部屋とYシャツとわらG

部屋とYシャツとわらG

2006年 春 その1


 先日、「廊下でイナバウアーをやる生徒急増中」と書いたが、他校でもそう、もちろん日本中そうなようで、今朝のテレビでは「素人には危険、特に30代以上は無理をしないで(笑)」と呼びかけていた。

 そういえば札幌オリンピック(当時、小学生)の後、スキージャンプ競技のマネをすべり台でやる…というのがすごく流行った。立ったまま前傾姿勢ですべり台をおりてくる。クツがうまくすべらないので靴下になったりしてきれいな形ですべりたいがなかなかむずかしく…ケガをする人もいて問題になったような記憶がある…。

 現代のジャンプのマネなら大丈夫だったのだ。これはある程度の年齢の人にしかわからないと思うが、「カサヤ選手、とんだー!」とやるときは、ズボンをパタパタさせないといけないのだ! このパタパタを人にやらせようとしたり、自分でやろうとして着地が乱れたり…がケガの原因であった。(ちなみにパタパタするのは、当時のユニフォームは太めで、風を受けて浮力に変えるタイプだったから…だと思う)

 さて数日前、中学校で、授業に行こうと、階段を登ってその階の廊下に出た瞬間、金バケツがゴロゴロ…と転げてきた。「すみませーん」と言いながら、後から追いかけてくる男子2名。

 私「お前ら、『カーリング』とか言って、バケツをすべらそうとして失敗して転がしたんだろう!?」

 男子「え、なんでわかったんですか?」

 私「とりあえず、バケツはダメ!」と言って、教室へ入っていった。

 なんでわかるか…それは私もやってみたかったからだよ、田中君(仮名)!

 たぶん男子トイレに行って、「たわしとブラシ」を持ってくればいいと思う、立場上、教えられないけれど!

 ちなみにそれは私が中学生の時の「アイスホッケー」グッズでもあった…。

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テスト採点中 「自分らしい生き方・お仕事(63312)」 [ 最近のことの日記 ]
 本日、学年末考査で自分の教科のテストが終わった。

 が、まだ採点途中。そして、家には持ち帰れない!

 なぜか? うちのSが、答案用紙を「チー」とやぶる危険があるからである!

 最近、紙を破ることがあまりにも上手になってしまい、いらない紙を探して部屋をウロウロしている。「これは…」と自分で思うと、何の確認もないまま「チー」とやり始める。ちょっと厚めの紙(紙の箱とか)でもへっちゃらだ。

 でもなぜか、大切な書類とかはやらない。とりあえずこちらも置かないようにしているのもあるが、サイズ的にB4用紙には手を出さないのかもしれない。雑誌とかはカラーページを勝手にはずして、「チー」とやり始めるので、水着ギャルのページなんかは早く見ておかないといけないのだ。

 ちぎった後、その紙をひらひら落として遊び、声をかけるとゴミ箱にちゃんと入れるようになっている。ひらひらする時、きれいだからか、色つきの紙が好きなようだ。

 その傾向からすると、答案用紙は大丈夫だとは思うのだが、赤ペンの色も付いてカラー化?するし、ちりぢりになって採点不能となったらさすがにやばいので(嬉しい生徒もいるかもしれないが)、勝負には出られないので、可能な限り学校で採点して、今日はそのまま置いてきた。

 テストの日は、日頃、部活その他で帰るのが遅い先生たちにとって、たまの早帰りチャンスの日。昔はご自由に帰れたが、今はお上がうるさくなったので、みんな休暇をとって、早く帰っている。そんな時に、いつもは早く帰る講師の私が遅くまでいるからとても不自然である。

 さらに、今日は他の学校の勤務日だったので、勤務日でもないのにテストだけ取りに来て、さらに帰らずに居残る不思議な人…となってしまった。


 明日中に終わらすぞ! 気合いは入っても今何もできないのがもったいない…。

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ジャズ 「今日の出来事(65534)」 [ 最近のことの日記 ]
夕食時のこと。Sは先に食事を済ませていたが、その時はろくに食べておらず、私たちが後から食べ始めた横で、「ごま塩」を手にとってなめたり、「レバニラ炒め」の汁に手をつけてなめたり…とよくわからないことをしていた。

 汚れている手を拭こうとした妻が、「あれ、茶色の小さなタオル落ちてない?」と聞いてきた。

 (あー、めんどうくさい、俺様はこれから「さあめしだ!」という瞬間だったのに…)という思いは口には出さずに、テーブルの下とかを少し探すフリをした。その際、ふと浮かんだメロディーをずっと口ずさんでいた。

 「タラリラタリラリタッラッラー、タラリラー、タラリラー。タラリラタリラリタッラッラー、タラリラー、タラリラー。タラッリラ、タリラリ、タラッリラ、タリラリ…」

 「いい加減つっこめよ!」 と言おうとした瞬間に妻に言われた。

 「その曲、『茶色の小瓶(こびん)』じゃないからね…。」


 歌っていたのはどうやら、5拍子で有名な『テイク ファイヴ』の方だった…。 

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一時預かり 「障害児と生きる日常(20829)」 [ 最近のことの日記 ]
 指導補助員(介助員)として行っている中学校の特学…週1回のため、今年度は残す所あと2回となってしまったので、こちらの話題を優先的に紹介。

 今日は保護者会だったので、部活に行ったり家で留守番したりしない生徒を放課後あずかる…というお仕事があった。担当は私と元気な体育科のお兄さん先生との二人だ。ただし、生徒も大物2名。一人はダウン症のC君(先週書いたA君でもB君でもない三兄弟の大物末っ子)、もう一人は自閉症のD君である。

 保護者会だけに多少の時間延長は起こりうる。こちらは何時まででも覚悟はできていたのだが、時間に正確なD君にはそうもいかない。 おうちの方が「3時45分まで待ってね」と言ったのを覚えていたようで、それまで一緒に宿題をやったり、絵をかいたり、色鉛筆を削っていたのだが、突然教室からズンズン出て行った。

 (トイレかな?)と思っていると、そのままズンズンと保護者会の会場のドアをガラッと開けて、10歩くらい入っていった! (せかすにはなかなかよい作戦ではあるが…) ひとまず連れ戻す。

 大体あと30分くらいで終わるな…と判断して、「4時15分まで待ちましょう」と約束。その頃、C君のことでバタバタしていて(後述)、忘れているといつの間にか4時20分に。D君は時計を見て大慌てでまた保護者会会場に突入! 今度はロの字型の机を一周してウロウロ…また謝りながら連れ戻す。

 D君効果もあってか、会はその後5分くらいで終わったのだった。

 でも、今日、時が経つのも忘れさせるくらい盛り上げてくれたのは、C君の方だった。まずは体育科のお兄さん先生と腕相撲。戦後まもなくの闇市のドンのような風格(これは想像が難しいな…)のあるC君、体も大きく腕っぷしも強いのだがさすがに現役体育教師にはかなわない。見事なほど、ピンチになっては両手を使って先生を倒し、「やったー」と勝ち誇っていた。

 そんなC君、日頃の学校生活よりも、今日は本当にすごくしゃべるのだ。「もう1回」とか、「ダメー」とかやたらとことばがはっきりしているし、反応も早い。日頃は緊張している…というより、「わからないふりをしている」(わかるといろいろとやらなければいけなくなるから)のだな…と二人で結論を出したのだが…まあそれはさておき、いろいろとやりとりを楽しんでいた。

 次は綱引き。ハンドタオルを引き合っては力を入れるのだが、タオルを急に離したり(先生は後ろによろける)、急に本人が前に出てきたり、どちらも本当は負けなのだが、「やったー」と勝ち誇っている。とりあえず、先生を困らせているのは確かだが…。

 タオルがちぎれそうなので、次は相撲だ。でも私がやろうといっても「ダメー」。お兄さん先生との一騎打ちが続く。おかしいのは、「キョー、コッタ」(はっけよい、のこった)と自分でちゃんと言うし、ポーズも完璧なのだ。でもその戦いぶりは、腕をつかまれると「ダメー」と笑い、腰をとろうとすると「ダメー」と笑い、そのくせ先生が背を向けると突然力一杯押し出す(ぶっとぶくらい)というおきて破りの戦法だ。

 何回かやるうちに先生も押し返すようになり、その時にC君はよろけながら観葉植物を手で落としてしまった!(見たかぎり絶対にわざと) 

 でも、「事故扱い」にして、私たち二人で掃除を始めた。ところが、その掃除している横でまた落とした。お兄さん先生も怒りモードで、本人に掃除をさせ始めた。ところがほうきでは遊ぶのでぞうきんがけに変更。で、やっと掃除が終わる頃、何を思ったかもう一つの観葉植物をまた落とした!

 二人ともぶっちぎれ…。またまた本人のぞうきんがけ(もうズボンもシャツも土だらけ)をやったが、絶対にまたやりそうなので席を反対側に移させた。すると、「あっ、D君がいない」…1階から発見された。2対2で逃げられるのもこちらが情けない…。

 その後のC君、すぐに立ち直るのもこの子たちのいい所だ(もちろんすぐ忘れる悪い所でもあるが…)。その後、彼は先生が朝の会の時に使う棒を出してきて、日付・曜日や天気・時間割を私たちに読ませる。その時がまたよくしゃべる…それも担任の先生のタイミングとよく似ているのだ。「もう1回」とか「ちがーう」とかそのたびに大爆笑。

 で、二人でわざと小さい声で言ったり、わざとまちがえたりするとそのたびにちゃんとツッコミを入れる。今まで教科が読めないフリをしていたが、実はどの漢字をどう読むかちゃんとわかるようになっていたのだ。私たちもいろいろ試す。

私たち「1時間目 理科」 (本当は1時間目は「情報」と書いてある)
C君  「理科じゃなーい」
私たち「理科ってどのカード?」
C君  「理科はこれー」
私たち「あーそうかー」
C君  「もう1回」
私たち「はい」

私たち「1時間目 情報」
C君  「そうじゃなーい」
私たち「???」

 何度もこのやりとりが続く。パソコンの授業なので、「情報・パソコン」とか「パソコン・情報」とかいろいろな言い方を試すがC先生は「そうじゃなーい」と怒り、OKが出ないのだ。

 くやしいので、「1時間目 そうじゃなーい」と二人で声をそろえて言うと、まるでビートたけし並みのすばらしい「コケ」を見せてくれたので大爆笑。

私  「C先生、1時間目は何と読みますか?」
C君 「情報(ぱそこん)」

 二人とも大うけ。まさか「情報」と書いて「パソコン」と読ませるとは!

 で、気がつくと明日の時間割は彼の好きなように組み替えられ、嫌いなものはなくなり、昼休みに「買い物」に行き、5時間目は「家庭科(調理)」、6時間目はさらに「技術」さらに延長され7時間目に「道徳」…となっていた。

 こうして2時間半の「一時預かり」はC君の独壇場となり、いつのまにかD君がまた抜け出して保護者をせかせる…となってしまったのであった。 


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まだまだ花粉症 「今日の出来事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 杉の花粉が飛び始めた。今年は少ないって言われてもやはりあるものはあるので、いつも通り反応し始めた。

 うちは山の方なので、杉花粉の本拠地である。昼間も市内で働く今年はまさに敵の総本山に乗り込んだようなものだ。

 昨年4月から禁煙したので(といっても飲み会の時は人からもらいタバコしているので完全ではないが…)、一気に「体質改善」して、花粉症でなくなる…という甘い夢を見ていたが、やはり甘かった!


 初めてこの街に来た年は、目がゴロゴロしてそのうち開かなくなってびっくりした。目医者に行ったときには「あなたは今年の患者さんの中で、一番ひどくなるまで我慢した人です。」とほめられているのかと思ったらしかられていた(笑)。

 毎年、いろいろな形を試しながら、今年も怪しいメガネの人となるのであった。


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湘南… 「自分らしい生き方・お仕事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 一昨日の社会の授業中、前から3番目の席で、一生懸命何かレタリングの文字を書いている少年がいた。

 隠れて漫画読むとか、他教科の内職をやるとか、そういうのには即対処するが、話を聞きながら紙に落書きしているとか、社会のプリントにせっせと絵をかくとかは、「暇つぶし」として黙認している。まあ、本当にこちらが引きつけているすばらしい授業のときならそんなことはしないだろうし、眠気覚ましにもいいか…といい加減な対応である…。

 先ほどの少年、本人は気付かれてないつもりだが、こちらは何という字を書いているのか完成を楽しみにしながら時々見ている。大体この男、日ごろは元気にいろいろと発表する男なのに、その日は元気がなくて黙っているのでは、それだけでも充分ばれるのに、のんきなもんだ。

 途中、『湘南』という文字が完成するのが見えた。私の予想では『湘南爆走族』(なつかしー)。まだ流行っているのか? ちょっと前は、『特攻の拓』とかだったが、また復活したのか…など授業も上の空で気になっていた。(授業者がこれでは困るが…)

 授業が終わる頃にもう一度遠くからのぞくと、『湘南の風』と書いてあった。

 授業中のイタズラ書きに気付いてないと思われるのも何なので、授業後、廊下を歩いている後ろ姿に 「おい、湘南の風!」と呼びかけてやった。


 なかなか驚いたらしく、「えっ!見てたんですか。やべー」と言いながらもなんだか嬉しそうだった。

 ところがこの少年、次の時間に数学のテストが戻ってくるのがイヤだったのか、そのまま少しエスケープ。学校のまわりをウロウロして、10分くらい遅れて教室に戻ってきたらしい。

 その話を聞いたので、職員室で学年の先生に、「あいつ、その前の時間、授業中になんか、族のチーム名を考えたんだか、『湘南の風』とか書いて、ボーッとしてましたよ。」 なんて情報を一応流さなければいけなくなった。

 ちなみにまわりの先生の反応も、「まったく、ここは『湘南』じゃないし、そりゃだめだろう。センスないな」とかそんな感じだった。

 そして、今日の音楽テレビ番組を見て唖然…。

 『純恋歌』 「湘南の風」 …って、グループ名だったんかい! しかも、長渕剛の『巡恋歌』と漢字が違うし!

 いやいや、おっさん達は流行からおくれてるし、さらに先公という職業の人たちは、すぐになんでも暴走族趣味と結びつけたがるし、まったく困ったものだ(主に自分だが)。

 それにしても漫画の『湘南爆走族』、大好きでした。今思えば、江口洋介って、映画での役名をそのままに、今だにこの芸名でやってるってことがすごいなあ!

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ゆびとま 「自分らしい生き方・お仕事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 おととい「ゆびとま」の私書箱メールが来ていた。「ゆびとま」は巨大同窓会サイトである。自分の出身校だけでなく、教職員の登録もあるので、全部ではないが数年前に登録してあった。

 ある中学校の時に少しだけ教えたことがあるけど、すぐ転校してしまった…という男子(23歳だから、もう子じゃないか)からのメールだった。


 「○○先生は、うちの兄が習ったかもしれませんね」というメールだったが、どう考えても兄の名前よりも、その本人の名前に記憶がある。その時代はまだ全校の生徒名簿が配られていたので調べてみると、やはり2年生の時に少し教えていた。

 本当に自分が習ったかどうか覚えてないのか、謎は深まったが、「近況でも教えてもらおう」とまたこちらからもメールを出した。

 「現在、○○県で農業をしています。3年前に結婚して、去年、父親になりました! 」 との報告があった。 仕事・結婚・出産…って、いっぺんに聞かされて、いっぺんにおめでとう…となって、やりとりが終わってしまった。

 やはりこういうのは、小マメに少しずつ聞くのがいいものだと思った。

 ところで、彼と、『どの学年だったか』を伝えるやりとりの中で、私からは「うわばきが青の学年?」というような3年周期の聞き方をすると、「O とか I とかがいた学年です」と答えがあった。

 その二人はその学年を代表する「こまったちゃん」男子だったのでとてもわかりやすかった。先日、他の人も「Oの学年です」と名乗っていたが、うちの学年、280人以上いて8クラスもあったのに、その中から誰もが選ぶ「O君」、お前ある意味すごいぞ!

(何でこういうとき、いい方で目立った人の名前でないかは不思議だ。どちらかというと荒れてる学校だからこうなるのだろうか?)

