七詩さんのHP

七詩さんのHP

PR

フリーページ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

七詩

七詩

カレンダー

コメント新着

・曙光@ Re:袴田事件再審無罪判決で思いだす甲山事件~国家の怖さ検察の怖さ(09/26) New! 袴田事件と全く同様の状況が、斎藤知事へ…
七詩 @ Re[1]:統計の見方~未婚男性は短命か?&野田が政権とりにいく(09/24) New! ふぁみり~キャンパーさんへ カードゲーム…
ふぁみり~キャンパー@ Re:袴田事件再審無罪判決で思いだす甲山事件~国家の怖さ検察の怖さ(09/26) New! そうですね、松本サリン事件の時も専門家…
ふぁみり~キャンパー@ Re:統計の見方~未婚男性は短命か?&野田が政権とりにいく(09/24) New! そうですね、まあ自民党を支持してるわけ…
七詩 @ Re[1]:統計の見方~未婚男性は短命か?&野田が政権とりにいく(09/24) ふぁみり~キャンパーさんへ 税金はとる方…
2024年07月04日
XML
カテゴリ: 雑感



そう考えると、南北朝の騒乱は、源平合戦の続編のようなものなのかもしれない。ただ、源平合戦と違うのは源氏の方に足利と新田という二つの勢力があったことだろう。足利家は室町幕府を開き、吉良や今川もこの足利家につらなる名家とされていた。そして戦国時代を経て、天下の権は徳川家に移るわけだが、徳川家康は徳川家康で自身を新田義貞の子孫を称していた。これが家康の時に言い出したものなのか、まことしやかに松平家に伝わっていた伝承なのかはわからないが、世良田東照宮には実際に新田義貞以降松平家に養子に入った徳阿弥に続く代々の石塔がある。ここは朝廷から東照宮に向かう例幣使街道の通り道でもあるので、例幣使は世良田東照宮にもより、徳川家康が新田義貞の子孫であることを再確認したのかもしれない。
南北朝時代ははるか昔のようなのだが、案外と後の時代にもつながっている。
「太平記」は、建武の新制の始まりの辺りを読んでいるが、後醍醐天皇の一片の命令で世の中が動くわけもない。現実の兵馬の権がなければ、領地をあたえるのなんのといっても空文だろう。しかもそこに情実がからんで、一つの領地の権利が功労とは関係なく何人もの人に乱発される事態が生じたとある。権力も乱脈をきわめていたわけである。合戦では夜襲に怯えて錦の御旗を放り出して逃げた公家大将も、我が世の春とばかりに贅沢三昧の生活をして世人の眉をひそめさせる話も出てくる。まだまだ世の中は落ち着かない。二条河原の落書きもこの時期である。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024年07月05日 15時31分35秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: