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(誰も気がついていない・・)青年は社長室の扉を開け、中に入った。奥の机にひとりの男がいた。俯いて書類らしきものに目を通している。豊かな赤い髪が額にかかる様子が美しい。離れていても、尋常でない威厳と人品卑しからぬ人物なのが伝わって来る。青年は彼の前へと進んだ。机の前で足を止めると、その人物は顔を上げた。端正な顔に軽く笑みが漂い、驚いた様子は微塵もない。「何か用かね?」その男、朱雀は言った。青年の顔に緊張が走った。朱雀は背もたれに身体を預け、青年をじっくりと見た。「キミは、確か経理部に配属された・・」「その件について伺いました」朱雀は面白そうな顔をした。「”盾”のキミとしては、不服なのだな」「私は・・」「成程、結界の術でここまで来たと言いたいのだな」「誰にも気付かれずに」朱雀は卓上のコンソールに手を伸ばした。「高橋君、珈琲を頼む」「はい、羽鹿(はじか)さんの分とお二つですね」羽鹿は目を丸くした。「私の秘書は皆有能で、なおかつ魅力的な女性ばかりだ。キミが来ても止めない様に言っておいた」「では、最初から」「キミの気配がこちらに向かっていたのは解っていたからね」羽鹿は肩を落とした。「そうですか・・僕が思い上がっていました」「まあ、そう気を落す事もない。立ち話も何だ、あちらで話そう」朱雀は応接セットを片手で示した。勧められるままに、羽鹿はソファに腰を下ろした。向かい側の肘掛け椅子のひとつに朱雀も座った。間近に見る朱雀は、男が見ても惚れ惚れする魅力に満ちていた。威厳もあるが、何処か人を安心させる暖かみもある。長身で肩幅が広く、背広が良く似合っている。足の組み方ひとつにも粋な気配が漂っている。どうしてもかなわないと羽鹿は思った。「どうぞ」前に珈琲茶碗が置かれて初めて、羽鹿は高橋美佐江の存在に気がついた。羽鹿は驚いて彼女を見上げた。秘書室長である彼女は柔らかく微笑して、そ知らぬ顔で朱雀の前に茶碗を置いた。(僕の術など、子供同然だ)「砂糖は、いるかね?」朱雀の声に我に返った羽鹿は慌てて言った。「あ、自分で」「遠慮はいらない、幾つ入れるかね?」「二つお願いします」朱雀はシュガーポットから砂糖をすくい、羽鹿の茶碗に入れてやった。羽鹿は恐縮した。朱雀は微笑した。「そう、堅くなるな」「はい」朱雀はゆっくりと珈琲を味わった。「うん、高橋君の入れる珈琲は美味いな」「さて、キミの話を聞こうか」「いえ、もう結構です」「何故だね?」「私は思い上がっていました」「警備部に配属されなかったのが、不満ではなかったのかね」「自分には、それだけの能力がないのだと解りました」朱雀の雰囲気が変わった。「羽鹿」それは”社長”ではなく、”外のお役目”の朱雀の言葉であった。「はい」羽鹿の背筋が知らずに伸びた。「敵と刃を交えるだけが、”外”の盾に課せられた役目ではない。あらゆる意味で佐原を支えるが役目なのだ。外交的、財政的、その他諸々・・多岐に渡る」語る朱雀の声は深く豊かで、知性に光る目が羽鹿を見詰めていた。羽鹿は朱雀から目が離せなくなってしまった。「戦うに向く者は適した場所に、それ以外の才ある者は才の生かせる場所へと送られるのだ。羽鹿、お前は頭が良い。特に算術に優れていた。だから経理に回されたのだ」「そう・・なのですか?」「それだけではない。ここは”盾”以外の者も多くいる。事が起きた時に迅速に対応する為に、どの部署にも”盾”が配属されているのだ。いわば二重の役目を背負い、それをこなせると判断された者が、警備部以外に送られるのだ。解ったか、お前は能力がないのではない。むしろ見込まれたのだ」羽鹿は目を見張った。目の前の微笑が羽鹿を包み込んだ。「今日は、これで三人目なのだよ」朱雀の前に五十絡みの半白の髪を切り詰めた男が立っていた。人事部長の絹笠(きぬがさ)である。「そうでしたか。新入社員の配属が決まったばかりですので」「配属前に、説明してやってくれないかね」「それでは彼らの為になりません」朱雀は大袈裟にため息をつき、手元の書類を顎で示した。「私の仕事が進まないのだがね」絹笠はにこりともせずに言った。「毎年の恒例行事と思っていただければよろしいかと」「恒例行事?」「社長と直接話した者は、その後、格段に成長致します。これも社長のお役目のひとつと、思っていただければ幸いです」朱雀は苦笑した。「人使いが荒いな」「貴方ほどではありませんよ、朱雀様」絹笠人事部長はすまして答えた。経理部の先輩社員がじろりと羽鹿を見た。「何処へ行っていた?」「すみません、ちょっと」羽鹿は席につくと、てきぱきと仕事をこなし始めた。先輩社員は、急に張り切りだした羽鹿に怪訝な顔をしたが、すぐに自分の仕事に戻った。(終)
2009/11/28
幸彦は再びグラスを手にした。「真彦の中に、舞矢と同じ気質がある」「奪われやすい脆い心」「ああ、だからあれを側に」「春日根の事を知るのは、幸彦様と竹生様、そして三峰と私、手を貸した霧の家の術師達に霜月様、そして寒露殿」「白神もだ」「はい」【短編】金木犀は悼む-7-こちらに掲載致しました。
2008/11/27
まだ朱雀が人であった時、二人は一人の女性を愛していた。「舞矢(まいや)の心が僕にない事は、すぐに気がついた。でも僕は・・」「幸彦様」「しゃべらせてくれないか、僕は・・お前に聞いて欲しい」幸彦の懇願の表情が痛ましく、朱雀は素直に頷いた・・・【短編】金木犀は悼む-5-こちらに掲載致しました。
2008/10/30
「真彦は、竹生の屋敷に行っていないんだ」息子のいない一人の部屋に金木犀の香りが満ちている。孤独の身にそれが耐え難いとしても、朱雀はそんな幸彦を臆病だと思う気にはなれなかった。自分も又同じなのだ。この香りが一人で耐えるには重過ぎるのだと知る者なのだ。朱雀は幸彦に勧められるままにリビングのソファに腰を下ろした。朱雀は琥珀色の酒の瓶をテーブルに置いた・・・【短編】金木犀は悼む-3-こちらに掲載致しました。
2008/10/22
料亭から自宅に戻らず、朱雀は会社に向かった。深夜の社屋はひっそりとして、灯りのついているのは朱雀のいる社長室だけであった。朱雀は窓から煌く夜の街を見ていた。ここにあるはずのない花の香りが朱雀にまとわりついていた。忘れようのない思い出の如くに・・・【短編】金木犀は悼む-2-こちらに掲載致しました。
2008/10/14
「窓を、閉めてくれたまえ」朱雀は言った。ウェイターはテーブルの傍らの窓を閉め、薄いレースのカーテンを降ろした。そして一礼して去っていった。窓の向こうには暮れなずむ庭の木々の陰が揺れていた・・・【短編】金木犀は悼む-1-こちらに掲載致しました。
2008/10/13
窓の外には、雪が降っていた。佐原の村で年を越すのは、何年ぶりだろうと、朱雀は思い、息子の紫苑(しおん)の歳を思い出した。あの子が生まれた冬はここで過ごした。五年ぶりになる。麻里子と桐生は、露の家で暮らす様になったので、朱雀は生まれ育った家を再び村での自宅としていた。朱雀、篠牟(しのむ)、御岬(みさき)の三兄弟が育った家。兄弟と父の善衛(よしえ)と母の美耶子(みやこ)の思い出が、家中のいたる場所に感じられた。朱雀は着物を着ていた。亡き父・善衛の物であった。子供達は「青い着物」と呼んでいた。それを着ている日は、父が休みの日である。子供達は安心して父にまとわりついた。父の部屋であった場所に、朱雀は立っていた。畳の目のひとつひとつにまで、実直だった父の心が染み渡っている様で、自然と、朱雀の姿勢はいつにも増して良くなっていた。有能な”盾”であり、人望もあり、不幸な事故がなければ、盾の長になっていたであろうと言われた人物だった。三人の息子にも厳しかったが、息子達は父の優しさも知っていた。「寒くないの、朱雀」振り向くと妻の百合枝がいた。その腕に、野薔薇を抱いていた。生まれて半年のこの娘を溺愛している事を、朱雀は誰にでも隠さなかった。竹生の屋敷の誰もが、野薔薇を甘やかした。その筆頭が朱雀と兄の紫苑だった。人よりも優れて美しい男達が、小さな天使に夢中になっていた。今がささやかな平穏な時であり、今しかない時間だと、誰もが知っていたから。百合枝の着物の柄に、朱雀は見覚えがあった。朱雀の母・美耶子の着物であった。百合枝の姿が、更に遠い思いを呼び起こした。母は同じ様に幼い弟を抱いて、朱雀に声をかけた。(寒くないの、朱雀)その声を思い出しながら、朱雀は優しく妻に声をかけた。「キミこそ寒くはないかね。田舎は冷えるからね」百合枝は微かに首を振った。「東士(とうじ)さんがストーブを焚いてくれたの。火がね、勢いが良くて、暑い位よ」善衛の部下であった東士と妻の早乃は、今もこの家の管理をしていた。二人は屋敷の離れに住んでいた。紫苑が村に戻ると預言をされてから、いつ紫苑が戻って来ても良い様にと、二人は屋敷の手入れを欠かさなかった。百合枝も窓辺に寄り、外を見やった。「こんなに雪が降るの、初めて見たわ」「村でも、珍しい。私も見た覚えがないな」(いや、あった・・)朱雀は思い出した。それは”外のお役目”へと旅立つ前日の夜であった。この家で、この部屋で。こうして三人が並んで寝るのは、これが最後だと、朱雀は、布団の中から天井を見上げ、思っていた。両親を失い、後ろ盾のない者にとって”外のお役目”は、高収入と権力を得られる唯一の方法であった。その代わりに、危険も多く、二度と故郷の土を踏む事は許されない。長兄として、弟達の将来の為に、朱雀はその道を選んだのであった。篠牟はそれを知っていた。盲目の末の弟の御岬は、何も知らずに無邪気に兄に甘えていた。当時は最後だと思っていた。こんな”人でない”身にとなり、それ故に特例として、帰郷が許されるなど、思ってもみない事であった。あの夜、篠牟が起き上がり、外を見た。御岬はあどけない寝顔を見せていた。朱雀も起き上がり、篠牟と並んで外を見た。雪は静かに、激しく降っていた。見渡す限りの夜の底が白く、そして闇に溶けていった。篠牟が息だけで言った。「こんなに降る雪、見た事がない」朱雀も息だけで答えた。「ああ、初めて見る」雪は夕刻から激しさを増していたが、兄弟はその事を口にしなかった。末の弟には見る事のかなわぬ景色であったから。「兄さん、僕が御岬の面倒を見ます。だから、心配しないで」優しい弟は言った。「頼んだよ」朱雀は、それしか言う言葉が見付からなかった。やはり最後だった、三人が枕を並べて寝た夜は。篠牟は”異人”の刃に倒れ、御岬はこの家を出た。あの夜の様に、今も雪が降っている。過ぎていった歳月の様に、静かに積もっていく、朱雀の心にも。「どうかなさったの、貴方」百合枝の声に、朱雀は我に返った。「いや、何でもない」朱雀は妻の肩を抱いた。「冷えて来た。向こうの部屋へ戻ろう」寄り添い、部屋を出て行く二人の背中が、窓硝子に写っていた。同じ着物を纏い、同じ様に寄り添う夫婦の姿を、かつて写した事があったと、窓は覚えていたであろうか。雪はますます激しく降りしきり、何もかも白く染め、埋めていった。楽しい事も哀しい事も。(終)『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説