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今日のいろいろ 「今日の出来事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 今日はブログの小ネタがたくさんありすぎて、日付を変えて小出しにしようかとも思ったが、すると忘れるのでそれぞれ少しずつ記入することにした。

 まずは指導補助員として行っていた中学校の特学でのこと。朝、一日の流れを確認するのに職員室の時間割を見て、本日の2時間目の所に「お別れ会」と小さな文字を発見。クラスのものは先週やったし、学校全体の三年生を送る会は午後だしなあ、むむむ。

 (うーん、これは俺ともう一人の若い先生のお別れ会にちがいない…気づいてないふりをしないといけないな)

 そんな朝一番に、ダウン三兄弟のA君とB君の戦いが再び…。先週とまったく同じ場面で、Aがじっと見つめていた。教室のドアの所から、じっとBを見ている。「今日は悪口言っちゃダメだよ」との私のことばにうなずいて、確かに何も言わなかった…。

 でもじっと見つめるのも、ストーカー行為である。そのうちしつこさに怒ったBが「このやろー」と追いかけ始めると、Aは喜んで1階へ逃げていく。もうほっといた。

 しばらくすると、右耳を押さえたAが「痛い」と言って戻ってきた。ちょっとだけ赤い。

 「何されたの?」

 「耳、グリグリされた。」

 「殴った」とか「たたいた」ではなくて、その「グリグリされた」に吹き出しそうになったが、一応、両方に指導らしきことをして終わった。

 1時間目はそのB君とのマンツーマンでの数学(時計とお金)のお勉強。さっきは「謝らない」とか言って固まっていたくせに、今度は一転、ニコニコがんばって、今までどうしてもできなかった時計の「何時半」の所の問題を次々とクリアして、私を喜ばせた(家でテスト向けにがんばった成果のようだ)。

 1時間目が終わって、一度職員室に戻ると、私たち二人が教室に行かないように(教室は会の準備中)、主任のS先生はできたての卒業アルバムを見せ始めた。「二人は今しか見るタイミングがないから、少し見ていていいですよ。後で呼びに来ますから」と言われたので、笑いをかみ殺しながら「はい、そうします。」
ちょうどそこに校長先生(以前書いた、いい校長)が来たのでごあいさつなどしていると、そのうち主任の先生がもう一度呼びに来た。

 教室に向かって歩きながら、「すみません、わざわざ僕らのために会なんて…」 

 「えー、ばれちゃってた?」

 「なんかみんな芝居がかってたので…」 

 で、会が始まりみんなからメッセージを言ってもらったりして、なかなか感動した。考えてみれば講師をやっていての通常級での授業は「はい、さよなら」なので、こういう経験もなかなかできないなあ、ありがたいものだなあ…と思った。

 ちなみに3・4時間目はいつもの授業。ダウン3兄弟のC君はいつも通りイタズラをして「一緒に正座」したり、鼻血を出す子がいたり…最後までてんやわんやであった。

 次は、夕方からのSを連れての療育センターでのST(言語聴覚訓練)。1年半(数えてみると34回)お世話になった先生が、大学院で勉強するために退職することとなり、本日が最後の回だった。始まるまでに何回かは「今日で○○先生最後だから、泣かずにがんばります!」とSに話してはいたが、この男はそんなのは関係なしなのでどうなることやら…と思っていた。

 が、今日は久しぶりに、課題を完璧にこなした! えらいぞ、S!

 先生にも「自閉症児の実験や研究のモルモットが必要になったらご連絡ください(笑)」とお話をして終わった。考えてみれば、最初の頃は泣いてばかりだったが、ここでのやりとりを通じて、学校や家でも「やりとり」を楽しめるようになってきたように思う。本当にありがたいことだったし、先生が若くて美人だったので、何よりも行く楽しみが半減して父は残念である…。

 家に帰って、先の主任のS先生からもらったDVDを見た。実は、6年前から3年前までも一緒の職場にいた方なのだ。私が養護学校に転勤して去っていった学年(その時、中学1年生)をその後卒業させてからこの職場に来た方で、それまでの生活指導バリバリの通常級での生活指導主任姿もかっこよかったけど、ここでのギャグ全開・ていねいさ炸裂の指導もとてもすばらしく、『天職だな』とはたから見ていた。私はこの『縁』あって、今年度この特学に呼んでもらっていたのだ。

 そのDVDはその前の中学校のその学年が卒業するときに、生徒に見せるように作ったというもので、音楽に合わせて写真が少しずつ切り替わるというものだった。

 入学式から始まって、1年生の時の行事、そして2年生…と進んでいく。

 驚いた。知っている人が時々出てくる…というだけなのだ。もちろん全員社会科の授業で教えたので当時は知っていたし、4分の1は自分がクラスで担任した子たちなのに…。やはり、1年かぎりのつきあいだと記憶に残りにくいのか、それともその次の年の自分が大変すぎて(養護学校でのいろいろ)ふりかえるための記憶が飛んだのか?いずれにしても、知らない生徒がたくさん、名前が思い出せるとなるとさらに少数…がく然としたのだった。

 3年生ともなると本人たちの顔が変わるので別人である。ほとんど知らない人の方が多し…という状態になってDVDは終わった。いやあ驚いた。よく卒業生に入学式の頃からの写真とかスライドを見せて、「別人」のような幼さで笑いを取るのだが、幼い方だけ知っていて大人になった顔を見ると、「ここまでわからない」とは驚きだった。

 そして最後に、さらにその前に行っていた中学校の野球部での教え子のこと。

 昨日連絡があり、○○小学校で新規採用の候補として面接に呼ばれたそうだ。

 なんと、うちの息子の小学校ではないか! すばらしい。 また新たな『縁』が生まれそうである。

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偶然 「自分らしい生き方・お仕事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 今日の午後、整骨院に行った。治療中に、偶然、花粉症の話になり、「眠くなるから飲んでなくて」という先生に、「市販のだけど俺の飲むヤツ軽いからか眠くないですよ」と推薦して、ある薬を見せた。

「服用後は車の運転をしないでください」と一応は書いてあるが、『いつでもどこでもすぐ寝てしまう病』の私が特に眠くならないのだから、大丈夫なのだと思う。

 で、そんな話までして実物を見せたにもかかわらず、商品名をメモしてもらったらすぐにまたカバンにしまい込んでしまった。

 治療が終わって整骨院を出てから気がついた。

 「ちょっとお試しを…と1錠でもあげるべきだったなあ…俺も気が利かないというか、ケチだなあ…」

 駐車場に車を取りに行っての帰り道にまた整骨院のそばを通るので、その時にもう一度寄って、「よかったらどうぞ」と渡して『いい人』となった。


 そして、整骨院を出た直後、若い女の子二人組に呼び止められた。

 さっき、横断歩道で、青信号の点滅時に「どうぞ」と通してあげた二人だ。「お礼にお茶でも」とでも言われるのか(言わねえよ)と思ったら、

 「先生!」

 「なぬ」

 「やっぱりそうだ!さっき横断歩道で顔を見たときに『アレ!』と思ったので追ってきたんですよ。角を二つ曲がって車が止まっていたから、このあたりのどこかの店だと思って待ってたらすぐ出てきました」と笑っていた。

 こちらは全然気がついていなかったのだが、4年前に送り出した卒業生だ。そしてそのうちのひとりは、先日の日記に書いた「福祉関係の仕事を懸命にやっている子」だった。

 この子たちを教えた学校はこの駅から1時間以上離れた所だ。そしてこっちの方が田舎だ。なんでまたこんな所にいるのだろう?と思っていると、


 「兄がこっちで美容院を開いたので、その宣伝ビラを配っていた」とのことだった。で、人通りも少ないし寒いし、もう帰ろうと思って車に戻るときに見かけたとのこと。

 少し話をして、地元ということでビラを10枚くらい持たされてから(笑)、別れた。

 それにしても、花粉症の話 → 薬を渡そうと珍しく親切にしたから通り道が変わった → ちょうどその時帰ろうとした教え子が横断歩道に → 珍しくギリギリで渡る歩行者に道を譲る → 向こうがこちらに気がつく → 追いかけて追いつける程度の距離で車が止まる → 店からすぐ出てくる …といういくつもの偶然で成り立った再会だったので、さすがに笑ってしまった。

 彼女たちと別れてから思ったのだが、「寒い中、がんばってたんだし、せっかく追いかけてきたんだから、それこそお茶ぐらいごちそうしてやるべきだったかなあ…俺も気が利かないというか、ケチだなあ…」

 ふりだしにもどっていた…。

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社会福祉の授業 「自分らしい生き方・お仕事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 中学校社会科の選択授業として「社会福祉」というテーマで募集をかけての1年間の授業が終わった。

 集まったメンバーによって、各校(3コース)で多少の内容の違いはあったが、まあまあの手応えはあった。

 昨年度、小学生を相手に総合的な学習の時間でやったときの方が成果はあった気もするが…。

 主な内容としては

 1 現在のニュースから「社会福祉」に関係するものを探して発表して、問題点などを学ぶ。
 2 ビデオ学習 
 3 テーマを決めての調べ学習と発表(ほとんどの期間がこれ)

 社会福祉と名乗ってはいるが、全体的に「障がい」のことにちょっとかたよりすぎた内容である。

 ある学校では、3の調べるための時間を無駄に過ごし、発表がしょぼしょぼになり、もう一度立て直して「福祉ムード?」を作るのが大変だった。


 1はその時のタイムリーな話題にも左右されるし、自分が良質なものをかなりそろえてきたと言えるのは、2を使っての学習だ。

 映像だと生徒の心に入っていきやすいし、知的好奇心もくすぐりやすい。

 たとえば、ダウン症の話題の時に、「秋雪君」の話も入ったドキュメンタリーを見ると、やはり心に響くのである(松田聖子が出たドラマの方も見ている生徒も結構いたので)。だらけていた人たちが、また「ちょっとがんばろう」という気になったりした。今日の持ち物「ハンカチ」が涙を拭くのに役に立ったりもした。

 ただ、こうした授業方法のノウハウをもし確立しても、何となくいばって紹介していけないのが、著作権や肖像権の問題をクリアしていないというか、ごまかしてしまっているからだ。

 自閉症・ダウン症・スペシャルオリンピックス・障がい者の就労などをテーマにした、「自分が見ていいと思ったテレビ番組」は、NHKと民放それぞれのテレビ放送をそのまま流している。

 ただし、見たときに書いている「ビデオ視聴カード」に、必ず「放送局名」や「番組名」などの出どころを明らかにして書かせている。

 それだけでいいのか、本当はちゃんと制作局に届け出がいるのか? ちょっとわかっていない。「学校教育のため」許されている範囲…というのがあったと思うのだが、ちゃんとは確認していないのでぜひわかる人に教えて欲しいと思っている。(マス・メディア関係の方、あるいは詳しい方、ぜひお願いします)

 ついでだが、基本的には私は著作権・肖像権を守ったり、守るよう公民の授業でも教えている立場だ。行事担当の時に、権利関係に詳しい音楽の先生が、合唱コンクールのパンフレットに学年合唱の歌詞を載せるため、ちゃんとJASRACに届け出て5000円くらい支払った(もちろん行事予算から)ときは感心した。他の学校はまずこんなことそうやっていないと思うのである意味珍しいパターンだと思う。(これを教えてくれた先生は今や某ミュージカル劇団の役者さんである)

 よくバスレク用にクラスで作ったりする「歌集」は実はものすごく権利侵害をしているし、でも逆にあれをちゃんと払おうとするととんでもない金額になることも知っている…。

 しかし、今回の件をちゃんと確認していないのは、『ダメ』とわかるとその活動が止まるので、それも困るので、正式に確認せず、『知らなかった』ことにしようと思っている…。勝手に編集してサイズを縮めたりすることもあるしな…。ここで教わっても、やることはあまり変わらないが、一応知っておきたい…ということなのだ。

