独自ドメインを持つことなどあるまいと思っていたのだがagios-ki.net と biyo-c.org の二つのドメインを持つようになってしまった。「尾陽教会」を検索すると今でもALLESNETへのリンクになっているところが多い。Yahoo!の登録(変更)は簡単にできたのだが、サイト登録が有料のところもある。Googleで新しいサイトが出るようにしたいのだが、イマイチ要領がわからない。一つわかったのは、前のサイトを閉鎖する前に移行の手続きをすれば良かったということだった。今日は、いくつかのページを書き改めた。エネルギーを使う。
April 19, 2010
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今日の礼拝の聖書と説教 旧約書 出エジプト記20:1~17 使徒書 エフェソの信徒への手紙5:1~5 福音書 マタイによる福音書19:13~30 説 教 「新しい戒め」 出エジプト記は「十戒」 教会によってはこれを毎週唱えるところがあるようだ。 私はそれをしない。 十戒は、旧約の律法体系の中で、いわば憲法のような部分だ。 日本の法律を考えてみてほしい。憲法はとても大事だが、憲法だけ守ればいいのではない。憲法を基礎として様々な法律が定められ、その全体を守ることが必要なのだ。 十戒に付随して様々な律法が定められていて、その全体を守らなければならないものだ。 先週のテキストであったヤコブの手紙2:10によれば、「律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となる」のだ。十戒を唱えるということは、そのような律法の体系に生きるということだと思う。 キリスト教は旧約を(そして新約も)律法の体系として理解していない。六法全書を読むような読み方で聖書を読まない。神がイスラエルに、また教会に関わってこられた歴史(専門用語で「救済史」)として聖書を読む。ユダヤ教の正典とキリスト教の旧約聖書39巻は同じ書物だが、39巻の順番は異なっているのはユダヤ教が、その書の性格によって分類しているのに対して、キリスト教は歴史の順番に並べているからだ。たとえば、ルツ記やエステル記などはユダヤ教ではずっと後ろの方にある。我々の聖書ではそれぞれの物語の時代設定の場所に置かれている。 それではキリスト教は旧約の律法体系を守るべきものとしては無視するのかというとそうではない。キリストの光によってとらえ直すのだ。 たとえば、十戒の中でも重要な安息日の掟は、「神さまは6日間で正解を創造され、7日目はお休みになった。だからあなた方も6日間働いて週の第7日(土曜日)は一切仕事をせず、聖なる日としなさい」という趣旨である。 キリスト教ではセブンスデー・アドベンチスト(SDA)という教派を除いて皆、土曜には礼拝をしていない。(日曜日の礼拝では集まる人を収容しきれないので土曜にも礼拝をする教会はあるが、日曜には礼拝をせず、土曜のみというのはSDAだけである。) イエス・キリストが死者の中から復活し、弟子たちに現れたのが週の第1日=日曜日だったので、イエスを救い主として仰ぐ者たち(クリスチャン)は日曜日に集まり、礼拝をするようになった。 このように、週の一日を一切の世俗のことから離れて聖なる日として、集まり神を礼拝するということは旧約から受け継ぎながら、その根拠は律法の規定からイエス・キリストの復活へとシフトしている。 このようにキリスト教では、旧約の律法をそのまま守るのではなく、イエス・キリストを通して再解釈されるのだ。 それによると、我々がなすべきことは次のように要約される。 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ22:36~40) 名古屋学院の言葉で言えば『敬神愛人』である。 この二つは実は一つである。神を愛すると言うことは具体的には隣人を愛することなのだ。だから 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。(Iヨハネ4:20) と言われている。 さて、ある若者がイエスのもとに来た。永遠の命を得るためにはどんな善いことをしたらいいかと尋ねに来た。永遠の命というすばらしいものをいただくためには、さぞかし、徳を積まねばならないことだろうと思ったのではないだろうか。 ところがイエスの答えは「十戒を守りなさい」ということだった。 たぶん、若者は拍子抜けしただろう。「な~んだ、そんなことか。その程度のことならちゃんと守ってるよ」 ところがイエスはもう一言付け加えた。 