遊心六中記

遊心六中記

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

茲愉有人

茲愉有人

Calendar

Comments

Jobim@ Re:観照  庭の花 オーシャンブルーが再び & ゼフィランサス(09/26) オーシャンブルー、猛暑日になると咲かな…
ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな(「アマテラスの暗号」)@ Re:探訪 [再録] 京都・大原の天台寺院を巡る -1 大原女の小径・大原陵・勝林院(10/16) ≪…「念仏により極楽往生ができるかどうか…
Jobim@ Re:観照 インターネットで【龍/Dragon】探しの旅へ -35 中国の龍 (6)(09/18) 中国の彫り物はさすがに手がかかっていて…

Favorite Blog

まだ登録されていません
2017.02.06
XML
カテゴリ: 探訪 [再録]
  [探訪時期:2013年4月]
つぎの目的地は 松原西洞院にある五条天神社 です。秀吉が京都大改造を実行する前は松原通が五条通だったのです。そこで五条という名称なのでしょう。天神という文字を見ると直ぐに菅原道真を連想するのですが、この天神は「てんじん」ではなくて「てんしん」つまり「あまつかみ」の方だったのです。(実は私自身、てんじん(菅公)と思い込んでいて訪れ、教えられた次第です。予備知識不足!)

                               西洞院通から眺めた五条天神社 (石標は五條天神宮です)

駒札 を読みますと、 「あまつかみ」系で あることがわかります。
ご祭神は、大己貴命 (おおなむちのみこと) 、少彦名命 (すくなひこなのみこと) 、天照大神です。
(資料1)

拝殿


その奥に本殿

拝殿の木鼻 の彫刻がいいですね。拝殿の傍に右写真の 石碑 がありました。 「医祖」 だけが判読できました。上掲の駒札にも記されていますが、境内を探訪後に、松原通への門から出た時に明瞭にわかったのです。そちらをまず、ご紹介しましょう。

つまり、「平安城鎮衛の為造営し給ふ。医道の祖神とす」 (資料1) ということが、松原通側に建てられた 「皇国医祖神五條天神宮」という石標 (まじない) の神として崇敬されてきたようです。
なぜか。少彦名命を調べてみて理解できました (資料2) 。この神様は大国主の国づくりを助けた常世の神で、海の彼方からガガイモの殻の船に乗ってやってきた小さな神なのだとか。「少彦名命は、大国主命と国づくりをしたときに人びとにさまざまな病気の治療法を教えた。このことによって、のちに命は『薬師』と呼ばれる漢方医学にたずさわる人びとの神とされた」と記されています。




また、筑紫天満宮という名称が石標に刻されていますから「天神 (てんじん)
筑紫⇒筑紫国⇒筑前・筑後の地域の古称:九州の古称⇒筑前国⇒福岡県北部:太宰府が置かれたところ⇒太宰府天満宮、という連想になります。
駒札も説明板もこの点には触れてはいません。言うまでもないことなのか・・・・。

一方、ネット検索してみても、手許の本を見ても、この「筑紫天満宮」を固有名詞とする神社を見つけられません。筑前国の天満宮なので太宰府天満宮かと思ったのですが、大宰府天満宮関連のサイト情報から「筑紫天満宮」という名称を見いだせません。
私の検索した範囲では、唯一、近似的な語句として『筑紫太宰府神社𦾔天満宮御略傅』(西高辻信嚴著)という書名だけが「お茶の水女子大学OPAC」サイトでヒットしました。
もう一つは、九州に「筑紫神社」というのがありますが祭神は違います。一方、秋田県にも「筑紫神社」があり、こちらは祭神を菅原道真公とされています。

この五条天神宮、古は東西4町、南北5町の神領を有していたとか (資料1) 。1町は120mですので、その広さがおわかりいただけるでしょう。社殿が建ち並び、樹木森々とした神域だったことでしょう。中世以降の度重なる火災にあい、さらには元治元年(1864)の蛤御門の変で社殿は焼失。現在の社殿はその後の再建によるものです。直ぐ傍にマンションが建ち、いまはこじんまりした境内になっています。


拝殿の手前には、ちょっと珍しい様式の燈籠が建てられています。私はあまり目にしたことがありません。屋形石灯籠の一種でしょうか。 (資料3)

社殿の右側を眺めると、背後に境内社があるようなので巡ってみました。

大国主神社、金刀比良神社、白太夫神社、福部神社の4社 と天満宮です。
最初の2つはわかりますが、白大夫、福部という神社について見当がつきませんでした。本殿の清掃をされていた神社の方にご質問すると、天満宮に併せてお祀りされていることが多い末社だとか。カンダイジン神社でもお祀りされていますよ、との御返事でした。

本殿に向かって左側(南側)で背後ですが、本殿より左に少し外して、 天満宮の社 が配置されていました。牛の石像が奉納されているのでわかりやすい。これが 筑紫天満宮から勧請された神社 だったのです。