2008/01/28
巷で流行している相関図ジェネレータを『火消し』シリーズの人物で試してみました。何となく・・それらしいのが可笑しい(笑)竹生が「やりたい放題」なのを弟の三峰が「心配」しているのもそうですね。竹生と忍野の関係については、BL小説だったらこれも歓迎なのでしょうが、生憎その方面は疎いもので・・三峰と忍野はどういう「○○仲間」なのか、想像すると楽しめそうです。「苦手」と「無関心」が多いのが、生きるのに不器用な人達なのだなと。たまには、こういうのも良いですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/13
そのナイトクラブは大人の為の社交場で、良い酒と会話と人生を楽しむ人々で満ちていた。笑い声の合間に、スタンダートのジャズボーカルやピアノの演奏が聞こえ、バーテンダーは気取った仕草でシェイカーを振っていた。店の一角に一際華やかな集団がいた。白いレースのショールを幾重にも肩に巻きつけた可憐な婦人を中心に、数人の男達がにこやかに談笑をしていた。どれも人並み以上に美しい男達であった。婦人の右隣には極上のワインに似た深い赤色の髪の美丈夫がいた。左隣には品の良い柔和な顔の紳士がいた。そして特に柔和な紳士の隣に居並ぶ二人を見ると、人々はしばしあっけに取られて目を離せなくなってしまうのであった。一人は黒いスーツに身を包み、白く長い髪が神の美貌を縁取っていた。もう一人は白い髪がさらさらと流れて肩にかかり、純白のスーツの上からでも、均整のとれたしなやかな姿態が見て取れた。二人の顔立ちは良く似ていた。これ程に美しい男が、それも二人も居て良いものかと、人々は怪しみながらも魅せられてしまうのであった。赤い髪の男が一座の主人役の様であった。朱雀である。朱雀は濃い藍色のスーツを粋に着こなし、琥珀色の美酒の入ったグラスを片手に、傍らの百合枝と時々微笑を交わしながら陽気に話していた。「幸彦様が、こんなにお酒がお強いとは、知りませんでした」百合枝の隣で、幸彦が微笑んだ。「僕も知らなかったよ。僕が飲むようになったのは、三峰が来てからだ」朱雀はにやりと笑い、三峰を見た。三峰はそ知らぬ顔でグラスを口に運んだ。「遅くなってごめん」黒服の男に案内されて和樹がやって来た。和樹は朱雀の隣に腰を下ろした。「打ち合わせが長引いてしまってね」「お疲れ様、和樹さん」百合枝が和樹に微笑みかけた。和樹も百合枝に笑顔を返した。「お父さんがサボってばかりいるから、僕が忙しいんですよ」朱雀は義理の息子を振り返り、わざと真面目な顔で言った。「将来の為に、勉強をさせてやっているのだよ」黒服の男が朱雀に声をかけた。「社長」「何だね」「恐れ入りますが、いつもの・・そろそろ、いかがでしょうか」「ああ、いいのかね?」「手前どもも是非にと。楽しみにされておられるお客様も大勢いらっしゃいますし」朱雀は立ち上がった。朱雀は一同に軽く頭を下げた。「では、しばし私抜きでご歓談を」黒服の男に導かれて歩いて行く朱雀の背中を見ながら、和樹は飽きれた様に言った。「いつも上手く逃げるのだから、お父さん」店の奥まった所に小さなステージが誂えられていた。スポットライトに照らされ、浮かび上がったのは、マイクを手にした朱雀の姿であった。朱雀はピアニストに頷いた。ピアノの音が流れ、朱雀は歌い始めた。「Time to say good by(君と旅立とう)」・・良く通るテノールが店内に響くと、人々は談笑をしばし止め、ステージに目を向け、歌声に耳を傾けた。君とともに 旅立とう船に乗って 海を越えてもうどこにもなくなってしまった海を君と二人で蘇らせよう君と行こう 君と旅立とう朱雀の目は百合枝を見詰めていた。百合枝の為に歌っているのだと、百合枝には解った。歌いながら、朱雀はステージから百合枝の元へ歩いていった。そして歌い終わると、百合枝を抱き締めてくちづけをした。長いキス・・黒服の男が小走りに近寄って来てささやいた。「社長、社長・・」朱雀は顔を上げ、黒服の男に笑ってみせた。男でも惚れ々々するような綺麗な笑顔であった。朱雀はおどけて言った。「すまない、つい夢中になってしまった。妻があまりに魅力的なもので」どっと笑う店内、拍手が鳴り響いた・・ひとりの婦人がやって来た。見るからに裕福そうな六十代位の婦人である。「貴方の歌、素晴らしかったわ」朱雀はにっこりとして言った。「ありがとうございます」「今度、パーティで歌って下さらない?主人が大切なお客様をお迎えするので、盛り上げたいの」婦人は朱雀をプロの歌手と勘違いしているらしい。「取引先の会社の社長さんがいらっしゃるの。なかなか公の席には顔を見せない方なのよ」婦人が口にしたのは朱雀の会社の名前だった。朱雀は何食わぬ顔で言った。「それでは、後の話はマネージャーの方によろしくお願い致します」朱雀は和樹にいたずらっぽく笑いかけた。「マネージャー、後は頼んだよ」和樹は再び飽きれた顔で朱雀を見た。そのパーティには和樹も招かれていた。会場に入ると婦人が目ざとく和樹を見つけた。「あら、マネージャーさん、今日はよろしくね」「はい、奥様」和樹は愛想良く答えた。「お前、ここにいたのか」恰幅の良い紳士が婦人に声をかけた。本日の主催者である。紳士は振り返り、後ろの男に声を掛けた。「社長、これが家内です」夫が連れている人物を見て、婦人は目を丸くした。それは朱雀だった。朱雀はいつもの魅力的な笑顔で婦人の手を取った。「お招きいただきありがとうございます」朱雀は声を潜めてささやいた。「後で貴方の為に歌いましょう、奥様」夫たる人は朱雀の後ろにいた人物に話しかけていたので、朱雀の言葉を聞いていなかった。「こちらが社長のご子息、専務だ」次に夫が紹介した人物を見て、婦人は更に目を見開いた。「お目にかかれて光栄です、奥様」和樹は笑顔で言った。「では、そろそろうちの歌手に歌わせましょうか」その会場にいた人々全員が、朱雀の歌に酔いしれたのは、言うまでもない。(終)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・朱雀と百合枝が結婚した後の、ちょっとしたエピソードです。
2007/08/05
「金糸雀は二度鳴く」「窓の記憶」に登場する鍬見(くわみ)の肖像です。”盾”であると同時に医師でもあります。千条と鹿沼と同期で、朱雀の配下にいます。描いた人が入院した時に担当だった先生がモデルらしいですよ(笑)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/07/26
久しぶりに竹生の肖像です。この人は『火消し』のシリーズの中では象徴的な人のひとりとなってしまいました。これから先も、おそらくどこかで見守ってくれるでしょう。苛酷な運命に逆らいながら生きようとする者達を・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/06/19
そこは板の間の大きな広間であった。朔也は壁に立てかけてあった木刀を手にした。何故か馴染みのある感触だった。朔也は広間の中央に進み、木刀を軽く振った。「何をしている!」険しい声がした。四人の若者が走りこんで来て、朔也を取り囲んだ。「神聖な”盾”の訓練所で、余所者が何をしている!」それぞれに木刀を構えている。朔也は殺気だった若者達に微笑んで言った。「”盾”か」「そうだ、我らは誇り高き盾だ!」「誇り高き、か・・」朔也の言い方が気に入らなかったらしい。若い盾達は凄んだ。「余所者のくせに、我らを馬鹿にするのか!」朔也は片手ですっと木刀の持ち上げ、切っ先を一人の盾に当てた。「足の位置が悪い」次に隣の盾に切っ先を移動させた。「握るのは、もう少し上が良い」次の盾には「肘が上がり過ぎている」そして木刀を下ろすと、最後の盾にはにっこりと微笑んでみせた。「まずは背筋を真っ直ぐに・・な」盾達はひるんだ。その時、戸口の方から声がした。「お前達、何をしている」それは村の長の高遠だった。盾の一人が訴えた。「高遠様、余所者が入り込んで・・」高遠は中央にいる朔也を見た。「こいつ、余所者のくせに、我らの構えに意見を言うのです」高遠は、ただ立っている様でいて、朔也には一分の隙もないのを見て取った。「この方は村の大切なお客人だ。お前達こそ無礼だぞ」高遠の叱責に、若い盾達は、渋々木刀を下ろした。高遠は朔也に言った。「若い者が失礼を、申し訳ありません」「いいえ、迷い込んだのは私の方です・・」高遠はその声に懐かしい響きを感じた。確かめたいと思った。「宜しかったら、彼等に稽古をつけてやって下さいませんか」若い盾達は、高遠の言葉に驚きの表情を浮かべた。朔也は微笑んだ。「お役に立てるかどうか・・」「どうかお願い致します。この子達は本当の戦いを知らないのです」朔也は木刀に目を落とし、顔を上げると頷いた。「分かりました、一度だけ」朔也は若い盾達の方に向き直った。「四人同時で良い、いつでも来い」若い盾達は馬鹿にされたと感じ、いきり立って声を上げ、いっせいに朔也に木刀を振りかざした。何が起きたのか、四人には分からなかった。手首に激しい痛みを感じ、皆揃って尻餅をついていた。からからと木刀が床を転がった。朔也は先程の場所から動いた様に見えなかった。高遠が手を叩いた。「お見事」朔也は高遠を見て、再び微笑んだ。「いえ」尻餅を着いたまま呆然としている若い盾達に、高遠は言った。