のほほん本舗

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サ行



この映画は、酷くつまらなかったです。
話は一言で言えば、アルマゲドンの地底バージョンですな。
ストーリー性、演技、映像、音楽どれも印象に残らんかった。
アルマゲドンやインディペンデンス・ディもそうですが、アメリカが地球を救う!アメリカ万歳!なんてのはもう飽き飽きさ!
現実にはどうでしょうかね~っ。
破壊する方が得意のような気がするのですが。。。
http://www.thecore.jp/index2.html

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映画:「THE LAST SAMURAI」を観て~よみがえれ武士道~ 2月11日(水)


はっきり言おう!この映画は必見ですぞ!
正直、ハリウッドなんかが武士道などを伝えられっこない。
あんなもん、作りもんさ!と観る前は完全にバカにしておりましたが、いやはやどうしてよく出来ています。
なんだか、米国人にサムライ魂を教わるなんてねぇ~っ。ちと、悔しい感じがします。
できれば、邦画でこういう作品を作ってもらいたかったものです。
この映画を観ると、日本人として生きている事に誇りを感じることでしょう。
今の時代こそ、我々日本人はサムライのような気高さを見直さないとね。ん!

ん~いくつかみどころを紹介したいけど、ネタばれになるからなぁ~っ。
解説抜きで注目シーンをお知らせします。

① 一番最初に、侍軍団が霧の中から出てくるシーン。
→かっこいい!とり肌ものです。
② 剣術の手合わせでオールグレンが何度も氏家に倒される時、信忠がアドバイスするシーン。
→信忠のセリフがいいんです。沢庵禅師の言葉を使っているようです。
③ 桜の木の下で、勝元がオールグレンと話すシーン。
→武士道とはどういうものなのかを、勝元が話して聞かせます。
④ オールグレンに鎧を着させる小雪のしぐさ。
→ん~色っぽい。大和撫子を感じるぜ!
⑤ラストでの明治天皇とオールグレンの会話
→勝元について語り合う場面です。まぁ~お楽しみに!

ただねぇ~、ちと弱点もある。
この映画は、大変素晴らしい作品なのですが、ハリウッドの限界というのかなぁ。
本来のサムライの生き方とはちと違うんじゃないのか?という気もするんです。
アチキのイメージする武士道は、どうしても葉隠武士道なので、上方武士道よりちと激しいのかもしれないが、どうしてもこの映画で表現しているサムライは何事も堪忍しすぎじゃないかと思う。
本来、武士というのは脇指心と言って、常に刀を抜ける状態にしていて如何なる時も、人を切る構えで生きていたと聞く。
そう武士は互いに「寄らば切る!」という常住死身の覚悟で生きているのさ!
ところが、この映画ではオーグレンを見逃すし、トラブルの処理法もきっかけを見逃すし、なんだか現代風の優しさ(甘さ)を感じる。
真田広之演じる氏尾は、その点は真のサムライを感じますけどね。
本当は、もっともっと、厳しいのではないかな。ん。
まっ、あとイチャモンをつけるなら、剣術は本来、秘伝なので屋外での稽古はせず、道場や城内で行なうはずなんだけどね。
まっ、ハイウッド映画ですからねぇ~っ。仕方ないですか。。。
(たぶん、新渡戸稲造の武士道を参考にしているんだろうな~っ。どうも、あの本は他の本と比べても、侍の描き方が優しく寛容すぎて、異質な感じがします。)

とは言っても、この映画をきっかけに多くの国民が武士道を思い起こしてくれればいいと思っている。
戦後、GHQの策略によって、武士道どころか大和魂という中心軸を失ってしまった日本。
刀だけでなく、魂すらも狩られてしまい、抜け殻のようだ。
この映画を見るまでもなく、侍の写真や肖像画をみると背筋がピーンと伸びていて、しっかりと地に足をつけている感じがする。
そのくせ、肩肘張って力んでいるところがなく、しなやかで自然体の姿勢が見て取れる。
現代はというと、アチキもそうだけど、中心軸がなくフラフラしていて、張子みたいに外側だけ力んでいるかんじですもんね。
武士道の言う、名誉だって、学歴や資格、経歴の肩書きなんかじゃない。
そんな外側だけのことに拘るから、古賀の潤ちゃんみたいなヘボ政治家が出てくる。
武士道で言うところの、名誉とは、自らが下した決断とその成果が問われ、その後に逃げたり、言い訳したりしちゃならんということ。
鼻水垂らして泣きながら、皆の同情を期待して「がんばります!」と言っても話にならん。
そんな奴は、腹を切らねばならんのです!
今の日本のリーダーである純ちゃん!イラクに行かせちゃったけど、覚悟はあるのかい?