 そのほかの映像として、養護学校の授業紹介ビデオなども使っている。これは本当は校内の保護者向けに作ったものだったので、一部の親には許可を取ったが、もちろん全員…とはいかなかったので、学校名を伏せて使っている。

 でもこのビデオで、時に真剣に、時にふざけて、時ににこやかに元気よく、養護学校の生徒が活動している様子を見ると、すごく驚いて身近に感じるようだ。通常級の子達は、なんかもっと暗い世界を想像しているようなのだ。これは、探せば紹介ビデオの正式なものが近場の養護学校にもあるのではないかと思うので、後々手に入れたい所だ。

 そして、どうしても手に入らないので、自分で作ってしまったのが、『療育風景』の映像。通っているセンターの先生にお願いして、我が子SのST(言語聴覚療法)とOT(作業療法)の様子をとらせてもらった。使い道まではちゃんと言わなかったが、「小学校の先生に見せていい」と許可をくれたくらいだから大丈夫だろう。

 ただ、このビデオには大きな問題点があった! 画像だけ見て編集したときは気がつかなかったのだが、生徒の前でかけたときに恥ずかしい思いをした。

 カメラを撮っている私の笑い声や子どもに話しかける声が入りまくり。しかも、ちょっと「いいパパ」みたいな感じで猫なで声でSに呼びかけたり、先生の質問にデレデレと答えていたり…。美人にメロメロな所をしっかりチェックされてしまったのであった…。

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村の神様 「今日の出来事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 今日は仕事が早く上がれたこともあり、スポーツセンターに水泳に行った。

 私は泳ぎが不得手だったので、それこそ高校や大学の授業の試験で50m泳ぐにも、たどり着く頃にはほぼドザエモン状態…という人だったのだが、今年、時々泳ぐことで、やっと平泳ぎで手と足が邪魔をしあわなくなったので、250m(自己新)連続して泳げるようになった。

 よく、『200m泳げるようになったら、何キロでも泳げる』と言っていた先生がいたが「嘘だったな」と実感している…。それ以上は疲れて一度には泳げん!


 さて、そのプールには、そばに、泡の出るお風呂みたいなのがついている。泳ぎ終わった後、そこで筋肉の疲れがとれるのでとてもよい。

 水着のまま、混浴である! が基本的におじいさんおばあさんがほとんどのプールである…。

 今日、私がそのお風呂で疲れをとっていると『板垣退助(昔の百円札)並みのひげをたくわえた一人のおじいさん』が、入ってきた。

 しばらくして話しかけられた。

 「ここはいつもこんなにすいているのかね?」

 「今日は、さっきまで団体さんで混んでたんですが、今すきました。でも日頃も冬の夕方は客3人・監視員3人とかすいてますね。」

 と応対していると、そのうちいろいろとノって話しかけてきた。

 (しまった。火をつけたな…)とは思ったのだが、なかなかおもしろいおじいさんだったので、結構楽しかった。

 77歳とは思えない若さだった。たたみかけるような話術にのせられて、職業から家から出身地までいろいろとしゃべらされた(笑)。もちろん、向こうが先に『言いたがる』から、流れでこちらも言わざるをえなかったのだが、しまいには子どもSの障がいのことまで話す羽目になったのだから、まあおもしろいというか聞き出すのが上手なじいさんだ。「私も子どもの頃は言語障害があって」と流ちょうなことばで話していたが、どうだかなあ…。

 その人はある村の中学校のすぐそばに住んでいるそうで、「よく遊びに行っている」とのこと。この前はこんな歌を教えてきたと、『プールの風呂で歌』まで飛び出してしまった。銭湯じゃなくて、あくまでプールの横のお風呂なのだが…。実はその中学校の先生に知り合いがいるのだが、名前を出すとややこしいことになりそうなので(実は中学校としては困っているとかだとちょっとなあ)、それは黙っておいた。

 最終的には、とにかく 「山の神様に、おかみさんに感謝しなさい」と「玄米を食べなさい。肉はイカン!」ということを20回ずつくらい言われた。

 おじいさんは元もとは山の炭焼き小屋にいて『仙人』のような暮らしをしていたと語っていた。今日は、30年ぶりの水泳だとか…。そして、今は中学校のそば…山のふもとにおりて生活しているとのこと。

 「今、私は、『神様』と村の人に言われてますよ。『村の神様』とな。いやあ、なに、名前が『村上』なもんで、『村上様…村の神様…神様…わっはっはっは』と最後までマイペースなのであった。

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いつか何処かで 「自分らしい生き方・お仕事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 ブログで、よその地域の方が「卒業式と離任式が同じ日」というのを見て、「いいなあ、それ」と思った。

 私の働く地区では、3月上旬に転勤先が本人にはわかり、でも4月1日まではトップシークレットなのでややこしい。秘密と言われても教員同士では教えてしまうが、生徒や保護者には秘密厳守のままだ。だから春休みの3月中などは、部活動の生徒にばれないように、夜、荷物を車に運び込んだりして、夜逃げみたいである。

 今行っている3校のうちのA校が本日最後の授業だった。ここは地元(息子の通う小学校のとなり)なので、何としてつないでいきたい所だが、幸いにも来年度も同じ講師時数が確保できた。

 来年度のことについては、講師も基本的には教諭と同じくまだ秘密の時期である。採用試験に通って来年度から教諭…とかいう時は特例というか、他の先生がしゃべっていたりするが、そうでなければ、もともと1年契約が基本とはいえ、あまり言わないものだ。

 A校には残るのだが、今年度担当していた2年生については、来年度は教えない予定だ。3年生の社会科は週2.4時間と端数なので、講師が入りにくい。でも選択授業は3年生も持つ予定なので、「校内には、いる」 「でも授業では会わない」 「でも一部教える人もいる」 というややこしい状態なので、どこまでさよならを言うのかは少し迷った。

