全161件 (161件中 51-100件目)
8月1日の1回目のペグインターフェロンの注射から1ヵ月が経ちました時って過ぎてしまうと「あっ!」と言う間。でも、「その時」が辛い時間だと結構長く感じます。今回の1ヵ月は「あぁやっと1ヵ月!」って感じでした。その後も副作用は結構強くて丸1日嘔吐しっぱなし・・・とか吐き気で丸2日食べられない・・・とか激しい頭痛・・・とか前回書いた副作用が強まるばかり・・・って感じ少しは楽になって行くんじゃないの?と思ってたけど全然楽になって行く兆候も見えず・・・って感じでした。Drも4回目の注射の時に、副作用も強いしヘモグロビン・白血球・血小板も下がって来ているし薬を減らさないといけないかも知れませんね!って・・・取り敢えず1週間様子を見ましょうとの事でした。が、その後の1週間は気持ちが悪くても吐くまではいかず朝昼食べられなくても夜ご飯は少しは食べられるそんな感じで、少~し「身体が慣れて来た」って思える状態になって来ましたでも今回の注射の後は昨日(9/6)は昼も夜も一口も食べられずウィダーインゼリーを飲んだだけ・・・今日は昨日の頭痛よりは大分楽らしい。注射を打ってくると必ず頭痛が酷い。元々偏頭痛持ちだからかな薬を飲んでも少し楽になる位で余り薬も効かないみたいでも、パパの場合は注射よりも飲み薬のリバビリンの方が辛いのかも?気分が落ち込んで仕方なくなったりして・・・これは、欝の始まり?って心配したけれどDrが言うには違うみたい。心配な落ち込みでは無いらしく取り敢えずは様子を見て行って大丈夫らしい。4回目の時の検査結果よりも更にヘモグロビンが下がって確実に貧血状態・・・でも普通の人よりも血液が濃いらしくまだ1週間は様子を見ましょうと言う事になりました。今週の金曜日に同じか下がってたら薬の量を減らします本人減らされると効かなくなる気がして嫌らしい元々どちらかと言うと口の重い人でペラペラしゃべるタイプじゃ無いけれど更に口数が減っています。時々「ごめんな~」って言ってます。私達夫婦の寝室は1階に有りました。入院前に2階の客間と交換しました。「調子悪い!もぅ寝たい!」と思っても1階だと寝にくいかな?と思って・・・大正解でしたアンディは2階に行かせた事が無かったんです。ダックスは腰に負担が掛るといけないので階段を上り下りしなくて良い様に1階を寝室にしていたのですが今は一緒に2階で寝ています。アンディもすっかり慣れて熟睡する様になりました。朝寝起きにアンディを抱っこして降りて来るのは結構きついんですけど・・・ね。何だかんだと2ヵ月目こうやって過ぎ去って行くんでしょう大丈夫大丈夫
September 7, 2008
コメント(4)
先週の水曜日8月13日ですが!退院して参りました朝5:30に採血をして、その結果待ちで・・かか・・・結果が出たのは11:00(^_^;)血液検査の結果白血球・血小板ともに減少は無く退院の運びとなりました。副作用は思っていた通り結構キツメ主な症状としては頭痛・口の中の爛れ・目の充血アレルギー反応の痒み・気分の落ち込み不眠・吐き気・微熱(37.5度位)食欲不振etc・・・入院してからいきなり3.6キロ落ちてます。切断事故の時に、3食しっかり&オヤツの生活だったので8ヶ月の闘病期間(休業期間)に8キロ太っていました。中年太り気味になってたので余裕は有ると言っても、凄い勢いです元々とても我慢強い人なので「辛い」等は全く言いませんが、辛そうです。切断事故の時のリハビリ担当の作業療法士さんが「ご主人の場合は身体の筋肉の緊張等で状態を判断してるんですよ!」と言われた事が有ります。切断して、ただ縫い着けてあるだけの状態(傷が治っていくとか着いていく前の状態)の時からリハビリが始まりますが兎に角我慢強くて声を出した事さえ有りません。昔担当した患者さんで、余りにも我慢しすぎて失神してしまった方がいらしたそうです。その方と同じタイプらしく自分の限界を超えてしまう前に筋肉で判断してる!との事でした。病室&リハビリ室でも痛みに呻いている方は沢山いらっしゃいましたが残った薬指と小指だけでも動くようにの一心で「男の美学」のパパは頑張っちゃってました。そのパパが今回は辛そうに見えます。24年間でこんな事初めてです。39度の熱が有ろうが、骨まで達する裂傷を負った時もどんな時でも「大丈夫だ!」の気合で乗り切る「元気」がありました。それが今回余り有りません。2回目の注射を打った後の先週は1週間ずっと具合が悪く寝てばっかりいました。これも信じられ無い状態豆に動くパパはジッとしているのが大っ嫌い!!寝てるなんて事本当に無いんです。それ程調子悪いんだぁって事ですね。注射を打つと途端に気分が「ドーン」と落ちるんだそうです。とても気分を変えて!!なんて思えないほど・・・でもそれは当日の金曜日だけで、後は回復するようですが・・・気を付けないとその後は月曜日一杯まで吐き気で大好きなコーヒーも飲めず食べなきゃ!と無理して食べたらリバースだし・・・何とか、スイカや梨を少しずつつまんで乗り切ってます。昨日から仕事にも復帰しましたがお昼の冷やし中華も一口だけで食べられず相当しんどかった様子・・・今日は火曜日!相変わらず眠れず、それが辛いようですが少し元気になって来てます。お昼は小さいオニギリを二個の内一つは食べられたようです。今週は3週目なので・・・・どうかなぁ・・・明るい明日の為にママは元気に明るく頑張るぞっ
August 19, 2008
コメント(6)
8月5日(火)夜になり雷雨・・・21時過ぎ病院では停電になりテレビも見れなくなったらしい・・・仕方なく就寝。て言っても眠れるものじゃ無いよね・・・その後メールが来てDrが来てくれて「少し気晴らしに外出しても良いですよ」ってえっ!!ビックリそうか!副作用が有ると言っても病気っていうのとはちょっと違うもんね現在の副作用の主なものは微熱37.5℃位・頭痛・頭重・脱力感発疹←これは殆どの人が出るらしく治療が出来なくなるほどの物では無いらしい思考能力の低下←ボーっとしてるらしい味覚障害←物の味が変。丁度風邪の時に味が分らなくなる感じのもっと強い感じ特にすっぱい物が強烈らしい。食欲低下←甘い物好きなのに、甘い物を見ても気持ち悪い。8月6日(水)朝9:30頃にお迎えしてそのままお買い物。お昼に食べたい物を聞くけれど何も食べたくないらしいしいて言えば「ラーメン」と言う。「ラーメン??」とも思ったけれど仕方無いね・・家でアンディと遊ぶ。アンディもとっても嬉しかったみたいパパが入院してる寂しさから精神的に不安定でお腹も壊してたから・・お風呂に入ってサッパリ病院では1日おきに入れるけれどシャワーのみだからお湯に浸かれて極楽極楽先程15:30に家を出て病院に送って来ました。明日は白血球・血小板に異常が無いか血液検査。その結果で注射・薬の量を再度確めるらしいです。パパから昨日有ったビックリなお話し!!を聞きました。昨夜の午前3時頃左手を触られている様な変な感じがして・・・目を覚ますとベッドに腰掛けたおじいさんが居てパパの左手を両手で触っている。ビックリして「なに?」と声を出した。するとその老人はここは私の部屋じゃ無いのかねぇ?と言ったそうな。丁度来た看護師さんに訳を話し部屋へ連れて行ってもらったらしいけど・・・どうも少し認知症?なのかな?トイレに行った後に自分の部屋が分らないか?間違えたか?してパパのベッドに座ってみたものの手袋が外れていたパパの手が見えて珍しさから、擦っていたんじゃ無いかな?と・・・何故触っていたかはパパの想像だけれどでも、ビックリだよね~夜中に知らない人が自分の手を握ってるんだよ!!怖ーい!自分だったら相当心臓バクバクする話しの始めは幽霊でも出たの?って感じで聞いてたんだけど、そんな結末でした。ビックリしたけど分ってみれば何かホノボノかも
August 6, 2008
コメント(8)
8月3日(日)8:40まで我慢して、頭痛の為鎮痛剤を服用。9;00からジュラシックパーク3を見て眠る8月4日(月)5:30採血9:00熱 36.9℃10:301F~5Fまで階段を2回上り下りする。足腰にきてる・・・15:25熱 37.3℃ くるみに洗髪してもらう。自分で洗えるけれど、娘に洗ってもらうのも良いか(*^。^*)15:35貸本のボランティアさんが来てくれて「タイタニック号 99の謎 驚くべき真実」福知怜著を借りる。18:35担当のDrIがいらして昨日の血液検査の結果を教えて下さる。白血球・血小板の数値も問題無く、このまま治療を継続出来るそうだ。まず第一段階!治療が出来るか出来ないか?をクリア今日は一日熱も微熱程度で頭痛も軽く、大分元気インターフェロン治療の冊子を頂いているけれど見事に初期症状=1週間以内の副作用がピッタリインフルエンザ様症状が主なものだけど一番心配していたアレルギー症状が出なくて一安心CTも造影剤を使った検査はショックを起こした事が有り出来ず抗生物質も発疹やかゆみ等が出てしまい使用できるお薬も限られているのでもしかしたら??体質的に継続出来ない事も有るかも??って感じでした取り敢えず「ホッ」です
August 4, 2008
コメント(6)