「相手の見極めも大切な事だ。この方が、誰よりも強い盾に匹敵すると分からぬお前達は、戦場なら即死だ」盾達は立ち上がると、挨拶もそこそこに逃げる様に去って行った。その後姿を見ながら、高遠は言った。「あれが今の盾なのです。情けない限りだ」この青年が忍野である事はもはや疑いようもないと、高遠は思い始めていた。「あれは飛燕の型ですね。露の家のお家芸だ」朔也は木刀を元の場所へ戻した。「私には、良く分かりません」つぶやく様に言う青年の横顔を見ていると、高遠の胸に痛みが走った。「竹生様に捨てられたら、私は生きていけない」高遠は思わず言った。「その時はこの村へ来て下さい。貴方の住む場所なら、幾らでもご用意致します」朔也は驚いたように目を見開き、高遠を見て微笑んだ。「ありがとう、この村は優しい方ばかりですね」(そうではない、かつてお前を見殺しにした、その償いをしたいのだ・・おそらく誰もが)高遠は声に出してそう言いたいのを堪えた。露の家の屋敷の広間に、露の家の顔役達が集まっていた。劉生の前に一同は居並び座していた。立ち上がり、話の口火を切ったのは、劉生の次男の蔵野(くらの)だった。「まったく父さんも耄碌したよね。あんな余所者を死んだ兄さんだと言い張るんだ。今のうちに隠居してもらって、僕が長になった方が家の為だと思うのだ」顔役達は難しい顔をしていた。蔵野はせせら笑った。「もう、父さんの時代じゃないんだ」「何を言う!」劉生が叫ぶと、蔵野はうんざりした顔で言った。「この家の跡取りは、僕と決まったんだ。今更、忍野兄さんかどうか分からない奴が来ても困るね。ただでさえ僕は姉さんと桐生の面倒を見なくちゃならないんだ。これ以上、厄介者は増えて欲しくない」「お前は・・」劉生の顔は、怒りで真っ青になっていた。「桐生はまだ子供だ。一族の主だった者達は、僕を支持しているのだからね」蔵野は、隅に座している双子の弟に言った。「お前もそう思うだろう?」栗野(くりの)は、静かに兄を見返した。「あれは、忍野兄さんだ」「何だって?」露の家の実力者の一人である箕島(みのしま)が口を開いた。「あの方は、忍野様です」蔵野は目を剥いた。「お前まで、おかしくなってしまったのか?」「我ら術者は、感じるのです、あの方は強い結界の力をお持ちです。劉生様もそれをお感じになった。蔵野様はお分かりにならない様ですが」「何だと!」蔵野は箕島に凄んだ。「お前は、僕が跡を継ぐ事に賛成したじゃないか!」箕島は首をふった。「貴方の本性が分かりました。貴方は自分の欲しかない。そのような方に長になられては、危うい」劉生はつぶやいた。「ワシは忍野には厳しすぎ、お前には甘すぎたようだ」蔵野は一同を睨み、足音も荒く出て行った。劉生は末の息子に声をかけた。「栗野」「はい」「お前は、桐生が成人するまで見守ってくれるか」心優しい栗野は父に言った。「僕は桐生に長になって欲しい。それが僕らの罪滅ぼしです。忍野兄さんへの」顔役達も頷いた。箕島が言った。「桐生様は強い術の力をお持ちだ。ご本人は黙っておられるが」劉生も頷いた。「忍野があのままでも露の家は庇護していく。それで良いな」箕島が居住まいを正し、劉生に頭を下げた。「誰がそれを止めましょう。我等の罪を償う機会を、佐原の土地が与えてくれたに違いない」他の者達もそれに続いた。「我等も同じく」朔也は部屋の隅に膝を抱えて座り込んでいた。竹生に置き去りにされてから数日が経っていた。「御飯、食べませんか」麻里子が声をかけた。朔也は顔をあげなかった。かすれた声がつぶやいた。「貴方もいずれ、私を冷たい目で見るのでしょうね・・」「そんな・・」そう言いながらも過去の出来事が思い起こされ、麻里子の気持ちは暗くなった。(そうだ。あの時、私はこの人にそうしてしまった)「ここはお前の家なのだ。お前は本当の家族と暮らすが良い」竹生は劉生の懇願を聞き入れ、朔也を露の家の屋敷に連れて来ると、そう言って行ってしまった。取り残された朔也は驚き、それ以来ずっと塞ぎこんでいた。恐ろしい形相の蔵野が、ずかずかと部屋に入って来た。「出て行け!この余所者め!」「蔵野さん!何を言うのです!」麻里子はかばう様に朔也の前に立った。朔也が立ち上がった。蔵野はひるんだ。自分を見る朔也の顔が哀しげに微笑んでいたからである。朔也は歩き出した。慌てて麻里子は後を追った。「どこへ行くのです」「わかりません」「ダメです!誰か、誰か、忍野さんを止めて!」「私は、そんな名前ではありません・・」彼を捕らえようとする人々の間を、朔也はするりと掻い潜って出て行った。誰も彼に触れる事は出来なかった。朔也がたどり着いたのは、忍野が最期に倒れ伏していた大木だった。無意識なのか偶然なのか、朔也はその根元に座り込んだ。(しばらくすれば・・何もかも終わるのだ・・)朔也は弱った身体を地面に横たえ、そのまま意識を失った。誰かが朔也を抱き起こした。朔也は目を開けた。霞んだ視界の中に、白く長い髪と神の美貌が見えた。「竹生・・さま」竹生は黙っていた。朔也は枯れた声で必死に訴えた。「私に飽きたのなら・・私を貴方の手で・・」竹生はつぶやいた。「お前の幸せが、あの家にあるのならと思ったが」竹生は朔也の冷たい頬に顔を寄せた。「どうやら、なかったようだな」朔也は青く甘い香りに包まれた。「一緒に行こう」朔也の目が輝いた。「一緒に・・」「ああ、共に生きるのだ。私と」「竹生様・・」竹生は朔也を抱きしめた。「私と同じ時を生きるか。それは永遠の痛みも伴うのだぞ」「どうしてもっと早く、それを私に求めて下さらなかったのですか」「見極めるまで、時間が必要だと思ったからだ」「もう、充分です」「そうだな」「はい」朝早く、春の嵐が佐原の村に吹き荒れた。桃の木は揺れ、花びらは宙に舞い踊った。風の音に驚き、宿舎の自室で目覚めた桐生は、胸騒ぎがして宿舎の外に飛び出した。朝焼けの道の向こうに、二つの影が見えた。白く長い髪が風になびく傍らに、懐かしい面影を宿した人が立っていた。桐生は走り寄った。その人の足元に桐生は膝を突き、その顔を見上げた。その人は優しく微笑み、桐生を見ていた。桐生はあふれる思いを感じ、その人にしがみついてしまった。桐生はずっと言いたいと思っていた言葉を口にした。「お父さん・・」朔也は桐生の肩に手を置いた。「私の事を、そう呼んだ子供がもう一人いる・・眼鏡の奥から、優しい目で私を見て」桐生にそれが誰であるか解らぬはずはなかった。「柚木兄さん・・」朔也は桐生に言い聞かせる様に言った。「私は・・思い出せない事が沢山ある。自分が誰であるかすら。でも・・あの家の人達は、私にとって大事な人達だった気がする」桐生の肩に置かれた手に力が篭った。「お前の事も」「お父さん、お父さん・・」桐生は泣きながら、朔也にしがみついていた。竹生は黙して二人を見ていた。朔也は桐生を立ち上がらせた。「桐生・・」初めて自分の名を呼ばれた感慨は深く、桐生の目に新しい涙があふれた。「はい」涙で声が詰まったが、背筋を伸ばし桐生は返事をした。「お母さん達を・・守って・・」朔也の身体がぐらりと揺れた。桐生が手を差し延べるより早く、竹生が両腕に朔也を抱き上げた。「これの身体は無理が出来ぬのだ。またしばらく目覚める事はないであろう。眠りの中で時は止まる。これはそうやって、これまでの歳月を過ごして来たのだ」竹生は桐生を見た。桐生は意識のない朔也をじっと見ていた。「案ずるな、これの事は私が守ってやる。だからお前はこの村で良い盾となれ。それがこれの望みであろうから」「はい」桐生は頷いた。竹生の青く輝く魔性の目が、桐生をじっと見据えた。「お前はこれに良く似ている。顔も気性も。いずれ術の力ももっと強くなるであろう。将来に楽しみが出来たな」「竹生様・・」桐生は美しき魔性の者が、自分に微笑むのを見た。恍惚として桐生はその微笑を見た。「今度はお前が逢いに来るが良い」「はい」風が吹いた。突風に散らされた桃の花びらを浴びて、一瞬目を閉じた桐生が再び目を開いた時には、そこには人影はなく、見慣れた佐原の村の景色だけが広がっていた。桐生の涙は乾いていた。しっかりとした足取りで、桐生は宿舎へ戻る道を、歩き始めた。(後編・終)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/04/25
竹生(たけお)の連れて来た者を見て、出迎えた佐原の村の人々は驚いた。真っ直ぐな黒髪が肩にかかり、不ぞろいに伸びた前髪が、整った顔を半ば隠していたが、それは皆の記憶の中の或る人物に瓜二つであった。村の長の高遠は心の中で叫んだ。(馬鹿な・・あの十五年前の雨の日、確かに私は見たのだ。泥だらけで事切れていた姿を)似てはいても、目の前の人物は若すぎた。生きていれば、高遠同様に初老といって良い歳のはずだ。しかしどう見ても青年である。竹生は青年の肩を支えるように抱いていた。彼は少し左足を引きずり、左手も不自由なようだった。(他人の空似なのか、それにしては・・)尋ねようにも、青年はどこか精神が尋常でない気配がしていた。それは何かを捨ててしまった人間の純粋さの様にも思えた。竹生は黙って高遠を見ている。高遠は慌てて青年から目をそらした。「竹生様、どうか昔のお部屋をお使い下さい」「奥座敷は、誰も使っていないのか」「はい」「そうか」竹生は青年を顎で示した。「この者も一緒で良いか」「竹生様さえよろしければ」「では、そうさせてもらう」青年は、むしろあどけないと言いたい様子で、竹生に寄り添っていた。「朔也、行くぞ」露の家の長である劉生の顔が蒼褪めた。それはいなくなった息子の本当の名前であった。居並ぶ者の中で、父親の劉生だけがそれを知っていた。青年は劉生の前を通り過ぎようとして、よろけて劉生にぶつかった。劉生は驚いたが避けなかった。耳元で懐かしい声がささやいた。「すみません・・」それは一瞬の事だった。何事もなかったように、朔也と呼ばれた若者は、竹生に肩を抱かれ、歩いて行った。呆然と立ち尽くす劉生を残して。(お前は・・戻って来てくれたのか。我等の罪を許してくれるというのか)春だった。露の家のそばにも数本の桃の木があった。薄紅色の花が咲き乱れ、小さな花びらの風に舞う様は、春の景色に艶やかな色を添えていた。一人の細身の青年が畦道を歩いていた。露の家の桐生(きりゅう)であった。一人前の盾として認められ、住まう事になった宿舎から、久しぶりに自宅である露の家の屋敷に帰る途中であった。