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ぬちしぬじがま、沖縄の方言で「ぬち=いのち」を「しぬじ=しのいだ」「ガマ=洞窟」つまり「命をしのいだ洞窟」へ行ってきた。今年で三年目になる沖縄家族旅行。毎年、飛行機と宿だけ取って出掛ける。唯一、前もって予定を入れるのが、自然体験のツアー。Ryuさんというガイドの方が一人でやっているツアーは一年目に「浜辺と磯のツアー」、去年は「ジャングルの沢歩き」「夜の探検ツアー」に参加、今年は「鍾乳洞ツアー」を予約した。今まで参加したどのツアーも本当に素晴らしく、毎回子どもも大人も大満足だった。いつも、初めて出会う自然にただ感動するだけでなく、地球のこと、時間のこと、色んなことを考えさせられるとっても刺激の多いツアーだ。今年も、期待いっぱいで待ち合わせの場所へ。いつもの通り、Ryuさんの車で探検場所へ行く。今までは、殆ど観光客も来ない「秘密の場所」だったが、今回は、Ryuさん以外の方もガイドをしているという鍾乳洞。車を降りて歩くと、整備された案内の看板があった。「ぬちしぬじガマ」。いのちをしのいだ洞窟という意味だそう。戦時中、この集落の約300人の方が、3ヶ月もの間その洞窟に身を隠したという。幸い、その方たちは無事助かり、死者を出さなかった。それでも、「戦争」というキーワードが出てきて、ちょっといつものツアーとは違うな、という緊張感が漂った。沖縄本島のへそ(中心)にあたるこの場所。サトウキビ畑の横を歩くと、漂う牛の臭い。このあたりは闘牛の町だそうで、牛を飼っている所が多い。闘牛には会えなかったけど、肉牛?が居たので、子どもたちは餌やりをした。段々狭くなる上り坂を歩くと、にわかに大粒の雨が。また、雨女っぷりを発揮してしまう。足早に洞窟近くへ急ぐ。Ryuさんが入り口近くの岩盤のところへ私たちを案内した。いわゆる山あいの土地なのに、よく見るとそれは岩盤ではなく古いサンゴだった。その証拠に二枚貝の化石があちこちに埋まっている。山の中に貝??遥か昔の地殻変動で海の底が隆起したのだろう。「昔はここは海の底だったんだよ。」と言われて不思議な気分。洞窟へ入る前に注意事項の最終確認。鍾乳洞であるため、頭上と足元はとがった岩ばかり。帽子をしっかりかぶり、特に大人は頭に注意するよう言われた。一人ひとつずつ懐中電灯を渡され、いよいよ入り口へ。細い曲がった道を下り、また登り、ガジュマルの木がうっそうと茂る湿った日陰に、暗い入口が不気味に口を開けていた。隠れ家にふさわしく、この入り口はなかなかに分かりにくい。雨で湿った空気とその静けさに、大人の私でさえ正直少しぞっとした。Ryuさんを先頭に洞窟へ入る。いきなり、左右から大きな岩がせり出した通路を通る。探検気分は一気に盛り上がる。音の響きが外界とはすっかり変わり、光が届かなくなってすぐに外の世界のことは忘れてしまった。足元にはひんやりと浅い川が流れている。この川は外界とつながっているので、生息する生物は外界のものと同じものが多い。ヨシノボリ、やエビなどを見つけながら、奥へ進む。奥へ進むと天井の高い、少しだけ広めの空間へと出た。とりあえずそこで探検はストップ。暗闇に目が慣れてきたとはいえ、どのくらいの広さかなかなかつかめない。ここで、Ryuさんの懐中電灯を残し、それぞれの電気を消した。そして、最後にRyuさんの懐中電灯を消す。真っ暗。「目の前で手のひらを振ってみてください」と言われやってみるけど、当然何にも見えず。瞬きをしても、もちろん何も変わらず。ただただ、暗黒の世界。そこにある懐中電灯の電池がすべて切れたら、私たちは外へは出られない、とRyuさんに言われぞっとする。命の危険すらあるので、この洞窟にはちゃんと管理者がいて、許可を取らないと入れないという。私たちがいかに「光」に頼って生きているかを痛感する。「どんな音が聞こえますか」といわれ耳を澄ます。