ふぁみりー・Kのおうち 別館

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結婚生活1年目


同期採用とは言え、臨採経験が豊富で人間のできたかっちゃんに対し、
はちゃめちゃな元気ととんちんかんなやる気だけが空回りしていた私とでは
クラスの様子も雲泥。

4月から、かっちゃんは持ち上がりで3年担任、私は3年の副担任でした。
(私に関しては、担任から副担に変更した学年主任を当時は恨みに思ったものでしたが、今思えば当然の人事です。振り返ると穴があったら入りたいほど赤面もののことをやっていました。)

その夏休みのこと、私は体調の不調に気が付きました。
かっちゃんとの初めての子どもを妊娠していました。
嬉しくて嬉しくて、二人ではしゃぎました。
はしゃぎついでに、「これからはそうそう行けなくなるよね?」と
黒部ダムを見に行こう、と立山の方に2泊3日の旅行に行きました。

帰るという日の朝、不正出血がありました。
慌てて病院に行ったところ切迫流産とのこと。
絶対安静になりました。
ところが、まだコトの重大さに気が付いていなかった私は、
普通どおりに仕事をしていたのです。

部活は器械体操部。
顧問になって4年目、やっと補助や理論が分かってきて面白くなり始めていた頃でした。
2学期になっても、授業も普通どおり元気だけを頼りに続けて…………


結果。再度の出血。入院になりました。
2週間ほど入院し、出血も止まったので一時退院したのですが、
結局3度目の出血。
もう薬では出血は止まらず、流産してしまいました。

9月21日朝。掻爬のため、登った分娩台。
暗く底冷えのした分娩室と冷たい器具。
「1,2,3,と数えて下さいね。」と言われて
15まで数えてから(看護婦さんたちがぎょっとしてたっけ)全身麻酔が効いて、
目が覚めたら病室の天井とかっちゃんの顔が覗いていました。


翌日、真っ赤に目を泣きはらして帰宅。
その晩、ベッドで二人抱き合いながら、泣きました。
かっちゃんがあんな風に泣くのを見て、自分の考えの甘さや経緯をどれだけ後悔したか。

今思うと、妊娠のごく初期から出血していた赤ちゃんでした。
そのあとの3人の出産時も切迫はやっていたけれど、
状況は比べてみるとやはりとても弱かった赤ちゃんだったのかもしれません。
医者にも、母胎と胎児とどちらに原因があったのか分からない、と言われました。

全妊娠の1割が流産するといわれています。
失った赤ちゃんは生まれてくる力がなかった赤ちゃんだったのかもしれません。
でも、だったら、なおさら大事にしてあげなければいけなかった、と今でも自分を責めています。
生まれていたら、1994年4月に産声を上げていたはずです。そして、2006年現在小学5年生。
男の子だったか女の子だったか、それを聞く勇気さえなかった12年前。
もし生まれていたら………考えても答えのない問いです。


その年、私は副担任として初めて3年生を卒業させました。
教師になって4年目が終わろうとしていました。


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