なんだか日本の将来を考えると憂いてしまいますが、我々日本人には、このサムライスピリットが流れているのです。
皆で、もう一度武士道をよみがえらせよう!

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「THE LILE OF DAVED GALE」

昨日紹介した「HERO」とは対照的にこの映画はストーリー性で勝負の映画だ。
主役を張るのは、アチキの贔屓の俳優ケビン・スペイシー。
監督が「バーディ」「ミッドナイト・エクスプレス」「ケロッグ博士」で有名なアラン・パーカーである。
この二人が組むとなれば、つまんなくなりようがない。

ケビンの演技力が凄い!凄すぎ!
演技の一挙手一投足が衝撃的なラストに引きずり込むために計算されつくした演技。
彼のような天才がいる限り、ハリウッド映画も馬鹿に出来ないな。

内容についてですが、本作は、非常に緻密で完成されたサスペンス映画ということと共に、死刑制度という重いテーマを取り上げた社会的メッセージの強い作品です。
アラン監督は、死刑制度反対の立場をとっておられるようだが、この作品では、賛成or反対のどちらをとっているかは微妙です。
まっ、それは観てのお楽しみです!

あっ、この映画観るんだったら、早めに席をとらんと座れないよ。ちっこい映画館でしかやってないから。

http://www.uipjapan.com/davidgale/main.html

さて、死刑制度。皆さんどう思われますか?
アチキは、死刑制度については反対の立場をとっています。
2003年4月現在、112箇国が法律上、または事実上、死刑を廃止しており、世界的には死刑廃止の方向に進んでいるようです。
先進国では、米国と日本が死刑存置国。
死刑制度が続いている理由としては、大きく2つあるが、あまり意味がない。

①犯罪の抑止力になる。
→これは、死刑執行数NO1の米国を見て見ると、死刑が抑止力にはまるで効果がないことが証明されている。
②被害者の報復感情(仇討ち制度の名残)
→仇討ちして済む問題ではない。それよりは、被害者の遺族へのサポートを更に丁寧に行なう方が大切だと思う。
もちろん、アチキも自分の大切な人が殺されたら、ぶっ殺したくなるだろうが、それを語っても何の説得力もないし、推測の域を越えない。アチキは日本でも終身刑を設けて一生苦しんで生きてもらった方が良いと思う。

あと、死刑制度反対の理由は「冤罪」である。
これまで、日本にも死刑囚が冤罪で釈放されるケースがある。
100%の有犯率じゃないのだ。
0.01%だろうが、それで無実の人が死刑になるのは罪である。
死刑をすれば、2つも墓穴を掘らなきゃならん。
映画では、ヘンリーフォンダの「12人の怒れる男たち」や黒沢明監督の「羅生門」を観てもそうだが、人間が人間を裁くのは限界がある。人間は常に主観的な見方からは離れなれないのだ。

この映画のデビッド・ゲイルのやり方は気に入らないが、アチキは死刑制度反対を訴えていきたい。

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「至福のとき」

チャン・イーモウ監督の「あの子を探して」「初恋のきた道」に続く《しあわせ3部作》の最終章である「至福のとき」を観た。

この映画では、ほら吹きのオッチャンが嘘をつく事で孤立無援の盲目の少女に生まれて初めて至福のときを与えるという「人情コメディ映画」です。

最近の心理学では、対人関係を円滑にするために「術(スキル)」のトレーニングが華盛りである。
アチキもその類であるが、アチキは「術」以上に大切なことは、
「まごころ」であり「誠実さ」であり「愛」だと思う。

このほら吹きおっさんが少女に柔らかな光を与えたのはどうしてか?
おっさんには「術」は少ない。だから、バレバレの嘘をついてしまうのだろうが、彼の嘘の後ろには「まごころ」があるのだ。
それも飛びっきりあったかーいのがね。

人は、孤立に弱い。
自分という存在の意味すら見出せなくなるからだ。
そんな時に、自分の存在をみ返りなしに肯定してくれる存在を求める。
このオッチャンの嘘は、ブザマだけど彼なりに最大限の力を出し尽くしている誠実さがある。
そういう姿勢が孤立して自分さえも信じられなかった彼女の心を開かせたのだと思う。