五条天神については、いくつかの伝承が関わっています。 (資料1)
*伝教・弘法両大師が入唐の時に、帰朝安全の祈願をここで籠めたということが社記にあるということ。
*承安2年(1172)文覚上人(俗名遠藤盛遠)が配流される時、ここの鳥居の下に黄金を埋めるということをしたことで難風を免れたということが『源平盛衰記』に記載されているとのこと。
*安元元年(1175)源牛若丸が、ここの場所で鬼一法眼と兵書の遺恨があって戦い、牛若丸が勝ったといいます。
*松原通に掲げられた説明板にも記載されていますが、牛若丸が武蔵坊弁慶に初めて出会うのが、鴨川に架かる五条橋のところではなく、この五条天神の近くだったという伝承です。『義経記』巻三の「弁慶洛中にて人の太刀を奪ひ取る事」によれば、6月17日に弁慶が五条天神に参詣祈願し、明け方に堀川小路を南に下って行くとき、五条天神に参詣しようとしている牛若丸と出会い、弁慶が太刀を奪おうとしてできなかったことが記されています。 (参照4)
五条天神はいろいろ興味深い伝承を持つ神社です。


モデルルートによれば、次にめざすのは神明神社 ということになります。そこで、西洞院通をまず北進していきました。

高辻通を少し上がった所に、管大臣神社の鳥居が!  カンダイジンとおっしゃっていたことがここで結びついて来ました。

なんと、 この辺りに菅原道真の邸があったのです 。ここが 誕生の地 と伝えられているとか。各地に天満宮が建立されるなら、邸があった土地、誕生の地と伝えられるところに、道真を祀る神社ができるのは当然かもしれません。まさに管大臣とそのものズバリです。早速、参道を通って神社境内の探訪です。


直ぐ右手に、大きな彰徳碑が建てられています。文面は残念ながら私には判別できません。




参道のまっすぐ先に、さらに鳥居が見えました。鳥居に向かって右側(南側)には 駒札とイチョウを保存樹として指定した説明板 が建っています。


鳥居を潜ると、右手に牛の石像が覆屋の中に入っています。






社殿に向かって、左右に境内社が配置されています 。社殿に近い方から言えば、
北側に火御子社、老松社 で、 南側に白太夫、福部社 が祀られています。
つまり、白太夫、福部社という末社が菅公のご祭神に付き従う形になっているようです。


社殿手前には1対の 狛犬 が配置されていますが、その石像・狛犬の表情にちょっとユーモラスな雰囲気を感じます。他の神社で見かける狛犬とは異なる作風です。


唐破風造の屋根の上の鬼板には星梅鉢の紋が見えます。
  扁額にも同じ紋が刻されています。


向拝の木鼻 は二方向に獅子が彫刻されていて 玉眼 という点が際立っているように思いました。

さて、この両神社に共通する末社についての疑問点です。白大夫、福部というのはどういう神なのだろうか。菅原道真とどう関係するのかという疑問です。何らかの関係がなければ、天満宮の境内社にしないと思うからです。手許にあるいくつかの神道関係の解説書を調べて見ましたが、記載を見つけることが出来ませんでした。

ネット検索を幾度かしていて、少し情報を得ることができました。詳細は資料5の諸ソースをご一読いただくとして、 知り得た情報の要点 は、次のような内容でした。
<白大夫(白太夫)>
 伊勢神宮外宮の神官で禰宜。若い頃から頭髪がまっ白だったので白太夫と呼ばれていた度会(わたらい)春彦(晴彦とも)であり、道真のもり役として仕えた人物とのこと。
 菅原道真の侍臣の松本春彦。白太夫の俗称で世に知られていたという。道真が大宰府で亡くなった後、遺品などを道真の長子・高視朝臣に伝えようとした人という説もあります。
 名前が同じですので、度会と松本は同一人なのかもしれません。
 子授け・安産の神として祀られています。
<福部社>
 道真に仕え、舎人であった十川能福という人。その名前から金運や招福をつかさどる福の神として崇敬されるようになったといいます。
 大宰府の福部社の場合は田口達音という人なのだという説もあります。
これらのことから、この二神は、菅原道真に関係する人物が祭神化されて祀られるようになったと推察できます。

このあたり日本の神々の世界というものの興味深いところなのかもしれません。

つづく

参照資料
1)『都名所図会 上巻』  p158
2)『知っておきたい日本の神様』 武光誠 角川ソフィア文庫 p50-51
3)『和の庭図案集』 建築資料研究社発行 p13
4)『義経記』 日本古典文学全集 小学館 p161-165
5) 境内のご案内  :「北野天満宮」ホームページ
   度会春彦(白太夫) :「綱敷天神社」ホームページ
   白太夫神社  :「潮江天満宮」ホームページ
   北野天満宮  :「本地垂迹資料便覧」
   北野天満宮      :「玄松子の記憶」
   白太夫と飛梅伝説   :「風に吹かれて」
   白太夫神社と天満宮  :「高知ポタリング・ビール日記」

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
北野天満宮  ホームページ
大宰府天満宮  ホームページ
大宰府天満宮について  :「大宰府観光協会」
筑紫神社  :ウィキペディア
筑紫神社 福岡県筑紫野市原田  :「神社と古事記」
筑紫神社  :「玄松子の記憶」
筑紫神社 通称:天神様  :「秋田県神社庁」
筑紫神社  :「寺社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識」
    境内社の五所神社として記載があります。

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!


その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


探訪 [再録] 京都・下京 史跡めぐり -1 左女牛井跡・若宮八幡宮(佐女牛井八幡)へ
探訪 [再録] 京都・下京 史跡めぐり -3  管大臣神社(2)、紅梅殿、神明神社 へ
探訪 [再録] 京都・下京 史跡めぐり -4  京都大神宮、天野屋利兵衛、五条大橋、河原院跡 へ







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017.02.07 16:11:52
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: