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第五章 来るべき時


 第五章 来るべき時


「ふ~ん・・・」
 今度はシロクマか。桃太郎は突っ立ったまま、必死で団子を練っている大男を見つめた。きびの粉が舞い上がって手も顔も真っ白だった。おときはといえば、もうすでに縁側で船の若い衆と海図を見ながら話している。膝を立てて、眼鏡なんかまでかけて。あー、どっちが首領なんだろう。
 桃太郎はちょっと肩をすくめてみてから、首領の側に座り込んだ。彼は、首領の手から次々生まれてくる白くて柔らかな団子を見ていた。ずっと小さかったころから、この人の隣にいる時の、この穏やかな雰囲気は自分の体に染み付いている。この人はこういう人なんだなあ。弱いから嫌いだなんて、一度も思ったことはなかった。
「作ってんの?」
 桃太郎はいつも通りぶっきらぼうに尋ねる。
「ああ」
 首領もいつも通り単純な答えを返す。額には玉のような汗がういていて、妙に生き生きしている。船にいるときはこんなんじゃないのになあ。
「何で?」
 その言葉にはすぐ答えないで、首領は顔を上げてにっと笑った。粉だらけの大きな顔で笑うものだから、迫力も何もない。
「何でかって?」
「うん」
 首領は一人含み笑いをして手に付いた粉を払っていたが、頭の上に疑問符を浮かべ続けている桃太郎を放っておくわけにもいかないと思ったらしく、もう一度顔を上げて笑うとこう言った。
「お前が旅に出るからだよ」
 ・・・
 首領がさらりと言った言葉に、桃太郎はぴんと来なかった。旅・・・   たび?足袋?  俺が、旅に?・・・・・・  !!!
「何だよそれはぁ!」
 彼はいきなり立ち上がった。おかげで子山形に積まれていたきびだんごが崩れ、首領があわててそれを止めるはめになった。
「何?旅って何だよ?いつオレが旅に行くって・・・!」
 桃太郎は目をまん丸にして言った。しかし取り乱す彼とはうらはら、首領はのうてんきな声で答える。
「だって、お前が言ってたんじゃないか。鬼ヶ島に鬼退治だって。与助ちゃんから聞いちゃったんだよなぁ♪」
 首領はニヤニヤしている。この人は何を考えているんだ?そして、どうして利吉はそれを親父に話してるんだ?女房連中の噂話でもここまで早くは回るまい。親父がスパイを持っていると誰かに聞いたことがあったが、それは本当だったのか?で、それが与助?
 桃太郎はむずかしい顔で咳払いをした。
「あー・・、そういうこと?だったらまあ、確かに言ったけど・・・。でも、鬼ヶ島ってそれほど遠くはないんだろ?なのに旅支度なんて大袈裟だよなあ」
 桃太郎は、なんだ、とばかりに床の上に寝そべった。しかし首領は、ごく真面目な顔をして言った。
「そうじゃないんだ桃太郎。お前はだな、つまり、鬼ヶ島より遠いところに行く」
「・・・それってどういう―――」
 桃太郎には、首領が何を言っているのか理解できなかった。彼は困惑した表情を浮かべた。しかし、首領はまた真面目な顔で言った。
「お前はずっとここにいるべきではないってことだ」
 気が付けばおときもこちらを見ている。桃太郎は、いつもと違う空気を察して起き上がった。
 二人と自分との間に大きな隔たりがある。彼はそう感じた。いろいろな考えが頭の中をめぐる。幼い自分の姿、毛むくじゃらの優しい父、強くて凛とした母―――― ずっと一緒に暮らしてきたのに・・・。
「オレが・・・本当の息子じゃないから?」
 首領の少し開いた口からは何か言葉が出てきそうだった。しかしそれを待たずに桃太郎は続けた。
「本当の息子じゃないから、いい機会だ、もう出て行けってことなのか?」
「そうじゃないわ!」
 おときが割って入る。何かとても辛そうな顔をしていた。
「・・・そういうふうにしか取れないよ」
 桃太郎はこぶしを作ってうつむいた。みな口をつぐんだ。
 家の中は静かになって、外の喧騒とは別世界のようになった。
 しばらくして、ようやく首領が口を開いた。
「確かに・・・父さんがこうしようと思った主な理由はそれなんだ」
 桃太郎は目だけ上げて彼を見つめた。柔らかい口調のおかげで頭に血が上ることはなかったが、それでも彼は恨むような目つきで父の姿を見ていた。首領もその視線を受け取って、何かをこらえている。彼は続けた。
「だがな、お前をお払い箱にするなんてつもりでそう言ったんじゃないんだよ。そうすることが、お前には必要だと思ったからなんだ」
「必要って・・・?」
「最近のお前を見ているとなあ、こう思ってしまうんだ。やっぱりお前は本当の親に会うべきだなって」
 桃太郎は、胸の奥へ風が入り込んできたような気がした。分かっていたのだ。自分がいつも心の奥で、本当の親の存在を気にしていたことを、この人は知っていたのだ。
 首領は悲しそうな表情に笑いを重ねた。その中にどれだけ色々な思いが詰まっているのか、桃太郎には嫌というほど分かった。
「もしお前がそう思ってないなら、どこにも行かなくていいんだ。お前は、誰が何を言おうと俺の息子なんだからな。しかし、そう思うのなら、一番辛いのはお前なんだ。辛いまんまひきずったまんまで生きていくのは、父さんたちにとっても、見ていられないくらい辛いことなんだ」
 そこまで言うと、首領は口をつぐんだ。首領のまなざしを感じながら、桃太郎はうつむいていた。
 が、重い空気を吹き飛ばすように、首領はぽんと手を打った。
「まあ、もう一つ理由を言えば、かわいい子には旅をさせろってことだ。もうお前も半人前にはなったんだから、冒険の一つや二つした方が・・・まあ、俺たちゃ海賊だし、別に冒険なんてどこにでも転がってるようなもんだが、世界は広いしなー。お前にはもっと広い世界を見てきて欲しいというわけよ。さっきお前、与助と約束したんだろ?鬼ヶ島に行くって。いい機会じゃないかぁ。だから―――」
 桃太郎は、彼の言葉半ばで立ち上がった。その顔が本当に深刻に見えたので、おときと首領は内心慌てた。ああ、息子がグレるきっかけを作ってしまった。家庭崩壊か?嗚呼!
 しかし桃太郎はそんな二人の様子を見ると、急に笑い出した。腹を抱えて泣きそうになりながら、彼は笑い続けいた。その笑いが何なのか分かってくると、両親も苦笑いをしながら顔を見合わせた。
「おい、モモ。そんなに笑うなよ。おれはお前がグレちまったと思ったけど、おかしなことは言ってないぞ」
 桃太郎はまだ笑っている。
「分かってるよ、そんなこと」