 しかし、いつか翌年いない時が来るのだから、その時に悟られないように毎年同じパターンにしておこうと、一応サヨナラのつもりで授業の最後では別れるつもりの話をした。

 特に今回は、初めての地元校での勤務だったので、来年度ここにいようがいまいが、5年後、10年後、20年後…といつまでも顔を合わせる可能性の高い人たち相手だった。今までの勤務校は自宅から遠かったので、『よその街』に行っている時しかたいていは会わなかったのだが、今後もそうはいかない。

 いろいろ考えているうちに「やばい」と思ったのは、べろんべろんに酔って終電で眠っているような時に「この人たち」には会う可能性があるのだ(数年間はまだ大丈夫だが…)。

 そこで、その時になってお互いに驚かないようにそのあたりの指導?もしておいた。

 街で会ったら、大声で「先生」とか呼ばない。そしてまず自分の名を名乗ること。こちらはゆっくりと年老いていくだけだから誰かわかるだろうが、若者の急な変化はたいてい他の人にはわからないのだから。(本当はこっちが忘れるからだが…)

 さらに君たちがもっと大人になると終電車とかになるまで仕事をすることもあるだろう。その時に私が酔っぱらっているのを見つけたら…

 そっとしておいて起こさない。

 口が開いてヨダレが出ていたら、口を閉じてあげる。

 終点についたら「お客さん、終点ですよ」と言って起こしてあげる。

 足元がおぼつかないようなら連れて降ろしてあげる。この際、財布を盗んだりしてはいけない。

 タクシー乗り場に連れて行き、乗せたら「行き先は?」と大声で聞いて、私に言わせる(自宅の位置は秘密にしている。でも近所のヤツもいてかなりばれているが)。

 そして、自分のポケットから千円札を出して、タクシーの運転手さんに渡す。

 こういう風にお願いします…という指導が今年度最後の授業であった。


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最後の一日 「自分らしい生き方・お仕事(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
 しまったー。年度末や旅行のことでバタバタしていて、今日一日を普通に過ごしてしまった。

 今日から私は春休み。勤務校も息子Sの学校も修了式だが、授業がないから出勤はしなくてよかった。

 まず、朝、Sを送って今年度最後の登校。

 で、家に車を取りに戻って、下関に送る荷物をコンビニに持っていき宅急便の手続き。

 その後、しばらく行けないので、整骨院に。その際、車を止めたデパートの駐車代を浮かすために本などの買い物。

 お昼ご飯を安いイタリアン(サ○ゼリヤ)で食べて、さっき買った『ドカベンプロ野球スーパースター編第11巻・ドカベン対野球狂の詩』を読む。


 職場の卒業式にはかまで行った妻を迎えに勤務校に。早く着きすぎて車の中で寝まくる。

 家に帰って妻が着替えたあと、息子Sの小学校へ。認定就学のため、担任・学校長・教育委員会(指導主事)・私たちとの学期ごとの話し合いがあり、またのちのちは養護学校の方が…というお話を聞く。

 で、家に帰ってきて、妻は職場の納め会に出かけ、残されたSと遊んだり遊ばなかったり…おしっこに連れて行ったり、ズボンにおしっこがかかってパンツを洗ったり…。

 そんな今、思い出した。明日は誕生日だった。毎年、たいてい忘れるが、今年は40歳の『不惑』になる年。

 つまり、今日は30代最後の一日だった! 

 飲みに行ったり、悪さでも?しなければいけなかったのに!

 もうすぐ40歳になるにあたって思うこと…たいしていつもと変わらんなぁ…。

 でも成人式(行ってないけど)の日から、また同じ分(2倍)も生きたかと思うとかなりびっくりしてしまうのであった。

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不惑 [ 最近のことの日記 ]
 不惑の40歳となった初日から迷って惑っている…。

 2校目の講師として、昨年1枠しか入っていなかった所を蹴って(継続せずに)、最大2日間で9枠まで増やせるようにしておいた。

 ところが昨日来た話は、1日で2枠…。微増である。距離は前より近くなるが、なかなか大変な(荒れてる)所だと思われる。

 指導補助で行っていた学校は、ありがたいことに、「空いた曜日はまたぜひに」と言ってくれているので1日はそちらに行けば一応生活は成り立つのだが、ここで決定してしまっていいのか、それともこの後もっといい条件が飛び込むのを待つか…株を売るかどうするか…みたいな感じになってきた。

 あと1枠はないと、講師としての立場が少し違い、ボーナスが出る出ないまで変わってくるので、ばくちに出て、断って、そのまま1枠も入らない…となると、かなりの大損である。

 とりあえずの向こうへの返事は「月曜日まで考えさせてください!」

 それまでに他からオファーがあればまた再考、なければ現状でイエス…ということで、留守番電話やメールの転送を頼りにして、日曜日には帰省してしまうのであった。

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不惑なのに…の結果 [ 最近のことの日記 ]
 40歳不惑の誕生日の翌日から「悩んで迷っていた」講師2枠の件、実はとっくにすっきりしていた。

 この後もっとおいしい話が来るかもしれないけど、ここで4月中に決めとかないと、このままではボーナスがなかったりの損失が出る可能性がある…ということで決断が難しかったのだが、「3月27日にお返事します」と約束してあったので、その時点であっさりとOKを出した。

 旅行中に『楽しむこと』に専念するためもあったが、下関の公園で遊んでいる時に確認の電話があると、すんなりと答えが出たのであった。

 そのおかげで週一日空いたので、昨年度お世話になった特学にまた行けることになった! 「これも何かの運命だ」と早々とこちらの続投も決めたのであった。ここに行くことは楽しいし、体は疲れても心がリフレッシュできる。

 問題点は、昨年度最後にお別れ会をしてもらった…(笑)ことだけなので、これは「私は彼の弟だ」と言い張ることで乗り切ることにしよう!

