義母狂う


10月15日 月曜日  1日目からもうイヤ

朝10時に入院し、16時半まで病院に居た。
義母は落ち着き、しっかりしていたように見えたけど、検尿が出来なかった。
コップに水道の水を入れようとしたり、
提出棚の他人の尿を入れようとしたりしている。げ、まて。
とうとう義母もトイレからわたしを呼ぶ。
トイレを流しては流れてくる水をくもうとする。
「あーだめー!おしっこを入れるんだってば」
「どうやってやればいいのかねえ。こお?」
結局わたしがコップ持って…はぅ。
こないだまで一人で出来たのに…。

実家に帰ってきたら、義母の長姉が来た。
義叔母「(義父)はあっち(わたしの家)いくの?」
(義弟)が「(義父)の飯とか身体が心配だから兄貴んとこいってるべ」
とか話したらしいのだ。
冗談じゃねえよ。勝手にそんな話ししてんじゃねえよ。
義父は「まあ、オレもいくら長男の嫁だっていっても気がねするからよ」
だとよ。それはわたしのセリフだろが。

そんな話しが前に義父から出たときに「まて」をかけたわたし。
わたし「それはよく考えてから決めよう」
義父「オレは平気だよ」
わたし「わたしが平気じゃない」と言ったのだ。

結局はその辺については、あまり話し合いとかもせず、様子を見ながら
成り行きに合わせてテキトーに「わたし」にまかせるしかない、
という感じになったというか、よくわからないのだけど。

義叔母がいる席で義父は調子に乗って言いたい放題。
「まあ、いろいろ面倒見てもらうしかないだろ」
「ここに嫁に来たんだから、しょうがないべよ」
「どうせやることねえから、行くべよ(毎日病院へ行くこと)」
ぶっとばしてやりたかった。
義叔母もそれにテキトーに同調していた。

冗談じゃない。今までよりやることは増えるんだよ。わたしは。
「ここに嫁に来たんだから」なんて言われるんだったら
離婚してやる!って泣きたくなった。

もう真っ暗になった帰り道。
留守番させてる子供たちに気持ちを馳せながら、
ショックと腹ただしさと悔しさとで、気が狂いそうになる。
もう泣いてしまえーー!と大声で泣きながら運転して帰った。

あーもうだめ。狂ってやる。出てってやる。離婚してやる!
できないくせに(T-T)

10月16日 火曜日  2日目でもうダウン

というのは、頭痛でです。
このままなにもせず朝まで寝てしまいたい。

今日の病院は義父を置いて3時半で帰宅。
ずっと軽い頭痛で、帰宅してからドリンク&頭痛薬を飲んで
1時間くらい寝てしまった。今起きて眠気覚ましに日記など。
なにを置いても日記ですし。(爆)

ゆうべダンナが帰ってきたら絶対狂ってやると張り切っていたのけど
それほど狂わなかったなぁ。だいぶ落ち着いてしまっていた。
帰るコールのあったときに「今日は話すことがいっぱいある」
と言ったら、「やだなあ」と言うので、
「やなのはこっちだっ」と言いました。
そんな言い方は今までになかったような。なんかちょっとスーっとしたな。

でも、布団に入ってからも突然「だぁーーーー!」と叫んだり^^;
ぶちぶち言ってたら、次男が「どうしたらいいかなぁ」
と改善案をいろいろ言ってきた。なんてことなんだ。

今日は病院へ行ったら、義母は私服に着替えていた。
看護婦さんも放置プレイにしたようだった^^;
どうしても自分の病気のことを理解できないようで
「なんでだね」を100回は言ってたかな。

尿を溜めるのが出来なくて看護婦さんを呼ぶことになってるのだけど、
勝手に行ってしまうらしく、ポータブルトイレがベッドの横に置かれた。

今日はインスリン注射(糖尿病のため)の指導を受けてきた。
義父とわたしが一度ずつ実習をした。
わたしは針をはずすときに自分の指に針を刺してしまった(ぁぅ)
他にも勉強しなくちゃいけないことが、たくさんあるらしい。
看護婦さんがわたしだけ呼び、いろいろ心配して聞いてくれた。
少しだけ内情を打ち明けてきた。

明日は次男の遠足。
支度するのに「遠足のしおりは?」と聞いたら、学校に忘れてきたみたい。
んもうめんどくさいなぁ(汗)。友達に借りてこさせたけど。
これから一緒い買い物行ってきますわ。

10月17日 水曜日  3日目。入院前から続いてる限界超え

義弟とダンナはどうかよくわからないけど。
義母と義父とわたしの3人はもう限界超えが続きすぎてマヒ状態です。
誰が狂ってるのかもうわからないような。

今日も朝から頭痛で薬を飲んでから病院へ行きました。
ひどい頭痛ではないのだけど、なんだかなぁ。

病院へ行ったら、義母は尿の管を入れられていました。
やっぱりそうなったか…。
結局自分で自分の首締めてる、ってこともわからないわけで
どう説明してもしょうがないんだけど、可愛そうに。
ただ尿を流さず捨てず、溜めるだけなのに、それが出来なかったため。
かなりガックリしていて、顔を見るなり不機嫌な顔で「調子悪い」と。

今日もインスリン注射の実習を2回ずつさせられ、
「お嫁さん本番一回やってみましょう」と言われたのだけど、
「いや、ちょっと…」と辞退しました。

義父は最初は自分の病歴を長々話して超逃げ腰だったくせに
「もう覚えた。大丈夫だ。」とか打って変わってやる気満々。
でも義父は昨日も今日も最初から自己流。
看護婦さんもかなり不安が残ると言っていました。
「この手順をひとつずつ見ながらやりなさいって、言ってるだろが」
とわたしが言っても、自分の間違いを認めない。
手にもった注射器を義父の脳天にぶっ刺してやりたかった。

義母は尿の管をつけてもトイレに行きたがってしょうがなく、
管もとろうとして、身内のわたしたちの手に負えませんでした…。
なだめすかしながら、5回に1回は看護婦さんを呼び(大かもしれないし)
看護婦さんと話しをし、看護婦さんが戻っていったら
すぐに立ち上がって歩き出しトイレに行こうとする。
また看護婦さんを呼び、また話しをし「ダメだってさ」とベッドへ戻り、
「困っちゃったわね」。管を見ては「ほらもう終わった」ととろうとする。
わたしたちが病院に居た5時間の間、ずっとその繰り返しでした。

最後の方は義父を蹴飛ばしはじめたので、
看護婦さんに頼んで、義父を引っ張って帰りました。
義父が「買い物いくの?」と言うので
「頭痛薬の飲みすぎで気分がどうもさ。かったるいから帰って寝るわ」
と言い、そのまま帰りました。

10月18日 木曜日  4日目。どうしたらいいかわからない

昨日尿の管を入れられ、大変な一日を過ごした義母。
今日病院へ行ったら、なくなっていたので、
24時間で終了したのね、ほっ、なのかと思ったら、そうじゃなく。
ゆうべ自分で管をとってしまったそうです。ぁぅ
今日はベッド脇に便器が置いてあり、時間ごとに座らせることに
なったみたい。

それから今朝一人で家に帰ろうとしたところを
看護婦さんが気がついて引き戻したそうです。
それから夜なにか食べてるかもしれないと言われて聞かれたので、
こちらはなにも与えてはいませんと答えました。
まわりから(同室の人からかな)そんな話しが出たということと、
朝食を食べなくて困ったらしい。
インスリンの注射をしているので、注射をしてから30分後には
しっかりご飯を食べないといけないので。(低血糖になってしまう)

同室の方から「お嫁さんなの?よくやるね。エラいね」
と言われながら「家族の方が来てると落ち着くみたいね」と言われた。
ってことは家族が居ないときはどんななんだろう^^;アセっ

今日は神経内科の外来へ行ってきました。
退院まで診察の予定は入っていなかったのだけど、
義父が困惑していて、外科の先生が入れてくださって。
大した診察や治療や投薬や話しでもなかったのだけど、
義父は少しは満足したのだろうか。

痴呆はどうしても進んでしまうでしょう。
手術に備えて、安定剤や睡眠薬を一時的に使う予定はありますが、
痴呆そのものの進行を止める薬はありません。
出来るだけ一緒に居てあげてください。
それが一番の進行を止める薬です。と言われました。

内科の先生にも相談してみてください、なんて言われて、もう
外科と内科と神経内科と、いちいちたらいまわしされてる気分にもなる。

なんかこのままではどうも厳しい部分が。
でもどうしたらいいか、考えつかない。
義弟との意思の疎通がほとんどないし、
(義弟も義弟なりに考えてやってくれてます)
わたしがどこまでやってあげられるか、という問題もあるわけで、

非常に難しく、どうしていいのか誰にもわからないのではないだろうか。
「もうちっと嫁がやってくれたらいいのに」と
義父でも義弟でもダンナでも思ってるんじゃないか、
と思うとウツになります。
「嫁はよくやってくれてる。こんなに大変な思いをさせて申し訳ない」
と思ってほしい。

なので昨日とおとといは頭痛できつかった。
普段から体力がなくて疲れやすく、義母の洗濯はしてるけど、
自分ちの洗濯が出来なくて、たまってる。
なんで、わたしもこんなかな。まいったな。
というようなことを、なにげなく義父に伝えておいた。
嫁も余裕はないのだということを、わかってもらわないとと思って。

他にも役員の仕事もあるし、次男の歯医者も行かなきゃだし、
あーもうわたしってほんとダメな人間だわ。(T-T)

10月19日 金曜日  5日目。無念のリタイヤ?

