「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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雑記、問いかけ
母から後に聞きました「離婚しようとしたけれど、一度あんたを連れて逃げられず、父親からJ(私のこと)は渡さん、と言われたから離婚できなかった、だから元に戻った」それを聞いて以来、私のせいで母は離婚できなかったのだと思いました。
仕事に失敗し周りに迷惑をかけ、父は母と3歳の私を連れ、生まれ住んだ島を出ました。夜逃げ同然だったと、後ほど、父の兄弟から、父の葬式の時に聞きました。2021年のことです。
私は、3~5歳まで、母の勤める幼稚園へ通いました。母の仕事が終わるまでの時間つぶしに、幼児科の音楽教室へ入れられました。そこでスキップの時間がありました。私はできるけれど、人前でやることが恥ずかしくてできなかった。それを母に言うと、母は怒り、一人で外に出されました。夕方、車の周りをずっとスキップするようにと、私は泣きながらしました。
5歳頃、私は初めて、父が母に暴力をふるっている時、父の前に立ちました、「やめて」と言いました。すると父は、私を投げ飛ばしました。
それ以降、母に暴力を振るう時には、隣の部屋で布団の中に隠れる私を怒鳴って呼び出し、一緒に怒鳴られ叩くようになりました。
父は私に言いました「お父さんが外国へ行ってもいいのか?」私は「遠くへ行ってほしい」と思ったけれど、「いやです」と泣きながら言いました。
母は「あんたとは一心同体だからね」と私に言いました。だけど、「お父さんと私は他人だけど、あんたは血がつながっているのだから、あんたはまともな人間にはならない」とも言いました。
言う内容は母のその時の気分で変わったんだと思います。父の暴力のあと、父が外出すると母は、食器類を流しに叩きつけて割るようになった。そして私に、強い言葉で当たるようになりました、小学生低学年の頃からです。
父の暴力で、自宅の家具のガラス戸は殆ど割れました。多くの物が投げられ壊されました。湯舟からお湯を部屋に投げ入れるようにもなったので、長年かけて床はふよふよ、抜けそうになっていました。
母の行動により、食器も減りました。
父や母のDV、私に対する暴力、「ごめんなさい」と謝らせられる、怖くて泣くと「泣くな」と怒鳴られ叩かれるので、
泣き始めたらいつも私は、自分で自分の体や首を絞めたり、口をしっかりふさいだりして、泣いていないように、泣きやむように、いつもしていました。
父は自分で商売をしていたようでしたが、借金が多くあったようです。
夜の電話口で、「無いから払えんと言っとるでしょうが!」と、よく怒鳴る声に恐怖しました。
酒に弱く、機嫌が悪い時に飲むと必ずDVコースでした。
また、父は学問は出来る(特に理数系)方だったようで、私を急に呼びつけては「勉強を教える」と言って数学や物理の説明をし始めました、
しかし私にも都合があります、今は困る、という素振りを見せ機嫌を損ねると、お茶をかけられる、怒鳴られる、殴られる、蹴られる、やはりDVコースでした。
父が帰宅することが私の恐怖でした。
仕事で魚の生け簀を作っている事もありました、重い生け簀の四隅を持たせられ、運ばされもしました。
外から名前を大声で呼ばれるのです、恐怖です。
母も勿論手伝わされる、生け簀を落としたら怒られるので母も必死に持っていたけれど、
ある日生け簀の塗料の固まって尖った部分が母の足に当たっていたようです、それでも母は我慢して持って、
脛辺りがどんどん切れて血が流れ、母の足には20センチほどの長い傷が出来ました。何もかもが恐怖でした。
