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こんばんは、鎌田です 愛夢舎は、昨日8月22日、全20日間にわたる「夏期講習会」を終了いたしました。みなさん、おつかれさまでした!!講習会の最後は、確認テストの成績発表、入間市教室では、優秀者に「ヒーローインタビュー」なんかも行って、盛大に幕が閉じられました。 この後、愛夢舎は両教室とも9月3日までの期間、完全休館となります。 お電話はつながりますが(武蔵藤沢教室 【04-2960-5336】は時間帯により、 入間市教室 【04-2901-8220】は鎌田への転送で)自習室の使用はできませんので、ご注意ください。 そして今日。 塾は休館でありましたが、こっそりと「準備」。 いよいよ、合宿です。 こちら、今日の入間市教室。今年のメンバーを待つ「スタート地点」ができあがりました。 これまで340名ほどが参加し、「これで人生が変わった」「生まれ変わった」「よみがえった」さまざまに評されてきた愛夢舎の「夏期合宿」。 僕がやりはじめてからはちょうど15回目になる。(15回目にして「思うこと」、こちらの記事より) 今日は、武蔵藤沢担当の田中先生のほか、「補助教材を作りたい」という石塚先生、愛夢舎の合宿をすべて、つぶさまで見たいという想いの吉田先生、なんだかんだで、合宿スタッフほぼ全員が「準備」にいそしんでたww その「合宿」のスタートは 黒板を書くこと に始まる。 愛夢舎・・・および、我々の古くからの関係者は懐かしさをもって、この写真を見ていただけるに違いない。 15年間、ほとんど変わっていません。 いや。 愛夢舎「以前」、僕が、ド新人として参加した合宿、20年前の合宿から、ほとんど変わっていません。 言いかえれば、この20年、 この「黒板」が1000人を超える人々の人生に刻まれてきた。 以前にもブログで書いたことだけど、この黒板は、そういうわけで、僕が「開発」したものではない。僕は、先輩方が作りだしたものを敬意をもって、毎年、使わせていただいているだけだ。しかして、先輩の想いを僕が引き継ぎ、その想いで僕が書いた字、僕の合宿で何かを得た人々が、その想いをまた後輩に受け継いでいく、僕に限らないけど、僕は、それを「役割」であるとも思っています。 この黒板は、1年の中で一番時間と神経を使ってしたためる板書です。 僕自ら、一文字ひともじ、思いを巡らせながら書きます。決して、字がうまい方ではありません。でも、一生懸命書くことはできます。その一文字が自分が納得いかない出来なら、何度でも書きなおして、作ります。 そうして作り上げる1枚の黒板。 ここ数年は、武蔵藤沢の田中教室長と分け合っています。武蔵藤沢の黒板は、田中先生が書きます。僕が書くのと、寸分たがわぬ言葉遣いです。田中先生も、愛夢舎の合宿に「ハマった」人のひとりだと僕は確信していますwwwこの黒板の一言、一文字、そこに意味を見いだせる人であると僕が確信したので、田中先生に、だんだんと合宿を引き継いでいっています。 この黒板に象徴される「イズム」、確かに、15年かけて愛夢舎で築き上げてきたものだし、自負しています、ほかのだれも、ウチのこれをマネすることはできない、でも、その根底になっている「イズム」、それを僕に与えてくれたF田先生、K取先生を尊敬し、その功績を後進にひきつぐべく、今年も僕は黒板を作りました。 さて、明後日、合宿がスタートします。 今年の生徒への説明会は、両教室とも、僕自身が行いました。 参加生徒に、とにかく、訴えました。 「変われ!!」「変わろう!!」 「変わる勇気を出そう!!!」 ウチの合宿では、北辰テストの偏差値を「10」どころか「20」以上も上げて帰ってくるメンバーがいます。 けど、あえて言うけど、 そんなのは、彼らが得る成果の、ほんの一部にしか過ぎません。 もし、今年も志賀高原でWiFiが使えるようなら現地から報告記事を書いてみます。 どうぞ、現地報告、お楽しみに! kama
2017.08.23
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こんにちは、鎌田です。みなさま、大みそかの今日、いかがお過ごしでございましょうか?あと7時間ほどで、2016年も終わります。埼玉県入間市に居を構えて16年やってまいりましたが、今年も地域の皆様のご支援・ご理解を賜り、こうして1年を終えることができます、本当にありがとうございました。今年は、僕自身にとっては「2年目の入間市教室」。それはそれで、思うところも多々あり、なんなら、入間市教室のブログの方に書きましたとおり、が、ともかく、なかなか良い1年、次への飛躍へとつながった1年だったと思っております。武蔵藤沢教室、あるいは、愛夢舎全体としては、なにせ、毎回の北辰テストの平均偏差値が65をオーバーするという史上最強の選抜クラスが育っており、県立入試まではあとふた月ほど残しておりますが、そこまで息も抜けず、また大きな成果に期待しておりまする。 ・・・という中で、ひとつ「小バナシ」を。 いったい、塾って、なにが目的なの? いったい、受験って、何のためにやってんの?? ・・・「小バナシ」と言いながら、かなり大きなテーマですww ハッキリ言いますけど、今の時代、入学時の偏差値がB高校よりも2~3ほど高いA高校に行くことが「将来の安定」につながると思ってるヒトはもはや誰もいませんよね?もしくは、大学に行けば安泰と思ってるヒトもいないし、実例として、大学に行くとしても、それは「どこに行くか」よりも「どうやって行くか」が問われる時代にもなっている、具体的にいえば「推薦」で行ったGMARCHより「受験」して行った日東駒専の方が社会的評価が高い、そんな時代になっている。ここ数年は、就職事情もよくなって、かつての氷河期とは比べようもなく、「売り手市場」になっていると言ってよい。けど、入った企業がどの程度「安定」「安泰」なのかと言われれば、なにせ、僕が学生だった20年前にこれほどのケータイ屋ができるとも思ってなかったし、その数年後にちやほやされた「IT企業」が乱立した結果、「今こそ『ものづくり』だ!」とか「農業だ!」とか言われるとも思ってなかったし、まあ、どんどんどんどんどんどんどんどん、変わってしまうわけで。だからこそ、文科省が2020年の接続改革に乗り出したってわけでしょうけど、実は、我々大衆というか、「ヒト」はそんなん、本能的に、とっくのとうに分かってる。でも、それでも、みんな、偏差値が2~3高いだけの高校大学を目指し、塾や予備校に通い、苦しい思いをする。 なんなんだ、これはいったい??? 「愛夢舎ヒストリー」(カテゴリ選択ください)を読めばおわかりになりますが、僕は、実はもともとは、塾・予備校否定派です。自らも、中学・高校時代に、塾や予備校に通ったこともないし、もちろんそれは、長野県の田舎暮らしで通う高校の選択肢がほとんどなかった当時のことだったからだろうけど、なんなら、塾や予備校がバブル期までの、いわゆる「受験戦争」を助長している、とまで思っていたくらいだ、そして、その思いは、今だって、そんなに変わっていない。 けど、評価が変わった。だから、この仕事に就いています。 要するにね、受験が「手段」だとは、思ってません。 「受験」という、それ自体が「目的」というか、なんというか、もう、素晴らしいものなんですね、そう思っているからこそ受験業界にとどまっています。 先日、映画の「ビリギャル」を観ました。僕は、Amazonのプライム会員だから、プライムビデオでいつでも見られる。どうやら地上波でも最近放送されたようで、「先生、ビリギャル、みた?」と生徒に聞かれた、ってことは、割と観たひとは多いのかもね。原作となる本は数年前に読んだ。著者の手法は、なかなか勉強になるところも多いので、いまだに付箋だらけで僕の家のデスク付近に置いてある。ここで断っておくけど、僕は、あの映画、あの本の内容が「真実」である・・・いや、ちがう、「ノンフィクション」であるかどうかは、どうでもいいと思ってる、かつて「一杯のかけそば」事件があったけど、あれも同様で、あれが「作り話」だったことで、世間は憤慨したけど、それは非常に滑稽なことでさ、作り話だろうが実話だろうが、そういう「ストーリー」を目にして、感動するかどうか、なにか「気づき」があるかどうか、それというのは、こっち側の「自分」の領域の話であって、「フィクションだから感動しない」「ノンフィクションだから感動する」というのは違うと思う、・・・と、実存主義者のボクは言っておるwww でね、映画「ビリギャル」で、僕は感動したわけですよ。 今さらながら、なんで自分が「受験」に携わっているか、その「証拠」を手にした気がしてね。 前述のとおり、たぶん、偏差値の1~2の違いのために多くの時間とお金と気持ちとを割いてるヒトはいないんだよ。 そうじゃなくてね。 「受験」というのをひとつの「イベント」・・・つまり「きっかけ」としてね、 「受験」に向かう本人は、これでもかというくらいに「願い」これでもかというくらいに「不安」を思い、これでもかというくらいに「悩み」もうやめたい!なんでこんな思いをしなきゃならない?!というネガティブな思い、あるいはやった!やりとげた!認めてもらえた!!やればできる!!という成功体験もしくはこれが自分の選ぶべき道だ!自分は、こういう人間なんだ!という気づき、 そして、映画でもあったけどさ、 周りのヒト、たとえば「親」なんてのは自分の大切な人がそういう想いに駆られているとき なんとかそのチカラになろうとし、自分の時間や労力を費やし、つまりは、自分の時間・体力を費やして働いて働いてその人のためにお金をつくり、あるいは、精神的支えとなるべくなんて声をかけたらいいんだろう?と本人よりも寝る時間を割いて悩み、あるいはあるいはどうしてコイツはこんなにダメなんだ?!とイライラし、 たぶんね、ヒトって、受験を通じてそういう「体験」をしたい、 いや、そういう体験をするための「受験」なんだと思ってる。 受験ほどヒトを「愛してる」ことを実感するのにわかりやすいイベントはそうそう、ない。 自分自身がその学校に進学したいから受験する。でも、そもそもなんのためにその学校に進学するのか?それは、自分が愛するヒトに認められたい、愛するヒトに報いたい、愛するヒトのためであるはず。なんで親はわが子にイライラする?当然のことだけど、我が子が愛おしくて仕方ないから。愛してやまない存在だからこそ映画の「あーちゃん(母)」のように寝る間を惜しんで働き、お金をかせぎ、愛してやまない存在だからこそ映画の「父」のように自分の信じる「成功」から我が子がはずれそうになると「そっちに行ったら失敗してしまうじゃないか!」とイライラして、 受かったら、愛するヒトが喜んでくれるから自分も、安心し、喜び、ホッとするし落ちたら、愛するヒトが悲しむかと思って心配になるし、悲しくなるし、申し訳なく思うし、 そんなこと、今さら言われるまでもないって?? じゃあよかった、安心した。 で、僕は、なるほど、だからこの業界にいるんだな、って思いました。 これほど、ダイレクトにヒトとヒトとの愛を感じられ、そこに自分の愛を注げる、分かりやすい仕事っていうのもめずらしいもん。 ホントは、どんな場面においても、ヒトを愛するということは実感できる。愛おしいと思うことはできる。幸せと思うこともできる。 道を歩いている人を愛おしい思うことも、ごはんを作ってくれる家族を愛してると思うことも、話しかけてくれる友だちを愛してると感じることも、お店にくるお客さん、品物を売ってくれる店員さんをありがたいと思うことも、ホントは、いつでもできる。 究極言えば、今こうして、息をして生きていることがまずありがたいことだし、幸せなことだし、愛おしいことだし、つまり、自分を産んでくれた親が生きていること、息をしていることが幸せなことだし、 でも、なかなかそういう風に実感するヒトも少ないのかもしれないね。 いいですか。 ホントは、みんな、常に、幸せなんだよ。 ヒトに囲まれ、こうして息をして、誰かに見つめられ、誰かを見つめ、でも、それは「慣れ」てきちゃうと、なかなか実感できないかもしれない。 だから、一生のうちの何度か、自分は「愛」に囲まれて「幸せ」に生きているっていうことを実感するためにヒトは「イベント」を利用するんじゃないかな。 そのひとつが「受験」かもしれない。 ホントに、考えれば考えるほど「受験」というのは自分がいかにそのヒトを愛しているか、自分がいかに、その人に愛されているか、それを実感するのに分かりやすいイベントです。 ほっといたって、カラダと気持ちが勝手に、その人のことを主体に動いちゃうんだからwww 「愛夢舎」という塾のキャッチフレーズは「子どもに愛と夢を与えます。」です。塾長の佐々木が考えました。 僕はこの数年、このフレーズを「愛と夢に気づきましょう」と勝手に自分の中で解釈していますww 受験を通じ、親のありがたみ、先生のありがたみ、自分自身の弱さ・強さ、そういうものに気づきます。愛に気づきます。それで、中学生は高校生になると「成長」し高校生は大学生になって「成長」します。 エラそうに書くけど、たぶん、この職業についてるヒトってみんな等しく、それが好きだし、そのためにやってるんじゃないかな? だってさ、以前、よその塾さんに「愛だの夢だの、受験には不要だ!」とか揶揄されたことがあるんだけど、そんな塾の先生方は自塾の生徒のために、寝る間も惜しんで頑張っていらっしゃるんでしょ?じゃあ、結局、子どもたちを愛しまくってるじゃんww もちろん、そんな我々に課せられた表向きの使命は受験の成功すなわち合格です。 成績アップです。 でも、僕はきっと生徒も保護者も社会も、「受験」とか「テスト」とかいうものが「順位づけ」を目的としたものではなくて(それは今の就職事情やその他もろもろが証明している)それぞれが「愛」を感じるためのイベントそしてその「愛」を感じることが、ヒトとしてのステップアップにつながるはずだと思っているが故のこと、と思っています。 ・・・なんだか、宗教的にお感じになる方もいるかもしれませんが、僕は宗教家ではありません、おそらくは、フツーの人よりはお坊さん的思考なんだと思うけど、たとえば、さだまさしの歌の歌詞に「わたしが生まれてきた理由は 父と母に出会うため」というのがあって、実はこれは浄土真宗のイベント用に作られた歌詞とのことで、やっぱり宗教じゃないか、と思われるかもしれないけど、でも、本質をついてるなぁ、と思ってます。 ええ、僕の大好きな歌詞です。 さて、そうはいいながら、僕らは、まだまだ「世間のイメージの塾」でもあります。受験に立ち向かわねばなりません。一人でも多くの方が受験を通じて、ご自身の幸せ、愛に気づいていただけるよう、来年もまた、全力でやっていきます。 重ね重ね、本年はご支援ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。来年もまた、愛夢舎をよろしくお願いいたします。鎌田昌典
2016.12.31
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こんにちは、鎌田です・・・なかなかタイヘンなスケジュールです なにがどうタイヘンかというと。。。 たとえば、中学3年生たちは今度の日曜日、北辰テストを控えている。10月2日のことだ。ところで、近隣の藤沢中学校や武蔵中学校では同じ週の後半に2学期中間テストがやってくる。10月6日のことだ。 さあ、タイヘンだ。 言うに及ばず、今の時期の北辰テストはその結果が私立高校受験の結果に即決する、と~~~っても大切なもの。と同時に、2学期の定期テストは最終的な調査書における内申点を大きく左右する、これまた、ぜ~~~~ったいに失敗が許されないテスト。二者択一ではダメ、両方だいじ。 ところで、10月6日の中間テストというのは我々の当初の予想からすると、少し早めだった。上藤沢中学、豊岡中学、黒須中学、東町中学など大半の中学校は翌週の10月14日前後にテストが実施される。 ・・・と思いきや、東金子中学や、狭山市入間川中学はさらにその翌週。東金子は10月20日のテストである。 さあ、タイヘンだ。 ウチは、中学校のテスト日程にあわせてテスト対策を実施しています。3週間にわたって、ちょっとずつ異なるスケジュールでテストが実施されるとなると、ウチも、3週間にわたって、テスト対策を行うことになる。 ということで、先日9月25日の日曜から中間テスト対策がスタートしています。これは10月6日あたりのテストに向けたもので、武蔵中や藤沢中などに通う生徒を対象としたもの。 あ、中学校別ですよ、ウチのテスト対策は。武蔵中・藤沢中などの子たちは先の25日と今週末の土日、テスト対策集中学習日を行う。そして、上藤沢中や豊岡中など10月14日前後にテストがある子たちは今週末10月2日と、来週末の10月9日に集中学習日ということになり、最後の東金子中など、10月後半組は10月9日からのテスト対策ということになる。 このスケジューリングがタイヘンなのですよ。 ウチの場合、テスト対策というのは、ただ自習室を開放するわけでなく、講師をちゃんと配置した「集中学習日」と「テスト対策特別講座」の授業を設定する。 ~テスト2週間前 集中学習日 1回目~日曜日に、対象中学の生徒は全員集合。学校の教科書ワークについて、2週間前までに終わっているべきところまでちゃんと進んでいるか(提出日に滞りなく提出できるか)講師がチェック、進みが遅いものは、講師の指導のもと一緒に進めます。教科書ワークは1.類題がテストに出題される つまり、ワークの問題ができることは テスト本番での高得点につながる。2.家庭学習の様子を知る材料として テスト終了と同時に学校に提出する、 やり方が不十分だと、テストの得点と関係なく 内申点がマイナスされる。という2つの意味において、定期テストの勉強の中心にすえねばならないものです。1回目の集中学習日は原則として3時間を予定しますが、ワークが終わらない生徒は、居残りしてでも終わらせます。 ~テスト1週間前 集中学習日 2回目~テスト直近の日曜は、午前10時に全員集合。集中学習日の2回目にあたります(原則2時間)テスト直近ですから、この日にワークを「完成」させます。ここでいう「完成」とは1.提出日にきちんと学校に提出できる状態にする(=守りのワーク)2.ワークの問題がちゃんと解けるようになっているか 講師によるチェックを行う(=攻めのワーク)その後、類題プリントで弱点分野の補強や、さらなる得点力養成をはかります。 ~定期テスト対策特別講座の開講~2回目の集中学習日と前後して、科目別・分野別に、テスト対策の特別授業を実施。内容はズバリ、テストの予想問題。必要に応じて受講することでピンポイントにテスト攻略をはかります。過去の出題例などを参考に講師が作成したオリジナルプリントを使うのでほかでは入手できないものばかり。かつて、田中先生の社会のプリントなんかは「それさえやっておけば90点はとれる」と生徒たちから大好評を博したくらいの的中率。 こうして、これまで「愛夢舎マジック」と呼ばれる数々の驚異的な結果を残してきました。 その一部について↓ ぜひ、こちらの記事もご覧ください「愛夢舎マジック」 今回も、タイヘンなスケジュールなんだけど、とうぜん、いつものごとく、ちゃんと対策します♪ 3年生にとって今回のテストがあまりに重要なのは言うまでもないけど、2年生は、この先の受験に向けて「難所」の多い今回のテストを乗り切れるか、1年生も、この時期から英語・数学の「得意・不得意」が大きく分かれていくので、今後を占う意味でも、なんとか食らいついておきたい、 ええ、今回のテストは重要 かつ 難しいんですよ。 3年生に至ってはそこに北辰テストもあるわけなので、いったい、なんの勉強をすればいいことやら、パニックになっちゃう子すらいます。 そんな子たちに、唯一絶対のアドバイスをあげるなら、こうだ ↓ 塾に来い。自習室に来い。先生に頼れ。 以上。 kama
2016.09.27
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先に、事務的なご連絡。愛夢舎は、8月22日をもって夏期講習会を終了いたしました。2学期は、9月5日(月)からスタートとなり、その間は、教室は休館となります。8月25日から受験生を対象とした夏期勉強合宿(~30日)と生きる力を養うサマーキャンプ(~28日)の2大イベントがスタートし、スタッフは、ほぼほぼいずれかのイベントに参加していますので、各教室のお電話も不通となります。どうぞご容赦くださいませ。 では、本題。 明日より、僕は夏期勉強合宿を率いて志賀高原に山籠りしてまりいます。上の黒板の写真は、武蔵藤沢教室の生徒を導く田中先生によって書かれたものだが、その文言は、僕が先人から受け継いだものをほぼ再現したものである。入間市教室の黒板は、これとそっくり同じものを僕がゆうべ、したためてきた。 数多くの先輩たちが「合宿で、自分の人生が変わった」と表現した、愛夢舎最強のイベント夏期勉強合宿へ、ようこそ。 8月22日には参加する中学3年生が一堂に会し、「参加者対象説明会」を行うはずだった。が、ご存じのとおり、同日は、台風9号の直撃により、入間市は、1時間に100ミリを超える記録的豪雨、周辺道路は冠水し、いくつかの川も決壊、教室には浸水こそなかったものの、翌日になっても、片付けと掃除をされる家の方々の姿がそこかしこにみられ本当に大変なことになりました。ゆえに、異例の事態ではあるけれど説明会も、各教室ごとに開催。つまり、僕は参加者の大多数である武蔵藤沢教室の生徒たちに、話をしていない。もちろん、責任者代理としての田中先生の説明にはなんの不安ももっていないし、なんなら僕よりうまく説明したかもしれない。そこではなくて単純に、僕自身の「ことば」を届けていない、今年の参加者たちには事前に僕の「魂」を届けていないこれは、この15年ほどの歴史の中で初めてのことなのである。 明日、現地で行われる「開会式」で結局は話すことになるんだろうけど、そして、もしかしたら僕ではなく、田中先生やむしろ佐々木塾長が、実は同じ話を彼らにしているかもしれないけど、 いくつか、ヒント。 合宿への参加を認める生徒は「成績を上げたい」と自分自身で思っている生徒に限る。 「行けと言われたから行く」という生徒はお断りだ。 また、「合宿に行けば、 成績を上げてもらえる」と思っている生徒も、ダメ。 あくまで、自分が自分の成績を上げる、そのために、愛夢舎の合宿に参加する、その意志のみが、参加条件だ。 その上で、 「成績を上げたい」と言うのであれば「成績の上がった自分」というのは「今の自分」とは、別の自分である。今の自分は今の成績なのだから。 そこで、 アインシュタインが言ったとかいう、名言をひもとく。 「同じことを繰り返しながら違う結果を望むこと、 それを 狂気 という。」 ウチの合宿ではいくつかのキーワードが生まれている「殻をやぶる」「限界を自分で決めない」「冷静な分析はまっぴらごめん、気持ちと向かい合え」 そして 「変われ」。 同じことを繰り返しても、別の、新しい自分とは出会えない。なにか別のことをしよう、新しいことをしようとするとき、「ニガテな勉強で成果を出す」というのはなかなか難しいことである。比較的簡単に、別の自分になれる方法が全力であいさつをしてみることだ。 あいさつと成績はそういうわけで密接に関係している。 これまでの自分の範囲をとびこえ、殻をやぶり、別の自分の姿を、自分でみる、 成績を上げたいと言いながらいくら頑張っても成績が上がらないヒトは現状の成績、いや、「今の自分」でいることの安心感を優先していることに気づかねばならない。 新しい自分、別の自分になることに恐怖や不安をおぼえていることに気づかねばならない。 だから、あいさつで別の自分になることが怖くないとわかれば成績でも結果は出る。 そして、言うまでもなく、 成績面で「別の自分」になることが怖くないことが実感できれば環境に不満をいだき、うまくいかないことを「ぼやく」人生に安心し、「どうせ・・・」「結局・・・」「やっぱり・・・」「でも・・・」が口癖の人生、それに決別することが、つまり幸せになることがいかにカンタンなことかが分かる。 ゆえに、明日からの合宿は「成績を上げる」ことが唯一の目的であるが、 その唯一の目的は 同時に、キミたちが幸せな人生に進むための道標でもある。(成績が上がる=いい学校に入れる という低次元な話ではなくて) そして、矛盾するようであるが、 明日からの合宿の目標は将来の幸せでも数ヶ月後の入試でも、9月の北辰や定期テスト、模擬試験でもなく、その日、その1時間、その1分間における「達成」にすえるべし。 まだキミたちは数ヶ月先の目標のために今の1秒を過ごすことなどできない。 キミたちが、「数ヶ月後、高校入試で成功するため」と言う場合、それは、「まだ数ヶ月間の猶予がある」という意味で言っているだろう? ヒトなんてのは、そのときが先になればなるほどそれまでの時間を「猶予期間」としてつまり、失敗しても、サボってもいい時間ととらえてしまうものだ。 だから、合宿中は少なくとも、その日の確認テスト(3時間後)、もっといえば、 今の1分を「そのとき」と考えよ。 今、目のまえにあることを1分以内に習得し、1分後に習得できていなかったら「終了」だと思え。 キミたちが、聴く姿勢が整い、僕のタイミングが合って、シチュエーションが許せば去年の子たちには伝授できなかったことを教えよう。(おととしや、その前の子たちには教えた) それは、「未来を思い出すこと」で今、自分が動く方法だ。 さあ、行くぞ。 kama ・・・というわけで、早くとも8月31日までブログの更新はありません(入間市教室のブログも)ただし、現地志賀高原でのようすなどはFacebookページやTwitterなどで報告できると思います。
2016.08.24
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こんばんは、鎌田です先に、事務的なお知らせです。愛夢舎は、8月11日(木)から18日(木)の期間、休館日とさせていただいております。10日に夏期講習第3期を終え、19日から、最終タームである「第4期」が再開しますが、それまでの間、「お盆やすみ」として、閉館しております。授業はもちろんのこと、自習室も使えないうえに、お電話をいただいても、基本的に不在となっております。そんなの関係ねぇくらい緊急なご用事がある場合にはFacebookの愛夢舎ページからメッセージいただけますと、それだけは随時確認しておりますので、対応できるかと思います。どうぞご容赦くださいませ。 ・・・っていう休館期間ですが、実は昨日と今日は、我々講師たちは勤務です。生徒たちが来ない状況をあえて作って我々がしていたことといえば・・・ ↓ 「準備」です。8月25日から、愛夢舎の、大型イベントが2つ、同時にスタートします。 夏期勉強合宿とサマーキャンプです。昨日と今日の2日間は、この2大イベントの準備日にあてられておるのです。 ・・・ちなみに、「同時開催じゃ、どっちか一方しか参加できないじゃないか!」という愛夢舎ファンの方、ご安心くださいそもそも、対象学年が異なっておりまして、 「夏期勉強合宿」→中学3年生・高校3年生のみ対象。原則必修。「サマーキャンプ」→小学3年生~中学2年生、 高校1~2年生。希望者のみ参加。 単純にいえば、受験生は勉強へ、それ以外の学年はキャンプに出かけるというわけです。 当然、我々講師陣も両方のイベントに参加することはできないわけで、サマーキャンプチームは小田切副塾長と和田先生が中心となってすすめております。 僕は、合宿チームです。 なんなら、いつのまにか「ミスター合宿」とかいう「称号」というかアダ名までいただいてしまっておるようで。。。 というわけで、昨日・今日と、合宿チームの「準備」をすすめました。 緻密に緻密を重ねた合宿。しつこいようだけど、本当に、ウチの合宿はスゴイ。謙遜はまったくいらない、ホントに本当に、どう控えめに評価しても、「すごすぎる」という評価以下になることはありえない、そのくらいすごい。 ・・・って自信を持って宣言する合宿ですが、 その成否は、準備段階にあると言ってよい。「緻密」なんだから、当然、「準備」に全力を注ぐ。 責任者たる僕は、参加スタッフに、こう告げる。 合宿に関しては「予想外の事態」を一切なくせ。あらゆる事態を、すべて「予定済み」にせよ。 たとえば、急に雨が降ってこようが、急に誰かが高熱を出して倒れようが、急に交通渋滞に巻き込まれて、到着が3時間遅れようが、すべて「想定内」にせよ。 ヒトは、予想外の事態に直面したとき、あわてて対応しようとし、並行処理能力が著しく低下する。 すべて「予定済み」とすることで 全精力を、「生徒の合格」に向けるべし。それ以外のことに気をとられぬよう、想定外の要素を「ゼロ」にせよ。 当然、準備は念入りになります。去年から合宿スタッフに返り咲いてくれた田中先生が教材関係については僕以上に「緻密」にすすめてくれるので僕は安心して、それ以外の部分を決めていけばよい。ところで、この「緻密」「すべて想定内」には「封筒」が重大な役割を持つ。このシステムは、もはやウチの合宿では欠かせないものになっており、なんなら、僕自身もこの「封筒」に従って動く、そのくらい「仕組み」としては完璧だ。僕の発案ではない。もっともっと上の世代、愛夢舎「以前」の先人の知恵だ。むろん、愛夢舎で「進化」させた要素も大きい。現に、今回だけでも、またひとつ、田中先生が進化させた。でも、「封筒」を軸とする考え方はなんとまあ、20年前から変わっていないのである。 数々の参加者(数えてみたら300人以上いた)が「合宿に参加して、人生が変わった」と振り返るウチの、とんでもなくスゴイ合宿(←しつこく言うぞ)それは、20年以上にわたって僕らだけでなく、具体的には、たとえばK先生とかF部長とかW先生とかA先生とか多くの多くの先輩たちとともに生み出したものが脈々と生き続けて、進化し続けている姿なのである。 ・・・もっとも、ご覧の方には「ただの古ぼけた封筒」にしか見えないでしょうけどww 職員の行動予定表も完成した ↓この予定表がつくられる行程を目にした石塚先生は「・・・ああ。。。 コレをみると、いよいよだ・・っていう気持ちになりますね。」と、つぶやいた。 そうだよ、いよいよだよ。 この行動予定表を作っているのは僕だけど、その僕自身も、予定に従う。 ウチの合宿は全員が「予定表」や「封筒」に従う。「仕組み」に従う。 それで成功する。相変わらず、スタッフの予定は1分単位で決まっている。ホントだよ。○時17分、どこそこへ行く、○時19分、なにそれをする、○時20分、どこそこへ向かうって、書いてあるんだから。 が、その「予定」「封筒」「仕組み」を信じ、のっかることで全身全霊を、生徒に向けることができる。 でも、最後のさいご、「緻密な予定・準備」だけでは成り立たない。 最後まで、予定に乗せることができない、計りしれないパワーをもつもの、 それは、講師の、生徒に対する気持ちだ 頼むぜ、先生たち!!!kama
