ミュータントウオーズ・新人類戦記-飛鳥京香作品

ミュータントウオーズ・新人類戦記-飛鳥京香作品

ミュータント・ウオーズ ■第3回


[ ミュータント・ウオーズ ]

ミュータント・ウオーズ(超人類戦記)(1978年作品)
第一章 激 怒
作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
http://www.yamada-kikaku.com/
(■30年前の小説ですので、設定がその時代です。)

●第3回

 ホーチミン市にはあのフオザイ姿の女性が消えていた。靴をはいている男もいない。全員がサンダルをはいている。
 看板屋にはパクホー(ポーチ・ミンおじさん)やレーニンの肖像が売られていた。
 現在、タイニン、チョウドク、ハーティンなどカンボジア国境の省は、戦場となっているようだった。

 「タチェンの虐殺」事件を知らされた日本人数名を含む外国人記者団は、ホーチミン市から旧米軍のヘリコプターで、国境の町、ヤェンジアy省クチュンヘと向かった。
 タチェンの手前数ヤロの飛行場でヘリを降りた記者団は人民車司令部へ向い、4殺事件の説明を聞いた。

 最近、カンポジア軍の国境浸犯、さらにベトナム人ぶ殺事件が頻発しでー; Q6が最近おこった「タチェンの虐殺」事件はすこし様相が異たっていた。

 通例では、まずカンボジア兵が国境を犯し、近辺の村の人々。を殺戮し、やがてベトチム軍に遺筆され、カダザジフヘ帰っていくというパターンが多い。しかし今度の事件では、五十名余のカンボジア兵、ベトナム兵が入り乱れて死んでいた。隣り合った兵隊かか互いを殺しあっていた。カンボジア兵がカンポジア兵を、ベトナム兵がベトナム兵をだ。

 この事件は、両国典釦互いを批難していたが事実の糾明が急がれていた。

 歴史上の事実からみれば、ベトナムの方が侵略者であった。現在ベトナム領のメコンデルタを含め、サイゴン周辺に至るまで、二、三百年前までは、カンボジアの領土であったのだ。

 人民軍司令部から、ジープとトラックに分乗し、事件現場近くの封へ向かうこととたった。イタリア人記者とフランス人記者各々一名が急用ができ、トラックから降りた。

 ジープとトラックはアメリカ製とソ連製が平和共存し、使用されている。

 南ベトナム解放当時、残されていた米国製兵器は莫大なものであった。装備、弾薬で総額三十億ドル、近代基地などが二十億ドルである。共産主義国の中で、ソ連、中国に次ぎ第三の強国となっているベトナムであった。

 事件が起った場所は「新経済区(キンテ・モイ)」の近くにあった。ベトキム政府はこのでンテ・モイヘ紅河デルタと中部ベトナムの平原から約一千万人を大移動させようとしている。

 戦禍のひどさが、あちこちに見受けられた。爆弾の穴や、鮮ぴついた兵器の残骸がころが残っている。                  


 村へ向かい、戦跡の残る風景の中を記者団を乗せたトラックは走っていた。
 突然、銃声がおこった。林の両側が弾が飛来してくる。ジープを運転していたベトナム兵が後にのけぞり、ジープは道路右側の大木に激突した。竜は大地にいきかいょく投げだされた。後続のトラックもすでに燃えあがっていた。
(続く)
作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
http://www.yamada-kikaku.com/


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