BRASILの独り言

私とファッション(1)


きっとその情熱は いつも人並み以上だと思う。周りが恋愛に興味の矛先を向けているときにでも、自分はいつもファッションが中心だった。



自分で言うのもなんだが、幼児の頃はかなりの美少女だった。母は看護婦でそれなりの収入があったので、結構可愛いワンピなど着せてもらっていたようだ。アルバムに残っている写真をみると、ピンクのざっくりモヘア編みのワンピや、赤色のワンピにさくらんぼのアップリケが効果的に入ったジャンパースカートなど、可愛いものを着せてもらっている。


それが 弟が産まれてから、育児のため母は仕事を辞めた。


生活はとたんに苦しくなり、私のためだけの洋服は買ってもらえなくなった。要するに、お下がり行きのための服・・・色はピンクだなんてありえない。紺色は定番、ブルー、グリーン、イエロー・・・。(泣)男女兼用で着られるように ズボンやジャンパーはユニセックスのものばかりだった。


この頃から 装うことに憧れを抱き始めたのかもしれない・・。



この頃よくまんがを描いたが、ひらひらのおリボンやレース、ドレープやフリルの描き方を覚え、お目目きらきらの思いっきり少女漫画路線をいく絵ばかり。おもちゃ遊びも、当然のごとくリカちゃん。「きのこちゃん」(歳バレるう)で遊ぶ友人たちを尻目に、私はリカちゃん以外に興味はなかったね。まさにクラスメートのほとんどがお人形さん遊びを既に卒業していた12歳頃まで遊んでいた。

実際のその頃の私というのは 幼女のころの長髪の美少女から180度大変化していて、短髪(←母が私の髪が多いからと切ってしまった)、色黒、ひょろひょろ~っと痩せてごぼうのように長身で、ひらひらとは無縁の外見だった。さすがにその頃は 母も私の為に女の子用の洋服を買ってくれるようになっていたのだが、スーパー(LUANAの子供の頃のご用達ショップは地元スーパーだったのだ!)で見る可愛いひらひらピンクの洋服は 「ごぼう」の私には似合わない・・・。 しかも、でかかったので、手に取った靴や洋服の自分のサイズを探すと・・・・可愛くないのだ・・・でかくて・・・。泣く泣く諦め、色違いの水色やペパーミントグリーンなどのものに取り替えていた。



そして、お洒落に固執する他の理由に、親が私のことを褒めてくれることがなかったからだと思う。



私の親は 「甘やかすこと」をまるで罪のように考えていたようで、一緒に歩くときに手をつながせてもらえなかったし、人前ではしゃぐことをことさらに嫌っていた。褒めてもらったことなど記憶にないほど、なーんにも褒めてもらえなかった。たとえいい成績をとっても、悪いところを見つけて、ここを直さなくちゃねーと指摘するような人で、常に私は自分の自信につながる何かを捜し求めていたのだと思う。その「何か」は勉学ではなかった。当時の自分は「勉学できても、クラスメートのガリ勉、OO君のように、大して周りには評価されないし、自分だってああいう風なクラスで浮いた奴になりたくない。」と思っていた。手っ取り早いとこで 「素敵になりたい!」要するに外見の向上、である。


早速髪を伸ばした。自分に似合うファッションの研究を始めた。当時、中学生。ちょうどマドンナが流行っていた。「これだ!」とおもった。
映画雑誌や洋楽に目覚め、外国の 日本と違う美の基準に衝撃を覚えた。私は一般的日本人の可愛い女の子にはなれないが、自分にしかできない個性的な女の子にはなれるかもしれない・・。


そう気づいた中学時代、がむしゃらに自分探しに目覚めたのでした・・。

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