昨日も今日も雨、菜種梅雨ということか。しかも寒いので、部屋にこもりきりだ。本が読めていいんだけれど、それも続くと飽きてきて、机のまわりや書棚を眺めまわす。
「あら、こんな冊子がある」と手に取って読みだしたら止まらないのがあって終日読みふける。
鎌倉書房1993年10月発行、 マダム増刊号『森瑤子 愛の記憶』
1993年7月6日に亡くなった森瑤子さんの追悼雑誌だ。
各界の友人関係者の追悼文やら、写真が散りばめられ、ご本人の短文やエッセイ、旅行記がある。
あたりまえなのだが、物書きを職業としている方の文章と、友人親族ではあるけれども、
それが職業ではない人との文章の端正さの違いが判然としてくるのは仕方がない。
しかし、森さんの文章のいいこと、うまいこと!やっぱりなあ。
この冊子に収録してある『マスカレード』短文集の惹句
「仮面舞踏会の女主人公は、素顔をいくつものマスクで覆い、自分に友に本音を語る」
に文字通り惹きつけられた。
35歳で主婦から作家になって、52歳で亡くなってしまった駆け抜ける様な煌めき。
遺された肖像写真には過剰なほどの華やぎの姿。主婦のころのアルバム写真には普通の子育て主婦の姿が写っており、
今にして思えばそれも森瑤子さんの独特の表現であったのだ。
作曲家の三枝成彰さんが寄せた文にこうある。
35歳で作家としてデビューするまでは、妻として、三人の娘の母として、自己を表現する手段何ら持たなかった。そんな40歳が近づく彼女を激しく駆り立てたのは、「自分が自分であること」のあかしであった。そのあかしのために彼女は「書く」という創造の仕事を選んだ。
(中略)
しかし、ぼくのような作曲や森さんのような作家に限らず、何かモノを創るということは、普通の人には考えもつかないつらい作業である。交代も衰えも許されず、その表現そのものだけが、ありとあらゆる人々の批判の目に曝されるという仕事である。
そのような仕事を選んだ森瑤子さんは、あくまでもそういった作家であろうとした。さもなくば、彼女の存在そのものが崩れ落ちてしまうという、ぎりぎりの崖っぷちを歩くことを自らに強いたのである。
お付き合いは古くないとおっしゃる三枝さんのなんと人を見る目の確かさ!
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上記、もっともらしく記したけれども、読書ノートを見たら実はこの冊子8年前に読んでいるの、すかっかり忘れて忘却のかなた。どうりでエッセイを読んでいて、記憶あるなと変な気持ちになったのだけど、ノート見るまで気が付かないというボケ振りで。
そのブログが 2007年3月27日の「会話」 である。
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