全3467件 (3467件中 3451-3467件目)
2010年3月1日午後6時。午後11時出勤まで4時間ほどあるので、冬季オリンピック最終盤のチーム競技についてメモしておきます。スケートパシュート競技、はじめて知りました。日本女子チームの激走に拍手!!決勝戦はドイツ相手に0.02秒差で破れた。ホントに惜しかったですね!!。スケート靴のブレードの差だったとか。かえすがえすも残念。ブレードの差で金と銀とにわかれてしまうんですからね。残り2周では1.72秒の大差をつけていたんだから勝負はわからない。ドイツチームの粘りがちでしょうか。底力でしょうか。いろいろな事情から、冬季オリンピックを熱心に見ていなかった味坊の感想なので他人様にとってはどうでもいいようなものの、とにかく個人的に一番感銘をうけた勝負でした。控えの高木選手の表情もよかった。まだ中学生なのだから次は正選手になって活躍してください。パシュートてどんな意味なのか。英語のつづりはどうなのか。インターネット百科事典によると、チームパシュート(team pursuit)は、自転車のトラックレースやスピードスケートで行われる競技形態。団体追い抜きとも呼ばれる。と説明してます。「team pursuit」か。味坊の蓮根頭に叩きこんでおき、メールの交換時に使ってみよう。Congratulations, Mr.F!! Your country "team pursuit" got a gold medal beating Japanese team. こんなんでいいのかな。冬季オリンピックについてはこれでおしまい。前回からの続き。少額訴訟について。職安の契約職員Tさんに励まされた味坊は、帰宅するとさっそくインターネットで「裁判」の項を探しました。まず目についたのが「法テラス」キャッチコピーは「法律を知る 相談窓口を知る 道しるべ」「法テラスは総合法律支援法に基づき設立された法人です」次に「日本司法書士会連合会」さらに少額訴訟の貴重な体験談を載せている「Min.の少額訴訟日記」Min.さんへ:リンクのお願いでメールを出しましたが宛先不明で戻ってきました。なので無断でリンクを張る結果になりました。ご迷惑であればご一報ください。すぐに削除いたします。「法テラス」と「Min.の少額訴訟日記」に目を通すと、裁判なんて怖くない。とくに少額訴訟なんて簡単だと思えてきます。そのとおり。手続きそのものは心配していたほど難しくない。少額訴訟に勝てるか負けるかは別問題です。Min.さんが書いているように、裁判に勝っても、請求金額が請求どおり手元に戻ってこない場合があるのが裁判の限界なんですね。まして味坊の場合は、一般人の常識が通じなかった。とくに2回目の裁判の結果はムチャクチャでした。 現在は3回目の裁判を継続中です。次回はある企業を相手取って少額訴訟をおこしたしだいをお伝えします。
2010.03.01
コメント(0)
2007年3月、「定年退職」後、味坊の「職安」参りがはじまりました。「職安」参りのなかで、一番世話になったのが前回紹介したTさんです。詳しく紹介すると、いろいろな方面にさしさわりがでそうなので、味坊に関わる部分のその一部に限りお話します。Tさんは味坊と同じ歳で、社労士の資格をもっておられる。味坊はTさんが同じ歳と聞いて驚いた。65歳を過ぎても「職安」=お役所で働くことができるのか!!それにもまして、Tさんが味坊の希望にそってどしどし会社を紹介してくれるのが驚きでした。ほぼ1年後にはTさんも契約が切れ、求職者の一人になる。高齢というハンディをかかえた者の立場は、ほとんど自らの立場でもある。これは味坊の推測ではなく、Tさんの口から直接うかがった理由です。Tさんの他にも、老若男女わけへだてなく相談にのってくれる立派な職員がいました。Oさんです。TさんとOさんのおかげで、約1年の間、食いつなぐことができた。短期の仕事をいくつかやった後、Tさんの紹介で経理職にありついた味坊は、小躍りして喜びました。ショートプログラムを完璧に終えてピョンピョン跳ねた真央ちゃんを見て、味坊は経理職にありついたときの喜びを思い出しました。ところがです。喜びはつかの間、わずか2ヶ月で味坊は解雇されてしまったんですね。Tさんは味坊の顛末を聞いてムッとされた。「味坊さん、それは黙っている手はない。職安のメンツは別にして、まずご本人がきちんと会社に言いたいことを言わなくちゃいけませんよ」「不当解雇ということですか?」「そうです。従業員を解雇するには、1ヶ月前に予告するか、1ヶ月分の給料を払うか、いずれにしろこれは世間一般の常識です」「法律上の根拠はあるんですか?」「大丈夫。裁判にもちこんでも十分勝てます」Tさんは注意深く小声ながらきっぱりと答えました。味坊は100万の味方を得たように勢いづいたものです。
2010.02.28
コメント(0)
人生の旅あれこれ--俺の小文--2009年3月末日、同年2月から勤めはじめた会社の営業部長から突然解雇を告げられた味坊は、逆上し、「ナローッ、舐めたらあかんぜよ!!訴えてやる!!」と腹の中で叫んだものの、どこから手をつけたらいいのかわからず、翌日には激怒はやや収まり、仕事探しが先決だという気持ちが強まりました。 蓄えがないというのは情けないもので、毅然たる態度をとるべき時にとれない。「わしだってやるときにはやるのだ!!」と胸を張れないんですね。むしろどんどん自分の値打ちをおとしていく。「おねげえします、旦那様。1日2食分の仕事をくだせえまし・・・いんや1日1食分で仕事いたしますだ・・・どうか助けってやっておくんなせえ・・・」とまあこんな気持ちになる。一種のデフレスパイラルでして・・・権力や金に縁遠く人生を歩んできた者が定年すぎて職を失うと、たっぷり、十二分にその悲哀を味わうことになります。味坊は2007年3月、永年勤めた会社を定年退職しました。いうまでもなく定年退職というのは、役所や組織の整った企業にある制度で、味坊の勤務していた会社は、雇用保険にさえ入れないデタラメな会社だったので、退職金なんてないんですね。そういう会社の定年退職とは、派遣社員のくびきりとほとんど同じ、着の身着のままで路上に放り出される、という意味です。以来、味坊の「職安」参りが始まりました。職業安定所を縮めた「職安」は古い呼び方で、いまは「ハローワーク」です。「職安」にはニコヨン時代の暗いイメージがつきまとう、と考えたお役所が「ハローワーク」と名づけ、広く宣伝に努めたのでしょう。最近「ハローワーク」には仕事熱心な人がポツリポツリ現れはじめた。名称変更のご利益でしょうか。実はもっと事実に近い理由がある。これは「ハローワーク」に勤めていたTさんから聞いた話ですが、「ハローワーク」の職員にも派遣社員のような身分があるんだそうで・・・。Tさん自身が1年と決められた契約職員で、後釜がいないので契約が1年延びたと言っておられた。派遣とか臨時とか契約とか頭につく職員は、かりにもお役所勤務ですからなるべく長く働きたい。それには仕事に熱心に取り組み、上司、同僚に認められて契約を延長してもらうのがひとつの手だということになる。Tさんによれば、仕事に熱心なのは契約職員だけだそうですが、求職者にはありがたい存在です。「職安」参りが続くと、求職者に親身になって相談にのってくれる職員とそうでない職員がいることがわかってくる。前者対後者の比率は1対5くらいでしょうか。求職者に時々そっけない顔を見せるのは後者、つまり正職員です。本来の役人の正体をあらわにする。たとえば年齢制限。タテマエは求職者の年齢は不問ということになっているけれど、雇用者側の条件を丸呑みして、60歳以上の求職者には、まず窓口の職員が会社を紹介しない。求職者がねばっていると(これは味坊のことだ)「一応電話をかけてみますが・・・」などと答える。「ナヌが一応だ!仕事を紹介するのがテメーの仕事だろ!バーロー!舐めたらあかんぜよ!」と怒鳴りたいところをじっとこらえる辛さ。失業のうえ高齢という悪条件をかかえる者しか味わえない悲哀です。もっとも二昔前はもっとひどかった。はじめからお上の正体を隠さなかった。「バカ、マヌケ、ノロマに仕事をみつけてやってんだ。静かに控えておれ」てえ態度です。居丈高、傲慢、高圧的、規則一点張り、四角四面、どうも同じような言葉しか出てこない。語彙が貧しくては役人に太刀打ちできません。----- Original Message ----- From: >To: ??????@luck.ocn.ne.jp>Sent: Saturday, February 27, 2010 11:24 AMSubject: 27日の日記
2010.02.27
コメント(0)
今日(2月24日)給料が出た。毎月25日と決まっているのに、1日前に出るなんてどうしたんだろう。被雇用者8人の超零細企業なのに、2009年4月味坊の入社以来、給料の支払は遅れたことがない。10年以上勤務しているベテラン従業員も給料の遅配はないという。遅れるどころか今月は1日早い。いずれ理由があるに違いない。現在の経営者の父親はむかし大地主だった、という噂がちらほら聞こえてくるから、アパート家賃、駐車場賃貸料などがたっぷり入ってくるのかもしれない。理由は何にしろ、悪事にかかわっていなければ、雇われ人としてはさしあたり安心だ。経営者がいきなり雇い人を路上に放り出すような乱暴な真似はしないだろうから。2009年3月末日。味坊はいきなり馘首を告げられた。従業員10人余りのこれまた超零細企業だった。味坊は経理を担当していたから、会社の経営が苦しいのはわかっていた。社長自身のクレジットカードを担保にして金を借りていた。しかし実権は会長が握っていたし、金繰りは本社の会長がナントカするのだろうと、味坊はたかをくくっていた。ところが3月末日、勤務時間終了直後、営業部長が味坊を事務所の椅子にすわらせ、明日から出社に及ばず、とのたまわったのだ。表向き冷静を装いながら、心中では逆上しましたね。職安に日参し、履歴書を100枚も書いた末にヤットつかんだ経理職なのに、便所紙のように無造作に捨てられて黙っていられるか。こうして味坊は裁判所に訴える気持ちを固めたしたのでした。
2010.02.25
コメント(0)
またまた間違いの訂正です。前回の日記で、ベルリン映画祭銀熊賞受賞者を寺島忍と書いたが、芸名:寺島しのぶ。本名:寺島 グナシア 忍、1972年12月28日生まれと訂正します。ついでに左幸子についてインターネット百科事典では、1963年『にっぽん昆虫記』では貧しい農村の、職業を転々としながら売春組織の元締になっていく女を熱演。(ここでも間違っています。「昆虫記」ではなく『にっぽん昆虫記』でした)1963年『彼女と彼』で日本人で初めてベルリン国際映画祭女優賞を獲得。と紹介しています。この日記は、いたるところで間違いをおかし、ますます老人力を発揮して信頼を失っていくようですが、それにめげないのが老人力というものです。老人力の第一発見者赤瀬川原平さんに感謝・感謝です。今年のベルリン国際映画祭の監督賞はロマン・ポランスキーと伝えています。同監督の受賞歴を調べて見ると、 * アカデミー賞 o 2002年度 監督賞『戦場のピアニスト』 * ゴールデングローブ賞 o 1974年度 監督賞『チャイナタウン』 * 英国アカデミー賞 o 1974年度 監督賞『チャイナタウン』 o 2002年度 監督賞『戦場のピアニスト』 * セザール賞 o 1979年度 監督賞『テス』 o 2002年度 監督賞『戦場のピアニスト』 * ヨーロッパ映画賞 o 1999年度 世界的功績賞『ナインスゲート』 o 2006年度 功労賞 * カンヌ国際映画祭 o 2002年度 パルムドール『戦場のピアニスト』 * ヴェネチア国際映画祭 o 1962年度 国際映画評論家連盟賞『水の中のナイフ』 o 1966年度 イタリア批評家賞『袋小路』 o 1993年度 金獅子賞・特別功労賞、経歴賞 * ベルリン国際映画祭 o 1965年度 銀熊賞『反撥』 o 1966年度 金熊賞『袋小路』 o 2010年度 銀熊賞『The Ghost Writer(英題)』かくかくたる戦歴ですね。私生活でも波乱万丈。妻のシャロン・テートをみもごった子供ごと殺されたり、13歳の少女を乱暴したとの疑いで現在スイスで拘留中、と話題にこと欠かない。『戦場のピアニスト』が同監督の作品とは知らなかった。歳をとるにしたがって妖怪変化の世界から現実世界へと軸足を移していくものでしょうか。この日記の主タイトルは「タイムトリップ旅あれこれ」だけど、「タイムトリップ映画あれこれ」に変えた方がいいような内容になってしまった。ブログだから話題が飛ぶのは当然の事としてお許しを・・・
2010.02.23
コメント(0)
ひどい記憶違いを訂正します。「人間の条件」の監督は小林正樹さんです。「戦争と人間」の監督が山本薩夫さんです。インターネットで調べればすぐわかるのに、おっくうがって曖昧な記憶に頼って記事を書き、とんだ恥を晒しました。なにごともおっくうがる、という習癖もまた老人力の一つです。今後とんでもない思い違いがあったとしてもどうぞご容赦を。ついでに「流れる」を調べてみよう。キャスト [編集] a.. 梨花(お春):田中絹代 b.. つた奴:山田五十鈴 c.. 勝代:高峰秀子 d.. なな子:岡田茉莉子 e.. 染香:杉村春子 f.. お浜:栗島すみ子 g.. 米子:中北千枝子 h.. 高木:加東大介 i.. 不二子:松山まつ子 j.. おとよ:賀原夏子 k.. なみ江:泉千代 l.. なみ江の伯父:宮口精二 m.. 佐伯:仲谷昇 n.. いろどり:南美江 o.. 村松:竜岡晋 p.. 白雅:大村千吉 q.. 医者:中村伸郎 r.. つる本の女中:音羽久米子 s.. 乾物屋主人:上田吉二郎 t.. 巡査:松尾文人 u.. 