バイク仲間駿風会とテニス仲間あくだま会

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戦わせるものは何か!


レフリー・ストップをかけられ、敗れたフレイザーの顔は腫れあがり、口のあたりは血まみれになっていた。
一方、防衛に成功したアリは、まともに椅子に座ることもできず、しばらくマットの上に沈んだままだった。しかしだからと言って、最終15ラウンド目を両者には戦う力がなかったとは言えない。
体力の極みのはるか向こうに強靭な気力を見る思いがしたからだ。

昭和50年10月3日[朝日新聞]天声人語にアリの言葉が引用されていた。
<<ボクシングの魅力!何をいうんですか!ただ、殴り、殴られるだけの事だ。・・・こんな商売が魅力があると思ってやっている人がいたら、お目にかかりたい。俺は金が欲しいからだ。一生暮らせる金ができたら、さっさとやめる。>>と、新聞記者のインタビューで語ったと言う。<そして、天声人語は、27億円の資金を稼いでも、まだアリはボクシングをやめないのかという疑問を投げかけていた。
アリは、金のためという動機でボクシングをやっていた事は事実だと思うが、一生遊んで暮らせるだけの資金を稼いだ後も、お金のためにボクシングを続けていたとは思えない。
対フレイザーとの試合を見て金銭的動機が大きく印象に残らなかったからである。

物事を始める動機なんてものは、案外単純な場合が多い。金のためとか、これ以外に方法がなかったとか、とにかく家族を養わなければならなかったとか色々・・。功なり名をあげた人々は、最初の動機まで崇高な話にもって来る事があるが、事実はわからない!
最初は、単純な動機で始めたものでも、状況を一つ一つ克服する過程で、人の気持ちは次第に変わって行くものである。
新しい目標が設定され、使命感にかられる場合がよくある。
モハメット・アリの心境まで分析する事はできないが、少なくとも<チャンピオンの名誉>にかけてという気持ちは強かったと思う。
「戦い抜く」とか「やりとうす」事ができるのは、自分にとって、何か大切な価値を見つけたからこそ、戦い抜けるのだと思う。
なぜなら、つまらない事をやりとうす人はいるだろうか??


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