2008年8月1日(金)一昨日ですが9:30に病院へ送って行き無事(?)入院しました。10:00☆身長 168cm(若い時より2cmも小さくなった??)☆体重 70.6キロ(ベスト体重より6キロも多い)☆血圧 105/74(いつもより少し低め)☆体温 36.5℃事故の後手の痛みはずっと消えずに有るが、冷えると痛みは強くなる。だから、夏は冷房・冬は寒さと1年中手袋が離せない。昼間は義手をして痛みが和らいでるが、夜は手袋をして寝ているくるみお手製のクマの手袋 12:00昼食 ヒレカツ(75g)インディアンサラダ あちゃら アップルジュース ご飯170 14:10初めての注射 ペグインターフェロン 少しどきどきする夜からプラス服薬 14:26汗ばんで、何だかホワホワする感じ。16:36悪寒がして来た。手の痛みがいつもより強くなって来た。ゾックゾクするやろ!!=ザ・ブングルとまだまだ元気17:00悪寒強く、布団を一枚追加。腰・足等の関節の痛みも出てきた。頭痛も強くなって来た。インフルエンザの時みたい。19:30体温 38.2℃ 歯磨きするにも悪寒が強く寒い。20:00血圧 115/80 氷枕をもらう。22:00体温 38.9℃ 頭痛強い。24:30解熱剤を飲む。8月2日(土)6:00体温 36.9℃ 熱が下がるも頭痛が強い。16:25体温 37.6℃ 17:50頭痛が酷く鎮痛剤(カロナール)を貰って飲む。悪寒が強くなって来た。寒い。 8月3日(日)4:00鎮痛剤を飲む。相変わらず頭痛が酷く、頭が割れそう。8:30本来はシャワーの日ではない(月・水・金)が熱が下がる時に汗をかいたので特別に許可を貰ってシャワーを浴びる。熱が下がったので大分身体は楽になって来たけれど頭痛が酷いのが嫌だ。主な症状は頭痛・関節の痛み・身体のだるさ等・・・説明を受けた初期の副作用そのもの早く身体が薬に慣れて来ますように頑張れ
August 3, 2008
コメント(2)
久し振りの更新です今回はいつもの闘病日記では有りません。実は我が家のパパは「C型慢性肝炎」です二十数年前にいつの間にか・・・って感じで原因はハッキリとは分らずその当時は数ヶ月入院するもその後は、それ程悪くなる事も無く時々検査をしながら現在に至っています。ですが、掛り付けの医院のDrから「肝硬変・肝癌になるんですよ今元気な内にインターフェロンでの治療を」と強く勧めて頂きまして「くるみが大学を卒業してから・・・」等と言うパパを思いっきり!!説得してインターフェロンでの治療を何とか納得してもらいました決めてからは行動は早い総合病院に紹介状を書いて頂き受診・検査・相談・・と慌しく過ぎ7月25日(金)の面談で8月1日から入院する事が決まりました 入院は10日~14日間でインターフェロン&リバビリンの併用療法が始まります。その後は週1回注射を打って、後は投薬療法です。とても嬉しい事にパパの場合「ジェノ2型」で90%が完治するタイプでした。しかも『1年間=48週間』の治療期間だと覚悟していましたが『半年間=24週間』で済むそうです。ただ、昔より副作用は楽になったとは言え「抗がん剤」の副作用に近い物が有る感は否めず・・・その事だけが心配です辛い副作用の中仕事をして行かなければならないパパの事を思うと本当に辛いですが明るい未来に向けての前向きな治療なので何とか頑張っていける様にと決意している所です。本人は[2005年11月]の事故の事を思えば何でも無いよ!大丈夫!と言っています。何たって我慢強い人なので大丈夫・大丈夫あんまり無理しないようにだけ気を付けて行かないと・・・ですね
July 29, 2008
コメント(6)
今日は七夕です彦星・織姫・・・年に一度の逢瀬なのに生憎の雨・・・残念ですね久し振りの闘病記ですm(__)m2005年11月28日(月)9:10左手の消毒をして、左腕の抜糸をする。 親指等駄目になった血管の変わりにここから血管を取り使ったわけだけど、結構な傷だねでも、本人は左手の痛みが酷い為に腕の痛みなどコレッポッチも気付かず抜糸をする段になって初めて、切っていた事に気付いた位・・・歯科受診リハビリ夕食仰臥位摂取オニギリ200gカキ油いため冷奴130ポテトサラダ19:00に教授の総回診があったらしいが物々しい雰囲気で正しく『白い巨塔』状態だったらしい・・・痛みは相変わらず続き、夜も眠剤を飲まないと全く眠れないらしい。11月29日もう直ぐ、くるみの誕生日12月8日その日にはどうしても外泊したい!!と言うパパ・・・今の痛みの状態で外泊なんて絶対無理!と私は思う。痛みをコントロール出来なかったら??と不安。でも、パパは痛いのは何処に居ても同じ今は点滴を使っている訳では無いんだから!!と・・・取り敢えずDrに相談してみる事にする。交換ノートの様な物を作ったどんな事が有ったとか自分の思いとか治療の事とか何でも良いから書ける時に書いてくれるように・・・「悶々」とした気持ちも口に出せなくても、ノートになら書けるかな正直に何でも書けます様に
July 7, 2008
コメント(5)
昨日6月24日は結婚記念日でした(*^。^*) 実に24回目です。高校1年生で出会って、早27年お互いに老けたものです(#^.^#)ここの所色々・・・忙しかったり・・・で昨日はお祝いが出来ないので日曜日にお祝いしました。プレゼントのやり取りとかも無いし焼肉して~、ケーキを食べただけですが(^_^;)健康で元気に記念日を迎えられるのは幸せですね来年は銀婚式ですが・・・又、家族皆が健康で元気に迎えられるように一日一日を大切に過ごしたいです殆どいつも忘れているパパ!!珍しく覚えていました(日曜日にお祝いしてるんだから、いささか、火曜日には忘れないか?・・・(^_^;))ここ2年位、くるみと私のダブルから「銀婚式の時に結婚記念日を忘れていたら・・・それだけは許さん!!」と『脅し!』ておいた事が効いたかな・・・(^^)v
June 25, 2008
コメント(4)
ご無沙汰ですm(__)mポケモン・特にポッチャマ&グレッグルが大好きなあゆむの為にくるみがUFOキャッチャーで悪戦苦闘の末ポッチャマ&グレッグルのリュックサックをゲットォ~元手500円の神業♪(Nice!くるみ(*^。^*))大喜びのあゆむ「ありがとう!ありがとう!本当に嬉しいよ!」を連呼ぬいぐるみだと思ってたらしいあゆむ・・・小さく畳まれていた肩掛けの紐を発見お目々キラキラ「リュックなのかぁ~ちょっと背負ってみよう!」家族皆の心の声・・・「あぁ!やっぱり背負ってみるんだ(^_^;)」紐を解いて背負ってみる。両方背負いたいのだけれど・・・「???」くるみが「ポッチャマを抱っこすれば?」と教えてくれてご満悦のあゆむ(顔を写すのは恥かしいらしい・・)「良い?とっても可愛いんだけど、これはお外には背負っていかないよ!お家の中だけね!」とお約束!!暫くすると・・・「ベッドに並べたよ。可愛いから見て!」とあゆむ・・・パパとくるみと3人で見に行ってみる本当だ!ちゃんと並んでる(*^。^*)よっぽど嬉しかったんだねぇそれからは、2階でお洗濯干したり畳んだりしてると「可愛いのぉ(*^。^*)」と必ず背負って見せに来る。そしてそして・・・新たな事実が発覚一日交代で背負ったまま寝ているらしい横を向いたまま寝ているんだって・・・あゆむはとっても寝相が良くて殆ど寝返りをうたない!だからこそ出来る業か!!あゆむ22歳♪初夏の出来事ですv(*^.^*)v
June 23, 2008
コメント(4)
2008年6月2日(月)びっくり~!!な事が・・・あゆむは口蓋裂が有った為小さい頃から歯列矯正を受けている。自宅から車で1時間30分位掛る歯医者さんです。基本・・・そこでは虫歯治療はしません。矯正の歯医者さんと虫歯治療の歯医者さんと2箇所に通ってる訳ですが・・・何てったってあゆむは半端無い怖がりで究極のびびり!!なのですあゆむの通っている病院は何処もみ~んなと~っても優しい。歯医者さんの例で言うと「今日はお口を開ける事が出来たね!」から始まり、時間を掛けて慣らしてくれたお陰様で、削ったりする事も出来る様になりました今日はどうしても削らなければならない虫歯治療の為歯医者さんに行きました。Drも優しく、衛生士さんも優しいので一人で中に入っていました。25分位して治療を終えて出て来ると・・・・「麻酔をしたょ~頑張ったよ~ママを呼ぼうと思ったよ~」と少しぐったりした感じでは有るもののハッキリとした口調・・・「えっ」私はあまりの驚きで目まいアーンド胸の苦しさに襲われ一瞬ボーゼン・・・ハッ!!と我に返りあゆむ!何て偉いの!!と一杯一杯褒めまくりDrから1.削るのが痛い事!2.麻酔もチクッと痛いけど一瞬だと言う事3.麻酔が切れた後痛くなる事は無い事等を丁寧に説明されたそうな・・・「ママを呼ぼうと思ったんだけど・・・目も回ったんだけど・・・」でも・・・治療の時痛いのだけは絶対嫌!!と思ったらしい今までだったら絶対に絶対に「無理!」だった・・・採血や予防注射の時だってどれだけ説明し説得する事か・・・・当日その場になるとやっぱり決心がつかない事も有る位なのに・・・それがそれが・・・・凄い凄い凄い凄い・・・・endless私が近くに居なかった事も良かったんだよね!きっと傍に私が居たら助けを求めて来たもんね!偉かったねあゆむ~本当に凄いよ~偉いよ~さすが22歳!大人だね~確かに確かに・・・「牛歩」の如く歩みも遅く・・・成長の速度はゆったりだけどそれでも確実に成長してるんだよね~きっと1年前なら、治療をせずに帰る!!になってたと思う。これも本当に!!歯医者さんに限らずお世話になってるDrや看護師さん達のお陰です。褒め上手アーンド上手ーくポイントを抑えて下さる所!!パパにもくるみにもゆうにも・・・皆から褒めまくられ!!ご満悦のあゆむ次回の治療にも繋がって行くね大きな自信になったね本当に偉かったね!!頑張ったちなみに・・・「頑張ったからポケモンの飴買って!」う~ん・・・ここで「飴」かぁ・・・ちゃんちゃん!!
June 2, 2008
コメント(4)
遅ればせながら・・・5月11日(日)は母の日でしたね12日(月)の朝、仕事に行く為に車に乗り込むとハンドルの所にラッピングされたプレゼントらしき物が・・・???「お母様へ」とくるみの字子供達からはすでにプレゼントも貰っていましたが・・・朝は忙しく、心を込めて受け取る時間も無いのではやる心を抑え仕事が終わってから開ける事にしました。仕事を終え車の中で開いてみるとMetisの「母賛歌」のCDが・・・初めて知ったアーティストでした。涙が流れましたMetisの「母賛歌」心に響くあったかい歌でした。私は太陽のように温かい母で居られてるかな?この歌のように素敵で強い母かな?これからも、笑顔の可愛い母で居たい・・強くて温かい母で居たい・・・そう強く思いました私のお気に入りの一節は「自分自身にシラケた夜も響け賛歌 私の心すくい上げてくれてありがとう」です。大きく道を反れたり、グレたりする事もありませんでした。壁にぶち当たり、自分が見えなくなったり目標を見失ったり、友達関係で悩んだり・・・皆が経験する一般的な思春期だったと思いますその時その時、正にこの子の心を「すくい上げたい」その思い!実感ですくるみはね・・・「すくい上げてくれてありがとう」が好き。くるみの思いも同じでした・・・嬉しかった本当に大きな大きな嬉しいサプライズ。私には有形・無形に係わらず宝物がいっぱい有りますその中に、自分に何か有った時に棺の中に入れて貰いたい手紙が一通。このCDも仲間入り・・・
May 16, 2008
コメント(4)
久し振りの更新で~す突然ですが・・・我が家にやって来たトイレットペーパーですくるみの携帯が水没でバコッてしまい(しかも映画館のトイレ)新しいのに買い換えた所・・・・おまけに貰った品物です初めて見た時はびっくりバージョン2と言う事はバージョン1もあったと言う事で・・・何か勿体無いって言うか・・・(タダで貰ったんだけど)使いにくいって言うのか・・・まだ使用した事は有りません。ペーパー自体に印刷がしてあるのか?謎がなーさん・しろたん姪っ子2人にも1つあげました所ペーパー自体にも印刷してあるとの事でした。流石ちびっ子・・・惜しげも無く直ぐに開けて見たようです我が家では使用する時が来るのか微妙です
May 1, 2008
コメント(0)
4月9日(水)5:33の始発で広島へ向かう従姉のご主人の告別式の為・・・大晦日のおじいちゃんに続きついこの間には大切な友達・・・そして今度は従姉のご主人・・と立て続けに3人も見送る事になるとは・・・まだ友達の「死」からも立ち直れていないと言うのに・・・従姉のご主人は2年前にお会いした時とは別人のように痩せ細り闘病の辛さを物語っていました。お別れは辛く寂しいものです。残された家族のこれからも心配です。日を重ね、ユックリと・・・ですね。それにしても・・・生まれて初めての広島は遠かった~。実に817km・・・日帰りでした。新幹線の窓から福山城・姫路城・京都タワー等が見えました。あっ!明石海峡大橋(?)も少し見えたかな今度は哀しい事でなく旅行で訪れたい所ばかりです。哀しいお別れが続いていますがそんな歳になったと言う事なのかなぁ?そんな年回りなのかなぁ?寂しいです・・・
April 11, 2008
コメント(2)
3月14日(金)大切な・・・大切な友達が逝ってしまった。脳出血で倒れてから一週間以上頑張った。3月12日がお誕生日。44歳になったばかりだった・・・あまりに大きな喪失感。全てに色が無くなってしまった様だ・・・倒れる前日も前々日もメールで連絡を取り合ってた。こんなことになるなんて・・・毎日毎日涙が出る。しっかりしよう・・・とか元気出さなきゃ・・・とか自分自身でもどうにもコントロールが出来ない。あゆむも大きくなり手が掛らなくなって来たから頑張る力が弱くなったのかな?こんな事、生まれて初めて・・・友達からのメールにも返事が出来ない。そんな私の異変に気付いて飛んで来てくれた友達・・・大分気分が上向いた感じ。次の日太陽の陽の眩しさに驚いた。暖かかった・・・少しの間、下ばかり見てた・・・ただ泣いていても仕方無い・・・後悔してても仕方無い・・・少しだけそう思えるようになって来た。私・・・笑っても良いんだよね・・・?私が出来る事。考えて行こう・・・昨日4月1日(火)はくるみの入学式だった。無事に済んだ。何とか元気に参列出来た。家族・友達の支えのお陰・・・皆に心配掛けてた・・ごめんね。ありがとう・・・
April 2, 2008
コメント(4)
先週の土曜日* 2008年3月1日(土) *くるみが無事卒業式を迎えました。おめでとあっと言う間の3年間でした色々有ったね・・・思い出すと、ちとウルウル・・・元気にこの日を迎えられ大きくなったなぁ・・・と感動2人目、末っ子のくるみの卒業式もしかしたら最後かもよと説得しパパも一緒に参加しました式が終了後は剣道部の役員仲間達と一緒にお食事会剣道をしている姿を見るのは楽しかったなぁ土日も何も殆どお休みも無く剣道・剣道の毎日・・・忙しかったけど、本当に楽しかったまだまだこの先も、色々有るんだろうけど取り敢えず、ひと段落です・・・ね余談ですが・・・卒業式には、同窓生である或る有名政治家が5年振りに列席されました。ご祝辞を拝聴しながら「流石政治家!!」何も見ないでこれだけしゃべれるとはなんて変な関心をしてしまいました
March 5, 2008
コメント(5)
2005年11月27日(日)あゆむのスーツを買い終えて病院へ・・・通常の時間に間に合い「ホッ!」実はこの日急にだが今までの個室から6人部屋に移る事に・・・事故直後、状態が不安定な事と部屋の空きが無い事と重なり個室へ入居していたパパ。治療費等は「労災」の扱いだけれど差額ベッド代は別。その為状態が安定してきた頃部屋について看護師さんから今後どのようにするのか?聞かれていた。痛みの状態も強いので少し落ち着くまではこのままで!と言う事ででも、大部屋が空いたら考えたい旨を伝える。個室だと面会時間なども、ある程度融通が利いたり着替え等、モロモロ気兼ねが無いので良かったのですが・・・一泊2万円・・・結構大きいです。パパも今後の事を心配し自分の個室代が掛る事も心配。でも、痛みの事を考えると大部屋は心配そう・・・そんな時に、大部屋が空きました!の報。ここで大部屋に移動しないと次にいつ移動出来るかわからないと言われ私もパパも不安は大きかったのですが・・・(何たって男の美学のパパは痛そうな所を人に見られたく無いし!)何とか痛みのコントロールも出来るかな?と決断をした。10:30大部屋へ移動です。パパを運んでくれたドクターヘリの発着場が直ぐ下に見えたお部屋でした。プロペラの音がするといつも見入ってしまっていました。今度は反対側に有る、6人部屋です。*ダンプに右腕を轢かれ切断の危機にあった方*糖尿病の為、片足を切断した方*ヘルニアの方(2名)*親指を切断した方皆さん、つらそう・・・・です。
February 19, 2008
コメント(4)
昨日2月4日(月)はあゆむのお誕生日22歳になりました毎年家族のお誕生日にはケーキを焼くありがとう&おめでとう!!の気持ちを込めて・・・今年のケーキはポケモン大好きっ子のあゆむから「ポッチャマケーキ」をリクエストされました青色のチョコペンも買えたので結構リアルにポッチャマになりましたあゆむ大喜び失敗しないように・・・線を引く手に全神経を集中させ頑張った甲斐がありました元気に迎えたお誕生日・・・家族・親戚は勿論の事!!先生・お友達・地域の皆さんあゆむと関わり支えて下さっている皆さんに感謝ありがとうございますこれからもよろしくお願い致します実は実は・・・今日(2月5日)はパパの46歳のお誕生日俺は大人だから何にもしなくても良いから!と言いつつ・・・・何も無いとあきらかにガッカリのパパ・・・そんな訳で・・・2日連ちゃんのBirthdayパーティなのです
February 5, 2008
コメント(4)
2005年11月27日(日)来年(2006年1月)にはあゆむが成人式を迎える養護学校を卒業して2年。。。大分大人になって来たかなぁ・・・なんて感慨に耽ってる場合じゃない丁度、あゆむのスーツを購入しないと!!と思ってた矢先のパパの事故・・・成人式は直ぐそこまで来てる万が一、体形が変わってはいけないとギリギリまで待ってたのがいけなかったか・・・パパの事も心配で病院に行かずに買い物!って気持ちにはなれないし・・・そんな気持ちを感じ取った私の母(ばぁ)午前中早くに行けば大丈夫!!と連れ出してくれた後ろ髪を引かれながらもあゆむの晴れの姿を想像しながら探すのは楽しかった素敵なスーツに決まりコートやら靴やらネクタイ・Yシャツと一通り用意も出来て、準備万端あゆむ!カックイィ~ジジィとばぁからの成人のお祝いと言う事で全て買って貰っちゃった。あゆむの場合、将来結婚!なんて事も望めないしスーツだけでなく、羽織袴も着せたいスーツも羽織袴姿も写真に残しておきたいそう思っていたのだけれど取り敢えず今はスーツだけで・・・少し落ち着いたら、羽織袴も見に行こう早く落ち着いて探しに行けます様に・・・早くパパの心配をしなくて済むようになります様に・・買い物に行ける=パパ元気!だもんねあゆむは色白だからきっとどんな色の着物でも似合うよ・・・ね
January 23, 2008
コメント(4)
2008年を迎えて・・・はや2週目です・・・遅くなりましたが、今年も宜しくお願い致しますさてさて・・・我が家では年末からバタバタと・・・と言うのも・・・・31日大晦日の午後2時頃「親戚のおじいちゃん危篤!!」の報。結局そのまま意識が戻る事無くお空の人となり3日にお通夜・4日に告別式となりました。あゆむも頑張ってお別れをしました。食べ物の好き嫌いが多いあゆむ忌中祓いでは生もの・酢の物・煮物・テンプラなど苦手な物ばかりでしたが食べられる物だけを食べて頑張っていました。(ママの心の声=大人になったんだなぁ・・・偉い偉い)おじいちゃんには、夜間開催の「競輪」に連れて行ってもらった事がありました。85歳の人生でした。生前の人柄でしょうね・・・沢山の弔問の方に見送られて旅立って行きました。別れとは、寂しいものですね・・・年の初めが「お別れかぁ・・・」とも思いましたがきっと、家族・親戚皆が集まるお正月だったから・・・皆とユックリお別れしたかったのだと思います。そんなこんなでお正月らしい事は何も無いままお休みが終わってしまいましたが今年も元気に頑張って行きたいとおもいます。中々更新出来ませんが、宜しくお願い致します
January 8, 2008
コメント(5)
11月25日(金)9:00K医師の回診。歯痛が治まらない為、月曜日にも歯科予約。11:45リハビリ皮弁手術を受けると、腕の自由が奪われる。その為、一ヵ月後に切り離す手術後には肩も肘も固まって動かなくなっている事が大半らしい。若い子の場合はリハビリによって回復するのも早いが中高年以上になると、元の状態になるのも難しくなって行くらしく今の状態から、少し動かせる「遊び」の部分までを良く動かして訓練しておく様に!!との事だった。とは言え、お腹の皮膚をめくって親指をグルっと覆っている訳で余り動かせる訳では無い・・・・でも、腕や肩や肘が動かせなくなったら大変!!動かせる部分まで、一生懸命動かす練習。12:00昼食仰臥位摂取オニギリ200gタマゴとじ鹿の子揚げ50胡麻酢和えフルーツ15:50清拭18:00夕食仰臥位摂取オニギリ200g柚子味噌田楽鮪の山掛け和風サラダ21:00睡眠薬22:00眠れずに眠剤追加(精神安定剤?)痛み止め(服用4回)座薬(1回)11月26日(土)12:00昼食仰臥位摂取オニギリ200g付け焼き銀だら70(付 焼き葱)南瓜含め煮マロニーサラダ ハム入15:00洗髪18:00夕食仰臥位摂取オニギリ200gマカロニグラタンピーナッツ和え小松菜切り昆布煮物フルーツ21:00睡眠薬痛みで夜中に5~6回、目が覚める。痛み止め(4回服用)座薬(1回)痛み止めを使う事に抵抗が有るらしくなるべく我慢するようにしている。余り我慢して痛みが強くなりすぎると痛み止めが余計に効かなくなる。あんまり我慢しなくて良いと思うんだけど・・・きっとパパにとっては大事な部分なんだよね・・・
December 19, 2007
コメント(0)
タイトルの通り!突然ですが・・・車を買いました 実は今、くるみが教習所に通っています。1月には免許取得となる予定。パパが乗っている車はホンダのステップワゴン。私が乗っているのは軽自動車・ヴィヴィオ。免許取得後には私の車を貸す予定・・・だったのに!!!予定が狂いましたぁ私のヴィヴィオは今時珍しい、5速マニュアルなんですくるみもマニュアルの免許を取れば良い!と思っていたらパパが、女の子だしAT限定で良いだろう!って・・・これからの時代は、AT車で良いだろう!って・・・くるみも教習時間が長くなるのは嫌だからAT限定で良い!って・・・じゃぁじゃぁ今有るヴィヴィオは???我が家の駐車場まで入ってくる道はとても狭くとてもステップワゴンでは無理車買い替えるって・・・予定してないよそんな訳で、急遽車を探してましたぁ。結局、近所の修理工場&中古車屋のおじさんがマツダのAZ-ワゴンを安く譲ってくれる事になりました年式は古いのですがエンジンや足回りなども保障するよ!!って!ご近所さんなので間違いは無いだろうし何たって安くしてくれたので決めましたおじさん曰く・・・・免許取立てはブツケルから最初はアンマリ高い車じゃ無くて良いよ!って本当にそうだと思う来週には納車の予定
December 12, 2007
コメント(2)
昨日12月8日はくるみの18歳のBirthday大きくなりましたぁ12月5日には短期大学から合格通知も届き進路も決まりました保育系の短期大学です。来春からは晴れて女子大生です「文武」の「武」に関して言えば考えるよりもまず行動兎に角、壁にぶち当たろうが何だろうが身体で覚える!!的な子供なのに・・・「文」になると・・考えて考えて考えて・・・・これ!と決まるまでどれだけ時間が掛る事か・・・高校2年生まではずっと助産師になるって言ってた。それが、他にもっとなりたいものが出来た!と方向転換。でも、そこには色々と・・・ね。考える所も有り・・・考えて考えて考えて・・・・親はくるみの話しを良く聞きアドバイスと、親としての考えを話す位で後は「忍」の一字でひたすら待つ・・・待つ・・・待つやっと答が出たのは最近???時期的に、推薦やらAOやら無理になって来るし受験一本しか無いと思っていました。短期大学に行って保育士の資格を取り障害児教育の方に進もうと考えてる。と・・・2年後になって、福祉の方に進む為には介護福祉士の資格も必要だと感じたらそちらへ・・・もしかしたら心理学を深く学びたいと思うかも知れない。そうしたら、大学に編入したいと思う。今の時点ではそれがハッキリ解らないし卒業する時にそのまま就職しようと思うかも知れない。それともう一つ「夢」が有るのでそれを含めて、2年間にしっかり考えたい!だから、短期大学へ・・・と言う考えのようです。まぁ、親としては最初から4年生の心理学も学べる大学の方が良いのでは?と思っていたのだけれどくるみの考えた結果がそれならと賛成しました。一度答が出るとその後の行動は早いんですあっと言う間に担任の先生にも勧められていた(性格に合ってるんじゃないか?と)短期大学の自己推薦の準備をし12月1日に試験。そして合格発表!と相成りました。"事故当日 27 くるみの心配1"にも書きましたが3年前の高校受験の時にもそうでしたあの時も散々待ったんだったぁまぁ、でも・・・めでたし!めでたし!と言う事で
December 9, 2007
コメント(4)
2005年11月14日(月)あれから・・・パパの事故から丸2年が経ちました・・・ありがとう・・・毎朝、あゆむ・ぱぱ・くるみの順番で起きて来る。「おはよう」と声を掛ける。「ぎゅっ!」と抱きしめたりポンポンと肩を叩く。今日も元気に朝を迎えられたねありがとう・・・そう思う。ありがとう・・・夜寝る時に「おやすみ」と声を掛ける。階段まで見送ってお尻をポンポンする。今日も一日無事に元気に過ごせたよありがとう・・・そう思う。あゆむが生まれ「天使」と思えるようになった頃・・・父が亡くなり身内が亡くなる悲しみを知った時・・・くるみが生まれて無償の愛を知った時・・・その時々に色々な事を学ばせてもらった。パパの事故の時もそう・・・ありがとう!!それだけだと思う。これからも毎日・・・ありがとう・・・・そう思えるように!!頑張りたいな・・・
November 13, 2007
コメント(4)
11月22日昼食常食A オニギリ200g 仰臥位摂取ポークカレー 薬味 生野菜サラダ フルーツ夕食常食A オニギリ200g 仰臥位摂取さつま汁 秋刀魚塩焼き 付き)おろし豆腐サラダ98 お浸し青菜70家では普段から意識してお野菜が摂れるように気を付けていますが病院食を見ているとまだ足りないのかな?と思うほどお野菜がたっぷり出ます。それにしても・・・カレーでもオニギリです(^_^;)11月23日(水)相変わらず、息を止めて力むほどの痛みに襲われる毎日・・・「いつまで続くのかな・・・」とポツリそうだよね・・先が見えないね・・・珍しい弱気発言。聞いてあげるしか出来なくてごめんね・・・それに加え歯痛!!下の左側の歯が痛くて仕方ないらしいご飯も食べられず明日朝10時30分に歯科に予約を入れて貰う。今のパパには「何時」って難しい。その頃痛みが強くなってるとどうにもならない。なんとか薬の時間でコントロール出来ますように!!何とか薬が効いている時に行っても治療中に痛みが強くなってしまったら大変だもんね。23日昼食常食A オニギリ200g 仰臥位摂取西京焼き 付き)茹オクラ金平牛蒡肉入 フルーツ金団パイン夕食常食A オニギリ200g 仰臥位摂取山菜おこわ 揚げ出し豆腐木綿123ささみの和え物生姜 フルーツ21:00痛み止めと眠剤を飲むも23:00に痛みが気になり眠れない為眠剤を追加してもらう。11月24日(木)10:30歯科へ看護師さんが連れて行って下さるけれど何となく心配で早めに病院へ向かうももうすでに治療が始まっていた(^_^;)事故が起きた時『ギュウッ!!!』と歯を強く食い縛った為に歯茎が後退してしまったのが原因では?と言う事でした。埋めて処置してもらうけれど痛みは余り変わらず・・・昼食常食A オニギリ200g 仰臥位摂取カレイのソテー70甘酢アン 里芋そぼろ煮もやしのお浸し カップゼリーアップル夕食常食A オニギリ200g 仰臥位摂取味噌汁 豚かつ70 生野菜&レモン胡瓜酢の物シラス入 歯痛で良く食べられず・・・飲み薬の痛み止め 4回ボルタレン座薬 2回使用 睡眠薬 眠れないから仕方無い・・・少しでも眠れるようにボルタレン使用は寝る前にしたいらしい。一日中痛みが無い時は無いらしい。~何時までは我慢する!!と時計を見ている。なるべく痛み止めに頼りたくない!そんな気持ちが伝わってくる。
