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今年も明けました。気分を変えるため、ミクシィの日記からこちらに引越し。あんまり細々なので、いっそミクシィごと辞めようか、とも考えながら、やっぱり何とか踏みとどまり。ミクシィに誘われて2年近くになるのだけれど、ずーっと違和感が。記録としての「日記」も、それなりに必要だけど、やっぱり他の理由で、私は書きたい。だけど、それが出来ない。理由は自分では思い当たってる。いわゆる「日記」を書きたいと思う時はすんなりパソコンに向かえる。だけど、本当に書きたいことがある時は、これがうまくいかない。そして厄介なことにその「書きたい」気持ちの行き場は今のところ見つかっておらず、結果自分の中の引き出しがまた埋まる。何で書けないのか。つまりは、怖れから。書くことによって、誰かを確実に傷つけるんだろな、というそれ。そんなに恐ろしいことばかり(笑)、考えているわけではないのだが、小さな引っ掛かりが、幾日かの時間を経て自分の中で形を成してきたとき、やっぱりそれはある程度の強さを持つ反面、誰かを傷つける刺を持ってしまう。「傷つけたくないから」なんて、偽善的な言い訳だけど、実は私、話し言葉ではしょっちゅうそれをやっている。よく言う「余計な一言」というそれから、「正論は人を傷つける」あれまで。若い頃はやり逃げ!言いっぱなしだったが、やっぱり、この歳にもなると、抜き差しなら無いところへ足をつっこんでしまって泥仕合・・も経験した。この穴はからは、まだ抜けきっていないかも。情けないかな、ビクつく足元。そのくせに、傲慢な思考。言いたいのは「責任」ということ。ブログや、ミクシィのようなものでは、その辺は考えるほうが阿呆なんだろうけど。「そんなの関係なーい」世界だろうから。だから、やっぱり私には手紙やメールといった「責任の取れる範囲」で書きたいことを爆発させるのが向いているんだろうな。今までも手紙では名作多数あり。ただ、自分の中にそこをどうしても出たい、と思う何かがある。だから、やっぱりこうしてここにいる。新年早々何をごちゃごちゃ考えているんだろう。しかし、気分はそう悪くない年明けでした。
2008年01月03日
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昔から寝つきが悪い。最低でも1時間くらいはかかる。下手すると明け方まで眠れないなんてこともざら。立派な睡眠障害で、小学校4年生のときにもう発症していた。そのときから、かれこれ二十余年、毎日ではないが、誘眠剤や向精神薬の力を借りて眠っている。布団に入ってから眠れるまでの間、実はこの時間がもっとも私が素になれる時間。音も光も遮断すると、意識だけがくっきりと自分の肉体のうえに浮かんでいるのがわかる。よく、眠る前の「うとうと」している時間にアイデアが沸くといわれているが、現実の様々なしがらみから開放される時間がそこにあるのではないか。私の場合、物心ついたときからその時間は不安定な心細い自分の出番だった。もしかしたら、本来の自分の姿なのでは、とも思う。日中はそうした不安定な自分は半ば無理やりに意識の奥のほうへ押し込んでいるのかもしれない。だから、唯一の出所である眠る前の「うとうと」はすっかりそれらに占領されているのだ。普通の人は「うとうと」の時間に、素敵なことを考えているのだろうか。「明日のお弁当何にしよう」、とか「デートには何を着ていこうか」とか。楽しいことでも考えればその後に続く夢にも楽しいストーリーが用意されるのだろうに。私の夢は不安定な自分の壮大な、ときに滑稽な旅であることが多い。だから、とても疲れる。なんだか、とても損をしているような気がしてきた。しかし、朗報。こうやって、文章にして吐き出すことを始めようと思ったのも、その「うとうと」の時間で、さらには、書きたいことが次から次から噴出してきたのもその時間、おまけに大体の草案ができあがるのもその時間、ということになった。長年の浮かばれない「うとうと」時間が今、日の目を見ようとしてる。睡眠不足はこの際我慢して、しばしの間薬の力は借りないようにしてその時間を有効利用しようじゃないの。ちょっとだけ、楽しみになってきた。
2006年03月02日
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