☆New Beginnings in CANADA ☆

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東南アジアの旅 -Part 2/2-

11/9~11/10/2006:カンボジア(2)
~哀しい近代史の残り香 in プノンペン~


2006年11月8日


首都プノンペン!
首都プノンペン


6時間程かけてシェムリ・アップの町からカンボジアの首都・プノンペンに到着し、無事ゲストハウスも決まった午後3時過ぎ。

到着したバス停からゲストハウスまで乗せていってくれたトゥクトゥクのオジさんと、翌日の半日観光契約をかわし、明日の約束をして別れました。

さて、私達が一日目にとまった、ここゲストハウス「ナンバ-9」は、ロンリー・プラネットの中でもお勧めだった場所。どうやら、西洋人に人気が高いらしい。ここは、ボンコック湖沿いにあり、テラスからの眺めは抜群だ。そんなコテージのような雰囲気はとっても贅沢な感じ。多数の外国人達が、テラス沿いにあるハンモックで、ビールを飲みながら、ゆっくりとした時間の流れの中でたむろっていたりもする。こういう所好きだね、外人は。と思いつつ、私も、ここカンボジアでは外人だけどとおもいつつ。

ゲストハウス「ナンバー9」
プノンペン



そんな好条件の「ナンバ-9」。しかし、部屋がね・・・・。暗くて、狭く、勿論クーラーはなくファン。それだけならいいのだけれど、そのムンムンとした部屋の中にシャワー&トイレがついている。こういう状況下では、臭いが充満して取れていないのか・・・とにかく臭い!!

なんか、この部屋臭くない?
と思いつつ、部屋の中のトイレを覗くと・・・・誰かのウ○○が!!!!!
あぁぁーーーここまできて、こんな大量を見るとは・・・・・私ってウンがついてる?!目の前クラクラッ。

その、流し忘れたウ○○と、その悪臭でダメだ!と思った私は、夫Cとも話、他の部屋も見せてもらった・・・が、その部屋は、あまりにも・・・セキュリティーの面で不安(カギが壊れてるよ)。二つしか空いていない部屋。そして、この他のゲストハウスを探しまわるエネルギーが0(ゼロ)に近い二人。窓を開けて、空気の入れ替えをるれば、なんとかなると思い、結局、ウ○○があった部屋へ。(もちろん、ゲストハウスのお兄ちゃんに言って、綺麗にしてもらいましたよ!)

臭いとれないじゃん・・・・(涙)。
でも、疲れたから、もう他へはいきたくない。

とりあえず、早くこの悪臭から立ち去らねば! 
このように、部屋が狭くて換気が悪い場合は、シャワー&トイレ別の方が断然イイ!値段もその分安くなるし、なんてたって衛生的。そんな事を学びつつ・・・私と夫Cは、早々と部屋を出て、暗くなる前に国立博物館とトレンサップ川沿いのワット・ウナロム周辺へ行く事にした。

国立博物館。外観はとても立派で、東南アジアならではのオープンスペースがふんだんに使われた建築。(中庭から眺めた博物館)
カンボジア_国立博物館


外観とはうらはらに、まだまだ、博物館の中は、国立博物館といえども、きちんと整理されていなく、残念ながら、期待したほどでもありませんでした。しかし、ここには、何個かクメール時代の貴重な石像などがあるので、プノンペンにきたら、一度いってみると良いかも。

Cと私は、国立博物館を出て、次に向かったのはトレンサップ川沿いを通るシソワット通り。ここは、フランス植民地時代の建物などが残り、インドシナの風を感じる事ができる場所。ここからトレンサップ川を眺め優雅に夕暮れを過ごすのも気持ちがいい。

下:フランスの植民地時代を思わせる建物。この通り、かなり気に入りました♪
カンボジア_シソワット通り

プノンペン



私達は、シソワット通りを散歩しながらも、次なるデスティネーションへのバスチケット情報の調査も忘れずに、細かくチェック!明後日には、プノンペンを出てカンボジア北部へ向かう事になってます。なので、到着そうそう、次の事も考えなくてはいけないので、どこかソワソワ落ち着きません。

