今日も元気だ、珈琲が旨い!!

今日も元気だ、珈琲が旨い!!

2009.03.09
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類



キリスト教会にとってはこの季節、イエスが十字架に向かう40日間を思って内省と節制に務めるわけですが、この時に受難曲を聴けたのは良かったです。


三澤さんご自身がカトリックの信者なので3月の定期演奏会に受難曲を選ばれたようです。

毎年、四旬節の最後の週は聖週間といい、ロバに乗ってのエルサレム入城から始まり、木曜日は聖木曜日で弟子の足を洗うという式をミサのなかで行います。

パンを割いて食べた最後の晩餐もこの日で、これがミサの原型となっています。

金曜日はいよいよ裁判と十字架の場面です。

ヨハネ受難曲はこの聖金曜日の出来事をヨハネ福音書に従って描かれています。
始めにユダヤ教の宗教裁判、しかし当時のイスラエルはローマの支配下にあったので死刑にする権利はなくローマ総督ピラトの元に引き出し、死刑を願い出ます。

ピラトは何の罪があるのかと迫り、イエスにも尋問を行います。群集は『十字架につけろ!』と叫びます。じつはここのコーラスの場面で思わず一緒にリズムを取りそうになりました。ミサの中では最もやりたくない箇所なのに!。



三澤さんは律法学者やパリサイ派の指導者が群集(コラールを担当する合唱団)を扇動するように激しく指揮をし、一方でイエスを慕うアリアやコラールを天使のように指揮します。またレシタティーブォ(ナレーション部)の場面では竪琴の語り部のようにチェンバロを自ら弾いて福音史家を盛り立てます。

三澤さんがいうバッハのシンメトリー構造はまさに生身の人間の中にある善と悪を著しているのでしょうし、実は指揮者自らが受難曲の中でそれを演じているわけです。引き裂かれた魂の苦悩。

群集から平手打ちにされたり、ローマの兵士からいばらの冠を被せられたり、緋のマントを着せられたりとあらゆる屈辱を受けながら処刑場があったゴルゴダの丘にむかいます。

背負わされた十字架には「ユダヤ人の王」というかけ札がついています。これは群集が『「ユダヤ人の王」と自称した』と書き換えるように要求したものをピラトがそのままにしておけと命じたものです。

そして十字架につけられ息を引き取ります。ここがクライマックスですが、そのときのイエスの言葉は「渇く」であり「成し遂げられた」なのです。消えいるような声で歌われるわけですが、おそらくどう表現するか苦労する箇所でしょう。

弟子たちやゆかりの人びとが遺体を引き取り、香油などを塗って遺体を墓に納めます。

ヨハネ受難曲はそこで終わります。

受難節に演奏された受難曲だからまだ復活の場面がないのですね。

コンサートとすればちょっと微妙な終わり方になるのですが、それが正しいわけなのですね。

ヘンデルの『メサイア』とは違うわけです。

とても完成度の高い受難曲でした。いつか四旬節のなかで教会で聴きたいものです。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009.03.09 23:50:18
コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

blackcoffee11

blackcoffee11

バックナンバー

2026.06
2026.05
2026.04
2026.03
2026.02

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: