私と野球の出会い。

■プロローグ
■塾で
■塾から帰宅して
■アサヒグラフ

■それから
■笑えるエピソード
■その後


■■■プロローグ■■■

それまで野球と全く接点がなかったわけではなかった。

母はスポーツが好きだった。中でも野球が好きだった。
毎晩スポーツニュースを見るのを楽しみにしていた。
夏は毎晩熱闘甲子園を見ていた。時折私も一緒に見ることもあった。

その母の父親、即ち私の祖父は野球をしていた。
高校時代、甲子園の切符を手に入れ、甲子園球場に向かう時、駅のホームで戦争により選手権大会中止の報告を受けたという。
今でも私が「野球をしてた時の写真を見たい」と言うと、奥にしまってあるアルバムを嫌な顔ひとつせず(むしろ嬉しそうに)取り出して見せてくれる。

2人の弟は野球をしていた。
すぐ下の弟が野球を始めたのは母とのキャッチボールがきっかけだ。
末の弟が野球を始めたのは、兄の影響だろうと思う。
母が弟の試合を観に行く時「朋ちゃんも行く?」と言われたこともあった。
私は行ったのかどうか全く記憶がないのだが、行ったとしても覚えてないということは、興味がなかったということだろう。

このように、野球との接点はなくはなかった。
しかし、特別好きなものでも嫌いなものでもなかった。


私が野球を好きになったのは小学校6年生の夏だった。


■■■塾で■■■

小学校6年の夏休み、週に2回ほど塾に通っていた。

夏休みもあと数日で終わるというある日、いつものとおり塾に行き自分の席に座った時のこと。
仲良しの友達と話をしながら荷物を机の下に置こうとすると、何か入っていることに気付く。
取り出してみると1冊の雑誌だった。

「アサヒグラフ」

表紙に赤い字で書いてあり、野球選手が抱き合っている写真があった。

「何、コレ。」
友達と二人でパラパラとめくっていくと、すべて野球選手の写真。

そこで私はある一枚の写真を目にする。

背番号1の選手が下を向きながら歩いている写真。
汚れていない白いユニホームに身をつつみ、左手にグローブをはめて、下をうつむき歩いている選手。
そして茶色の地面の上には影が長くのびていた。


その写真が私の心の中に残った。
もう一度その写真が見たい。
それに、もっと他の写真も見てみたい。
その雑誌がどういうものなのか、その野球選手が誰なのか。
何もわからなかったが、もう一度その写真が見たい。

自分でも驚くほど強く、そう思った。


■■■塾から帰宅して■■■

塾から帰宅すると、母がリビングにいて、一人で何かムシャムシャ食べていた。

「本で、ほしいのがあるんだけど」

帰ってきて早々、母に言った。

『漫画でしょう~。』

当時、漫画の虫といわれるくらい漫画を読んでいた私に、母は言った。
漫画以外の本ならホイホイ買ってくれる母だったが、漫画に関してはちょっと厳しかった。

「違うよ、アサヒグラフっていうやつ。」
『あら、そう。じゃあちょっとA書店に電話して聞いてみようか。』

A書店というのは私の両親の知人がしている書店で、ここだと「ツケ」もきくので、本を買う時はいつもA書店だった。

『あのねぇ、うちの娘がアサヒグラフっていう本がほしいっていうんだけど。どんな本かもわからないのよ、あるかしら?』

母がA書店に電話で確認すると、在庫があった。
私はA書店までの片道徒歩10分の道を、歩いてアサヒグラフをとりに行った記憶がある。


■■■アサヒグラフ■■■

1991[甲子園の夏] 
大阪桐蔭優勝!  第73回全国高校野球選手権大会

表紙にそのように書いてあり、2人の野球選手が抱き合っている写真。
あぁ、これだ。塾の机の下に入っていた雑誌。

アサヒグラフは甲子園が終わり、すぐ発売された雑誌だったらしい。
私が購入した時は、発売してまだ2,3日しか経っていなかった。

ページをめくっていくと、私が「もう一度見たい」と思っていた写真が目にとびこんできた。
背番号1の白いユニホームの選手が、地面に長い影を落として歩いている写真。
あぁ・・・これだ、この写真だ・・・。
私は嬉しくてしょうがなかった。


’91アサヒグラフより。
↑これが、その写真です。


勿論、私は隅から隅まで、何度も何度もその雑誌を読んだ。
選手の名前も、出場した高校の登録選手は、ほとんど全員覚えていたかもしれない。
それくらい熟読したものだった。


アサヒグラフを見ながら、終わってしまった甲子園を見たいと思った。
高校野球のTV中継を見てファンになる人は多いだろう。
しかし私は「写真」から好きになり、好きになってから初めて高校野球を観戦することになる。
今考えると、ちょっと異色である。

その後、甲子園は年に2回あること、夏は各県の代表校が集うけど春の選抜大会は地区大会で良い成績を残さなくては出場できないことなどをその時に知る。
そしてそこから、両親も弟たちもビックリの「野球狂」になる。


■■■それから■■■

それからというもの、野球を見るたびに母や弟に野球のルールを聞きまくった。
母は私に根気よくルールを教えてくれた。

ボールが4つになったら、次の塁に進めること。
ストライクが3つになったら、アウトがひとつ増えること。
アウトが3つになったら、打つチームと守るチームがかわること。

そんな基本的なところから学習していき、エンドランだとか、スクイズだとか、ちょっとした細工(?)までわかるようになっていった。
とにかく母がわかりやすく教えてくれた。
たまに母も「アレ、どうだったっけ・・・」なんてこともあり、そういう時はすぐ下の弟に「ねぇ、あのルールってさ・・・」と、聞くこともあった。