2016.08.12
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こんばんは、鎌田です本日、入間市教室の方に入塾希望のお電話をいただいた中学3年生の保護者の方がこんなことをおっしゃっておりました。 「愛夢舎さんって、武蔵藤沢で有名じゃないですか。 すっごく良心的だって聞いてて・・・。 ・・・武蔵藤沢は もういっぱいで入れないって聞いて。 ・・・でも、入間市教室は まだ大丈夫だっていうので安心しました」 まずは、ありがとうございます。入間市教室のスタッフ一同、総力戦で一生懸命頑張らせていただきます。・・・が、ここで訂正させてくだしー。武蔵藤沢教室、まだ満席ではありません。まだ入れます。そして、お願いです。満席ではありませんが、確かに、学年・クラスによっては満席締切が近づいているところもあります。入間市教室は今のところまだその状態ではありませんが、教室規模が小さいので武蔵藤沢ほど多くの座席を設けることができません。ですので、まずはお電話で、お気軽にお問い合わせください。特に「もういっぱいで入れない」というウワサは毎年毎年流れているようなのですが、実際に満席で入塾をお断りしたケースはほとんどございません。「まだ空いてますか?」とまずはお気軽にお問い合わせくださいまし。 ちなみに、このところ毎日お問い合わせをいただく入間市教室の状況でございますが、座席に余裕はありますが、鎌田に余裕がありません ><・・・いや、これはブツリテキな問題でございます。お問い合わせの方に対し、あるいは、入塾希望の方に対し、1時間程度のお時間をちょうだいしてご不安な点とか気になることとかにすべてお答えする、そういうご面談を組ませていただくのですが、僕も授業を担当してたりするので、このところ、ご面談の枠の空きがすぐに埋まってしまう感じになっています。ご興味のある方はどうぞお早目にご連絡くださいまし。kama
2015.06.19
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こんばんは、鎌田です↑ こちら、昨日の深夜武蔵藤沢教室にスタッフが大集合し、緊急ミーティングが開かれました。あと1週間で1学期中間テスト。その前に、もう一度、原点に立ち返って、意志統一を図ろう。何が生徒のためになるか。魅力ある塾の本来の姿は。「先生」が最優先すべき仕事とは。 「基準」をあげよう。いい点数をとらせよう。 深夜1時すぎまで続いたミーティング。カンタンにまとめると結論はこれだけ。これだけなんだけど、これを常に忘れない、そのために何時間も語る意義がある。kama
2015.05.18
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こんばんは、鎌田です…いつの間にか。。。でした。気をつけてたつもりなのに、見逃した。。。50万アクセス!当ブログ、開設より8年弱、みなさまのご支援により、アクセス数50万を数えました。ありがとうございます!!次の目標点はもちろん100万アクセスでございますよ。ほれ、芸能人のブログなんか1日で何十万アクセスもあるんでしょ、ウチもそのくらいにならないと。今日は春期講習復習日これまでも講習会のたびに書いてきたんだけど、ウチの講習会の「復習日」はもっともチカラのつく日。くわしくはこちらの記事からどうぞ♪武蔵藤沢教室、入間市教室ともに学年ごとに「復習日」が実施されました。僕は、もちろん入間市教室で生徒の面倒をみてたんだけど、武蔵藤沢から写真が送られてきましたよ ↓武蔵藤沢の復習日のようすです。うーむ、これまた…いつの間にか。。。ですね。写真に写っているスーツ姿の「先生」たち、実は、この4月からデビューする予定の「タマゴ」・・・「ヒヨコ」?たち。今日の復習日で生徒指導を練習したようですね。みんなウチの卒業生たちです。うーむ、中学生のころぴーぴー言ってた彼ら、中には、小学6年生のとき武蔵藤沢「新」教室ができたときからのつきあいである「子」もいるんだけど、いつの間にやら「先生」という立場になるんだね。頼れる「同志」になってくれることを願ってます。明日は春期講習最終日、確認テストの日です。kama
2015.04.04
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こんばんは、鎌田です昨日、冬期講習会が終了しまして、本日、明日と、愛夢舎は休館日をいただいております愛夢舎の講習会最終日といえば「確認テスト」でございます。上の写真は、夕方に行われた中学1年生のテストのようすです。「確認テスト」は、講習会で勉強したことがどれだけ身についているかをはかるもの。従って、出題される問題はたとえば、講習会の授業で扱ったのと同じ問題だったり、あるいは類題だったり。「なんだ。同じ問題か。 じゃあ、できて当たり前じゃないか。」本当にそう思いますか?だったらやってみればいい。学校の定期テスト・・・さしあたって直近の2学期期末テストをひっぱりだしてきてもう一度やってみるがいい。100点満点とれますか?とれるのならこのテストを受験した意味があるでしょう。でもとれなかったとしたら、このテストを利用してできることが、まだある。だからね、講習会は言うにおよばず、平常時でも、ふしめの「テスト」ってのはあなたの「健康状態」を把握するためにとっても大事なわけです。でも、「テスト」・・・イヤなもんですよね。なのでウチでは「テスト」そのものをもイベント化しちゃいます。上の写真は確認テスト終了後の「成績優秀者発表」のようすです。・・・成績優秀者発表。・・・発表?ええ、発表しますよ。確認テストの結果上位5番目くらいまでの生徒をこうして、みんなの前で発表してみんなで拍手してたたえます。これが、講習会のしめくくりです。「そんな! じゃあ、勉強ができない子は できる子に拍手するばかりじゃないか。 なんと残酷な・・・。」・・・なんて思う方がいらっしゃるだろうか。もしいらっしゃるなら目を覚ましてください。「できない子」にたいして「だいじょうぶ!キミはできるよ!」と声をかけるのは正しいです。この世に、「本当に『できない子』」なんていませんから。でもさ、現象として、その子は今「できない」わけだ。その子に対して「できる子」の存在を隠すこと、「今、自分がいる『できない』という位置」を隠すこと、これに何の意味があるか。「キミは、今は『できない』」この現実を隠して「だいじょうぶ、できるよ」と言うのは事実を隠している時点で声をかける側の保身である。集団授業の利点はほかの子との競争心が育つことだとよく言われます。一方、ほかの子との「差」が生じるから特に、勉強が苦手な子は個別の方がよい、なんて言われることもあります。個別指導の利点はその子に応じた指導ができるから、です。でもね。その子、その人に応じた生き方、その人にとって心地よい生き方、それで日々を暮らしてほかの人との「差」を意識せずに暮らしていく人生。生きていけると思いますか。ゆえに、「集団授業」の利点があります。「集団」の利点は他の人との「差」を感じることです。これはもちろん「他」よりも「できる」、「できない」両面においてです。残念ながら、「お勉強」なんてちっぽけなフィールドにおいては絶対的な達成度なんてありません。あくまで、他の人との「差」、相対的な達成度だけに主眼がおかれています。「受かる」「落ちる」というフィールドにおいてほかの人との比較をせずどうやって成果を出すと言うのか。ほかの子より「できない」自分を感じずにほかの子より「できる」自分を感じずに どうやって次の「一手」を講じるというのか。 ・・・模擬試験の数字?・・・北辰テストの偏差値?・・・それで「位置」を確認する? そんなんで、自分の「位置」が「実感」できますか? ここに「個別」の弱点があります。 しかし、同時に「個別だからこそ、 その子に応じた指導ができる」という最大の強みもある。「集団」なら、「自分はできる・できない」ことはわかるけど「だからこうする」という次の一手が出しづらい。個別なら「キミはココがニガテだから コレをやればできるようになる」というオーダーカスタマイズが可能である。あ、いっとくけど、10人生徒がいたら10人に対して10とおりの指導をしているのが個別指導の在り方ですよ。10人全員に同じ指導をしているとしたらそれはただの「ぼったくり」ですからね。 さて、それでもね「キミは、コレをやれば できるようになる」っていってもね、「コレをやれば」集団の中で勝負できるようになるって言えるかどうか、ですよね。ここに「個別」の弱点があります。 さて、結論です。 受験とか就職とか社会とか、ぜんぶ他の人々との中で行われることでしょ?いくらきれいごとを言ったって、「相対的」なことなんでしょ?じゃあ、「他の人々の中」=「集団」での位置を意識する、そういう習慣がなければ生きていけるわけ、ないでしょ。山奥で「仙人」にでもなる以外は。でも、ほかの人との比べたときに当たり前だけど「自分はほかの人と違う」わけでしょ。それが「個性」であり、それを他のひとにそろえることもない、ただし、ほかの人との位置関係における自分の位置をつくる必要がある、単純にいえばほかの人が「こう」だから自分が幸せになるためには自分が志望校に受かるためには自分はこれができるようにならねばならない、それを可能にするのは「個別指導」でしょ。 だからね。 「集団」がいいか「個別」がいいか、ってよく言われるけど、片方だけでは不十分ですよ。「集団」で把握し、「個別」で補い、伸ばす。これが正解な気がします。だから、ウチは「授業」は集団でそこで把握した課題を解決するために、授業時間の何倍もの「自習時間」があるわけです。「自習」っていう字ヅラがよくないな。自分ひとりで、ほったらかしで勉強するわけじゃないですよ。講師がちゃんと「自習」の仕方を指導してわからないところを個別指導して、伸ばしていきます。うん、文字通り「個別指導」です。ウチは、いままで「授業時間ではない」ということからこういう指導を「自習」って呼んできたけど、どうやら一般の「個別指導塾」のようすをきくとウチの「自習」の方がよほどその子に応じた「指導」をしているようでだから、そろそろ「自習」といういい方をやめよう、と、塾長佐々木に提言しようと思ってます。ウチのは、はっきり個別指導です。つまり、愛夢舎は「集団授業」+「個別指導」の塾ですな。「集団」で課題発見、差の認識。「個別」でスタンダードレベルに落ち着く。 ・・・ええとね、なんでこんなことをぐだぐだと書いてきたかというとね、 昨日の入間市教室の授業体験会でねある保護者の方からよその塾さんのようすをおうかがいしたのですよ。 埼玉県では割と大きめな塾だと思うんだけど、そちらさんでは校内テストを受験して、一定レベルを上回った子だけが「集団」の授業を受けられるんだって。そこに到達しない子は「集団」「授業」についていけないから「集団」を受けることができずに、「個別」のプログラムを買わされるんだって。できる子は「集団」でできない子は「個別」なんだって。 ばっかじゃないか。「ヒト」をなめてるんじゃないか、って思った。おはなしを聞いててしばらく、意味がわからなかった。ウチは、授業は「集団」だけど、指導は「個別」です。それしかやりようがないでしょう?もし、「「集団」だから「個別」はできない」とかそういうことを言う塾さんがいたとしたらそれ・・・表現のしかたがもったいないと思います。・・・ええと、大変わかりづらい文章になってしまったかと思います。単純にいいますとね、理由1.字数制限にひっかっかって かなり途中の行間を省略した理由2.昨日のご相談を聞いて (できない子は『個別』を買えっていうのに) かなり怒ってるっていう理由がございました。kama↑ 成績優秀者発表で、自分の名前が呼ばれるのを祈る気持ちで待つ生徒たち。この写真をみて、「発表はダメだ」と思う方は、愛夢舎向きではありません。
2015.01.08
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新年あけましておめでとうございます!!!本年も、学習塾愛夢舎ならびに当ブログ、よろしくお願いいたします!!先ほど、昨年末の記事に書きましたが、今回は、「窓貼り」の儀式はいたしません。今年の元日は僕は八王子で過ごさせていただきます。しかし、明日1月2日からはさっそく「正月特訓」のスタートです。さきほど、年明けと同時にFacebookで友だち登録しているある生徒が「決意表明」のポスターを公開しました。おそらく、彼本人に勝るくらいこちらに、たぎるものがありました。彼は、みごとに自分の人生をコントロールし、ゆえに、周囲の人々、たとえば、我々をもコントロール・・・というか巻き込んでおります。だって、そんな彼を一緒にやれるだけで幸せだもん。今年も数多くの幸せと出会えるに違いない。そうワクワクしながら明日の正月特訓を迎えたいと思います。みなさま、本年も愛夢舎をよろしくお願いいたします^^kama
2015.01.01
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こんばんは、鎌田です今年も残すところあと1時間ほどとなってまいりました。みなさま、年末のひととき、いかがお過ごしでございましょうか。いよいよ2014年がおわります。そりゃあ、365日を過ごしてきたんだからそのうち終わりますわな。そして、2015年がはじまる。当たり前のことです。当たり前のことなんだけど、今、この1年のことを振り返り、そして、鬼が笑うかもしれないけど2015年のことを考えると、とっても大きな変革の年であったなぁ、と思います。ちなみに、この記事を書くに先んじて、これまで数年間の1月1日の記事を見比べてみました。2014年1月1日2013年1月1日2012年1月1日2011年1月1日・・・ということで、元日になると、僕は毎年、同じ「儀式」を繰り返してきたのです。今回はやりません。というか、できない。僕、今、八王子市にいるもの。今から急に気が変わって入間市にむかったとしても新年を迎えるのに間に合うかどうか。っていうか、ビール飲んでしまってるからどっちみち、いけない。たとえば、僕が八王子にいる、そのこと自体が変革のひとつの象徴かもしれない。1月1日の「儀式」はやりたい気持ちは実は、ずーっとあったんだけど、でも今年は「変革の年」。やらないことにしました。もう僕は、卒業することにしました。もしやりたい人がほかにいるならその人が引き継いでくれればいい。僕の引っ越しに象徴される「変革」とは、なんであるか?たとえば、塾長佐々木は愛夢舎の教室に居る時間が減ってきた。副塾長小田切は担当授業の数が減ってきた。愛夢舎最大のイベントである「夏期勉強合宿」はこれまで専任スタッフ中心で運営してきたけど、2014年度、初めて、時間講師たちが授業を担い、専任が授業を担当しないという大改革を行った。通称・秋ゼミ、「入試実戦力養成講座」においても時間講師が大量投入された。ひとことでいえば、「専任」=「古いチカラ」への依存度がめきめき減少していき、「新しいチカラ」=「時間講師」が台頭してきた。 うん。新しいパワーが愛夢舎を動かし始めた。実は、これは佐々木塾長の2014年度における勇気ある決断のひとつでした。もちろんのことながら、「結果的にそうなった」わけではありません。愛夢舎は、そういう方向に進もう、そう試みた1年でした。新しいパワー、若いチカラ、それが活躍できてこその発展である。僕も、今年、40歳になりました。「えっ!!そんな風にみえない!! もっと若くみえる!!」とウレシイ驚きの声もいただくけど、うん、れっきとした40歳です。不惑の年ですよ。この年になって初めての経験を重ね、新しい境地が、どんどんみえてきます。たとえば、啓蒙思想なんかを扱う哲学科出身でありながら、今さらのように、他者に啓蒙されるのをよしと思うようになってくる。そのひとつの例として、去年くらいから、ある経営コンサルタントの方のCDを購入して通勤の車内で勉強してるんだけど、どうもね、2015年はさ、「若いチカラ」ってのがキーワードになるような年らしいよ。そして、「今はじまったことでなく、 ずーっと前からあって、 みんなその必要性とかに気づいていたんだけど、 まだ早すぎるとか、 なにかうまくタイミングがあわないとか、 そういうので埋もれてきたものが いっせいに芽吹く年」でもあるらしいよ。まあ、これなんかは占いの領域のものだから僕自身、それを全面的に信じようとしているわけじゃないけど、でも、今年1年、愛夢舎が進めてきた「改革」、そして、2015年に向かおうとしている方向、それを考えると、非常に心強い「予言」です。さて、2015年。愛夢舎は、いよいよ規模拡大します。入間市教室が3月新年度より正式にオープンいたします。すでに、開校説明会や授業体験会など各種イベントは行っておりますが、生徒さんが入塾手続きを行うのは3月からになります。その入間市教室をつくっていくのも若きパワーです。新しいものを若いパワーが築いていきます。しかし、そのとき、僕らは決して忘れてはならない。新しいものにパワーを注いできたのは古いものである、さらに、その古い、新しいがあることができるのはひとえに周囲の支えあってのことである。愛夢舎は、改革をすすめ、新教室を出店し、規模拡大していくことになります。しかし、当時、たった8人の生徒からはじまった「家校舎」。その8人の生徒たちの顔を決して忘れない。これまでの14年間、愛夢舎を応援してくれた保護者・生徒、地域のみなさん、その人たちの顔を、決して忘れない。愛夢舎は、ほかの人のパワーを喰って成長する存在ではない。ほかの人の応援をうけ、その人が「気持ち」をカタチとして具現化したもの、それが愛夢舎でありたい。 今年も1年、地域のみなさまに支えられ、愛夢舎は、愛夢舎として在ることができました。みなさま、本当にありがとうございました。この1年の感謝の念を次の1年に、またつなげていきたいと思います。感謝の気持ちを私たちがカタチにすることで、少なからずの「還元」を、地域にもたらすことができると信じております。本当にありがとうございました!よいお年をお迎えくださいませ!!営業部長 兼 入間市教室教室長鎌田 昌典
2014.12.31
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こんばんは、鎌田です今日は、少し前の写真をアップさせていただきます↓はい、イルミネーションです。先週、12月24日に撮りました。ええ、クリスマス・イブでございますよ。世間一般で、そりゃあもう、盛り上がりに盛り上がって、どこにいくにも交通渋滞で、イルミネーションを見るのにも行列で・・・。かく言う僕も、これまでに関東の有名なイルミネーションはそこそこ見てきたと思います。一番好きなのは「さがみこプレジャーフォレスト」のイルミリオン。これは、思わず動画にとってしまうほど、好き♪もちろん、六本木のミッドタウンにも行ったし、立川昭和記念公園も、あるいは、近場の細かなヤツにも。でも、ぜんぶ去年以前のハナシで。。。今年は、ウチにはそろそろ8ヶ月になる「チビ」がおりましてヒトの多い寒空に出かけるのはなかなかはばかられる。なので、ノー・さがみこ、ノー・六本木、ノー・立川、ですしかして、前掲の写真はどこであるか。実は、このイルミネーション、ウチから車で15分ほどのところにあります、八王子市の「夕やけ小やけ ふれあいの里」のものなんです。(12月28日まで開催)・・・夕やけ小やけ?・・・童謡の?・・・で? 僕も、引っ越して4ヶ月ほどになりますが、その程度の印象、今回、イルミを見にいこうとして、初めて知った場所です。つまり、どーでもいいような小規模レジャー施設ですよ。イルミネーションでいえば電球の数はおよそ8万球。対して、僕のフェイバリット、さがみこイルミリオンは500万球数十倍どころじゃないんですよ。(ちなみに、「さがみこ~」までも、 ウチからは1時間かからないんですww)まるでレベルが違う。・・・と思いたくなるでしょ?はい、ここが今回のポイントです。もう一度、「夕やけ小やけ~」のイルミ、見てみましょう ↓どーです?写真だと伝わらないかもしれないけど・・・。純粋に、キレイなんです。確かに、規模はちっちゃい。「さがみこ」を全部みるのに2時間程度かかるとして、「夕やけ小やけ~」は30分もあればよい。それに、呼び物的なアトラクションもありません。でもね。室内に建てられたツリーは本当にキレイだし、レイアウトも素晴らしい。なにより、田舎ゆえの性、ヒトがほとんどいない、だからこそ、僕らはゆったりと、家族でくつろぐことができる。ここにおいて、僕は改めて痛感しましたよ。「幸せ」を求めることに僕らは、あまりに臆病になっている。「僕ら」というのはたぶん「日本人」とおきかえていいと思いますが。たとえばさ。キレイなイルミネーションをみたいなぁ、って思うとするでしょ。でも、たとえば「今年はこれこれこういう事情があったから 自分たちに ベストを見ることができるはずがない」とか、思ってしまいませんか?言い方を変えましょう。「僕は、がんばってると思う。 でも、以前は がんばっていなかった。 そのときにも、 自分よりもっと頑張っている人がいたはず。 だから、 僕に ベストな幸せは訪れるはずがない。」 そんな風に思ってしまいませんか?言い方を変えましょう。「なるほど、これはおいしいね。 なるほど、ここはキレイだね。 なるほど、これはいいモノだね。 でも、 自分より給料が高い人がいっぱいいる。 自分より勉強ができる人がいっぱいいる。 自分より睡眠時間の少ない人がいっぱいいる。 自分より容姿の優れた人がいっぱいいる。 だから、 自分がみているコレは ベストなはずがない、 「幸せ」なはずがない、 これは 「妥協点」だ。」 そんな風に思ってしまうとしたら。そんな考え方が不幸です。「幸せ」はほかの人との比較で生まれるものではありません。自分の人生をコントロールできることが幸せです。ならば、自分が「選択」でき、自分が「できること」をしている限り、幸せです。たとえば、僕は、今年は「さがみこ」にもミッドタウンにも立川にも「よみうり」にも行けなかったけど、その結果として市内でイルミをみたことが幸せです。そのとき「あっちに行きたかったなぁ・・・」と思ってしまうことが自分の人生をコントロールできていないということです。さて、今年も残すところあと1日です。明日31日。みなさんは何を思いますか?「ああすればよかった」「こうすればよかった」と思うのはヒトとして当たり前かもしれないけど、「『ああ』であったのは こうこうこうだったからで、 だから幸せだったなぁ。」と思えるかどうか。「幸せ」は探しにいくものだけど自分の外側にあるものではありません。常に、自分の内側、自分の足元にあります。kama
2014.12.30
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こんばんは、鎌田です12月27日から入間市「新」教室では完全無料、回数無制限の授業体験会が始まりますが、それにお越しいただいた方に愛夢舎の学習指導・進路指導についてご説明する際にさしあげる資料がこちらです ↓こちらを進呈いたします。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~完全極秘版 進学説明書高校入試 驚愕の事実書店の参考書コーナーには数多くの「受験ガイドブック」がならんでいます。「成績がこのくらいだと、 ○○高校に入学できる」という情報が巷には多く流れています。しかし、それらの情報はまったく不完全です。本書には常識をくつがえすような事例が数多く掲載されています。たとえば・・・。県立所沢北高校 合格ライン【一般的な知識】9科内申40【驚愕の事実】 9科内申27県立所沢高校 合格ライン【一般的な知識】9科内申36【驚愕の事実】 9科内申23これらの事例は、確かに驚くべきものです。しかし、それが積み重なったとき、あなたは気づきます。正しいのは「事実」であり、こちらが「常識」である。~~~~~~~~~~~~~~(資料まえがきより)kamaかなりのページ数であるのと、一般に出回ってしまうとちょっと困る資料であるので授業体験会の参加お申込みをいただいてから印刷を行います。その場ですぐにお渡しできる資料ではありませんのでご了承ください。
2014.12.18
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こんばんは、鎌田です先日12月14日入間市「新」教室の「お披露目会」が行われました。内部スタッフ向けの会がひとつと、外部の方向けの会をひとつ。2つの会が入間市「新」教室を会場に行われたのです。「Z・K・M」と「K・K・P」。つまり「Z(全)K(講師)M(ミーティング)」と「K(開校)K(記念)P(パーティ)」。まず全講師ミーティング。年に2回実施しますところのまさに、全職員会議。今回、この会を入間市教室で実施したのは、ひとつには、全スタッフに対して新教室をお披露目するため。しかして、そして、全講師ミーティングというのは今年度の振り返りもそうなんだけど、それ以上に来年度へ向けた経営方針であるとか企業理念の確認であるとかそういう方がメインの目的なわけで設立15年目となる来年度。ゆっくりとしたペースだったけどようやく愛夢舎は非常に大きな1歩を踏み出す。その担い手であるところのスタッフがその象徴であるところの入間市教室に集結する。そんな思いが塾長佐々木の中で強かったんでしょう。佐々木塾長の口からは「企業理念」と「戦略的目標」そして「2020年までのミッション」が全スタッフに告げられた。愛夢舎の企業理念。これは、新しく作った入塾案内にも記載してあることなんだけど、どのような理念であるのかそして、それがどのように具現化されているのかについては新ブログの方で書きますねさて、全講師ミーティングが終わると、今度は「KKP」。開校記念パーティです。塾長佐々木や僕の他入間市教室のメインスタッフとなる講師たちが外部からのお客さまをお招きしました。この教室をオープンするにあたりさまざまな工事があったわけで、そのあたりを担っていただいた業者のみなさま、また、このブログでもさんざんお見せしてるけど、チラシ、パンフレットなどを作っていただいたデザイナーさん、この業界では、タッグパートナーとも言うべき教材会社さん。さらに旧くからの盟友である所沢の人気塾学習塾WiLLのみなさんも駆けつけてくれた。そもそも、なんのためのパーティーか。もちろん、感謝の気持ちを表するためですよ。みなさんのおかげでこの教室を開くことができる。当日、僕もつたない挨拶をさせていただきましたが、入間市教室のテーマといいますか、ポリシーといいますか。それは、ベタだけど、「ありがとう」を忘れないこと、です。わかりやすいところで言えば通わせてくれるご家庭に、ありがとう。我々の授業を受けてくれる生徒に、ありがとう。ですね。そして僕の立場からいえば元気に授業をしてくれる講師に、ありがとう。事務を担ってくれて、ありがとう。彼ら講師陣にも生徒たちへの「ありがとう」を忘れてほしくないし僕に対しては責任者でいてくれて「ありがとう」佐々木塾長には、雇ってくれて「ありがとう」だわな。でもさこのあたりは本当に目につきやすいわかりやすいところでね。このパーティーに集まっていただいたみなさんは中でも近しい人たちなわけなんだけど教材やテストというツールを通じて心を支えてくれて、ありがとう、だしお花を贈ってくれた人には、ありがとう、だけどそのお花を運んでくれた方にも、ありがとうだしこのテナントを貸してくれた方にもありがとう、だしそもそも新しい地域でも迎えてくれるみなさまにありがとう、だし今僕らが気づいていないかもしれないけどたとえば、お子さんはいないけどつまり、ウチの塾に通ってないけどウチのファンでいていただけることで僕らの心の支えとなるだけでなく愛夢舎が広がっていくことにお力を借りているみなさんもたくさーんいらっしゃるわけで・・・。そうです。このブログをお読みのみなさんにありがとうですよね。だって、ウチが有名になってきてなんなら、全国の塾のみなさんとお近づきになれたのもこういう場があるからであってそのおかげで、どれだけの恩恵をいただいたか。愛夢舎の目指すところは「幸せになること」です。でも、これを「生徒を幸せに『する』」とカンチガイしないでくださいね。そんなちっぽけな所ではありません。そうじゃなくて幸せになりたい人が集まる場それが愛夢舎です。もちろん、我々スタッフは幸せになりたいから愛夢舎におります。こう言ってはなんだけどウチに関わる業者さんだって幸せになりたいから愛夢舎に関わってくれてる。それと同じです。愛夢舎に関わるすべての人に「ありがとう」、「ありがとう」の具現化が愛夢舎ですよ。だって、「ありがたくない人」とか「迷惑な人」なんてひとりもいないもの。さっき、これまた盟友岐阜県のつばさ塾のがっきー塾長からFacebookのメッセンジャーでメッセージをいただいた。なんとまあ僕の最近のブログでがっきー先生が「元気をもらってる」と。もちろん、応援のメッセージなんだけど文面的には「自分も頑張ろうと思う。ありがとう」に近い。こんな温かいメッセージをもらって僕こそ「ありがとう」なんだけどさそれを言い始めると「ありがとう」「いやいや、こちらこそ、ありがとう」「なんのなんの、こっちの方が、ありがとう」・・・って・・・。そこでね。そうか!愛夢舎に関わると「ありがとう」が生まれるんだ。逆か?「ありがとう」という気持ちが愛夢舎を作ってるのか?そんな風にぐるぐる思うわけです。でも、近しい人にこそ甘えちゃうから、「ありがとう」って思わないことに慣れていったりもするもんですよね。生徒と先生の関係もそうです。信頼関係ができて慣れてくるといることが当たり前のように感じてしまう。でもさ。通ってくれて、ありがとう、だよね。ホントに。教えてくれて、ありがとう。でしょ。だから、入間市教室は「ありがとう」が飛び交う校舎にします。さてさて、「KKP」も終了。長い一日が・・・ ↓まだおわりません最後は忘年会でございました。もっとも僕は最初っからさいごまで先に校舎展開をなされたWiLLのみなさんからご教授いただいてただけなんだけど、非常に満腹な一日でございましたよ。WiLLさんからは開校祝いとしてこちらもいただきました ↓光る地球儀でございます。(電球しめなおしたら、ちゃんと光りました♪)これで生徒たちに楽しく「世界」を見てほしいと思う。そんで、「会ったことはないけど、 WiLLさんに、ありがとう、だよね」って教えていきたいと思いますよ。さぁ、一般の方が校舎に立ち入るまであと4日ほどです。みなさん、お越しいただいてありがとう、ですよ♪kama