今日は義父の介護保険の調査員が来ました。
1時間ちょっと話して、「自立と要支援のぎりぎりとこですね」
と言ってました。それから病院へ。

部屋に入るなり隣のベッドのお婆さんが
「ゆうべはおとなしく寝られたようですよ」と言いました。
今までおとなしく寝てなかったってことなのね^^;

義母の半そでの下着が全部なくなっていました。
義母が自分で選んだ下着10枚くらい。
(そんなにいらないけど自分で選んだのだからと思って持ってった)
3枚は自分が着てたけど。(暑くないの?^^;)
あとはどこいっちゃったんだろう。捨てちゃったのか?謎です^^;

とりあえず…義父をうちに呼ぶことにしました。
負けました。どうしたらいいかわからなくて。
今のままでいられなくて。
まあ、発狂したとも言えるかもしれない。
もうどうにでもなれ。もうなんでもいい。
どうとでもなってくれ。どうなっても構わない。
もうどうにもバランスが保てなくなってしまって。

昨日病院から帰って、雑用をいろいろしてから買い物して
帰宅したらもう9時近くになってしまった。
それから子供たちに夕飯を食べさせて、
なにやってんだろ、わたし、と。
それで今朝、出かけに実母から電話があって、
テキトーに切ったけどなんか慌しくって、
義母の洗濯済みのものを急いでたたんで持って出たのだけど、
冷蔵庫に入れてあった義父に頼まれてた買い物の袋を
持ってくのを忘れて。車を出してすぐに気がついたのだけど、
今日は介護保険の調査員が来る日でもう時間がぎりぎりだったので
取りに戻らなかった。

この流れを自分で眺めながら(あーもうだめ。やってらんない)
って思った。静かに発狂。決心をしました。

義父に胸のうちを全部話しました。
きつい言い回しこそできなかったけど、
正直なわたしの想いを打ち明けました。

「来てもらっても全然よくはしてあげられない、
あなたにその覚悟があるならば来るなら来い」と告げました。

「来てもらう覚悟はわたしには本当はない。全く自信がない。
だけど、今の状態を続ける自信もない。義弟やダンナではだめ。
あなたとわたしで決めるしかない。
もうわたしもどうしようもなくなっている。」

泣いてしまいそうになったけど、ぐっとこらえてそう話しました。
きびしい口調で話すわたしと裏腹に
義父は待ってましたとばかりに上機嫌。

はやまったかな。でももういやなんだよ。耐えられないんだよ。
毎日強迫観念にかられる。
頼むよって言われたくない。
頼まれてたまるか、黙ってわたしについてこい。
誰にも文句は言わせねえぞ。わたしの言うことに全員従え。
鬼嫁宣言。…まで出来たら上出来だったのだけどね。
…やっぱり狂ってるかも(泣き)

10月20日 土曜日  6日目。健全な心と身体で介護できますように…

ゆうべダンナに義父を家に呼んだことを話しました。
わたしの気の済むまで話しを全部聞いてから、
「ひとつずつ考えていってみよう」と。
おまえはカウセリングの人かよ。
ってーか週末にならないと時間もとれないんだろうけど
もっと早くそれやってくれよぅ。

わたしがイヤだと思っていること、困っていることを
ひとつずつ根本的なところから考えてくれました。
なんとも理工系の人が考えそうなやり方で
まるで複雑な方程式を解いていくかのようにでした。

今朝ダンナは自分のものや服を片付け、
干してある洗濯ものをたたんでいました。
「なにやってんの?」「やりたいことやってんの」ぁぅ^^;
それから朝食を作ってくれました。
そして義父から電話があったとき辛くあたっていましたが、
義父の家へ自転車で向かいました。

午後は病院で血糖値測定の指導があるので行くのだけど、
子供は学校だし、それまで待てない義父を
ダンナがバスで一緒に連れて先に行ってくるって。
「お母さんはなにも考えずゆっくりしてなさい」と。