桐生は、一本の桃の木の下で梢を見上げる人影を見た。見知らぬ青年であった。青年は少し足を引きずり、次の木の下に移動した。そして木の根元に座り込んだ。遠目にも具合が悪そうに見えた。桐生は側に行った。木にもたれかかり、青年は目を閉じていた。眉根を少し寄せ、その額にうっすらと汗が浮かんでいた。顔色も良くない。「どうされましたか」桐生が声をかけると、青年は目を開いた。自分を見上げるそのまなざしに、桐生は何故かそのままむしゃぶりつきたいような、強烈な懐かしさを覚えた。そう感じた自身に驚き、桐生はその思いを堪え、言葉を続けた。「具合が悪い様でしたら、僕の家で休みませんか。すぐそこですから」青年は感謝するように微笑んだ。「ありがとう、少し陽にあたり過ぎたかな・・」桐生は青年を助け起こし、肩を貸すと露の家に向かい歩き始めた。「病人だ、誰か手を貸してくれないか」玄関で桐生は奥に向かい叫んだ。奥から麻里子と露の家に長く仕えている清代(きよ)という老婆が走り出てきた。青年はぐったりと俯き、桐生に寄りかかっていた。「桐生、お帰り。どうしたの」麻里子が言った。桐生は倒れないように青年を支えた。青年は桐生より背が高かった。「桃の木の所で、この人が・・」青年が顔を上げた。その顔を見て、麻里子は小さく悲鳴を上げた。「忍野さん!」桐生も驚いた。それは物心つく前に死んだはずの父の名だった。清代も目を見張った。「坊ちゃま・・」青年は苦しげに息をしながら言った。「昨日も、誰かにそう言われましたが・・私はここに来たのは、初めてで・・」青年は足が萎え、そこに崩れそうになった。桐生は慌てて支えた。「お母さん、とにかく中へ」「ええ、そうね」(そうだ、そんなはずはない・・忍野さんは・・)客間に布団を敷き、青年を寝かせると、桐生は自分の部屋に行った。畳に仰向けに寝転ぶと、先程の母親の態度と、口にした名前を思った。そして自分が感じた懐かしさを思い起こした。(僕は父の顔を知らないのに・・)青年の顔が、鏡の中で見る自分にどこか似ていた気もした。しかし彼は兄の柚木とそう変らぬ年恰好に見えた。桐生は天井を見ていた目を閉じ、目蓋の裏にあの青年の顔を思い描こうとした。劉生が帰宅した。玄関に迎えに出た清代が、桐生の連れて来た青年の事を話した。「それが、忍野坊ちゃまにそっくりで。奥様も驚いておられました」劉生は自分の疑念は脇に置き、清代に言った。「それは竹生様がお連れになった方だ。良く似てはいるがな」「ええ、そうで御座いますね、忍野坊ちゃまであるはずは・・」麻里子は、着替えの浴衣と濡れた手拭を抱え、青年の寝ている部屋に入った。青年は麻里子の気配に目を開けた。「すみません、ご迷惑を」その声も似ている気がする。別人だと言う劉生の話を聞いてはいた。(忍野さんであるはずはない)そう思おうとしたが、麻里子の胸は波立っていた。それを振り払うように麻里子は明るく言った。「熱がおありのようですね。汗をかいたままでは身体に毒ですから、これを着て下さい」青年は素直に起き上がった。シャツのボタンをはずそうと、青年は苦労していた。麻里子は気がついた。「貴方、ごめんなさい、もしかして手が」青年は困ったような顔をした。「はい、左手と左足が、少し動きが鈍くて・・」麻里子は青年の傍らにかがみこむと、シャツのボタンに手をかけた。「あの・・」青年は恥ずかしげに身を捩った。麻里子はわざと陽気に言った。「遠慮しないで。私は貴方のお母さんみたいな歳なのよ」「すみません」ボタンをはずすと、麻里子は青年の後ろに回った。青年は肩からシャツをすべり落とした。麻里子は手拭で裸の背中を拭いた。青年は麻里子のするにまかせていた。「一人で立てる?」息子を扱うように、麻里子はこの青年に接する事にした。「はい」青年はそろそろと立ち上がった。その肩に浴衣を着せ掛けた。「下は自分で脱ぎなさい」青年は従った。もそもそと木綿のズボンを脱いだ。麻里子が帯を渡そうとした時、浴衣の肌蹴た隙間から、青年の胸から引き締まった腹が見えた。その腹に横に赤黒い傷跡が走っているのが見えた。麻里子は蒼白になった。青年は右手を器用に使い、慣れた手付きで帯を締めた。そして再び横になった。「すみません、まだ眩暈が」麻里子は動揺を隠しながら言った。「食欲があるようなら、夕御飯が出来たら持って来ます。それまでゆっくりと寝ていて下さいね」「はい、ありがとうございます」青年は布団の中から笑顔を見せた。あの傷を麻里子は知っていた。何度もこの手で唇で触れた傷とそっくりであった。(誰なの?忍野さんであるはずはないのに・・)夕暮れになると竹生がやって来た。風が露の家の庭先から屋敷の奥まで吹き抜け、竹生の到来を告げた。劉生が玄関に出て竹生を迎えた。「連れが世話になった。すまない」「いえ、大した事はしておりません」「あがらせてもらう」「どうぞ」青年は布団の上に半身を起こし、盆の上に載せられた夕餉をしたためていた。揺れる心を押し殺し、麻里子が側で給仕をしていた。「美味い味噌汁ですね」豆腐の味噌汁は忍野の好物であった。良い具合に漬かった胡瓜、シラスとおろしを添えた出汁巻、鰈の煮付け、無意識の内に、麻里子は忍野の好物だったものばかりを盆に並べていた。「どれも美味い」青年はうれしそうに箸を操った。竹生が入って来た。青年は竹生を見て微笑んだ。「ここの飯は美味いですよ」竹生は青年を見て頷いた。「それを食ったら帰るぞ」その言葉には優しさがあった。竹生がそういう物言いをするのを聞いた事がある者は、ほとんどいなかった。麻里子には覚えがあった。竹生は忍野と麻里子にはそういう態度を示す事があったのだ。「はい」青年は素直だった。この青年は誰にでも従順で、逆らう事も疑う事もしないのではないかと思わせる程に。青年は盆の上の物を綺麗にたいらげると、麻里子に笑顔で言った。「ご馳走様でした」麻里子は胸に甘い痛みを感じていた。竹生と青年が去った後、麻里子は舅の劉生に傷の事を言うべきかどうか迷っていた。もしもあの青年が忍野であったとしても、彼の記憶からは、この村の事も自分達の事も消えているらしい。(忍野さん・・)麻里子の胸の内に、様々な思いが、春の嵐よりも激しく吹き荒れていた。(前編・終)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↓掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/04/22
連載中の「窓の記憶」に出て来る百合枝のドレスや朱雀の用意した部屋等はローラ・アシュレイのイメージです。私自身がここの服や小物が好きだと言うのもありますが、百合枝の背景に英国風な影響があるという設定が大きな理由です。竹生の欲しがった屋敷は、父が子供の頃に住んでいた洋館がモデルです。昭和の初期に建てられたものですが、物語の中ではもっと古い設定になっております。百合枝の曽祖父の黎二郎のイメージは戦前に公爵だった曽祖父が原型になっております。かなり変わっていますけれど。そのような感じで、実は身近な所で間に合わせているという・・(苦笑)
2007/01/19
幸彦と真彦が、初めて一緒にお正月を迎えた時のお話です。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。年の暮れに、佐原の村の間宮から、おせち料理や餅などがどっさりと古本屋のビルの二人の許に届いた。幸彦は夕餉にささやかな宴会を催し、竹生や”盾”のまとめ役である白神(しらかみ)達と共にテーブルを囲んだ。若い盾達は、久しぶりの故郷の味に舌鼓を打った。竹生も故郷の酒を楽しんでいるようだった。三峰は佐原の村に帰省し、妻と息子と共に久しぶりの親子水入らずの年末を過ごしており、そこにはいなかった。幸彦が三峰に帰省を勧めたのである。三峰は竹生に後を託し、幸彦に感謝して帰っていった。「こんな賑やかな大晦日は、僕、初めてだ」真彦はうれしそうだった。奥座敷に半ば幽閉された如く暮らしていた時は、食事はいつも一人だった。大晦日であってもそれは例外ではなかった。真彦は佐原の家の当主であり、夢の力ゆえに、人の悪意や負の感情を身体にも心にも痛みとして受け取ってしまう。それゆえ、なるべく他人と接触しない生活を余儀なくされていたのだ。ここには真彦にそのような感情を向ける者はいない。「たまには、いいだろう?」幸彦は微笑みながら、竹生の杯に銀朱の片口から酒を満たしてやった。竹生がこれほど長く人前にいる事も珍しかった。絶世の美貌と強大な力を持つ”夜の主”とあまり出会った事のない若い盾達は最初は緊張していた。そして竹生の噂以上の美しさと優雅な仕草に見惚れた。竹生は見られる事には無頓着であった。「お二人が楽しいのあれば、私はそれで良いのです」竹生の夜の物憂さを含んだ声が、月の空を渡るそよ風の如く皆の耳に心地良く届いた。たあいない話と笑い声、真彦のはしゃいだ声が混じり合い、夜は穏やかにふけていった。「炬燵へ行って、寝ていてもいいよ」幸彦はテーブルの上を片付けながら言った。白神達が手伝おうと言うのを断り、部屋へ引き取らせたばかりだった。二人の住まいは店の真上の二階であり、竹生は地下に、盾達はビルの各階に分散して寝起きしていた。「白神のくれたチョコレート、食べていい?」「いいよ」真彦は平たい金色の箱をうれしそうに抱え、隣の部屋の炬燵へもぐりこんだ。仕切りのドアは開けてあったから、真彦は孤独を感じる事はなかった。片づけを終え、幸彦も真彦の正面に坐った。真彦はテレビを見ていた。村にいる時は真彦はテレビを知らなかった。最初は物珍しくて見ていたが、最近は気に入った番組以外はあまり見ないようだった。画面にはどこかの神社が映っていた。遠くに除夜の鐘が聞こえていた。「初詣でも行くかい?」「白神達がかわいそうだよ」二人が出かける時は必ず護衛が付く。それが”盾”の仕事だ。「そうだね」幼い頃から人々にかしずかれる生活を送っていた真彦は、周囲の者達に配慮する事を身につけていた。「お前の方が、僕より大人に思える時があるよ」幸彦が言うと、真彦はきまりが悪そうな顔をした。「ごめんね、お父さんがせっかく・・」「いや、いいんだ。いつでも行けるからね、今は一緒にいるのだから」「うん」真彦は明るい顔で頷いた。真彦がチョコレートをひとつつまみ、幸彦に差し出した。幸彦は顔を突き出す様にして、真彦の指先からチョコレートを口で受け取った。真彦は笑った。そんな事でも真彦にはうれしいのだ。テレビの画面には、雪のちらつく境内が映っていた。真彦は不意に佐原の村を思い出した。「お父さん」「なんだい」「皆に夢を・・送ってあげないと」「しきたり?」「うん、”夢送り”だよ。村まで届くかな、心配だ」幸彦は息子に微笑みかけ、手を差し出した。「一緒にやればいいよ」「うん」真彦は頼もしげに幸彦を見上げ、差し出された手を握った。佐原の村にも雪が降っていた。人々は白く染まる夜の底で、穏やかな夢を見ていた。薄紅色に暖かく優しい想いに満ちた夢だった。多くの悲しみに見舞われた今年も過ぎようとしている・・村人達は未来に心を向けた。希望が日の出と共にやって来ると信じながら。二つの寝息が聞こえた。幸彦と真彦は手を握り合ったまま、炬燵にうつ伏せ眠っていた。夢の力は体力を消耗する。疲れ果てた二人は、自分達も薄紅色の夢の中を彷徨っていた。二人の背中に毛布が掛けられていた。白く長い髪を持つ後姿が部屋から出て行くのが曇りかけた窓に映っていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらのHPでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/01/01