「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 この「もし完全になりたいのなら」という言葉はくせ者だ。 この若者は、とても敬虔でまじめなユダヤ教徒だったと思う。 礼拝、献げ物、断食…、律法で要求されていることはきちんと定められたとおりに行っているのだと思う。 『まぁまぁ立派な信者』と呼んでいいだろうと思う。でも完全とまではいかない。我々は『まぁまぁ立派な○○』であることをもって良しとしていないだろうか。○○は信者でも市民でも政治家でも入れ替えたらいい。対象によって「完全な○○」も定義が変わると思うが…。 ところがイエスは完全であることを求めている。 「完全になること」は決してオプションではない。 まぁまぁ立派な信者であるこの若者は、全財産を売り払って貧しい人々に施して、スッカラカンになってイエスについて行くことまではできなかった。彼の財産が若い彼自身の才覚によって稼ぎ出したものなのか、あるいは先祖から受け継いだものだったのかはわからないが、「まぁまぁ立派」からその先へ踏み出すことはできなかったのだ。 彼はきっと多額の献金をしていたに違いない。しかしあのやもめのように全財産を献げることまではできなかったのだ(ルカ21:~4)。 (イエス・キリストの命令は全財産を神殿ないし会堂に献げることではなくて、貧しい人々に施すことだった。宗教団体の懐を潤わせることを命じられたのではないことを強調しておく。全財産を施して貧乏人になったらイエスのところに来いというのだ。) 残念ながら彼はイエスの求めに応えることができず、失意のうちに帰っていった。その後ろ姿を見送りながらイエスは弟子たちに言う。 「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(マタイ19:23&24) イエスによれば、「まぁまぁ立派な」この青年は天国に入ることはできない。彼が天国に行くのは、「ラクダが針の穴を通るより難しい」。 「そこそこの信仰生活をしていれば、天国でもそこそこの身分になれるんじゃないか?」というのは通用しないのである。 完全であるか、完全でないか、そのどちらかである。 それでは完全とはいかなる完全か? 先ほど「敬神愛人」と言ったように、隣人を愛することが原点である。隣人を愛することにおける完全性は、「善いサマリア人のたとえ」によって示されると思う。 この青年と同じように、どうしたら永遠の命を得られるかと聞きに来た人物がいた。彼は律法の専門家だった。だからイエスは自分で答えずに、「あなたはどう思うか?」と問いを返している。この律法の専門家、さすがに専門家だけあって、立派な答えをした。イエスが金持ちの青年に答えたのと同じことを答えている。 そこでイエスは彼を賞めて「そうだ、その通りだ、実行しなさい」と言った。しかし律法の専門家にとって「実行しなさい」が大変に痛い言葉だった。聖書には詳しいけど、社会の中でその聖書の知識を実行しない人いるような気がする。 教会の中では立派だけど、教会の外の世界に行くと、この世の原理で動いている人ね。 この専門家は「隣人愛を実行しなさい」と言われて、論点をずらそうとした。「『隣人』が未定義なので実行できません」 どこまでが隣人か?つまり、どういう関係までが愛すべき対象か? これは大事なことかもしれない。 近所で不幸があったら、通夜・葬儀に参列すべきかどうか。香典はいくら包むべきか。親戚だったらどうか。「うちのじいちゃんの葬式の時、○○さんはいくらくれたから、○○さんの葬儀はこのくらいでいい」とか、「香典は同じ金額包んだのに香典返しがうちより安っぽいからけしからん」とか、そういうことにとても気を遣う人がいる。それで、愛すべき対象から外したりする。 家族、親戚、向こう三軒両隣、町内会、市民、同胞、外国の人でも同じ宗教の人… と広がっていく関係の中で、どこまでが隣人なのか? そういう問いに対してイエスは、「愛を必要としている人の『隣人となる』」ことを教えられた。 このようにして、「敵を憎み隣人を愛しなさい」という旧約の教えは、「今まで敵であったとしても、愛して隣人となりなさい」へと転換された。 ここに愛における「完全」が見られるのではないだろうか。 そして愛における完全は神のご性質に他ならない。 ヨハネは再三にわたって「神は愛である」と述べる。 今日のもう一つのテキストであるエフェソ5:1は「神に倣う者となりなさい」という。 神に倣うとは何だろうか?これがいにしえの聖人たちであったならあまり違和感を感じないかもしれない。 「パウロに倣う者となりなさい」 伝道に情熱を注いだ生涯だった。 「マザー・テレサに倣う者」 最も貧しい人々に仕えた生涯だった。 しかし、「神に倣う者」と言われても、出所が違うんだから無理! と思うだろう。 よく考えてみるなら、アダムは「神の像(形)に似せて創られた」はず。 この神の像(形)を取り戻すことが「神に倣う者」となることだろう。 それは聖霊によるクローニングによって可能とされるのではないだろうか。 霊から生まれた者は霊であるとはそのようなことだろう。