視界が奪われると、必然的に聴力は研ぎ澄まされる。さわさわ・・と水の流れる音。ひたひた・・と水が岩肌をすべる音。ぴたぴた・・としずくが落ちる音。私たちの気配を除けば水の音だけ。脳にインプットされるのが、こんなにシンプルな音だけというのもなかなか無いことで、体と頭の中がイマイチ状況についていってない様な、異様な感覚。暗黒の時間が一分、二分と過ぎていくと、むらむらと湧き上がる欲求。「電気点けたい」。暗闇が怖いというより、とにかく落ち着かない、不快な気分。ああ、はやく灯りを・・と思っていたら、案の定、次男(五歳)が悶えだした。私にしがみついてくる。そうよね、落ち着かないよね。「早くつけて・・」。5分が過ぎようやく懐中電灯を点けてOKと言われる。ほっとして肩の力が抜ける。明らかに、さっきより視界がクリア。目が暗闇に順応して、わずかな光も拾おうとする。普段はまず使わないが、ちゃんと人間にもそういう能力があるんだね、と再確認。ちょっとだけ研ぎ澄まされた感覚で、探検を続ける。足元の水の冷たさも、最初よりは慣れてきた。鍾乳洞であるので、よくよく見ればどの岩も奇妙な形をしている。そして、ひたひたと流れるカルシウムたっぷりの水のおかげで、今も少しずつ少しずつ形を変えている。その速さ、1センチで100年ほど。ということは、そこらにある岩はそれぞれウン千年?ウン万年?の時を凝縮している。気が遠くなるほどの時間の流れ。歩いていると、Ryuさんが「こうもりの臭いがする」という。「こうもりの臭い??」、鼻には自信があるので、精一杯鼻を澄ます?とわずかだけど生き物の臭いが。「臭っ」というほどではないけど、生暖かい風と共に埃っぽい臭いがしてきた。懐中電灯をかざすと、ぱたぱたとこうもりの群れ。別にこっちに攻撃を仕掛けてくるわけでもなく、子どもたちも怖がらず見上げている。しかし、よりによって、こんな場所に住むなんてね。でも意外と静かでいいのかな。気がつけば探検も一時間を超えていた。初めよりは、洞窟に順応してきた自分がいる。再び、広い空間に出てきたところで、Ryuさんがこの近くの集落のおばあに聞いたという話をしてくれた。(その2へ続く)
2010年08月30日
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Ryuさんが出会ったおばあは、まさにその洞窟に身を潜めていた一人だった。おばあは当時まだ小さな女の子。300名もの人たちと3ヶ月もの間、洞窟で生活した。ある日その女の子(おばあ)の弟が、洞窟内で熱を出した。もちろん医者に行くことも出来ず、食料すら満足に無い。弟が心配でたまらなかった女の子は、ふと「熱にはバナナの皮を額に貼ると良い」と誰かに聞いたことを思い出す。居ても立ってもいられなくなった女の子は、大人たちの目をかいくぐって、こっそり洞窟を出た。人っ子一人いない村を駈け、女の子はバナナの葉を取って帰ってきた。だが、その姿をアメリカ兵が目撃していた。誰も居ない集落と思っていたところに、女の子の姿。これはきっとどこかに隠れ処があると、アメリカ兵は女の子の後をつけ、ついに洞窟を発見した。日本語を話せるアメリカ兵が洞窟に向かって話しかけた。「もう戦いは収束に向かっている。皆を助けるので、どうか投降して出てきてほしい」。とうとう見つかったと、洞窟の中の人たちは落胆した。当時、同じ様に沖縄各地の洞窟に身を潜める人たちが多数いた。その中には、アメリカ軍につかまって虐殺されるよりはましだと、自決したり、殺しあったりした所もあったという。混乱の中、村の長の下、話し合いが持たれた。そして、長が一つの決断を下した。「私が行って、もし無事に助けられたのなら、外から皆さんに呼びかけます、 そうしたら、皆も続いて出てきて下さい。 私が帰ってこなかったら、アメリカ兵は私を殺したと思ってください」僅かに残っている、命の助かる可能性に賭けようということだった。村の長はそう言い残すと洞窟を出た。そして、外から皆を呼んだ。「大丈夫、皆出てきてください」。そうして、300名の人たちは無事助かったのだという。それから、その洞窟は「ぬち(命)しぬじ(しのいだ)ガマ(洞窟)」と呼ばれ、今も管理、保存がされて沢山の人がそこを訪れている。こんなに狭く、暗い空間に300名もの人が、3ヶ月間も暮らしていたなんて。想像も出来ない。灯りは豚の油で灯し、食料は休戦している夜中に男たちが周りの畑に取りに行ったらしい。川が流れていたので、水は確保できていたのだろう。でも、あまりの閉塞感に私だったらすぐに発狂してしまいそうだ。それでも、耐えに耐えしのび、人々は命をつないだ。3ヶ月の間に、洞窟内で出産した人も居たという。まさに、命を守った洞窟だった。ウチの子どもたちがこの話をどこまで理解できていたかは分からないが、確かにこの場所に300名ほどの人が隠れていたのだ。信じられない気持ちで、残りの出口への道を踏みしめて歩いた。「出口が見えましたよ」。Ryuさんの声で、頭を上げる。一瞬息を呑んだ。遠くに開いた出口から、青白い光が霞んでいる。今にも消えてしまいそうな光に映し出された、険しい出口への道と、空をバックにした木々のシルエット。やっと辿り着けたはずの光は、眩しいどころか、青白く、儚げで神聖だった。いつもの沖縄の黄色い日差しではない。ここに身を潜めていた人たちは、どんな気持ちでこの光を見たのだろう。思うと胸が熱くなった。最後の険しい道を登り、ようやく地上に出た。いつの間にか雨も上がり、普段の輝かしい沖縄の日差し。露にぬれた木々の緑も一層鮮やかだった。これが「生命の色」だ。洞窟に入ってから一時間以上が経っていた。帰り道、Ryuさんから洞窟の長さがたった200メートルだと聞かされびっくりする。慣れない空間に体も心も対応するのが必死で、あちこち疲れている。頭上に足元に注意を払いながら歩いていたので、とても長く感じた。車へ戻る途中、穏やかな村の景色に「いのちを繋いだ」人たちの今を感じた。生き残った人たちが、ここに確かに居るんだ。明らかに、行きとは違う愛おしい風景に見えた。また、心に残るツアーになった。Ryuさんに感謝。
2010年08月30日
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沖縄前半は名護を拠点に海三昧だったので、後半は沖縄本島をさらに北上して、いわゆる「やんばる」と呼ばれる、沖縄の森へ行こうと考えた。「やんばる」とは「山原」を沖縄読み?した言葉。その名のとおり、森や湿原などの亜熱帯独特の自然山々を指す。北の拠点に宿を探していたら、「やんばるくいな荘」という小さな民宿を見つけた。宿泊した人の、口コミで評判がよかったので、HPで調べてみる。すると、宿の外観の写真にかわいい「ヤンバルクイナ」の絵が(下の写真)。なんと、この絵は宿のおかみさんが書いたらしい。人懐っこいような愛嬌のあるその絵に惹かれて、宿を決めた。たとえ、ネット上の情報でも、こういう人の匂いのするものだと、どんなきれいなイメージ写真より、その宿の雰囲気がわかる。とりあえず、電話をして予約を入れた。美ら海水族館を後にして、海岸沿いを北へ走る。今帰仁(なぎじん)というその町は、いわゆる沖縄の田舎。建物もぽつぽつとあるだけで、どれも海からの風で屋根も壁も乾いたように古い町並み。でも、よくある日本の田舎の風景とは全然違って、寂れてはいるものの、物悲しい感じはしない。きっと、景色の半分を占めるその明るい海の色のせいなんだろう。沖縄の海は、キレイで、どこか陽気な色をたたえている。国道をひたすら走る。迷うほどの道もなく。町の切れ目もわからないまま、のどかに景色が過ぎる。国頭(くにがみ)という町へ入ったようだ。海と反対側の緑が、心なしか濃くなってきた。「やんばる」の森だ。夕日が沈むころ、ちょうど宿に着いた。入り口には例の「ヤンバルクイナ」の壁画がお出迎え。思ったより大きくて、やっぱりかわいい。