すごくありがたい。すごく頼もしくて、ほっとした。
わたしがイヤだと思っている内容はわかったので、
あとは義父はなにが困っているのかをよく聞いてから
考えてくれるみたいです。
「お互いに思いやりと我慢がなければ、やっていけないことだね」
と言ってました。うん…。

でも実家の中でわたしはあくまでも「嫁」。
「家族」にはなりきれないよ。ということをお忘れなく。
紙に書いて張り出したいくらいだわ。
早くわたしも正常な状態にならなくちゃ。

10月21日 日曜日  7日目。そう簡単にはいくわけがないわけよ

いや、昨日少しほっとしたのは一時のまやかしでした。(ってをいをい)
なんて言ったら罰があたりそうだけど。
やっぱりそう簡単にはいかないや。
やっぱり自分で考えて自分でやっていかなきゃだめなんだね。
前となんにも変わんないじゃん…。

いや変わった。狂うことはないだろ、というとこか…。
あと、いちおうダンナが義父に随分説教したり、
わたしの話しにそういうことはこうでよい、とか
あるにはあるけどさ。

でもな、平日の苦しみの不安は…なんも変わってないような。
いや、だから変わってるって。
あーん、もう。そうやって少しずつ3歩狂って2歩直りでいくしかないのか。
え、それじゃやっぱ狂ってくからだめか。笑 わっけわかんね。爆

昨日ダンナとケンカしちゃった。つまんないことだけど。
すごくショック。
トイレに逃げ込んで(外だったから)大泣きして。
そのまま行方をくらましたかったよ。

ダンナはあまりにまとまりのないまとめようのない家族に
かなりイラついてかりかりしてる。
下手に口もききたくないわ。
まいったな。

ちなみに土日もやっぱり病院へ車を出すことにはなるし、
そして、子供たちを義母に会わせてあげたいし、
抜ける日ってのは一日もない。
そして義父の生活面の補助、負担、プレッシャーの部分。
苦しくても毎日は待っててくれなくて、惰性でこなしていくわけだけど。
その一日一日が重いんだよなぁ。

慣れて、流せるようになるしかないのか。辛いなぁ。でもそれしかないか。
少しずつ…頑張って、狂わないように…。バランス保てるかな。
自信ないよぅ(T-T) いや、だめだめ頑張りなさい!あうー

10月22日 月曜日  8日目。義父との生活スタート

悪夢を見た。
義母を乗せて車を運転しているのだけど、
何故かダンナや子供たちがわたしとハンドルの間で
ワイパーみたいになってて、邪魔なのよ。
義母は一番後ろ、義父はわたしの後ろに座ってる。
(車は8人乗りのやつなので)
スピードはすごく早くて、超怖い。
大声で「あぶないって!」って叫んで目が覚めた。

土曜から義父が来ています。
ずっとこっちに居るかどうかは一旦保留になったけど、
日曜の夕方にダンナとわたしで決定しました。
決定した場所は病院のエレベーターの中。
んー色気ないねえ。エレベーターの中っていったら
普通キスでしょうが。笑い

土日はダンナという共通の指令塔がいるので、
わたしも義父も安心感と程よい緊張感で穏やかです。
果たして今日からの平日生活はどうでしょう。
うまくやっていけるでしょうか。乞うご期待!(ってをい)

うちはマンションなのでプライベートのスペースと時間の確保が厳しい。
リビングに居られちゃうと、厳しいんだよなぁ。
「部屋から出てくるな」「あっちいっててよ」とは
わたしは言えないからね。とダンナに言いました。
そりゃそうだ、ということで、ダンナもいろいろ気を使ってくれますが。

今朝ダンナはわたしに無断で会社へ行ってしまい(いつも通りだけど。爆)
わたしは寝室から出ていくのがイヤでダンナと話しが出来ませんでした。
だって寝室開けるとリビングなんだもん。義父もいたし。やじゃーん。
お泊りは何度もしてるので、慣れてはいるのだけど、
もっと綿密に作戦を考えながらやっていかねばだね。
いちおうわたしの生活は今まで通りでなにも変えなくてよい、
わたしのペースは乱させないぞ、でいってください
という方針ではありますが、そうもいかない部分もあるからね。

まあ、とりあえず今日までに義父が自分の部屋と子供部屋を
片付けてくれてました。片付け(わたしが一番やらないこと)
は義父が得意なので、好都合。いいヘルパーが来たわ。え、(T-T)ぁぅ