September 27, 2009
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昨年の8月と9月に天に召された方、 お二人の合同の記念会がありました。 二人とも戦争の続く中で青春時代を過ごし、 特に一人はインパール作戦の生き残りで、 戦争の愚かしさと悲惨さを身をもって体験し 自分はあの戦争で死んだものとして、 戦後を生きてこられた方でした。 讃美歌21 385 花彩る春を 1 花彩る春を この友は生きた、 いのち満たす愛を 歌いつつ。 悩みつまずくとき、この友の歌が 私をつれもどす 主の道へ。 ・ ・ ・ 4 雪かがやく冬を この友は生きた、 いのちあたためつつ やすらかに。 この日、目を閉じれば 思いうかぶのは この友を包んだ 主の光。 これを歌いながら、生前の姿を思い起こすと 涙が出てきて歌えなくなります。 教会での記念礼拝の後、 愛知牧場の一角にある十字が丘復活苑(納骨堂) のそれぞれの場所で祈りを捧げました。
September 13, 2009
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昨日のこと、「地区ニュース」の穴埋め用にと思って、十字架の写真を撮りに行った。 東名高速上り線の東郷パーキングエリアに隣接して愛知牧場がある。 牧場の一郭にキリスト教関連の施設が集まっている。 日本キリスト教団南山(みなみやま)教会 有料老人ホーム「まきば」 特別養護老人ホーム「のぞみ」 愛知国際病院とホスピス アジア保健研修所(AHI) 十字が丘復活苑(納骨堂)など。 復活苑の隣にちょっと小高いところがあって、そこに大きな十字架が立っている。 戦後、ここで牧場を始めた尾関誠一翁が、この土地を神の嗣業の地と信じ、不退転の証として1949年に十字架を立てた。 今年、その十字架を新しくした。『信徒の友』6月号に奉献感謝記念式の事が掲載されている。 東郷PAからも見えるはずだ。高さ11メートル。 この写真を数枚撮ってから、AHIへ行った。 9日から国際研修が始まる。 行ったらちょうどこれから研修生の第1陣3名が到着するところだという。 「中部国際空港から藤が丘への高速バスで来るから、バス停まで迎えに行くのでAGIOSさんも行かない?」と言われたので、カメラを持ってAHIの車に同乗した。バス停に着くと、ちょうどバスが来た。アジア人3名が降りてきた。男性が一人、女性が二人。 夜に第2陣が着くとのこと。そして、今日は大勢到着したはずである。 明日から国際研修が始まる。AHIのいちばん忙しい1ヶ月だ。
September 8, 2009
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写真、今回の礼拝式文の冒頭部分 なぜ礼拝式文を変えたかと言うこと… 数年前からキリスト教出版業界では礼拝学の本が盛んに出版され、礼拝学ブームが起こっていた。 本が売れたブームより前に、1997年に「讃美歌21」が出版されたが、「讃美歌21」自体が礼拝のあり方の変更を示唆していたとも言える。 私自身は、神学生の時にウェスレーの聖餐論をテーマに選んだ。 野村誠氏の「聖餐論」に、ウェスレーのメソジスト運動は聖餐式実践が重要だと書いてあった。聖餐式において我々は神と出会う。見神の場なのだと。 岩本助成氏もウェスレーの聖餐論の重要さを大阪キリスト教短大の紀要に書いておられた。 それらを読んで、聖餐は毎週行う礼拝の中心であり、また聖化の場でもあるという私の考えが形成されていった。 ウェスレーは、聖公会(英国教会)の礼拝が諸教会の礼拝の中で最も優れていると考えていた。 英国教会は via media 中道を行く教会だ。右へも左へも極端にならないことを目指していた。 神学的には多様な立場を許容する英国教会は、祈祷書に従って礼拝することを以て教会の一致としたが、最初の祈祷書を作ったクランマーは、ルーテル派と東方正教会を参考にしたと言われる。 ウェスレーは最も優れた礼拝と信じる英国教会の祈祷書を、手本にアメリカのメソジストのために礼拝書を作った。 アメリカのメソジストから日本のメソジストが生まれた。 日本メソヂスト教会の礼文にある聖餐式、明治時代に出版されたものだから、もちろん文語である。 