『火消し』と共に物語の牽引者となる『道標』のサギリ。最初の『火消し』アウル・マシヤと出会った頃のイメージです。転生してもすべての過去を覚えている辛い宿命の人。現在は骨董屋「アマルティア」の女主人として登場。『火消し』不在の今も『奴等』との戦いを見守っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/12/16
雨の中に立ってた御影百合枝。欧州の深い森の色の愛車で、彼女を家まで送り届けた朱雀。「古い家でしょう」「キミは、ここに一人で住んでいるのかね」「ええ、なかなか売れなくて・・手入れも行き届かなくて、お化け屋敷みたいでしょう」(私は・・この家を知っている)古い洋館の緑の窓が、朱雀の心の底の何かに触れた。「裏のベランダから庭に出ると、白いクピドーの像があるね。その奥に東屋があって、季節には薔薇が咲く・・」「良くご存知ね。ここは曽祖父が建てた家なの。そう、貴方の様に赤い髪をしていたそうよ」赤い髪の曽祖父・・それは・・「この家、私が欲しい」「竹生様がですか?」「私にも住まいが必要だ。いつまでも古本屋の地下にいるわけにもいくまい」朱雀の会社の管理する竹生の財産はかなりな額になっていた。この家程度なら幾らでも買える。「では、手配致します」「桐原に管理させよう」「はい」桐原は竹生の部下だった盾で、今は引退し竹生の身辺の世話をしている者。セピアと闇の彩る洋館の一室。竹生が見下ろすのは、寝台に横たわる意識のない青年。その面差しは、無実の罪で村を追われた者。やがて目覚めた青年の記憶は失われている。竹生は彼を朔也と呼び、共に暮らす。朱雀と三峰は朔也の正体を知っているが誰にも語らない。そして・・館の隠された扉が開かれた時過去の因縁はよみがえり、朱雀と『奴等』の死闘が再び始まる。『火消し』シリーズ新作「窓の記憶」近日連載開始!!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/12/07
忍野(おしの)という人物ですが彼はナイトメアの歌声から生まれました。CDを聴いている時に浮かんで来たイメージから忍野の風貌や性格が次第に決まっていったのです。具体的にナイトメア自身や曲の内容が忍野に現れているわけではないのですが私の中では忍野を思う時は彼らの歌声が聞こえて来るのです。彼が今後歩む苛酷な道を、どう書いていこうか考えながら、穏やかで幸せな日々を彼にあげられない事をすまなくも思っているのです・・
2006/11/15
「金木犀は嘆く」の二十年後です。多くの出来事の後、世界から切り離された村が普通の村になって行く。そして追われて戻って来た者・・時を越えて。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。春だった。芽吹いた緑に飾られた木々が、柔らかな風に揺れながら、山を彩っていた。青年は丘の上に立ち尽くしていた。眼下に広がるのは確かに見覚えのある村だ。だが見知らぬ空気に肌がひりついた。長き眠りの果てに再び目にした故郷であるのに。青年は隣に立つ長身の黒いコートの人影に語りかけた。「こんな村を見る為に、私は帰って来たのではありません」その長身の白く長い髪の者が答えた。「これが今の佐原の村だ」青年は全身の神経を研ぎ澄まし気配を探った。どこにも力を感じられない。結界はおろかどんな境界も失せている。青年の落胆した様子を見て、隣の人影、かつて”村の守護者”であった竹生は言った。「この村は土地の加護を失ったのだ。誰も何も見えないし聞こえない。感じる事も出来ない」”壁”は存在していたが、それを知る事が出来る者はいないのだ。竹生の白く長い髪がふわりと舞い上がった。青年はそれを見て言った。「竹生様には風の力がおありにある」竹生の黒いコートの裾が翻り、青年を包み込んだ。「我ら”人でない者”には力が残されている。これは呪いだからな」「呪い・・」「そうだ、マサト様が少年の姿のまま生きねばならなかった様に。呪いは代償と共に力を与える」竹生は青年を抱きしめた。「お前は忍野に戻りたいか」青年は竹生の腕の中から静まり返った村を見下ろし、首を横に振った。「いえ、私は朔也。竹生様の人形です」そして青年は寂しく言った。「それでも桃の花は、昔のままに咲いているのですね」「そうだな」桃の花を咥えたような朔也の唇に、竹生は形の良い朱唇を重ねた。さらさらと流れる長い髪が白い天幕の様に二人の顔を隠した。唇を離すと竹生は青年を抱きしめたまま言った。「希望は残されている。土地に愛された子が、お前を最後まで信じた子が」「柚木・・」「あれが最後の最強の盾」二人の後ろに青い影が立った。竹生に抱かれたまま、青年は影に微笑みかけた。「干瀬、久しぶりだね」青い影は微笑みかける青年とそっくりの姿をしていた。青味がかった肌以外は。「お前達には、まだワシが見えるのだな」「そのようだね」青い影は青年と同じ顔で微笑んだ。「お前が消えたあの日から、誰も我らを見る事は出来なくなった。真彦でさえも」青い影もまた寂しげに言った。「それでもワシはお前との約束を忘れなかった。見えずともワシはあの子らを守る為、この地に残った。同胞は皆、彼方へ去ったというのに」「干瀬、それほどまでに」「ワシはお前の姿を借りた。お前のいない間、お前の代わりになったのだ。それが約束だからな」「ありがとう。私は裏切られ、この地を去ったというのに」「ああ、そうであった」青い影は天を仰ぎ、手招きした。小さな青い影が二つ、舞い降りて青い影の膝にまとわりついた。「ワシもとうとう父親になったのだ。お前の精とお前の心が、ワシを父親にしてくれた」二人の子供は幼き日の柚木と真彦の顔をしていた。小さな背中に薄い二枚の羽根がひらひらと揺れていた。「火と水の子だ。どちらの方に育つかはこれからだ」青年は、愛しげに二人の子の肩を抱く青い影を見ながら、遠い昔に自分もあの様であった日を思い出していた。「可愛い子達だ。楽しみだね」「ワシらは永劫を生きる。その長き時に慰めが出来た。この子らが育つのに、人の時間で言えば千年は掛かろう」闇が次第に濃さを増すと、青い影は闇に紛れて薄くなった。「では、又いつか」青い影は子供の影と共に闇に消えた。竹生は青年の頬に触れた。時はその肌にも痕を刻むのをやめていた。「私は狩に行く。お前はどうする」「竹生様がお帰りになるまで、そのあたりを散歩でもしてきます」竹生は無表情の中にあらゆる感情を隠した美しい顔で青年を見た。「お前はこの村に残りたいか」青年は竹生の青く輝く目を見ながら微笑んだ。無垢にすら見える顔で。「狩からお戻りになったら、又どこかへ連れて行って下さいね」竹生は微かに口元に笑みを浮かべた。「ああ、そうしよう。世界はこんなにも広いのだ」黒いコートが風に翻り、宙に舞い上がった美しい影が、半分に欠けた月の面を遮った。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金木犀は嘆く』の主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの主な登場人物についてはこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/11/03
時々あります。話す言葉も出て来ない。疲れているのだなと思います。思考も鈍く、どこかたよりなく・・身体の休息はいつでも出来ますが心の休息は難しい。
2006/10/14
体調を崩しておりましてレス等が遅くなってすみませんm(_ _)mお見舞いにseoが描いてくれた真彦(まさひこ)と柚木(ゆずき)のラフスケッチです。現時点では、まだ二人共、舞矢と麻里子のお腹の中にいるわけで、こういう姿になるのは遥か未来になるのですが・・向かって左の真彦は、舞矢と幸彦の息子で、佐原の家の次代の当主です。夢の力を生まれつき持っています。マサトの転生した子供ですが、その記憶と能力が戻るのはかなり後になりそうです。マサトの好みがどこかで影響しているのか青が好きです。外見は幸彦似。性格も優しい子ですが、元がマサトだけに大胆さも併せ持っています。母親の舞矢が精神を病んでおり、父親の幸彦も離れて暮らしている為、どこかに影のある子です。右側が柚木。篠牟と麻里子の息子です。本当の名前は道也(みちや)。実の父親の篠牟の本名の博道と育ての父親の忍野の本名の朔也から。予言通り強い風の力を持って生まれました。長じて外見が篠牟そっくりになっていきます。性格は母親の麻里子さんの陽気さと元気さを受け継いだようで、見かけより明るい性格で、何事にも好奇心旺盛な子供です。これからのシリーズは、この二人が中心で進んで行くわけですが・・その前に、次は二人の生まれる時の話を書きたいと思っています。いつになるかは、未定ですが・・(ため息)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります☆クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/09/22