10月23日 火曜日  9日目。くたびれる

義母の痴呆の原因は元から天然ボケなところがあって、
それで知らずのうちに糖尿病とうまく付き合ってしまっていて、
乳ガンも1年くらい自分でかかえて育ててしまった。
これらが原因でウツになっていたこの1年だったんだろうな。

今回の病気発覚、入院、手術、治療で
この原因がなくなるか?薄くなるか?
原因がわかったのだから、痴呆の進行も止まるか?
(義父にはそう言って励ましている)

でもそんな甘いことはあまり考えないほうがいいだろうな。
乳ガンは白黒ハッキリしてしまい、手術のショックや、
その後の治療も続くと思うし、
糖尿病で新たに「インスリン注射」がある。
術後、退院後の生活は不安…を考える余裕はまだない。

今日は子供たちの学校がフリー参観日だったので
朝顔を出してあげた。
長男は彫刻刀がなくて(朝探したけど見つからず)
やっぱり可愛そうだったから買ってきてあげた。
次男は上履きがなくぶかぶかのを借りて履いていた。
これは買わずに家で探して、洗って干しておいた。

その後すぐに病院へ。
ゆうべもまた服に着替えて帰るんだと騒ぎをやったみたいだ。
今日義父は調子が悪そうだった。(ってゆうかいつも悪そうだけど)
義父の調子がよくわからない。(義父は心臓病)
本人に自分の身体とよく相談してもらうしかない。

義父は囲碁、将棋、麻雀のゲームを夢中になってやっていて、
たまにムカつくときもあるんだけど、側にいられるのはもっとうざいし、
その方が気が紛れてよいということなので、まあ、いっか。
そんで今朝もやってて疲れたとか、疲れるまでゲームやるなっ。

昨日は義父を一旦病院へ置いて、夕方迎えに行ったのだけど、
(病院は大きな大学病院で片道30分くらい。車だし、そんな
遠くもないけど、もうちょっと近ければ楽なんだけどねぇ)
義母が「自分をうっちゃって、どっかいっちゃった」と
騒ぐらしく今日は病院で休み休み居るよ、ということで
夜義弟が来たら家に送ってもらうということに。
わたしとしては時間が長く空いて助かった。
それで帰宅して横になったら2時間くらい爆睡してしまった。

義母が今度はパンツを全部捨ててしまったみたいで(前は下着)
1枚もなかったので、買ってこないといけない。
義母の着替えを洗濯機でまわして、そのままになっているから干さなくちゃ。
時間が長く空いたし、今日はシチューでも作ろうと思うので
早く支度に取り掛からなくては。

寝てる暇ないのにな。
やっぱり今までラクしすぎちゃってたからなぁ。
ダンナなんて、義父がうちにきて、家の中が少しはまともになったり、
わたしが普通の働きものになってたり、こりゃ一石二鳥、
なんて思ってるかも、と思うと、なんともすげえイヤな感じ…。
で、今日はなにがそんなに疲れたのよ、
なんて言われるとすげえムカつく。

はあ、わたしなんて、ほんとなんというか。
言葉に出来ないぜ。ウツだぜ。最低。

10月24日 水曜日  10日目。義母切れる

手術が25日に決まり、主治医から説明を受けた。
糖尿病があるためにリスクが高いことを思い知らされる。
義母は絶対しない、みんなでグルになってると大暴れ。
とうとう個室に移され24時間家族付き添い令が発令された。
家族相手だともっと暴れるんだけども…。

10月26日 金曜日  12日目。手術は無事終了

元気です。頑張ってます。
義母も元気です。元気すぎです^^;アセっ
個室差額一日19000円だって。ひぃー。

術後、一番最初の今日これからを義父とわたしと二人で見るのが
わたしとしてはほんとに不安でいっぱい。

ダンナも義弟も早退、休みをした後で、会社を休めない
会社を休むなんてことを考える方がおかしい、とダンナに言われた。
だから「そんなことはわかってる、そんな風に言われたら
なにも相談も出来なくなるじゃない」と言い返した。

患部につながった管をとらないように、を見張るわけで、
血のつながらないわたしはかなり精神的負担が大きい。
「命綱的な」なんて言葉を聞かされたら、ビビるじゃないかさ。
それに義父のためいきやグチや弱音をしょちゅう聞き続けなければ
ならない苦痛。これも続くとほんとにきつい。

義父があまりにも弱気なのを医者が知り、手術の説明の際主治医から
「退院後は施設へということも考えられるので、
不安であれば早めに相談してください」と言われた。
糖尿病(インスリン注射を含めた血糖コントール)と痴呆というのが
かなり大変になるだろうとのこと。
もちろん施設になんてことはありえない。
それどころか介護サービスは使いたくないわけで。
じゃあ、どうするのよ。わたしなの?勘弁してよぅぅぅ!!

10月27日 土曜日  13日目。ここを切り抜ければ…どこだろう

術後は普通の人でも手を縛られたりしますよね。
もちろん義母も縛られましたが、狂いました。(そりゃそうだ)

24時間体制を4人でローテーション組んでます。
っていっても、車があって一人で動けて一人で付き添えるのは
義弟だけなんだよねえ。ダンナはわたしが送り迎えになるし、
義父とわたしは一人では難ありってことで。
なかなか難しいんだよねえ。やっぱ大変だねえ。
って当たり前か。汗

今日はダンナが24時間ぶっとおしを買ってでたけど、
結局はそれもどうも中途半端でなあ。
そのあとどうすんのよー。ってとこがどうもうまくなく。
まあなにしろそんなうまくローテーション計画なんて
誰もたてられる余裕がないのよ。
そんで突入したら相談する時がないのよ。^^;

なにしろ興奮しだすと、誰も手をつけられない。
完全に狂ってしまう。なんなんだろうあれは。
その場から離れるのも大変。
なんとか看護婦さんを呼んで声をかけてもらうと、少しおさまるんだけど。

こんなこと退院してからもあったら、どうすんだ。
昨日も一度ひどいのがあって…
またいつそうなるかと思うと、もう怖くて
義母との会話にはものすごく神経を使ってます。
異常なくらい神経を使ってるかも…。
わけわかんないことばかり言ってる人相手に
真剣勝負の会話って、すっげ疲れるよ。死にそう。
こんなことやってたらもたないよねぇ。

でも自分の会話のせいでおかしくなるのも怖いし、
狂ったときに普段の会話で気に入らないことを
ひどい言われかたしちゃうのが怖いのです。
わたしを名指しや指さしで攻撃はまだ受けてないのだけど
いつわたしが…って思うと。
そうなったらもう面倒みれないかもしれない。
昨日は来てくれた義母の妹にひどいこと言ってた。
病気が言わせてるでは済まないような…ひどい言葉の数々。
滅入ります。

10月28日 日曜日  14日目。とにかく家に帰りたい義母

朝9時に義父と二人で病院へ行き、24時間担当したダンナと交替。
義母はゆうべ一睡もしないで、なんとか帰ろうとしてばかりいたとのこと。
13時に子供たちを連れて、再び病院へ。
15時に義弟がきてバトンタッチ。
帰り際、義父に義母が「おい、金よこせ」
義弟が千円札を出したら「そんなんじゃいらない」(万札じゃなきゃだめ)

その後も義母は夕方~一晩中荒れたらしい。
荷物をまとめて帰ろうと病棟内を徘徊。
タオルケットをやぶる。ベストのポケットをやぶりとる。
腕についた名前札もとる。これは数回目だけど。すごい怪力。
夜も一睡もせず。昼間も寝てないのだけど。
泊まり担当の義弟とダンナも寝ずの会社で大変だ。

10月29日 月曜日  15日目。一日も早く退院。のその後は?

朝子供が学校へ行った後速攻で病院へ行き、義弟と交替。
朝から義母はガーゼ交換時以外は絶対にベッドに寝ない。

手術の経過はよいので、少しでも早い退院を主治医が考えてくれている。
なにしろ家に帰りたくてしょうがなくて脱走しようとするし暴れるから。
しかし、その後の生活はどうなるのでしょうか。
糖尿の先生が来たので、インスリン注射をしないで済まないかと聞いたら、
それでもよいですけど、とさんざん脅された。
「退院後ご飯を作られる方はどなたですか」「いません」「・・・」
わたし以外にいないじゃん。「わたしかも」明日栄養指導があるとのこと。

わたしは不安になって、病院の総合相談室へ行った。
とりあえず病院と連絡のとれる訪問看護を入れてみたらどうか、とのこと。
介護保険を使うということで、導入しやすくてよいかもと。
その訪問看護をしてくれる人がケアマネージャーにも
なってくれるというので、それがうまくいくとよいなとか思う。
退院後まずはうちにくるのか、どうするのかさえはっきりしてない。
とにかく退院後の生活が不安でいっぱい。やなことばかり。