2014.12.16
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230位 STS 624,000/年 1,152,000/3年229位 HDG 638,000/ 1,214,000/221位 HNJ 742,900/ 1,378,900/218位 SBD 756,800/ 1,308,800/213位 TGJ 779,000/ 1,595,000/211位 AKG 780,000/ 1,500,000/208位 STH 786,600/ 1,386,600/201位 KJ 800,500/ 1,544,500/194位 MO 810,800/ 1,482,800/175位 KGH 842,900/ 1,478,900/171位 UWR 846,000/ 1,566,000/170位 EM 850,000/ 1,570,000/168位 KGF 856,200/ 1,609,800/ 167位 BKJ 856,800/ 1,624,800/166位 SBG 857,400/ 1,529,400/ ・ ・ ・ 90位 NBJ 964,500/ 1,816,500/ 68位 MGH 1,000,200/ 1,806,600/ 67位 HGN 1,000,900/ 1,864,900/ 65位 NDN 1,002,540/ 1,866,540/ 60位 MNH 1,011,100/ 1,931,100/ 59位 SUG 1,016,200/ 1,808,200/ 57位 TMG 1,020,300/ 1,884,300/ 36位 HSD 1,070,463/ 2,042,463/ 25位 WDJ 1,107,400/ 1,995,400/ 18位 JH 1,143,700/ 2,031,700/ 17位 MFM 1,147,000/ 2,147,000/ 15位 CDF 1,152,000/ 2,148,000/ 10位 WKG 1,194,500/ 2,562,500/ 8位 RKN 1,203,000/ 2,451,000/ 7位 KOS 1,262,650/ 2,742,650/ ・ ・ ・こんばんは、鎌田ですいきなり、数字の羅列でございますが・・・。これが何の数字だか、ピンと来た方は、なかなかスルドイ「 /年 」とか「 /3年」ってあるから見当つくかもしれませんね。これは、私立高校の学費ランキングです。関東全部を調べてもしょうがないので、東京都内・埼玉県内合計231校について概算を算出してみました。その一部、我々入間市から通学圏内になると思われるところを抜粋したのが上の数字。「 /年 」は、最初の1年にかかると想定される金額。「 /3年」は、そこにあと2年ぶんの授業料を加算した金額です。・・・で、別に何か言いたいわけではありません。ただ、こういうのを作ってみましたよ、というだけウチの「進学説明会」ではオリジナルの資料をお配りしております。たとえば、先月行われた、中学3年生の「第2回 進学説明会」の資料、通称「緑」は全120ページ。「第1回進学説明会」の資料通称「青」は全70ページ。「入試結果報告会」の通称「きいろ」は75ページ。中学3年生の保護者対象に合計265ページの資料をくばる。・・・っていうかその文量を、完全オリジナルで作ってる。…我ながら、よく作るな・・・今回の学費ランキングをそれらの資料に全部載せるっていうわけではありません一部を使うのと、それ以外の文章の「裏付け」として独自に調査してみたという。だから、そうだな、「なにか言いたいこと」があるとすればウチの進路情報は受け売りじゃないし、かなりの精度でやってますよ、ってことかなちなみに、この「学費~~」の一部は2週間後に実施予定の「中学2年生 進学説明会」の資料に掲載いたします。「学費」については、ここでは深くコメントしませんけど・・・。誤解を招かぬようにひとつだけ書いておきますねちゃんと情報を入手してしかるべく対応すれば「 /年」の方の数字でいうと「 0/年」とかせめて「120,000/年」くらいになることが多いです。中学生をおもちのご家庭の方々、そういう情報を、正しくゲットしてくださいね。kama
2014.11.27
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こんにちは、鎌田です今朝、名古屋に住む姉からナゾの荷物が届きました。宛名は、わが娘。(ムスメがいること、先月だったか このブログでも書いたので、 あとは野となれ山となれ、 彼女にも登場してもらっちゃうのだ)なんだろう?↓ 開けてみると・・・本がいっぱい入ってましたこれだとよくわからないので↓ とりあえず、全部出してみた。幼児向けの本がどっさりムスメは、まだ6か月なので当然、字も読めないし、絵だってよくわからない。でも、これはありがたい。ちーちゃんよ、ありがとよ~~~。(↑姉です…)さてさて、今日は「勤労感謝の日」ですな。生徒に、聞かれることがあります。「勤労感謝って、 働いている人に感謝するの?」なるほど、そう思うか、そう思うよね、フツーは。でも、そうではないね。「勤労感謝」って「勤労」そのものへの感謝ですな。言い換えると、「働いている」ということ、「働ける」ということに対しての感謝。言わずもがな、憲法では「勤労の権利」というのが認められている。「働く」ということは我々の権利である。働くことは権利を行使しているわけであり、「働いていない」というのは権利の放棄、むしろ、権利の制限である。つまりだな、「働ける」というのは「ありがたいこと」なわけですな。このあたりの説明を中学生にすると、低学年の子たちは、最初はよくわからない。「ええ~? 働かなくていいなら、その方がいいじゃん!」そんなわけがない。生きてる限り、我々は「何かをしたい」わけであり、特にそれは「生産」的なことである。もちろん、具体社会では「働かざるもの食うべからず」だから「働けない」というのは即、生命にかかわる。しかし、そういう金銭うんぬんから離れて、もっと根源的に人は「働きたい生き物」なのである。ここで「働く」ということばを狭義にとらえてはならない。これは識者も説明しているところだけど、「働く」というのは肉体労働だけを指すものではなく、精神的な生産活動も含むことである。もっといえば、人の営み全般を指すのである。だから、「働かない」というのは「何もしない」、「人間らしさがない」ということになる。つまりは「勤労に感謝」というのは人間らしく、生産的な営みを過ごせているそのことに対しての感謝である。だから、いわゆる「労働」に限らず、「子どもたち」にも該当してくる。子どもたちにとっての「働く」、彼らにとっての「生産的な営み」。言うまでもなく勉強である。つまり、こうして「勉強することができる」そのことに対して、彼らは彼らで感謝すべきことである。これだけを言うと「ええ~~っ!! 勉強しなくていいなら・・・」ってまた始まりますね。しかし、そこにたとえば勉強したくてもできない、働きたくても働けない、そういう事例とかあるいは、今まで書いてきたような流れ、そういうことを含めて話すと「そうか!! 勉強できるって、うれしいことなんだ!」って言い出す子もいる。ここで、「当たり前のことを当たり前を思わない」ということが重要です。「働く」ということは当たり前ではない。我々の権利である。同等に「勉強する」ことも当たり前ではない。憲法にあるとおり、これまた権利である。しかも、全世界的にみればなかなか得難い権利である。だからね、先日「禁煙」の体験から「勉強」へのやる気へのヒントをえて、今も、その具体化を考えているんだけど、(「禁煙」にまつわるお話はこちらの記事から)その一つの例としてね「勉強」しないでみてみるといい。「働かない」でいることで「働く」ことの有難さを知るのならばもしかするとそうすることで「勉強することができる」ことのありがたみ、分かるかもしれませんね。いや、オトナになると分かるようになるもんですよね、勉強できることのありがたさ。それは、オトナになるとその権利を行使することが諸々の事情により難しくなるからでしょう。だから、みんなそのうちわかるんだろうけど、オトナとしてはもっとはやく、そのありがたみが分かってほしい、そのほうが、いっぱい享受することができるから。だから、子どもたちに「勉強しなさい」って言ってしまう。僕は「勉強しなさい」ではなくて「勉強してもいいんだよ」って言いたいですね。さて「本」です。(…当たり前だけど、全部つながったハナシですよ。 別に、ムスメ自慢をしたいわけじゃない)僕は、本を読みます。っていうか、僕と姉、ウチの姉弟は小さい頃から、そこそこ本を読んでいた方だと思う。それは、周りに本がいっぱいという環境を作ったウチの両親の作戦勝ちかもしれないが、それこそ、本を読むことは「当たり前」のことだった。「本」でも「勤労」でも「勉強」でも、まずは「当たり前のこと」としてするもんです。そのうち、たとえば、それが失われたとかするのが難しい、そういう状況になったりあるいは、だれかに諭されたり、もしくはそれをもっていない人にうらやましがられることによってそれが「当たり前」ではなくて「ありがたいこと」であると知る。そうすると「ありがたさ」を感じながらすることができるようになりますね。今、「ありがたいなぁ」と感じながら働いていますか?僕も相方も本が好きだし、本があることを「ありがたい」と思っているので姉からのプレゼントは本当に「ありがたい」と思いました。ムスメには、まず「当たり前」のこととして本に触れ、やがて「ありがたさ」を感じてほしいと思う。そして・・・…もういいかな?生徒たちには「当たり前」のこととしてやっている勉強にそろそろ「ありがたさ」を感じてほしいと思います。kama↑ ちなみに、アンパンマンがお気にいりのようですww
2014.11.23
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こんにちは、鎌田です今日もいい天気ですねさて、3連休です。愛夢舎では、3日連続テスト対策日です。2学期期末テストが迫っています。中学3年生にとってはこれが実質的な最後のテストになります。もちろん、3学期にもテストはあるけど、なにせ今回の結果で「調査書」の数値が確定する、言わずもがな、調査書の数値によって高校受験の合否が大きくわかれるわけだから、これは、もう、1点たりともおろそかにできない大勝負です。3学期のテストは、調査書に影響することはもはやない。だからといって、このテストでボロボロになってしまうと、それは直後の高校入試本番もボロボロになりかねない、いわば「前哨戦」なので、あまりに気を抜くわけにもいかないけど、それにしても、今回の重みはまるで違う。ホントはね、毎回毎回のテストが受験に大きくかかわってきたわけで、それは1年生の頃からそうだったわけで、そんで、愛夢舎では1年生の頃からそういうハナシをずーっと生徒たちにするわけで…でも、なかなか実感できないよね。だから、毎年まいとし、みんな言うわけです。「もっと早くからやればよかった…」「1年生の頃、サボらなければよかった…」そうボヤく3年生の横にいる1・2年生も3年生になると同じようにボヤく。この循環、断ち切れないものだろうか・・・うん、断ち切れませんよ実際的に、どのくらいの量をがんばったか、その物量の問題ではないからね。分かりやすく言うと、どんだけ頑張ったところで必ずみんな、同じことを言う。成長を続ける人であれば。実は、愛夢舎講師室の壁に我々スタッフに向けた塾長佐々木のメッセージが貼ってある。今は、こんな文句が貼ってある。「他人と比較して、 他人が自分より優れていたとしても それは恥ではない。 しかし、去年の自分より 今年の自分が優れていないのは 立派な恥だ。」 生徒たちの「もっと早くから・・・」「サボらなければ・・・」は彼らが去年より成長したことの証。成長したからこそ去年の自分がダメに見える。だから、成長を続ける愛夢舎生徒たちはどれだけやったところで「あのときもっと」を思うだろうね。そして、それが「ダメな自分」を示すものではなくただひたすら「自分の成長の証」であるということそれを周囲は感じ取ってあげたいものです。いや、本人に「成長したよ」って言ってあげるって意味じゃなくて、「成長したなぁ」と思ってあげるという。今日と明日は午前10時から自習室を開放しております。今、オープンから50分ほどがたちましたが、1階自習室は満席状態。そろそろ3・4階教室も稼働します。50分ほどの間、たった一言すら、おしゃべりする生徒はおりません。大半が中学3年生ですが、数名の1・2年生も混じっております。去年、先月と比べてみるとみんな成長したなぁ・・・と思いますよ、うん。kama
2014.11.22
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こんにちは、鎌田です今日は、出勤前に病院に行きまして、家族全員でインフルエンザの予防接種を受けてきましたこれからの時期、インフルにやられちゃうと1週間ほどがオジャンになっちゃう。僕も、何年か前に1度食らってしまって、それ以来、予防接種を受けることにしました。特に受験生のみなさんは予防接種を受けておくことをつよーくおススメしますよ~。(もう予約いっぱいかもしれないけど…)さて、病院から帰り、いつものように職場に向けて車を走らせておりまして、信号待ちのときに、ふと横のビルをみますと↓ こんな窓がみえました。…って、毎日通ってるわけなので今日はじめて気がついたってのも不自然ですな実は、何日か前に気がついたんです。うん、それでも「何日か」です。八王子に住み始めてもうじき3か月ですが、へぇ、こんなとこにこんなものが、っていう発見は毎日のようにありますねちょうど信号が赤になるタイミングがなかなかなくて、写真を撮るのが結局今日になっちゃいましたが、今度は、窓が反射してよく見えない・・・かな?横の看板も撮ってみました ↓これならハッキリ。「ふくろう専門店」だそうです。へぇぇぇ、そんなお店があるんだ!!「ふくろう」を「専門」になにをするのかとも思うけど、それは窓ガラスに書いてある。生体輸入、生体販売、食餌販売、用品販売、お預かり、だそうです。ふーん、こういうお店が成り立ってるってことはふくろうのファン・・・というか・・・なんていうんだ?ふくろう界のみなさん?・・・まあ、そこそこの数いらっしゃるんでしょうね。しかし、これは分かりやすい。たとえば、僕は家でデグーというネズミを2匹飼ってるんだけど、この子たち、いざ病気になったらちょっと困る。というのは、フツーの動物病院だと受け入れてもらえない場合が少なくない。ほら、動物病院って、フツーはイヌ・ネコ対象でしょ。実際、ペットホテルなんかでもフツーのとこだと断られてしまう。そんなときデグー専門とは言わないが、「ネズミ・小動物専門店」なんてのがあったら、これは迷うことがない。そこにお願いすればいいだけだ。うん、ふくろう専門店はわかりやすいね♪「専門」ってのは、目的がはっきりしてる人にとってはとってもありがたい。たとえば、昨日の夜、「お願いランキング」というテレビ番組をみてたら入間市にございますデカ盛りの有名店「古都」が取材されてた。「古都」さんは愛夢舎メンバーでも出かけたことがあるんですよ。こちらの記事からどうぞ♪「古都」さんなんかもある意味、専門店だよね。「デカ盛り」の。昨日のテレビでは「あのメニュー、まだありますか?」っていうテーマだったけど、「古都」に関しては、あるに決まってる。だった、あのお店、何を頼んだってデカ盛りなわけで、むしろ「デカ盛り」専門店。だから、おなかがメチャメチャすいている、デカ盛りに挑戦したい、そういうお客さんだけがやってくるわけだ。逆にいえば、「デカ盛り」を食べたかったら「古都」に行けばよい、とはっきりしてる。「デカ盛り」をデニーズやサイゼリアで探す人はいない。たとえば、すき家あたりに行けば牛丼の「メガ盛り」を頼むことができるだろうけど、それよりも「古都」に行く方が早い、はっきりしてて、わかりやすい。「ふくろう専門店」もそうだよね。確かに、フツーのペットショップでもふくろう関係は扱ってるだろうけど、このお店に行く方が、はっきりしてて、わかりやすい。さて、「塾」です。これも「専門」の塾さんははっきりしてて、わかりやすいですよね。たとえば、中学受験専門の塾さん、英語指導専門の塾さん、県立高校受験専門の塾さん。専門であるからには当然、詳しいに決まってるし、「ついで感」がないから、安心感もありますよね。では、愛夢舎はなにかの「専門」であるのか?ええとね、「コストコ」ってあるでしょう?入間にもあるんだけど、たとえば、買い物に行きましょうって言ったときにね、「ヤオコー」か「ヨークマート」か「ベルク」か「コストコ」かっていう迷い方、しませんよね。「スーパー」に行こうか「コストコ」に行こうか。僕だったら、そういう迷い方をします。そこでね。愛夢舎の立ち位置ですが。ウチは、とっとと「塾」を卒業したいと思っています。「コストコ」になりたいと思ってます。たとえば、「ふくろう専門店」は「ペットショップ」という「くくり」の中での「専門」ですね。「古都」は「食事処」の「くくり」の中の専門。「中学受験専門」は「塾」というくくりの中での専門。でも「コストコ」は「コストコ」、そんな気がします。だから、こういうことですよ。「どの『塾』にする? ●●塾?△△塾?愛夢舎?」っていうことでなくて「『塾』にする? 愛夢舎にする?」なんじゃ、そりゃ?と思いますか?まあ正直言って、これって、かなり思い切った言い方でしょうし、爆弾発言かもしれない。愛夢舎は「塾」じゃない、って言ってるようにも聞こえるわけなので。でも、ウチは「フツーの塾とは違う」と言われてきた。違うことを狙ってるわけじゃないけど、結果的に「違う」のであればその「違い」を愛夢舎の特徴とすればいいじゃないか。それだけのことなんだけど。「コストコ」になりたいって言ったって、別に、デカいとか、安いとか、多いとか、そういうハナシではないですよ、もちろん。じゃあ、愛夢舎のどの辺が「塾」とはちがう「愛夢舎」なのか。ちょうど今、入間市教室開校にあわせて入塾案内の大改訂を行っていますまた、入間市教室のブログでは随時、愛夢舎の教育方針についてご説明の記事もアップしております。こっちのブログでは必要ない、ってわけじゃないんだけど、7年もやってますと、こちらのブログをお読みの方は説明するまでもなくお分かりかと思ったりして。ちょいと見てみようという方はぜひ、新教室ブログもご覧くださいまし 1つだけ「愛夢舎」的なところ。愛夢舎の対象年齢は9歳から22歳以上までです。kama
2014.11.18
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こんばんは、鎌田ですだいぶ寒くなってまいりました。ゆうべなんかは東京でも気温6度とか。。。寒さがニガテなネコ型人間としてはこれからがイヤな季節でございますコンビニでも「おでん」が始まったほか、冬に向けて、「のぼり」が立ち始めましたね。「中華まん」です。…中華まん。。。・・・肉まん?…ほら、もうこの時点でロクなことにならない気がしてきたでしょう。ああ、もう、ロクなことにならないな、とお感じの方はウチのブログを相当お読みいただいている方でいらっしゃる先日書いたけど、僕はたいてい、どんなテーマであっても文章を延々と書き続けることができるというまったくハタ迷惑な特技を持っているんだけど、「肉まん」なんて、ネタの宝庫でございますよ、「肉まん」ひとつで、ジャッキー・チェンの話でもエレキギターの話でもできますよ、でも、今回はジャッキーでもギターでもなくて、 んと「中華まん」。いや「肉まん」だろう?どっちだ?ってハナシです。もっといえばいつの頃か「豚まん」なんていう言葉も聞かれるようになった。「中華まん」と「肉まん」と「豚まん」といったい、どう違うのか。まあ、これはなんも難しい問題ではないわな。「中華まん」ってのはあの形状の、蒸したまんじゅうですわな。「肉まん」は、「中華まん」のひとつ。もし「肉まん」しかなかったらもう少し分かりづらかったところだけど、「あんまん」がある時点で、「なるほど、肉まん・あんまんは、 中華まんの種類の名前だな」って分かりますよね。じゃあ「豚まん」は何なのか、っていうと、これも大して難しい問題ではない。結論からいうと「豚まん」=「肉まん」ですね。どうやら、西の方では「肉」といえば「牛肉」を指すのが一般的なようで豚肉を強調し、牛肉と区別するために「肉まん」ではなくて「豚まん」と呼ぶそうな。ホントかどうかはしらないけど、少なくとも、「肉まん」と「豚まん」は同じものです。でもさ、「豚まん」ってわざわざ言うのならね、それこそ、牛肉を使った「中華まん」があったっていいじゃないか「牛まん」だ。だいたいだなぁ、僕が子どもの頃は、「中華まん」といえば「肉まん」か「あんまん」のどちらかだった。今だって、この2つが双璧をなしてはいるけど、「カレーまん」を初めて見たときの衝撃といったら!!そして、「ピザまん」を初めて食べたときの感動といったら!!!「中華まん」の代表といえば「肉まん」「あんまん」「カレーまん」「ピザまん」、こんな感じになるだろう。でも、バリエーションというのは1つ生まれてしまうとあとはもうキリがないもんだ。もし「亜流」「バッタモン」が生まれるのを嫌うのであれば最初の1つを増やしてはならない。 僕は大学生の頃、コンビニでアルバイトしてたんだけど、それこそ思ったもんですよ。「こういうスナック的なものは 往々にしてチープになる。 逆に、高級志向のものを作れば そこそこの値段でも売れるんじゃないだろうか。 たとえば『フカヒレまん』なんてどうだろう?」ご存知だろうか。僕が20年前に考えた「フカヒレまん」、今、ちゃんと立派にコンビニに置いてある残念ながら、僕は「フカヒレまん」の商品化になーんも関わっていないけど。だから牛肉入りの「牛まん」はあってしかるべきだ。「牛まん」あってこその「豚まん」じゃないか。・・・ってことは「鶏まん」・・・だよね。この場合「焼き鳥まん」ってことになるのかな。ラム肉を加えるかどうかは置いといて、「豚まん」「牛まん」「鶏まん」がそろっていてやっと公平だ。・・・ってことは「魚まん」だって必要だよねさすがに刺身を入れるわけにいかないから、ここはやっぱりすり身の方に行くんでしょう。「かまぼこまん」だ。そう考えるとあってしかるべき「中華まん」はキリがない。【ギョーザまん】 似たようなのを、ディズニーシーあたりでみた。【角煮まん】 九州の方の名物らしい。【ビーフストロガノフまん】 カレーまんに継ぐ新商品。【おでんまん】 冬のコンビニ二大巨頭をどっちも召し上がりたい方向け。 中身は玉子とこんにゃく。【三色まん】 中が3つに仕切られてて、 肉まん、あんまん、ピザまんの具が入ってる。 1つで3つ楽しめる、ぜいたく品。【おにぎりまん】 中に握り飯が入ってる。【肉まんまん】 中に肉まんが入っている。 おなかいっぱい食べたい人向け。【ラーメンまん】 どんなことでも取り入れるラーメン業界なら 絶対に手を出すはず。 小籠包に麺が入ると思えば十分可能。 ライバルは「きん肉まん」。【フォーチュンまん】 あたりくじつき。【ウルトラまん】 超・まん。M78星雲製。【アンパンまん】 そうだ恐れないでみんなのために 愛と勇気だけが友達さ。 【アンマン】 ヨルダン。【がまん】 いいかげん、イヤになってきた?【ふまん】 もうやめます。kama
2014.11.14
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【Yellow】【Promenade】【Promenade2】【Promenade1】【Entry】【Scene】【Colors】こんばんは、鎌田です。いつもとは少し違うカタチで書いてみました。今日は、所用で都内表参道に出かけておりましたが、思いのほか、用事が早く終わったもんで帰り途中に立川の昭和記念公園に寄り道してみました。今、まさにイチョウ並木が見頃でございました。「Colors」というのは、僕の敬愛するところのピアニスト、George Winstonの曲のタイトルです。「Longing/Love(邦題:あこがれ/愛)」ばかりが有名な彼ですが、僕が最も好きな曲が「Colors/Dance」です。この曲を弾きこなすことのみが僕がピアノを弾いている理由かもしれません。150枚ほど撮った中から何枚か写真を載せてみました。僕は、カメラマンではないから、機材だって、ごくありふれたデジカメだし、特殊なレンズも持ってない。ただ、LUMIXで、できるだけキレイな構図を探すだけです。今回アップします写真は、150枚の中からの厳選なので全部、それなりに気にいってます。みなさんが、どれがお好みですか?僕は、○枚目が特に好きです。kama
2014.11.12
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こんばんは、鎌田です今日は、昼間っから、小・中学生たちが模擬試験を受けております。↑ こちら、今しがた終了した中学1年生のようす。午後いちばんで小学生たちが受験し、このあと19時からは、中学2年生たちの試験がはじまります。ウチでは、小学5年生~中学2年生は年に3回の模擬試験を受験します。今回は2回目。テストってイヤですよねでも、なんでイヤなんでしょう?たぶん、大きな理由は2つありますね。そのうちの1つ。自分のできない部分、欠けてる部分があからさまになることへの恐怖。テストとは文字通り、「試す」ことですね。試すということは、うまくいくかどうかわからないわけで、うまくいかないことがあった場合、つまり、解けない問題があった場合、「ダメだ」という評価になる。仮に、すべての問題が解けるということがあらかじめわかっているようなテストそんなのがあるとしたら、子どもたちは喜んでテストに向かうかもしれませんね。そういう子は「できない」=「ダメだ」の図式、これ自体が間違いだということに早く気づいた方がいい。テストは、健康診断みたいなもんですね自分のカラダの弱ってるところ、マズイ部分を発見する。そういや、健康診断もキライで受けない人がけっこういますねこの場合、めんどくさいとか忙しいとかあっちこっちいじられるのが嫌だ、とか少し別の理由があるのかもしれないけど、結局のところ、自分のカラダのマズイところが見つかるのが嫌だっていう人もいるかもしれない。でも、考えなくてもわかることだけど、健康診断は、とっても大切なことですし、良いこと、喜ばしいこと、嬉しいことですよね。「ああよかった! 受けたおかげでマズイところが見つかった! これで、マズイところを治療できる! 長生きすることができる!!!!」テストは、まったくもって同じこと。できない部分が見つかったということは治療ポイントが見つかったということ健康診断で見つかるレベルのマズイところでまるで治療が不可能なことなんて、そうそうありません。テストで見つかったマズイ部分、できないこと、弱点、できるようにすることなんか、カンタンなことです。だから、テストを受けるということは自分の治療ポイントが見つかる、ポイントが見つかれば成績が上がる、とっても嬉しいことだと思うべきである。そんなこと思えない?思えないとするならばそれはその子のせいではないですね。周囲のせいです。だから、僕は間違えた子をほめることにしています。愛夢舎では、大きな模擬試験以外にも単元ごとの「理解度確認テスト」も実施。授業の最後には「おかえりテスト」も。そうですね、「テスト」と呼ばれるモノはけっこう多いかもしれないです。うん、喜ばしいことですよねそれだけ、こまやかに健康診断をしている、重篤な状態になる前に、早期発見、すみやかに治療に入ることができる、成績が上がるポイントをしょっちゅう見つけることができる。いいですか。こういうのを「詭弁」とか言ってはなりません。あるのは「事実」であってそれは両面からとらえることができる。というわけで、みんなには、ワクワクしながらテストを受けてほしいと思います。kama
2014.11.09
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こんばんは、鎌田です愛夢舎は、11月3日~6日、休館期間をいただいておりましたその間のできごと…ってわけでもないんだけど、またしても、脈絡のないハナシをいくつか。【びっしり】10月を迎えるにあたってこんな記事を書きました。10月は、唯一休館日のない月。だから、文字通りの「皆勤賞」が達成できる。その結果 ↓今年は、3人の中3生が「タイムカード・びっしり」を達成しました31日間、文字通り、1日も欠かさず、毎日塾に通い続けた。これはすごいことだ。何をやったかとか、効率とか、濃さとか、そういう興ざめするようなことは言わない。僕が中学生の頃、英語を習っていた先生に教わった言葉。To Go On is To Go Up.継続こそ力なり。【くっきり】新アイテムが登場。こういうの、なんていうの? ↓電飾看板?夜だと、離れたところからでもくっきり見える。上部はモニターになってて、動画を流せる。音楽も流れてる。いくつかのシーンにまじって、2年前の愛夢舎バンドライブで演奏した「Singing」のイントロが突然流れ出す。(ブログ記事はこちら、 Youtube動画はこちらから)いきなりディストーションの効いたギターがけっこうな音量で鳴り出すからけっこうびっくりする。前を歩く人は、もっとびっくりすると思う。【ばったり】11月4日の夜、入間市新教室の関係スタッフが集まって「出陣式」を行った。(アメブロ記事はこちら)帰りの電車の中で ↓衝撃画像のようにみえるけど、そんなことはない。男性が寝っ転がって眠ってるだけ。ええ、完全に爆睡。イビキかいてたもん、終点まで一緒だったもん。くだをまくわけでも何かをはくわけでもなく、気持ちよさそうに眠っていらした。きっと、いろいろあったんだろうなぁ。この人も、人生を一生懸命生きてるんだなぁ。みんな、大変だなぁ。そんなことを思いながら僕が先に電車を降りました。【がっかり】スリランカの首都の名前とかイギリスの正式国名とか、寿限無とか、そういうのを覚えて「ドーダ」をかましてる人がいるので、僕はタイの首都バンコクの正式名称を覚えてびっくりさせてやろうかと思ってる。でも、ムリな気がしてきている。バンコクの正式名称はクルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシットっていう。たぶん、ムリだ。kama
2014.11.08
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こんにちは、鎌田です↓ こちら、昨夜の授業後のようす…まあ、先生たちですね。スーツもいれば、私服もいる。実は、緊急ミーティングを開きましたです。理由は↓ これ。11月3日のスポーツ大会。…もうね、生徒も保護者もしまいにゃあ、先生たちも「スポーツ大会」って言わないんだよねみんな「逃亡中」って呼ぶ。…まぁ、なんでもいいんだけど、小・中・高生、50名がエントリー史上最多の参加者数です。…あのぅ、どういうイベントか、お分かりですよね。「逃走中」も含めて「そんなのは知らん!」という方はこちらの記事でご覧くださいまし。50人が逃げるってわけでしょ。…多すぎるだろ捕まえられるのか?…ってことで、ハンター集合で、緊急ミーティングですよ。すでに、参加予定の生徒たちから「ハンターは何体いるんだ?」と聞かれてるんだけど、これは当日までヒミツヒミツなんだけど、もしかしてこの写真がヒントになるかも。参加者も史上最多かもしれないけど、実は、ハンターも史上最多で挑みます。kama
2014.10.28
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こんばんは、鎌田ですタバコ、やめました最後の1本から、今日で15日ほどが経ちます。もう最初っからほめられたハナシではないんだけど、20+α年も続けていた「習慣」を変えるというのはなかなか勇気のいることですよ。何か「きっかけ」があったかというと、いわゆる起爆剤みたいな、大きなものはなかったですね。ぶっちゃけ、「やめてもいいんじゃないかな…」って思った程度です。禁煙って、とっても大変で難しいことのようですね。テレビでも禁煙外来なる、お医者さんによる治療が促されてるし、ニコレットだの禁煙パッチだの多くのグッズもあるようですね。僕は、そういうのは一切使っておりませんです。じゃあ、さぞかし大変だろう。大した動機や決意があるわけでもないし。やめたくてもやめられない人がいっぱいいるんだから。どうせ続かないんじゃないの??…と、僕自身も思ってたわけですよ。最後の1本を終えて、禁煙1日目から2日目については確かにつらかった。何がつらいって、口の中が変な味がするようだし、内臓がむかむかするし、アタマもいたいし、吐き気もするし・・・。これが「禁断症状」ってヤツなんだろうな。ところがね。その「禁断症状」・・・「離脱症状」っていうのかな?それが続いていた間もそうだし、(つらかったのは4~5日くらいかと思います)それが終わった後、今に至るまでずーっと「また吸いたい」とは一度も思わないんですよなんだかむかむかして落ち着かない状態であってもとにかく「タバコを吸いたい」とはまるで思わない。ホントです、これ。さて今のところうまくいっている僕の禁煙法のタネあかしです。ベタっちゃあベタなんですけどね、こちらの本ですよ ↓アレン・カーの「禁煙セラピー」。今の瞬間、日本中から「はいはい!!アレン・カーを読んだのね!」っていう声が耳に届いた感じがしましたよ。ええ、読みました。そしたら、やめられた。この本を僕に教えたのは佐々木塾長である。佐々木塾長は、この本を読まずして禁煙したのだけれどもどうやらこの本を読むと、タバコをやめられるらしい。そこで、今のところやめる気がさらさらなさそうな僕にそれでも読んだらやめるのか、試してほしい、とこの本を紹介してきたのが何年か前のこと。僕も、それはおもしろいと思って買ってはみたもののぶっちゃけ、本棚の飾りになっていたわけですねそれが、この数ヶ月かなちょいと読んでみようと思って少しずつページを進めてみた。そしたら、やめられた。そして、自分がタバコを吸わなくなる過程を客観的に観察しながら禁煙していったんだけど、ここには、新しい発見がありました。もちろん、生徒指導においてです。もしかしたら、子どもたちが勉強に向かえるようになるんじゃないか、そういうヒントをもらった気がするので、ちょっと書いてみますね。まずね、僕は「タバコをやめるつもりはない」って書きましたけどね、実際のところ、この本を買ったわけでしょう?数年ほったらかしにしていたけど、それが数ヶ月前に「読んでみようかな」って手にとったわけでしょう。この時点で、実は「タバコをやめよう」と思っている。それは、僕自身の気持ちとしては「やめてもいいんじゃないかな・・・」という程度のものだけど、どちらかといえばやめた方がいいだろう、と思ってる。だからこそ、本に手がのびる。いいですか。塾に通い始める子もそうですよね。「勉強したい!!!」ってメチャメチャ思ってる子はそんなにはいないでしょう。みんな「塾で勉強してもいいんじゃないかな」「どちらかといえば、勉強した方がいいだろう」って思ってる。だから、塾に来る。しかして、タバコをやめようと思ったはいいけど、(=塾で勉強しようと思ったはいいけど)みんな、つらいのと、長い間の習慣が身についてしまっているので長続きしませんね。さて、この本には「読み終わるまで、タバコをやめないでください。 中途半端に、タバコをやめようとしないでください。 タバコを吸いながら、この本を読んでください。」という注意書きがある。僕も、この指示どおりタバコを吸いながら、本を読んだわけですな。僕があっさりやめられている理由は、次のとおりです。カンタンにいえば吸いたくなくなった。いや、吸うのが怖くなった。「なーんだ、そんなことか。 やっぱりアレじゃん。 カラダに悪いとか、早死にするとか がんになる可能性がこんだけ上がるとか そういうハナシでしょう?」突き詰めればそうかもしれないけど少し違うんですね。さあ、僕が見切ったこの本の正体です。この本は「なぜやめた方がよいか」を語らないんです。だって、そんなの吸ってる本人がよくわかってるもの。それでもやめないんだもの。意味ないよね。「なぜやめた方がよいか」を語るのではなくて「なぜ吸っているのか」を語るんですね。「なぜ、あなたはタバコを吸っているのか」これをひとつひとつ可能性のある理由ごとに説明していくわけですよ。そこで僕はこの本の正体を見切った。あとは、自分の気持ちを本が示すように、どんどん強化する方向にもっていくだけだ。本のおしまいが見えたころ、最後のワン・カートン(10箱)を買った。これがなくなるとき、僕はタバコをやめる、と。実際、最後の数箱の頃はもう、義務感で吸ってるような感じでしたよ。早く終わらせたい。早くこの1本がなくなるといい。そういう気持ちでした。なので、最後の1本は「ああ、これで終わった!!!」ってそういう気持ちでした。ホントです。その秘訣が「なぜ、やめた方がよいのか」を思うことではなくて「なぜ、吸っているのか」の理由を考えること、そして、おわかりでしょう、「理由は、ない!」ということにたどりつくことです。さて、そこで、生徒たちの勉強についてのヒントです。「なぜ、勉強した方がよいのか」を語りたくなりますよね。でも、それはたぶん意味がない。だって、勉強した方がよいっていうことは子どもたち自身が分かってるもの。そうではなくてね、「なぜ、今キミは勉強しないのか」その理由を考える。どうでしょう、このアプローチ。もちろん、アレですよ。「勉強しない理由」がはっきりするまでは中途半端に勉強しちゃだめですよ。そうではなくて、「勉強しない理由」あるいは「ほかの余計なことをする理由」を考える。つまりは「プラス方向に向かうべき理由」「タバコは吸わない方がよい」「勉強はした方がよい」その理由を語り、考えようとしがちだが、そんなことは分かりきっているそれでも動かない、習慣だから。そうではなくて「マイナス行動を続ける理由」「タバコをなぜ吸っているのか」「勉強を、なぜしないのか」その理由を検証していく。「理由は、ない!」にたどりついたとき、習慣を変えることができる。生徒指導のアプローチの幅がまた広がりそうでございます。kama
2014.10.24
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こんばんは、鎌田です先日、自宅にピアノがやってきました。新品ではありませんよ。少なくとも25年は経過してますね。僕のものでもない。これは、僕の姉の所有物です。姉が音楽大学に入学するときにそのお祝いとして購入されたもので、譜面台がグランドピアノと同型であるというKAWAIの限定モデル。姉が引っ越しを重ねるうちにどうにも置き場に困ってしまい、縁あって小田切副塾長の家で長いことお世話になっていたのでした。今回、僕が家に置くことができるようになったのでたぶん、このピアノにとっての最後のお引っ越し。副塾長、今までありがとうございました。東京都内数ヶ所をめぐり、名古屋までとんで、また東京に戻ってきて、最後には八王子にやってきたという、一台のピアノにしてはなかなかの遍歴をお持ちの一台になりました。僕も、これまで数十年間、やはり「生ピアノ」を置けるようなところに住んでいなかったので、ずーっと電子ピアノで代用しておりましたが、このたび、ようやっと「生ピアノ」を置けるようになりました。これは大変うれしいことです。ええ、僕ピアノ、弾くんですよこのブログでも「愛夢舎バンドライブ」の報告などを記事にしていますから(今年の報告記事まとめ)楽器をたしなむことをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。自宅には電子ピアノ以外にエレキギターとエレキベースが何本か置いてあります。大学時代は、長いことドラムも叩いておりました。自分で言うのはどうかと思いますが、「マルチミュージシャン」と評されます。さらに、自分で言うのもどうかと思いますが、いちおう、シロートとしてはそれなりに楽器を使いこなしている方だと思います。そこで、尋ねられることがありまして、「いちばん得意な楽器は何ですか?」と。これを聞かれると「うーん」とうなってしまう。で、最終的に「ピアノ」って答えます。いろいろな観点がありますね。たとえば、技術レベルで考えると、エレキギターでいえば、それこそ「超絶技巧」とか銘打っているようなのを除き、市販されているバンドやミュージシャンのスコア(楽譜)で「これは難しくて弾けない」というのはあんまりない。ベースでも同様ですね。たぶん、技術レベルだけでいえばベースがもっともプロに近いんじゃなかろうか。こういってはなんだけど、ギター、ベースでいえばヘタなプロよりは、よほど上手に弾けると思ってる。一方ピアノはたとえば、リストもショパンも弾きこなせないし、「全音クラシック」の中級編ですら半分くらいしか弾けないと思う。はっきり言って、ヘタしかして、「一番得意な楽器」がピアノであるという、これいかに??ひと言でいえば「自分のやりたいことができるから」ってことです。「やりたい」というのはたとえば音楽である場合、「ああ、ここで、こういう音を出したいな」と感じること、もしくは、自作の曲を弾いていてあるいは、即興で演奏していて、何も「計画」せず、先のことを「予定」せず、自分の感じるままを音にしていける。たとえば、ギターやベースでアドリブをやるとするでしょう。アドリブって、即興っちゃあ即興なんだけど、実は僕の場合にはかなり先を予定している。もしくは、なんだかんだ、事前に準備している。弾きながら「次はこうしよう」と考えている。つまり、アタマで考えないと弾けない。さらに、そこで紡ぎだすフレーズというのは誰かさんのフレーズの真似であったりするわけで自分の「引き出し」の中から一生懸命探しているにすぎない。うん、一生懸命、弾こうとしている。この時点で、自分のやりたいことと言えるのかどうか。さて、「吾唯知足」(われ、ただ足るを知る)とは京都は龍安寺にございます「つくばい」に刻まれた文字ですが、楽器…ピアノについては僕は「知る」にたどり着いたのかと思っております。たとえば、ピアノについて技術的に弾けない、先人の曲は山ほどありますよ。基本的に、速いヤツはほとんど弾けないのでむしろ、弾けない曲ばっか。で、若いころは一生懸命ハノンに取り組んで、そういう曲に挑もうとしてたこともある。ところが、いつしかそういうのを弾きたいと思わなくなった。っていうか、これは負け惜しみではなくて、そもそもはじめから、そういう方面に大した魅力を感じていなかったことに気がついた。そしたら、自分が出したい音というのはすでに自分の持っている技術で十分出せることがわかって、気もラクになったし、ガムシャラになることもなくなったし、曲を書くのも、何の気負いもなく、「書く」というより「紡ぎだす」に近い感覚になった。「足る」を知ったというよりは実はずーっと、最初から「足りていた」ことに気がついた、というか…。でもね、「知る」にたどり着くまでには「足りてない」と思いこんで自分のレベルにいらだったり、ガムシャラになったり、努力したり、あれこれ試してみたり、ほかの人を真似してみたり、やめてみたり、再開してみたり・・・。そういう紆余曲折といいますか、ジタバタが、やっぱり必要なんだと思います。それも、かなりの量。ギターやベースはまだまだですね。僕も中学生の頃から弾いてるからそりゃあ、かなりお稽古しましたよ。あれこれ試してますね。通常とは異なる、7弦ギターとか6弦ベースとかそういうのを駆使してますよ。でも、それでもまだ「もっと速く」とか「もっと難しいフレーズ」とか「もっと・・・」と思いながらなわけなんで、これはまだ「知る」にたどりついていない。しかし「足りてない」ということではない、「知る」にたどりつくには、まだ足りていないかもしれないけど、やがてそのうち、実はとっくのとうの「足り」ていたことに気づくでしょうね、やめないで、ジタバタを続けていれば。勉強や「知識欲」でも、ある程度、同じことがいえるのかもしれませんね。「もっと頭がよくなりたい!」と思い、ジタバタ努力することは、「足るを知る」にたどり着くために、絶対必要です。勉強ができるようになったと思ったら、自分よりもさらにできる人が現れる、それを追い越したと思ったら、世界にはもっともっと「天才」と呼ばれる人がいる、これでは、地球で一番賢い人になるまで、キリがない、さらに、「地球で一番」になったとしても宇宙の謎を解き明かすには程遠い・・・。もう、イライラするし、ジタバタするし、でも、「もっと・・・もっと!!!!」を続けることでやがて「知る」にたどり着けるのかもしれません。もちろん、そんなことを考えて生徒指導にあたっているわけでもないんだけど、少なくとも、自分自身の知識欲については当たり前だけど、まだまだ「知る」にたどり着かないわけで、願わくば、これは一生「知る」に達しないでいただきたい…。が、それ以外の部分においてはけっこう「知る」に近いような感覚を持つこともありますよ。そのへん、フツーの人よりも「お坊さま」寄りかも、と自分自身について思うところのひとつでございます。kama
2014.10.20
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こんばんは、鎌田です↑ はい、さんま、です。今年は、秋刀魚が高いとか、でもスーパー行ったら「安いよ!安いよ!」とか、もう、なにがなんだかわかりません・・・が、今シーズンになって、そうだなぁ、もう10匹以上はいただいたでしょうか。ごちそうさまでした。ええ、サンマ、好きですよ。っていうか、サカナ(を食べるの)が好きです。「肉か魚か」って聞かれて「魚!」って答えるようになったの、いつくらいからだろう。高校生の頃までは、確実に「肉!」でした。大学生のころでも、少なくとも2年生くらいまでは仲間としょっちゅう、焼き肉食べ放題に出かけてたくらいだから「肉!」だったんだろうな。今でも、肉は好きだけど、(参考記事:こちら)いつしか、魚がおいしくなった。中でも、サンマは好きだ。できれば、1本まるごと焼きたい。塩焼きに限る。両面をこんがり焼いたあと、おろした大根にしょう油をかけて、それを加えていただくアブラの十分のった厚い肉は言うまでもないが、お腹のあたりのニガイところ、あれもまた、おいしい今年はまだまだサンマをいただくんだろうなぁ、と思う。ところで、サンマといえば、「目黒のさんま」という古典落語がございますね。僕が小学生高学年のころ、どういうわけか、クラスで「落語」が軽いブームになりましてね、僕も、図書室にある落語全集を借りて、いろいろ読んだわけです。「長名(=寿限無(じゅげむ))」あたりはまるごと覚えてしまって、そらで言えるようになってました。(たぶん、僕だけじゃないよ)さらに、自分たちで「創作落語」なんかをこしらえて、「お楽しみ会」で、クラス全員に聴かせる・・・という。…ホント、ヘンな小学生ですな・・・で、「目黒のさんま」です。この噺のオチ、お殿様が「サンマは、やっぱり目黒に限る!!」とおっしゃる。これが、オチ。・・・オチなんですよ。・・・笑うとこなんですよ。・・・今、小中学生、いや、高校生、・・・いやいや、ウチの卒業生の大学生やあるいはウチの非常勤講師の先生たちに話したとして、だれが笑うことができるだろうか。・・・と考えて、恐ろしくなったこのオチ、言うまでもなく、「目黒は海に面していない、 目黒で、サンマは獲れない、 『目黒産』のサンマなどありえない」というところにあるわけなんだけど、これ、少なくとも現在の東京都目黒区の位置と町の様子、そのあたりを感覚としてもっていないと通じないハナシですよね。我々は埼玉県民だから、目黒の場所なんか、しるわけもない。でも、それをしらないと、この落語を楽しむこともできない。文化を享受できない。・・・といったら、言い過ぎか?逆に、この落語がいつ成立したかわかんないけど、当時の人というのはかなり客を選んでいたのかなぁ、とも思う。だって、この噺を楽しむことができる人は等しく、目黒に関する感覚をもっている人であって、お江戸の方、しかも、あっちこっちをご存じの方に限られたのかもしれない。「目黒のサンマ」は、「お江戸」以外の方にとっては面白くもなんともないハナシかもしれない。でも、昨今感じることとして、そういう地理的な感覚、一部限定的な知識にたよらないハナシだとしても笑うことができない人が増えている気がします。たとえばね、今でもたまに話題になるんだけど、ウチの塾長佐々木が話した「エルビーおやじ」のハナシ。(鎌田大爆笑のエピソードは、こちらからどうぞ)これは、僕はもうたまんなくってキャラに合わず、ゲラゲラ大爆笑してしまったんだけど、このハナシ、最後まで聞いても「・・・。 ・・・えっ?なにがおもしろいの? だって、ラジオを聞くのが好きって、フツーでしょ? 別に、おもしろくないじゃん」 っていう。。。。なんだろう、知識とか、感覚ではなくて、ハナシの解釈のしかたというかなんというか・・・。とにかくね、僕としては「目黒のサンマ」で笑える子を育てていきたいなぁ、とこう思っております。どうだ、サンマの写真ひとつでここまでハナシを膨らませたぞよ。さあ、今日の夕食、サーモンのクリーム煮をこしらえるとします。kama
2014.10.08
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こんばんは、鎌田です台風一過でございます。各地の被害が最小限であったことをお祈りいたします。さて、関東を直撃しました台風ですが、入間は、お昼すぎにはごらんの通りの晴れ具合僕は、八王子に住んでおりますが、朝の9時とか10時とかはかなりの強風と、雨もすごかったですねー。昨日、出社時間を遅らせる決定をいただき、正直、たすかりましたー。入間市も、すべての小・中学校が休校となっており、この判断は、まったく正しかったようでございます。晴れてからは、中学生たちが自習室に集まりはじめました。中間テストが近づいていますもんね。3年生だけでなく1、2年生も自習室の利用度が上がってきました。そんな今日は、どーでもいい、かなり私的な「ひとりごと」をいくつか・・・。 【カタログ値】ところで、車で通勤してる乗ってる車は、ハイブリッドカーで燃費が良いらしい。カタログでは、1リットル37キロほど走るらしい。でも、これはいわゆる「カタログ値」で実際には、そんな数字は出ないルートとか、混雑具合とかおもしろいことに「季節」にもよるんだけど、5月くらいからの平均でいうとせいぜい1リットル22~3キロってとこだろか。秋になって、かなり走るようになった。今日、入間について、メーターを見てみた ↓1リットルで33キロ。29キロとか、そのくらいはよくあるんだけど、数十キロ走ってきて33キロは初めてかもしれない。ちょっとうれしかった♪ 【青(あお)】赤信号で停まるたびに、空を眺めてた。うん、青空が好きですけっこう、空だけの写真も撮る。今日も、入間について、1枚撮ってみた ↓青空を見てるだけで、気持ちが晴れる。つながってる空の、遠くの下に広がる光景をイメージしたりする。全自然というか、全地球というか、そういうののイメージでなんだか「救われる感」をおぼえたりもする。見たことないけど、地球の外から眺めている光景をイメージしたりする↓ こんな感じの想像をしたりもする。 そんなこと考えて運転してるのかよ、って言われても、ホントなんだから、しょうがない。【150日】「あお」っちゃあ、「あお」なので。↑ こちら、ウチの娘。今日で、ちょうど生後150日になりました。このブログでは初公開ということになりますね。完全にプライベートなことなのでこちらに書くのもどーかと思ってますけど【文化の日】↑ で、今年もやりますよ。kama
2014.10.06
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こんばんは、鎌田です以前も、同じようなことを書いた気がしますが、「なんでだろう?」って思うチカラが大切です。「知らない、わからない」ということをバカにしたり、マイナスにとらえたりすることがありますが、そうではなくて、まず「知らない」、「わからない」ということに気がつけるかどうか。「知らない」、「わからない」「なんでだろう」と思うことができた人は大丈夫です。「知る、わかる方法」はいくらでもあるし、「知ろう」「わかろう」としますから。難しいのは、そもそも「わからない」「なんで」と思えないことです。さて、みなさんこれはなんでしょう? ↓はい、正解です。「自転車」ですもちろん、みんな知ってますよ。でもね、「知ってる」と思ってますよ、たぶん。だって、なんで「自転車」っていう名前なのか考えたこと、あります?そんなの、読めばわかる、って思ってません?「自転車」って「自ず(おのず)と転ぶ(ころぶ)車」ってことでしょう?だめじゃん、転んじゃ!!…って、思ったことあるかなぁ。「自動車」だってそうですね。「自然に動く車」。勝手に動いたら、事故るじゃん!!(…もちろん、ちゃんと由来があるのですよ。 知りたい人は調べてみてね。)ここで大事なのはそれを知ってるか知らないかということじゃないですよそうじゃなくて、「なんでだろう」って思えるかどうか、です。思うかどうか、じゃないですよ。思えるかどうか、です。知らなくったって問題ない。そんなことは別にどうでもいい。むしろ、知らなくていい。そうではなくて「なんで」のタネがちゃんとアタマの中に残っているかどうか、です。子どもたちと話しているとどうしても、そういう話題が多くなります。先日も、小学生のクラスでなぜか「お寿司」のハナシになったんだけど、ひとりの子が、ほかの子に対して「ええ~~っ! オマエ、『シャリ』も知らないの?! 『シャリ』って、ごはんのことだよ!! そんなこともしらないの!!」ってバカにしてたから、すかさず、「じゃあキミに聞くけど、 なんで『シャリ』っていうか知ってる?」「なんで『ネタ』っていうの?」「『ムラサキ』ってなんのこと?」「『グレる』とお寿司の関係、知ってる?」…って、彼の言葉を詰まらせてあげといた。イヤな先生ですね、ボク。イヤな先生かもしれないけど、ここには僕のわずかな「抵抗」というかなにかに抗いたい気持ちがある。「なんで?」がなくなったら人としておしまいだと思うのですよ。もちろん、自分の生き死にに関わることとか一般的に「重大」と言われそうなことについてはみんな「なんで?」って思うんだろうけど、そういうのにしたって、どんどんどんどん「なんで」の芽が出にくくなってきているように感じる。別にソクラテスの無知の知を持ち出すまでもなく、「なんで」と思える人の方がよほど楽しいし、よほど勉強もできるようになる。「覚えたこと」は「忘れる」けど「わかった!」ことは「わからない」にならないもんね。(↑ ちょうど今しがた、中3生の女子にそう話してたとこです)昨日の中3選抜の国語の授業では学校の教科書から魯迅の「故郷」について解説いたしました。これは学校でもなかなか教わらないようだけど、あの作品の終盤のシーン、「偶像崇拝」っていうことばの解釈のしかたについて、さらには、魯迅がこの作品を書いた時代背景と作品の意義について。どうしたって、辛亥革命、数千年続いた王朝政治からの反動による「みんな平等主義国家」の成立についてのハナシ、遺伝子レベルで残存する拘束・脅迫・身分制度からの脱却による大反動での中華民国。。。そういうことを説明すると中学3年生たちは「なるほど!そういうことだったのか!!」って心から納得する。つまり、「なんで」のタネは、ちゃんとある。でも、芽が出にくくなってきているから一生懸命「水」をあげて芽を出してあげるのは「おせっかい」かもしれないけど僕らの「役割」かなーと思っています。昨日だったかな、どこかで「屋根は、家のてっぺんにあるのに なんで『根』なのか」という「なんで」をみました。いいですね、こういう「なんで」。そういや、今靴下を履いてるんだけど、どうみても「靴」の「上」だよね。。。kama
2014.10.04
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「こんにちは、鎌田です」…っていう始まりでブログを書くのは僕のお決まりでございますが…。先日北辰テストの採点基準についてこんな記事を書きました。「テスト」っていうのはとっても重大なことですよ、当たり前だけど。入試とか、成績とかそういう「ミクロ」なハナシではなくてね「人」を「試す」っていうのは大変失礼なハナシであると同時に非常に、きわめて、重大なことですよ。「ほかの人を評価する」っていうことがそもそも許されることなのかどうか、っていうレベルになるとこれは倫理学のテーマになるからやめておくけど「評価する」ということでその人の人生に少なからずの影響を与えることは間違いない。「テスト」するとか「評価する」っていうのは自分以外の人の人生を方向づけることである。以前にこんな記事も書いたけどテストの採点ミスとか作問ミスとかはそんなカンタンに許されることではない、と思ってる。それを言うとね、我々の商売っていうのは毎回の授業はもとより一瞬一瞬が真剣勝負ですよ。授業中に何を教えるかということでその「人」の人生が変わってしまうわけですね。たまに思います。「残り10分で、新しいことを教えるのではなくて 今やった問題を、もう1回繰り返したら この子たちの受験の合否が変わるかも、 この子たちの「人生」の行く先が変わるかも」って。授業外でもそうです。ひとりの生徒にかけた「ひと言」でその子の人生は、大きく方向転換する。その「ひと言」によってその子は自分の生きる道を見出すかもしれないしひょっとしたら「ひと言」によって生きる望みを失ってしまうかもしれない。だから、生徒に声をかけるときにはつねに真剣勝負ですよ。「ことば」だけではありません。生徒に「こうしなさい」と言う本人ができていないとしたら「人のことばに耳をかたむける」ということが無意味であると彼らに教えてしまっているようなものだ。だから、一挙手一投足、真剣勝負ですよ。もうおわかりですよね。我々は「先生」と呼ばれる立場だから特にこうしたことの「責任」について分かりやすいケースであるけど子どもの前に立つという意味においてはすべてのオトナが同じパワーと責任をもっています。「ひと言」が彼らの人生を方向転換させます。ゆえに「『なにげない』ひと言」なんていうものはあってはならない、と思っています。「そんなことを言い出したら、 子どもに何も声をかけられないじゃないか。 授業中にも、何も教えることができないじゃないか」そう思うかもしれません。実は、僕もかけだしぺーぺーの頃にそういう思いにかられたことがありました。責任の重さを感じたら生徒に教えることが怖くなった。生徒の人生は、生徒のものです。当たり前のことです。彼らが自分で決めて、自分で歩んでいくものです。だからといって、その人生に方向づけを与えるような発言は避けるべきか。あるいは、頓着せずに感じたままを発言し、行動すればいいのか、最後は、生徒自身が決めることだから。テストはしない方がいいのか。テストをしても、重大に考えない方がいいのか。ダメですよね子どもの人生はオトナがいくら言っても最後は子どもがえらぶもの。これは正しい。しかしオトナといえども神様ではない絶対的に正しいとはいえないだから、子どもには「あいまい」な言い方をしておくあるいは、子どもに選ばせよう。これは正しくないと思う。僕らは、子どもたちに「これが正しい!」、「こうすべきだ!」って自信をもって伝えねばならない。その結果として子どもが思い通りになるわけがないということを大前提としたうえで。そのうえで「こうすべきだ!」と伝えることで子どもたちに選ぶべき「道すじ」を示すそうすることでようやっと、子どもたちは「選ぶ」ことができるようになる。少なくともオトナが「正しい」と考える道すじの中から。そこで絶対的に正しいわけではないということを自覚している我々が自信をもって伝えるためには、「信念」を持つことが必要ですね。「責任」を持つことが必要ですね。「信念」と「責任」の裏付けがほしいから少しでも自分が「正しくあろう」としますよね。「正しくあろう」「信念を貫いて幸せになろう」とすることで子どもたちにも自分の考えを伝えることができるようになりますね。「信念」を貫くために「責任」を引き受けるために「覚悟」を決めますね。僕ら、生徒たちにああしろ、こうしろと言いますよ。「その結果について自分が責任を負う覚悟」を持った上で。どうやって責任を負うというのだ?ええ、負えないかもしれませんね。負えるわけがない。でも「負えないからやらない」ではダメですね。だからね「自分が彼に言っていることは正しい」 ↓「なぜなら、自分は正しくあろうと一生懸命思い、 『信念』をもち、生きているから」 ↓「そして、彼に言っていることが間違っているはずがない」 ↓ ↓「なぜなら、自分は彼が幸せになることを 心から願っているから。 彼のことを、心から愛しているから」これが、第三者が持ち得る、最大限の責任だと思っています。これしかないでしょう。さて、当ブログで「鎌田です」から始める理由。もう、おわかりでございましょう。声に出した「ことば」以上にかたちの残る文章というのはより責任の重いものかもしれません。まして、表情や声を聴きながら全身で受け止め、理解する「ことば」とは違い結果だけの「文字」の場合大きくニュアンスがずれたり、誤解を招くこともある。それを言ったら、ひとつ書くのに何十回もの校正が必要かもしれないし、なかなかこういう公の場にさらせないもんです。でも、これは「ブログ」です。書くこと自体に意味があると思っています。僕も合間あいまに書いてるからぶっちゃけ、文章の見直しなんかしてません。もう、一発勝負、校正ゼロ、思いつきで書いたら、即アップ。だからこその「文責」の所在確認です。僕の書く文章は、ネタ的なものも多いわけだけど、何がどういうふうに、人に影響を与えているかわからない。少なくとも、このブログを始めたおかげで、全国の塾のみなさんとお知り合いになれたのは間違いない。このブログのおかげで愛夢舎が知られるようになったことは間違いない。だから、それが毎日の報告だろうがネタブログであろうが、マジメな内容であろうが、「文章=内面」を人目にさらし、誰かの「心」に踏み込む以上、文責の所在として、名乗らねばならない。名乗りたいのではなくて名乗らねばならない・・・と、こう考えています。さて、そういうわけでまたしても長々と書いてしまいましたが、ここでひとつ、発表と言いますか、宣言といいますか、ご報告といいますか・・・をさせていただきます。ワタクシこと鎌田、僕は、今月中をもって当ブログを卒業いたします。 別に、当ブログを閉鎖するわけではありません。また僕も書くこともあるかもしれませんがそこは、ほれ「卒業」してもAKBと共演したりする人みたいなもんでとりあえず、いったん「卒業」とさせていただきます。まあ、今月中ですからあと3週間ほどあります。かわらず、ごひいきに、お楽しみくださいませkama
2014.10.03
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こんばんは、鎌田です先日深夜の自習室、↓ こんな光景がありました。こちら、「英語会」のようす。ウチでは、月に1回のペースで英語の授業担当講師を中心に「英語会」を実施しています。「数学会」もやってる。テーマは毎回異なるわけなんだけど、今回は数学も英語も同じになったようです。新・北辰テストの採点基準を解明する先日、こんな記事をかきました。9月の第4回北辰テストから出題内容や成績処理システムなどが新方式になった。出題形式が、県立高校入試により近づくというのは周知のことであるし、その対策うんぬんについてもウチはもちろんのこと、すべての塾さんで対応されている部分でしょう。が、今回答案を見て、大きな謎がつきつけられた。…あ、実は塾には答案は届きません我々の手元に届くのは数字データだけ。そのデータをみていてどうにも腑に落ちない部分が多くみられたので全生徒に協力を仰ぎ、全員の答案を塾に持ってきてもらった。これも、正確にいえば「答案」ではありません。彼らが実際に答えを記入した「紙」は戻ってきません。あれ、どこに行っちゃうんだろう??彼らの手元にも、成績表が届くのみです。その成績表に、答案の画像データが載っているわけです。マル、バツ、サンカクの採点結果もある。だが、サンカクはサンカクだけ。何がどうだからサンカクなのか、減点ポイントは書いてない。バツも、である。ほとんどの問題についてバツはバツに決まってるけど、しかし、なんでバツなのか、はっきりしてもらわねば困るものもある。部分点・・・言い方をかえれば減点があり得る問題群である。具体的にいえば、国語の作文、英語の5文英作文数学の証明問題・説明問題、さらに、各教科の記述問題。先日の記事では国語の作文について僕の担当クラスでは平均13点ほどを取った(16点満点)と書きましたが、つまりは、みんな減点されてるわけですね。その減点ポイントがわからない。たとえばね、ここにAくんの10点の作文がある。国語の作文は、13行以上16行以内で書けという指示がある。Aくんは、16行目までバッチリ書いてある。2段落構成で、字もそんなに雑ではない。主語と述語の不一致と、敬体と常体の混在が2~3か所みられる。これで6点の減点。…まあ、これをひとつの基準としよう。Bくんの作文は0点である。4行しか書いていないからこれはしょうがない。一方、Cさんの作文は2点。Cさんは、6行書いてあった。すると、5行を境目に配点されている可能性が出てくる。一般に、作文・論文の採点基準というのはいくつかの「部門」に分けて行うもので、たとえば制限字数、漢字・語句、文法、内容構成という4部門なら4部門×4点=16点という配点が与えられている可能性もある。さて、ここにDさんの作文がある。Dさんは10点。10行しか書いていないのにしかも、Dさんの作文の中には原稿用紙の使い方の誤り、漢字の誤り、接続語の不適など少なくとも3か所以上の一般的「減点ポイント」がある。にもかかわらず、字数制限を満たしたAくんと同じ得点。すると、こんな「謎とき」がありえる。誤字や脱字、原稿用紙の使い方、文法事項や内容構築など、そういった部分の採点はまずは13行以上を満たした作文にのみ適用される?言い方を変えれば13行以上に達していない作文は行数に対応した減点をした上で、中身は見ない?となると、どうしても減点が多くなってしまう子は最終手段として意図的に12行目あたりで作文を中断して提出すれば10点もらうことができる???・・・いや、これはブラックジョークです。万が一にも、そんな採点基準なわけがないので、くれぐれも実践しないようにでもね、そのくらいの採点基準を想定しないと減点ポイントの謎が解けないのですよ。・・・どーでもいいんだけど、ワタシ、こうみえても謎解き、暗号解読については自信がある。そのワタシにして、この謎は、かなり難しい。。。・・・というか、ウチの生徒ぶんだけではデータが少なすぎて、解読が難しい。先日の英語会では5文英作文の謎をみんなで解き明かそうとしていました。こちらは8点満点なんだけど、5文ちゃんと書いてあって3点の子がいたり、それぞれの文にスペルミスがあるのに6点の子もいる。塾長佐々木を筆頭にメンバーがそれぞれ仮説をたて、ひとつひとつの答案を検証していく。「たぶん、1の条件を満たしていないと●点減点・・・」「いや、1~3でまとめて▲点ではないのか」「接続詞については○点?」「これは接続詞とは考えていないんじゃないか?」はたして、結論が出たかどうか、つまり、我々に謎が解けたかどうか、というと、…もちろん、どっちにしても仮説しか成立しないわけなんで、「これで次はだいじょうぶ!!!」ってことにはならない。が、少なくとも1点でも多く取れるように、ということで生徒たちには分析の結果をフィードバックしていきます。切に願いたいのは、どうか、採点基準が「感覚」という不確かなモノでありませんように。おそらくは、何十人という採点担当の方があっちこっちで分担しているわけでしょうから明確な採点基準の提示があって当然である。まして、これは北辰テスト。作文の書き方だの減点ポイントの解明だの、1点でも多くだの・・・細かいことばっかり言うなぁ、ってお思いですか?ふだん、かなりざっくりな僕であってもここに限っては細かいこと、言いますよ。だって、1点違ったら偏差値0.5、変わるんですよ。3点多く得点したら偏差値が1以上上がる。偏差値が「0.5」とか「1」上がるということ。この時期の受験生にとって、この重大さ。今の時期の北辰偏差値は比喩表現ではなく、文字通り「合否を決定する」数字なわけで、多くの学校が四捨五入を採用する中、0.5だって、あなどってはならないのである。…ってことを考えると北辰図書さんは採点基準を明確に公表してもいいんじゃないかなぁ、と思う。…思うけど、「公表されないからわからない」と環境のせいにしてもバカバカしいだけなので、ワタシらは、ワタシらで謎を解いて、生徒に指導してまいります…これで、10月北辰の採点基準がまるで変わってしまったらもう笑うしかないけど…。kama
2014.10.02
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こんばんは、鎌田です。さて、先日の記事の続きです。ええ、納豆の記事です。もう先月になりますが、僕は、石塚姉弟から誕生日プレゼントとして正式名称「魯山人納豆鉢」、略式名称「納豆混ぜ機」(←鎌田命名)説明名称「納豆を424回手軽に混ぜておいしく仕上げるマシン」(←鎌田命名)をいただいた。今回は、その性能についてちゃんとご報告いたしますよ。こちらが「納豆を入れて、ぐるぐるハンドルを回転させると、 中のかき混ぜ棒が倍速で回転し、 300回を超えたあたりで自動的にフタがあいて 醤油投入タイミングをしらせてくれて そのあとさらにぐるぐる回転すると 合計424回転のところで勝手にフタがあいて 完成タイミングをしらせてくれる、 そして、424回というのは 後の人が分析した結果として、北大路魯山人が述べた 最もおいしい納豆の食べ方を実現するための回数であって、 それを実現させるマシン」である。今回、石塚姉弟からは「実験用」として1セット3パック入り×6セット=18パックもの納豆をいただいた。初回に使用したのはくめ納豆製作による、小粒納豆。これは初めて食べたんだけど、なかなかおいしい。まずは納豆をマシンに投入します。先日の記事にも書いたけど、ここでいきなりタレとか醤油を入れてしまう人は納豆のなんたるかを分かっていない。そんなことをしたら、納豆の命である「ネバネバ」が出なくなってしまう。何もいれずに、まずは混ぜる!!それは、魯山人も言っています ↓これは「混ぜ機」のパッケージ。なるほど、だいたいのところは書いてあるけど、肝心のことが書いてない。納豆は、混ぜる前に冷蔵庫から取り出して常温に戻しておくべし。パッケージには書いてないけど、僕はそれを知っていたので、それを実践する。そして、マシンをセットする。手順は大きく3つある。まず、ひとつめ ↓まずはひたすらハンドルを回す。さっきも書いたけど、このマシン、内部機構によって、ハンドルを1回回すと中の混ぜ棒は2回転する。このあたりに、発売元・タカラトミーの気合いがうかがえる。↑ この状態から、「始め」⇒「まだまだ」⇒「手を抜くな」⇒「気合だ」そして⇒「醤油」になるまで、ひたすらぐるぐるハンドルを回す。約305回転し、目盛が「醤油」になると自動的にフタがパカッと開く。ここで、醤油を入れる。最近の納豆は、たいがい「タレ」がついていて、これはこれでおいしいから僕はこれを入れるけど、ネバネバを大量に出す場合、このタレ1個では到底味が薄い、なので、そこにかなりの醤油を追加投入する。フタをしめて、再度ハンドルを回転させる。合計およそ424回転したところでフタがパカッとあく。完成である。さて、どうなっていることか。。。こちらが、424回転した納豆の結果です ↓おおっ!!!!かなりネバネバが出ておりますな!!!!さっそくこれをほかほかのごはんに乗せていただいてみます。・・・・おおおおっっ!!!!!!これはっ!!!!! なんというフワフワ加減であろうか!!!うん、まさにふわふわ!!!納豆がこんなにふわふわになるなんて!!!ネバネバを通り越して、これはまさにふわふわです!!!言わずもがな、これは、おいしい!!!!ええ、とんでもなくおいしくなりました。とにかく、ふわっふわっです。そうですね、メレンゲのふわふわ加減をさらに倍増させたような、それでいて、当たり前だけど「納豆」だからヘンな甘さとかしつこさもなくていつもの納豆の味なんだけど、それがふわっふわっになって口の中に広がるとでも申しましょうか。とにかく、これはめちゃめちゃおいしいです!!ちなみに、そののちほかの納豆でも試してみましたがいずれもふわっふわっ。ただし、とにかくネバネバ・・・いやふわふわの量がハンパないのでタレだけでは到底ムリ、いつもの醤油加減でも少々薄味になります。さて、しかしここは公平に検証せねばならないので「対照実験」として僕が長年愛用している「納豆かき混ぜ棒(100円)」にも登場してもらいます。この棒は、かき混ぜ部分に細かな突起がついているのがポイントです。この突起によって納豆が撹拌されていい感じに空気が混ざるという。実に、いただいた「混ぜ機」の棒もこのような突起がついているわけでその意味では構造は同じ。これを使って、同じふうに納豆を混ぜていただいてみると・・・。・・・。・・・おいしかった。。。・・・えっと、結論からいうと、いただた「魯山人混ぜ機」の方がおいしいと思う。が、とにかく分解して洗ってまた組み立ててが、めんどくさい。そのめんどくささが乗り越えられればこれでこしらえた納豆は確かにおいしいのでまあ、おススメです。最後に。僕は今回魯山人にたどりつくというテーマで納豆をこしらえました。しかし、この「混ぜ機」、さらなる機能がついている。424回で自動オープンするのは「魯山人モード」。もうひとつ「我流モード」というのがついている。「あなただけの究極の納豆」をつくることができるこのモードは回転数の制限がない。無限にかき混ぜられる。無限です。一万回だろうが、百万回だろうが混ぜたいだけ、混ぜられる。一万回もかき混ぜるとどうせ納豆の粒は、ひきわりを通り越してもはやペースト状に近い状態になるにきまってて、それはそれでなにか新しい発見があるかもしれないけど、そうなると、もう納豆を食べているとはいえなくなるだろうから、僕は、やらない。kama
2014.10.01
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こんばんは、鎌田です何日か前、石塚姉弟から誕生日プレゼントをいただきましたよいやぁ、僕も今年で○○歳ですが、こうしてみなさんからお祝いをいただくというのは本当にうれしいものです。相方からはベルギー・ビールのおススメセットをもらい、こだまき世代からは、サッポロ・ビールのケースをもらい、ノブハットリ世代からは、ネコの写真集をもらいました。(みんな、僕の趣味がよくわかっているようで・・・)みなさん、本当にありがとうございます。・・・して、石塚姉弟は何をくれたのかな??弟いわく「ピンクの袋を開けないで、 そのまんま持ちあげて、袋の下を見てみてください。」どれどれ・・・。納豆?!3個パックの納豆が6セット合計18パック入っております。なるほど、僕は、納豆が大好きです。以前、「納豆考」と題して、こんな記事を書きました。ひとり暮らしの頃は、結構な割合で「大豆定食」を食していた。(ごはん、納豆、豆腐、味噌汁)また、納豆のかき混ぜ方にも一家言ある。パックを開けて、いきなりタレ・醤油を注ぐ方がいるが、あれは、ダメだあれでは、ねばりが弱くなってしまう。まずは、何も混ぜずに、ひたすら、混ぜる。混ぜれば混ぜるほど、糸がひき、ねばりが増す。ねばりと同時に、アミノ酸も増すから、カラダにもいいのだ。パスタに入れるとかで、納豆を洗ってから使う人がいるが、そんな人は、納豆ではなくてむしろ、ゆで大豆あたりを使えばよろしい。さんざん混ぜて、ネバネバが十分になったところでおもむろに醤油を入れる。しかも、ほんの少しずつ。僕はカラシは入れない。納豆が、カラシ味になっちゃうだけだもん。醤油も、総量でいえば、かなり投入されることになるけど、少し入れては混ぜ、混ぜてはほんのちょっとたらし、を繰り返す。繰り返すことで、ネバネバが消失することなく全体に味がしみわたる。あ、何回目かの醤油を入れるときに味の素もいれる。どうしても生醤油だけだとカドが立つのでそこに味の素は、大変有効である。「醤油を入れずに、まず混ぜる。しかも、かなり混ぜる。」このメソッドは、実は僕が愛読する東海林さだお先生のエッセイを読んでそこから学んだものである。さらに、東海林先生のエッセイによるとこの納豆のいただき方はあの北大路魯山人によるものだという。魯山人にして、納豆は400回混ぜるべし。僕は、さすがに毎回400回は混ぜないけど、でも、「納豆かき混ぜ専用棒(100円)」を駆使し、100回以上は混ぜる。その程度には、納豆は好きである。だが、そんな僕でも、18パックの消費は、なかなかツライ。言いたかないけど、ひとつは賞味期限間近のための値引き商品。っていうか、いずれの商品も賞味期限切れまで1週間以内。1週間以内に、納豆18パック食べろというのはこれは、けっこう、ひどいぞ・・・が、プレゼント本体が納豆なわけがない。上のピンクの袋だ「ははあ、なるほど!!!そう来たか!!!」家に帰って、中身をあけてみると、うん、予想どおり↓「魯山人納豆鉢」。カンタンに言うと、「納豆混ぜ機」です。もうちょっと詳しく言うとハンドルを回すことで、納豆がかき混ぜられるだけでなく、程よい混ぜ具合のところで、自動的にフタがオープンし、醤油投入タイミングを教えてくれる。さらに、醤油投入後も、ほどよく完成したところで自動的にフタがオープンし、食べごろを知らせてくれる、というスグレモノ。実は、この商品、まさに魯山人の納豆作法にならって作られたもの。(商品名でわかるか)さて、その魯山人の言うところの「程よい混ぜぐあい」とは ↓424回!!!しかし、このマシン、ハンドルを回すことで納豆が撹拌されるわけだけど、1回ハンドルを回すと、かき混ぜ棒が2回転する。つまり、たったの212回まわすだけで424回転を実現することができる。しかも、300回を超えたあたりの「しょうゆ投入タイミング」で勝手にフタがあく。この商品を初めてみたとき僕も思わず「これはおもしろい!!!」と思ったわけですね。それで、ついつい塾のメンバーたちの間で「おもしろい商品があるよ!これは試してみたいね!!!!」って言っちゃったわけですよ。そしたら、石塚姉弟が今年の誕生日にくれました。なんでも、1年くらい前からずーっと決めてたそうです。・・・冗談だったのに!!><しかし、今さら「アレは冗談でした」とも言えないし、それに納豆が好きなのは真実。また、納豆は混ぜれば混ぜるほどおいしいというのも、これまた真実。だから、せっかくのいただきもの、確かにこれは自分では買おうとは思わないから、プレゼントとしては最適だ。どうせならここで一大レポートといこう。僕の納豆道をここで発揮しないとしたら、じゃあ、いつやるの?!今でしょ!!ここはね、魯山人の混ぜ機だけではダメですよフツーのおはし、そして長年愛用している「納豆混ぜ棒(100円)」、これらとの比較検証もしないとね。もちろん、ほかほかのごはんに乗せていただいてみる。まずは、このいただいた「魯山人納豆混ぜ機」、プラスチック製なので、説明書に従って、よく洗わないとね。「分解して、部品をすべて、よく洗ってください」とある。部品の分解方法も書いてある。うん、丁寧だ。分解して洗ってみた。・・・が↓僕が最初にメモ帳に書いた感想…(ホントです)めんどくさい!!!部品が多すぎ><納豆ひとつ食べるたびにこれだけの部品を洗わねばならないとわ!!これは、めんどくさい!!!さらにこの後、食器棚にしまうためにまた組み立てるわけなんだけど・・・め・ん・ど・く・さ・い!プラモデル作ってる気分です。でも、分解して組み立てておしまいでは、いくらなんでも失礼なので、このあとちゃんと納豆を食してみましたよ。そして、なんと!!!驚きの結果が!!!!・・・次回の記事をお楽しみにkama
2014.09.28
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こんにちは、鎌田です先日、あるDVDを入手しました。こちらです ↓「就活の達人~教職編」。2006年に制作されたものだけど、僕がこの存在を知ったのはつい最近。当然のことながら、中古で入手した。・・・『就活』、始めるわけじゃないですよ「教職」を目指すわけでもありません。僕が興味があったのは「教職への就活法」ではなくて、このDVDに出演している方々、同シリーズでは「達人」と呼ばれる人たちである。実はこのDVDも、タイトルや内容で検索したのではなくて、人物名を探していたら、これに出会ったという。中谷さんは有名ですよね。僕が学生の頃、著書である「面接の達人」がベストセラーになり、テレビでもなんでも引っぱりだこ、「就活」といえばこの人、ってくらいの方である。・・・が、失礼ながら、僕が「見たかった」のは、ほかのお二人である。「見たかった」というよりは「会いたかった」という方が、気持ち的には近い。僕は、愛夢舎に来る前学校教員採用関係の民間企業におりました。その当時の「いきさつ」は「愛夢舎ヒストリー」の別編でご紹介しております。こちらの記事からどうぞ♪ 愛夢舎に来た当初は、前職の関係から学生向けの講演なんかを依頼されたこともあったけどそんな「昔とったなんとやら」も、今はまるでないし僕も今さら、そっちの方面に首を突っ込もうとも思っていない。しかし、その会社での経験が愛夢舎で「講師職」として自ら指導する立場に戻ることを僕に決意させたのも間違いない。 その会社に僕を引き込んでくれたのがDVDに出演している前田さんである。僕が退職すると間もなく、その会社は、グループ内のいくつかの事業部・会社と合流し今の大規模な会社へと再編したけど、僕が入社した当時は、まだ社員数も7~8名、グループ親会社の代表がすぐ隣に座って社長をとびこして直接指示管理するようなベンチャー企業だった。僕はそこの草創期のメンバーであった。会社設立から3年ほど経って、事業が安定期に入り僕は退職したんだけどその間に、講演会や研修会などで非常にお世話になった方のおひとりがこれまたDVDに参加されている近藤先生でいらっしゃる。前田さんは、いまだ僕が最も尊敬する「会社人」であり、近藤先生は、僕が最も尊敬する「学校の先生」である。セミナーかなんかの打ち合わせでもって近藤先生、前田さん、そして僕の3人で業務終了後の夜、お酒をまじえながら、いろいろお話しした。先生が校長でいらっしゃる都内の私立中高は昔は、学力レベルも低く、通う生徒の素行も悪く、はっきり言って「ダメ学校」であった。それが、先生が着任されてから中身がどんどん変わっていき、今風に言うならば、どんどん改革が進み、気づけば、生徒募集に困る都内女子私立中学群の中にあって競争率2倍近くの難関名門校に変身していた。その「大変化」の象徴のひとつが、学園の先生方である。どなたもみんな一生懸命で夜遅くまで家に帰らず、しかし、疲労感も見せずにニコニコと我々民間業者に接してくれる。なにかとあると、口をそろえて「ウチの校長が」、「近藤校長が」と、校長先生への絶対の信頼度がうかがえた。僕は、生意気にも近藤先生に直接お尋ねした。「先生のところ(学校)では、 どうしてあんなに素晴らしい先生ばかりいらっしゃるんですか? どうやって、みなさんあんなに一生懸命になれるんでしょう?」(ちなみに、採用業界におった立場で公平に書くと、 「あそこで働くと過労で死んじゃう」というような言いぐさも 教員を目指される方の中ではあったようです)先生はちょっと難しい顔をされてそれから「うむ・・・なんでだろうね?」って笑われた。夜23時くらいだったろうか先生は明日もお仕事がおありになる遅くまでおつきあいいただき、ありがとうございました、…と解散に至り、タクシーに乗る先生をお見送りしたわけなんだけど先生が向かわれた先はご自身の学校である。当時、実に先生は、365日間、1日もかかさず学校現場に立ち続けるという生活を僕の記憶では、たしか7年間、お続けになっていた。なるほど、この先生あって学校の先生方のみなぎる「やる気」であるな、と強く感銘を受け、以来、部下を持つようになってからも部下にやらせる以前に率先して自分もやる、自分がやることで、それを見る部下の「やる気」を育てる、ということを僕自身の考え方として持つようになった。(それは、対生徒である今も変わっておりません)会社を辞めて、愛夢舎に来てから数年たち、あまりにも悲しすぎる「噂」が僕の耳に届いた。もう二度と、3人で会えることはない。だから、DVDを見ることは僕にとっては、前田さんとの10年ぶりの最後の再会である。中谷氏のインタビューに、2人は当時のまま思うところを答えていく。「学校の良し悪しは『教員』がすべてです」「学校教員に、スーパースターは必要ないと思う。 予備校なんかでは、集客という意味で、スーパースターは必要かもしれないけど、 学校には、厳しい先生、優しい先生、いろいろな個性ある先生がいて、 それがひとつの方を向いて、まとまっているのがよい」「教員に必要なチカラというのは、学力はもちろんだけど、 人とかかわる能力、コミュニケーション力である」…あれ、待てよ、と思った。今さらだけど、愛夢舎って「予備校」や「塾」っぽくないなぁ。なぜなら、ウチの先生たち言うほどの「スーパースター」いないもんなぁ。でも、いろんな個性があって、そしてその「個性」が、同じ方を向いてるしなぁ。確かに愛夢舎は「学校」ではない。でも、「建学の精神」はあるよなぁ。愛夢舎の見学の精神とは「勉強するのは『幸せ』になるため。 人が生きるのは『幸せ』になるため。」この精神にもとづき、ひとりひとりの先生が動き、授業が行われ、行事やサポート体制がしかれている。うん、学校じゃないけど、学校だね。こんな塾の先生方にお会いしたことも少なくありません。「ホントは学校をつくりたい。 でも、現実的にできない。 (ちなみに、都内の場合、全日制の学校を新設するのは 諸々の制度の制限を受け、ほぼ不可能です) だから塾なんだけど、 そのうち学校法人をめざしたい」これが可能かどうかはわかりませんし、たぶん、愛夢舎は今の時点で、学校化を目指してはいません。でも、中身的には「学校」っぽいなぁ。そして、そういう塾はいっぱいあるんだろうなぁ。そして、「『学校』っぽくない学校」もあるんだろうなぁ。。。なんだかしらないけど、「学校」を目のカタキみたいに言う塾のセンセイ、いますよね。僕は、前職の関係からかあるいは、こういう考えだからこの職歴なのかわかんないけど、「学校」は同志である、と思っています。だって、おなじ「子ども」を育てていく側なわけでその意味では、塾どうしは、もちろん同志だし、保護者は、同志ではなくて、こちらが応援させていただく存在ですわな。なもんで、ウチの生徒や時間講師の子たちが学校教員を目指すというと心から応援するし、できる限りのサポートもするし、もしかして、そういう土壌だから「先生を目指す」っていう人が多いのかもしれない。…DVDのハナシから、まとまりのつかない文章になってしまいましたがこれまた字数制限のせいでございます。。。DVDの対談の最後に近藤先生と前田さんが、教員を目指す人に対して送った「がんばってください!!」っていう熱いエール。それは、これから教員を目指す方にとってのエールであり、同時に、子ども・教育にかかわるすべての人へのエールであり、すなわち、先生ご自身へのエールでもある、当然、愛夢舎をはじめとする塾やそして保護者の方へのエールでもあって、それに応えていこう、とそんな風に感じて10年ぶりの再会を終えました。少なくとも、近藤先生とはまたお会いする機会を持ちたいものです。kama
