とある田舎の喫茶店

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蓮華草が咲く時―4




 マク・アヌ西の噴水がある広場で、あたしは鳥居――蓮華と腰を下ろして話していた。
 当然のことだろうが混乱する蓮華に、あたしはひとつひとつ包み隠さず話してやった。
 まずはThe worldの何気ない話。
 あたしがR:1時代からのプレイヤーであることを話したら彼女は大層驚いたようで目を丸くした。
 意外に思ったのはお互い様だったらしい。
 彼女にPKKである理由も聞くと、彼女は苦笑いを浮かべながら言った。

「ある日何気なくPKに襲われているPCを助けたんです。そしたらそのPKに目をつけられてしまって。何度も返り討ちにしているうちに他のPKたちも私に興味を持ち始めちゃったんです。そしていつの間にかPKKなんてことになっていたんです」

 あたしは他愛ない話でだんだんと彼女の心をほぐしていき、話の方向をそちらへと変えていった。
 鳥居がクラスに馴染んでいないことに悩んでいたこと。
 紫雲英という双剣を知っているという情報からThe worldへと身を落とし、蓮華というPCにたどり着いたこと。
 そして、彼女の本音を聞きたいと思っていたこと。
 全てをただひたすら聞いていた彼女は、あたしの話が終わると、その重たい口を開いた。

「誰にも言わないって、約束してくれますか?」

 その言葉は、あたしが今まで耳にしてきたどんな言葉よりも重みがあった。
 深刻な顔をする蓮華に、冗談を言う余地は一切ない。

「ああ、約束する」

 ならばこちらも真剣にならなければと、蓮華の目をじっと見つめた。
 あたしの誠実さが伝わったのだろうか。蓮華は一度目を伏せ、遠くを見つめながら口を開いた。

「私の父は、人殺しなんです」
「―――!」

 あたしが言葉を失っても、蓮華は構わずそのまま続ける。

「私の母は私が小さい頃に離婚しました。だから私は父のことを知りません」
「……」
「父が殺人事件を起こしたのは私が中学生の時です。私がそれを知ったときには、クラスのみんなにもそのことが知られていました」

 語る蓮華の口調は淡々としている。
 まるで他人事のように、伝聞情報をまた誰かに伝えているかのように、どこまでも平淡だった。
 どこか遠くを見ている蓮華の目にはつらさや苦しみといった感情は伺えない。
 その瞳の奥に、いったいどれだけの闇を抱えているのだろう。

「いつものように教室に入ったら、みんな、全員が別人になっていました。あっちでひそひそ、こっちでひそひそ。まるで私自身が犯罪者みたいな目で私を見ていた。あいつの親父って、人殺しなんだぜ。あいつもその血を受け継いでいるんだ。人間のクズだ。死んだらいいのに」

 その口からなんのためらいもなく出てくる蔑みの言葉。
 それは人の精神をいとも簡単に蝕んでしまう呪いの言葉だ。
 そんな言葉を、彼女はまるで慣れているかのように口にする。
 いや、慣れているのではない。
 麻痺しているのだ。
 麻痺してしまうほどまでにそんな言葉を浴びせ続けられた彼女の苦しみは、いかほどのものだっただろう。

「そんなことを、毎日、毎日、浴びせられて、私は母の勧めで転校しました。だけど転校しても同じだった。同じことの繰り返し。私は全部で3回転校したけれど、どこに行っても同じだった。それから高校に入りました。でもその高校には中学のころの同級生も行っていて、父のことはすぐに広がって、中学のころと何も変わらなかった。登校拒否になろうとか、死のうと思ったことは何度もありました。……だけど母が悲しむことを考えたら、母が一人残されることを考えたら、死ねなかった」

 目を背けたくなる事実が、どこか遠くで起こっていることだと思っていた事実が、今目の前にいる少女から容赦なく叩きつけられる。
 できれば耳をふさぎたい。だけど絶対にふさいじゃいけない。
 あたしには彼女の苦しみを知る義務がある。
 あたしは彼女を――――救いたい。

「私は高校生活を楽しく送ろうとは思っていません。せめて高校だけは出て欲しい。でなければ将来的に苦労する。そんな母の願いを叶えてあげたいから、私は高校へ通っているんです。高校を出れば……後1年半耐えれば、私と母は、解放されるんです。父という怨霊から解き放たれるんです。だから大神先生」

 彼女はゆっくりとあたしへと顔を向けた。
 その顔はどこまでもいつも通りで、逆にそれがあたしの心を悲しくさせた。
 それを彼女は理解しているのだろう。
 しかしそのうえで、彼女は言った。

「私に関わらないでください。父の呪縛は、何者にも解くことはできない。時間だけが解決してくれるんです。だから、お願いします」

 その黒い瞳にはひたすらに自らへの絶望が漂っている。
 彼女は完璧だ。
 学力とは別に、頭が良すぎるのかもしれない。
 自らに突きつけられている事実を冷静に分析し、未来を見据えて行動を決定する。
 それができるがゆえに、彼女は他人に頼ることをしない。今ある事実に絶望し諦めてしまう。
 彼女が選択したものは最善のように見えて、その実妥協案でしかないのだ。
 あたしはその妥協案をなんとしてでも、打ち崩さなければいけない。

「鳥居……お前がいる2―Cのクラスメイトは、お前のことをきっとわかってくれる。だから――」
「同じですよ」

 あたしの言葉をさえぎって、彼女は目を伏せた。

「父のことを知れば、みんな今まで出会ったクラスメイトと同じように、私を忌み嫌うようになる」

 その顔に暗い影が差す。
 彼女が思っているのは今彼女がいる2年C組のクラスメイトの顔だろう。

 今まで巡ってきたクラスメイトの中でもっともフレンドリーで、自分が距離を取っても嫌な顔ひとつしない、親友になればとびきり楽しい学校生活を送れるであろうクラスメイト。

 自分の秘密を知れば、その態度を豹変させるであろうクラスメイト。

 今良くしてもらっているだけに、いつか秘密を知られる未来を予想することに罪悪を感じているのだろう。
 それは彼女が生まれ持つやさしさだ。
 未来に絶望しても、自らを忌み嫌う者たちを恨むことはない。
 そのやさしさこそが―――彼女を救う鍵だ。
 彼女を救うのはあたしじゃない。2―Cの、鳥居のクラスメイトたちだ。
 だからあたしは、彼らに全てを賭ける。

「……鳥居、ひとつだけ聞く。このまま高校生活を終えることと、お前の父親のことが学校中に知れていろんな人からひそひそと影で言われ、でも……それでもクラスメイトだけはお前のことを友達として見てくれるとしたら、お前はどちらを選ぶ?」

 心で願い続けながらそう問うと、彼女は一度目を閉じ、数秒置いてからまた遠くへと視線を向けた。

「全校の生徒から蔑みの目で見られても、同じクラスの人たちだけは私のことを友達と見てくれる。……そんな淡い夢が叶うのなら」

 そこで彼女は言葉を止め、その顔をあたしへと向けて―――寂しげに笑った。

「私はそのクラスメイトたちに、すべてを差し出してもいい」

 絶対に叶うことはない夢。
 彼女の孤独な笑みは、そう言っているようだった。

 そしてすぐに笑みを消した彼女は、これ以上話すことはないとでも言うように、「約束があるのでこれで」と言って、あたしの前から去っていった。
 彼女の寂しい笑みだけが、頭の中に焼きついて、いつまでも残っていた。







                 ■










『おい、知ってるか? あいつの親父って人殺しなんだぜ』
『知ってる知ってる。ありえねえよ。人殺しの娘に学校通う資格なんかねえだろマジで』

 ――いや。

『おい、あんま言わないほうがいいぜ。なんせ人殺しの娘だからな。いつカッターでさくっとやられるかわかんねえよ』
『うわ、怖ぇ~。最近多いもんな~、そういう犯罪。きっとああいうやつが起こすんだろうなー。ほんといかれすぎ』

 ――やめてよ。

『死んだ人超かわいそうだよな。たしかまだ27歳だろ? まだ人生これからって歳だよなぁ』
『っつかさ、なんで親父が人殺しなのにのうのうと普通の生活送ってられるわけ? 頭おかしいんじゃねえの?』

 ――いや。

『ねえいい加減お前言ってあげなよ。被害者の罪償えって』
『ああ? 償うってどうやってだよ』
『ははっ、そんなの決まってるじゃん。こう言えばいいんだよ』

 ――いや、いや、いや、いや、いやぁ!

『死ねって』

「いやぁぁぁぁああああああっ!!」



 ―――。

「―――っ、はあっ、はあ、はあ、はあ…………はあ……」

 気づけば視界には見慣れた灰色の電灯が写っていた。
 そこで理解する。今自分がいるのは自分の部屋、そのベッドの上なのだと。
 ゆっくりと視線をずらして窓がある場所を見ると、閉ざされたカーテンの隙間から淡い光が差していた。
 今は何時なのだろうか。
 それを確認するために身体を起こそうとすると、体がひどくだるいことに気がついた。
 まるで鉛でもまとっているかのように重い身体をゆっくりと起こす。

「―――っ」

 直後、頭に鈍器で殴られたかのような痛みが走った。
 未だ休まりきっていない息を落ち着かせながら額をおさえる。
 うずくまって見た自分の身体は、汗で服が身体にへばりついていた。

「ふぅ……」

 ひとつ、大きく息を吐くと、さきほどまで火照っていた身体が急激に冷めるのがわかった。
 自分の身体の状態をぼぉーっとした頭で考え、すぐに答えを導き出す。

「風邪……引いちゃったかな……?」

 そうつぶやいた時

 ――コン、コン。

 ドアを小さくノックする音が耳に入った。
 それでやっとそこに思い至ることができた。
 “また”悲鳴をあげてしまったのだと。

「だいじょうぶだよ、お母さん」

 それが決まりごと。
 あの日をきっかけに、悪夢を見ては悲鳴で目を覚ますという発作が時々起こる自分と母との間にできた、母が悲鳴を聞いたらノックをして自分の「だいじょうぶ」という言葉を聞くという我が家だけのルール。
 いつものように部屋の前から去ってゆく母の足音を静かに聞いてから、ベッドから下りた。
 途端に頭痛が襲ってくるがなんとかして箪笥の前まで行き、服を取り出して着替え始める。
 肌にはりついて気持ちの悪いパジャマを脱ぎ捨ててから、気づいた。

「シャワー、浴びたほうがいいかな……」

 浴びる時間はあるだろうか。
 そう考えて、自分にため息をついた。
 まだ、時計を見ていなかった。
 どうやら自分が思っている以上に具合は悪いらしい。
 より一層重いため息を吐いてから、着替えを持って部屋を出た。
 午前5時。
 シャワーを浴びる時間は、十分にある。


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