「ア・ハード・デイズ・ナイト(A Hard Day’s Night)」は、90年代、『リヴァー・オブ・ドリームス』リリース後のツアーの様子からの1曲。演奏自体はわりとスタンダードにこのビートルズ・ナンバーをこなしているのだが、観客の様子からもその盛り上がり具合が伝わってくる。筆者もこの頃のビリー・ジョエルの大規模コンサートを見ているが、何より盛り上げ方がうまかった。つまりは“エンターテイナー”として頂点に達していたということだろう。既に大物ミュージシャンとしての地位と人気を確立し、その中でコンサート・ツアーをやり、聴衆をどう満足させるかを心得ている。それゆえ、ライブの流れも突発的というよりはある程度計画的で、ここは聴かせる場面、この曲からこの曲まではひたすら盛り上げていく、などというイメージがはっきりしていた。そんな中、この「ア・ハード・デイズ・ナイト」は、あの大物ビリー・ジョエルが、かの過去の偉大なバンド(ビートルズ)のナンバーを取り上げ、観客を盛り上げる場面で演奏されたであろうことは想像に難くない。ライブの場にいて聴いた人たちは“にくい選曲をするね~”と思わず呟いたことだろうな…。
もう一方の「バック・イン・ザ・U.S.S.R.(Back in the U.S.S.R.)」は、もう少し前の音源で、87年に当時のソビエト連邦(現ロシア)で行われたコンサートの模様を収めたライブ盤(厳密には、モスクワおよびレニングラードのライブに加えてテレビ収録音源も含む)に収録されている。こちらの選曲は“ビートルズだから”というよりも“曲の内容がU.S.S.R.(ソ連)だから”という理由に拠るのだろう。というのも、冷戦時代・社会主義体制化の時代背景からすると(無論ベルリンの壁も崩壊する以前)、このコンサートが行われたこと自体、驚きに値するものだった。アメリカ合衆国の大衆的大物ミュージシャンがソビエト連邦でコンサートを行う、これだけで大ニュースだった(なお、同年にはビリー・ジョエルの直前に他のミュージシャンたちの合同コンサートも行われたソ連/ロシア音楽界にとっては記念すべき年だった)。ビリーのものも、ナーバスな雰囲気の中で計画されたコンサートだったろうし、実際いくつかの問題も起きたようだが、ビリー・ジョエルはいつもと変わらぬエンターテイナーぶりを発揮し、ソ連にちなんだこの曲も披露した(ありきたりな「~U.S.S.R.」じゃなくて、本当は「シー・ラブズ・ユー」をやりたかったとの話もあるらしいけれど)。