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2017年10月21日
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もし今意識を失い倒れたとして、一生植物人間であると診断された場合、呼吸器を取り付けられたまま生きていなくてはならないのは誰もが知るとおりである。

この呼吸器に関しては医者もその家族も外すことが出来ない。つまり心臓が動く限り意識を失った人は生きていなくてはならないという憂き目に遭うのである。

長生きはしたくない。とはよく聞くのだが、医者は患者を出来る限り生かせなければならず、医者の独断で死なせてしまえば、当然刑事事件として扱われてしまう。

結局のところ、長生きしたくなければ医者に掛からずに自宅で死ぬしかないのであるのだが、ここにも問題が生じる。自宅で亡くなれば、当然警察が入る。その死因に不審な点がないかどうかを調べるのである。

どうも日本という国は「死ぬ自由すら許されない国」のようである。
日本の法律で認められる死とは、医者に掛かりながらの精一杯生き続けることで得る死であり、それ以外は刑事事件扱いとなる国なのだ。

そこまでして生きる意味がどこにあるのだろうかと問いたい。
どうして死ぬが死ぬまで、第三者である医師の許で、死の操作を作為的にされなければならないのかということである。家族が死なせてくれと言っても死なせられず、本人の意思の尊重の許でされる死であるものの、本人がそれを認めたとしても、家族の一人でも反対者がいれば、その人は植物人間になったとしても生き続けなければならないという矛盾と戦わなくてはならないのだ。

だから自殺者が増えるし、老々介護に疲れた挙句に相手を殺害するケースが増えるのではないかと思うのである。





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最終更新日  2017年10月21日 19時28分05秒
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