愚痴日記

愚痴日記

1歳7ヶ月から2歳まで

私の切迫早産もいよいよ本格的になり、20週を前に薬の内服がはじまりました。アオの時は23週で入院でしたので、それだけは避けたいので、
家でひたすら安静にご飯もお弁当を頼んで、洗濯は乾燥機まかせで暮らしてい
ました。お金のかかる妊婦だ。

夫のいない平日は公園にも連れて行ってやれず、アオは家の中でくるくる回っ
たり、つま先歩きをしたり、「テケテケテケテケ」という奇妙な宇宙語を
発しながら過ごしていました。
私が身体を使わない遊び、絵本を読むなどしようとしても全く興味なし
でした。

夫と外出した時など、ひたすら走っていってしまったり、いきなり小学生の
お姉ちゃんを押したり、していたようです。

そして、声には反応しにくいのに、音に関しては、1歳前から、過敏なところ
があり、デポンが嫌いで泣いたり、ファンファーレが怖かったり、ブザー
の音が怖かったり、また、天気予報のマークがとても好きだったり、
らしいところが見えてきていました。

そして言葉もほとんど無いまま1歳10ヶ月になろうとしていました。
その頃の思い出はうんちがついてお尻を洗おうとお風呂に行き、
「ここにつかまっててね」と何度言って洗おうとしても、言うことを聞かず、
、くねくね座り込んでしまい、わざとやっていると思い、イライラして
、怒ってお尻を何度も叩いてしまいました。
でも今思えば、この時点ではアオは私の言葉は全く理解していなかったのです。
そして、感覚統合的異常もあったので、くねくねしてしまっていたのです。


言葉の理解に関しては、初めての子供でしたし、日常生活では、ご飯や
オムツ交換など、目に見えることも多いので、言葉を理解していなくても
アオはそれなりに反応していましたので、「~して」などをできないのは
気が向かないからかななんて思っていました。
言葉に気をとられて、やりとりがまったくできていない事に気づいていません
でした。 その後この頃のアオと今のモモの理解度比べて、普通はこの時期にこんなに
理解しているものなんだと愕然としましたが。


アオに対する不安が少しずつ大きくなってきたものの、その時期は早産に
ならずに妊娠生活を終える事が一番の課題でしたので、アオの気になる点に
ついてはあまり触れない日が続きました。

アオ1歳11ヶ月私妊娠9ヶ月の頃、市の保健師から電話がかかってきました。
表向きはアオの停留睾丸の受診についてでしたが、本題は違いました。
「その後、言葉はでましたか?」と聞かれました。「でてません」と
言うと、「オムツ捨ててきて、~ちょうだいなどの指示には従えますか?」
聞かれました。私はなぜかむきになってしまい、できもしないのに
「たまにできる時もあります。(そう思いたかったのかもしれません)」
と答えていました。「わざわざ電話もらう程の状態なんでしょうか!」と
けんか腰になっていました。保健師は「お母さんが気にされていたので」
と言いました。また出産後に電話しますということになり電話は切れました

私はなぜあんな態度をとってしまったのか、今はわかります。
もうアオになんらかの異常があることにはこの時にはほぼ確信していました。
そして、その異常がおそらく「自閉症」であることも
でも出産が終るまではどうしようもないから蓋をしておくしかなかったのです。


1歳半健診後からモモの出産間際までに、私たち夫婦の間では、言葉の遅れ、
多動、妙な身体の動きなどを調べていくうちに、当初疑っていたADHDでは
なく自閉症の方が近いだろうという結論に達していました。
ただ、認めることは完全にはできていませんでした。
アオは自閉症特有の物を一列に並べるのや斜め見や手をひらひらは、やりません
でしたし、偏食もなく、つま先歩きは健常の子もやるようでしたし、否定
する項目もいくつもありました。


そして37週にはいりお腹の張り止めを止めたとたん、その夜にモモは生まれ
ました。モモと私が退院して数日してアオは2歳になりました。
ようやく指差しをはじめましたが、言葉は「まんまん」だけでした。


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