実録・NEW YORKマラソン



すっかり有名になったこのレースだが紹介までに書くと、まず朝10時50分
スタッテン・アイランドの橋の付け根にある公園からスタート。全長2マイル近くもある橋を渡り終えると次のブルックリン地区に入る。ここからクイーンズ地区までの距離がかなり長い。クイーンズ・ボロ・ブリッジを渡ってマンハッタン内入り、やっと半分というところ。ここからかなりお馴染みの場所と
いうこともあり気持ちの余裕もでてくるのだが、いかんせんすでに2時間ほども走っているので身体中いたるところが痛み始めている。この縦長の島を一路東に走り、最後の地区のブロンクスへ。そこからゴール地点のある、セントラル・パークの西サイドまで島を折り返すかたちでラスト・スパートをかける。
後から思うに、このセントラル・パークに入ってからが必要以上に長く感じられたのは私だけだろうか。実際は3マイルちょっとしかないが、中をぐるぐる
と同じような景色だけ眺めながら走っていると「ちびくろさんぼ」のトラのようにバターになってしまいそうであった。

話しを時間経過の順に戻そう。
まだ薄暗い、朝6時に自宅を出て最寄りの電車に乗る。これまでこんな早朝の駅に立ったことはなく、なんとなく心細い気持ちになる。実際、車内には泥酔して寝てしまった若い男性に、ホームレス風の中年男性2人の姿しかなかった。やはり気分が悪いので次ぎの駅で降り、改めて別の車両を選んで乗り換えた。マンハッタン地区の集合場所はMid townにある市立図書館前。ここからチャーター・バスに乗ってスタート地点のあるスタッテン・アイランドに連れて行かれた。ようやく東の空が白みかけてきた。
ここでは、まず着用したゼッケン番号によって出場登録のチェックをされる。
それが終わると、あとはスタートラインに着くまで自由に過ごすことになる。
やはり年に一度のBig eventらしく、いろいろなスポンサーのブースがあり、そこで好きなドリンクや栄養補助食品、絆創膏、筋肉をほぐすクリームまで試供品をもらうことが出来た。また、開催当局のボランティアからはベ-グルと
ホット・コーヒーのサービスを受けた。数時間後、これが原因で困ったことになるとは知らずに空腹に任せて、2個のベ-グルとたっぷりのミルク入りコーヒーをお代わりまでしたのであった。

ところで、11月となると朝はとても寒い。特にこの年は例年よりも低く、35?(1℃くらい)で、とりあえず走る前の防寒着こそ付けてはいるが、
簡易式のテントの下で(地面はなにも敷いていない)これからの3時間を過ごさなければならない。この寒空で無防備な私は、全くの無知であった。よく廻りを見渡すと、ほとんどのランナーは寝袋か携帯用の毛布を持参している。
これにくるまって軽い睡眠をとっている姿はもう、余裕としか言い様がない。
また、あるランナーは持参した新聞や雑誌相手に時間を過ごしている。
私のような全くの個人参加が多いようだが、友人同士あるいは恋人、夫婦とくに老夫婦の参加者も結構見られた。

・・・こうして人間模様をウォッチングしながら長い時をやり過ごし、そろそろウォーミング・アップの前にトイレでもと思い出向くと、そこには長蛇の列!広い敷地全体に20箇所はポータブルのものがあるはずだが、そのどれもが満員状態であった。人間、極限状態におかれると2つのタイプに分けられることを垣間見た。ひとつは、苦しくても我慢してしまうタイプ。それとは反対に恥じを掻き捨てることができるタイプと。私は当然のごとく前者であったが、この広場のあちらこちらで、老若男女の区別無しに座りこみ、用を足す人たちが多く見られた。
しかし、あと数分遅かったなら私も我慢の限界をきたしていたかもしれない。

スタートはまず、招待選手、トップランナー(男子、女子共)そして各々の申告したタイムの順番で行われる。それでは、タイムに格差が出るのでは?と思われたでしょうが、ここでは”マラソン・チップ”といわれるタイムウォッチを各人予め靴紐に結び付けて走る。それぞれ走りだした時点からカウントされ、各ポイントでのタイムが表記されるしくみになっているのだ。
第一走者グループから遅れること30分後にようやく走りだすことができた。感無量、ここまでの道のりに思いを馳せると自然に胸が熱くなってくる。とても強い向かい風を受けながら、これからの長い一日、一歩一歩足跡をつけるように前に進んでいった。

<心に残った人たち、その風景>
マラソンを走りながら、沿道で偶然知り合いと出会うことはごく稀なことだと思う。それはブルックリンに入ってすぐの街でたまたま起った。両手に”日の丸”を描いた横断幕を掲げながら「ガンバレ、ニッポン!」の声援はまぎれもなく友人の一人のMさん。そのかたわらには二人の坊やたちもいた。なぜかお互い目が合い、彼女が更に大きな声援をかけてくれた。ほんの数秒の間の出来事であった。

私の少し前を走る女性。身の蓋のない言い方をすると老女の部類である。歳は
60歳よりは若いとは思えなく、腰もわずかに曲がってしまっている。その彼女のシャツの背中には「痛みよりも、プライドを」と自筆で書かれたメッセージがあった。

この日のために公式に採用されたボランティアが、各ポイントにテーブルを出してミネラル・ウォーターなどのサービスをしてくれる。その他にも道ばたで
輪切りにしたオレンジを振舞っていたおばさん達、キャンディー(もしかしたらハロウィーンの残りかも)を手づかみで渡してくれた子供、私が一番助かったのは、口にたまった分泌物を拭うためのティッシュペーパーをもらったことである。それと、ブロンクスのいわゆる、低所得者たちのための住宅前で黒人のお母さんから煎れてもらった暖かいココア。スタミナ切れ寸前の身体を救ってもらえたのだ。

実はコースの中継点で家のすぐ近くを走る。当然、私の応援団?のほとんどがここで待ってくれている。と、くれば何が何でもここまでは辿り着かなければならないプレッシャーがある。一応の予想タイムを割り出して皆には伝えてあったが、やはり向かい風の強さと寒さが影響して遅れること、40分。ちょうど半分の地点にあたるこの街に入ると、まず目に入ったのは電工掲示板になんと私の名前!いたずら好きの彼女はNYUで教鞭をとるほどの才女なのだが、こんなどうでもいいことをすごく真面目にやってくれるのだ。多くの人垣の中から彼女の姿を見つけ出し初めて歩みを止めた。暫し彼女と彼女の双児の子供たちと抱き合った。

それぞれの街にいろんな教会があって、その中でも100人くらいのゴスペルの合唱隊の歌声は心に響いた。たまたま、私が通った時に出会えたのだろうか?それとも・・・

沿道で声援してくれた名もしらない日本人の方々。どうして私が日本人とわかったのだろうか?(でも逆の立場であったら、私もわかるかも)人それぞれの”日の丸”を描いた旗を振ってくれた。あの村上春樹さんのエッセイでもあったような”日の丸弁当のようなもの”もあった。氏も同じレースに参加されており、私より遥か2時間も前にゴールされたと後に夫から聞いた。

ゴールの瞬間はとてもあっけなかった。なぜかというと、とても中身の濃い旅が終わってしまって気が抜けてしまったのだと思う。それでも、約束通りに待っていてくれた夫と娘に会った時は、思わず目頭が熱くなってしまった。

5:45:03
今までの最長所要時間であった。

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