ダンナと義弟に連絡をとったら来るということで18時に集合。
うちに一旦帰って子供の顔を見てからダンナを迎えに行って病院へ。
糖尿の先生と本人と家族全員で話しをする。
本人はどう説明しても理解するのは不可能なので、
本人が絶対にイヤだと言っても、注射は続けるということで決定。
帰りほか弁を買って20時に帰宅。

10月30日 火曜日  16日目。立場を見失う

朝6時に義父と病院へ。泊まりのダンナと義父が交代。
急いで帰宅して、子供を学校に出してから、ほっと一息。
ゆっくり洗濯とかしてから、11時に再び病院へ。
わたしが昼を食べにいって帰ってきたら、義母の機嫌が悪くなってた。
でも暴れることはなく、ほとんどみんなして黙ってた。

午後は3人で栄養指導を受ける。戻ったら義母の妹が来てた。
術後義父に「義母の前で絶対口にするな」と口止めしておいたことを
義父が口にする。(手術にまつわるここに書くのもちょっと…な内容)

止めるのも変だからとっさに止めることはしなかったけど、
続けてさらにもっとやめて欲しい最悪なことを口にする。
身体をどついて「なんでそういうこと言うかな。ぶっとばそうか」
と止める。神経疑うなんて言葉くらいじゃ収まらない気持ち。

食堂にいってお茶でも飲もうかと移動する。
自販機で義父は自分のリンゴジュースを買っている。
(義母はジュースやら好きなのに飲んではいけないので、
まわりも遠慮するようにしているのだけど。
前に義父が飲んでるのを義母が「ちょっとよこせ」と飲んでた
こともあり義父に義母の前で飲むなと言ったのだけどな)

「なによこれ」と放っておいたけど、そこへ義母が来てなにやら怒っている。
その隙に念のためリンゴジュースはわたしが没収した。
そのままやばい空気。会話もなし。

義父がわたしに顔でなにやら合図をする。
ものすごい形相で顔をしかめて、アゴを何度もしゃくる。
でも意味はわからない。帰れってことかな、とか。
なので「義母の妹乗せて帰ろうか?わたし一人で帰っていいのか?」
と聞いたら、一人で帰っていいというので、帰った。
話しのわからないやつですみませんね。

帰り道この後義母が暴れるんじゃないかな、と気にかかりながら、
腹がたったり、落ち込んだり、なんだかものすごくイヤな気持ちになった。
わたしわからないよ。
あなたたち夫婦のことには首を突っ込まない方がよいね。
余計なことは言わないほうがいいね。

言葉を止めることも、ジュースを没収することも
帰ってよいものか悩むことも、しなくてよいのかもね。
義母にしろ義父にしろ、わたしの言動に怒っているのかもしれない。
神経使うだけバカみたいってもんだ。あーわたしがバカでした。
勝手にやっててください。もうやだよ。

じゃーわたしはなに。
そうかただの運転手。ただのヘルパーなのね。
ふうーん。そうね。それが一番よいのかもね。
他の人雇ってください。さよなら。

でもさよならじゃない。(汗)
18時頃三度病院へ行き、義弟を待ち交代。

10月31日 水曜日  17日目。とうとうわたしに矛先が

義父「ありゃキチガイだな」
義父「オレもキチガイになりそうだ」
わたし「わたしもキチガイになりたいわ」
義父「あーなったら人間もうおしまいだな」
わたし「一時的なものと思うから、そんなこともないよ」
義父「いっそのこと一緒に死んじまおうかって思うよ」
わたし「そう思うのはまだまだ早いよ」

ゆうべ病院へ戻ったとき、義母はやっぱり荒れていた。
義父に殴りかかっていた。
そしてとうとうわたしに矛先が。
「帰って」と言われ、「じゃ外にいるわ」と言ったら
殴りかかられそうになった。
「わかったよ。じゃ帰る」と病室を出た。
外で待つこと1時間。義弟が来て、事情を話す。
それから30分してから義父が出てきた。

私服と靴をを引き上げてしまったのだけど(看護婦の指示で義弟が)
それをわたしが全部持ってっちゃったと思ってるらしい。
義父がわたしに送り迎えしてもらって、わたしの家に帰ることが
気に入らないようだ。義父をわたしにとられたとでも思っているのか。
いらねえよ。なんもしたくなんてねえよ。

わたし「義父さんがずっとここで寝泊りすればいいんだろうよ」
義父「それじゃこっちがまいっちゃう」
まいればいいじゃん。倒れればいいじゃん。

義父「気を悪くしねえで、ひとつ頼むよ」
わたし「・・・・」
気を悪くするよ。涙ひとつでも見せろ。土下座でもしてみせろ。
こんなわたしが気に入らなきゃ縁切ってもらって構わない。
離婚してもらっても構わない。そのかわり子供はやらないよ。

