2005年12月10日
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アッサラーム アライクム

イスラームに関するたくさんのサイトがネット上に、ムスリムによるものやノンムスリムによるものなど、多々あり、そこから様々な考えがあることを発見したり情報・知識などが得られたりと、とても便利になりました。
マーシャーアッラー

でも時としてあまりに枝葉末端に拘ったために基本を忘れてしまうこともあるようです。
なので、改めてイスラームの基本って何かということに焦点を当ててみたいと思います。

私たちが入信するときに言う言葉は
アシュハド ア=ッ=ラー イラーハ イッラ=ッ=ラーフ
ワハダフ ラー シャリーカ ラフ
ワ アシュハド アンナ サイイデイナー ムハンマダン アブドフ 

(私はアッラー以外に神はなく、唯一の御方であり、何も並び称されるものはないことを証言します。また、我らが指導者ムハンマド様がアッラーの僕〈しもべ〉であり、使徒であることを証言します)

 アッラーが唯一神であること、ムハンマド様(彼の上に祝福と平安あれ)がアッラーの命に従う下僕であり、アッラーの言葉を伝える預言者であり、アッラーから経典を与えられた使徒であること
この2点が基本です。

 ムスリムとノンムスリムの大きな違いは礼拝するかしないか(ハンバリー派は特にこの点を強調しています)なのですが、その礼拝時にムスリムはこの句を唱えます。
 義務の礼拝を一日5回する時に、ハナフィー派の場合はウィトルという礼拝をワージブ(ファルドとよばれる義務の次にくるやはり義務の行為)と捉えているので、一日に最低11回はこの上の句を言うことになります。
 この句を証人たちの前で唱え、入信するとそれまでに犯した全ての罪が赦され生まれたての赤ん坊のような無垢な状態になります。
礼拝と礼拝の間に犯した小さな罪は、礼拝をすることによって浄化されます。
やはり礼拝中にこの句を言うことで毎回私たちはシャハーダ(信仰表明)をしているからかもしれません。アッラーフ アアラム

入信時には以下のちょっと長めの句も言います。

アーマナ ビ=ッ=ラーヒ ワ マラーイカティヒ ワ クトビヒ ワ ルスリヒワ=ル=ヤウミ=ル=アーヒリ ワ カドリ ハイリヒ ワ シャッリヒ 
ミナ=ッ=ラーヒ タ`アーラー ワ=ル=バ`アセ バ`アダ=ル=マウト


 聖クルアーンに書かれていることは信じる、つまり疑わないそして従うということです。
 聖クルアーンの第33章40節に
《ムハンマドは、あなたがた男たちの誰の父親でもない。しかし、アッラーの使徒であり、また預言者たちの封緘である。》
と書かれています。
 アッラーは預言者たちをこの世にたくさん御遣いになったけど、預言者ムハンマド様(彼の上に祝福と平安がありますように)が最後の預言者だということです。

アティーウッラーハ ワッラスーラ
《アッラーと使徒に従いなさい》
と聖クルアーンに出て来ます。
聖クルアーンに書かれたこと、預言者ムハンマド様(彼の上に祝福と平安がありますように)の言行をまとめたハディースに従えということです。
そうすれば
《そうすればあなたがたは、慈悲を受けられるであろう》
(3-132)《アッラーとその使徒に従う者は、確かに偉大な幸福を成就する者である。》(33-71)

《あなたがたが信者ならば、アッラーと使徒に従え》(8-1)
ともあり、極端な言い方をすれば聖クルアーンを書き換えたり自分の都合のいいように勝手に解釈したり、預言者ムハンマド様(彼の上に祝福と平安がありますように)のスンナ(言行)を無視したりする者は、ムスリムとは言えないということになります。
逆に聖クルアーンに従いスンナに倣って生活しているムスリムを聖クルアーンを勝手に解釈したあとに作り出した自分たちの信条や法と異なるからという理由で不信仰者呼ばわりする者も、ムスリムとは言えないのではないでしょうか。
アッラーフ アアラム

ほとんどの法学派では
アシュハド アッラー イラーハ イッラッラー、
ワ アシュハド アンナ サイイデイナー ムハンマダン ラスールッラー
(私はアッラー以外に神はなく、我らが指導者ムハンマド様がアッラーの使徒であることを証言します)
と言って入信した者が礼拝を怠ろうとラマダーンの断食をさぼろうと不信仰者になってしまうことはなく、ムスリムであると考えています。(そうは考えない法学派があります。)
ただし、礼拝と喜捨はムスリムの証であることを示すが如く再三に渡り、聖クルアーンに書かれていますし、ラマダーン中の斎戒も明記されています。アッラーの命に従っていないことは火を見るより明らかです。
 それでも懲罰は私たちの役目ではなくアッラーの役目です。
私たちがするのは罪を犯さないように、お互いに励ましあい、助け合い、アッラーがお喜びになる行為を率先しあい、知識を与え合い、お互いに愛し合うことです。

もうすぐ巡礼月です。アッラーの御前では、財産も肌の色も美醜も体型も関係なく、一様に等価であり、それを証明するかのように縫い目のない二枚の布であるイフラームに包まれた巡礼者は、平等に一列に並んで礼拝します。
アッラーは私たちの姿かたちを見るのではなく、心を見ます。
心がいつも汚れなく、感謝する気持ちとアッラーを畏れ敬う気持ちで満たされていますように

ワッサラーム





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最終更新日  2005年12月11日 08時23分53秒


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