母は機嫌が悪くなると、私の悪口をずっと言い続けました。6年生頃にラジカセがあったので、録音しました。60分以上、怒っていました。
中2の時、私は14歳、私は父を亡き者にしようかと考えていました。「今だったら、よく分からないけれど、子供の法律があるはずだ」と思ったので。
母に「離婚しようよ」と提案してきましたが、母はみっともないから、とか適当にごまかし動きません。
でも父の暴力の後は、同じことの繰り返し、長女である私が父を何とかするしかないと思っていました。
でも、できませんでした。
やっぱり、できませんでした。寝ている父と大きな置時計を見ながら、「無理、殴れない」と諦めました。
貧乏なため、妹(F)は生まれてすぐ、母の実家に預けられました、そこは裕福。Fは蝶よ花よと可愛がられ、私が夏休みに会いにいくのですが、寝ているFを起こしてしまい叔父から酷く叱られました。私が7歳頃、叔父はグレープフルーツをFと一緒に食べました、私の前で。私は食べたことありません、貧乏なので。でも、叔父は私にはくれませんでした。
私は、Fの姉というよりも、短期間やってきた他人の家の子、もっと言えば、召使のような身分に思えていました。
Fとの待遇があまりにも違っていたからです。
それでも、母の実家にいる間は、父のDVの危険だけはありません。
家に帰る日には、帰途に就く船の中、島(父と同じ島です、母の実家も)が離れていくことに耐え切れず、母に気づかれないように、船室の毛布を被っていつも泣きました。
Fは3歳まで、母の実家で育ちました。そして、うちへ来ましたが、私はどこかずっと違和感がありました。実際Fは明るい、姉は暗い、などと言われることもありましたし、彼女は全てにおいて私よりも優れていると何十年も思っていました。
5歳の時に、幼稚園の建て替えの話を聞きました、私は寂しくおもったので、その大工さん?か誰かに、私は「いやだなあ」と言いました。そこに母もいたので帰宅して酷く怒られました、そんな事、思った事を他人に言うな、と。
母から言われていました「家の恥は絶対に外で話すな」と。小学生の頃からずっと。
小1、母が横で勉強を見ながら課題をする。私の書くのが遅い、と言って鉛筆を母が握り、私には答えだけ言わせて代筆することも多かった。私は、家での勉強時間になると、お腹が気持ち悪く、変な痛みが続いていました。我慢しました。
小2、私は骨折しました、が母は「捻挫」と言ってずっと湿布を貼られていました。ものすごく腫れて痛かった。それが骨折だと知ったのは、26歳になった時です、転んで整形外科でレントゲンを撮った、医師は「骨が欠けています、とても古い傷です、大昔に骨折しませんでしたか?」と私に尋ね、分かったのです。
8~9歳頃だと思います、私は母の日に初めてエプロンをプレゼントしました、悩みに悩んで店員さんにおすすめされた物を買い、プレゼントしました、母は「好みじゃない」と言いました。今でも私は人にプレゼントをするのが苦手です。貰っても迷惑なのでは?と考えるからです。
食事の時間が最大の恐怖でした、いつ父からの手が飛んでくるか分からないから。
それから「ちゃぶ台返し」という言葉。あの瞬間の恐怖と、時間が一瞬止まったような感覚。
自分も手伝い、すり鉢で母と魚のすり身を作ったお吸い物が、めちゃくちゃになってカーペットに転がり水分が吸収されていく様を、リアルに知る人、想像できる人はどれだけいるものなのでしょうか。
小3か小4からです、特に寒い季節、私は時々息がゼイゼイいって苦しくなり、気道が狭くなってゆく感じで呼吸がほぼできなくなり、そのまま多分気絶している機会が何度もありました、親はそれを知りません。これも、私が大人になってから「喘息だったのだ」と知りました。今も喘息で薬を使っています。
