金光教(こんこうきょう) 荻窪教会(おぎくぼきょうかい )

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カテゴリ: 教話

1、好きなように生きる
 よく好きなように生きていますと多くの人が言いますが、それは本来、最低限の社会的な責任を果たした上で好きなように生きると言うことである。
最近は、そのことがわからず、何でもやって良いと思っている人が多すぎます。見つからなければ(捕まらなければ)何をやってもよいと考え、捕まると運がよい悪いでかたづける。
 本来、人の迷惑を掛けない生き方が重要で、迷惑を掛けたときは感謝の気持ちで接することが肝要です。お世話になったときの気持ちを持ち続けていくことで、いつでも自分の原点に返れるし、責任を果たして、最大限の生き方をするのは当たり前です。
 相手を思いやれない人は、人からも思いやられないと思います。どこか卑屈な人は、その卑屈さが一生心から消えないのです。そこに自分の価値を見出しているからかもしれません。いくらかっこいいことを言っていても中身がないひとは続かない。お金のためだけでは人は動かない~最近はそうでもない人が多いかも知れないが。
 結局は、自分勝手で利己的な自己中心的な考え方を改めて、人を思いやる心を育てていかなければならないのです。
 今、体と御魂を神より与えられたので生きている自分に与えられた生活、生き方を喜びを持って励むことが大切である。

2,ものに困らないが心は貧しい
 今の世は、物が有り余り溢れてた飽食。
困ってもプライドを捨てると餓死したり、自分から望まない限りホームレスにはならない。
今はものに困らない分、困った事があると心が壊れやすい、今、壊れた心に救済の道がない。医者は薬で抑え、原因には介入できないし、ヘルパーも死に直面しても介在せざるをえないが、対応できない。
 昔から救いは信仰か信念だが、信念も信仰心も現代日本人には薄れている。急にそんな事とわれても、マニュアルもなく教育も受けていないと答えるのである。
 信心する者は、姿、形にとらわれず外見で判断することなく、相手の立ち行きを願う気持ちにならせてもらうことが肝要です。

3、嫌われぬためには 。
(1)初対面に無心で接すること
 有能な人間ほど、とかく慢心や偏見があり、どうしても有心で接するが、これがいけない
(2)批判癖を直し、悪口屋さんにならないこと
(3)努めて、人の美点・良所を見ること
(4)世の中に隠れて案外善いことが行われているのに平生注意すること
(5)好悪を問わず、人に誠を尽くすこと。

教祖様の言われる、「わが身、わが一家を練習帳にして、神のおかげを受けて人を助けよ」の心持ちにさせていただくことである。

4、情報メディアの功罪

 コンピュータ信仰の行き渡っている日本だから通用する話であっても、
たとえば独裁政権下の国のコンピュータ情報を信頼するだろうか。もともと意識を数値化できないから、専門家と呼ばれる解説者がつく。
 マスコミは、自制心のない商人が虚像を作り操作する産業である。
勝手な正義感や恐怖やスポンサーへの配慮、web上を激しく動きまわる感情的な情報だったり、作成者の個人的な趣味の集まりだったりする。
だか人はそこからしか情報が取れなくなっている~みじかな事以外は。
都合の悪い善いかは別にして情報は駆け巡るのである。
判断は個人に委ねられていても、判断基準すら、なかなか個人の自由にはならないのである。
「理屈があっても、みなまで言うな。理屈とくさびは八分詰め、詰めすぎると紙袋が裂ける。あいよかけよで世は治まるのである。」

5、オンリーワンの幻想
ナンバーワンにはなれなくても、オンリーワンにはなれる。

 最近は、誰もが他の人と違った才能というものを持っていると思っている方が多くなってきている。
『自分には他人にない何か優れたものがあるに違いない』という思いを信念のように抱こうとするのである。
社会への不安の低さ、根拠のない楽天主義~具体的には、『目立ちたい』『今の社会は生活しやすいと思う』『何をしてでも生きていける自信はある』『自分には、他人と違った才能がある』

 現実の社会認識も甘く、自己認識も甘い、仕事したこともないのにやりたい仕事もなかなかできないのである。
 自分の確固たる経験に基づかない、社会の雰囲気や運に左右された主観的で不安定なものである。
 現代社会そのものに、自己否定する人を避け自己肯定する人を受容する方向性が強まったが、現実には誰もが自己肯定出来る訳じゃない。
 他人を見下し、切ない幻想に生きるのである
 「人間は人間らしくすればよい。何も求めて不思議なことをしなくてもよい。」という教祖の教えの侭に特別な存在である必要もなく、「目先の欲を放して、先々の徳をいただけ。」を実践すればよいのである。

お知らせ
・前教会長仲井昭夫師1年祭(2007年2月3日(土)14時執行予定)の際に「偲び草」の発行を計画しています。書式は自由で原稿用紙1-2枚程度(400-800字程度)で、本年12月末日までに原稿をお寄せいただけると幸いであります。






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Last updated  2006.11.14 12:25:02
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