義母は夜もすぐ起きて、義弟がうとうとしてる隙に傷のガーゼなどを
とってしまったそうだ。傷につながった管まではセーフ。
管がとれたら退院して抜糸などは通院でになりそうだ。(異例)

わたしは今日は義母と顔を会わせる勇気がないので
遠慮させてもらって、朝義父を送ってそのまま帰ってきた。
程なく義弟がから電話が入る。
「大丈夫だから昼ごろにでも顔出してやってくれないか」
と言われた。大丈夫?誰が?わたしは大丈夫じゃないよ。自信喪失。

わたしはやだよ。いくらキチガイでも知りません。
血のつながった、それでもやっていけるやっていかなきゃしょうがない
と思える人たちだけでやってください。

病室で寝ててもおにぎり喰ってても気に入らない義母。
寝るな、喰うな、ってことか。死ねってことか。
わたしはあなたに殺されたくありません。
他の人なら殺されてもよい?それを守るために、
助けていくということだろうか。
キチガイ相手になにをムキになっているのだ。
予期していた第一の壁にぶつかり、さっさとくじけてます。まいってます。

ちょっとふて寝してたら、がーーっと寝てしまった。
悪夢をずっと見てうなされてた。全部義母がわたしに怒る夢。(涙)
子供帰ってきたら子供と一緒にいってみよっかな…。どうしよ。

11月1日 木曜日  18日目。見てあげようと思える気持ちとやっぱりイヤって思う気持ち

昨日は子供たちを連れて夕方病院へ顔を出してみた。
機嫌はよろしくなく、義母はひとこともしゃべらなかった。
今朝の泊まり担当はダンナ。6時に交代。
帰宅して洗濯をしてから、病院へ行ってみることにする。

ご機嫌はまずまずよかった。ほっ
それで水のいらないシャンプーをしてあげた。
「気持ちいいね」と喜んでくれてすごく嬉しい^^;
手術したとこにつながった管がとれた。
これでご機嫌もよく、ほっとするばかり。

午後はこれから長男の音楽会を見に行って、
夜義弟と義父の交代のときに迎えにいく。
義父の送り迎えの時は顔を出さないことにした。

義母は病院をマンションだと思っているようだ。
退院の話しをすると「この洗面所なんかも持ってくのかね。
こんな大きなベッド置くとこないからいらないねえ」とか。
それでナースステーションは畑だと思っていて、
魚屋がたまに来るらしい。

自分のうちやわたしのうちのことをたずねても、とんと覚えがないようで。
「(義母のお気に入りのスーパー)のそばのさあ」(わたしのうち)
と言うと「あそこで寝たり出来るんだねえ」だし
「老人ホームのとなりの」と言うと(義母んち)
「老人ホームになんか居たのかねえ」とか言ってる。
単語は一個までのようだ。

リハビリの人に「どこに住んでるんですかー」と聞かれると
「山形(義父の田舎)」と言うそうだ。
(全然遠いし、行き来もないんだけど)
それから絵や字の書いてあるカードを見せられて
「これなにかわかる~?」とかもやってるらしい。
それってなんなんだろう。やっぱ痴呆のリハビリなの?
直接聞いてないのでよくわからん。

そういえば、入院前には一度も聞いたことのない
「ひょっとこ屋」というのがよく出てくる。
それどこよ。と後で聞くとダンナも知らない。
義父がたぶん生家のそばにあった小間物やさんじゃないかなと。

一番困る「発狂」は病気や入院によるウツからのものとして
直るかもと思うけど、痴呆は痴呆で刻々としっかりと進んでいる。

今は義父も義母もほとんど病院に居るからいいけど、
退院したらどうなるのかなあ。やっぱり憂鬱。
自分の中でいろいろすごく葛藤がある。

今一番イヤなのは「退院したらいろんなとこ連れてってやるからな」
っていう義父のセリフ。その気持ちはよくわかる、だけど
連れてってやるからな、って運転手はわたしじゃーん。
平日も休日も休みなしの運転手は、やっぱりどうしてもイヤ。
なんでこんなにイヤなんだろう。泣きたいくらいイヤ。
ダンナによくよく話してみよ…。
義弟も運転できるんだし…。勘弁してよぅ(T-T)

つづく。

次回以降アップ予定
義母乳癌判明
入院前
入院中(義父仮同居開始)
退院後(同居介護)←-----



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