無事、チケットをゲットし、お金もいくらかカンボジア通貨・リエルに替えてホッとした私達。ようやく、リラックス・タイム。オープン・カフェで一休み。オープン・カフェのファンの前に座り、沢山かいた汗をさましたい・・・。ここカンボジアは、本当に蒸し暑く、ちょっと歩いただけで、身体のそこら中から汗が吹き出てしまうぐらい。新陳代謝の悪い私でも背中はビッショリ。そんな時に良いのは、なんといってもフレッシュ・スイカ・ジュース♪このジュースを呑むと、一気に身体の火照りが静まり、身体の中から新たなエネルギーが湧いてきます。

下:トレンサップ川沿い。観光用の馬車・・ではなくて、ゾウがのっしのっしと歩いています。
プノンペン


ボケーーっとしていると、次第にお日様の力が弱まり始め・・・暗くなる前にゲストハウスへ帰らねば!と、、っそくトゥクトゥクを使って、ゲストハウスへ戻った私達です。ゲストハウスの部屋には不満があるけど、そこの湖沿いのテラスで、どうしても夕日を眺めたかったので。

無事、ゲストハウスに到着した私達は、テラスに直行!湖の前の席を確保し、暗くなるまで、ボーッとしたり、本を読んでいました。
次第にお日様は、遠くの地平線の下へ下へと下がってゆきます。

ボンコック湖の夕日
カンボジア_ボンコック湖


私達は、夕日が見えなくなった後も、ここでゆっくりと夕食を食べ、そこかしこに溢れる、人々の笑い声や音楽の楽しそうなハーモニーを聞いていました。

しかし!私達のゲストハウス「ナンバー・9」は、どんどん騒がしくなる。音楽は、大きな音でテクノ調?! こういう雰囲気には、もっとしっとりとした音楽を聞きたい・・と思っていただけに、その音が段々と耳障りに・・・。どうも、たむろって居る若者が、College Studentといった感じなので、その場はすぐさま大学の寮的雰囲気に・・・。しかも、現地のカンボジアン美人を横に連れて・・・これって、どうなの?売春か?
これじゃあ、タイのカオサンやカンクン(安いツアーが学生向けに毎年でるのでアメリカの大学生がよく春休みに行く場所:私もいったよ・笑)と変わらない。あたりも真っ暗になってきたことだし、私達は、部屋に戻って、もう寝る事にしました。それでも、いつの間にか時間は夜9時になろうとしていました。

あぁーーあの部屋に帰るのか・・・・と憂鬱な気持ちを抑えつつ・・・部屋のドアを開けると・・・・プゥ~~~ン。空気が黄色く見えた一瞬。
やっぱり、あの臭いは、まだ部屋中を駆け巡っていたのです。
だからといって、窓を開けっ放しにして寝るのはちょっと・・・(安全面を考えて)。なので、ファンを最大にまわし、ざっと水シャワーを浴びて、身体が冷めている間に、サッサと寝る事にしました・・・・。寝れば、きっと臭いも感じないはず!こんな時は寝るのが一番!

疲れているので、早く眠くなるのですが・・・
あまりの臭さで眠れない!その上、衛生面に疑いを一度でも持つと、そこかしこが、かゆく感じます。そして、しばらく時間が経つと、シャワーでさましたはずの身体は、いつの間にかホテりはじめて・・・暑すぎる!
疲れているけど、あまり眠れず、それでも、なんとか、この夜を乗り切りました。この夜は、この旅の中で一番苦しい夜だったのではないでしょうか。