これに近い礼拝式文をもっているのはどこの教会か、と探した結果、メソジストの母教会である聖公会だった。 ウェスレーの発言からして当然のことではあったが、ウェスレーの時代から250年以上経った、アジアの端っこの日本でも、聖公会の聖餐式とメソジストの聖餐式は共通項が多い。 このことを知った時は愕然とした。 あれほど聖餐を重視したウェスレーだったが、(ウェスレーの時代にあまりまともに聖餐式を行っていなかった)聖公会の教会が現代では毎週聖餐を中心とした礼拝を行っている。メソジスト・ホーリネスはどうか? 毎週恵みの座に進み出て聖餐に与る教会がどれだけあるだろうか? 最も「一般的」な恵みの手段として聖餐を捉えている教職・信徒がどれだけいるか? 現代においてメソジスト的な聖餐を回復する第一の実践は、聖公会の祈祷書に学ぶこととなった。 正教師となって、自ら聖礼典を執行することになった時、聖公会の聖餐式(礼拝)式文を短くしたものを作って用いた。 いずれは毎週にするつもりで、月1回の聖餐式はそのように行った。 名古屋に転任してきた時に、数代前の牧師が「10年間は前任者のやった通りにやりますとおっしゃった」と聞かされた。その牧師の在任期間は13年だから、自分の思うとおりにやったのは3年間ということになるのだが、その前の牧師(戦中・戦後30年以上牧会された)のやり方からどう変えたのかはよくわからない。 それ以後の2代の牧師は3~4年で名古屋を去っている。 私も「それじゃぁ」ということで、「前任者の通り」と言ってきた。 ただし、教会学校の関連で教会学校単独の礼拝をやめにして、大人の礼拝と一つにして、子ども向けの説教を挿入するという変更をした。 10年目に使徒信条を説教後に、「献金」を陪餐前に、「主の祈り」も陪餐前、聖餐のない時は献金の後に行うように変更した。 前任牧師は4年ほどしか牧会せずに隠退されたが、大きな足跡を残した。 聖餐式文を変えたことと、クリスマスイブ礼拝を始めたことである。 前任牧師が作った聖餐式文は、一昨年出版された「日本基督教団式文(試用版)」の礼拝式Bのための聖餐式文が、おそらく参考にしたであろうものだ。極めて簡潔ではあるが。 クリスマスイブ礼拝は尾陽教会の歴史の中では初めての式文による礼拝だ。 これも極めて簡潔ではあるが。 このように、前任牧師は明らかに礼拝学の動向を的確に捉えて、実践しておられた。 私の「前任者の通り」はそういう方向性を指している。 それは決して前任者の「マネ」をしたわけではなく、同じような方向性を持っていたので、前任者の仕事を喜んで引き継いだのだ。 今年の秋、私は在任12年を迎えて13年目に入った。 12年という一つの区切りを通過したので、私が元々目指した来た礼拝の形に変更することにした。 もちろん諫早でやったのをそのまま踏襲するのではない。 この12年の間に礼拝学ブームで多くの本が出版され、仲間とそれらの読書会も行ってきた。 地区や教区の教師部委員というお役も与えられたので、講師に礼拝学方面に多くの著書・訳書のある越川先生(彼の出版ペースの速さは一体どうなってるのだろう)や、ハリストス正教会の高橋神父をお招きして学ぶこともできた。 今回の礼拝式文は、一昨年の「日本基督教団式文(試用版)」をベースに、これまで尾陽教会で用いてきた祈りの言葉(成文祈祷)を生かしつつ、同志が彼の教会のために作った聖餐式文を取り込んで、聖公会の祈祷書も参考にしつつアレンジしたものだ。 特に聖餐の部分はたいへん丁寧な取り扱いがなされている。そこにウェスレー以来のメソジストの聖餐式の伝統が生かされている。 私としては、少しずつ変更して慣れてもらおうと考えた。 しかし、長老会の判断は「ちょくちょく変わるのは困る」ということだったので、一挙に変更することとした。 しかしながら、私は「礼拝式文の決定版」はあり得ないと思っている。 常にその時点でのベストを選び、また生みだしていくこと。 「決定版」スタイルでやっている教会もないわけではない。 ハリストス正教会がそれである。 そこで用いられる式文は明治時代に日本にロシア正教をもたらしたニコライ宣教師が翻訳したものだ。ニコライは語学の天才とも言うべき人で、日本人よりも正確な日本語を使えたらしい。 だから、このニコライの日本語訳の式文は極めて厳密に訳されたものだということだ。 しかし、今日われわれが毎週使う礼拝の言葉としてどうなのだろう? 一方で日常と違う世界へ行くという意味で文語は能力を発揮すると思うのだが、そこで言われていることが呪文のような意味しか持ち得ないようでは困る。「美しい言葉」や「正確な言葉」で礼拝したいとしても、そのために平安時代の日本語を学ばなければならないとしたら、それは問題だろう。 あるいは法律用語のような硬い表現も礼拝にはふさわしくないだろう。 自分の心を込めて表現しやすい言語で礼拝すべきなのだ。 そして、どんな言葉に心がこもるかは、時代(世代)と共に変わっていく。