車屋:佐田豊キャストの順から言うと、田中絹代は主役をはっていたんですね。高峰秀子、杉村春子がすっぽり記憶からぬけていました。宮口精二だ!宮沢喜一だの宮沢リエだのと書いたのは、頭に宮があったからだ。どうしてもたどり着けなかった。インターネットを使えばたいていのことははっきりするのにね。もっとも、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を丸呑みすると危ないけれど。タイ王朝の歴史について調べたら、至る所に矛盾した記述があったのには、往生したものです。中谷昇だ!岸田今日子の旦那は!ハンサムすぎて強い印象を残さないんでしょうね。宮口精二は、「流れる」のなかでは、千葉県鋸山から上京して芸者置屋の女将山田五十鈴を脅す大工崩れだった。この役で宮口は「7人の侍」でみせた凄みがなかった。吹けば飛ぶような薄っぺらな悪役だった。監督、役どころで、名優もずいぶん変るものですね。とりあえず今日はここまで。これからは曖昧な記憶はなるべくインターネットで確かめてから書きます。なんて宣言しちゃうとブログを書きにくくなる。前後のつながりなく、事実に捕われず、自由に書けるのがブログの魅力なのだから。間違いは気づいた時に直せばいい。あるいは読者から指摘のあった時に。
2010.02.22
コメント(0)
昨夜2月21日午前3時頃か。寺島忍がベルリン国際映画祭で主演女優賞を受賞したことをNHKラジオ深夜便が伝えていた。田中絹代の受賞以来35年ぶりだという。寺島忍は37歳だそうだから二つの時に田中絹代が受賞したことになる。寺島と田中とは約二世代離れているんだな。うーん。唸るほかない。田中絹代の前に左幸子が受賞しているらしい。田中絹代と左幸子の名にはいくらかの親しみがある。田中絹代をじっくり見たのは幸田文原作の「流れる」。山田五十鈴主演、わきに田中絹代、岡田茉莉子、それから…名前が出てこない。顔ははっきり覚えているのに名前が出てこない症状は、立派な老人力を備えた証しであるらしい。とにかく有名俳優がどっさり出演している。「7人の侍」の一人、剣の道に憑かれた侍をやっていた俳優…のど元まで出てきているのにじれったいなあ。宮沢喜一じゃない、むろん宮沢リエでもない、いまはパスだ。男優では岸田今日子の旦那さんが出ている。三船敏郎や仲代達也と並ぶ有名俳優なのに名前が出てこないんだから情けない。いや、いや、老人力を嘆いてはいかん。仲代達也といえば「人間の条件」。前々回あたりの日記に監督を今井正と書いたような記憶があるが、たぶん間違いだ。山本薩男監督だ。昨夜テレビをつけたら偶然に監督の長男山本学?!がそのまんまジーサンで出演していたので実父の監督を思い出したのだ。永年連れ添ったバーさん役に加賀まりこ。いやはやおそれいりました。川端康成に「もうちょっとスカートをあげてごらん」なんていわれていた小悪魔が白髪のバーさんになっているとはお釈迦様でも知るめえぜ!!左幸子の主演作品で記憶に残るのは「昆虫記」?。みんなはてなマークがつくのは老人力せいだ。寺島忍受賞のニュースの少し前に葛西選手がバンクーバーオリンピックのスキージャンプ競技で8位?に入賞したと伝えていた。葛西も寺島と同じく37歳。ジャンルが違うから安易に比較はできないけれど、正直なところ寺島忍の圧倒的勝利だ。味坊37歳の時、永年の漂流を切り上げて帰国した。東京有楽町の人の波を前に呆然自失。太平洋に一人投げ出されたようで途方に暮れていた。人生の決定的敗北を宣告されたときだった。
2010.02.21
コメント(0)
はるみと味坊の会話は、20日の日記のような調子で続いた。それで明白になった事実は、はるみのいうおとーさんは、N県K町の消防署員であること。妻帯者で子供が3人いる事。K町在住の本妻は夫の浮気を黙認しているらしいこと。味坊はうわべは冷静さを保ちながらも心中では逆上したのだった。「キミたちのなかで身に覚えのあるものは一歩前に出なさい・・・。誰もいないか。よろしい。本官は写真を押さえているし、電話番号もわかっておる。どんな処分が出るか、首を洗って待っておれ!!」味坊は、K町の消防隊を前にしてこんな風に怒鳴ってみたいと思った。「バーロー!恥を知れ!恥を!妻子を持ちながら異国に妾を囲い、妾の親戚一同を招待し、堂々結婚式まで上げるとはな!K町消防隊の面汚しじゃ。A上等兵、往復ビンタ百回、充分かわいがってやれ」A上等兵自慢の往復ビンタ百回となると、旧日本陸軍のリンチを連想してしまうけれど、百回じゃ足りない、千回ほどかわいがってやんなさい。というのが味坊の正直な気持ちだった。あろうことかこのおとーさん、はるみにつくらせた子供の名を「リョーマ」としたんですね。ここまで書けば身元がばれてしまうかも・・・歳から考えてとっくに定年になっているはずだからさほど事態が悪化することはなかろう。まあ時効ですね。はるみのおとーさん、安心してください。いまさら刺すような真似はしませんから。しかしながらだ、年金の一部はきちんと生活費として送ってやりなさいよ。その後はるみは日本語学校の臨時事務員になっので、機会あるごとに身の上相談に来た。ある日はるみは泣きながら味坊に訴えた。「おとーさん、電話にでない。わたしの声聞くと切っちゃう。センセー、電話して」「うーん」味坊はうなってしまった。ここではるみのかわりに電話したら深入りになるだろうな。相手はゼッタイに警戒を強めるだろうし、事態は泥沼状態におちいるかもしれない。「もしもし」というだけで、男の声がでたらすばやくはるみに代わるのが一番いいだろう。結局そのとおりにしてその場はおさまったんですが・・・幼児を持つ母親がバンコクで働き口を見つけるのは容易じゃない。そこんところ、よく理解してやってくださいね。 リョーマのおとーさん!!----- Original Message ----- From: >To: ??????@luck.ocn.ne.jp>Sent: Sunday, February 21, 2010 11:45 AMSubject: 21日の日記
2010.02.21
コメント(0)
もっかホットな地名はバンクーバー。味坊のタイムスリップの旅は、バンクーバーを無視して、2000年某月某日バンコクラムカムヘン地区に飛ぶ。ラムカムヘンに日本語学校を開いて3ヶ月ほどたったある日、二人の女性が来校した。 男の子を抱いていた一人は、「はるみ」と名のった。むかしは「ひばり」という名で働いていたのだろうか。達者な日本語をしゃべる。入校希望者ではないらしい。ところどころに専門用語が混じる。たとえば「泊まり」とか「ショート」とか・・・本人はたぶんそれが専門用語とは知らないのだろう。日本の男ならピンとくる。ジャパユキさんOBだな、と味坊もすぐにわかったが、知らないふりをして会話を続けた。もう一方の女性はすでに日本人と結婚しているという。はるみより日本語がうまい。結婚しているというのは本当だろうか。なぜ一人でバンコクに戻ってきたのか。はるみ同様、いろいろ事情があるらしかった。彼女はYと名字を名のった。(元オリンピック柔道家で、格闘技に転向した選手とおなじ名前)Yさんのことはとりあえずわきにおいて、はるみの身辺についてはっきりしたことだけを書いておこう。はるみの子供の父親は、いうまでもなく日本人だ。「おとーさん、コームインよ」とはるみは誇らしげに言った。「コームイン?役所で働いているのか?」「ショーボー」「え?!ショーボー?火をつける仕事か?」「センセー、ジョーダン、だめよ。火を消すの仕事」「そうか、そうか、火を消すの仕事か。ショーボーってコームインだったのか。知らんかったな」「センセー、ホントに知らないか。ポリスとおなじ。コームインよ」「おとーさん、いくつだ?」「45。わたしのおじさんとおなじとし」「ゲッ!おジーサンとおなじ歳か?」「おジーサンじゃない!おじさんよ」「わるい、わるい。はるみは日本語うまいな。おとーさんは子供つくるのうまい」「センセー、ジョーダンばっか。この子、わたしのおなかにいたのよ。テイオーセッカイで生んだ」「テイオーセッカイ?!すごい言葉知ってるな。そうか、帝王切開か。たいへんだったな」<ただ今午前2時5分すぎ。新聞屋のバイクの音が聞こえた。きょうはこれまで。おやすみなさい>----- Original Message ----- From: >To: ??????@luck.ocn.ne.jp>Sent: Saturday, February 20, 2010 11:30 AMSubject: 20日の日記
2010.02.20
コメント(0)
2月19日(金) 午前4時50分18日午前9時退勤。いつものように寝不足で頭がぼんやりしたままだ。脳細胞は1日10万個流出しているそうだが、味坊の場合は20万個は流出していると推測される。味坊の頭はもはやレンコンよりすけすけなんだろうな。情けない推測である。3直の出勤時間:午前0時から翌朝9時まで。午前2時半から5時半まで仮眠を許されているのだけど、横になったらすぐに高いびきなんで真似はできない。シーナ隊長によると、友人の沢野画伯は何が起ころうと横になったとたん寝入ってしまうらしい。自由業の特典ですね。味坊は睡眠薬のお世話になるから、5時半の起床時間になってもすっきり起きられない。常に不機嫌な寝起きが3直勤務の間続く。毎週木曜は週一日の休日。なので木曜朝の勤務明けは脳ミソのぼんやり状態は相変わらずだが、全体的に軽くなっている。いつもはぼんやり状態に鉛のような重さが加わって半分死んでいるのである。ところで2月18日は味坊にとって重要な日である。原告Mが損害賠償事件の訴状を簡易裁判所に提出し、裁判が続くか停止になるか決まる日なのである。前回1月18日の裁判は、原告Mの無断欠席で休止になってしまった。この一事だけでも原告Mが身勝手な男だとわかる。世間ではMを詐欺師だのペテン師だのと呼んでいる。ところが裁判官は世間の評判に捕われないのですね。証拠書類だけをよりどころにして判断を下す。これで味坊がはじめに訴えた賃金未払い事件は、敗訴になってしまった。これをよりどころに被告Mは、原告になって味坊を訴えた。事業の進捗を妨げたとして損害を賠償しろというんですね。自分で訴えておきながら裁判の日に無断欠席とは呆れてものがいえない。1月18日から1ヶ月の間に裁判進行の旨を伝えなければ、その裁判は流れてしまう。これからどうなるのか。あと二・三日は様子を見よう。裁判については書きたい事が山ほどある。旅あれこれに外れるテーマだけれど、人生の旅の一つと思えば当たらずとも遠からずか。
2010.02.18
コメント(0)
2010年2月18日(水)午前0時45分旅あれこれは、過去、現在、未来の旅を想定している。俺の小文はいうまでもな笈の小文のもじりである。老い小文のほうがいいかな。松尾芭蕉 貞亭4年(1687)44歳10月25日江戸を出立。 旅人と 我名呼ばれん 初しぐれ 芭蕉 行き行きて 白髪八千丈 味坊ブログの日記は、半分は自分の覚書のようで、半分は読者に向かって書いているようで、どうもに腰が定まらない。自分の覚書の性格を捨て、読者に面白おかしく迫りたい。と方針を固めたところで、自分のまわりにおもしろ話が転がっているはずがない。味坊の日常生活は、毎日がほとんど決まりきっているのだから。2直出勤は午後4時。退勤は午前0時。安酒を飲みながらパソコンをいじっていると午前2時を回る。朝の早い新聞屋のバイクの音が聞こえるのをきっかけにシャワーを浴び、寝る態勢になるのが2時半ごろ。ここ数年、風呂タブに湯をためて入浴したことがない。経済と時間が気になるからだ。翌日正午前後起床。朝食のメニュー:どんぶり飯に、納豆、びり辛ラッキョウ、しんしん漬をのせ、もみのりをぱらぱらふりまく。味噌汁はむろんインスタントもの。以上が朝食兼昼飯で、3ヶ月以上変らない。食事後洗濯。週3回洗濯機の世話になる。洗濯機がなければたぶん一人暮らしは続かないだろう。一人暮らしの四種の神器は、洗濯機、冷蔵庫、ガスコンロ、炊飯器かな。出勤時間4時前に夕食をとる。メニュー:インスタントラーメン。具は玉葱、若布、切り餅。ラーメンの代わりにオレンジママレード塗り食パン二切れ、ヨーグルト一個、バナナ一本、レモン半個。これも3ヶ月以上変らない。そこへいくとシーナ隊長率いるあやしい探検隊のキャンプ料理はごうせいだなあ。まずキャンプを張る場所が半端じゃない。10月末の最南端の島。「見わたすかぎりの白い砂浜と蒼い海と空は、すべて我々のものなのである」(椎名誠著モンパの木の下で、より抜粋。以下同様)「スリランカ・ザンデテケンガ族のカレー:スリランカ北東部のザンデテケンガ族秘伝の死に辛カレー」「林さん漬:ニンニク、ショーガ、鷹の爪、ピーマン、ニンジン、キューリの乱切りをしょう油につけておくだけ」「ナンデモ焼:林さん漬をタレにして網焼きにする。沖縄特産のアワビ茸とシメジ、シシトウ、鶏肉コマギレ、ナス、タマネギ、ピーマンなど」「コンニャク炒め:ゴマ油でニンニクのみじん切り、鷹の爪と鶏の皮を少し炒め、ちぎり黒コンニャクをいれ、酒、ショー油で味をつける」「ネギ酒盗:白髪ネギにカツオの酒盗をのせる」「ゴーヤチャンプルー」「トーフチャンプルー」「フ・チャンプルー」「玉コンニャクピリカラヒリヒリ煮。別名キンタマの乱れ炒め」単純簡素ながら豪華絢爛の焚き火料理の数々。南国の海。いいなあ。焚き火料理の数々。食いてえなあ。
2010.02.18
コメント(0)
