ジャズサックスとウルトラマラソンな日々

ジャズサックスとウルトラマラソンな日々

5.2 萩往還250kmその2


ウトウトしたら携帯電話にセッした目覚ましバイブが鳴って目を閉じただけの休憩に
なりましたが、少しは楽になったようです。靴下を履く前にマメ防止の摩擦軽減剤を
丁寧に塗り込みました。不思議なことに水膨れが一箇所も無いのだ。おそらく2400円も
した靴下が良いのだと思います。スタッフに出発を告げて表に出ると3人のランナー
とスタッフがいて「この人たちはコースが分らないので知っていたら先導して欲しい」
と要請があった。そして彼らは歩きでゴールするとのこと。わたしは下見をしていたので
コースは分るので引き受けたが、途中下りになったら走ることを条件にしました。
とことが、いざ出発してみると、自分の左足が痛くて逆に歩行スピードを落とす破目
になってしまい恥じをかいてしまいました。

鎖峠を越え長い下りになっても痛みで走ることが出来ず以降約19kmほど歩き通す
ことになりました。また、この夜は我慢できないほどの冷え込みとなったのですが、
前夜暑かったのでリュックを軽くするために先ほどのエイドにウインドブレーカーを
置いてきており、大失敗。かなり焦りましたが、もしもの時と思い、携帯ポンチョを
忍ばせていたことを思い出し着用するとなんとか耐えれるので一安心でした。ところが、
次に訪れたのは睡魔の嵐。歩きながら寝ているので何度も倒れそうになりました。
しかしここは心霊スポットのような山中であるため止まる訳にも行かずライトに照らされた
道をフラフラと前に進むだけです。周囲に数人いましたが、みなさん同じ現象になっていた
と思います。極端に会話が無くなっていることで分りました。
DSCN1262.JPG

195km 玉江駅エイド 午前4時30分?
無人駅を借りて簡易エイドと仮眠を行えるようだが、寒くてとても寝ていられません。
30分だけ椅子に座って目を閉じました。よしだ~さんたちが到着して隣で仮眠を始めた
のですが、ここでも寝れませんでした。お腹も空いていましたが、食べる気にならない
ので熱いお茶を頂き出発しました。もうすぐ距離は200km、残り時間13時間でした。
まともに歩き切れれば完走の可能性が高いと判断して先をめざしました。歩きだすと
なんと、あれほど痛かった左股関節の痛みが和らぎ走れることに気が付きました。
復活したのです。うれしくなって夜明け萩市の海辺をどんどん走って笠山に進みました。
ここも往復コースなので反対側に帰ってくるランナーを確認できます。Vinatchさんと
すれ違うが、かなり早い。虎ヶ崎のエイドでカレーを頂きました。そして思案が・・
昨年140kmコースに参加しましたが、ここから先で睡魔に襲われ125kmエイドで
関門アウトになってしまった。山道が登れなかったのでした。トラウマになっているので
思い切って30分だけ睡眠をとることにして横になりましたが、約5分で寝れないと判断
して出発しました。ここは140kmコースも同じなので前夜に出発した140kmランナー
とも並走することになります。

215km 東光寺  午前7時30分
虎ヶ崎からもノンストップで走って行くことができました。もう奇跡としかいいようがあり
ません。フルマラソンと違いウルトラマラソンは途中で復活することは今までに何回も
体験していますが、今回は驚異的な回復力でした。なぜそうなるのか?と考えてみると
仙崎から玉江駅までの登り下り約30kmを歩行したお蔭なのか?神様のお蔭か??
気温が急激に高くなって来ているのでなるべく早いうちに往還道へと急ぎました。

道の駅 萩往還道公園手前から朝スタートした70kmコースのランナーと対行する
ようになります。彼らはAコースの白いゼッケンを付けた私たちに出会うとほぼ全員が
すれ違いざまに拍手や、お疲れさまなどの声をかけくれました。わたしも昨年同じ様に
応援しましたが、Aコースのランナーは既に200km以上走っているのですが、今も
目の前を走っているという事実に唖然として感動しない訳にはいかないのです。
応援を受けるわたしも本当に嬉しかった。歩け歩け35kmの人もみなさんからも全員に
応援コールを頂きました。
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ももルルから70kmに参加している与作さんに遭遇するのを楽しみにしていると携帯を
イジリながら歩いていました。こんなので完走できるのか?心配しましたが、彼女も見事
時間一杯だったようですが、ウルトラランナーに変身してしまったようです。そしてもう一人
島根のチーム夢伝説さんが私を発見してくださいました。この方も無事ゴールされてました。
GBD先生は残念ながら会えませんでした。往還道の急な登りはとても走っては登れない
坂道なのでゆっくり登りましたが、下りは故障しない程度に走って少しでも時間の短縮を
図りました。心配していた睡魔は訪れず一安心でした。