心無い嘘は、人を惑わすだけだが、こうした誠実であたたかい愛のある嘘ならありじゃないかな。

公式HPhttp://www.foxjapan.com/movies/happytimes/

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映画:「市民ケーン」を観て 11月9日(日)


1941年作 オーソン・ウェルズが若干25歳にして製作、脚本、監督、主演をこなし、「映画史上ベスト1」と言われる名作です。映画ファンなら一度は見ずにはいられない作品。

アチキもこれで2回目となりますが、62年も前に作られたとは思えない映像技術であり、映画初参加が半数を占めるとは思えない演技もまた圧巻です。

<ストーリー>
主人公のケーンは、幼年時代に両親と離れ、莫大な財産を背景に教育を受ける。
成人になり、財産が自由になるとマスコミ王として業績を伸ばし、更に大統領の姪と結婚もするなど社会的には順風満帆の人生を歩む。
しかし、次第に歯車が狂いだし、歌手と不倫、離婚、再婚そして離婚。州知事選挙の敗北、親友との確執。会社の破産、そして彼の遺跡とも言える豪邸で孤独な死を迎えるという実に哀しい物語である。


この映画の謎解きである「薔薇の蕾」は、ケーンが死亡する直前に述べた言葉なんだけど、ガラス球に映る雪の風景や、ラスト焼却されるソリに書かれた文字から考えると両親と離れ離れになった悲しみの象徴だったと思われます。
考えてみれば、彼の人生は実に孤独で、愛に飢えた人生だったのだろう。
真に意見してくれる友人もいない、あるがままの自分を愛してくれる人もいない人生なんてね。寂しいよなぁρ(。。)イジイジ
愛される事のみを求め、愛する事を知らないのだからね。気の毒な気持ちすらするわい。
でも62年経った現代も「愛し方」のマニュアル本が売れているところを見ると、このケーンみたいな方が多いのかもしれないな。
幼少時から全てが与えられ、効率化だけを求められるデジタル社会ではどうしても、ベタで血の通ったつながりが希薄になってしまう。
ケーンが建立した贅を費やし、無機質な彫刻で埋められた豪邸を見ていると現代の無痛文明化を象徴しているような気もする。いやはや、実にむなしいし、しらけてしまう。
愛という大輪を咲かせるには、受身ではダメだろうな。
我が身を削り(痛み)、エネルギーを注いでこそ、愛し愛されるという関係性が築けるのではないかな。
そういう意味でも、この「薔薇の蕾」は61年経った今でも相変わらず蕾のままである

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「ショコラ」

フランスの田舎町に北風に乗ってチョコレート屋の母子がふらりとやってくる。町は信仰が深く、厳格で保守的な風土であり、チョコレート屋の母子は他所者として村長をはじめあまり歓迎されない。しかし、おししいチョコレートを介して村の人々の凝り固まった心が解けていくというのほほんとした御伽噺であった。(^o^)

とても爽やかで気持ち良い映画だったな。お洒落で、メルヘンチックなので女の子うけしそう。
ストーリーがとてもシンプルで、先が読める映画なわりに、展開が紙芝居のようにパッパッと変るので見ていて飽きがこなかった。脚本も上手いし、役者も芸達者揃いだったしね。

この映画のメッセージのように、過剰なまでの規範・規則あるいは、個々人の固定観念(~すべき。~ねばならない。)といったカッチンコッチンの頭では次の瞬間の選択肢を狭めてしまい、人を不幸せにしてしまいますね。
こういう人は、過去志向で、自分の保身にばかり目がいってまい、嫉妬と羨望を抱きやすい特徴があります。
皆さんの身の回りにも、レノ伯爵みたいな人っていませんか?
ん、アチキの身の回りにもそういう馬鹿上司がいるわい!
まっ、それはおいといて\(^^\)(/^^)/
そういう方は、勇気がなくて、能力がないくせに権威を振るいたがるので、とても厄介です。
でも、そういう人の言葉は「黒魔術」ですので、ヴィアンヌのように合意しないのが大切ですね。
気をつけましょうね。お互いに。

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「ストーカー」

ロビン・ウィリアムス主演の「ONE HOUR PHOTO」を観た。
ロビンの演技力がとにかく凄い!
役柄が、孤独な中年独身男ということもあって、派手さはないのだが、微妙な喜怒哀楽の表情が実に巧みなのだ。
この映画は邦題の悪さもあってか、あまり売れなかったようですが、これまでのロビン映画の中では最高の演技を見せたのは間違いないですよ。是非、ご覧あれ!

この映画の主人公サイが良心の箍が外れた行動をとった目的はなにか?おそらく「自分の居場所を守るため」だろう。
彼にとっての自分の居場所とは、「幸せな家族の一員になる空想にふける」こと。
その幸せに自分の焼いた写真が貢献できているのも彼にとっては喜びだったのだろう。
それが、仕事をクビにされた上に、理想的な家族像として憧れていたヨーキン一家が崩壊していく。
生真面目で完璧主義な彼は耐えられなかったのだろう。
犯罪はいけないことだけど、サイの気持ちもわからんでもない。
実に悲しい物語である。
公式HP http://www.foxjapan.com/movies/onehourphoto/home.html

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「スリング・ブレイド」

97年にアカデミー賞主演男優賞、脚色賞にノミネートされ、脚色賞を受賞した作品。キャッチコピーは「それは心に突き刺さる刃」心の奥深いところに訴えかけて来る、せつなく哀しい孤独な男の物語だった。

<ストーリー>
少年時代に母親と不倫相手の同級生を殺害し、精神科病院に収容されたカール。退院する日が来て25年ぶりに故郷へ戻ったのだか、父親にも見放され行き場がなく途方に暮れているときに、フランク少年とクリーニング店で出会う。すぐに二人は意気投合。
仕事も院長に紹介された修理工場で気に入られ、安定した仕事を得る。住居もフランク少年の勧めで、母子家庭の少年の家のガレージで過ごすことができるようになり、平穏な生活を送ることができた。しかし、フランクの母親の恋人ドイルは、乱暴者で偏見に凝り固まっている。フランクは、ドイルを殺したい気持ちでいっぱい。そこで、カールはある決断をする。。。。という話。

ビリー・ボブ・ソートン(監督、脚本、主演)の徹底した役作りに拍手!内容うんぬんよりは、その印象がまず感じられた。

この映画のテーマは、「善と悪」であろう。
この映画の流れにしたがうと、殺人もやむを得ない場合は「善」になるような気になってくる。
アチキでさえも「そうだ!あんな奴生きる資格ないよ!」なんて思ったからね。
でも、よくよく考えてみると、何も殺さなくったってよかったんじゃないかなと思ってきた。(勝手ですが。。。)
フランクにしたって、フランクの母親にしたって、カールにしたって、果たして幸せになったのだろうか?
おそらく、フランク少年は、今後、自分とうまの合わない他者に対して攻撃的な解決をする傾向が出てくるだろうし、母親にしてみれば、嫌よ嫌よと言いながら「時々やさしいときもある」なんて言葉を言っているくらいなのだから、ドイルの事を心のどこかでは愛していたのかもしれない。そして、カールにしてみれば人を殺めたことに対して苦しみを感じることなるだろう。
時間を置いて、冷静に考えてみるとやはり、殺人という方法は最悪だったような感じがする。
夜逃げしてでも、離れて過ごすとか出来んかったのかな~。
警察。。。あっ、ドイルには、コネがあったっけ・・・。
ん。。。。難しいね。
でも、幸せになる事が目的なら、殺人はやっぱりマズイよな。
他の部分があまりにもいい話だったので、なんかスッキリしないな~っ。
アチキはやっぱりハッピーエンドの映画が好きです。

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「セッション9」

「セッション9」ブラッド・アンダーソン監督を観た。

ストーリーは、85年に閉鎖され廃墟となったダンバース精神病院の改修工事前のアスベスト(有毒物質=石綿)除去の為に5人の男達がやって来る。そして、その男達に様々な恐怖が襲ってくるというホラー映画。

いやはや、これほどつまんない映画をみたのは久しぶりだ。
「ブレア・ヴィッチ・プロジェクト」(これまた最低映画)と、恐れ多くもキューブリックの「シャイニング」をパクッただけでなく、精神病者を狂気で危険な存在。そして、精神病院を恐怖の館としてのみ扱っている極めて許しがたい映画であった。
こういう偏見に満ち溢れた映画が今だに作られているんですね。
確かに現代の精神医療というのは、まだまだ改善すべき点はありますが、優れた薬も多く開発されているし、人権への配慮もここ数年でとても行なわれるようになっています。
また、精神病を患っておられる方の犯罪率というのは、健常者と呼ばれている方と全く変わりないのが事実です。
「セッション9」のような、クズ映画に騙されないで欲しいものです。

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