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春の大会 [ 最近のことの日記 ]
 明日からしばらくSの小学校に密着取材だ。

 というのは、本当はちょっと違い、環境の変わりはじめの1週間、新入生やそれぞれがいつも以上に先生たちに手をかけることも考え、講師の授業が始まるまでの数日間、付き添いをすることとなった。

 昨年度もやったので慣れているが、つい他の子まで指導しそうになって我慢するのが大変だ。(特に通常級の廊下を走るガキなど)

 で、今日が最後の休みだったのだが、春の選抜大会ならぬ、選ばれなかった人たちの高校野球・春の大会を見に車で1時間半もかけて出かけた。野球部での最後の教え子の代がこれから高校3年になる。2年にも少数いるのだが、中学の1年間(しかも補欠の時期)しか見てないので、やはり最後の代は彼らだと思う。

 第1試合に一人、第2試合に一人、それぞれ出そうだったのでこんな遠くまでがんばって行った。ちゃんとした情報を得ていないので、本当にまだ続けているかとか、ケガして休んでいないかなど未確認なのだが、二人いればどっちかは見られるだろう…と行ってしまった。

 着いた所で、第2試合の方の少年のチームのスクールバスと出会った。バスの窓が「スルスル」っと開いて、懐かしい笑顔が出てきた。

 「先生ー」

 かわいいヤツである。くりくり頭でニコニコしている。実際は175cmくらいはあるだろうし、横にもでかいし、「かわいい」のはこっちの方なのだが…。

 まわりに友だちがいると、中学の時の先生と話すのなんて恥ずかしいだろうに(少なくとも私はそうだが)、いろいろと1試合目の少年の情報を教えてくれた。2試合目に出そうかどうかは、言いにくいだろうから聞かなかった。

 そして1試合目。球場の中に入るなり、教え子を見つけた。ポジションとかを聞いていたわけではない。明らかに見たことあるような感じ、肩のラインとかしぐさとかそういうので、はるか遠くから見つけた。近づいてみるとやはり正解…うまくなってもやはりクセとかは変わらないようだ。

 試合の方は、その彼の3安打の活躍もあり、勝利。バットが首に巻き付く感じも相変わらずで(直せよ)と思ったが、ああいう自分なりのフォームってあるんだろうな。ちなみに私は後ろにそって打つとバランスがとりやすいという人だったし。

 あまりにも降り続く雨、ものすごい寒さ…もう見ておれんという感じではあったが、案の定、2試合目は中止となった。

 帰りに、選手名簿を買って帰ると、2試合目の方の少年は背番号16であった。

 うちではエースだったし、向こうからの熱心な誘いでそのまあまあの名門校(いつもあと一歩で甲子園を逃す)に入ったのだが、今ひとつ伸び悩んでいるようだ。

 うーん、試合に出るか出ないか微妙な位置。さらに1年生が入ってくると、夏の大会では番号そのものが危ういではないか!

 ということで、夏の楽しみが増えたんだか減ったんだか、教え子に甲子園に連れて行ってもらう最後のチャンスは風前の灯火であった。

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ピンキー [ 1年以上前をふりかえっての日記 ]
 今年の入学式は、多くの土地で桜満開だったのではないだろうか?

 ところが、この桜の『異変』を数年前から私は訴えていたのだが、みんな首をひねってピンと来てくれない。

 それは、『色が年々、白っぽくなっている』ということだ。

 絵とかでは、桜(特にソメイヨシノ)というとピンクの色で描いてしまうが、実はもともとそれほど濃いピンクではないし、淡いというか薄い色だ。ところが、数年前にはじまり、昨年あたりは『白』かと思うくらいの色に近づきつつあった。

 それで、昨年は声を大にして、「なんかやばいよ、桜が全部白っぽいって。」と家族にも言うのだが、美術系の人間であるうちのつれあいは、「確かに白いけど、もともとこんなもんでしょ。」と『地球規模の大変なこと?』かもしれない兆候に興味をまったく示さない!

 年々、目が色を薄く見るようになったのではないか…とあらぬ疑いまでかけられていた。

 そして、今年。

 数年ぶりに、桜の花に『ピンク』がもどった(関東地方一部地域調べ)。

 全体的な色もピンクだし、散った花びらのひとつひとつも、それがまとまった時の色も、いずれもピンクだ!(というかこれが桜色だ!)

 ひとまず私の目の老化のせいではない(両眼とも1.2だし)ことは実証された。

 この桜の花の色のことって、他で話題になっていないのだろうか?

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『ぼくはうみがみたくなりました』を応援します [ 最近のことの日記 ]
 以前読んだことのある『自閉症児』をテーマにしたほのぼのとした小説、『ぼくはうみがみたくなりました』の映画化の話があると聞いて調べてみた。

 映画化の話がある…といえば景気はいいが、実際は大手の制作会社は興味を示さずにいて、それでも自主制作になっても何とか世に出したい…という熱い思いでの映画化…ということだった。

 自閉症児の親として何ができるのか…という時に、自分の力をうまく生かして何かを社会に呼びかけたい…そんな思いで活躍している記者や医者、いろんな人がいて刺激される。この小説の作者もその一人だ。

 ところが、その作者の方のお子さんが先月末にお亡くなりになった…とのことを自閉症協会東京支部の掲示板で知った。

 やりきれない思いを、この小説の映画化に向けてのエネルギーに変えていこうとしているその姿がすごいと思う。

ぜひホームページをご覧ください。

http://homepage2.nifty.com/bokuumi/

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