旅の疲れもすぐに和む。車を止めて、玄関らしきところで「こんばんわ」と叫ぶが人の気配なし。台所らしきところで、作業する音がする。しばらく待っていると。頭にバンダナを巻いた、エプロン姿のおかみさんが出てきた。意外とそっけなく、「あ、入り口そっちだから」と玄関をあけてさっさと奥へ入っていく。重たいバックパックを背負って急いでついていく。「にしむらさんだっけ、3人?あ4人か。そしたら、一階のこことここの二部屋つかって。このテレビの部屋でもゆっくりしなさいな」と民宿の一階合計4部屋を自由に使えという。それだけ言って、またすぐに奥の台所へ消えていった。宿帳らしきものもない。「ニシムラ」という名前は認識されていたが、何名だったか、とかどの部屋を使うかとかはすべて、明らかにその場でおかみさんが「適当に」決めていた。もちろん、予約の際私は「二泊、大人二名、子供二名食事つき」という旨を電話に出た男性に伝えていたのだが(その男性はどうやら息子さんだった)。その沖縄らしい大らかさは、宿の随所に見られ、食事はいつまでたっても出てこないし、(子供たちお腹空いて、眠りかけたころ出てきた)、布団は足りないしとある意味強制的に、ゆるゆる空間へ適応せざるを得なかった。でも、私もそれを望んでいたところもあり、なぜか全然腹が立たなかった。おそらく、これがどこかのそれなりの温泉旅館なら、「どうなってるんですか」と旅の疲れでイライラしていたのだろうが、ここでは、すべてがまあいいか、とゆるりと流れていった。ようやく8時半ごろでてきた夕食は、びっくりするほどのボリューム。おかみさん手作りの沖縄の家庭料理だった。そして、どれもとても美味しい。この宿、決めるところは決めてくるんだな。とりあえず、満腹で床についた。翌朝、何の予定もない私たち。旅後半はゆっくりしようと決めていたので、遅めの朝食をとった。今度は離れの三角屋根の小屋で食べてくださいとのこと。行ってみるとなんとも素敵な空間。縦長い合掌造りのような小屋は、真ん中に囲炉裏があって、蔦で編んだ手作りのランプが掛けてある。置いてあった三線を子供たちがぽろんぽろんと鳴らす。さわやかな朝の風が通る小屋で、ボリュームたっぷりの美味しい朝食をいただいた。食後、宿の庭を散歩してみた。前日は薄暗くて気づかなかったが、斜面に立つ宿なので、庭も起伏がある。その高低差を活かして、池と小さな小川が作ってある。それは、手作りのビオトープのようになっていて、小さな池にはピンクの蓮の花が咲き、池にはメダカが。よく見ると、頂上に「メダカの学校」と書いた手作りの小さな校舎が!その横には畑、そしてウサギ小屋、それもやっぱり手作り。そう、この宿は「手作りの館」だった。よくよくみれば、玄関の壁画だけでなく、階段には植木鉢で作った人形。珊瑚でできた人形。海に浮かべるブイをくりぬいて、カエルの形にした水道。そんな、オブジェのような手作り品たちが、庭のあちらこちらに置いてある。おかみさん、相当なアーティストだと見た。子供たちも、その作品一つ一つに興味津々。そして、小川の前にもうひとつの小屋が。そこも畳2畳ぶんくらいの小さな小屋だが、壁の一方は完全に開放してあり、木の匂いがする、暖かい空間。やはり、室内には手作りのランプや、ご飯を炊くかまどを利用した手洗いなど、とにかくほんわか、人の手のぬくもりのあるものばかりで、ごろんと寝ころがればそのまま眠ってしまいそうになった。沖縄の音楽をCDで掛けながら、庭の向こうに見えるサトウキビ畑からの風に吹かれて至福の時間。私はその小屋とその前の手作りのビオトープが大好きになった。私は小屋ですっかりくつろぎ、子供たちは庭をあちこち探検していた。すると、奥からおかみさんがでてきて、「ハイジのところ行くから、おいで」と子供たちを連れて行った。「ハイジ?」と興味津々でついていくと、そこには小さな(これまた手作りの)小屋が。「メェェェェェ」とヤギの声。おかみさんが小屋を開けると、かわいい子ヤギが出てきた。下の子はちょっと怖々だったけど、ハイジにご飯をあげよ!と誘われてついていく。おかみさんが持ってきたかごには、緑の葉っぱと鮮やかな赤いハイビスカスの花。ハイジ専用の椅子にハイジを誘導して、そこで、ご飯タイム。なんと、ハイジの大好物はハイビスカスの花。喜んでむしゃむしゃ食べる。そして、葉っぱも。子供たちが差し出すや否や、むしゃむしゃ。すごいスピードでどんどん食べる。面白いくらいに食べる。子供たち、すっかりハイジの餌やりにハマる。そんなこんなで、大人にも子供にも居心地がよすぎる宿のせいで、お昼近くなっても一向に誰も「どこかへ行こう!」と言い出さない。せっかく沖縄も北のはずれにはるばる来ているのに。でも、これもまた旅だなあと。(字数オーバーのため、次へつづく)
2008年09月14日
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宿の食堂で、私はおかみさんの手書きの、宿周辺マップを見つけた。これがまた「ひみつの宝探し、探検地図」のようで、わくわくする地図だった。そこで、その日は地図片手に、片っ端から宿の周りを探検しようということになった。地図には「地元の人が行く海」やら、「山の味がする湧き水」やらなにがおススメなのかわからない「オススメ『長根橋』」やら・・。とりあえず地元の人が行く海へ行ったら、人っ子一人居ない美しい砂浜。今日は泳がない予定が、またまた、我慢できず、服のまま海へ入る子供たち。着替えて、今度こそやんばるの山のほうへ行くことに。私も子供も「湧き水」が気になって、山道を車で走る。すると、ちょうど、「オススメ『長根橋』」を通った。それは、どのガイドブックにも、地図にさえ載っていない橋だったが、とりあえず降りてみる。長さ50メートルほどあろうかという大きめの橋の、両側はひたすら緑。緑。緑。うん?と思って車を降りてみると。。ぞおおおおっ!緑は緑でも、その奥行きがすごい。橋の遥か下には、よーく見ればかすかに川の水が光っている。でも、その谷底に向かって、左右、そして手前からずっと遠いところまで、ひたすら緑の木々が景色を埋め尽くしている。空以外はすべて緑。何にも余計なものがない。その奥行き、深さともに、今まで私が経験したことのない距離だったので、視界にそれがいっぺんに入ることに脳がついていかない。だから、ぞおおおおおっとするのだ。吸い込まれそうで、足がすくむ。そして、その緑も、いわゆる日本の山の風景(多くは杉だったり)とは全然ちがう。ヒルギと呼ばれる亜熱帯独特の木だ。よく見るとほとんどヒルギばかりの森。だから、今まで見てきた山の風景とは違ってみえる。橋の反対側を見ても、また同じように緑、緑の奥深い景色。ほかに何にもない。これだけ何にもないと、「地球」がくっきりと感じられる。自分が地球にに立っていることが、少しだけ、感覚的にわかったような気がした。「なるほど、これがオススメか」と納得して、湧き水のところまで地図を見ながら進む。おかみさんの地図は、例によって手書きの大らかな地図なので、距離感が全くつかめない。目印もない。すると、道端に止まった車を発見。見ると、無数のペットボトルを道に並べて、数人のおじさんおばさんが談笑している。聞けば、那覇のほうからはるばる水を汲みにきているらしい。湧き水は、道端の岩の切れ目に突き刺してあるプラスチックの管を通ってチョロチョロと出ていた。それをじょうごを使ってペットボトルへ。数時間掛けて汲むらしい。これまた、大らかな沖縄時間。私たちは少しだけだったので、割り込ませてもらってペットボトルに水を入れてもらった。渡してもらったペットボトルは見る見る白く曇っていく。それだけ水が冷たい証拠。口に含めば、ひんやり、とろりと甘い。これなら、はるばる来るわけだ。乾いたのどを潤していると、息子が「リュウキュウハグロトンボだ!」とキレイなトンボを見つけた。道端の小川にも、見たこともないきれいな鳥が居た。歩いているとハンミョウも。初めて目にする生き物ばかり。ここが、まぎれもなく「やんばる」の森だ。森は、一歩入ると、シダを大きくしたような植物や、見たこともない木々がほとんど。なんだか恐竜時代の森のよう。そして、まぶしい日差しにもかかわらず、木陰は驚くほどひんやりしていた。子供たちも疲れていたので、あまり奥深く森に入ることができなかったが、「やんばる」の森を体に感じることができた。宿に戻って、夕食は私の気に入った小屋でいただくことにした。今回の旅行最後の夜。小屋にはろうそくがつけられて、柔らかな空間に。食堂のほうからは、誰かが弾く三線の音が聞こえる。この宿は、宿泊客意外に、夕食を食べに来るお客さんの多いこと。美味しくてボリュームたっぷりのおかみさんの食事に、たくさんの男の人たちが集まってくる。私は涼しい風に当たって、星空を見ながらおいしい食事。もう、なんにも言うことなし。小屋の縁側に腰掛けてライトアップされた小川を見ていたら、おかみさんが、手桶にいれた大きなつぼみのようなものを持ってきた。なんと、それはドラゴンフルーツの花だった。ドラゴンフルーツといえば、派手なピンクのとげとげした外観の南国のフルーツ。その花のつぼみは意外にも、やさしいクリーム色だった。「この花はね、夜咲くのよ、だからご飯食べてるうちに きっと咲いてくるから、楽しみにしておきなさい」と言い残して、また忙しそうに台所へ戻った。最後に素敵なプレゼント。ゆっくり食事をしていたら、静かに花が開いてきた。月明かりに、優しい白い花。忘れられない夜になった。翌朝、出発の日だ。なんだか、とっても名残惜しい。思えばおかみさんと、もっと話がしたかったなあ。私たちがどこから来たか(やっぱり宿帳なかった)も聞かないし、何処へ行けと勧めるわけでなし。でも、寛ぐ私たちに、そっと黒砂糖のお皿を差し出してくれたり、手抜きなしの愛情たっぷりの食事を作ってくれたり。そして、あのドラゴンフルーツの花。温かいおもてなしの心を感じた。最後に、清算をお願いしたら、料金までまたもや大らか。一泊二食で4500円と激安なのに、下の子(3歳)はタダだと。いえいえ、食事も寝具も全部大人並に利用させてもらったんですと、あわてて、お金払いますと申し出た。じゃあ、1000円だけ。って、あの食事一食だけでも、都会では1000円ですよ、おかみさん。あまりの商売っ気のなさに、びっくりした。子供たちは、すっかりなついたハイジとの別れを惜しんでいる。私は、人の手のぬくもりいっぱいの宿にすっかり癒された。いい宿に出会えてよかった。また、来年も必ず行きます。ハイジとおかみさんに見送られて宿を後にした。
2008年09月14日
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夏休みも終わりの八月最終週、四泊五日で沖縄へ行ってきた。毎年、帰省や一泊でのキャンプにはたびたび出かけているのだが、旅行らしい旅行は、かれこれ五年ぶり。忙しい中、久しぶりに旅行の計画を練った。学生時代から、大の旅行好きで、海外から、国内まで、いろんなところを旅した。イギリス、スペイン、インドネシア、タイ、ハワイ 台湾・・国内あちこち。時には、一人でユースホステルをハシゴしたり、基本はツアーではなく、自分で創る旅。とにかくどこに行っても、体中の感覚がどんどん開かれて、出会いも失敗も思う存分味わうことが出来た。頭も体も普段つかってないところをフル回転させるのに、旅はちょうどいい。そして、何より、景色も人もすべてが刺激となって、「生きている」感覚を取り戻すことができる、それが旅だった。言い換えれば、普段の生活の中で、時折その「生きている」みずみずしい感覚を見失うことがあった。だから、人生の中の数年は、私にとって旅は欠かせないものだった。子どもができて、すっかりフットワークが重くなってしまったけれど、子どもの身の丈に合わせた小さな旅は、私にとっても大切な栄養になっていた。そして久々の長い旅行。下の息子も3歳になり、自力でどこまでも歩いてくれるので、ちょっとだけ遠出して沖縄へ行くことに決めた。いつも私は往復(もしくは行きのみ)のチケットと、最初の日の宿泊を予約するくらいで、その後の行き先、宿などは現地へ行ってから探すことが多い。見てもいないのに、ガイドブックで行き先を事前に決めることは、なんだかもったいないような気がするのと、現地で自分の感覚を研ぎ澄ます楽しさ、そして何より、出会いを見つける楽しさを取っておくためである。前回沖縄へ行ったときは(結婚前だったが)、西表島へ渡り、自然体験ツアーなどをしている「ロビンソン小屋(あちらでは有名)」へふらっと入ったら、なんとそこに知人の写真が。「知り合い?」「宿決まってないなら」と、一週間そこで住み込みのように、喫茶店の手伝いや、ツアーの手伝いをしながらタダで滞在することになった。さすがに、今回は子ども二人も一緒なので、そこまで気ままな旅は現実には難しいので、宿泊は事前に予約しておいた。そして、どうしてもひとつだけ、沖縄のそのままの自然を子どもたちに見せてやりたい(いわゆるビーチではなくて)、と思い「自然体験ツアー」をやっているところを探した。以前滞在した西表島では、まさにそうしたツアーに毎日手伝いと称して参加していたが、かなりワイルドなツアーは、それだけちゃんとした知識と経験のあるガイドが必要だ。一歩間違えば命にかかわる危険さえある。「自然」に触れさせてもらっている、という謙虚な気持ちで行われていないと、それなりの場所へは行けない。だから、大規模で行われているツアーのほとんどは、安全度も高いけれど、経験できるのもそれなりのものでしかない。ネットでいろいろ検索して、気になるところを見つけた。ネット上でも、それなりに怪しいか怪しくないかは、わかるようになってきた。とりあえず、直接電話をしてみることに。こちらの子どもの年齢や希望を伝えて相談してみると、親切に相談に乗ってくれた。ちょうどよさそうな「浜辺と磯の探検ツアー」なるものがいいだろうとのこと。やはり、小規模でやっているので(ひとつのツアーでせいぜい二家族まで)事前に予約だけはしてくださいといわれた。あとは、行ってみてのお楽しみだけど、とりあえずそのツアーだけ決まった予定として組み込んで、旅に出発した。沖縄二日目、待ちに待ったツアーの日。天気も上々。ガイドのRYUさんと待ち合わせて、現地へ車で向かう。予約のときも、当日も、探検の大体の場所は教えてくれるのだが、それ以上詳細は教えてくれない。そのわけは、後からわかったが、そこは、本当に誰も観光客(地元の人でさえも)の来ない、自然のままの海だった。道中、RYUさんは子どもたちにいくつかのきまりを言い渡した。勝手に生き物を触らないこと、生き物を持って帰らないこと、ごみを残さないこと。いきなり、厳しい口調で説明されても、子どもたちはキャーキャー兄弟げんかをしていて、聞いているのかいないのか・・・。RYUさんはさらに厳しい口調で、「約束守れないと、探検連れて行かないからね」、といい放つ。海には危険な生物もいるので、当然のことのなのだが、子どもたちには、どうしてもそれが言葉では伝わらない。国道から小さな路地を何本か入り、サトウキビ畑の間を抜けると、狭い道路の木陰に車を停めた。サトウキビの背丈が高いので、見通しはあまりよくなくて、自分たちがどこにいるのか、すっかりわからなくなっていた。もう一家族と合流して、青く茂った林の中を掻き分けるようにして、海へと続く道を降りていく。アダンというその植物はパイナップルそっくりの実をつけていた。その実は、波に流されてヤドカリや魚たちの餌にもなるという。行く先に青い海と白い海岸がちらっと見えた。「磯」のツアーでなかったけ?磯といえば、黒いごつごつ、とげとげした足場の悪いところを想像していたので、白い海岸が気になった。道を抜けるとそこは、見たこともないような、海岸の景色だった。干潮をねらって出かけているので、浪打際はかなり遠くにある。足元は、白いサンゴがごつごつとしきつめられていて、大小のくぼみに水がたまっている。そうか、沖縄だから、こういう「磯」もあるのね。そして、波打ち際より手前に大きな灰色の岩?のようなものが、ドデーンと鎮座している。それらは、あちこちにあって、それぞれ、奇岩のように面白い形をしている。きのこのようなもの、真ん中に窓のように穴があいていてそこから海がみえるもの、なにやら、動物のかたちのようにユーモラスなもの。はやる気持ちを抑えながら、ガイドのRYUさんについていく。もはや子どもたちははしゃぐどころか、その景色に圧倒されて、ぴったりRYUさんの後についていき、「これは触っていい?」とちゃんと約束も守って次々に生き物に触れていた。子どもは自然の中では、意外と悪ふざけしないものだ。本能的に何か自然への畏怖のようなものを感じているのだろうか。ヒトデ、ナマコ、カニなどと戯れたあと、いよいよ大きな岩のようなものへ近づいていく。なんと、そこは岩ではなくて、サンゴの塊だった。何万年もの時間をかけて、死んだサンゴが波に削られたり、生物に食べられたりして不思議なかたちでそこに残っているという。さらに、ドーム状になっているところへ入ってみると、沢山の空気孔をもつサンゴが音を吸収するので、驚くくらい、しんとしている。近くで見ると、貝などの化石があちらこちらに埋もれている。さながら、時間の缶詰だ。それは、私たちが想像も出来ないくらいの遥かな時の流れをそこにぎゅっと抱えている。その静けさに、目の前にいる子どもたちの歓声が一瞬にして吸い込まれた。深い時間と交錯する今。久々に体ごとの感動を味わった。それからさらに白い、ごつごつした海岸を歩く。ところどころ、生きたサンゴもいるので、踏まないように気をつけながら、RYUさん一押しのスポットについた。そこは、さっきのサンゴのドームより、さらに一回り大きなドームだった。ぱっくりと口を開いた不思議な空間。その下は薄暗い影になっている。天気もよく暑かったので、涼しい日陰のその場所へ吸い込まれるように入った。なんと、そこには大小いくつもの海水がたまった露天風呂のような窪みがあった。そして、よく見てみると、それぞれに、青や黄色、縞模様の熱帯魚が泳いでいる。「それでは、ここで魚たちと泳いで見ましょう」。えーいいの?!「好きなところでどうぞ」といわれ、チビでも足の届きそうな天然のプールに入った。そこは日陰になっているせいで、水もひんやり冷たい。もちろん、水は透明度の高い、エメラルドグリーン。体の横を熱帯魚たちが泳いでいる。なんだか、夢みたい。次々と自然のプールをハシゴして回る。ああ、時間よ止まれ。今まで、シュノーケリングなどで、熱帯魚と触れ合ったりしたことはあったけど、ここはなんだか、「秘密の場所」みたいで、どきどきわくわくした。干潮の間だけ許される、夢のような時間。子どもどころか、すっかり大人の私がツアーにはまっていた。その後、海岸で、サンゴや貝を拾い、それぞれがネックレスにして、旅の記念に首に掛けた。そうこうしているうちに、潮は静かに満ち始め、夢のような時間は終わる。あっという間の3時間。途中何度もRYUさんが、「この景色はなんとしてでも守らないと、人が汚したりすればあっという間になくなってしまうんだよ。」と子どもたちに話していた。沖縄に住むRYUさんたちも宝物のようにしている場所。だから、場所教えてくれなかったんだな。もう、おなかいっぱい。来てよかった。ここでないと、見られない景色。大満足で、もうこれだけでも今回の旅行は来たかいがあったかなと。息子たちも、いろんな生物に触れられて大喜び。旅前半の素敵な出会いだった。というわけで、つづく。
2008年09月01日
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