部屋とYシャツとわらG

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小学校でのいろいろ



 始業式のその日から「こわい」とか思われないように「明るく・明るく」「笑顔・笑顔」と言い聞かせながら学活をしていた。明日以降の予定の話をしていたところで、昨年度のはやり?なのか、急に1名が「異議あり!」と手を挙げた。意見を言わせるとしどろもどろなのだが、なんだかこう納得いかない時に言うと格好いい?と思ってしまったのか、私を試しているのか、しばらくして次の人がまた「異議あり!」

 「何に異議があるのか言ってごらん?」 「ぶつぶつ・・・・」(ウケねらいなので特にないのである) そしてまたしばらくして3人目のウケねらいの少年が「異議あり!」と言った瞬間、待つことがうまくなったはず?の私の中で何かが終わった。  「プチッ」

 「1年間、俺が話す時に『異議あり』は禁止」

 その声がえらく野太く響いてしまい、教室はピキーンという緊張感につつまれた。そして、あんなに一日中優しくして、笑いもとっていたのに、1年後の作文には「始業式の日、こわい先生だと思った」と書かれるのである。

 しかし、だからといって少しもひるまないのが小学生のおもしろいところだ。次の日から、さっそく、「先生、○○が、ぶったー」とか「○○は係の仕事をしない」とか「ハムスターの餌がなくなりそうだ」とか「水槽に入れる水車を買ってくれ」など我も我もと押し寄せる。聖徳太子の話ではあるまいし、そんなにいっぺんに解決できるか!

 「ハーイ、たて一列に並んでください。緊急の人以外は列でお待ちくださーい!」 たちまち行列…。この10人以上の列を毎朝、そして毎休み時間にさばくところから始まった。中には並んでいる間に用件を忘れてしまい「えーと、なんだっけ?」とか言ってまた列の後ろに戻される子もいて笑えた。そういう子に限って後ろにもどった瞬間、「あっ、思い出した」とか言うけど、もうアウト! ようはたいした用事ではないのである。並んで話すのがブームなだけ…。

 逆に、並んで順番をずっと待っていて「さっき指を切って血が止まらないので保健室行っていいですか?」 「あほかあ、これが『緊急の人』ってやつだあ!早く言え!」と血を出したまま怒られるのである。並んでいる場合ではないのだ。ちゃんと止血させろ! というかまわりのヤツ、「てえへんだ、てえへんだ!」と騒げよ。

 そういう話題&笑いを帰りの会で紹介しながら、何が先生に言うべきことで何が自分たちでやるべきことかをひとつひとつ解決していくのは大変だった。

 ところが10歳の人たちは恐ろしく成長する時期なのだ。列を作って「自分が○○をされた。自分が正しい…」と自分のことばかりアピールしていた人たちが、2ヶ月後くらいには「○○さんが○○してくれてとてもよかったです」と人のことに目がいくようになるのである。もちろん「○○が○○しやがった」という事の方が毎日多いのだが…。

 こういう毎日は正直大変だった。でもその分、1年が終わるに連れて楽になっていったこと(つまり自分たちでいろいろできるようになったこと)に満足感があった。もちろん、途中で何度も怒ったり(それも小学生相手とは思えないくらいぶち切れたり)したのだがやはり「鉄は熱いうちに打て」という通り、彼らの飲み込みはいいのである。

 学級経営については、「背伸びしてもいい」と思って、中学1年生に要求するレベルのことを意識して伝えていた。ほっといたのではなく、自分がやってみせ、一緒にやっていって、そのうちまかせる…というプロセスは踏んだが、学級会など民主主義のルールを行き渡らせるためにやったことは、おそらく中学生相手にやるよりも浸透していったような気がする。「子どもの可能性は無限だ!」と本当に思う。(大人になるにつれて変えにくくなるから不思議だ)

 で、なんだかんだいっても、この1年間で私自身が自信を取り戻したというか、リハビリになった。悩んでる場合ではないのである。毎日バタバタしているのである。そして何より、人と一日中しゃっべっていられる事が自分をいきいきさせたようだ。さらに子どもとか親とか同僚とかから、お世辞でもほめられることがあるとやはり調子に乗っていくのだ! まぎれもなくナルちゃんな私は、「ほめられてのびる」タイプだったのだ。(知ってたけど)