今でこそ野球全般見るが、その時はとにかく、高校野球が好きだった。
よく高校野球の代名詞になるが、「筋書きのないドラマ」だとか、そういう感動に惹かれた。
熱闘甲子園を見て、敗戦した選手が泣いているところを見ると、私まで泣いていたり。(笑)

弟たちが高校に進学する頃になると、高校の野球部の裏事情なども耳にするようになる。
また、試合に関しての裏事情なども知るようになってくる。
そうして、だんだんと高校野球は決して感動するだけのものではないということも認知しだす。
色々な汚い事情も絡んでくることもある。
それらに疑問を抱かずにはいられないし、憤りを感じることもある。

しかし球児が甲子園を目指して頑張っていることは事実だし、そのひたむきさには胸を打たれるし、応援したいと思っている。
そして疑問を感じる点などをひっくるめても、やはり高校野球は好きかな、と思うのだった。


■■■笑えるエピソード■■■

私の野球の出会いとは関係ないのだが、笑えるエピソードがあったので、紹介。
私の母が、おじいちゃんの野球をしていた頃のことを、ひいおばあちゃんに聞いていた時のこと。

母「お父さんは、野球をしていた時、どこをしていたの?(守備はどこを守っていたの?)」

ひいおばあちゃん『えぇっとねぇ・・・おばあちゃんも良く知らんけどねぇ・・・たしか・・・打つのをしよったよ』

母「・・・そっかぁ・・・(おばあちゃん・・・打つのは全員するよ・・・←心の中で)」

これには私も笑ってしまった。


■■■その後■■■

プロローグで触れた人たちのその後のおはなし。

①母
相変わらず野球は好きで、夜のスポーツニュースは欠かさず見ているようだ。
以前からプロ野球では特に好きなチームはなかったが、今もそれは変わっていないらしい。
TV中継などでは「負けているチーム」を突発的に応援している。
母は結婚前デサントに勤務していたこともあり、スポーツ全般好きである。
私と末の弟はその影響を大いに受けた。

②祖父
祖父は甲子園を見て涙ぐむことが多い。
自分が高校時代に踏むはずだった甲子園の土。
球児たちがプレーしている姿を見て、いろいろな思いを馳せているのだろう。
祖父が授かった子ども(私の母にもあたるのだが)は、3人とも全て女だった。
男の子が生まれたら野球をさせたかったと祖父もいっていた。
しかし祖父の想いが天に通じたのか、孫にあたる弟たちが野球を始める。
弟が高校生になると、祖父は、祖母を車の助手席に乗せ、よく弟の応援に行っていたという。
弟の試合の出席率は、母より良かったと思う。

③弟2人
すぐ下の弟も末の弟も、地元ではそれなりに有名な選手だった。
2人とも小学、中学、高校と主将をしていた。
高校は公立だったが、名門といわれているところで、2人とも、在学中はそこそこの成績を残している。
すぐ下の弟が大学で明治神宮大会に出場した時、私も観戦に行った。
末の弟も大学の野球部の友人ときていた。
優勝候補とも言われていた大学に勝ち、試合後に球場の外で姉弟3人でバカ盛り上がりしたのを覚えている。
末の弟は現在2年生。リーグ戦でベンチ入りしたら雑誌に顔写真つきでのったりするので、以後チェックしてみてください。
(そしてコイツか!?と思った選手がいたら、私書箱にメッセージください。笑)

④塾におきわすれてあったアサヒグラフの持ち主
塾に忘れられていた「アサヒグラフ」は、当時中3の野球をしていたお兄さんが忘れていったものだと判明。
その人はその後鹿児島実業に入学し、勿論野球部に入部、そして甲子園に出場していた。

⑤私のアサヒグラフ
何度も読み返したので勿論ボロボロに。
表紙も裏表紙も背表紙もとれかかっているのでセロハンテープで補強してある。(笑)
しかしそんなボロボロになりながらも、今もまだ持っている。

高校卒業後、上京する時に荷物をまとめながら、コレだけははずせないと思い、アサヒグラフは荷物の中にいれたほど、思い出深い。


1991年の甲子園の登録選手の主な人を載せておこうと思います。
玄人ファンには懐かしいはず・・・。


ちなみに当時の登録人数は1チーム15人です。
プロ野球経験者を中心に掲載。あとは私の心のヒーロー(爆)
※○の数字は当時の学年、( )の中は左から順に校校名、背番号

和田友貴彦③(大阪桐蔭、1)
萩原  誠③(大阪桐蔭、3)
荒井 修光③(我孫子、1)
三沢 興一②(帝京、5)
高木 大成③(桐蔭学園、2)
副島 孔太②(桐蔭学園、7)
高橋 由伸①(桐蔭学園、9)
上田 佳範③(松商学園、1)
樋渡 卓也③(市川、1)
水谷  完①(東邦、10)
山田 貴志②(東邦、15)
井出元健一朗③(四日市工、1)
山口 哲治③(星稜、1)
松井 秀樹②(星稜、5)
谷口 功一③(天理、1)
黒木 知宏③(延岡学園、1)
俣瀬 直樹③(鹿児島実、8)
内園 直樹②(鹿児島実、11)
大野  倫③(沖縄水産、1)


1991年に出場した選手は、上記以外にも印象に残っている選手が多いです。
(残念ながら、プレーを見たことはほとんどないのですが・・・。)
また「あ!この選手もいた!」なんて選手がいたら、載せます。


もしかしたら、コレを見ている方の中にも1991年に甲子園に出てたぞ!という方がいらっしゃるかもしれませんね。


【Last Up Date 2003/07/02】



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