December 30, 2008
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先日、給田キリスト教会の平岡充満子牧師が、昨年天に召された平岡忠雄牧師の「恩寵(みめぐみ)の流れの中で」という本を送って下さった。平岡忠雄牧師は昨年12月26日に召されたと書いてあった。私の父も1978年12月26日だった。父と平岡先生は親しかったので、天に召された日まで一緒だったのか?2000年のクリスマスに、名古屋の数名の牧師でエッセイ集を出した。その中の一つに私は星野栄一牧師のことを書いた。高校生から大学生の時期にかけて私は聖都教会に下宿し星野栄一牧師から大きな影響を受けて今日がある。5年の下宿生活のうちの一つのエピソードを書いたのだが、平岡先生はそれを喜んで下さった。星野先生はたいへん個性の強い方で多くの人と衝突し、星野先生を悪く言う人は少なくない。人間としての弱さや欠点はともかくとして、どのように福音を捉えるかというところでは私は決定的に星野先生と聖都教会に負っている。個人的には結婚式を司式していただいた。星野先生が司式した結婚式には何度か出席しているから、式辞(説教)も知っている。しかし私の結婚式の式辞(説教)は通常のものではなかった。まるで、自分の息子の結婚でもあるかのような個人的な色彩の強い式辞だった。それで私は星野先生のもとで過ごした5年間を思い起こしながらエッセイを書いたのだが、平岡先生はそれを喜んで下さったのだ。その時は、私は当たり前のことを書いたのになぜ平岡先生がそんなに喜んで下さったのか、よくわからなかったのだが、「恩寵の流れの中で」を読んで少し理解できたような気がした。エッセイの文中では示されていないもっと本質的な部分で私が星野師から受け取ったものを、平岡師は読み取って下さったのだろうと思う。そして、それは平岡師も星野師から受け継いだものであったのだと思う。この本は平岡先生が亡くなってから、生前にさまざまなところに書いたものを集めたものだ。内容は説教あり、時事評論あり、神学論文あり…である。時事評論といってもそこは牧師の書くもの、常に福音という視点からの評論である。その中で真っ先に私が目を通したのは、神学的な文章だった。「聖化論」1960年 ウェスレーの『キリスト者の完全』は愛における完全を主張したものだが、ホーリネス教会は正しく継承してきただろうか?「愛とホーリネス」1964年 ホーリネスの侵攻と実存を、愛を視点として、探求し解明する。「旧約聖書における愛について -契約の愛と選びの愛と-」1971年 エレミヤ書31:3「主は遠くから彼に現れた。わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた。」に出てくる『愛(アーハブ)』と『真実(ヘセド)』をめぐって。ちなみにこの箇所は、この論文が書かれた2年後に私がHi-B.A.キャンプで信仰と献身の決心をするきっかけとなる聖句だ。高校生の私が感覚的に受け止めたものを平岡師はきちんと言葉にしてくださっていた。「ウェスレーの聖餐論」1978年 岩本助成師の論文「主の晩餐におけるキリストの現在-今日のエキュメニカルな神学的対話へのジョン・ウェスレーの貢献をめぐって-」に触発されてホーリネス教会の聖餐観を問う。ここで取り上げられている「たえず聖餐を受ける義務」というウェスレーの説教は、私も神学生の時に読んだ。そして、それ以来ずっと私の課題となってきた問題でもある。「現代社会と宗教」1980年 世俗化社会と宗教の果たしうる役割を問う。こうしてみると、平岡先生の視点と私の視点は共通が多いように思う。特にメソジズムに関わるあたりは。おそらくそれは星野先生から受けたものなのではなかろうか。あまり今まで意識したことはなかったのだが、平岡先生は私の先輩だったのだと感じた。
December 18, 2008
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梅の写真を撮りに、農業センターへ行った。誤算が二つ。1.駐車場が有料だった(普段は無料)。2.4時半でおしまいになる(5時までやってると思った)。着いたのが4時頃だったので時間がない。まっすぐ梅林へ向かった。駐車場が有料なのはイベント開催時だ。「しだれ梅まつり」の開催中だった。紅白の幕が張ってある。土日には野点があるらしい。大きなカメラとレンズを持っている人から携帯で撮っている人まで、さまざまなカメラマンがいた。なぜか、寒い季節になるとここへ来る。2005年と2006年は2月に来た。ロウバイは咲いていたが梅はまだだった。まともに梅が咲いているのは今回初めてだった。
