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2022.07.29
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カテゴリ: 旅の記憶
2日目、ホテルを出発してナビには「芋峠」と指示。何しろまずは墓マイラーとしての第一番墓所「請安先生の墓」のある南淵集落から芋峠を越えて吉野へ、の行程だからです。

 私たちの住んでいる所は、ほとんどが条里制みたいに道路が走っているので、次の信号で・・と思ったのですが、なぜかナビが黙ってしまいました。仕方なく勝手に次の信号を左折したのですが、どうも違うみたい、もう一度来た道へ戻ってみようと戻りました。
 このあたり、友人も私も記憶があいまいで、確か左に橘寺らしきお寺があったのは記憶しています。
 (後日、奈良県の道路地図を買って検証する予定です)
 元の道に出て流れに乗って進んで行くと、ナビが元気に指示を出しはじめました。道路の大きい看板には直進には壷阪寺の文字があり、ナビはそこに行かせたがっているようです。芋峠の文字はどこにもありません。
 しかし、見知らぬ道路でのナビの頼もしさは、幾度も経験があるのでナビに従う事にしました。
 広かった道が狭くなり、大型車も走っていたのに車が徐々に少なくなるのですが、ナビの指示は直進です!
 そのうちに、急坂、急カーブの道になりました。そして小さな軽自動車はぐんぐん高みを目指して進んで行きます。たまに降りてくる車があるので、行き止まりではなさそうでホッとしたり、ナビの地図では道路を示す太い緑の線が頼もしく私たちをいざないます。


 チャンスが訪れました!なんと急坂の山の中に広い駐車場が出現!30台くらいの車が停まっています。壷阪寺の駐車場でした。こんなに車があるんだったら、向こうには広い道があるに違いない。今まで来た道はひどすぎる!と人心地がつき、前に進みました。
 ちょっと登って下を見ると、壷阪寺の立派な屋根が見えました。お里沢市の壺坂霊験記の壷阪寺です。今も信仰を集めているみたい。

 まもなく壺坂峠を越え、道は下りになりましたが、広く明るい道どころか、どうも誰も使わなくなっている道らしい。朽ちた落ち葉の道に出来ている轍も、新しいものはない。道は狭く、引き返すのは不可能。ナビは壷阪寺の上りから沈黙!
 左は崖で修行出来そうな滝もあります。右は川の流れがあるらしく底の方に流れの音がします。道幅は軽自動車がやっと通れるくらい。暗くて湿った感じ。でも、いつかは吉野に出るのは間違いないはずなので、勇気を出して進みました。
 途中、山菜採りか山仕事らしい軽トラが登る方向に停車しているのを見て、下から登って来たんだ!とひと安心!
 最初の集落に出てホッとしていたら、ナビが元気よく指示を出し始めました。確かに、一本道じゃあ指示の出しようがないよね。
「次の信号を左折です」
保育園や農協の直売所があったような気がする。

 さて、私たちは思ってもいなかった壺坂峠を越えてしまったのですが、直木孝次郎紹介の土屋文明が昭和18年に飛鳥から吉野への峠越えをした記録に、
「1日目は藤原宮跡から橘を通って壺坂山の麓に宿を取った。幾つもある峠のうちで、1番距離が短い峠越えで、翌日は早朝出発して昼前には世尊寺につき、ここが吉野寺の跡であろうという先生の考え・・」
とあり、思いがけず壺坂峠を越えたのは、私たちの収穫でもありました。





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最終更新日  2022.07.29 15:46:51


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