2014.09.27
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こんばんは、鎌田です今日は、入間市内の中学校では秋の大イベント「体育祭」が行われました。毎年、見学に行っている我々ですが、今年も、3つの中学校におじゃまいたしました。すべての生徒、すべての保護者の方にお会いできたわけではないんだけど、こっそりとみんなを応援しておりました。皆様、おつかれさまでございました。そして、相変わらず、おじゃまいたしました。・・・なにが「おじゃま」かって ↓いつものように幕があき、赤い玉 投げる人の群れに愛夢舎の先生の姿がありましたPTA参加種目の玉入れに、3人の先生がおじゃまさせていただきました。ちなみに、中心でカゴを支えている子もウチの生徒ですが、「不正」はしておりません。(その証拠に、負けた><w) ・・・といいつつ、子どもたちにとっては我々センセイが競技に参加するというのはとっても楽しみなことのようで、その意味では、3人ともがんばったね!(大したウケが取れなかったことに、直後「反省会」が開かれたようだけど…)さて、こちらは上藤沢中。いつものことながら、ほんわかしたムードがございます。そうだなぁ、町内会の運動会みたいな感じ(…失礼^^;)距離感が近く、先生たちも一体となって「みんなでつくるイベント」っていう雰囲気といったら、多少通じるかなぁ。一方、こちらは藤沢中 ↓僕が到着したときには、クラス対抗の「大縄跳び」が始まったところでした。複数の中学校を「はしご」するとなると、どの中学校にいつまでいるか、という「作戦」を立てるのも難しい。こちらの体育祭は「陸上大会」みたいな雰囲気。プログラムに長距離走を加えているのは、ここだけ。とはいえ、ムカデ競争とか、PTA参加種目とかそこはちゃんと「体育祭」、大縄跳びも、盛り上がってましたよ♪これで午前中の競技は終了、昼食をはさんで午後の種目・・・なんだけど、その前に、大縄跳びの「表彰式」。その中に、こんな姿も ↓ 彼は、体育祭を盛り上げる演出をパソコンで行うべく、この3日間、なんとまあ、2.5時間だったり、4時間だったりという極短の睡眠時間で過ごしてきたらしい(あ、もちろん、ウチの生徒です)当たり前だけど、自分自身も競技に参加しているわけで、今日も、なんだか顔色がすぐれないように感じたけど、クラスのため、イベント成功のために身を削る努力、我が生徒ながら、頭が下がる思いですそんな彼は ↓校長先生のかわりよろしく、表彰までを担当したのでした。おつかれさまー ↑ さて、向原中。ここはもう、とにかく「ザ・体育祭」ですな。(↑ さっきから勝手な感想ばっかでスイマセン)午後イチは、全校女子によるダンス。そしてそれに続いては体育祭といえば、コレ!!! 男子全員による組体操。僕はねぇ、何を隠そう、この「組体操」を楽しみに、毎年向原中に行くんですねぇ、午後イチに 実際、この時間帯がもっともギャラリーの数が多い。そしてなんとまあ、組体操をやってるのは3中学で、ここだけ。僕らが子どもの頃は、組体操・騎馬戦は、定番中の定番だったけどなぁ「棒倒し」も定番で、アレは僕が小学2~3年生の頃まではやってた。けれど、実際に棒倒しに参加するはずの5~6年生の頃にはなくなってた。ええ、「キケンだから」という理由で。 おそらく、組体操も騎馬戦も「キケンだから」、なくなっていったんだろうな。今日の組体操は「ピラミッド」で締め。かつては、ヒトがタテに重なっていく「タワー」が締めの演目だったけど、いつの間にかなくなった。たぶん、「キケン」だってことになったんだろうなぁ。でもさ、子どもたち、タワー、やりたいと思うんだよね。「じゃあ、『キケン』でもいいのか? 子どもを『キケン』な目に合わせろというのか?」って、過敏にならないでくださいよ。少々の「キケン」があって、不安と恐怖があって、それをみんなで励ましあって挑戦して、それで成功するからこそ達成感があるのであって、そのことを子どもたちは知っている、だから、きっとやりたいと思うんだよなぁ。。。「キケン」を回避するのはオトナの役割ですが、それは「キケン」なことを「やらせない」のではなくて、「キケン」から守ってあげるということでしょう。カンタンにいえば、タワーをやって、生徒の転落が「キケン」だというなら落ちた子を「オトナ」が身を挺して受け止めればいい。そういうのが影響してるかどうかわかんないけど、残念ながら、やっぱり年々おとなしくなってるなぁ。5年くらい前までは組体操が終わって、全員整列すると「ボクたちは、ここまで成長しました! たくましくなりました! おとうさん、おかあさんのおかげです!! ありがとうございました!!!!」って、全員でご両親に大きな声で感謝のあいさつ、それで、おかあさんたちが感動の涙を流す、そういう光景があったもんです・・・それもなくなっちゃった。まあ、そういうのは古くなっちゃったのかもしれないけど。なんだか、軽いさみしさを感じます。僕の母校じゃないんだけどね。 さてさて、いよいよ秋ですよ。今日、見学に行った若手講師のひとりが「いやぁ、走りたいですね!!」って言ってた。うん、走ればいいよ。 愛夢舎の「スポーツの秋」はこれからです。 ええ、今年もやりますよ!!!! kama もちろん「アレ」ですが、先に知りたいという「せっかち」な方は去年の記事、ならびにこちらのYoutube動画でどうぞ。
2014.09.20
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こんにちは、鎌田です少々フライングぎみですが、先日9月7日に行われた「第4回 北辰テスト(中学3年生対象)」の結果が塾に届きましたよ。(実は、本人に返却されるより先に塾には届く・・・)今回の北辰テストといえば、 先日、こんな記事を書きました。今回から、より県立入試問題を意識した「新タイプ」のテストとなる。成績表とか、採点法とか、そういう諸々も新しくなったんだけど、とにかく、問題が新しくなった。 先日書いた記事は、テストの前日に書いたもので、その時点では、問題の全貌は明らかになっておらず、事前に入手できたサンプル等から出題形式を予測するにとどまった。その結果として、僕は国語の作文を「10行・配点10点」と書いたのだけど、翌日、フタを開けてみたらなんのことはない、県立入試とまったく同じ型の「13行以上16行以内」、配点16点だった。 ほかの教科の分析はおいといて、とりあえず、国語の結果だけについてご報告します。先日の記事でテーマとした「作文」。時間がたりない試験の中で13行以上の作文を書くというのはなかなか大変だけど、ウチの子たちは、ちゃんと対応できたのだろうか、テスト直前の対策指導は効いたのだろうか。 結果、僕の担当クラスの子たちの作文の平均点は12.9点でした。16点満点で、12.9点。 ・・・うーん、いいような、そうでもないような。。。いや、もちろんオッケーラインなんだけどね。 ずいぶんカンタンに点数が取れちゃったなぁ。。。 新・北辰の「新・成績表」には減点のある問題の得点状況も載っている。これによると、全受験者の62.2%が16点満点で11点以上の点数を取ったことになる。(16%が満点もしくは1点減点)9点以上となると全体の74%、およそ4人中3人。 こんなにカンタンに点が取れるというのはちょいと「予定」とちがうのだ。 いや、これは生徒のがんばりを認めないとか、イジワルしたいとか、そういう意味ではないですよ。カンタンに点数がとれるということはその分、全体平均も高くなりますわな。したら、ウチの子たちが作文を攻略したとしてもそこでの「差」はつかない。偏差値が、思ったほどは上がらない。実際、今回偏差値70を取った子がいるんだけど、その子は、前々回(6月)でも偏差70。ただし、今回は6月よりも10点も多く得点したのだ。国語の全県平均点は55.8。5科目の中で圧倒的に高い。 ・・・ええ、圧倒的なんです 今回の科目別平均点。数学41.9 英語35.0理科37.9 社会28.0 ・・・これわ、いったい・・・・まあ、理科とか社会あたりは問題が難しすぎというハナシもあるし、それは数学や英語でもそうだったのかも。もうひとつは、やっぱり「時間」との勝負に負けちゃったのかな。「たとえば国語」で、国語のハナシを書いてるけど、時間が足りないというのは数学でも同じ。あと、県立入試型を意識しすぎるあまり、問題が凝りすぎていたのかもしれない。それでも、ウチの子たちはよく対応したと思う。先生たちが、事前によーくサンプルをにらんで、事前対策を講じていたことも、かなり効を奏したと思う。たとえば、おなじく「減点のある問題」である、英語の5文英作文。これは、8点の配点をもっているんだけど、全県データをみるとね・・・。全体のおよそ30%が0点なんです54.8%、実にほぼ半分の受験生が2点以下しか取れていません。(ウチは半分以上が5点以上)おそらく、「ノーガード」でテストに突入した生徒が相当数いたのでしょう。もし、これを読んでいる中学3年生で「えっ?!ボクの通っている塾では 英作文の対策なんて、やってもらっていないぞ!!」という人はさっそく塾の先生にお願いして対策してもらいましょう。英作文なんて、書き方が身についていればみんな5点以上は取れるんだから。 とりあえず、僕の担当クラスの国語は今回、かろうじて全員平均偏差値60突破をキープすることができました。だけでも、手放しで喜べないのは、前回の全体平均より下がってしまっているから・・・。これは、10月にリベンジです!!次の攻略ポイントは4つのロング・記述問題ですな!!kama
2014.09.18
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こんばんは、鎌田ですこのマークを、久々につけさせていただきます。当ブログにおける、マークについては「暴走シリーズ」についてご紹介させていただいておりますこちらの記事から、どうぞ♪とはいえ、今日の記事は「暴走」ではございません。ただ単に、脈絡のないハナシを2つほど。。。【ビーラー】まったくもって個人的なことなんですけどね。実は、昨日9月14日は僕の誕生日でございました。おめでとうございました!!ボク!!あ、でもねどういうわけか9.14生まれの人には縁があってね。時間講師のY先生、お誕生日おめでとうございました!!生徒のOくん、お誕生日おめでとうございました!!卒業生のYくん、お誕生日おめでとうございました!!...and,Happy birthday,Josi!!!(ジョジーこと、ジョサリンについての記事はこちらから)なんとまあ、このわずか3年内の出会いとかかわりの中で4人も同じ誕生日の人がいるんです。これはとっても不思議な縁ですよね~~。ちなみに、上戸彩さんとか安達祐実さん、成宮寛貴さんや矢沢栄吉さん、パッパラー河合さんも9.14。すごいねー。ブラジルのミュージシャン、僕が高校~大学の頃に「こういう音楽を実現したい!」と思っていたことを大学1年のとき、「ANGRA」というバンドで、世界規模で成功させてしまい「くそぉっ!!!先にやられた!!!」って思わされた、敬愛するアンドレ・マトス氏が9月14日生まれというのが僕個人としてはウレシイ♪さて、そんな誕生日、相方が誕生日プレゼントをくれました ↓ベルギービールのセットです。これはウレシイ!!!ええ、ビールが大好きです。もっとも、値段が高くなっちゃった最近では僕はひたすら「第3種」というのかな、とにかく、安い「麦とホップ」専門なんだけど、そりゃあ、たまにはおいしいビール、飲みたいわな。ベルギーが好きというわけではありません。でも、クラフト・ビール、いわゆる「地ビール」は大好きです。軽井沢ビールもKOEDOビールも大好き♪そんな僕に、ベルギーでもドイツでも、ビールのセットは本当にありがたい♪かつて、僕がビール大好きであるのを知った相方の親友Yちゃんが言いました。「ああ~~、鎌田さんは ビーラーなんだね~~~」・・・ビーラー。うん。ボク、ビーラーです。ビールを愛する人を「ビーラー」と呼ぶそうな。スペルでいえば「Beerer」ってことになるのかな。「Beer」は名詞だけど、名詞が同時に動詞になることは言うまでもない。僕は、大学時代、それで外国人の英語教師と闘った。アメリカ人のくせに、なぜかターバンを頭に巻いたひげもじゃの彼は我々に、日常生活で目にする「動詞の単語」を毎週集めてくるという、よくわからない課題を出した。そんな彼に僕はかみついた。「そんなに、いつも変わった動詞があるもんじゃないだろう?!」「そんなことはない!! たとえば、キミはsaltという単語を知ってるだろう? それは『塩をかける』という動詞だ!! waterは、『水をかける』という動詞だ! yellowは、『黄色にする』という動詞だ!! それでも動詞が見つけられないとでもいうのか?!!」・・・はいはい、わかりましたよ。じゃあいいよ、Beerは、「ビールを飲む」っていう動詞なんですね。ならばerをつけて「ビールを飲む人」でBeererですね。・・・と、ここで思い当たることがある。Beerにerをつけて「ビール好き」になるのならば・・・Winnerっていうのは。。。そうだよね!!言うまでもなく、Wineにerをつけたカタチ。つまり、Winnerというのは「ワイン好き」ってことです。カタカナで書くと「ウィナー」。あるいは「ワイナー」。「ウィナー」っていうのは「勝者」のことだけど、勝者は、勝利のあとに何をするか。祝杯をあげますね。ワインを飲むわけだ!!!なるほど!!!だから、「Winner」という言葉が産まれたんだね!!つまりは、Win(勝つ)というのはあとからできた言葉であって、先に「Wine」と「Winner」があってのことなんだね。Wineの歴史が相当古いのは、聖書に載ってる時点で明らか。ワイナーさんという方も多いけど、彼らも同じ起源の名字を持っているわけだ。・・・フランス語では「Vin」(ヴァン)?知ってるよ、そんなことだからさ、ワイン好きは「Vinner」(ウィンナー)を食べるんでしょ??【言い方】ウチの車のナビはエンジンをかけると、しゃべります。「今日は○○の日です」って、しゃべります。今日、9月15日は敬老の日でございました。敬老の日って、結構迷いますよね。「お年寄りを敬おう」という精神は本当に僕もそう思うし、非常によい心がけだと思っているんだけど、たとえば、僕の両親に「今日は敬老の日だから」ってプレゼントなんかを渡すと、「そりゃあ、おまえ、なにか?! オレが『年寄り』だって言いたいのか?!!!」とか言われそうで・・・。ここはもう、何歳以上の方が「敬老の日」の対象者って定めてもらった方がよい気がする。んでね、今日、車に載って、キーを回したわけですよ。ナビが、しゃべる。「9月15日。今日は、 『老人の日』です。」・・・言い方っ!!!その言い方だとぶちこわしだよ。老人の日って、なんなのよ。老人だらけの日?あるいは、老人の、老人による、老人のための日?「敬」が大事なんだよ、「圭」が!!・・・でも、そっか、その方がわかりやすいってハナシもあるか。「敬老の日」ってのはまだわかりやすい方だけど、「勤労感謝の日」とか「海の日」「山の日」、「春分」「秋分」とか、確かにわかりづらいよね。じゃあ、こうしよう。「敬老の日」 ⇒ 老人の日「こどもの日」 ⇒ 義務教育下のガキの日「勤労感謝の日」 ⇒ 残念な中年サラリーマンの日「海の日」 ⇒ 海の家の経営者の救済日「山の日」 ⇒ お盆なのにに休めない人向けの祝日「春分の日」 ⇒ 日照時間12時間かっきりっていう それだけの理由でもって休みにするというのは 公務員のみなさんが休みが欲しかったからそうなった というあっちこっちからの批判をくらっても仕方ないけど それをごまかすために「春分」とかよくわからない名前を つけたことで、なんとなく休みをみんなが享受できる日。「秋分の日」 ⇒ ・・・めんどくさいから書かない。 kama言うまでもなく、マークのこの記事はウソ、大げさ、本心と異なることが多く含まれております。これは、「ことばあそび」の記事です。記事全体が「冗談」であることをご考慮ください。
2014.09.15
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こんにちは、鎌田です車での通勤途中前を走る車のリアガラスを、何気なく見たわけですよ。ガラスの右上に、なにやら貼ってある。「赤ちゃんが乗っています」とか「子どもが乗っています」とか、みなさん、車にいろいろ貼りますよね。僕は、なんも貼ってないけど。前の車に貼ってあるのもこの「~が乗ってます」シリーズのようだ。どれどれ・・・ 「織田信長が乗っています。」 Σ(゚Д゚)!!! そりゃ、大変だ!!! これは、車に見えるけど、実は大名のお籠であったのだ!! なんてこったい!!だまされるところだった!!しかも乗ってる方がおやかた様・信長ときたもんだ。よく見ると「魔王」とか書いてあるし。うかつに近づくと危ないぞ!!! しかし、有名人・信長さまであったか、どーりでカーテンで目隠しをしてるはずだ。 信長さまを乗っけた車・・・じゃなかった「お籠」は車線変更をひょいひょい繰り返し、わずかな車間に飛び込んでは、陸橋通りを立川方面にかっとんでいきましたとさ。(運転手さんよ、キケン運転してると、お手打ちにあうぞ)kama
2014.09.13
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こんにちは、鎌田です今日は9月9日。「重陽の節句」でございます。世間では、菊まつりがさかんに・・・・・・。・・・ひらかれてないかなぁ…。だいたい、今日が「節句」だっていうのも知ってる人がだいぶ減ってきたようですね。昔は、菊人形だの、菊まつりだの、それなりに「特別な日」を演出してたような気がするんだけど。どっちかといえば「救急の日」として知られてきてしまったのかな。ええ、今日は「きゅう(9)きゅう(9)の日」です救急教務や救急医療について理解と認識を深める日。・・・ホントだって!!厚労省と消防庁で決めたんだから。ウソじゃないって!!!ホントは、重陽の節句にちなんで、「節句」をいじくって「ことばあそび」の記事を書こうとも思ったんだけど、「救急」といえば、こんなことがあったので ↓石塚さんが、指先(爪先)で「E.T.」よろしく、なにやらごあいさつ。↓ こちらの方です。うん、クワガタムシですね。この子、さっき塾の入口のドアのところでまもなく挟まりそうな感じでいたので、僕が中に連れてきました。石塚さんに見せたら、爪でちょいちょい触って反応をうかがってる。うーん、クワガタさん、かなりへろへろのようですだいたいにおいて、もう9月も半ばでしょう。ひと月くらい前なら塾の周りにはクワガタさんも、カブトムシさんも、カメムシさんも、いーっぱい来てたんだけど、9月になって、めっきり減った。かなり久しぶりにご対面でございます。(つまりは、この時期のクワガタがめずらしかったので 記事にしてみてるんだけど)お仲間さんたちはたぶん、とっくにどこかへ還ってしまったんだと思うので、このクワガタさんは、きっと最後に取り残されちゃったんだろうな。あたかも、サード・インパクトでみんな「還った」のに、ひとりだけ残ってるみたいな・・・・・・やめよう、このたとえ。。どっちにしてもこちらさんも、そろそろお迎えが来るんだろうね。・・・おや、石塚さん ↓それは、果汁100%のジュースではないですか樹液じゃないけど、それはもしかしたら、お気に召すんじゃないかなぁ?石:「うん、ワタシもそう思ってました。」手頃な器を探すこと数分、コンビニでお弁当を買ったときにもらえるプラスチックのスプーンを見つけました。ここに、ちょっとだけ石塚さんのリンゴジュースをおすそわけしてみる。すると ↓おおっ!!!クワガタムシが、こんなに分かりやすくジュースを飲んでる姿、初めてみたぞ!!!涼しい塾の空間で、リンゴジュース。もしかしたらこれは「彼女」にとって「命の水」となったのかもしれない。なので、僕は石塚さんを讃えてあげたよかったね!!石塚さん!これは、いいことをしたよ!!!将来、死んでから、地獄の血の池でおぼれてるときに、きっと上のほうから、クワガタの「なにか」がおりてくるよ!!!石:「え~っ…。それはビミョーだなぁ・・・」kama
2014.09.09
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こんばんは、鎌田です今、ウチの1階の窓はこんな感じ ↓8月30日に終了しました「夏期勉強合宿」の結果速報。当ブログでも速報をお知らせしましたが(こちらの記事)今回は、数字以上に得るものが大きかった合宿でした。とはいえ、「偏差値10アップをめざします」の謳い文句を裏切ることなく、今回もちゃんと2ケタアップを果たした生徒もおりますよさてさて、一方、隣の窓は、こんな感じです ↓「一生の思い出」、「人生を変える」とまで評されるウチの夏期勉強合宿。これを終えて、中学3年生はあとは惰性・慣性でもって、入試まで行くのかといえば当然のことながら、そんなこたぁ、ない。ここから、スピード・アップです。プランのひとつとして「入試実戦力養成講座」があります。「秋ゼミ」と通称するこの特別講座が目的とするのはズバリ「入試得点」。…って書くと、当たり前のことになっちゃうなぁ。「この教科の、この問題を解けるようにする力」と書けば、少しは「実際」に近いだろうか。たとえばね、「数学がニガテだ!」っていう人は多くいるようでいて、実は「数学全部がニガテ」っていう人は、そんなにはいない。一部分、たとえば「図形」の問題、それも、平面図形ではなくて立体図形、とか、そういう細かな「ニガテ」があることによって教科全体が「ニガテ」に思えてしまう。そうなると、本当は「計算」は得意なのにその得意なところも含めて(えてして、そっちばっかりやりがちになるもんだけど)数学全体をまんべんなく勉強しようとして時間も足りない、効率も悪い、手広くやっちゃうから、結局ニガテはニガテなまま。時間の足りない受験生にはそんなことをしている余裕はない。そこで「各個撃破」の「秋ゼミ」を行います。ここでいう「各個撃破」というのはだから、「数学」とか「国語」っていう単位ではない。以下に、今年度開講予定の全16講座のタイトルをご紹介しますね。【英語】「難関私立英語対策」「読解からの標準英文法」「5文自由英作文特訓」「リスニング特訓」【数学】「図形問題スーパー解答術」「難関関数パワー解法」「県立数学への挑戦」【国語】「国語の得点源~光速文法解法~」「古文いにしへものがたり」「点数を取るための作文術」【理科】「生物重要事項暗記ゼミ」「大地の変化・天気・星を極めるゼミ」「理科1分野の『理』屈」【社会】「読解と思考の地理」「歴史頻出問題演習」「満点を取る公民~狙った獲物は逃すな~」 タイトルをみて「ははぁ、こういう狙いか!」とすぐにわかる講座もあるし、今一つ、中身のわかりづらいものもありますね。しかし、これらのすべてが3回もしくは6回完結型の授業(指導)でピンポイントに「この問題を解くための力」をつける、それに特化した講座です。たとえば、僕がこれまで担ってきた国語の文法講座ってのは「光速」っていうサブタイトルがついておりますね。この講座では理屈抜きで、とにかく短時間で正解を出すためのワザをひたすら伝授します。理屈がわかるともっと楽しいかもしれないけど、誤解を恐れずにいえば「秋ゼミ」の目的はとにかく「点数を取ること」、「合格すること」。苦手なら苦手でもいい。苦手であっても、点数が取れるようになる。そういう「入試限定の力」をつけることもこの場合には辞さないわけです。一方、古文の講座なんてのはある意味、高校生になってからも大いに役立つ。近隣の偏差値60以上の私立高校では国語の入試問題100点満点のうち古文は30点分と、かなり高い比率。しかも、中学校では決して習わない古文法や古文常識までが必要となる。いつも思うんだけど、こういう私立高校さんは、中学生たちに、どうやって勉強しろと言いたいのか…。カンタンにいえば少なくとも高校1~2年生レベルの古文読解力がなければ絶対に内容を理解することはできない。なもんで、こういう「特殊」な力は必要な子にだけ、特別授業で授けているわけです。(県立入試では、そんな高度な知識は必要ない)そして高校1~2年生レベルを指導するわけだから当然のごとく、高校生になってからかなりラクに古文学習に取り組めるわけです。「秋ゼミ」については担当講師がテキストをオリジナルで作成しています。僕が作った中で、最も力作はそうだなぁ、およそひと月かけて自分でカタカタとキーボードを叩いて作ったかなぁ。必要な子に、必要なものをピンポイントで提供する。それが「秋ゼミ」のポイントであり、また、受験勉強においてはそうしたスタンスも必要であるというひとつのテーゼでもあります。最後に、今年度僕が担当します数学の「難関関数パワー解法」のテキストより1問。この講座は文字通り、難関校の数学・関数の問題を解く力をつけることを目的としております。「パワー解法」ってのは、この講座のテーマなんだけど、「気づき(発想)」による芸術的な解法や、それこそ、使いこなすのが難しい定理・公式、そういったものに一切頼らず、大半の問題はほんの2~3つの着眼ポイントで解けるここに要求されるのは正確な計算力だけ。たしかに、計算は長くなるかもしれないけど、それに耐えることができればまさに「チカラ技」で県立だろうが、S武文理だろうが、早稲田だろうが、解ける。↑ こんな風に、傾いちゃった二次関数のグラフの問題も「パワー解法」で解くことができます。ちなみに、かつてS武文理の入試問題でも、二次関数のグラフが傾いたことがあります「秋ゼミ」こと「入試実戦力養成講座」、今年度は、外部生の方の単科受講もお受けしております。kama
2014.09.08