 翌朝、旅の支度を整えて、桃太郎は家を出た。
「さーあ!着替えは持った?財布は?刀は?きびだんごは?」
「これ、一番重い・・・」(これ=きびだんご)
「一番大事なのよ」
「そうだぞ。父さんなんかはそのきびだんごのおかげで―――」
「ハイ、水筒忘れてるわよ」
「あ、悪りぃ」
「おかげで―――」
「行く先々ではちゃんと礼儀正しくすること」
「分かってるよ、もう。そんな子供じゃないんだから」
「おかげでなあ・・・あ」
 おときのガン。(その話しは六十回も聞いたわ)
 首領の訴えるまなざし。(えー、でもモモは聞いてないだろう)
 桃太郎のガン。(三十五回は聞いたから)
「・・・オホン!あ”ー、それはそうと・・・モモ、ランちゃんからの連絡だ。南の波止場に船をつけてるからそこに来いとさ。どの船か分からなかったときは携帯の番号教えてくれたからそこに―――」
「持ってない!この世に無いし。・・・・・・え、親父、あの女知ってんの?」
「さ~ね~♪」
「少しは説明しろよ!」
「こら二人とも、日が暮れるからさっさと行きなさい」
「俺は行かないよ?」(首領、潤んだ目で)
「あー、やっぱ追い出す気満々じゃないか」
「揚げ足取るんじゃないわよ!」
 そうして桃太郎は、しぶしぶ二人に別れを告げた。

  第五章 完
第6章に続く

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