PMC プロモーション・マーケティング・クラブ

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Dr.トムの波瀾万丈人生



  オフコンデーラーのシステム営業をしてる時、提案書を作成するため業務
  に関するヒアリングをおこなう。そして合理化・効率化の業務分析をおこ
  なう(ほとんど独学に近い)※先輩の提案書を盗み見したり、ライバル社
  の提案書をお客さんに見せてもらったりしながら勉強をするしか情報がな
  かった。
  書店にも業務分析に関する本はあまりなっかたので、情報にはかなり貪欲
  であったと思う。
  その後、諸事情で会社は親会社に吸収され、社長以下営業職はリストラに
  あう生活のため外資系の保険会社に就職する。当然、フルコミッション営
  業職であるので、契約が上がらなければ給料もほとんどない状態である。
  その間、徹底して法人営業をおこなった。もちろん飛び込みの毎日である。
  ある会社に飛び込み社長の契約をもらい、ついでに隣の会社に行って営業
  したら、そこでも社長の契約がもらえた。そのときは実にうれしかった。
  その時の社長とは今でも親友である。(ただし、これが悲劇の始まりであ
  ったことはその時点ではしるよしもなかった)

  保険の営業をして丁度2年経ったころ、大手コンサルタント会社の人材募
  集があった。前々から興味があったので早速応募したところ、相当数の応
  募がありコンサルタント採用のための試験と適正検査があった。実はあき
  らめていたが結果は合格であった。早速地元のコンサルティングファーム
  を紹介され、専任のコンサルタントとして修行の日々がスタートする。
  毎月3~4日泊り込みのコンサルタント養成講座を受講し、1年間かけて
  勉強する。当然、普段は社員研修やセミナーを主催しながら、実務をおこ
  なう。

  コンサルタントと言っても、簡単に仕事が来るわけではない。営業活動を
  しなければならない。なかでも自分で営業したお客さんのコンサルタント
  をするのがうれしかったことを覚えている。それは始めてのフランチャイ
  ズの立ち上げであった。手探りのマニュアルづくり、システムづくりは今
  思えば自分の財産である。

  ★独立の時がやってきた。
  大手コンサルタント会社のノウハウはマニュアル中心の教育であったので、
  何か違うものを感じていた。マニュアル教育をすべて否定するわけではな
  いが、もっとわがままに自己を主張したいと思い独立を決意する。サラリ
  ーマンコンサルでは本当に経営のことが分かるのだろうか?という疑念も
  あったので、経営者として事業として独立を選らんだのである。(真実は
  ただ単にわがままだからかもしれない)

  独立資金など全然もっていなかったし、見込み客もない状態でよく独立で
  きたなあと今でも不思議に思う。
  最低資本金100万円で株式会社を設立。(当時は設立できた)でもこれ
  から仕事をつからなければならないのだ。まだ、若かったなあ!!今、思
  えば無茶苦茶な話である。
  しかし、不思議と仕事が入ってきた。(資本金はゼロに近い状態)それも、
  大手ハウスメーカーのシンクタンクの仕事であった。
  流通店舗のマーケティングや商業施設のプランニングなどチームで役割分
  担して進めていく仕事であった。今までまったく経験したことのない業務
  である。
  マーケティングの実務研修をお金をもらってやってるようなものだ。
  このとき随分と力が付いたと実感する。貴重な財産である。
  プロジェクトファイナンスなどはこの当時勉強したが、今は資金調達手法
  としてごく普通のものとなっている。

  ★悲劇が訪れた。
  バブル崩壊はしていたものの、最初は影響はなかった。しかし、大手企業
  であったので、リストラの波に飲まれていた。シンクタンク部門の統廃合
  がおこなわれ残念ながら仕事が段々となくなっていった。これはやばい!
  このままでは飯が食えなくなる。しかし、じたばた動いても仕事が急に入
  って来るものではない。開き直っているときに、1本の電話が鳴る♪
  保険時代のお客さん(企画会社の社長)である。新規事業をするので手伝
  って欲しいという内容であった。助かった!!(ホッ)実に運のいい奴だ。
  それから一人アウトソーシングの始まりである。業務契約を結び先方の会
  社に机を用意してもらい、そこで新規事業の立ち上げを自ら企画して推進
  していくのである。まさに実践コンサルタントである。しかしやるのは自
  分である。
  内容はテレマーケティングシステムのシステム構築と販路開拓であった。
  FAXサービス、オートコールなどいろいろと手がけた。さあ、これから
  というとき、本業の主要顧客の業績がみるみるうちに落ちて、売上が半分
  以下になった。(取引先は分散しておかないとこのようなリスクがある)
  中小企業であるので当然資金資金繰りがアップアップしてくる。
  もう新規事業どころではない。
  業務委託料の入金もなくなり、逆にお金を貸すことになった。
  その経営者は金融の落とし穴にはまることになった。今でいうシステム金
  融である。こうなるともうどうしようもない。あとは時間の問題である。
  ・・・・この間いろいろな問題がおこる・・・・
  ついに社長は決断した。そらは2回目の不渡りを出す15時直前であった。
  倒産の二文字が頭をたたきつける。今でも思い出すが血の気の引く思い出
  あった。もうどうしようもないぐらいの借り入れで身動きが取れない状態
  である。
  当然、変な連中がやってくる。
  この時に得た経験は、事業の引き際である。潰す勇気は本当に大変である。
  もっと早く決断していれば再起ができただろうと思う。決していいことで
  はな
  いが、潰すことも経営判断として大切なことである。先送り先送りはどう
  しようもない結果を生む。今はそんな大手企業がいっぱいあるが。
  午後3時過ぎ、従業員を集め社長が事情を話す。実に辛いものである。
  時間がない。この状態を金融の人間が知ればすぐやってきて、あるもの全
  部もっていかれてしまう。

  ●夜逃げや本舗
  ちゃんと破産手続きをしなければならない。金融屋にじゃまされないうち
  に。シャッターを下ろし書類の持ち出し準備をおこなう。時間がない。
  帳簿類をまとめ社長を車に乗せ、弁護士事務所に駆け込む。間に合った。
  弁護士の先生と手続きは進める。もう時間は23時を過ぎていた。しまっ
  た、必要な帳場が足らない。まだ事務所に置いてきていた。しかたなく私
  がそれを事務所にとりにいくことになる。
  当然、金融屋は事務所を張っているだろう。ヒヤヒヤ(汗)
  たまたま隣の会社と仲が良かったので、協力してもらう。彼らは気づいて
  いなが裏から入る方法があった。息を殺して裏口から侵入し、帳簿を持ち
  出す。
  外には人の気配がある。(ドキドキ)
  何とか持ち出し成功。弁護士事務所に駆け込み書類作成を続ける。
  3日目、弁護士先生が裁判所に書類を持ち込み手続き完了。
  こんな経験したことありますか?
  今、思えば実に貴重な経験である。その時の社長は再起し、昨年やっと独
  立した。その社長とは今も友人である。

  ・・・・まだまだ続く 

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