ヒノデハヤマガタトス

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2020年06月15日
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カテゴリ: 四国の田舎街
ブログを進めていくためにいくつかの基本的な事柄をお話しする。






「高知城下町の特色」と「上士(上級武士)と郷士(下級武士)」についてである。






まず、 高知城下町の特色について。






高知平野を鏡川が西から東へと流れている。






その北側を幹線道路国道33号線が鏡川と並行して東西に延びている。






その国道33号線に土佐電気鉄道の路面電車が走っている。





停車駅は西から、上町5丁目、上町4丁目、 上町2丁目、 上町1丁目






次いで、升形、グランド通、県庁前、高知城前、大橋通、堀詰






さらに、はりまや橋、デンテツターミナルビル前、菜園場町(さえんばちょう)となる。







ここでお話ししたいのは、現在の高知市ではなく幕末の高知城下町の話である。






その範囲は、西は 上町5丁目から東は 菜園場町(さえんばちょう)であり、






南は鏡川以北、北は江ノ口川以南である。






高知は今も昔も大雨に見舞われる地域である。






現在のような重機も無かった江戸時代、鏡川が溢れそうになると鏡川の南側を決壊させて町を守った。






よって当時の町の南端は鏡川までということになる。






また北の端の江ノ口川も川自体が高知城の北と西の堀となっており、これを北限とする。





特徴としては西に郷士 (下級武士) や商人、中央に上士 (上級武士) 、東に 郷士 (下級武士) や商人が居を構えていたのである。






特に西の商人は以前から高知に住んでいる者たち、東 の商人 は他国から来た者たちに分かれていた。






東のはりまや橋も播磨から来た商人であろうし、すぐ近くには堺町という地名も現在残っている。






西の 郷士 (下級武士) や商人が住んだ場所は、上町5丁目から1丁目まで。






中央の 上士 (上級武士) が住んだ場所は、 升形から 堀詰まで。





東の 郷士 (下級武士) や商人が住んだ場所は、 はりまや橋から 菜園場町(さえんばちょう)までであった。






因みに、以前紹介した坂本龍馬、近藤長次郎は上町1丁目、上町2丁目であった。






ここは、以前から高知にいる商人が住まう場所である。






次に 上士 (上級武士) 郷士 (下級武士) についてである。






土佐国は長宗我部氏が治めていた。





長宗我部元親の時に四国を平定したが豊臣秀吉に攻められ土佐一国を安堵された。






その息子の盛親が関ヶ原の戦いで豊臣側の西軍に与したため、戦後土佐の所領は没収された。






長宗我部家に代って土佐の藩主となったのは三河掛川六万石城主であった山内一豊であった。






三河掛川から 山内一豊が引き連れてきた家臣たちが 上士(上級武士)となった。






一方、一領具足で有名な 長宗我部家家臣を 郷士(下級武士)としたのである。





この三河士の 上士 (上級武士) と土着士である 郷士 (下級武士) の憎み合いが土佐藩の運命を大きく左右していくのである。






今回は土佐城下町東端、菜園場町を少し北に行ったところにある「武市半平太邸跡及び道場跡」である。







武市半平太(瑞山)は 郷士 (下級武士) ではあったものの、 上士待遇を受けられる白札格であった。






しかしながら、 上士 (上級武士) の住まう城下町中心部には進出できなかったようだ。















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Last updated  2020年06月15日 06時00分07秒
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