November 12, 2007
コメント(0)
2005年11月22日(火)朝食後痛み止めを服用9:30処置(消毒)10:00ボルタレン座薬(痛み止め)歩行の練習の為立会いの下、立つ練習。まだ、ふらつきも強く直ぐに気持ちが悪くなる。休みながら何度か練習。11:30リハビリ12:30痛み止め服用14:00熱 36度5分14:45Drからトイレと洗面のみの歩行許可が下りる。取り合えずトイレへ歩いてみる。ふらつくので付き添っていても怖い位・・・結局、男子トイレの中まで着いて行く。部屋へ戻ってから車椅子でコンビにまで散歩。入院はしていても怪我なので内臓には何の問題も無い。食べ物に関してはDrからも何の規制もされていないのでちょっとしたオヤツを買うのがとっても楽しみ!になっている。15:45ボルタレン座薬(最低でも6時間はあける)17:35熱 36度8分 トイレ18:00夕食25分頃抗生剤。歯磨きを済ませ、ママは帰宅。21:00痛み止め・睡眠薬服用
November 10, 2007
コメント(0)
少し前後してしまうけれど・・・2005年11月21日(月)の朝友達へメールを送付。事故から1週間・・・経験した事の無い、激動の日々だった。パパの状態も少しだけ落ち着き付き添いを止めて帰宅してみてふと我に返ると何だかスッゴク友達に会いたくなった。3人弟妹の一番上の長女らしく誰かに甘えたり頼るのが少し苦手な私。長女気質とでも言うのだろうか??そんな私でも甘えて頼れる5歳上の友達「Mちゃん」飾らないで居られる1歳年下の友達「J」Mちゃんはフルタイムで忙しく働いている。普段でも中々スケジュールを合わせる事が難しい。Jは商売をしていて朝方から寝る生活。そんな状態なので、取り合えず近況を伝えるメールを送付。そうしたら!びっくり!メール送付直後、思いがけず「Mちゃん」から電話。いつもならもうとっくに出てしまっていて連絡なんて取れないのに・・・・たまたま、実家のお母さんの具合が悪くて病院に連れて行くために休みを取った!って。そんな状態だったなんて・・・ととっても驚いてた。「大丈夫なの??ひかるは頑張り過ぎちゃうから頑張れ!って言いたくないょ・・でも、きっと今は頑張りどこだね!飛んで行ってあげたいのに・・・行ってあげる事も出来ないでごめん・・・身体が二つに分けられれば良いのに・・・」なぁーんか思いがけず声が聞けてちと涙が出てきた。ありがとう!元気をもらったょ・・・友達の声を聞いたら勇気が出て来た!又今日から頑張ろう!!って思えた。ありがとう!頑張れるょ・・・・
October 30, 2007
コメント(2)
16:45リハビリ5分血と体液が包帯まで滲んできたので終了。18:30夕食常食A 仰臥位摂取オニギリ200g味噌汁フライ盛合わせキャベツの和え物フルーツ 0.5Uオニギリはいわゆる具が入った塩味の物とは違いただ単につかんで食べられるように握られているご飯。パパ曰く・・・オニギリは「普通のオニギリ」のイメージが強いから、何か変・・・!らしい。20:00食事をしているのにスッキリ出ない。お腹の傷も有り思うように踏ん張れないので浣腸をしてもらう。熱 37度8分21:00精神的なものと痛みとで毎日グッスリ眠る事が出来ない。導眠剤を服用。痛み止めのボルタレン坐剤。22:30痛みがかなり強くなる。23:50我慢出来なくなってきたので仕方なく痛み止めの注射をしてもらう。看護師さんの話しは本当だった!!生まれて初めて「うわっ!!痛ぇ~!!」(男の美学なので心の声だけど・・)と思うほど痛い注射!打ったと同時に皮膚下で「シュパーッ!!」と弾ける様な??強烈な痛みだったらしい。なのに暫く我慢しても全く効いてくる気配も無く眠れずに辛い夜・・・
October 22, 2007
コメント(2)
9:30H医師による消毒。治療後ベッドより起き上がる練習をするが急激に血圧が下がり気分が悪くなる。ベッド上で起き上がりの練習をする事になる。皮弁手術をしている所が股関節の近くなので、手が当たる。腰掛けるのも難しい感じになるらしい。暫く練習をするとベッド上で座るのは出来るようになる。クラクラしたり気持ち悪くなったりするので少しずつ慣らして行く。13:00頃車椅子でトイレに移動し排尿。車椅子に乗るのも一苦労(^_^;)目がグルグル回るらしい・・・その後お通じも有る。白い粘液上の物が微小。やはりトイレで用が足せるのは幸せ。14:30ボルタレン座薬(鎮痛消炎剤)血圧 154/100 今度は急に血圧が上がった。15:00リハビリのDrの診察15:25熱 37度3分16:10初めての洗髪。車椅子に乗って移動が出来るようになったので洗髪の許可を頂く。暫くブリの洗髪に気分もリフレッシュ。しばし痛みも忘れられる気持ちになる。車椅子だとは言え移動が出来るようになるとそれだけで随分元気になったような感じ。
October 16, 2007
コメント(0)
2005年11月21日(月)1:00ロピオン1A投与 少し痛みも楽になり眠り始めた為一時停止。4:00ロピオン再開8:00ソセゴン投与9:00点滴を全て外す。昨日、看護師さんから説明を受けた。事故から丸々7日。ずっと・・・抗生剤やら何やら点滴を続けて来た。「治療」に必要な点滴と言うよりも・・・本人にとって「点滴」はイコール「痛み止め」になってる。今までは種類の違う「鎮痛消炎剤」を交互に使っていた。同じ鎮痛消炎剤は、どんなに痛くても8時間は空けなくてはならないので・・・・上手く組み合わせながら交互に使っていた。それでも1日に4本までしか使えずに痛み止めの空白時間に痛みが強い場合はボルタレンの座薬や飲み薬で痛みを凌いでいた。怪我の痛みがこんなに続く事など今までは想像もした事が無かった。大概の場合、2・3日もすれば少しは軽減すると思ってた。でも・・・全く!!痛みが楽になって行く感じが見られない。それなのに・・・・全ての点滴を外す事になった!!今後は、点滴の鎮痛消炎剤(痛み止め)は『使わない!』と言う事。座薬と飲み薬を併用して痛みのコントロールをして行く!と言う事。それは、「依存」「中毒」と言う部分でこれ以上痛み止めの点滴を続けていく事が「無理」だと言う事らしい。。パパも勿論の事だけど・・・私は内心とっても動揺!!だって、あんなに痛いのに・・・点滴をしても痛みが取れなくて苦しむのに・・・・点滴をしててもあの程度にしか楽になっていないのに・・・点滴が出来なくなった後の痛みの強さを考えると経験した事の無い私でも「ゾッ」とする。パパも相当不安だと思う・・・でも、「男の美学」のパパは「解りました」と返事。看護師さんはもしも・・・どうしても痛くて我慢できない場合は「注射」も有りますから・・・そんなに心配しないで下さいね。ただ、その注射は「物凄く痛い」です。ですから使った患者さんの中には『我慢すれば良かった!』と言う方もいらっしゃる位なんですけど・・・と、最後に付け加えた。以上が点滴を外すにあたり看護師さんとお話しした内容です。
October 2, 2007
コメント(2)
久し振りにビーズアクセを作りましたぁ(^^)v携帯ストラップです作り方は超~簡単なのに結構可愛い目なのでとっても好きなデザインです。くるみがこの夏無事に剣道部を引退しました。中学から約6年間の部活動。良く頑張りました。殆ど土日も休み無く「剣道」一色の生活でした。大きな怪我も無く引退出来た事!嬉しい事です。暫くの間・・・くるみは死んだように呆けていました一応受験生なのですが・・・仕方が有りません。(-_-;)毎日の生活の「張り」が急に無くなったからでしょう。今まで辛い部活を一緒に乗り越えて来た仲間・後輩達にお揃いの携帯ストラップを作ってみました。同い年の子達には「今までありがとう。受験頑張って!」後輩達には「辛いけど、力を併せて上を目指してね!」そんな気持ちを込めて・・・その子その子のイメージでロンデルとファイヤーポリッシュの色を変えて作ってみました写真の香水ビンはくるみ用です。くるみもやっと元気になり勉強の合間を縫って時々部活にも顔を出しています新しく部長になった子の顔を潰さない様に「あまり行き過ぎても駄目なんだよ!」なんだそうな・・(それもそうだよね)
September 19, 2007
コメント(4)
