Ryuの事 8



週2回はリハビリ通院をしなくてはいけなかったが今までを思うと何て事はない・・と思っていた。


ところが主人は長距離の為週末しかいない・・

必然的にRYUの全てが私の肩にかかってきた。

入院中でもオムツがえから 体を拭くことなどしてきたが看護士がいて手伝ってくれるのとはわけが違った。

RYUはこの頃には体重は50数キロだったが 身長は175cmはあった。

ベットの上では仰向けか 右側を下にしてしか横になれなかった。

私も160cmだが1人で動かすにはかなりの力がいった。

背中の傷、腰の傷、尾てい骨の傷、右手、足・・とにかく傷だらけで下手に力を入れると痛がる。

車椅子へ移動させるのも大変だし入浴もかなりの重労働だ。

風呂場へはそのまま車椅子で行ける様に広く作っていたがそこでシャワー用のイスに移らせ体を洗い、頭を洗い・・・

でもRYUはまだ長い時間同じ体制で座れなかったし硬いシートは痛がったため超スピードで洗わなくてはならなかった。

入浴をすませると二人ともグッタリ疲れた。

私は職業病というか 腰を痛めていていままでに3回ギックリ腰で動けなくなった事がある。

その為ちょっと腰に負担がかかると痛み出し「グギッていきそう」という
恐怖がいつもあった。

倒れるわけにはいかない。

主人が帰った時だけでも変わってもらえると良かったのだが それはRYUが嫌がった。

「恥ずかしい」と言う。

「何で?男同士じゃん?」私は言ったが何となく嫌だったのだろう。

特にオムツ換えにはいつも神経をピリピリさせていた。

「部屋に絶対はいってくるなよ!」弟、妹に必ず言った。

17歳のRYUにとって母親にオムツを替えてもらう事も抵抗があった。

私はわざと何でもない会話をしながらオムツを替えたり 自分で便を出す事が出来なかったので摘便をしていたが

RYUはいつも「ごめんね、悪いね」と申し訳なさそうにしていた。

「母親に気を遣ってどうするの~私があんたを産んで育ててきたのに 何も恥ずかしがる事はない。

もしかしたらパパもママも年行ってあんたの世話になるかもよ~その時はお返ししてもらうし(笑)」

と極力明るい会話をしてきたが それでも思春期・・恥ずかしさは仕方の無い事だったのかも・・・

RYUが家に帰ってくる、また6人で生活できるという嬉しさに 私は介護の大変さを少しも考えてなかった。

赤ちゃんとは訳が違うな~と重い腰を摩りながらよく思ったものだ。


そして2003年!!

新しい年が明けた。去年のお正月はICUで過ごしたね~とか 話しつつみんなで御節を突付いた。

年末に庭で餅つきもしてたので お餅を焼き テレビを見て 一昨年まで当たり前だった 家族6人の正月だ。

この時愛犬のAMIも我が家の一員になっていた。

前年「RYUの命が助かりますように!元の体に戻りますように」と必死に願って回った初詣にも

RYUと一緒に行った。


少しずつ 少しずつ良くなって行きますように。
RYUの将来が明るい未来でありますように・・・みんなで祈った。


祈りが通じたのか 正月を過ぎると今まで入院していた病院から 脊損センターでのリハビリ入院の話が持ち上がった。

この病院との出会いはRYUのその後にとても明るい未来を与えてくれる。

入院は3月、ベットが空き次第と連絡をもらった。

そして2月の中旬・・・入院が決まった。


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