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 「総合的な学習の時間」というのがある。学力低下の話題と共に「悪者」あつかいされているが、別にこのせいでというわけではなく、週休5日制による日数の減少や、逆に授業確保のための行事減らし(メリハリのない学校にだんだんされている)や、学習指導要領の変な減らし方とか…現場の意見を聞かないからわけわかんなくなっただけであり、どこかの元大臣みたいに、「詰め込み授業復活せよ!総合は廃止!」とか言ってるとさすがに腹が立つ。

 ただし「総合的な学習の時間」が始まる前から、それに近いことはどこもやっていて、小学校なんか年中そうだし、中学校も修学旅行とか学校行事の度に、いろいろな「人として成長するための取り組み」はあったのだ。ところがそのままでは「総合…」として認めないなどと教育委員会が言うから新たな取り組みが必要になって、教員も「総合…」が嫌いになるのだ。イメージでいうと、中学校は反対の声多く、小学校は賛成の声やや優勢…かなと思う。

 私が講師で行った小学校は公立ではないのでそのあたりが自由だった。年間の「総合…」の時数のうち、半分くらいは宿泊行事関係の自然とたわむれることに使い、一部をおじいさまおばあさまに学ぶような企画に使い、残りは各クラスごとに好きに使っていいのだ! これはうれしかった。面倒…と思う前に、「何しようかなあ」とわくわく。かといって一から子どもにまかせると「遊び」になることはまちがいないので、こちらである程度決めてから、「それになるように」子どもたちを導いた(本当は罠にハメた)。

 せっかくだから「障がい」のことについて学ばせようと考えた。かといって、そんなこと急に興味を持つはずがないので、ことあるごとに、養護学校の様子をちょっと話したり、ドラマ(ちょうど「光とともに」の時期だった)とかニュースのことを話題にして、かなり「すりこんで」おいてから、他のことで盛り上がっているようなある時に、急に「そうだ、このこと総合的な学習の時間のテーマにしようか?」と投げかけて「ああ、いいねえ、おもしろそう」と言わせることに成功した。役者というか策士というか詐欺師だなあ…と自分でもよく思う。

 ノウハウもないまま始めたのだが、自分でもうまくツボにはまって、「ああそうか、こうやって障がいについての理解を深めていくことも、障がいに関わる仕事なんだなあ。養護学校での直接の支援は続かなかったけど、こういう事なら得意だなあ」と思えるようになった。普通学級の仕事の中にも、こうした内容が隠れていたんだなあ…とつくづく思った。

 ときれいにまとめたところで終わり。ついでながら、1年間を終わっての授業の思い出を児童に聞くと、「総合的な学習の時間」と「体育」のことがほとんど…。うーん、自分が得意でやったことや気持ちの入っていたことを見透かされていたようだ…。ちなみに「授業を中断しての説教」と答えたヤツもいた。確かに授業中だったけどそれ授業じゃないし…。

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 教育実習の季節?…私の勤めた小学校は教育学部のある大学の附属なので、たくさんの人が同時にクラスに入る。ちなみに私が実習生だった時は1クラスに同時に6名で入ったので私はほとんど何も仕事をせずに休み時間ごとに「たばこを吸いに」隣の建物に逃げていた(ちなみに今こんなことをするとすぐ見つかって大学に帰されます)。附属小での実習は次へのステップとして当時は教育実習のそのまた練習台?のような位置づけだったようだ。

 大学側の定員が減ったこともあり、今は本格的?な実習となり、4名の実習生が我がクラスに来ることになった。(時期は多少ずれるので最大3名が同時に活動) それにしても、「立場変われば人は変わる」もので、自分は適当にやっていたくせに、人には、「たとえ初めてでも、子どもにとっては一度きりの授業なんです」とか「時間をかけて作った指導案の時は子どもの目の色が変わります」とか「授業はとにかく回数をこなしましょう」など平気で言うから恐ろしいものだ。

 でもこの期間(全部で6週間くらい)こちらもかなりハードだ。中学校だと1つの指導案で4クラスとか6クラスとかその学年のクラス分やるチャンスがあるのだが、小学校は1回キリである。10時間やろうと思ったら10種類も指導案がいる。なので、指導案の作成に実習生も担当教師も追われることとなる。夕方までは他のことでバタバタしているからやっと放課後になって(あるいは家に帰ってから)このことができるのである。だから実習生は日々やつれていく(笑)のである。そんな中がんばっているのだから生徒・児童は義務として、「よし教師になるぞ」と実習生に思わせるように昼間楽しませなければならない…と勝手に思う。