今日から午前0時から翌朝9時までの3直勤務。出勤前にパソコンをいじるとその遅さにいらいらする。ウィンドウズの立ち上がりに時間がかかる。サイトに入るのにIDとパスワードが必要。何度入力しても入れない。IDかパスワードかが違うというエラーメッセージ。じれじれする。EXCELに保存しているものを使ってもだめなのはどうしてなのか。サイトをいじっているうちにIDかパスワードが変わってしまうのだろうか。EXCELのデータが変るはずもないし・・・パソコンなんか放り出して、酒をぐびぐびやりたくなった。でもこれから出勤だし、酔っ払って出勤すれば即クビだろうし、外は雨だし、うちの中はうすら寒いときている。ままならない生活だなあ。旅にでる。ヴァーチャルの旅。これが手っ取り早い。ハッジャイやプーケット島のサイトを眺めながらささやかな楽しみを見つけよう。 アユタヤ・ハジャイ・プーケットのサイトは賑わっている。とくに風俗関係だ。バーチャルでなくて実際に当地を訪れるリピーターが多数いるようだ。今はエイズが蔓延しているからそれこそ命がけで突撃しているのだろう。かかってからでは手遅れだからな。せいぜい気をつけてくださいね。
2010.02.15
コメント(0)
メールに返信するとブログが書けるいう。どんな仕組みになっているのだろう。テストしてみよう。今日は16日だ。午後8時。相変わらず寒い。サッカー東アジア大会の日本チームは実力どおりの結果に終わった。日本は韓国チームに敵わない。過去の対戦成績がはっきり示している。身びいきがすぎると実際の実力が見えなくなる。バンクーバーの日本人選手の実力も日本のマスコミに持ち上げられて、本物の三倍くらい強くされてしまう。500m競争で銀と銅をとれたのはできすぎだろう。結果に関わらず、選手たちの努力をたたえよう。----- Original Message ----- From: >To: ??????@luck.ocn.ne.jp>Sent: Monday, February 15, 2010 11:30 AMSubject: 15日の日記
2010.02.15
コメント(0)
2月15日(月)午前12時50分仕事がミッドナイトに終わり帰宅するとこの時間だ。相変わらず寒い。昨夜は車のワイパーが凍りついて動かなかった。やかんの水を窓に流してやっと動かせた。今夜はフロントガラスが凍りついていなかったので、昨夜より暖かいのだろう。それにしても寒いよう。電気も暖房もついていない家に帰ると寒さが身にしみる。南国の島をとっさに思い出す。マレーシアの島、えーと・・・名前が出てこない。歳をとるというのは寒さより怖い。しかたがない。インターネットのお世話になろう。あった・・・ペナンだ!異国に漂流していると面倒なのがビザ取り。当時(というのは約30年前)ヨーロッパでは2ヶ月程度のバイトをするにもワークパーミッションが必要だった。ajiboの経験ではストックホルムでは夏休みの間学生向けに労働ビザを正式に発行していた。ストックホルムの洗濯工場には各国から学生が押し寄せてきた。モスクワから3日間汽車を乗りとおしてやってきた者もいる。アフリカの留学生だと言っていた。アフリカのどこかの国のエリートだったのだろうな。フランス、スイス、イギリスなどでは特別のコネなければアジア人の流れ者など相手にされなかった。結局ノービザで働くことになる。貧乏人が漂流するといってもまず先立つのが金。住み込みで働けるところをみつければ食事付だからさしあたり金はいらないけれど、そんな仕事にありつけるのはよほどラッキーな場合だけ。ajiboは運よくラ・ショート・フォンの駅前ホテル、インターラーケンのユースホステルで住み込みの仕事(皿洗い兼清掃夫)に就いたことがある。むろんノービザだった。ノービザで働くというのは、強制退去を覚悟するということだ。異邦人がノービザで働く場合、何が怖いといってその国の入管が一番怖い。いろいろな事情で本国との正式なつながりを持たないタイ人、フィリピン人、その他アジアの人々にとって、日本にいる限り日本の入管は鬼より怖いだろうな。粋なはからいをするなんて発想はひとかけらもないからね。タイの入国管理事務所の役人はかなりあからさまに袖の下を受け取っていた。観光ビザの場合、代理店に頼めば容易に手に入る。賄賂が上乗せしてあるから正式のビザ代より高い。30年も前のことだから正確には覚えていないけれど、3ヶ月に1回は他国に行って自分の手でビザを取りなおさなければならなかった。タイの隣国は、マレーシア、ラオス、カンボジア。いずれかのタイ領事館へ行ってビザをとりなおす。マレーシアのペナンにタイの領事館があった。バンコクからペナンまで汽車の旅。マレー半島をほとんど縦断する旅だから相当な体力がいる。タイのハジャイまで約16時間。ハジャイからバスで約5時間。タフな旅だった。飛行機で行けば2時間だろう、と普通の観光客は考えるにちがいない。漂流する貧民は、1バーツでも安いほうを選ぶ。200バーツの汽車賃にくらべ、2000バーツの飛行機代は論外なのだ。ところでペナンの名月大旅社。一晩中騒がしかった。安宿だからそれを目当てに貧乏旅行者が出たり入ったりしているのだろうと思っていたらどうやら違うんですね。イスラム教の国にあるまじき売春宿だったらしい。ajiboは昔は今以上に目が悪かった。世間を見通せない未熟児だった。実に情けないとっちゃん坊やだったんだなあ。今ではじっちゃん坊やというんだね。かわいいね、じっちゃん。