小5頃には、自分でも明らかに、他人よりも体力がない、身体が弱い、疲れる、を自覚していました。一度、病院へ連れていかれ「自律神経失調症」と言われました。10歳です。それを父が知ると酷く怒って「お前が外で遊ばないからだ」と、私は責められました。遊んでいる、と言うと、「口答えするな」と更に怒鳴られました。
中学入学すぐの健康診断で、「貧血」「不整脈」と言われ、それから毎週の通院、薬は毎日8種類、体育授業はほぼ見学の生活が始まりました。でも父の暴力は続いていたので、学校にいる方がましでした。
小学生、高校では顕著ないじめも経験したので、どこにも居場所を見つけられませんでした。
中学時も辛い事は多かったけれど、明らかないじめは無かったので、学校にいる方がましでした。
線路を挟んですぐ向こうに中一の時の担任の先生が住んでいました。
そこへ走って逃げたことがあります、夕方だったので、先生は帰宅していませんでした。
高校の時だったか、いつものように父と母が揉め、母は自分の手首に包丁を近付け「死ぬ」と言いました。
その頃にはもう私は「父だけが悪いわけではない、母は性格が捻じれており、自分では動かず、全てを他人のせいにする、父と結婚したのでさえ母の父(祖父)が良いですよと言ったのに従っただけと言う、自分で自分の責任をとれない人」と思っていました。
時々剃刀を手首に当てている姿を見たことがありました。
どうせできない、母は。
だから私は「じゃあ、死んだら?」と言いました。
父母は一緒に私を非難し始めました「お前は冷たい奴だ」と。
授業中でも倒れることがありました。それでも、家よりはましでした。
貧乏だからという理由で、公立高校にしか進学できない、それも親の見栄で、ある程度のレベルの進学校を選ばざるを得なかった、滑り止めの私立は、担任の説得により受験できましたが、合格後の手付金(?)を払わなかったので、結局は県立一本と同じ状況でした。
大学受験も同じ理由で、「家から通える国立四年制大学のみ現役で合格」しなければならなかった。就職はさせてもらえなかったし、出費を抑える為に滑り止めの大学(高校の担任が親に、受けさせるよう説得したので一応受けた)の入学金も払っていない、国立に落ちてはいけない、浪人はお金がかかるから予備校など行かせない、現役合格のみを突き付けられていた。
夜中も勉強しながら、時々泣きました、自分は何故こんな事をしているのだろうと思って。
私立の短大なら2年で卒業できる、短大は駄目か?と尋ねました。親は言いました「私立短大と国立4年大の授業料の総額は大体同じ。だったら2年で払うより4年で払う方が、一回に払う額が少なくて済む」。
冬場、足元に電気ストーブを置いて勉強していたら、そのまま眠ってしまい、痛みで気がついたら左脚の向こう脛全体に水ぶくれができていました。母に言うと、アロエを貼れと言われた、そのまま通学し体育の授業を受けた、平均台から飛び降りなくてはならず教師は怖い人間だったので、飛び降り、水ぶくれは全て破れました。
受験は、親の望み通り受かった。大学へは片道2時間かかることを理由に私は、やっと家を出ることができた、
大学の寮に入った。でも、私は音楽方面に進みたかった、ピアノの調律師の専門学校に本当は行きたかった、だめだと言われ諦めた。
大学4年の夏、私は退学しました。楽器の講師になるため、オーデションを受ける勉強を始めたのです。大学との両立はできませんでした。事後報告で親に退学を告げました、なぜ夏に辞めたかと言うと、後期の授業料を払わずに済むからと考えたからです、親の出費を減らせるから。