 で、何がこの期間いいかというと、まずは自分がいかにいい加減だったかを思い知らされ反省できることだ。人の指導をしようと思っていろいろ指摘すると、まあ見事なほど自分にも当てはまることが多い。もちろん日頃の授業に細かい指導案までは書かないのだが(「もちろん」って言い切っていいのか?)、その導入のアイデアや展開のみちすじなどは、ちょっとでも準備すればよくなるものだな…と思い知った。

 次に子どもたちが格段に進歩する。やはり、「不慣れ」な実習生を「あたたかく」迎えられるかどうかはその日までの学級経営を試されているような気がする。こういう時に、いつもより張り切っている子達を見るとやはり担任はうれしいのだ。まあ、多くの場合はその張り切りは空回りするのだが…。

 いずれにしても、この期間にこの4年A組は以前とは別のクラスのように授業がやりやすくなった。4人の実習生がそれぞれにいい個性を持っていて、それに応えようとして子どもも変わっていったので、何ともありがたい変化があった。

 と、人ばかりほめているがもちろんそのかげに「私あり」(笑)である。
児「○○先生の今の授業の○○おもしろかったね」 
私「そうだね(うーん、あのアイデア、実は俺!)」

児「○△先生、あんなことやって先生に怒られないか心配したよ」 
私「そうだね、勇気あるね(いや、前もって一緒に俺も考えてんだから心配ないって)」

児「△△先生、よくあんなの準備できたよね」 
私「本当だねすごいね(そこまでやらせてしまったのは私です、すみません)」
 などと( )のことは思いながらも口にできないが、その分、一緒に自分もほめられているみたいで気持ちがよかった。

 こうして、また天狗になりながら、若者達と共同作業をする青春?のような日々が足早にすぎていった。

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 ある日の算数は「円について」の授業。円の定義とか作図とかやる中身はいっぱいあるのだが、導入だったはずの「身のまわりの円をさがそう!」の発表が終わらない。教室中探してよい…と5分くらいウロウロさせたのが裏目となり、天井の小さな穴の模様やイスの細かい部品に至るまで、円を発見しての発表が延々と続いた…。

 最初は打ち切ってもう次に進もうかと思ったのだが、「探しまくれ!」と言った手前、後には引けない。列で順番に当てて全員が答えているのだが、3巡目くらいからやっと「パス1」とかの声が出た。それでも果てしなく続く。カバンの中身を全部出して、「これです」とか謎のキーホルダーとかも出し始めて、確か5巡目くらい…でチャイムも鳴って、「はい、身の回りにはたくさんの円がありますね」と言って終わったのであった。

 5巡したとしたら40名×5で200回の発言のある授業(ただし導入部分のみで展開なし)であった。


 またある時の算数で「概数」(大体の大きさで何倍とかを暗算で考える勉強)の授業をやった。ちょうど実習生達を前に、本来なら見本となる授業をやらなければならない時だった。前置きとしてこんな話をした。

 「ここの勉強は結構現実の場面で役に立ちます。たとえば、こんな時…先生達3人(私と実習生2人)でフランス料理を食べに行きました。支払いの段階で10000円ですと言われました。私は社会人なので、格好つけてちょっと多めに払いたい…でもあまりたくさん払うほど金持ちではない…。そんな時に頭の中で『3で割ると約3333円…ということは A案 私4000円・他の人3000円 、B案 私5000円・他の人2500円 、C案 私3334円・他の人3333円、うーん、C案は大人としてダメでしょう』などと計算してから払う額を決めるのだ。たとえこれが11036円とか言われても、大体の数(概数)にしてから計算するから、これができると役に立つ…」などと話して、いい気になっていた。

 そうして「役に立つ概数?」の授業が終わってから、一人の女子(自称お金持ちのお嬢)が近づいてきた。
「先生、フランス料理は3人1万円では食べられませんよ」

 絶句。 
 すみません。実は居酒屋に行った時の計算式でした…。

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 保護者会…本当はあまり好きではなかった。クラス懇談はそんなに嫌いではないのだが、学年全体での会は、中学校の場合、大変な様子を伝えないわけにはいかないし、あまり生々しく言うわけにもいかないのでオブラートにつつんだりして、結構大変だった。中学校では、学校長、生活1名、学習1名、学年主任…てな話の展開が一般的なので、学年に7クラスとかある時は、うまくいけば出番はない。だからその1名が誰かをめぐって、戦い…というかなすりつけあい、前回誰がやっただとか、今回はエース投入だとか、いろいろと大変なのだ。なぜなら、「話さない」となれば、その時間に、クラス懇談会の話のネタを考えたり、パイプイスですやすや居眠り…とか、楽なのだ。(でも中堅どころの年齢なため、よく話をさせられていた)

 ところが小学校では事情が違った。学年のクラス数が少ないこともあり、毎回全員(その時は4名)が話をするのだ。今回は○○が生活、△△が学習…みたいに交代でどこかに入る。しかも学期の始めと終わりにあるのでそれだけでも計6回あった。ただし、そんなに大変なことや事件が校内で起こっているわけではないので、一般的な話や関連した笑い話やあるいは全然関係ない世間話?などもありだということがわかり、気分が楽になった。

 初回は手さぐりながらも笑いを取り、回を重ねるたびにすっかり悪ノリするようになってしまった。他の人たちがまた役者なので、それぞれ芸を出し合う?ような感じでエスカレートしてしまうのだ。そして、多分3学期の始めの保護者会の時、自分が話している途中で急にあることに気がついて(こうやって、話しながら、もう一人の自分が考え事をしたり、つっこんだりというのが私は結構ある)しまったのだ。

 「今回の俺のしゃべりは、綾小路きみまろみたいだ…」

 うまく言えないのだが、とにかくその時のノリというかテンポというか、抜け出せないのだ。そう思うくらいだからある意味受けていて調子はいいのだが、調子よすぎて、「学校の教師」っぽくないのだ。なんだかノリがブラックなのだ。で、なんとかしようとしてもますます綾小路化がその日は進んでしまい、どんどん口が悪くなり、でも大受けに終わり…あとで頭を抱えるのであった。

 こんな感じでは、そのうち「どくまむし三太夫」みたいになって保護者に「やい、ババア」とか言い出したり、「ケーシー高峰」(古すぎ)みたいになってエロネタ全開になってしまう…と自分のことを本気で心配したのであった。

 最後の1回は「別れを予感させながらのまじめな話」を中心?にできたので、セーフ。 1年契約でよかった。

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 先日、教育実習のことを書いたこともあり、当時の自分の実習日誌を引っぱりだして読んでみた。笑った。まず表紙の写真…街角の自動撮影のものだからしょうがないとはいえ、白いシャツに真っ黒の顔でカメラに向かってガンつけてる…。顔が斜めでない以外はただのヤンキースナップ写真である。

 実際の私の教育実習の毎日がいい加減だったことは確かな記憶なのだが、残されている文章はなかなかまじめである。というか青い!そのくせ、なんだか教師への批判のようなものが見え隠れ…思わず「それは違うぞ」と今の自分から返事を書きたくなるような内容ばかりだ。(赤面)

 一番の驚きは、1986年9月12日のこんな記録。

 理科室での授業の様子が前半にまず書いてあって、その後、「……特に後ろの席で、T君が、Y君やHさんとかにすぐいたずらをするのが目立った。T君がY君のノートに落書きをしてやめないので、彼のノートに落書きをするまねをして、「自分がやられてイヤなことは人にするな」と言ったのだが、またやろうとするので、軽くビンタを張ってしまった。ちょっと反感を買うかと思ったが、掃除の時間なども話しかけてきたので一応安心した。」

 おいおい、実習生がたたくなよ。なんとなく思い出したけど、「軽く」って嘘だし…。

ちなみに先生からの返事が結構イカしていた。

「ビンタを張ったことはよくない。特に子どもと十分にふれあっているわけではないのでお互いよく知らないので、ともするとコミュニケーションがうまくいかなくなる。ただし、子どもは、悪いことは悪いと言ってくれる先生が好きである。」

 うーん、その後この件で怒られたりもしていないし、行間からは「コミュニケーションさえとれればいい」とも読めるし、T君には「薬になるからやってよし」みたいな肯定の感情が見えるのですが…。K先生、もうちょっと否定してくれないと…。

 その18年後、同じ学校で、手が足になったとかならなかったとかは、4年某組(暴組)の永遠の秘密です…。 反省。 



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