早めに病院へパパには「無理はしなくて良いけれどもしも書けそうだったら薬の記録等をしておいてね!」と頼んでおいた。あゆむの病院との長い付き合いの中で身に付いたのか薬の記録やDrとのやり取り等どうしても気になってしまう。あゆむには薬のアレルギー等が有るので気を付けなければならない事が有るからだけれど・・・パパもこれから長い闘病になるし・・・ね。一晩家に帰っただけだけれど・・とても心配だったのでパパの顔を見たら少し安心した。朝御飯の後、歯磨きしたんだね・・・歯ブラシと口をゆすいだ後の容器がそのまま置いてあった。何だか・・・とっても可哀想になった。パパは結構神経質なので口に入るものがそこら辺に置きっぱなしとかそういうのが、とっても苦手。ベッドの直ぐ近くに洗面所が有るけれどそこまでも行かれない今の状態はどんなに辛いだろう・・・看護師さんや介助の方達も良く働いて下さっているが朝は色々と忙しくて中々手も回らないんだよね。それも良く判るから・・・取り合えず直ぐに、テーブルの上を片付けた。3:00ソセゴン 鎮痛剤9:00消毒10:00ロピオン1A 鎮痛剤以上「辛い時には書けなかったけど3回分は書いておいた」と、パパ。えらいえらい!!以下はママの記録11:50飲み薬の痛み止め12:00脇が汗で蒸されて気持ち悪いのでガーゼにパウダーを付けて挟む。熱 37度4分頭と身体を温タオルで拭いてタライを借りて来て足を洗う。ただ拭くだけよりも実際にお湯で洗えると数倍スッキリするよね。病院内はとっても乾燥している為足はガサガサでひび割れている。ベタベタするのを嫌がるのでベビーローションを塗り込む。15:55熱 37度4分18:30ソセゴン 鎮痛剤18:50ソセゴン一時停止夕飯も済み、歯磨きも終えた。オシッコも済ませた。手の届く場所に電話とナースコールとお茶を置く。19:00ママ帰宅。20:30パパから電話。痛みが強くなったので痛み止め(ソセゴン)を再開したとの事。
September 5, 2007
コメント(0)
2005年11月20日(日)昨夜の様子が心配で大分早く目が覚める・・・この1週間・・・激動の1週間だった。殆ど眠っていなかった事とパパの様子を間近で見ていたからか・・・曜日の感覚はすっかり無くなっていたけれど今日は日曜日なんだね・・・子供達と一つ屋根の下で眠れた安心感。家に帰って来た事で「少しだけ」神経研ぎ澄まされる様な異常な状態から日常を感じる事が出来ている。今日はゆう家族もお見舞いに来てくれると言っていた。あゆむの事は心配無いと言ってくれた。ありがとうねm(__)mパパからは友人・知人全ての方からのお見舞いを遠慮するように!!と言われている。パパには独自の男の美学(?)が有る。男たるもの痛がらない!!ってな具合・・・人に痛がっている所を見られる事はみっともない事このうえ無い!!何年前だったかな?屋根から落ちて「脛」を怪我してしまった事が有る。タオルを巻いて定時刻に帰宅。血だらけだし、剥がそうと思ったら何やら・・・・救急で病院に!骨まで剥き出しになっている大怪我だった。しかも怪我したのは、お昼頃・・・怪我してから6時間以上たっていた。表だけを縫うだけでは済まずに大変な処置になってしまった事が有る。パパはそういう人。痛そう!だとか、怪我した!とかは絶対見せない。それが「男の美学」なんだよねぇ。今回の怪我でも落ちた全ての部位を自分で拾い同僚に止血の指示をして縛ってもらったらしい・・・それだけしっかりした我慢強い人だけれど・・・今の痛みはそれを凌ぐほど強烈なんだよね折角人が来てくれても普通に会話する事も苦しい・・いつもみたいに何でも無い振りが出来ない位に・・・
August 27, 2007
コメント(2)
今年の夏は暑いですね長引く梅雨に一瞬だけ心配された『冷夏』の予想は??どうしたの??って感じ最高気温が更新されたりして・・・そんな中、今年のお盆休みは黒部ダムに行って来ました朝3時に起床し4時に出発心配していた渋滞等も全く無く8時30分にはトロリーバス乗り場に到着トロリーバスは混んでいたけれど座れたし、涼しく快適な15分ダムに到着し階段220段を大急ぎで登りダムを見て、水を飲み、写真を撮りあっと言う間に帰って来ましたゆっくり風景を楽しみながら散策とかそんなのは全く無いあゆむはダムを見てもツマンないしパパとくるみはそこに便乗!全く!!我が家の人間には風情が無い・・・まぁ仕方ないけどねロッジに泊まって、温泉へ温泉は展望風呂で、夜景が綺麗だった・・・次の日、松本城に行ったら滅茶込みだった・・・でも、松本市立博物館で開催中のウィーン展は楽しかった長峰山の山頂から見た花火今までの人生で見た花火の中で一番綺麗だった山下清展やらあっちの美術館・こっちの博物館あゆむが大喜びだった、牧場での引馬あっと言う間の、3泊4日の旅行でした。とっても楽しかった始め良ければ終わりも良しで全て帰りも渋滞にあう事無くスムーズに帰宅
August 17, 2007
コメント(6)
明日からの生活に付いて子供達と相談した結果パパに夕飯を食べさせて、歯磨きが済んでから帰宅する事になった。家に着くのは多分20時ごろ・・歯磨きしたくても、自分で洗面所まで行けないパパ。パパは神経質なので、そう言う事がとっても嫌!とっても痛いから、なるべく傍に居てあげて!と言うのが、子供達の考え。心配だらけ・・・あゆむが帰宅後、何時間も一人になってしまう事。くるみが帰って来てからの食事だと早くても20時になってしまう事。あゆむの生活リズムがまるっきり崩れてしまう。等など・・・でもその意見はくるみだけでなく、あゆむの意見でもあった。あゆむもパパの事が心配なんだよね。一杯一杯の所で頑張っているあゆむの事を考えると何かが起こるのでは?と不安で一杯・・・この1週間に1回パニックを起こしているし・・・でも、あゆむが・・・帰って来たらお洗濯たたむよ!アンディと遊んでおくよ!一人でお留守番出来るから大丈夫!って・・・くるみも精一杯、家の事・あゆむの事は頑張る!と言ってくれてる・・・・今までを考えると有り得ない生活だけど・・・子供達も成長したんだな!と信頼する事が大切かな?と・・・何かの時には、その時その時考えながら・・ゆう家族にも助けてもらいながら・・・ここは子供達の気持ちを尊重した方が良いかな?と決断する!早い時間に家の片付けを済まし、お昼までお仕事をして温めれば良いだけの夕飯の用意をしてアンディと遊んでから病院へ行く。そんな生活が始る・・・皆で頑張ろうね・・・
August 10, 2007
コメント(2)
まず、あゆむをばぁの家に迎えに行ってくるみとアンディをゆうの家にお迎え・・・そして、1週間振りの帰宅。子供達は夜ご飯もお風呂も済んでいたので『ホッ』とする間も無くあゆむを寝かせる。(あゆむは夜9時には寝る子です(^_^;)この時間だと明日は"寝不足"!!)明日は1週間ぶりに出勤なので作業服の用意とか、連絡帳の用意とか・・・アンディにも『ギュウギュウ』して今まで頑張ったねのご挨拶!突然パパもママも居なくなってどんなにか不安だったろう・・・(T_T)お泊りの間に発作も起こして可哀想だった・・・でも、ゆうの所だからこそ元気に過ごせた1週間。これが、ホテルとかに預けるようだったら・・・どんなになってたか!考えるだけでゾッとする!くるみも学校を休む事無く頑張った!精神的に不安一杯だったのにね・・・洗濯と溜まってしまった仕事を少しだけこなしやっとお風呂に・・・1週間ぶりのお風呂・・・今の時代有り得ないよなぁ・・・って言うか・・・お風呂に入っていない事に気付いて無かったかも・・・(^_^;)洗うのにも、浮腫みで足が「ゾウさん化」してしゃがむにしゃがめず・・痛いし(-_-;)でも・・・生きかえったぁ(#^.^#)気持ち良かったよぉ!!☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡先日の新潟県中越沖地震では大変な被害が有り今現在も被災者の方が不安の中不便な生活を強いられている状態だと思います。ご飯を食べたり、お風呂に入ったり・・・そんな普通の生活に!一日も早く戻れますように!!心からお祈りしています。
August 1, 2007
コメント(2)
今朝収穫したト・マ・ト(#^.^#)すこぉし小さめの品種で、何て言ったかなぁ??う~ん(-_-;)すっかり忘れてしまった・・・まっ良いかぁ(*^^)vここの所良いお天気にも恵まれず(まぁ梅雨の間は仕方ないんだけど・・・)NEWSでは冷夏?の心配まで出て来て実際に葉物野菜等の値段が2倍近くにまで高くなってる!!って我が家のきゅうり・ナス・トマトも何だか元気が無いような気がしてます。お日様の力って大きいょねぇ・・・おの代わりに頑張レ!きゅうり頑張れ!ナス頑張るんだ!トマト!応援したくなっちゃいます!だ・か・ら!!少しずつでも大きくなって収穫出来るととっても!HAPPYしかも、TOMATOはママことひかるとくるみの大好物なのですぅ(*^_^*)丸ごとのまま!『塩』をチョンチョンして食べるのがと~っても♪お・い・し・ぃありがとう!美味しく頂きま~す!
July 25, 2007
コメント(6)
時間が少し前後して、2回目の手術直後のお話し・・・1回目の手術が終わった後からずっと気になっていた事が有る。思い切ってK医師に聞いてみた。「接合が出来なかった人差し指はどうなったのでしょうか?」1回目の手術は20時間もの大手術だった。Drも頑張って下さったが、人差し指は接合出来なかった。その人差し指がどうなってしまったのか?ずっと気になっていた。K医師は少し驚いた様に「S医師から聞いてらっしゃら無いのですか?それはとても気になる事ですよね。直ぐに調べてお話し出来る様にしますのでお待ち下さい。」と言って下さった。その対応だけで、気持ちが癒される思いがした・・・それから1時間位経った頃・・・K医師から「1回目の手術の際、親指を最優先で取り掛かりました。時間と切断面の状態から人差し指は接合が無理だと判断し親指の駄目になってしまった動脈・静脈へ移植する為に使用させて頂きました。その為に「指」として残す事は出来ませんでしたのでこちらで処置させて頂きました。」といった内容のお話しを私の気持ちを考えながらだと思いますが丁寧に話して下さいました。本当は、出来ればちゃんと処置(?)してあげたかったせめて「今までご苦労様。ありがとうございました」って・・・人差し指は働き者の指だったから・・・でもK医師のお話しを聞いて最後まで働き者だったんだなぁ親指の為に頑張ってくれたんだぁ・・・と「ありがとうね!今まで43年間、パパの指として一生懸命働いてくれて!!」パパが少し元気になってから話そう・・・そう思った・・・K医師の真摯で思いやりの有る対応に「感謝」
July 17, 2007
コメント(3)
21:30痛みが治まっている少しの時間にウトウトすると指の落ちる夢を繰り返し見る。痛みと夢で中々熟睡出来ないので精神安定剤を飲む。22:10ソセゴン15投与(鎮痛剤)2005年11月19日(土)2:00ロピオン投与(鎮痛剤)9:00K医師回診夜寝ている間に包帯がずれたらしく傷が出ちゃってたので(>_
July 12, 2007
コメント(2)
2005年11月18日(金)どん底まで落ち込んで・・・・苦しくて・・・あがいて・・・・どうしようもない思いをぶつける・・・それって、とても大切な事だと思う(>__
July 4, 2007
コメント(2)
☆ナスちゃん☆初収穫です今年はちょっと遅めの収穫!さんありがとう今年も美味し~く頂きます去年はパパが休業中だった為ナス きゅうり プチトマト インゲン ピーマン カラーピーマンと、沢山植えました。特にきゅうりとプチトマトは大収穫で食卓に彩を添え大活躍でした今年はお世話係のパパも仕事で忙しいのでナス きゅうり トマト だけになりました。どうも・・・去年のプチトマト攻めにはだったらしく・・・普通のトマトになりました!!トマト大好き楽しみです
June 29, 2007
コメント(2)
昨日『6月24日』は23回目の結婚記念日でした15歳で知り合い19歳で結婚し23年かぁ・・・・山あり谷ありだったような・・・あっと言う間だったような・・・何にしても・・・・今日と云う日を家族全員元気に迎えられた事感謝・・・にしてもまたまた今年もパパは覚えていませんでした・・・さかのぼる事24日午前11時頃・・・「丁度1ヶ月ほど前?結婚記念日の話が出たんだもんだから今年はきっとパパも覚えてるよ!もしも忘れてたら怒っても良いと思うよ」とは、くるみの弁う~ん!あまい・あまい・・・結婚してこの方、2・3回しか覚えていた事無いんだから・・・そんな事をパパの居ない所でコソコソ話しながら皆でお昼ごはんのお買い物にスーパーへ私「何食べる?」パパ「家に帰ったらDVD見るんだから何か出来合いの物で良いよ!」くるみの心の中「やっぱり忘れてる?」買い物を終えケーキ屋さんへ・・・ケーキを買っても何も感じてなさそう・・・ここまで来るとあっぱれ家に着いてお昼の用意(テーブルに並べるだけ(^_^;))さぁ食べましょう!と言いながらくるみがを持って来たケーキを見たパパはすかさずカレンダーを・・・・「この間まで覚えてたのに・・ごめん」まっこんなもんでしょ若い頃は怒ってた気がする・・最近では面白がってるまっこんなもんでしょこれも幸福ありがとう
June 25, 2007
コメント(4)
「実は・・・」意を決して話し始める。『今日、消毒をして頂いた際に初めて今の状態を見たと思うんですが・・・・それから様子がおかしくて「こんな手要らない!」とか・・・』そこまで話した時に突然I医師が私の言葉を遮って『そんな事を言われても・・・手術を決断されたのはご自身とご家族なんですから・・・」と・・・次の言葉が出て来ない・・・涙が出そうだった・・・「あぁ・・すみません・・失礼します。」何とかその場を繕って立ち去るのが精一杯・・・I医師は手術へのクレームだと思ったのか??最後まで話を聞きもせずに??私の話し方が悪かったのかも知れない!!でも、話し位最後まで聞くべきでは??クレームを付けたかった訳じゃない!!「大丈夫だよ!段々綺麗になるよ!」って言ってあげて良いの??相槌を打ちながらただ黙って聞いていてあげる方が良いの??「辛いね!嫌だね!」って言ってあげて良いの??「手術を受けさせてごめんね!」って言った方が良いの??今のパパにはどんな言葉を掛けてあげる事が良いの??それが聞きたかっただけなのに・・・余りにも傷付いているパパを見ていてどうすれば良いか判らなくなっちゃた・・・それなのに・・・やっぱり、K医師に話せば良かった・・・I医師はDrに向いてない!!あんた何か違うょ!!"小さな不信感の種”の時もそうだった。不誠実!何か違和感・・嫌なDr!!でも・・でもね・・・I医師にはこれからもお世話になるんだ・・・私では無く・・・心も身体も傷付いているパパが・・・嫌な感情を植えつけてしまって消毒や治療の際におざなりにされたら・・・Drは誰にでも同じように接し治療する。そんな当たり前の事が守られないかも知れない「不安」患者やその家族・・・多くの場合、皆弱い立場。だから多少の事には、目をつぶり我慢する・・・そんな気持ちを知っていますか?気付いていますか?
June 18, 2007
コメント(2)
パパが「思い」をぶちまけるのを「うん・うん・・・」と聞いていた。「うん・うん・・・」そう頷きながらもパパの様子に動揺していた私・・・何でも無い振りをして、落ち着くのを待ち暫くしてから廊下へ・・・手術を受けさせない方が良かったのかな?苦しかった・・・パパごめんね!哀しかった・・・でも、今は自分の苦しさとか哀しさとかそんな物はどうでも良いんだよ!「今はパパのフォロー!!」気持ちのスイッチを切り替える!!時間的に精神科のDrに会う事は難しいのでK医師に聞きたかった・・・事故直後、直ぐに精神科のDrの手配もしてくれて「事故直後は皆動揺して"うつ”状態になるのが自然!」と詳しく説明してくれたK医師は信頼出来たから。「こんな時は、どう対応してあげる事が良いのか?」そう聞きたかった。「今は事故直後だからだよ!徐々に良くなるから!」と励ましてあげて良いのか?「うん・うん」と気持ちを聞いてあげるだけの方が良いのか?今のパパの状態には、どんな対応がベストなのか?Drの話しを聞きたかった・・・ナースステーションに行くとK医師がパソコンで作業中だった。忙しそうなので声を掛けずにDrからは死角になる場所で暫く待つ事にした。すると向うからI医師が歩いてくる。以前"小さな不信感の種”で書いた、あのDrだった・・・傍まで来ると「何か?」と聞かれた・・・とってもとっても考えて、悩んだけれど・・・パパには3人の医師がチームとなって担当医になっていた。K医師はその中心のDrだったけれどI医師も担当医である事に変りは無いし今後もお世話になるのに変な印象を与えてしまってパパの治療に差し支えては!だし・・・「何か?」と聞かれては話すしかないか・・・
June 5, 2007
コメント(2)
2005年11月18日(金)15:35麻酔科のDrによる術後の聞き取り16:15K医師と他3人のDrの回診。事故後4日再手術後(皮弁手術)1日にして初めての消毒をすると言うので私は外へ・・・K医師より「自分の目で見られるようなら見て自分の状態を認識して行きましょう。」とのお話し。パパは見てみます。と・・・初めて左手を見ました。消毒が済み、Drに呼ばれ薬指・小指のリハビリの仕方を説明され「動きの範囲」=「あそび」も教えてもらいました。(親指部分がお腹にくっついていますが何処までなら動かせると言う「動きの範囲」)そして、身体を少し起こすようにして(今までは血流の為と身体の状態悪く寝っぱなしで居ましたが)座位・歩行に備えて行きましょうとの事。私が部屋に入って行った時から少し様子がおかしかったパパ・・・Drが部屋を出て行くと少し投げやりな様子で「こんなの・・・こんな手は要らない!!こんなの手じゃねぇ!!あんなんなら要らねぇ!!痛い思いしてるだけ・・・切れば良かった!!捨てちまえば良かった!!手になんか見えねぇ!!」傷の状態が思ったよりグチャグチャで見た目も手(指)のようには見えなかったらしい・・(>_
May 25, 2007
コメント(4)
ひっさし振りの更~新一週間ほど前から我が家の庭の【親父の木】が満開咲き始めは「濃い紫」で段々「白く」なっていく可愛いお花 丁度26年前?になるかな?膝丈くらいの小さな【親父の木】を二つ植えた父今は158cmの私より10cm程も大きくなった父は「マツリカ」と呼んでいた。でも・・・・調べてみると・・・どうも【ニオイバンマツリ】か【バンマツリ】が正しいようだ父が亡くなってからは・・・父が大好きだった「マツリカ」をいつの間にか【親父の木】と呼ぶようになった21年前あゆむが生まれて3ヶ月目突然亡くなった父を見送るように【親父の木】は満開だった。焼き場に行くと寒い冬だった為か開花の遅れた「満開のさくら」が風に吹かれて散っていた「桜吹雪」と「親父の木」二つの花に見送られ天に還って行った「親父様」両方が一緒に咲くなんて・・・ちょっと珍しい奇跡桜の花が咲く頃・・・【親父の木】が咲く頃・・・いつも父を思い出す・・・
May 22, 2007
コメント(4)
2005-11-1810:35ソセゴン15ml13:45リハビリの先生がいらした。明日、リハビリの説明と練習をするとの事。えっ(>_
May 11, 2007
コメント(2)
2005年11月18日(金)5:00痛み止めの点滴血圧 130/?前回の事故後の手術の時より格段に時間も短く手術の内容もそれ程難しい物では無い分身体への負担も多少は軽減され痛みは強くても、大分元気そうに見える。とは言え・・・痛みは強く、表現は「はさみで指に沿ってザクザク切られている様」とか「ノコギリで指を少しずつ切り落とされる様」とか・・・(T_T)8:30朝御飯食パン・スクランブルエッグ・トマトサラダジョア・リンゴジャムコーヒーが飲みたいとリクエストが有り先生にお聞きすると・・・「内臓疾患では無いのである程度の物は何でも良いですよ!」のお答え!「何かを食べたい!」と言う気持ちって「生きる力」です!少し気持ちも紛れるし、元気になって行けるね!早速、売店でワッフルとダイ○ーのコーヒーを購入。久し振りのコーヒーは「美味しい!」のひと言(#^.^#)9:00飲み薬痛み止め・・・・・この整形外科病棟に引っ越して来て自分の足が痛い(?)のに気付く・・・今まではベッドが高くいつも中腰で、座る事が無かったので分らなかったのか?パパの状態が不安定だったからそれどころじゃなく気付かなかったのか?この病室ではベッドが低く身体を擦ってあげるにも何をするにもベッドの横に椅子を持っていけば座ったままでも出来る事が有った。足を見てビックリ!!あかーく腫れて、足首のくびれ(?)も無く・・・ぞうさんの足の様にふくらはぎから一直線。こんなに浮腫んだのは生まれて初めて!他の場所も気を付けて見ると・・・指もパンパンで指輪が食い込んでる。身体中浮腫んでる。足がだるくてスリッパにしてたから気付かなかったんだ。足の甲もスリッパの跡がクッキリ(^_^;)一番酷いのが足だった。病院内はとっても乾燥していて喉が渇く。お茶を良く飲んでいたけどあまりトイレには行っていなかった。(個室だったけど・・・病棟は古くトイレは無かった)パパの傍を離れるのが心配だった・・・なるべくトイレに行くように心掛ける。
May 8, 2007
コメント(2)
2005年11月17日(水)皮弁手術は今日の午後3時に開始予定だ。8:50痛み止めの飲み薬を飲む 12:30痛み止めの飲み薬(白と緑のカプセル・白錠剤)13:35病室でレントゲン撮影14:40整形外科病棟へ転棟 5C-5ナースセンターの直ぐ前にある部屋の窓からはドクターヘリの発着上が直ぐ下に見える。ココへ運ばれたんだなぁ・・・と何だか複雑な気持ち。前に入っている手術が長引いている為パパの手術の開始予定が延びる事になる。前の手術が終わり次第始めるとの事。15:50手術室へ運ばれる事になった。16:20~手術開始。お腹の皮膚を15cm四方切り、親指を丸く包み込む。お腹の傷は縫い合わせる為に思いっきり引っ張るので、ヘソが引っ張られ、大分左側に寄る。らしい・・・19:30手術終了。暫くして出てくる。手術は上手く行き、1ヶ月程「生着(セイチャク)」するか様子を見て行く。今回は前回の様な長時間の手術では無かったので顔やその他全身の浮腫みもさほど無く意識の戻り具合も大分はっきりして、言葉も出ている。にしても・・・数日間の間に2度もの手術でどれだけ身体も心も傷付いているのだろうか・・・今度は手だけでは無くお腹も包帯でグルグル巻き・・・あぁ~。本当にお腹に手がくっついてるんだなぁ・・全身麻酔が切れて来ると、なんとも言えない気持ち悪さが有るらしい。20:00痛み止め ソセゴン15ml投与22:40痛み止め 座薬使用。
April 30, 2007
コメント(2)
何だか毎日が物凄く忙しくて中々思うように更新出来ません・・・なーんか肩こりやら何やらで疲れでもでも・・・我が家の小さな庭に私の「いっと~好きな!黄色のフリージア」が可愛く咲いてくれています。見ていると癒されますねぇ~元気になりますあんまり可愛いので接写ー
April 25, 2007
コメント(4)
はぁ・・・次から次へ・・・大事件・・・心臓が止まるかと思った2007年4月18日(水)すなわち昨日・・・17時37分頃見慣れない番号から携帯にTELくるみの部活の顧問の先生だった。「くるみさんが、練習中に頭を打ち付けてしまい意識が有りません。救急車を呼び、今到着した所です。病院が判り次第又連絡をします」学校の近くにはO市立病院が有りくるみも掛っている総合病院なのでそこに連れて行ってもらうようにお願いする。なーさんがピアノの練習でゆう達が来ていた。夕ご飯の用意も出来ていたので、後の事を頼む。いつもこんな時、世話を掛けてしまう。ありがとう。パパがいつもより早めに帰宅した所だった。診察券と保険証を用意して直ぐに出る。走り出して少し経つと病院へ着いたと連絡が入る。ラッシュ時だったので山越えして病院へ18時着。顧問の先生の話によると「練習中に押された拍子に、壁の縁に頭を打ち付けたまま意識を失い前に倒れ、1分位した所で痙攣が始まり10分から15分位止まらなかった」との事。痙攣???そんなに悪い状態???扉が開きベッドが運ばれる「今からCTを撮って検査をします。まだ意識もはっきり戻らず、焦点も合いません。こちらが聞く事には小さく頷きますが言葉(言語)としては出ていません」くるみは顔面蒼白声を掛けても判らない様子。頚椎保護のホルダーと酸素マスクをしている。顔を見たらもっともっと心配が深くなってしまった大丈夫なの???パパが一緒で良かった・・・検査から帰ってきて、脳外科のDrから検査の結果を伺う。「脳には出血なども見られず異常は有りませんでしたので大丈夫です。ただ稀に、小さな出血で発見出来ていない可能性は有りますのでまだ意識もはっきりしませんし、言葉も出ませんので・・・」と言う事で、念の為に一日入院をする事になる。私は痙攣が長く続いた事がとても心配だったのでお聞きした。Drは「脳にダメージが無いのに痙攣を起こす事は無い。部活を初めて1時間半位経っていたと言う事なので脱水やショック状態が原因の可能性が大なので今の時点では心配は有りません。」との事だった。痙攣=脳のダメージのイメージがとても強かったので本当に本当にホッとした。良かった・・・19時半頃、2階の救急センターに移動。(救急で来た人が一時的に入院する場所)まだ、意識ははっきりしていない・・・言葉もまだ出て来ない。20時10分頃?処置が終わり私だけ呼ばれる。「お名前は?の問いに答えられる様になりましたよ」とナースさんが教えてくれた・・・又少し安心ICUの様に大きな部屋にいくつもベッドが並んでいる。重傷者も居ると言う事で複数人で入る事が出来ないらしい。焦点も合い、言葉も出ている。良かった・・・事故前後の事は良く判らない様だけれど・・・練習相手だった子の名前を言っている・・・泣いている・・・「心配しないように!練習中の事なんだから気にしないように!そう伝えて欲しいんでしょ?」「うん!うん」何度も頷く。「必ず連絡して欲しい!」と何度も何度も・・・大丈夫!!家に帰ったら直ぐに連絡するからねそんなこんなで大騒動・・・でしたが・・・本日、何事も無く無事に退院してまいりました。本当に大事に至らなくて良かった・・・顧問の先生も、担任の先生も安心された様子。本当に遅くまでありがとう御座いました。ご心配お掛けしました。部活の仲間達・後輩達・お友達の皆心配掛けてごめんねありがとう感謝傷病名は「脳震盪」です。22日から始まる試合にも出られます。引退間近です。良かった・・・それにしても・・・死ぬほど疲れたぁ・・・死ぬほど心配したぁ・・・何にも欲は言いません・・・元気で居て下さい!!
April 19, 2007
コメント(6)
全161件 (161件中 51-100件目)