March 6, 2008
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6日の日曜日、礼拝前に突然激しい腹痛に襲われて、救急車を呼んだ。第一日曜日の礼拝は聖餐式。礼拝後に今月誕生日を迎える人の祝福の時がある。今月は、先月行った教会総会で初めて長老に選ばれた人がいるので、長老任職式を行う予定だった。私が緊急事態だったので、全部延期。明日行う。その他、2つの団体の機関紙の編集等もストップしている…。1日が72時間になるとか、分身の術を使えるとか…しないと。教会の人は「お手伝いしますから言ってください」と言ってくれる人もいるけど、80過ぎのおばあさんにDTPを頼むのは無理だし。
May 12, 2007
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明日までに約350名分の成績を入力しなければならない。のだが、Windows Vistaへの切り替えに伴ってあれこれ不都合が出ている。そんなあおりを食って、今日の週報はミスプリが目立つ。まず日付が「2月6日」になっていた。水曜の祈祷会が10日になっていた。原因は目の前のカレンダーがまだ1月になっていたせいだろう。第1日曜には今月の誕生者のお祝いをする。カードを渡すのだが、その日付を間違えた。2月7日生まれの人の誕生日を、2月4日と、今日の日付を書いてしまった。誰あろう、妻の誕生日カードだ。長老会を乗り切って、夕方、少し横になった。今日は愛知県知事選挙の投票日、7時半頃投票所へ出向いた。選挙管理の仕事で座っている人々の中に、町内会の役員さんがいたので「ご苦労さまです」と声をかけて帰ってきた。NHKの大河ドラマ後のローカルニュースで、出口調査によると神田さんと石田さん、ほとんど差がない。決着が着くのはかなり遅くなるだろう。これを書いている間に北九州市長選で民主党推薦の候補が当選確実になったというニュースが入ってきた。「産む機械」発言は自民党推薦の候補にはマイナス要因だろう。未だにこういう発想を持っている人間が日本の指導者だというのは実に恥ずかしい。
February 4, 2007
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2007年になった。年が変わったと言っても、ずっと連続している時間を便宜上区切っただけだ。だからいつもと同じように、昨日の次の今日であるのだが、それでも365日が経過して、次の年となると気分が変わるから不思議だ。2006年は記念すべき年だった。名古屋に来てちょうど10年が経過した。私よりも後から名古屋に赴任してきた牧師たちで、もう転任していった人も多い。入れ替わりが激しくて、愛知西地区はまだしも他地区の同僚の名前と顔は一致しない人も多い。今年度は4月から大学でも教えている。高校は長崎にいたときから教えていたが、大学はやはり勝手が違った。概説の授業は一般的なことを扱ったのだが、秋学期の授業ではターゲットをメソジストに絞った授業を行った。メソジストの学校なのだからメソジストを教える授業があっていいと思う。ただ、もう少し整理しないと学生には不親切な授業だったかと思う。(_ _ )/ハンセイさて、今年はどんな年になるのだろう。
December 31, 2006
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ファイターズが勝った。新庄の涙が止まらなかった。礼拝で感謝祈祷を献げるのはやめておこう。名古屋都心の某教会の前任牧師は、ヤクルトファンで、ヤクルトが優勝したときに役員会でヤクルトを配ったそうだが、私にはまだそこまでの力はない。ヒルマン監督はシリーズ開始前、「エンジョイしよう」と言っていたが、これは説教ネタになりそう。enjoy = en + joyenは「…を与える」の意の動詞をつくる接頭辞だ.[株式会社研究社 リーダーズ英和辞典第2版]enjoyとは「喜びを与える」ことなのだ。ファイターズの選手たちは自ら喜んで試合をし、ファンに喜びを与えた。
October 26, 2006
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あなたのホームページのアクセスカウンターが、400アクセスを超えました。400アクセスは、kenken621さんでした。kenken621さん、及び訪問してくださった皆さんありがとうございます。アクセス数はあまり気にしない方ですが、読んでくださっている方があるとうれしいですね。