235km 佐々波 最終エイド 午前12時
冷奴で有名なエイドで去年は食べれなかったので3個も食べさせて頂きました。
去年はここで約5分遅れの関門アウトを宣告されてバスに収容されたことを思い出し
時間はたっぷりあるというのにゆっくりしていられなくなり早々に出発し残り15kmを
必死になって進む。実はここからが最大の正念場となる標高545mの板堂峠を越える
のだですが、気温は上り炎天下の国道の坂道を10kmほど登るのはかなりの時間が
掛かることが懸念されました。しかし、すでに気持ちの方が勝っていたのでゆっくりでは
ありましが、走りと歩きを交えながらついにコース最標高の板堂峠(545m)を越えて
残りは下りのみの5kmとなりました。

往還堂の急な下り坂で岡山から私たちの応援に来てくれていたさっちぃさんが声をかけて
くれました。こんなところで会えるとは思わずビックリしました。仲のいいご友人を迎えるために
ゴールから走って来たという。そのご友人は私よりかなり遅れていたので心配でしたが、
後半で復活してみごとゴールされていた。最後の道はかなりの早さで走れました。
45時間以内でのゴールが確信できたので途中で足の筋をストレッチしたり、ランナー
同士がゴールで重ならないように間を調整しました。そして立派にゴールに入れるように
ウエアなどの格好を走りながら整えました。これは非常に重要なことです。

そしてゴール
ゴール手前の参道には朝から到着するランナーを待っている人たちが、たくさん居られて
知らないみなさんからも「お帰りなさーい」と拍手を頂きました。足の痛みなど微塵も
感じません。瑠璃光寺入口ではみなさんの大拍手ともにハリーさんの出迎え、そして
福岡からももルルメンバーの海夏さんが応援に来てくれていてまたビックリ!ありがとう。
ゴールテープ前でカメラマンにオリジナルポーズをすることを告げてから撮影して貰いました。
カメラマンのみなさんもこのポーズを笑って頂き祝福して貰えました。感無量です。
DSCN1275.JPG

ゴール後、瑠璃光寺入口でお知り合いのみなさんと一緒に後続のランナーを待つことに。
しかし、目が開けていられないほど睡魔が押し寄せるのでホテルに行き仮眠を取ること
を告げて一足お先に失礼しました。

レースを終えて
走り始めてからいつの日か最終的に極めたいと思っていた萩往還250kmでしたが、
レース直前で故障に見舞われ本来なら来年に持ち越しとなるはずでしたが、無事に
完走すことが出来ました。故障はしていましたが、身体が持ち応えたのは過去の練習
実績からの成果であり、股関節以外の部位がちゃんと機能してくれたからだと思います。
また、精神面では直前に診て頂いた鍼の先生に出走を告げると自分のことのように
一生懸命に治療をして頂けたこと。お蔭で故障していた右股関節が最後まで持ちました。
これには報いたいと思う心が大きな復活力になりました。そしてハリーさんをはじめ、
みなさんの熱い応援の数々、また、ランナー同士の言葉にならない一体感など・・・
折れそうになっている気持をいつも誰かが支えてくれているような安心感がありました。
皆様に心より感謝申しあげます。

一つの目標を達成することが出来ましたが、このコースを30時間以内で走破する方々が
たくさん居られることを耳にすると、工程が分るだけに想像を絶する世界であり、まだまだ
ひよこの域だとさらに感じる次第です。完走出来たことがいったい何の約に立つのか?
約に立たなくてもかまいません。まだまだ自分の可能性を確かめたいのです。

これで一応ですが、世界にいる一流のアホな皆さんの仲間入りが
出来ました。出来ればもう少し上を目指したいと考えています。
hagi.JPG

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