2006年11月9日


翌日、昨日契約をしたトゥクトゥクのオジさんが7時に迎えにきました。すでに、私達は、このゲストハウスを去って、新しい所へ泊まることを決めていたので、まずは、トゥクトゥクのオジさんの紹介する新しい宿泊先へ。そこは、どちらかというとトレンサップ川の方に近い街中です。値段も、部屋もなかなか悪くなかったので、2日目は、そのゲストハウスに決めました。

ゲストハウスも決まり、今日は、一番楽しみにしていたポルポトの歴史めぐり。これを見るために、プノンペンへ来る事にしたと言ってもいい程、訪れたいと思っていた場所です。

ここプノンペン郊外には、あのキリング・フィールドが、そして市内には、かの恐ろしいS-21収容所が、今も残っている。そんなカンボジアの負の遺産。今日一日はかなりヘビーな日になるでしょう。

まずは、早朝、キリング・フィールドへ・・・
キリング・フィールドは、ポル・ポト率いるクメール・ルージュ(カンプチア民族統一線)による主に知識人・外国人・宗教家を対象に大量虐殺が行われた所である。フっと、周りを見渡すと、のどかなカンボジア郊外の風景とカラっと晴れわたった真っ青な空が広がる。それは、何もなかったかのように、いつも平穏だったのごとく・・・。きっとあの頃もこんな一日だったのかもしれない・・・。広がるのどかな風景とは裏腹に、この地で虐殺が行われたかと思うと、空の青さもとても哀しく感じたりする。そんな場所に慰霊塔(下)は、哀しくそびえ立っている。

カンボジア_キリング・フィールド(慰霊塔)


この慰霊塔の中には、多くの骸骨と衣服が積み上げられている。見た瞬間、ドキっとさせられてしまった・・・・.そして、敷地内の至る所に、骨や洋服の一部が、土から顔をのぞかせたりしていて、こちらでは、ゾクっ・・・。この一体は湿地帯でもあり、今だに、まだまだ多くの人達が埋まっているという。安らかに眠ってください・・と手を合わせずにはいられない場所が、このキリング・フィールド。しかし、やはりプノンペンまできたら、来るべき所。このような場所から多く学ぶ事があり、これからの世の中を考える良いキッカケにもなるんじゃないかな。

お勧め映画:
キリング・フィールド
ニューヨークタイムズの記者として、この時代、カンボジアの内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したジャーナリストのシドニー・シャーパーク。彼の体験をもとに描かれた作品。これを見ると、この時代がよく見える。


お勧め図書:
最初に父が殺された First, they killed my father by ルオン・ウン



午前中に、すでに重い気分になっていた私。キリング・フィールドを後にした私達は、市内にあるロシアン・マーケットへ行き、しばし楽しい買い物時間♪そこを出た私達は、もうお腹がペコペコ・・・ひとまず、トゥクトゥクのおじさんに、次の場所・トゥールスレーンへ乗せてってもらい、彼との半日契約は終了。私達は、その前にあるゲストハウス内のレストランで昼食をとり、一休み。

ランチ後は、午前中のキリング・フィールドよりも、さらなる気分の重たいトゥールス・レーンの見学。ここは、かつて高校だった場所である。そんな普通の学校は、ポル・ポト政権下では、恐ろしい強制収容所に様変わりした。別名、S-21(セキュリティ-21)とも言うここの場所で、多くの虐待、虐殺は行われていた。

詳しくはこちら: Wikipedia -S-21(セキュリティ-21)-
Wikipedia -クメール・ルージュ

トゥールスレーン


カンボジアで集団虐殺があったのは、まだまだつい最近の事。私も、すでに生まれていた70年代中盤である。75年に政権を握ったポルポト派は、急速に共産主義政策を推し進めた。結果、国内は更なる混乱に陥る。そして、この時代に、大量虐殺という悲惨な事が起こってしまったのだ。カンボジア国内の人口が、クメール・ルージュ政権下のたった2年9ヶ月で、半分に減ったとか・・減らなかったとか・・・(←ちょっと、これは大袈裟。しかし、1/4程の人口が減ったらしい)。未だに、何人虐殺されたかはハッキリとはしていない(人、又は調査によって違う人数)。でも、かなりの人が虐殺、そして飢餓で亡くなった。