October 18, 2006
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昨日は中日ドラゴンズが優勝した。優勝決定がかかっている試合を(地上波では)どのテレビ局も放送していなかった。どうでもいい試合を延々と放送し、こういう大事な試合を放送しないというのは、メディアの根幹に関わる問題だと思う。それはさておき、優勝すれば名古屋は大騒ぎだ。当然優勝セールだ。で、今夜のおかずに入っていた納豆「ドラゴンズ納豆」というのだそうだ。これが(当然)安売りだったので買ってきたのだそうだ。別に他の納豆と何も変わらなかったが。。。
October 11, 2006
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ここにブログを作るつもりはなかったのです。 他の所にブログは3つぐらい書いているし、ブログとは言ってないけど、日記を書く場所も別にあるし。 ところがその日記を書いている場所の先行きが不透明だなぁと思って、楽天リンクスをのぞいてみたら、あちらでの知り合いの方がいらしたのでごあいさつしたのです。それが真路さんでした。 「楽天クリスチャンリンクに登録していいですか?」って言われて、つい、よろしくって答えてしまって・・・。 今までにもクリスチャンリングへの登録を勧められたことがあったのですが、お断りしていました。 登録された以上、どうにかせねばなるまいと思って、あちこち見ていたら、以前パソ通でご一緒したやまひでさんもいらっしゃる、という具合で、ちゃんとやらなくちゃなぁと思い立ちました。 これから先がどうなるか、私にもわかりません。 ただ、書く内容は学校の授業とリンクしそうです。 私たちの思いを超えたところで働かれる主に感謝します。
October 3, 2006
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ハイデルベルク信仰問答の第34主日、第35主日を読んだ。十戒のところだ。問92で出エジプト記20章に基づいて十戒の第1戒から第10戒まで列挙する。問93ではこれを二つに分類する。神に対する態度についての戒めと、隣人に対する態度についての戒めである。問94は第1戒で神が求めていることを問う。問95では偶像崇拝とは何かを問う。問96は第2戒から聖像の問題を問う。「十戒」というが、聖書には「十」とは書いてない。人によっては元々12戒だという学者もいる。なるほど、12というのはイスラエルの部族数だし、完全数だ。10項目だとして、ではどこからどこまでが1かというのも異論がある。大雑把には3通りの分け方があるようだ。第1はユダヤ教の分け方、「わたしは・・・」という序文を第1戒に含める。第2は正教会や改革派の分け方。「わたしのほかに神があってはならない」を第1戒、「いかなる偶像も造ってはならない」を第2戒と数える。第3はアウグスティヌス以後のカトリックとルター派。「いかなる像も造ってはならない」以下も第1戒に含める。この項目に関してはユダヤ教も同じだ。改革派流の分け方だと、「わたしの他に神があってはならない」と「いかなる像も造ってはならない」が別項目なので、「いかなる像」にはまことの神の像も含まれる。それに対してカトリックの場合は「わたしの他に神があってはならない。いかなる像も造ってはならない」であるから、「いかなる像」は「わたしの他の神の像」を意味するだろう。そうすると神の像を造る余地が生まれてくる。十戒は2枚の石の板に刻まれていたという。どこまでが1枚目でどこから2枚目かも気になる。一般的には1~4戒が第一部 神に対する態度に関する戒め、5~10戒が隣人に対する戒めとされている。しかし十の戒めを二つに分けるのなら、1~5、6~10の方がふさわしいだろう。第5戒は「あなたの父と母とを敬え」だが、これは「神」に関する戒めか「隣人」に関する戒めか?問96~98は、聖像・聖画像に関するものだが、ハイデルベルク信仰問答の立場は一切禁止だ。730年の聖像禁止令と787年の第2ニカイア公会議の決定「模像を通して原像を礼拝する」をどう理解するのだろう?
October 2, 2006
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このブログに何を書いていくのか未定だけどとりあえず作っておこう。
October 2, 2006
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