大学までは親の希望通りに進んだのだから、仕事くらいは自分で決めたいと思いました。父に殴られ目のまわりにアザを作ってレッスンに通ったこともありました。先生は、この世界はコネが全てだよと、言いました。オーディションに受かり、講師になりました。演奏の仕事もしました。急いで沢山の事を学ぼうとしました。同じ楽器の先輩には少なくとも3年間、いじめを受けました、音楽の仕事の世界で、汚いものをたくさん見ました、体験しました。今は、楽器店や音楽の知り合いなどと一切関わらず、自宅のレッスンのみ、ひとりで行っています。
幼少時より、突然力が抜けたり、動悸がしたり、疲れたりしていましたが、34の時に医療事故に遭い、酷い攻撃(「あなたは精神病だから言う事はあてにならない」という医療過誤した医師による言葉、カルテに赤字で「精神病」と書き加える、証人である助手を辞めさせる、大学病院の繋がりを使って裏側から探らせる他)などを受けながらも、
弁護士さんの指示の元、証拠集めなどをして2年後に示談が成立「よくがんばったね」と弁護士さんが最後に褒めてくれた、涙が出ました。
人とはもう、あまり関わり合いたくありません。今現在、友好的に関わっている数少ない方々がいる、私はそれで十分なのです。人脈を広げたいとは思いません。
過去に、友人や仲間というような関係が存在したこともあったかもしれませんが、大体において私は初めは「癒される、人柄がいい」などと言われます、でも、それは「私の言動がその人にとって都合が良い」間だけです。色々なことに耐えて、初めて反論や意見すると、途端に相手は怒り離れる、周りの人に私が悪いと触れ回る、そんなことばかりされてきました。人間はこの世で最も怖い生き物だと思っています。
私は、自分の限界がいまだにわかりません。「きついな、疲れてるな」と思っても、「いや、まだ倒れてないから大丈夫、疲れたなんてわがままだ」と思うのです。母の施設での生活費の為に、父の申請を行ったのは、私です。それも2023年から始めて、認定がでるまで約2年でした。やりきった、母の今後は心配ない、私の役目も終わったと思いました。
Fは、父が入院した時ではなく「死んでから」私に知らせたし、葬式も当然のように喪主になって「大変でした」と挨拶していました。
勝手に決めて母を引き取り、申請もほぼ手伝わず、二年後には私に知らせず勝手に施設に入れた、そして、孫の制服を見せるためだけに一回面会、そのあとは一度も面会せず。「一生会うことはないと思う」とは何度も聞いたけど、Fから「母に会いたい」という言葉を、一度も私は聞いていません。
私に「成年後見人になったら?」と言ったのはFなのに、いざ私が後見人の手続きを始めようとすると、無視し引き延ばし、必要書類を渡さず、急いで母に面会に行って「自分は母から直接聞いてないから姉の言う事は嘘」と言う。
私は、自分が何か間違った事をしているのではないか?鏡を見て、毎日問う、私は悪い人の顔になってはいないか、大丈夫なのか。穏やかな顔でいられているのか。
申請の認定をもらい、母の生活の心配はなくなり、妹も母の施設費の不安はなくなり、自分の人生での役目は終了した、と、思っていました、このために私は生きてきたのだなと思いました。それは満足な気持ちではありませんでした、心に穴が空いたような感じでした。Fにもそれを伝えた事がありますが、いつもの様に無視でした。
が、母の「自分のことは全てあんたに任せたい」という意志を受けて、後見人になる手続きを始めました。そしてFの妨害が本格化しました。
私は、大変な人生を送ってきたのでしょうか。同級生、周りの子たちとは違う感じはしていました。
因果応報とか、自業自得とか、そういう言葉がありますよね。私は、それだけ虐げられるような事をしてきたのではないのですか?