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こんにちは、鎌田です昨日、愛夢舎は2学期の授業がスタートいたしました。昨日は、中学3年生全クラスの国語の授業がありまして、夏期合宿では、授業を担当せず、生徒たちを叱咤するばっかだった僕も久々に彼らに教科内容を教えました。選抜クラスの子たちは、まだまだ「合宿モード」が継続しているようで、授業の最初の「よろしくおねがいします」のあいさつがフロア全体にわんわん響くくらい、「バカでかい」に近いくらいの、やたらと大きな声で、思わず「・・・うるさい」って言ってしまったけど、それを指導したのもこっち側、いいじゃないですか、「合宿モード」がずっと続けば間違いなく、彼らの成績が右肩上がり♪さてさて、そんな昨日の国語の授業ですが、「明日への対策」というテーマで実施しました。明日9月7日は「第4回北辰テスト」。(北辰テストは埼玉県の中学生を対象にした会場模擬試験。 特に第4回以降の結果については 私立高校の入試相談の際の「資料」として扱われ、 文字通り、高校受験の合否に直結する重大なテスト。 以上、全国のみなさまに、カンタンにご紹介いたします)対象の方にとっては周知のとおり、今回から、北辰テストの出題形式が変わります。カンタンにいえば「県立高校入試」により近い出題形式になる。英数国の3教科で、その変化は如実であって、たとえば国語であれば県立入試本番により近い形式での「作文」が出題される。もちろん、明日が「新・北辰」の初めての実施なので実際のところ、どのくらい県立入試に近づいているのかは明日以降でないとなんともコメントできないけれど、サンプルの解答用紙などを分析するに、まったく同じとまではいかないけど、確かにこれまでの北辰テストに比べるとかなり「県立っぽさ」が増している様子。逆にいえば、これまでの北辰テストで、あまり芳しくない出来であったとしても、だからといって、「実際の入試の国語もできがよくない」ということには必ずしもつながらなかった。さらに、ここまで大きく出題内容が変わってくるといまさら残念なおしらせですが、第4回以降の北辰テストの練習をするのに「北辰テスト」の過去問を解くというのはあまりおススメできなそうでは、なにをすべきか。そりゃ、県立入試の過去問でしょう。ということで、昨日の授業ではちょっと古い(平成20年度)県立入試の問題をみんなで研究してみました。…と、ここまでは前置きです。すいやせん、長くなりまして。さて、県立入試の国語を攻略するにあたって、最大の難敵は「時間」です。県立国語は「時間との戦い」です。だいたいにおいて、埼玉県立高校入試に限らず、国語のテストというのは制限時間がキビシイ場合が多いですよね。大学入試センター試験なんかは、もう、いったい、そんなに焦って読解させることになんの意味があるのかはなはだ疑問に思うくらい。速読法でも身につけろというのか。長時間かけてじっくり読んで、熟慮の上で回答させる問題の方がよほど良いと思うんだけど、まあ、それは言っても仕方ない。近年の入試国語の問題構成は以下のとおり。(問題数は最も単純な場合)大問1.小説の読解 (5問。25点)大問2.漢字・語句・文法など (9問。22点)大問3.論説文の読解 (5問。25点)大問4.古文の読解 (4問。12点)大問5.課題作文 (13行~15行。16点)これを50分以内でこなす。はっきり言って、時間は足りません。僕自身が、これをすべてやろうと思ったら、確かに30分くらいで終わらせることはできるけど、それは「特殊」な解き方をした場合のことであってマトモにやったら、50分という時間ではギリギリ終わるか、終わらないか。そこで、高得点を確実に取る、「自己ベスト」を確実に発揮するためにはあらかじめ「戦術」を用意する必要があります。ほかの教科はともかくひとつひとつの難易度は決して高くない国語だからこそ、そして、そのできによって残り4教科の試験において、精神状態を乱されないことが大切な「1教科目」のテストであるからこそ「戦術」をもっていることは強みになります。これを書いているのは昨日、選抜クラスでは再度指導したんだけど(ええ、これまで何度か指導しています)一般クラスの子たちにも知っていただきたいというのと、後輩講師たちに参考にしてもらいたいという狙いゆえなんだけど、戦術・・・おわかりですね。「順番」です。昨日、選抜クラス10名の問題の進め方をつぶさに観察、記録しましてそれを彼らにフィードバックしたのですが、まず、大問1から入った子が6人、大問2からの子が4人。まあ、これはどちらでもいいです。「1⇒2」とすすめるか「2⇒1」とすすめるか、あるいは「3⇒2」でも「2⇒3」でもかまわない。決してやってはならないことが、ひとつ。「5.作文」を最初と最後にやってはいけない「作文」は減点法での採点となります。県立入試であれば16点。明日の北辰テストでは、おそらく10点の配点。これが「持ち点」です。漢字のまちがいや文法の誤りなどで10点や16点分、減点される人は、まずいない。言い換えれば、最後まで書けば7点以上、12点以上くらいの高得点が期待できる。ただし、制限字数を満たさなかった場合には即0点をくらっても文句はいえない。つまり、最後に作文に向かうことで「時間切れ」は、絶対にあってはならない。同時に、「最初に作文」もやめた方がよい。これは、逆に作文に時間をかけすぎることでほかの大問をまるごと解ききれないというキケンがある。僕の計算上、作文(県立入試)にかかる時間は8~13分。さらにいうと、大問2 ⇒ 5分大問4 ⇒ 5分。ここまでで、残り時間を計算すると大問1と3にかけらる時間はそれぞれ13分程度。これが、標準時間である。そして、13分以内で小説と論説文を、それぞれ熟読するにはかなり高度な「ワザ」が必要になる。そこで、理想的な解答順序ができあがる。細かいところはともかく、1.「作文」は、3番目か4番目に解く。2.最後に解くのは「小説」か「論説」。最後に「小説」か「論説」というのはもちろん、時間切れで解ききれなかった場合のことを想定しています。だとしても、1問5点程度の配点、作文に手を出せないという大ダメージを考えれば大したことない。なもんで「1⇒2⇒4⇒5⇒3」あるいは「2⇒1⇒4⇒5⇒3」という順序が最も多くの人が受け入れやすいかなー。昨日の様子を少し報告しますと、Oくん「1⇒2⇒5⇒3⇒4⇒3」で5分程度の見直し時間。「3⇒4⇒3」というのは論説の最中に時間が足りなくなることを予測して、一度古文にいった。「5⇒4⇒3」の順番なら、さらにスムーズだったかもね。Hくん「2⇒1⇒4⇒5⇒3」Mさん「2⇒3⇒4⇒5⇒1」これは、僕が提案したとおりのプラン。2人とも、最後の問題は1問くらい残ってしまったけどまあ、オッケーラインでしょう。Oくん、Sくん、Tくん「1⇒2⇒3⇒4⇒5」真っ向勝負の3人。Oくんは、残り18分の時点で作文に入れたのでよかったけど、Sくんは、作文に入った時点で、残り3分。。。Tくんに至っては、4番の途中で時間切れ。こういうキケンが伴います。今回、作文を最後に回した子のうちOくん以外の5人が残り10分以内で書かねばならなかった。これは、基本的に「アウト」です。…気がついたらもはや、中学3年生にしかわからないような内容の記事になっていましたまあ、いいや、たまにはこういう記事もアリ…かな。明日の北辰テストは県立より若干短めの「10行」作文(10点配点)が予想されています。みんな、国語のテストは常に「時間」を意識して!!kama
2014.09.06
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こんばんは、鎌田です愛夢舎は、ただいま休館期間となっておりますが、それは「おやすみ」でなくて、全スタッフが出張するからでして・・・。いよいよ、明日、愛夢舎最大の企画「夏期勉強合宿」に出発します。↓ こちら、今日の3階教室。毎年、この黒板を書くのは僕がやっています。ただ、この黒板は大学を卒業し、初めて入った塾を経営する会社において尊敬する先輩が創り上げたものです。僕は、いまだに当時のマニュアルを持ち、先輩のチカラをいまだに借りて、黒板を書いています。黒板に書くとき、一文字ひともじ、大切に、想いをこめて、何十分もかけて、仕上げていきます。(ホントは、写ってない、右の黒板にも 別のことがしたためてある)その割に、上手ではない字でございますが、それぞれに僕の想いがこもっております。ウチの合宿については今日はもう、うんぬん書きません。もしご覧になりたい方はこちらの記事あたりから、探ってみてください。今日は、参加スタッフが集合して明日の準備をしていたんだけど、打ち合わせと確認をしていたとき、児玉先生が、自身が生徒として参加したときのあるエピソードを語り、それは、7年前のことであるけれども、もちろん僕も昨日のことのように覚えているわけなんですが、「あの日が、自分の人生が変わった日でした」と。わずか5泊6日の合宿ではありますが、実際、この合宿で「人生が変わった」という感想を持つ生徒は少なくありません。今年も、そういう合宿をみんなで築きたいと思っています。塾で明日の準備を終えて、自分たちの荷物の準備のために近くのドラッグストアに行くとやはり明日の準備でお母さんと一緒に買い物にきている生徒たちに会いました。「先生も明日の準備なんですね!」ええ、我々もこれから自分たちのしたくです。ただし、僕らが買っていたのは栄養ドリンクであったり、クスリ類であったり・・・。↑ こちら、先生用の行動予定表の一部です。先生たちのスケジュールも1分単位で細かく定めています。すべてを計算しつくし、一分(いちぶ)の隙もないほど完璧に仕上げた「合宿」。それを実行する我々スタッフは文字通り、「命がけ」です。若いスタッフには悪いけど。「命がけ」で、生徒たちを導きます。ただし、合宿の主役は生徒たちです。主役である生徒たちが自分を再発見し、勉強・受験・人生について、新たな価値観を勝ち取り、そして、ひとつの指標ではあるけれどもあくまで表面的である「成績」を上げる。主役たちが思う存分活躍できるよう支え、導き、叱咤激励する我々は「協力者」であると同時に我々も、「合宿参加者」です。今年も、全員で達成してまいります。そのために、僕らはたった今から「鬼」になります。ご存じですか?仏教の教えにおいては「閻魔(えんま)」は「地蔵菩薩」と同一なんですよ。では、行きます!!kama当然のことながら、しばらくは当ブログの更新はできません。ただ、現地志賀高原の写真くらいはFacebookでアップできると思います。もし現地の空気感を知りたいという方はそちらも見てみてくださいな。
2014.08.24
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こんばんは、鎌田です愛夢舎の夏期講習会は昨日(8月22日)で終了いたしました。生徒のみんな、本当におつかれさまでした。ウチの講習会(夏・冬・春)、最終日は「確認テスト」を行います。なにせ、ひと月前からはじまった講習会。授業日だけでいえば全14日間だけど、その実施期間はかなり長いわけですよ。ひと月前のこと・・・・・・いや、昨日のことをどのくらいできるようになっているかっていうのはどうしても気になりますわな、フツーなら。それに、ここは誤解を恐れずはっきり書きますけどね、授業・講義っていうのはあくまでも「パフォーマンス」なわけですよ。「勉強したい!!!」っていう意欲に満ち溢れてる子は塾に通う必要はないでしょう。もちろん、「勉強したい!」と思うからこそ塾に通うわけだけど、でも、本当にその意欲に満ち溢れてる場合、その子は、自分自身で自分が学びたいこと、学ぶべきことを見つけて、そのために教材が必要なら本屋さんで探すでしょう。だからね、塾に通ってくれる子っていうのは「勉強しなきゃ!」な子だと思うんですね。わかりやすくいえば「勉強・・・やりたくないなぁ・・・ ・・・でも、やんなきゃいけないんだよなぁ・・・。」って子。つまりは、できることなら「ツライ勉強はしたくない子」だと思うんです。そこでね。「授業」っていうのはそういう子たち、勉強は、できればしたくないけど、でもしなきゃいけないと思っている子に対して「あ、これなら 勉強、できるような気がする!!」ってそう思ってもらうためのパフォーマンスであると僕はそう思っています。ええ、はっきり言いますよ。僕の授業を耳から入れるだけでは成績はあがりません。僕の授業を聞いて「これならできるかも!!」って思ってもらって・・・・・・それで、自分自身で、問題に向かい合って、「やってみよう!!」って思って挑んでもらって、必要なことを「覚えよう!!」って思ってもらって自分自身でチカラをつけるべく、演習を行う。これが、「成績が上がる」行動だと思っています。つまりは僕らの「授業」は「成績を上げる」授業ではなくて彼らが「成績を上げる」ために必要な「やる気」を生み出す授業であります。だから僕らは「授業」というのは「麻薬」みたいなもんだって、言ってます。夏期講習会は、そこそこ長い期間で行いますからそして、毎日毎日「授業」があるから、そりゃあ「できるようになった!!」ってそう錯覚する子も少なくないでしょうね。でも、本当にできるようになったかどうかは実際に試してみないとわからない。ウチは、「できるような気がしてきた!」っていう子を育てたいのではありません。「できるようになった!!」っていう子を育てたい。だから、講習会の最後には必ず「テスト」を実施します。そして、その前日には必ず「復習日」をもうけて「できる」を定着させています。これ、ウチでは当たり前のことなんだけど・・・・・・当たり前ですよね???自分たちが授業をおこない、自分たちが面倒をみてきた子がちゃんとできるようになっているかどうかそれを、彼らが自分で把握できるように最後にテストを行うというシステム、これ、当たり前ですよね???成果をはかることなく授業をするだけして、やりっぱなしっていうのは「麻薬」を打つだけうってその結果については責任を負わないという無責任の表れだと思っています。でも、子どもたちは、やっぱり「テスト」という名前に、過敏に反応します。「テスト」はやりたくない。当然のことです。だから、ウチでは「テスト」を「イベント」化しています。↑ これは、中学2年生のテストの結果発表の様子。名称としては「成績優秀者発表」といいます。文字通り、テスト結果が優秀であった子を全員の前で発表してみんなで拍手をしてたたえます。オトナもそうだけど、誰だって、ほめられればうれしいじゃないですか。そして、他の誰かがほめられているのを見るとくやしいじゃないですか。これって、「やる気」の、一番わかりやすいカタチだと思うんです。優秀者として拍手を受ける子はその快感を味わい、「やった!!!次もがんばろう!!!」って思ってほしい。拍手する側に甘んじた子は「くっそぉ~~。 みてろよ!次は僕が拍手されるんだ!!」って・・・・・・チカラいっぱい拍手しながら思ってほしい。(だからこそ、 ウチでは、一生懸命「拍手」することも指導しています)そして、何度か講習会に参加した子は最後にこうした「イベント」があることを知っているから前日の「復習日」の時間の使い方が変わってくる。それって、受験に向けて、勉強時間の使い方を考えるようになった、そういう風に思えませんか。これが、ウチの講習会の大きな成果のひとつであると思っています。・・・ところで、ふだんは、いかにして「テストでいい点数をとりたい」って思ってもらうか、いかにして「できるようになりたい!」って思ってもらうか、そこにいろいろな仕掛けを施したりして指導しているわけですが、「いい点数を取りたい」と、思うようになる、それはもう間違いないことなんだけど、そして、だからこそ偏差値が10も20も上がったりするわけなんだけど、・・・その一大イベントがあさってに迫ってまいりました。僕も今日は少しお休みをいただきましたが、明日の準備を含めて、いよいよ始まっています。ちなみに、これは、書いていいのかどうかわからないんだけど、でも、生徒対象説明会のときにはっきり話していたので、まあ、いいか・・・。塾長佐々木にとって今回が「最後」となるかもしれない。夏期勉強合宿、25日の朝、出発いたします。kama
2014.08.23
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こんばんは、鎌田ですそういうわけで、引っ越し準備中の鎌田です。もうね、何十年も独り暮らしをしてるとやたらと荷物ばっかり増えるですよ考えてみたら僕、高校卒業して18歳で上京しまして以来、大学の寮→近くの下宿→都内東長崎のアパート→ひばりヶ丘のアパート→入間の1Kアパート→入間の別のアパート→今のマンション・・・・・・と、7か所ほどを移り住んできたんですわ。荷物も、引っ越しのたびに捨ててたつもりなんだけど、世界人口のように、減ってるようでも全体としては増え続け・・・。しかし、次の引っ越し先はおそらく僕にとって「終の棲家」となるだろうから今回は、かなりの「断捨離」を決行してるつもりであります。そんな中、処分に一番苦しんでるのが「本」でございます。服とか食器とか、そういうのはあんまり躊躇することなく処分できるんだけど、「本」に関しては、かなり迷い迷い・・・でもそれを振りきって「えいっ!!!」って処分しております。実際、何年も、あるいは何十年も読み返すことのない本なんだけど本というのは、ある意味僕の「人となり」を築いたものであるし大げさに言ってみれば僕の「歴史」でもある。だから、「・・・これか・・・ これは、処分する前に、もう一度くらいは読んだ方が・・」とか思ってしまい・・・しかし、今回は「いやいや、どうせ読まないよ、うん。 ありがとね。 さよならっ!!!」って、箱に収めていくという。・・・なかなかツライよね、これ。でもでも、実際問題としてね、それらの本をとっておいたとすれば僕はまた彼らを手にして読むだろうけといえば、まあ、読むこともあるかもしれないけど、それって、言いかえればいつまでたっても「旧い自分」を築いたものにすがるっていうことでしょう。確かに、僕は多くの本によって今の自分になりました。そして、その自分をそんなにキライではない。そうすると、多くの本たちもキライでないし、だいだいにおいてどーでもいい本は、これまでバンバン捨ててきた。でもさ、ここで「本当に必要なもの」を考えてというのは今後の人生においても欠かせないものだけを残してそれ以外は捨て去るそれは、僕の人生に「すきま」、「余裕」を作ることにもなるんじゃないかなー。何年か前、職場のアドレスに届く、自己啓発系のメールマガジンにこんな感じのくだりがあった。「たとえば、クローゼットが古い服がいっぱいだったとします。 それぞれ、みんな愛着のあるものです。 しかし、古いものでいっぱいにクローゼットには もう、新しい服はかけられません。 もしあなたが、古い服を捨てれば そこには隙間ができて 新しい服を入れることができます。 どちらがいいでしょうか。」「古いものは捨てましょう。 捨てるというよりは それを欲している次の方に 喜んで譲りましょう。 自分が着なくなった服、 それにしがみつくことはありません。 自分が必要としないもの、 自分に不要なもの そんなものを必要としてくれている ほかの人に譲ってあげましょう。 そうすることで あなたのクローゼットは 新しいもので埋め尽くされていきます。」・・・なにせ、何年も前のことなのでだいぶ言葉が変わってしまっていると思いますが要するに、こういうことが書いてあったと思います。僕はそのときガツンとやられた感じでしたよ。そっか!!そうだね!!新しいものを得るには古いものは捨てるのは当たり前だね!!ということで、今、僕はこの20年以上僕の本棚を埋めてきた「愛蔵書」をほかの方に譲るべく処分を進めておりますです。今回は、ゴミ捨て場に並べるのもどうかと思ったので、近くのB●●KO●Fに持って行っています。正直、本を売りに出すのも、今回が初めてのことでした。↑ こちら、第一弾。まずは様子見で50冊。これは400円弱になりました。一番手前に映ってる「エクリ」っていうのは現代思想家ジャック・ラカンの著作で定価5600円!!・・・これが・・・ゼロ円になりましたwww学生時代に前作読破した横溝正史も、9割方処分。・・・それでも、「八ッ墓村」とか「犬神家」、「悪霊島」など名作は手元に残してしまうあたりまだまだ断捨離精神が充実しておりません><↑ こちら、2回目の30冊。シドニィ・シェルダンは「ゲームの達人」が話題になったころから愛読してたんだけど、ご本人もお亡くなりになって、だからこそ、手放すのも惜しい気もするけど、「えいっ!!!」って持って行きました。岩波文庫の「青」もほとんど処分です。「青」は、哲学・思想・人文書。学生時代に買いまくっていたシリーズです。ハイデガーとかソクラテス、プラトン、セネカ、ショーペンハウアー、カント、ロックなどなど・・・ぜんぶ断ち切りました・・・と言いたいけど、やっぱり、デカルトとニーチェは手元に残してしまった。。。次回のB●●KO●●訪問ではまた何十冊も持っていくつもり。こうして、新しいモノが入る隙間を作ることで僕はまだまだ成長できる、新しい人生に迎えると信じます。・・・ところで、1回目の売却は50冊で400円ほど。2回目は、30冊で700円ほどになりました。もともと、ゼロ円でもいいやと思っていたので、むしろ、お金もらってひきとってもらえるというのはありがたい。・・・けど、基準がわからなかった。なんで5600円のエクリが0円で、僕が大っきらいな、比較的新しめの本が150円だったのか。2回目のときに店員さんにきいてみました。「えっと。。。 まあ、やっぱり『保存状態』ですよね。 たとえば、こちらの本だと このあたりにシミがあったりして なので値段がつかなくて・・・」なんだか「なんで金にならないんだ!」ってゴネる客に思われてる感じだったのであわてて「ああ!!いいんです、いいんです!! なるほど!!本の内容とか、売れ筋とか そういうんじゃないんですね!! いやいや、いいんです、ありがとうございます!」って、遮ったけど(実際、お金目的じゃないからね~)なるほど、この手の大規模古本屋は内容とか希少価値、そういうのはまるで考慮しないのかな。となると・・・。コレは絶対に売らんぞ!!↓とある楽譜。↓ こちら表紙分かる人はわかる。知らない人にとっては無価値。販売当時の定価は1500円。今現在の時価55000円・・・。(ヤフオク調べ)これだけは、0円とか100円では譲れない!!カンベン!!!!kama
2014.08.17
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こんばんは、鎌田ですお盆休みの方が多くいらっしゃることと存じます。みなさま、いかがお過ごしでございましょう。こちらでは事後報告になってしまいましたが、愛夢舎も、11日から18日の期間、休館期間をいただいております夏期講習会第4期は19日から始まります。さてさて、そんな今日このごろ、ウチの先生たちも、きっとあっちに行ったりこっちに行ったり・・・。僕の知る限り、お墓参りに行った人が2人、今、釣りをしてる人1人www家族で温泉に出かけた人1人・・・。・・・あとは、しらん。。んで、僕はというと、相変わらず入間におりますよ。でも、やることがなくて留まっているのではなくて、これはこれで、なかなか忙しい日々。正直言うと、忙しくて実家にすら帰れない、といや、仕事ではないです、あくまでプライベート。毎日まいにち、やることが満載で、今日はいくつかの業者さんとお会いしておったのですが昼すぎには、↓ こちらの業者さんがおみえなりました。・・・まあ、詳しくは書きませんよ。全部落ち着いたら、いろいろご報告するつもりでおりますけどこの段ボールをもらうのは今回が2回目です。去年の春先に初めてもらった。そのとき、見積もりにきた担当の子はまだ新人だったらしくて「今回が、初めてのワタシひとりでのご訪問なんです!!」って、汗だくで一生懸命だった。その一生懸命さと安くあげようとがんばってる姿が気にいって、彼の会社に任せたのであった。1年半ほどたって、また見積もりをお願いすることになって今日、訪問の時間の確認で電話が鳴った。「もしもし!!鎌田さんですか?! お久しぶりです!!●●です!!!!」彼だった。数十分後、ひとりでやってきた彼は1年前と比べると、だいぶ恰幅がよくなっていた。でも、相変わらず汗だくで一生懸命、元気よく話す。「鎌田さんって聞いて、もしかしてと思って。 忘れるわけがありませんよ! ああ、そうでしたね、前回もこの本棚とかピアノとか ありましたよね! ああ、これは前回なかったヤツですね!!」正直いえば、彼から電話があるまでは僕は彼の名前も忘れていた。電話で、元気よく彼が名乗ったのをきいて、「ああ!!!」って思いだしたのだ。しかし、彼はこの1年半ちかく、忘れたことがなかったと言う。僕の目の前で見積もりを出して、その確認で会社に電話するときも「ええ!前回もご利用いただいた方なんです。 今回、他の業者さんも推薦されたようなんですが、 ウチがよかったからっておっしゃっていただいて・・・ ・・・ええ、ええ、そうなんです、 だから、できる限り勉強させていただきたいと、 ええ、ええ・・・ はい!!!ありがとうございます!!!!」って。。。彼の言うところの前回利用の「お客様」としての最大限の値引きをしていただいて、今回も彼に任せることにしました。さて、何が言いたいかといいますと。。。さっきの写真をみてまた、僕の書いた内容をお読みになって「バカだなぁぁぁ~~っ!!!」って思っている方がもしかしていらっしゃると思うんですよね。彼は、僕の目の前で見積もりを出したわけなんだけど、それって、1年の経験を積んだとはいえたかが1年の社員が自分の権限で決済できるようなことじゃないでしょ、フツーに考えたら。つまりは、最初から設定料金がそっちであって値下げ感・安い感を演出するために最初は高めの「定価」を提示するんでしょう。実際、こちらの会社さん、口コミをみると賛と否が両極端。「賛」の方は、サービスや一生懸命さで「賛」。「否」の方は、料金であるとか、逆に一生懸命すぎる営業態勢、料金の中でも、初期設定がおかしいとしか思えない値下げの幅について。そういうのが多いようです。さらに、客の前で上司と相談の電話をかける。これまた、うまくできた「仕組み」ですよね。今回、よそさんとの相見積もりはとらなかったので実際のところ、最終金額が高いのか安いのかわからないけど・・・。・・・僕にとってはそれはどーでもいいっていうハナシです。少なくとも、彼は今回も汗だくでやってきて一生懸命説明してくれて僕の前で、一生懸命上司に電話してくれて、それで最大限の値下げをしてくれました。僕は、今回もそんな一生懸命な姿が気にいって「うん、●●さんに今回も任せたい」っていう気持ちになりました。仮に、万が一にもそれらがすべてマニュアルであってすべてがマニュアルに従った彼の「お芝居」であったとしても、です。どっちがいいかっていうハナシですね。「どうせ、それははじめから決まってる金額なんだろ? なんなら、もっと安くできるんだろ? 全部、仕組まれたブラフなんだろ?」って疑念をもってその人をみるか、もしくは「一生懸命やってくれて、ありがとう!!」って、騙されてるかもしれないということを考えずに気持ちよく「よかった」って思うか。人を疑い、細かいところも見逃さないという気持ちで値引きさせるか、その人を信じて、金銭的には少々損してるかもしれないけど気持ち的に得をするか。・・・まあ、状況や金額、買い物の内容に寄りますけどねww僕は、このくらいのことであれば気持ちの得を優先しました。・・・だから、親なんかからは「お人よし!!」って言われちゃうwwでもね、何にお金を払ってるかっていうと、僕は、実費に払ってるというよりかはその人に払ってると思っているのでなにより、そこが肝心。ちなみに、そののち今度は別の方とお会いして2時間ほど別件について商談してたんだけど、それについても、商品内容とか金額以前にその方にお金を払いたいと思っていたから。お金を使うというのはこっちの懐事情だけを考えると嬉しいわけがないんだけど、こうして「人」にお任せしているお任せできる「人」と出会えたという風な考え方になると決してイヤなものでもなくなるもんです。kamaP.S・・・ってなことを書くと「鎌田はお人よしだ!カモだ!カンタンだ!!!」って思われるかもしれませんね。ちなみに、今また別の業者さんに対してはものすごい剣幕で争っております。ダメなものはダメ!P.P.S・・・というわけで、引っ越しするです、僕ww
2014.08.14
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「大声を上げると、勉強できるようにならない。」たとえば、ここに買ってきたばかりの食器洗い用の、フツーのスポンジがあります。ペリペリってラッピングをはがし、ひとつ取り出して、シンクの蛇口の下におき、水をジャーってかけるとどうなるか。水は、しみこみませんよね。スポンジに水をしみこませるにはまず、ギュッと握ることが必要です。ギュッと握って、それをゆるめながら水をかけていくとスポンジは、どんどん水を吸い込んでやがて、さっきのようにジャーって水が落ちるようになった頃にはスポンジはぱんぱんに水を満たし、重くなっている。人のアタマは、スポンジのようなもんだと思っています。ただ、スポンジと少し違うのは単に「すいこむ」だけではなくて同時に「すいこんだ水を回転させる」こともしている。言いかえれば「知識」を蓄えていくことと「アタマの使い方(=論理力)」を発揮すること。「勉強する」というのは「しみこませること」と「回転させること」の練習をすることだとそう思っています。(できるだけ、スポンジで想像してお読みください)ただし、受験生にとっては「回転」よりも、まず「しみこませること」が大切です。しかし、新品のスポンジは、そのまま「水」をかけても吸収しない。まず、ギュッと握ることが必要です。これが、愛夢舎の授業の最初に必ず行う「静座」です。1分間、目をつむって、静かに座る。それだけの行為だけど、だから僕は、静座の「仕方」によって授業の効果・意義・意味が全然ちがってくると生徒たちに説いています。60秒きっかりの静座だからアタマの中で「1・・・2・・・3・・・」って数えて先生が「静座、やめっ!」って告げたときどれだけ60に近くカウントできるか、そんなことをする生徒もいるでしょう。また、目をつむっているときに、隣に座る子のようすを探ろうとする子もいるでしょう。こっそりと「音」をたてて、空気を乱すことを楽しもうとする子もいるでしょう。すべて、彼らの「アタマの中」で行われていることだからなかなか見てわかるものではないけれども、僕は、お坊様ではないがフツーの人の平均値と比べると、だいぶお坊様寄りだと思うので残念ながら、彼らのアタマの中で何がおこっているかだいぶわかってしまうwwwこういう静座は、まったくもってギュッとできていない。一方、正しく静座をし、ギュッとできた子は目を開けた瞬間からどんどんどんどん「水」を吸収し授業終了のときには素敵な水をぱんぱんに蓄えることができる。その効果の違いは、2倍や3倍ではきかない。正しい静座のしかたを教えてあげるには2~30分の時間が必要です。だから、普段の授業では、なかなかできない。なので、夏期合宿のときに時間が許せばそのときに教えることにしています。さて、愛夢舎は、ただいま夏期講習期間です。中学3年生は午前10時に集合し、さまざまなテストやプリント、テキストを使って3時間、演習を行います。お昼ごはんをはさんで、午後1時半からは3教科・3時間の授業。そして授業後は復習のために2時間の演習を行う。およそ8時間の勉強を毎日毎日している。(夕方以降も残って勉強する子は 10時間以上の勉強時間となる)ところが、それだけの勉強をしながらこれをムダにしてしまっている子が少なくない。これ以上含めないほどの水を含んだぱんぱんのスポンジ。そのスポンジから、一気に水気をきる方法がありますよね。もう一度、ギューっと握ることです。握ることで、蓄えられた大切な水はジュワ~って出ていってしまいます。実は、昨日中3生の休憩時間や昼食時の過ごし方をみた結果として、2つのクラスで、このスポンジのハナシをしました。彼らは、1日8時間もの勉強をし「スポンジ」は「水」でぱんぱんになるはず。それは、素敵な素敵なスポンジです。受験に向かっていくにあたって宝物のような、素敵な「水」を吸い込んだ本当に素敵なスポンジです。そのスポンジを握りつぶし、水をバシャ~~ッて出してしまう行為。それが「大声を上げること」です。彼らは、休憩時間になると教室を出てスマホをいじる。また、昼食時には大声を上げながら楽しく過ごす。爆笑の渦です。休憩・食事時だから、いいじゃないか?いえいえ、これがとんでもなく「もったいない」行為です。人が「大声を上げる」という場合同時に、気持ちも解放されるもんです。(おわかりだと思いますが、 「大声」という「態度」は、つまりは「気持ちのとぎれ」のことです)せっかく何時間もかけてじわじわとしみこませてきた宝物のような「水」。それを、休憩時間に大声をあげるという行為に象徴される「とぎれ」でバシャーッと流してしまっている。たとえば、バケツにいっぱいいっぱい、縁すれすれまでに水を蓄えたとしてそれを運ぶとき、人はどうなりますか?いや、こぼしたくなければ、どうしますか?そろりそろりと歩くでしょう。大声を上げるわけがないでしょう。できるだけ、余計なことはしないようにとするでしょう。まったく同じことなのです。受験生は、何時間も何日もかけて素敵なスポンジを、素敵な水でぱんぱんに満たしていきます。でも、スポンジもそうだけどなにもしなくても水気はどんどんなくなっていく。下の方から漏れていったり、蒸発していったりします。(忘れてしまう、ということです)これは、大切で大切で、貴重でまさに「宝物の水」なんです。だって、彼らが、今の人生の3分の1を費やして蓄えた水でしょう?それを、「あっ!授業が終わった!休憩だ! おい、●●!!昼ごはん、なに食べる~っ?!!!」って・・・どうして、素敵にふくれあがったスポンジを自分自身でギューっと握りつぶしてしまう?「今、ボクのスポンジはぱんぱんに膨れ上がった。 少しでも、この水を逃がしてなるもんか。 そーっと、そーっと・・・」いいですか。受験生が何時間もかけて勉強した結果そこには、本当に本当に宝物の、素敵な素敵なスポンジができあがります。今、目の前にこれ以上は水を吸収できない、水で満ちて、重くなったスポンジがあります。この水を、一滴でももらさないようにそーっと、そーっと、大切に、大切に運び、保持したい。大声を上げてさわぐ、気持ちの糸を切る、それは、僕にとってはこれ以上ないほど「悲しい」、自虐行為です。どうして、せっかくの人生、せっかくの財産せっかくの「水でぱんぱんのスポンジ」をみずから台無しにしてしまうのだ。だから、ウチの夏期合宿は廊下での一切の私語を禁止しています。自由時間中の大騒ぎも禁止です。合宿では、毎日「確認テスト」があります。2時間の授業と1時間の自習、その成果をはかるために臨む「確認テスト」。それに向けて、受験生たちは、スポンジをぱんぱんに満たし、もう吸収できないだろうというスポンジにさらに水をかけてもっと多くの「水」を吸い込ませようとする。それだけがんばるのに、どうして「おしゃべり」なんていうカンタンなことで素敵なスポンジを台無しにしてしまうのか。それは、間違った行為である。悲しいことである。だから、おしゃべり、禁止。これが、合宿の基準です。・・・というスポンジのハナシを昨日生徒たちにしまして、さぞかし分かりづらかったかな・・・と思ったんだけど、僕の次に授業を行った牧先生が「静座のときの空気が違いました」と教えてくれた。彼らは、自分のもっている素敵なスポンジの大切さをわかってくれたようです。kama
2014.08.03
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こんにちは、鎌田ですただいま、愛夢舎は「夏期講習会」実施中でございます。我々も、朝から晩まで授業⇒授業⇒授業・・・でなかなかブログを書くタイミングがとれませんです。1週間以上のご無沙汰でございました昨日から8月でございます。昨日、8月1日は我々、武蔵藤沢人にとっては「記念すべき日」でございました。↓ こちら、昨日のセンセイたちのおひるごはん。「天丼てんや」のテイクアウトのお弁当。そう、昨日は武蔵藤沢に初上陸した「てんや」が開店したのでございます(…1週間ぶりのブログで 「てんや」のハナシかよ…ハイ、ソウデス)「てんや」開店のウワサは、公式発表のだいぶ前、たぶん、半年ほど前にキャッチしました。で、以来、愛夢舎では「『てんや』は、いつできるのか?」という話題が続いておりました。実は、ウチのセンセイたちほとんどが「てんや」に行ったことのない人たち。毎日、近くで買ってくるお弁当にもいい加減飽きてしまって、なんか新しいのができないか、と思っていたところに「初」の「てんや」オープンの情報。僕は僕で、多くのファストフード店の中でも「てんや」はかなり好きな方。大学生の頃には、学校からの帰り道に「てんや」に寄り、新宿や銀座で働いていたころは3日に1回くらいは「てんや」でお昼ごはん、営業回りをしてたときも「てんや」があったら、天丼ランチの可能性がかなり高まり、今でも、池袋とか都内に出かけて、おなかがすいたときに「てんや」があったら入る。なもんで、昨日の「てんや」オープンを最も期待して待っていたのはたぶん、愛夢舎です武蔵藤沢…っていうか、入間市で初めてとなる「てんや」。地元の方も、珍しいもの見たさゆえか、昨日はオープンから閉店までものすごい混雑だったようですよ。なんなら、お弁当を買うのに大行列…僕らも、お昼ごはんにオープン初日の「てんや」の天丼を入手し、数ヶ月来の悲願を成就しました。…ところがこのタイミングを逃したのがこれまた、数ヶ月も前から「楽しみですねぇ!」って言ってた児玉先生オープン日をすっかり忘れていたそうな。なんとしてでも食べたい!!そこで、仕事が終わったら閉店まぎわにはなっちゃうけど、「てんや」に食べに行こう!!!僕と石塚さんはお昼も夕食も「てんや」になるけど、「てんや」は大好きだから、構わないのだ。石塚さんも、「てんや」初体験組だから1日2回食べたって、どうってことないのだ。それに、お弁当だとどうしても天ぷらが「じわっ」としてしまうけど、お店ではさっくりした状態でいただけるのでお店まで行った方がいいのだ。さらに、エビが食べられない大美賀先生も「てんや」でエビに挑戦したいって言ってるからそれはそれでいいのだ。で、22時30分のオーダーストップ10分前に4人でお店に流れ込んだのだ。天丼だ、天丼だ。ところで、児玉先生は「てんや」初体験ではないけど、「てんや通(つう)」でもない。いったい、なんの天ぷらが一番おいしいのか。気になるではないか。それに児玉先生は大食いでもある。仕事おわりでおなかもすいていて、フツーの量では足りなそう。そして今日は記念すべき入間1号店オープン日だ。記念日だ、記念日だ。お祝いだ、お祝いだ。ということで、オーダーしました。僕は、天丼と小そばのセット。聞けば、今はアナゴのトッピングもできるというからそれを追加。おそるおそるの大美賀先生は無難に天丼の並。石塚さんは、小天丼にやはりアナゴと、それからキスのトッピング。で、児玉先生。「えっと、 オールスター天丼の小そばセット。 …それから、 このオールスター天丼に 乗っていない天ぷらを 全部。」 「はい、ぜん・・・全部?!」今日が初日で不慣れな店員さん、不慣れな中にヘンな注文をする客にとまどう。。。実は、「てんや」に向かう前に「『全部乗せ』をやってみたら、おもしろそうだ」って話をしてまして、いってみれば愛夢舎チャレンジ部。 (↑ 本家へのリンク)でもまさか、ホントにやるとは思わなかった。店員さんも、メニューを見ながら手元の機械を操作する。「オールスター天丼と…全部・・・ですね?」「はい、そうです」「全部…えと、メニューに載ってませんが、 今なら「アナゴ」もトッピングできますが…」「それも、おねがいします」「…えと、乗り切らなかった場合には 別のお皿でのご提供になりますが、 タレをかけてお持ちしてもよろしいですか…」「それで、おねがいします」「…えと、オールスターには 「大イカ」が乗ってるんですが、 それとは別に「イカ」もあるんですが…」「それはいりません」こうして、ほかの3人のヤツがとっくに届いてるのにひとつだけ、かなーり待って・・・さらに、やっぱり別皿になっちゃった天ぷらをご丁寧に、ぜんぶどんぶりに乗っけて・・・できました。「てんや」の天丼、全部乗せ ↓おおー、これは……ごはんにたどりつくのが大変そうだねぇ・・・。児玉先生はうれしそう♪これで、ようやくそろったのでいただきまーす。…って、デカ盛りの有名店「古都」で大食いには慣れている児玉先生、あっという間にペロリと完食です。で、どの天ぷらが一番おいしかった?「マイタケですかね…あと、インゲン」エビではなかったようだけど、僕も「てんや」のマイタケ、大好きです。…なんだ、この記事kama伝票がさぞかし長くなって写真とったらおもしろいだろう…って思ってたら案外たいしたことなかった。追加トッピング、全部で7つだもんね。全部で天ぷら13個。「全部乗せ」、ピザーラのピザあたりでやったらそれはものすごい壮観なんじゃなかろうか。でも、値段もものすごくなるんじゃなかろうか。うーん、ピザーラの全部乗せ、見たいけど・・・。・・・大美賀先生、わかっとるね~~~ww
2014.08.02
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こんばんは、鎌田です明日、16時より「英単語・熟語速習会」が開催されます。このイベントの詳細については先日書きましたこちらの記事からどうぞ。生徒たちから「魔城だ、魔城」とあだ名で呼ばれるこの企画。英単語450個を6時間以内に覚えるというれっきとした勉強企画でありながら、「リアル脱出ゲーム」の要素を大きくとりいれ、感覚的には「謎解きゲーム」に近いものとして受け入れられているようです。今回のエントリー人数は合計25名。うち、23名が450単語の「フル・バージョン」に挑戦です。(2人の2年生は150語のタイニーバージョンにチャレンジ)昨年度、このイベントの進行状況を誰も見てないだろうな、と思いつつ、twitterで実況してみたんですが、なんと、「実況、おもしろかった」という生徒もいた。彼は今年はチャレンジャーとして参加するんだけど、そか、おもしろくみていただける方もいるんだ、ってことで、今年は、FacebookならびにTwitterで実況中継をいたしますよ。(何度か書いてますが、 愛夢舎のFacebookページ、Twitterページが ちゃーんと存在しています。 どうぞ、あわせてご覧くださいませ)去年、新バージョン初となる2名の完全制覇者が誕生しましたが、今年はどうだろうね。…僕のカンだと完全制覇は4人・・・かな?明日の実況、おたのしみに!!kama↑「魔城」っぽい愛夢舎の写真。
2014.07.17
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こんにちは、鎌田です「はりもの」です。「貼りもの」です。「腫れもの」ではありません暑くておかしくなってるわけではありません。ちょっと、ウチのご紹介をしようと思いまして。ウチは、よその塾の先生方が見学にいらした際に「圧倒されました」とおっしゃるほど「貼りもの」が多いんです ↓これ、自習室を外から眺めたようす。…まあ、多いっちゃあ、多いですかね。新しい「貼りもの」をする場所に困って、もう天井しかないんじゃないか、って思うことがある。そして、上の写真の左の方、ホワイトボードには、いま、こんなものが貼ってあります ↓こちら、中学校の定期テストで優秀な結果を残した子たちの「殿堂入り」の証です。ウチでは、新校舎に移った頃から「定期テストの殿堂」を設けています。こちらが、「殿堂」↓トロフィーの山です最初の子が2009年の頃なんだけど、もうこの壁は、いっぱいいっぱい。だから、これについて本当に「天井案」が出ている(さすがに見上げたらトロフィーってのも落ち着かないので まあ、なんとか考えますよ)殿堂入りの条件は3つあります。5教科合計で450点以上を取った子、いずれかの教科で100点満点を取った子。毎回の定期テストの結果でトロフィーを「授与」するので、たとえば、100点満点を2枚もってきて、そしたらその子は結果的に450点を大きく上回ることにもなって、1度に3枚のトロフィーって場合もある。もちろん、こうした貼りものをすることで本人は次もがんばろうというやる気につなげ、また周りの子は、「次回は自分も殿堂入りを!」というやる気につなげる、そういうことを願っているわけですが・・・殿堂入りの条件の3つ目、僕が一番好きなトロフィーはこちらです ↓前回のテストから5教科合計得点で100点以上の得点アップを果たした子。これはねぇ、なかなか出ないトロフィーですよ。だって、ふだん400点以上を取っている子は絶対にもらえないからね。何年か前のことだけど、3年生の夏にウチに入って、2学期中間テストで、いきなり100点アップトロフィーを取った子がいた。(145点アップ)同じ子が2学期期末テストでもう一度100点アップトロフィーを取った。(101点アップ)これが愛夢舎史上、最大の得点アップだと思う。2回のテストで、合計246点アップ。結果として彼は450点トロフィーにせまるような成績になったんだけど、なにせ3年生だったから、これでおしまい。1回のアップ率でいえば155点というのが最高値。(旧校舎の頃に、182点っていうのがある)もちろん、100点以上上がるというのはそれだけ本人に「のびしろ」があったわけで、悪い言い方をすれば、それまでどんだけサボっていたかということでもある。でも、ここにおいて「今までやる気がなかった」とか「不真面目だった」、「真剣じゃなかった」、「サボっていた」とかそういう言及が、当てはまらない子が意外と多い。実は、本人はごくごくマジメに勉強にとりくみ、いい点数をとりたいと思い、真剣にテストを受けているという場合が多い。でもとれない。ここに「とらわれ」があります。そういう子がいきなり100点の得点アップを果たす。価値観がガラッとかわります。「やる気」ではなく「価値観」が変わる。たとえば、自分にとっては夢のような点数だった80点がフツーか、もしくは少し悔しい点数になる。この「価値観」を変えるということこそ成績アップの最大のカギだと思っています。今回も、いくつものトロフィーが並びましたが、久々に出ました、100点アップトロフィー。これでまた価値観を変える子が現れるかも、と思うと嬉しくなっちゃって、ご紹介がてら、こんな記事を書いてみました。kama
2014.07.15
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…いや、行けないんですけどね↓こちら、今日の自習室。割とすいてます。っていうか、いるのは高校生だけ。中学校の期末テストが終わったばかりなので中学1~2年生は、なかなか自習にやってきません。受験生である中学3年生は実は、4階で模擬試験を受けています。…が、それもほんの数名。ほかの受験生たちよ、どこに行った?!…京都に行ってますはい、藤沢中学校の3年生たちは修学旅行中なんですね。修学旅行といえば、奈良・京都。定番中の定番です。ちなみに、このあたりの高校は県立の場合、沖縄か北海道に行くことが多いみたい。私立の場合はまちまちですな、海外に行くとこもあるし、どういうわけか、蔵王でスキーなんていう学校もある僕自身は、長野県の田舎の中学・高校を卒業しましたが、中学の修学旅行は奈良・京都。そして、高校の修学旅行も、奈良・京都日程が中学よりも長かったので、広島・松江あたりに行った後に1日泊まっただけだけど、それにしても、2回の修学旅行がどちらも奈良・京都って…。そして、僕の奈良・京都体験はこの2回だけ。その後は、行きたいなぁと思いつつ、実現していない。そんな僕にとって奈良・京都に行ける彼らはうらやましい。6月半ばに、ほかの中学校の3年生たちは先に修学旅行に行ってきました。(っていうか、藤沢中だけが遅かった)旅行から帰ってきた彼らに感想を聞いてみた。僕も行きたい場所だから、どんなところが印象的だったのか、興味がある。「めっちゃ、楽しかった!!」と興奮気味に語るひとりの生徒に「特に印象に残ってるのは、どんなとこ?」って聞いたみたんだけど。。。「映画村のお化け屋敷がとっても楽しかった!! それで、お好み焼き、食べてきた。 おいしかった!!」…がちょぉぉぉぉぉん。。。って大きな音がした気がした。…京都っぽさ、まるでないぢゃん。映画村、別に太秦に行かなくたってあるしさ、お好み焼きって・・・。そこは、京野菜、京懐石とは言わないが、せめて「京風だし」のうどんでしょう。もっとも、僕も中学生の頃は太秦で湘爆のグッズかなんかを買って喜んでたので彼らにあきれてる立場ではないんだけどそこは、ほれ、僕は高校修学旅行でも行ったわけなんですよ。2回の修学旅行がどっちも奈良・京都っていうこれは、全国的にみても珍しいことなのかな。でも、そのおかげで、訪問したときの印象の違いを比べることができる。高校の頃はね、本当に、寺社仏閣めぐりが楽しかったんですよ法隆寺、清水寺、東大寺などの「ザ・奈良京都」はもちろん、薬師寺、金閣、養源院、御所などなど・・・。特に、東寺でみた曼荼羅の印象が強く残ってる。お寺、おもしろいですよね。でも、中学生たちにとってはお寺をおもしろがるというのはなかなか考えにくいことなのもわかる。僕も、中学の頃か映画村が楽しかったもん。だけど、どのタイミングでどういうきっかけで、お寺がおもしろくなるか。たとえば、オトナや僕らのような「センセイ」と呼ばれるような立場の人間が「お寺はおもしろいから、見なさい!」っていくら言ってもおもしろくならない。それはね、本がキライな子に「本はおもしろいから読め!」っていくら言ったっておもしろくならないのと同じ。じゃあ、どういう子が本を好きになるか。本をおもしろく読んでいる人が近くに存在いるという子です。お寺も同様だと思う。近くにいる人がお寺をおもしろがっていることが大切。僕がお寺のどういうところをおもしろがっているかというと、それは、建築物の構造がどうしたとか、そういうことではないです。ウチには、建築を勉強している先生もいて、彼らにとっては、柱の構造がどうしたとか屋根のつくりがどうしたとか、そういうところがおもしろいらしいけど、僕はそうではなくて、たとえばね、仏像をみますわな。復元とか補修とか、細かいことをおいておけば、この仏像、1000年以上も前の人が手で作ったわけですよ。その1000年前の人を想像しますわな。家も今の僕らとは違い、どんなんだろう、時代劇に出てくるようなヤツかな、洋服ではなくて、これまた時代劇的な着物を着て、ノミと槌でもって、木を削っている。冷房もガラス窓もない家で設計図もお手本もなく、電気じかけの道具もなく、こつんこつん。っていうか、お寺そのものだってそうだ。東寺は、今でこそ大通りのすぐ隣に塀で囲まれてあるわけだけど、1000年前は塀もなく、舗装道路も車もなく、じゃあなにがあったかというと、きっと土の道があって、そこを着物の人が歩いてたわけだ、今の我々と同じようような、どーでもいい世間話などをして。その通りの近くの一軒家でもしかしたら仏像をつくる人がこつんこつん。この仏像やお寺はまぎれもなく、その人たちを見てきている。この仏像の素材の木はその人たちの息を吸い込み、このお寺の床板は、1000年前の人の体重を感じている。そう想像するとわくわくしてくるじゃないですか。そして、現代にもちゃーんと仏師が多数存在しているというところにまたロマンというか、なんかしみじみとしたものを感じる。ここにおいて、そういう想像をするチカラ「イマジネーション」が欠かせませんね。僕は国語の授業を担当することが多いんだけど、「イマジネーション」をたくましくする、それを目標としてやっています。だから、ことばだけで想像が難しそうなら黒板にばんばん絵をかくし、なんなら、小学生の授業では実際に彼らに絵をかいてもらう。そこから、そのうち文字だけで想像をふくらませられるようになることを目指している。お寺のくだりはそういうことを語ることで彼らのアタマの中でやがて1000年前の光景を思い浮かべられる程度の「イマジネーション」が育てばいいな、ということで似たような話をよくいたします。昨日の中3でも、そんなハナシをしたばっかだわ。それでテストの問題が解けるようになるかといわれれば、まあ、間違いなく解けるようになるとは思っているんだけど、そのためにやってるわけではないですね。「お寺を楽しめる子」を育てたい。そっちが僕のやりたいことかもしれません。以上、鎌田でした。kama全然カンケイないけど、今日「イマジネーション!ハハッ!!」を観に行ってるスタッフが1人おりまして。ミシカ、9月で終わっちゃうんだってよ、みといた方がいいかも。…もう遅いかww
2014.07.05
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こんにちは、鎌田です愛夢舎は、ただいま「夏期講習会準備中」でございます。各学年とも、まだ満席になっておりませんが、来週中の授業見学のご予約を複数件いただいております。ご検討中で、まだ見学のご予約されていらっしゃない方はどうぞお早目にご予約くださいませ。さて、そんな「準備」の一環として今年も「緑の表紙」の冊子ができました。「緑の表紙」とは「夏期勉強合宿」の「しおり(中学3年生向け)」。いよいよ、「合宿」も動き始めました。ホントにしつこいようだけど、ウチの数多くある企画の中でもっとも自信を持ち、もっともおすすめできるのが、5泊6日の日程で行います「夏期勉強合宿」です。ウチの合宿は「厳しい」です。たとえば、昨日ある教材会社の担当の方がお立ち寄りになって「合宿」の告知をご覧になって・・・「5泊6日ですか!長いですねぇ~!」と。…実は、むかーしは8泊9日でやってました。5泊でも時間は足りないくらいなんです^^;でも、フツーの感覚ではやっぱり長いんだろうな、5泊というのは。また、こんなことも。「…先生、これ、 息抜きの時間とか、ないんですか?」と。息抜き、ありません。あるのは、朝の散歩の時間。まあ、息抜きといえばそうかもしれないけど、ウチの合宿の「散歩」や「食事」、「休憩」や「睡眠」は、すべて、勉強のためにある。成績を上げるうえで必要であることは「許可」、勉強のさまたげになることは「禁止」。食べなければ体調を崩してしまうし、寝なければ、授業に集中できない、だから、食べるし、眠る(当たり前だけど)。散歩も、眠い目を覚ますため、十分な酸素を吸い込むため。ルールもしっかり決まっている。廊下等での私語は一切禁止。寝坊・遅刻については1秒単位で厳罰注意の対象となる。当然のこととして、携帯電話の持ち込み禁止、アクセサリー類もダメ、トランプ、マンガ、文庫本などもすべて禁止物。部屋のテレビは点かないし、電話も使えない。友だちのいるほかの部屋に入室することも禁止。そして、毎日のテストにおいて合格点を1点でも下回れば、即「不合格」。夜まで再試験の準備に入る。テストの結果で毎日クラスは変更になり、ふだんなら「上クラス」にいる子がわずかな計算ミスで「下クラス」に転落することもある。実は、7月13日(日)に「夏期合宿保護者対象説明会」を実施するのですが、そこにおいて、また僕は「いつものセリフ」を言うことになる。「たとえて言うなら、『刑務所』です。」「今日の説明会は、 生徒たちを、そういう環境においこみ、 容赦なく叱らせていただく、 その許可をいただくことが目的です。」 実際、「合宿」を怖がる生徒は多い。怖くて、不安でホントにホントに行きたくなくて、夏が近づくと、暗くなっていく生徒が毎年いる。・・・あったりまえだけど、「合宿」の意味は「怖い」とか「厳しい」とか、そこにあるのではない厳しくすることが目的ではなくあくまでも、成績を上げることだけが目的。つまり、成績を上げるための手段が「厳しさ」であり、実績も出ている。ちなみに、なんで厳しいと成績があがるのか、・・・いや、むしろ、「成績が上がる」ための「厳しさ」とはどういうものであるのか、そこには、十分に研究と実践を重ねた心理学的根拠があります。また、その根拠に基づき、その実践が可能である講師のみをスタッフとして参加させます。正直言って、今のウチで、それに値する講師は、ほんの3~4名です。去年、2人の講師を「合宿デビュー」させて、彼らは今年も参加、去年よりも大きな責任を与えるつもりだけど、ウチの講師陣の「リーダー」と「元・リーダー」、若手講師陣のトップ2の彼らであっても「合宿スタッフ」としては、まだまだまだまだまだまだまだまだまだ・・・連れていく前に、また鍛えなおさねばならない。そこまでして、どれだけの効果があるのか。合宿では、初日である8月25日と帰ってくる前日、8月29日に偏差値換算が可能な「模擬試験」を受けるんだけど、その結果として、こんな数字があります。英語偏差値Aさん 20.5アップ (41.4 ⇒ 61.9)Bさん 18.5アップ (45.6 ⇒ 64.1)Cさん 13.2アップ (55.1 ⇒ 68.3)Dくん 13.1アップ (42.1 ⇒ 55.2)Eさん 10.7アップ (62.0 ⇒ 72.7)数学偏差値Fくん 19.8アップ (48.5 ⇒ 68.3)Gくん 19.7アップ (41.5 ⇒ 61.2)Hくん 18.0アップ (39.6 ⇒ 57.6)Iくん 16.1アップ (45.1 ⇒ 61.2)Jくん 14.6アップ (50.8 ⇒ 65.4) …断っておきますと、これはこれまでの「トップ5」とかそういう成績ではありません。むしろ、極端に上がりすぎた子の成績を出すと逆に、うさんくさくなるかもしれないから、実はこれは、「控えめな数字」なんです。ちなみに、2013年度の結果速報記事はこちら、2011年度以前についてはこちら、2012年度の記事の中に5年分のリンクを貼っています。ウソだと思うなら、それぞれご覧になってください。ただ、もちろんすべての子が、こういう成績アップを達成するわけではない。だって、はじめっから偏差値70の子が偏差値85になるわけないもん。これまで10年間をトータルすると、英語は、3.1アップ数学は、2.6アップ。これが全生徒の平均値のようです。しかし、それでも毎年偏差値10以上の急上昇を見せる子がいる。「だったら、はじめっから 塾でその指導をすればいいじゃないか。」できるもんならそうしています。できません。場所のせいではありません。ウチの「厳しい合宿」で効果をあげるにはそこまでのプロセスが欠かせないからです。ふだんの指導あってこそこの結果が出てくる、ある意味、「集大成」のようなもんです。もちろん、生徒に厳しくあたる以上、僕らも自分たちに厳しく・・・っていうか対生徒以上に厳しく律しますし・・・大げさに聞こえるかもしれませんが「命がけ」です。まだひと月以上先のハナシですが、そして、この記事の冒頭に「始まりました」って書いたけど・・・・・・実は、何ヶ月も前から始動していますし、これからの一か月間でスタッフのトレーニングを行い、動きを確認していきます。生徒は、時間に遅れずに行動しようとする合宿ですが、スタッフの行動は秒単位で定まっています。…合宿について書き始めると止まらないや。ご興味のある方はぜひ私たちのお話を聞きにお立ち寄りくださいませkama
2014.07.04
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