★ばりばり通信★バリBAGUSらいふ

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2002.12.10さよならアユ、ナンド


まず、私は人情長屋から引越しをした。かれこれ、1年半以上住んでいた、この人情長屋を出た。失恋の痛みで引越しを決意し、ダンボールにつめられた私の物の数々は、なんと半年以上もそのままだったので、(なんというものぐさ人間なんだろう!!)引越しはえらく簡単にすんだ。私が急遽引越しを決意した理由は・・・・・人情長屋の私の友人であり、家族のそうな存在だった、ナンドとアユが、親の住むボゴール(ジャカルタの近く)に戻ると決断をしたからだった。この二人のない、この長屋に住むのは、悲しくて耐えられない!!!と思った私は、なんとかして彼らよりも先にこの長屋を出ようと、急遽アパート探しを始め、おそるべきスピードで引越しをしたのであった。

彼らがこんな決断をしたのには、あのいまいましい、テロのせいだった。10月12日の事件以降、バリの観光客はめっきり減った。ホテルの宿泊率は10%ほどだという。ある大手の旅行会社の12月の受入予定は200人!!!通常であれば、1日に受け入れる人数である。レストラン、カフェは続々クローズするか、営業時間を短縮した。そうなれば、もちろん従業員にも影響が出てくるわけで、多くの人たちが職を失うか、給料減額という処置を否応なしに受けなければならなくなった。ナンドもその1人で、減額になった給料で、物価の高いバリで生活はしていけないと判断し、親のススメもあって、故郷に戻ることを決断した・・・といういきさつがある。ただただ、驚くのはそのスピードの早い事早い事。決断してから、なんと1週間以内には、彼らは故郷の土を踏んでいたのだ!!!ちなみにボゴール-バリは飛行機で1時間くらい、バスで30時間以上かかるのだ。8ヶ月のお腹のアユにはかなりきつい旅だったと思う。しかも、家財道具を郵便で送るお金を節約するために、彼らはほとんどの家財道具を一緒に運ばなければならなかった。

私は、ナンドとアユを見送るため、早朝4時におきて、一緒にバスターミナルに向かった。長距離バスのでるそのターミナルは早朝から、インドネシアのあちこちに行く人たちでいっぱいだった。いつのまにか、家族のような感情を持っていた私は、その朝 とても悲しくなり、この二人がいなくなったバリでどうやって1人でやっていくのか、途方にくれていた。それくらい、彼らは精神的に大きなサポートだったと、あらためて思い知らされた朝であった。ナンドとアユはまだ若い。二十歳やそこらで、しかもアユの中には子供がいて、これから一緒に家族を作っていこうとしている彼らを、ほんとうにたくましいと思ったし、励まされ、心配され、笑わされて毎日をすごしてきた。でも、あの爆発以降の、バリでの生活は、そんな二人にはかなり厳しいものだったし、ここにいれば、二人で乗り切れないくらい、厳しいものになるだろうことは目に見えていた。そうするしかないといえば、ない 二人の決断だった。ナンドは、私を1人ここに残して、見送られていくのは耐えられないから、先に帰ってくれ、そうしたら、僕たちが見送りが出来るから。そのころには、私は涙を押さえ切れずに、ただただ、アユとナンドと抱き合って別れを惜しんでいた。でも、私自身もそのほうがいいって思っていたんだ。だから素直に、最後の握手とハグで別れることにした。ナンドが私のためにタクシーを拾ってくれた。そして、私は見送りにいったはずなのに、二人に見送られてターミナルを後にしたんだ。

それからしばらくは、ビーチに行けば、二人のことを思い出し、カフェに行けば二人のことを思い出していた。でも、新しいアパートに移った私は、環境が変わって、悲しさも日ごとに薄れていった。

この間ナンドから電話がきた。日曜日の夜11時。いつもなら、みんなでアメリカのコメディを一緒にみている時間だった。でも、その日は私はいつものカフェでビールを飲んでたんだ。「何でテレビみてないの?」「だって、テレビはナンドが持ってたじゃない。新しいアパートじゃ、まだ一緒にテレビを見るほど仲のいい人はいないんだもん」
そして、また泣きそうになっていた。

年を取ると、どうも涙もろくなって困る。でも、その電話のあと、考えてたことがあるんだ。来年の1月アユの子供が生まれたころ、ボゴールに行って、ナンドとアユと、そして二人の新しい家族に会いに行くのもいいかなって。


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