私は穏やかに平和に、「人並みになる」のが人生の目標でした。最後の敵、いえ、もはや敵対という気持ちもないのですが、そんな敵のような存在が「妹であった人」であるのが、残念で悲しいです。
私は虚弱です、だから、自分がそんなに長く生きれるとも、長生きしたいとも思っていません。だからこそ、人生の最後の何年かくらいは、穏やかでいたいです、敵はいらないです。理不尽に攻撃されたくない。
だけど今では、Fに「母を誘導して自分を悪人に仕立て上げた」と憎まれています。
(追記)
12/26、施設との面談で母の契約者が私に正式に変更できました。
その後、面会で母にその事を伝えると「これで本当に安心した」と笑顔で、喜んでくれました。
来年の春は、玄関先の桜を一緒に見ようね、と約束しました。
母は必要な委任状などを、一生懸命に何枚も署名してくれました。
Fが必要書類などを素直に渡してくれれば、母にこんな作業をさせる必要はなかった。
気付いているのかいないのか、今となっては分かりませんが、
私の邪魔をしているつもりのFは、
「母の意志で行っている手続きを妨害している」状態になっている。
人は不思議に思うのでしょう。実際「どうしてそんなに母に献身的になれるのか?」と訊かれました。
訊かれて初めて私は「え?これは献身というの?当然することをしているだけだと思ってた」…自分のしている事、を振り返って考える機会を得ました。
母は長年、いわゆる「毒親」だったのでしょう。父だってそう。
だけど今、父は死に、母は私よりも小さく、小さくなりました。
私は幼少時から親にされてきた事を思えば、母を見捨てても良いのかもしれない、
その選択肢だってあるのでしょう。
だけど私は25歳の時に一度、決めたのです、「この家庭内を平和にしたい」と。
特に「母はせめて死ぬ前の5年間でも良いから、ちゃんと蛇口ひねるとお湯が出る生活をさせてあげたい」
母は、今やっと何の心配もない場所に生きることができています。
母は昔、私に謝りました「骨折してたなんて気づかなくて、ごめんね」「あんたにはずっと苦労をかけてごめんね」
父は、私が医療事故に遭った時、これからの自分の島暮らしの為に貯めていた50万円を、弁護士の相談費用にくれたのです。
そんな恩もある。親だから当然、なのかもしれない。けれど、事情を知った母に「弁護士が出てくるなんて怖いから、あんたはしばらく島に行って静かに暮らしなさい」と言われた私にとっては十分ありがたかった。
私は、4人家族揃っている内に家庭内平和を実現することはできませんでした。
一度「そんなんだったらいつまでも3人で仲悪く暮らせばいい」と言って、それから3年間ほど実家へ寄り付かなかった時もあります。
父は「自分の気持ちを分かってくれるのはJ(私の事)だけ」と言っていたそうです、多分そうだろうなと、今でも私は思います。
Fと母はずっと何かを競っているように私には見えていました。
Fの夫は私に「僕がお義父さんだったら(母を)捻り殺していますよ」と言いました、その時の恐怖は、半年以上経った今も消えません、Fに何度か訴えましたが「〇〇さんは、良い人じゃないよ」「〇〇さんは、家族には優しいよ」と答えるだけでした。その他、様々な事も重なって「この子との意思疎通はもう無理だ」と、諦めました。
私は、Fへ送った最後のメールに「私は3人で笑える日がくるのを楽しみにしてた、それだけでよかったんだよ。さようなら」と書きました。
もう一生、会うつもりはありません。
私の心の中では、既に「妹がいた人生」は終了しました、
後は手続きが完了し、時々、母と笑って過ごせれば私は嬉しい。
これまでの人生、私はもっと賢い立ち回り方があったのでしょうか、
今でも分かりません。
面会時に母は「施設の人にも、私なんかにこんなに優しくしてもらっていいのかな、と申し訳なく思う」と何度も言います。そして私の事も心配してくれます。
時々「前に住んでた時の事を思い出して怖くなった」と私に訴える時もあります。
母は「Fの夫が怖い」「私は同居などしたくなかった」と、私に言う頻度が増えている、
「誰にも言えない、あんたにしか言えない」と、訴えます。
私にはどうしようもありません、ただ、
「怖かったよね、でももう大丈夫だからね、私がいるからね」と言って背中をさすったり手を握ると安心してくれます。
そんな母に、私は先日も言いました「お母さんは、いっぱい苦労したんだから、その分を今から取り返そう。
お母さんは、優しくされていいんだよ」
(正確性の確認の為、AIに複数回尋ねる。)
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