2010.02.14
コメント(0)
2月13日午前1時半 寒い!寒い!南国へ行きたいよ!さしあたり思いつくのはチェンライ。タイ北部の小さな町。2月半ばはまだ日本の初秋くらいの気温。空気はバンコクにいると信じられないくらい澄んでいる。屋台でカオマンガイ(鶏肉のスライスを飯の上にのせた一皿)を食い、シンハービルを飲む。想像するだけでのびのびした気分になる。屋台の経営者(おばさんが多かったように思う)は忙しそうに働いていた。屋台の軒に吊るした鶏がなくなれば店じまいになるんだけれど・・・金を稼ぐ側と金を払う側とはおのずと違う。旅が楽しいのはいつも金を払う立場にいるからだ。そのうえ帰る家があるからに違いない。仕事と同時に住みかも失っては旅どころじゃない。毎日職安に通う身の上になる。仕事があって住みかがあれば、寒い!寒い!なんて贅沢な文句だなあ・・・
2010.02.12
コメント(0)
フアランポン中央駅(バンコク)近くにあったタイソングリートホテルを今朝思い出した。1泊200円くらいだったか。約35年前のことでファン付だったかエアコン付だったかも定かでない。楽宮旅社が知られる前の日本人漂流者の溜まり場だった。貧乏人ご用達の古く薄汚れた大旅社-タイソングリートホテルが頭をよぎった理由は、立松和平さんの訃報である。立松さんの著書のどこかにタイソングリートホテルが出てくる。たぶん立松さんの学生時代か卒業直後だったろう。当時の旅社には娼婦が自由に出入りしていた。エイズはまだこの世に登場していなかったから、貧乏旅行者もかなり気楽にお世話になっていた。立松さんはタイソングリートの娼婦に関してひと言も書いてないようだからもともと女には関心がなかったのかもしれない。そういえば旅行作家シーナさんの「哀愁の町に霧が降るのだ」にも娼婦は出てこない。二十歳前後の登場人物たちがことごとく禁欲的なので驚く。もっとも性欲の烈しいころなのにごく自然にストイックなのが不思議だ。金にちょっとした余裕があればかならず酒を飲んでいた連中が猥談に落ちないのはなぜか。シーナさんとその周辺は夢精の臭いさえしない。汗の臭いはぷんぷんするのにねえ・・・
2010.02.11
コメント(0)
過去、現在、未来、ヴァーチャルの旅を中心に折々の関心事を書きとめます。楽天ブログは今回がはじめてです。みなさん、どうぞよろしく。2010年2月7日(日)午後1時半。天気晴朗なれど風強し。ajiboは房総半島の真ん中あたりに住んでいますが風の冷たさが身にしみます。昨日、一昨日と、空は青く陽はでているのですが雪に閉じ込められているような寒さです。寒さと言えばとっさに思い浮かぶのはシベリア。「人間の条件」主演 仲代達也 監督 今井正?? 主人公梶がロシア軍つかまり収容されるシベリア強制収容所。手に入るボロというボロをまとってもまだ寒そうでした。露店から盗んだ饅頭一個を妻への土産として豪雪の中を歩きついに倒れ、倒れた梶のうえに降り積む雪。これは「人間の条件」のラストシーンです。映画では中国北東部かシベリアあたり。撮影の場所は北海道と聞いています。いずれにしても極寒地方です。最近読んだ本の中で、極限の寒さを思わせるのは、シーナ隊長たちの「シベリア追跡」(小学館1977年刊)です。零下59度に生きていると、「吐く息が顔の上ですぐ凍りつく。まつ毛にも氷が付着するのでまばたきするとまつげがくついてしまう」というからおそろしい。ajiboの冒険は、軽自動車にテントと寝袋を積んで鴨川・館山まで足を伸ばす程度にしておきましょう。いつ実行できるがわかりませんが・・・いまNHKラジオは別大マラソンを実況しています。スタート時点は7度。現在は16度くらい。中には手袋を捨てるランナーもいるとかで暑いからなんでしょうね。優勝タイムは2時間12分前後、平凡な記録で終わりそうです。苦しい。疲れる。暑い。選手の皆さん、ご苦労様です。平凡と言えば、昨夜の日本対中国のサッカー戦、平凡でした。両チームともコセコセチマチマした動きしかできず、0対0 スコアレスドロー。眠気がさす試合。日本チームのW杯ベスト4入りなんて夢のまた夢ですね。
2010.02.07
コメント(0)
全3467件 (3467件中 3451-3467件目)