そんな歴史を持つカンボジア。その時代につけられた様々な爪痕は、人々の心の中にまだまだ多く残っている。約3年8ヶ月にわたるポルポト派による恐怖は、78年12月のベトナム軍、カンプチア救国民族統一線(反ポルポト派)の侵攻、そして、最終的に、1979年1月にカンプチア救国民族統一線(反ポルポト派)がプノンペンを解放し、終焉を迎えた。しかし、ポル・ポト派から解放されたからといって、国がすぐ安定するわけでもない。その後、しばらく緊張状態、政権の混乱などはあったが、カンボジアは着実に和平の道へ向っていった。90年代後半には、人々が各国から観光で訪れるようにもなり、これからは、増々経済的発展に力を注いでゆく事になるのだろう。

さて、70年代に起こった虐殺。この時代の責任を、誰が、どのように取るかなど、大きな議論が巻き起こった。結局、首謀のポル・ポトは、国民に裁かれる前に亡くなった事もあり(刑は下されたが、実際は何も変わらず、そうこうしているうちに、その翌年死亡したとか)、どこか、この時代の処理を上手くできないままでいる部分があると聞く。しかし、現在は、あの時代を知らないカンボジアの若い世代が増えたのもあり、徐々に忘れさられてゆく事実もあるようだ。

そんな負の遺産を今も残しているトゥールスレーン。ここでは、夫Cとも声をかわす事なく、二人とも、いや、そこにいた誰もが声にならないほど、その場を感じ、ただただ黙っていた。

トゥールスレーン


とても静かな部屋。しかし、その静まり返った静寂さえも、うるさく感じる。だからといって、何を言っていいのか、どんな一声をだせばいいのか。まったく分からなくなるほど、喉が詰まった。

カンボジア_トゥールス・レーン


部屋の一角には、ここで亡くなった人々の写真が飾られている。
現地の人の中には、ここで家族や親戚を発見した人もいるのだろう・・・。

トゥールスレーン



この日の夜、ゲストハウスへ帰った私達は、少々精神的にも疲れてしまった。なので、食事はゲストハウスのレストランで済ませ、しばらく、そこに座っていると、レストランにあったビデオで映画「キリング・フィールド」を流し始めた。丁度、Cから勧められた映画で、今日の観光から戻った時、話題にしていた映画だった。結局、精神的に疲れたぁ~とおもいつつも、私とCはその映画(結構長い)を見入ってしまった。こうして、プノンペンの2日目は、ポル・ポト、キリング・フィールドで始まって、また、そこで幕を閉じた・・・。

2006年11月10日


翌朝、とうとうプノンペンを発つ日がやってきた。
相変わらず早朝のバスだったため、荷物をさっさとまとめて、セントラル・マーケット近くのバス停へ向かった。

カンボジア_プノンペン交通



セントラル・マーケットを背景にバスターミナルで、クラチェ行きのバスを待っていた私達。
カンボジア_バス停


こんなお店もバス停周辺に沢山ある。
カンボジア_お店


このバスターミナルは、ベトナムのホーチミンへのバスも出ていて、多くのバック・パッカー、そして現地の人達が利用する場所だ。色んな人が行き来するマーケット周辺、そしてバス停。プノンペンの活気を感じつつ、私とCは、プノンペンを出発。新たな街へと向かった。


東南アジアの旅 -Part 2/3- カンボジア(3) :カンボジアの近代史 へ続く。

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東南アジアの旅 -Part 2/4- 11/10~11/11/2006:カンボジア(4) ~クラチェの夕暮れ~ (工事中)へ続く。

まだまだアップする予定です。お楽しみに♪



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