大陸が眠るまで。

~10~





……がぁぁん……ごぉぉん……

うららかさに満ちた大気へ向けて、大聖堂の鐘が祝福の調べを奏でている。

今度目を覚ましたのは、僧坊のベッドでなければ、路上でもない。
気がつくと、これまでの人生で最もふかふかな布団にくるまり、枕に埋もれていた。
感触を惜しみつつ、周囲の様子を確認するために上半身を起こす。

「目を、覚ましたようですね」

声とともに一人の男が椅子から立ち上がり、部屋の隅を指して歩いていく。
薄暗い部屋の中で暖炉の灯がやさしく光の手を伸ばし、
マントルピースの上に置かれた薬缶は湯気を立てている。
顔よりは老いていない指が薬缶をとり、陶磁のポットに熱い湯を注いだ。
ポットの中で魔法のように色を変じた水が、今度はひび割れたカップに移され、
さらに、濃い琥珀色の液体が少量加えられた。

手から、手に、温もりを湛えた器が渡される。

「紅茶にあんず酒をたらしたものです。温まりますよ。
……ああ、熱いですから、お気をつけを」

口に含むと、舌を灼く熱と果実の爽やかな香りが、頭と心にかかったもやを取り払った。
当然起こるべき疑問に、バフォラートはようやく気付く。

「何故、わたしがここに居るのですか?」

「貴方が問うているのが、存在の理由ではなく……
この部屋にくるまでの経緯であるならば、答えられます」

椅子に深く座りなおしつつ、部屋の主――ハリスは笑って言った。
火のついたパイプの薫りが、さほど大きくはない部屋にゆるゆると拡がって、
書物のインクの香りと溶け合っていく。

「たまたま通りかかった手練れの冒険者が、ケタースヘルの最深部で、
血まみれで倒れていたあなたを発見して私のところへ診せにきたのですよ。
もっとも、頭部以外にたいした外傷はありませんでしたが……。
疲れていらっしゃったようなので、この部屋で休んでいただいていた、という訳でして。
ああ、それと、貴方の服は、ボロボロでしたので私が処分いたしましたが……」

もはや、バフォラートは依頼主の話を聞いてはいなかった。
これほどまでに心が温かく、安らぐのは、決して紅茶のせいばかりではないだろう。
充足。充ち、足りた状態。

窓の外に広がるクロノスの街並みは、いつにもまして美しい。



「……ところで、石はちゃんと処分してくれたようですね。
貴方は信頼できる冒険者のようだ。
よかった」

吐き出した煙に目を細めつつ、独り言のようにハリスは呟いた。

(もっとも、本当によかったのは――)

顔を動かさず、視線を水平に滑らせる。

古い濃紺のローブをまとい、湯気の立つカップを両手で持った若者の眼からは、
以前の、檻に閉じ込められた獣のような煌き、が消えていた。

(何か、得るところがあったのでしょう、きっと)

紅蓮の底でいったい何を得たのか、賢人の目をもってしても見通すことはできない。
それが本当に、得る価値のあるものなのかどうかも。
……それに、確かに手にしたと思ったものが、
まるで指の間から砂がこぼれるように消え失せてしまうことも、往々にしてあるのだ。

(それでも……今回のことはよかったと言えるのではないでしょうか)

たかが石の処分に、大枚をはたいた甲斐はあったと結論して、
老学者は何年ぶりかに感謝の祈りを口にした。




「赤い石」-完-




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