「私は、いてもいなくても良いのです」忍野(おしの)は寂しく笑った。篠牟(しのむ)様の思い出を共に抱いて生きて行けたら、どんなに素晴らしかっただろう。私は一人で死んでいくのだ。誰かに愛される事も知らずに。あの笑顔を守りたいと、篠牟様はおっしゃった。私も守りたかったのに・・麻里子様。『奴等』が滅び、数十年の平和の時を得た佐原の村。森の中に落ちていた血染めの刀。露の家に伝わる名刀”琴祐”と若き”盾”忍野を巡る哀しい物語が幕を開ける・・・・・近日連載開始。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/09/10
「金糸雀は二度鳴く」の少し後の物語です。”外”の世界の或る日の出来事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・朱雀の会社に来客があった。「竹生様、これはお珍しい」社長室に入って来た竹生を、朱雀はにこやかに迎えた。純白の長い髪をなびかせ、黒衣に身を包んだ絶世の美貌を持つ者は、ここまで誰の制止も受けなかった。前を通る竹生を見ても、人々は美しい白昼夢を見ている心地がして、通り過ぎるまで眺めているだけであったのだ。「幸彦様のお荷物を取りに来たのだ」「それはそれは。幸彦様はお元気になられたのですね」無表情の中にあらゆる感情を秘めているような白い顔が、朱雀を見ていた。朱雀ですら、胸の奥で湧き上がるときめきを、抑えきれない気がして来る。白い髪が揺れた。「少しずつ、お目覚めの時間が長くなっている」その声も、夜の物憂さを含み、聴いた者を恍惚とさせてしまう。「お前に頼みがある」朱雀は竹生から目をそらせぬままに頷いた。「なんなりと」「明日の夕方に私は帰る。それまでに、ここに注文した物が届くので、預かって欲しい」「承知致しました」その少し前の事である。朱雀の会社の近所の小さなパン屋で、自動ドアでもないのに、ドアがひとりでに開いた。突如として店内の空気の色が変わった。店員も買い物をしていた客も、店に入って来た影に目が釘付けになった。長身に長く白い髪をなびかせ、黒衣の者が歩いて来る。その顔も指先さえも神の極上の技で丹念に作られた様だ。美しいという言葉すら無意味に思える程に、天上の美そのものが人の形をして歩いて来る。その者の周囲だけ、柔らかく淡い月光が取り巻き、仄かに明るく見えるようである。近頃、この店はどういうわけか美しい男の客が増えた。それも男達は揃って長身で、イケメン等という浮ついた言葉が似合わぬ、礼儀正しく謙虚な態度の者ばかりなのだ。女性の店員達は喜んだ。だが今、店に入って来た者は、彼等すら色褪せて見えてしまう程の美を有していた。その者はカウンターの前に立った。「パンを所望したい」その声も稀なる楽器の名演の如き響きがした。店長の中年男は、夢からまだ醒めぬような間抜けた声で応じた。「はい、何を差し上げましょうか」その者は、何かを思うように首を傾げた。「アンパンとクリームパンなるものが欲しい」店員のひとりが、パンを積み上げたトレーをへっぴり腰で運んで来た。「あの、お幾つご入用で」白い美貌が、その店員をじっと見据えた。店員はトレーをカウンターに置くと、へなへなと床に座り込んでしまった。まともに目を合わせた途端、身体中の力が抜けてしまったのだ。「明日の夕方に、村に戻るのだが」「それでは、明日にお買い求めの方がよろしゅうございます」店長が言った。必死にこらえていないと、そういう趣味には無縁な店長の親父ですら、その者の美貌にときめきを抑えきれずに、足が萎えてしまいそうになっていた。「明日は忙しいのだ」「それでは、お届けいたしましょう」「うむ」白い指が窓越しに朱雀の会社を指した。「あの会社に届けて欲しい」「はい、あの、どちらへ」「社長の所へ」冴えた月を思わせる面差しに微笑が広がった。「頼んだぞ」店長の膝から力が抜け、そこへ座り込んでしまった。次の日の夕方、社長室に血相を変えた秘書の高橋美佐江が飛び込んで来た。「社長!!」自分の席で書類に目を通していた朱雀は、顔を上げた。「どうしたのだね、高橋君」「パン屋に何をお頼みになったのですか?!」「ああ、荷物が届いたのか」「受け取っていいんですか?あの、エライ事に・・」美佐江の取り乱し方があまりに妙なので、朱雀は立ち上がった。パン屋の親父が揉み手をして朱雀を見た。その後ろにパンの入っているらしきダンボール箱が山と積み上げられていた。さすがの朱雀も言葉を失った。「お支払いはどちら様で」親父の言葉に、朱雀は冷静さを装いながら言った。「ああ、私が払おう」朱雀は隠しから紙入れを取り出し、親父の差し出した請求書の金額を支払った。「残りの品物もこちらに運んでよろしいので?」朱雀は恐る恐る聞き返した。「残りだと?」「はい、下の車に積んだままでして」朱雀は秘書の机の電話で警備部の磐境(いわさか)を呼び出した。「会社のワゴンに荷物を積み替えて、村まで運んでくれないか」「はい、承知致しました」親父は何度も頭を下げて帰って行った。朱雀は一気に疲れた気がして、自分の椅子に深く座り込んだ。竹生が入って来た。「荷物が届いたようだな」黒衣の美貌の主は、朱雀を見て言った。「竹生様、あれは・・」「篠牟の好きだったパンだ。最近、盾の者達が良く買っているそうだ。村へ戻った盾の者がその話をしているのを聞いて、幸彦様も食べたいとおっしゃったのだ」朱雀は遠慮がちに聞いた。「幸彦様の分にしては、いささか多すぎませんか」竹生は無表情のまま答えた。「屋敷の者にも土産をと思ってな」朱雀の机の電話が鳴った。磐境からだった。「社長、荷物がワゴンに載せきれません」朱雀は絶句した。やや経って言った。「我が社のトラックでもバスでも何でも使ってよろしい。お前が村まで運転していけ。ついでに二、三日、ゆっくりして来るが良い」「はい」受話器を置き、朱雀はソファにゆったりと腰掛け外を眺めている竹生に言った。「屋敷の者達の分としても多いようですが」竹生は表情を変えなかった。「私はパンとやらは、食した事がない」白い髪がふわりと風に持ち上がった。「あんなふわふわしたもの、一つや二つでは足りんだろう」「はあ」「一人三十個もあれば、足りるかと思ってな」朱雀は別の意味で目眩がした。「竹生様」「何だ」「次からは、買い物がある時は、進士にお申し付け下さい」竹生は朱雀を見て微笑んだ。朱雀でなければ、正気ではいられない程に魅力的な微笑だった。「そうか、そうさせてもらえると助かる」(こちらも、その方が助かります)朱雀は胸の内でつぶやいた。朱雀からの電話でそれを知らされた三峰は大いに笑った。「笑い事ではないぞ、三峰」「うむ、竹生様は買い物など、された事はないからな」「あれは、村中に配っても余りそうだぞ」「篠牟の好きだったパンを、村中の者が味わうのだ。それも又良いではないか」「うむ」朱雀の声に或る感慨が混じった。三峰はそれを察して、わざと明るく言った。「今夜はこちらへ飲みに来ないか」「ああ、いいな」「それにな・・」三峰の声が愉快そうな響きを帯びた。「竹生様がここにもパンを置いていかれたのだ、それをツマミにしよう」「それは遠慮する」三峰は再び笑い、朱雀は電話を切った。三峰の所へ行く前に、朱雀は一旦帰宅した。出迎えた進士が奇妙な顔で朱雀を見た。「どうかしたのかね」紳士は戸惑いながら言った。「夕方、竹生様がお立ち寄りになられまして」「竹生様が?」朱雀が居間に入ると、そこにはパン屋のダンボールが山と積み上げられていた。「車に積み切れないので、ここに置いていくと・・」朱雀は目眩がした。朱雀の様子を見て、進士が心配そうに言った。「朱雀様、お加減が悪いのですか?」「いや」朱雀は進士に笑ってみせようとしたが、頬が引きつるのを隠し切れなかった。(一体、幾つパンをお買いになったのですか、竹生様)朱雀は心の中で、竹生に向かって叫んだ。(終)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります。クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/09/09
最後なので、特別に描いてもらった鞍人(くらうど)の肖像です。彼が本当に救われたのかどうかは・・今後のお話になりますね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります。クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/09/02
すぐにお分かりの方も多かったようですが「超時空要塞マクロス」でリン・ミンメイが歌う歌のタイトルですね。戦地へ向かう男たちを見送る女の歌なのですが「貴方はきっと帰って来る」と言いながら、二度と愛しい人が戻って来ないのを感じている切ない歌です。そしてそれでも生きていく哀しみと強さを歌った歌でもありました。「金糸雀は二度鳴く」第46話は篠牟の葬儀です。彼も約束を果たす事が出来ず、麻里子を残して逝ってしまいました。麻里子は自分の中の篠牟の子と共に生きていくでしょう。それを兄である朱雀は見守っていきます・・それで、このタイトルにしてみました。戦いはない方が良いと・・そんな思いもこめて。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります。クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/08/20
進士は敬愛するギャリソン時田が、あるじを失ったと新聞で知った。(私が朱雀様を失うと知った時、それはどんなに辛かった事か)仕える身である事に誇りを持つ者は、仕える者がいなくなる事が最上の悲しみになる。(ギャリソン様の辛さ、いかばかりか・・)進士は朱雀の留守を預かる身ではあったが、身支度を整えると磐境に伝言を残し外出した。突然尋ねていく無礼も、会える見込みもない事も分かっていた。しかし進士は彼のそばへはせ参じる事が、間接的にとは言え、彼に生き方の指南を受けた身には当然の事である様に感じられたのだった。扉を開けたのはギャリソン自身だった。「どなたかな」進士は帽子を取り、深くお辞儀をした。「はじめまして。私にもお仕えする方が御座いまして・・」彼は進士のどこかに、自分と同類の物を感じたらしい。「立ち話も無粋ですな。どうぞ、中へ」「では、失礼させていただきます」こじんまりしたアパルトマンは、狭いながらもきちんと片付けられていた。進士には好ましい空間に思われた。「お茶の時間ですな。いかがですか」「ありがとうございます」テーブルの上にセットされたお茶用の道具はどれもは堅実で、華美なものは一切なかった。湯沸し器でしゅんしゅんと湯が沸騰する音を聞きながら、ギャリソンは幾つかの入れ物から、あらかじめ温めておいたティーポットに、匙で茶の葉を入れた。それぞれの入れ物からすくう葉の量は異なっていた。おそらく彼の好みのブレンドなのであろう。進士は失礼にならぬ程度にそれを見ていた。薫り高い紅茶だった。「これは、素晴らしい」進士はゆっくりと味わった。豊かな香り、まろやかな中に適度な苦味と渋みある。「お気に召していただけましたかな」「ええ、私もこれ位上手くなりたいものです」ギャリソンは微笑んだ。「コツは湯の温度ですな。それと空気を湯に入れる事」「ほう」進士は頭の中にメモした。「私のあるじの朱雀様は、飲み物ならお召し上がりになれますので」「それは、何かご事情が」進士は答えた。「人ではなくなられたのもので」ギャリソンの目が鋭くなった。「まさか、メガノイド」進士は首を振った。「いえいえ、何と申しましょう。或る人は呪いだと言いますし、実際の所は私にも」「ほう」「生き物の血を糧とされ、他の食物は一切・・」「それは、ご苦労な事ですな」ギャリソンは言った。「もう一杯、如何ですかな」「いただきます」「今日は立て込んでおりまして、スコーンを焼く暇もなくて。申し訳ありませんな」進士は恐縮した。「いえいえ、こちらこそ突然お邪魔致しまして」美しいルビー色のお茶が進士のカップに注がれた。自分のカップにもお茶を満たすと、ギャリソンは窓の外に目をやった。そこからはビルの合間に四角く切り取られた水色の空が見えた。ギャリソンがぽつりと言った。「お待ちするのは、どんなに長くとも苦ではありませんが、お帰りにならないと分かってしまうと、寂しいものですな」その横顔には、隠し切れぬ悲しみがあった。「ギャリソン様」ギャリソンは進士を見て微笑んだ。「どうも歳を取るといけませんな。妙に涙もろくなって」それから取り留めのない話をして、午後のお茶の時間は穏やかに過ぎた。やがて進士は暇乞いをした。玄関でギャリソンは片手を差し出した。「今日はお茶のお相手をして下さる方がいて、助かりました」進士はその手を握った。握り返してギャリソンは言った。「どうか貴方のお仕えする方を大切になさって下さい。たとえどう変ろうとお仕え出来るのであれば」「はい、ありがとうございます」進士は心から言った。「いや、礼を言うのは私の方です」ギャリソンはいつもの表情を取り戻していた。「わたくしは、これからも万丈様にお仕えしていくつもりです。心の中で」進士はその顔を見て、尊敬の念を新たにした。「はい、私も朱雀様に誠心誠意お仕えするつもりです」ギャリソンはにやりとした。「お互いに」「お互いに」進士も言った。少し歩いて振り返ると、ギャリソンの部屋の窓にはカーテンが引かれていた。淡いオレンジの灯りが漏れていた。進士は朱雀の戦いが早く終わり、摩天楼のあの部屋に朱雀が戻って来る事を願いつつ、再び歩き始めた。!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜。.:*:・'゜!。.:*:・'゜。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜゜(鈴置洋孝さんのご冥福をお祈り致します)『火消し』シリーズに登場する進士はギャリソン時田を尊敬していますので、こんなものを・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。
2006/08/11
物語の中に出て来る朱雀の車は外車です。くすんだ緑と書いてありますが、ブリティッシュグリーンです。イメージがジャギュア(ジャガー)なのです。XJあたりのつもり。英国車なので外車でも右ハンドルです。朱雀は会社社長なので、それなりの車に。けれども性格がああなのでベンツにはしないだろうと。何より私が好きな車だからです(笑)ブランド名を入れてしまうと世界観が壊れる場合もあるのでわざと入れなかったり・・
2006/08/08
”外の世界”のお役目が長い盾も多くなった。彼等にも息抜きが必要だと進士が朱雀に進言した。「立場上、白神からは言いにくいでしょうし、三峰様は昔堅気の真面目な方です。ここはひとつ、会社経営で福利厚生を良くご存知の朱雀様が、ひと肌お脱ぎになってはいかがでしょうか」「うむ」進士の提案により、朱雀のマンションの一室に通信カラオケのセットを入れ、自由に使えるようにする事にした。三峰が物珍しそうに機械を眺めていた。「これが、カラオケというものか」朱雀は言った。「お前は使った事がないのか?」「ない」「うむ、これはこれで楽しいものだ」「そうなのか」その日の見張りに付いていた白神が篠牟の元へ報告に来た。一通りの報告が終わると、白神が恐る恐るといった体で篠牟に言った。「あの、篠牟様」「どうした」「朱雀様が皆の為に、カラオケなる物を用意して下さったのですが」「ああ、聞いている。お前も非番の時に楽しんで来い」「今日、朱雀様と三峰様が楽しまれておりました」「朱雀兄さんも三峰様も、たまには羽を伸ばす必要があるだろう」「朱雀様は『時空戦士スピルバン』を気持ち良さそうに歌っておられました」「そうか」「その後に、三峰様が『ブルースワット』を熱唱されて・・」篠牟は笑った。「あのお二人は特撮系がお得意の分野だからな」白神は篠牟の笑顔を見ながら、篠牟はどの分野が得意なのか、怖くて聞けなかった。今日のカラオケルームには、進士と若い盾が二人いた。「いや、私は懐メロしか歌えませんので」進士は遠慮してみせた。「そんな事はおっしゃらずに」「演歌でも何でも良いですよ」若い盾達は大先輩の進士に気を使って言った。「そうですか、では・・」篠牟の元に今日の報告に来たのはその若い盾の一人だった。「篠牟様、進士様と言う方は一体・・」「何かあったのか?」篠牟の目が鋭くなった。若い盾は慌てた。「いえ、あの、カラオケをご一緒しまして」篠牟の目が和らいだ。若い盾は話を続けた。「懐メロしか歌えないとおっしゃるので、演歌かと思ったのですが」「進士は何を歌ったのだ」「確かに懐メロですが、『0テスター』から始まってサンライズ物を延々と・・」篠牟は笑いをこらえるのに苦労した。「そこから歌い始めたのは、いかにも律儀な進士らしいな」「はあ」そういうものなのだろうかと若い盾は思ったが、盾の長に対してそれは言えなかった。しばらくの間、カラオケは盾達の絶好のレクリエーションになった。盾の英気は養われ、次の決戦に向け大いに気勢が上がった・・らしい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すみません、たまにはこんな物も書いてみたくなり(汗)
2006/07/31
白い髪が夜になびいた。街灯の中に浮かぶ影は淡く滲んでいる。「貴方が今日の獲物の様だ」影は微笑んだ。灯火を避け、人らしき者は後ずさった。ごく平凡な中年男に見える。微笑んだ影は、ふわりと宙に舞い上がった。白く長い外套が広がり、天使の羽根のように見えた。男は逃げようとしたが、その前に天使は外套に男を包み込んだ。「別れを言いたい人はいますか」類まれなる美貌が男を見下ろしていた。男は答えなかった。人外の力も美しき魔性の者には無力に等しかった。「いないのですね。では、さようなら」喉元に薄赤い唇がすべり降りた。開かれた口元に鋭い牙が覗いた。心奪われた者は、恐怖と苦痛と恍惚を同時に味わっていた。「良い夜だな、三峰」黒き骸をしなやかな手に抱いたまま、白き者は顔を上げた。その美貌が雲間に現れた月の如く輝いた。「ええ、良い夜です。貴方がお戻りになられた」三峰の声には喜びがあふれていた。三峰の前に影は優雅に舞い降りた。微笑み交わす二つの美貌は、共に白き髪に縁取られていた。紅き美酒が二人の唇を濡らした。二人は声もなく微笑み、空を風と共に翔けて行った。月はいつもよりも明るく、夜の主の帰還を祝うかの様に煌々と二人の行く末を照らしていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆様の応援が励みになります。クリックよろしくお願い致します。『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載された小説はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2006/07/26
魔法の出て来る小説は多いのですね。たとえばプロレスについて書く場合「バックドロップ」という技の名前を知っているだけでなく、それがどんな状態でどんな風に手や関節や身体を使うのかと言う事を知っていると自分が書く時に助けになります。ついでにプロレスそのものと格闘技の違いとか、プロレスの歴史とか・・頭のどこかにあるのとないのとでは違って来るのではないかと思います。魔法に関しては元ネタはほとんど19世紀の末にまとめられたものが多いようです。魔法使いを書く時に私的にお薦めな本はD・フォーチュン「心霊的自己防衛」「神秘のカバラ」W・E・バトラー「魔法修行」あたりです。基本を押さえておけば応用は利きますので。読んでみると「ああ、あの小説はこれが元ネタだな」と思い当たるのものがあるかと。自然の法則は世界どこでも共通ですから、ひとつの大系を知れば色々楽しみも出て来るわけで。旅先の神社や教会や遺跡やら・・今まで気がつけなかった事が理解出来たり、興味が湧いてきたり・・・そうやっているうちに、自分の書きたいものに行き当たって「よし!」という気持ちになったり。好奇心に無駄は無いと思ってます。突っ込みすぎると困る場合もあるかもしれませんが。So mote it be!
2006/06/28
「金糸雀は二度鳴く」の第一部と第二部の間のお話です。和樹と朱雀の家族の話です。こんな思い出もあったのだと・・・。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。和樹が朝食のトーストを齧りながら言った。「お父さん、今日はね、学校の近くの神社でお祭りがあるんだって」薄めのカリカリに焼いたトーストはバターの上にたっぷりとコンデンスミルクが塗ってある。朱雀はソファで新聞に目を通していた。「学校の帰りに寄って行くか。今日は私が迎えに行けそうだからな」「ほんと?御岬さん達も一緒に?」和樹がはしゃいだ声で言った。「ああ、篠牟にも話しておこう」ミルクティの入ったカップを飲み干すと、和樹は空の皿と一緒にキッチンまで運んだ。リビングとキッチンは下半分は棚で仕切られてはいるが、あとは開放的な作りになっている。加奈子が朱雀の為にコーヒーを入れていた。「お母さんも行くよね」朱雀も向こうから声をかけた。「皆で一緒に行こう」「そうね、それはいいわね」加奈子は慎重な手付きで銀のポットから熱湯をドリップ用の袋に注ぎながら答えた。ミントンの青いコーヒーカップに香り高い液体がたまっていく。「私が車でお前を拾って、それから和樹を迎えに行こう」朱雀は息を深く吸い込んだ。「良い香りだね。朝はコーヒーが良いね。特にお前が入れてくれるのが」「またそんな事を言って」加奈子は朱雀を見て、軽く睨む真似をしてから微笑んだ。そこは女神を祭った場所で、どこにでもあるありふれた神社だった。提灯が下がっている。どこからともなくお囃子が流れて来る。そう広くはない境内の両側にずらりと屋台が並び、甘い匂いや物を焼く香ばしい匂いが漂い、おもちゃのけたたましい音や、出し物の呼び込みの声がして来る。どことなく浮き浮きとした気分で歩く人々の間を、和樹と朱雀達は歩いていた。和樹が先頭を歩いている。会社帰りなのでスーツ姿の朱雀は水色のワンピースを着た加奈子に腕を貸して進んでいく。その後ろを御岬と目の見えない弟を庇うように手を取る篠牟が歩いていた。篠牟も背広姿で御岬はゆったりとした生成りのジャケットを着ていた。和樹は皆で出かけている事だけでもうれしくてたまらない。「そんなに急がないの」加奈子がやんわりと声を掛けても、和樹は我慢出来ずに駆け出したいような足取りで歩いていた。本殿の前に出ると、朱雀はポケットから硬貨を出して和樹に渡した。「お参りして行こう」朱雀は加奈子にも硬貨を渡した。「私の事も祈ってもらえるのかな」「貴方と和樹の事をお願いしておくわ」朱雀と加奈子は微笑を交わした。和樹はそういうお父さんとお母さんを見ると、恥ずかしいような幸せなような、甘酸っぱいような物が胸に沸いてくるような気がするのだ。朱雀は篠牟と御岬にも硬貨を渡した。「たまには神様に何かお願いするのもいいかもしれんぞ」御岬は笑顔で答えた。「そうですね。ここの神様は女神様だそうですから、優しい方かも知れないですね」「さあ、女神だから優しいかは分からんぞ。神様でも女性は女性だからな」朱雀はいたずらっぽい目で篠牟を見た。篠牟はちょっと拗ねた目で朱雀を見て、照れたように微笑んだ。和樹は賽銭箱に硬貨を投げ入れると、上の鈴から垂れ下がった太い縄をゆらして、ガラガラと音をさせた。そして目を閉じて手を合わせた。(お父さんとお母さんと僕と、篠牟さんも御岬さんも、皆が幸せになりますように)和樹は心の中で神様にお願いした。こんなに真剣に神様に願った事はなかった。手を合わせたまま、薄目を開けて横を見ると、朱雀も加奈子も手を合わせ、目を閉じていた。二人の横顔が綺麗だと和樹は思った。思ってから切なくなった。綺麗過ぎたからだった。篠牟が御岬の耳元に小声で何かささやいていた。賽銭箱の位置を教えているらしい。御岬の投げた硬貨は見事に賽銭箱に吸い込まれた。二人は何か言い交わして笑って、それから手を合わせた。本殿の横に人の背の高さ程の櫓が組んであり、大きな太鼓が据え付けられていた。法被を着た男が叩いていたが、あまり上手いとはいえない音がしていた。それを眺めていた朱雀が言った。「あれでは神様のご機嫌も良くなかろうな」「朱雀兄さん」御岬は懐から笛を取り出して、朱雀の方に振って見せた。朱雀はにっこりとした。「やってくれるかね」「朱雀兄さんがその気なら」「ああ」鋭い笛の音が夕暮れの空気に響き渡った。男は驚いて太鼓を叩く手を止めた。朱雀は櫓の縁に手を掛けると、ひらりと上に飛び乗った。朱雀は男の方に手を差し出した。「それを貸してくれたまえ」男は朱雀の堂々とした態度に気圧され、持っていた撥を思わず渡してしまった。朱雀はにっこりとして言った。「ありがとう」そして傍らに置かれていたもう一組の撥も手に取ると、それを下にいる篠牟目掛けて放った。篠牟はそれを受け取り、同じ様に軽々と櫓に飛び乗った。御岬はゆったりと美しい旋律を吹いていた。朱雀と篠牟は太鼓を挟んで立った。目で合図を交わすと、朱雀は撥を振り上げた。御岬は笛の調子を変えた。陽気な旋律が境内に流れた。朱雀は慣れた手付きで撥を操っていた。力強い音が朱雀の撥から生まれ、篠牟が更にそれに深みを与えていく。合間に入る掛け声も淀みない。和樹は加奈子にぴったりと寄り添うように立ち、きらきらした目で櫓の上を見つめていた。「お父さん、凄いや。篠牟さんも御岬さんも凄い」いつの間にか最初に太鼓を叩いていた男は壇上から消えていた。太鼓の音は段々と激しくなり、いつしか二人は上着もシャツも脱ぎ去っていた。広い肩から締まった腰に流れる線が逆三角形を形作る背中に躍動する筋肉はしなやかで、蜂蜜色の滑らかな肌に汗が光っている。太鼓の音に誘われて、櫓の周囲はいつの間にか人だかりになっていた。極上の伝統芸能がそこで繰り広げられていた。美しい二人の男が櫓の上で踊るように太鼓を叩き、これも美しい男が笛を吹いている。強弱巧みな太鼓の音が作り上げる世界に、笛の音が鮮やかな色を添えていく。人々は半ばあっけにとられながら、彼等に見惚れ、聞き惚れていた。一際威勢の良い掛け声と共に、それは終わった。朱雀は片手で上着とシャツを持ち、ひらりと櫓から飛び降りると、加奈子の前に跪き、加奈子の片手を取り手の甲に口付けた。「すべては貴方に捧げる為に」というような仕草だった。加奈子は静かに微笑み、朱雀を見下ろした。神社の女神が加奈子に降臨したかのように人々には思えた。事実、その時の加奈子は女神の如き威厳を湛え、金色に輝いているかのようだった。和樹もうっとりと両親に見惚れていた。帰りに気軽なレストランで食事をした。誰もが幸せそうだった。(僕のお願いが神様に届いたのかな)和樹はこっそり思った。そして和樹は前に訪れた佐原の村祭りの事を話した。篠牟も御岬もそれを知っていた。彼等もそこにいたのだから。「今度はお父さんとお母さんも行こうよ」何のてらいもなく和樹は行った。朱雀は灯が眩しいような目をした。御岬は見えない目をそっと伏せた。篠牟がいつもの穏やかな声で言った。「そうですね。間人様もきっと歓迎して下さいますよ」「そうだよね、きっとそうだよね」和樹は何も気が付かないまま、うれしそうに篠牟を見た。朱雀が自分に言い聞かせるような優しい口調で言った。「その時には、昔私が好きだった場所にお前を連れて言ってやろう。そこから村が見渡せるのだ。幼い頃、私達三人は良くそこに行った。そこで御岬の笛を聴きながら、いつまでも空や村を眺めていたものだ」朱雀は微笑み、和樹を見た。「そうして、いつか幸せになりたいと思っていた。私達三人共幸せに。今、私は幸せだ」兄が二度と生きては村に戻れぬ身だと知りながら、篠牟は朱雀を真っ直ぐに見て言った。「私もですよ、兄さん」顔を上げた御岬も、いつもの柔らかい響きのある声で言った。「僕もです」朱雀は深い想いを隠した目で二人を交互に見て、微笑んだ。「私の願いがかなったわけだな、これで・・」ウエイターが料理を運んで来たので、朱雀はそこで言葉を切った。朱雀は言いかけた言葉を一人、胸の奥にしまい込んだ。(これで、私は思い残す事はない)朱雀は故郷の祭囃子が幽かに聞こえたような気がした。グラスの酒の味を確かめるふりをして目を閉じ、夜の中で耳を澄ませた。遠い笑い声が聞こえた。それは幼い頃の自分と弟達の笑い声だった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金糸雀は二度鳴く』主な登場人物の説明はこちらです。『火消し』シリーズの世界の解説はこちらです。掲載小説はこちらでまとめてご覧になれます@With 人気Webランキングこちらにも参加しております。
2006/06/25
盾の家の者は普通は呼び名を使います。本当の名前は家族か余程親しい人しか知りません。三峰と間人が互いの本当の名前を教えあう場面が「燃える指」と「哀しみの異称」で出て来ます。本当の名前は大事なので、それを口にするのはお互いにとって重要な事を言う場合だけです。竹生の本当の名は鷹夜(たかや)です。「竹生様は名前まで美しい」と弟の三峰が言っています。三峰の本当の名は誠志郎です。「古臭い名前だ」と本人は照れています。間人は春彦です。彦のつく名前は代々の佐原の当主となるべき者に付けられる名前です。幸彦もそうですね。間人はその本当の名前から出自が明らかになっていきます。この先にも彦の付く名前が出て来ます。つまりその人物が・・・篠牟(しのむ)くんの本当の名は博道(ひろみち)と言います。
2006/06/24
進士(しんじ)は初老に差し掛かった盾である。朱雀の父の部下であった為に、自分より若い朱雀に長年召使の様に仕えている。痩躯で生真面目な顔をした彼は外見通りに職務に忠実な男であった。「お帰りなさいませ、朱雀様」進士は折り目正しく頭を下げた。ネクタイを締め上着をきちんと着けている。身だしなみを整えるのは良いが、朱雀の見るに”或る方向”を目指してるようだ。「進士」「なんでございましょう、朱雀様」「お前は”外の世界”に影響され過ぎているではないかね?」「朱雀様のような方にお仕えするには、こういう方が良いかと」「『バットマン』のアルフレッドの真似でもしているのかね」進士は硬い表情を崩さず、言った。「恐れながら、朱雀様。私は外国の方の真似は致しかねます」「そうか、では誰を参考にしているのかね」「先日、テレビを見ておりまして」進士はにっこりとして見せた。「ギャリソン時田なる人物が、私にはとても理想的に思えまして」朱雀は目眩がした。「進士」「はい」「いや、いい」進士は職務に忠実な男である。今は朱雀の為に理想の執事になろうと日夜研究をしている。最近は書物の研究も始め「HELLSING」のウォルターも良いなと思い始めているらしい。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。何となくたまには、こういう物も…重い話が多かったもので(^^;すみません。
2006/06/19
とある方から・・『火消し』シリーズの登場人物のキャストの声の想像一覧(?)をいただきました。成程・・こういうイメージで読んでおられるのかと。同感であったり違和感があったり見ていて面白かったので、こちらにも掲載致します。幸彦:辻谷耕史(これはBLOOD+のソロモンのイメージ?) 竹生:小西克幸 (こちらはおそらくハジでしょうか)マサト:緑川光(ふむふむ(笑))神内:大塚明夫(これは似合いそう)サギリ:田中敦子(これも似合いそう) 三峰:置鮎龍太郎(さすが知的美形代表)火高:小杉十郎太(逞しく男気もありで)アナトール:石田彰(うわ・・本当に聴きたい)白露:成田剣(こう来たか(笑))寒露:石川英郎(これはやんちゃな方の石川さんかな)朱雀:速水奨(さすが二枚目社長) 篠牟:遊佐浩二(これはツボかもしれません)御岬:杉山紀彰(うーん・・(笑))鞍人:中尾隆聖(ちょっぴりマッドな味ですね)最近、御岬が盲目である為、声や音をイメージして書く事が多いのです。声優さんに詳しいともっと更にイマジネーションが膨らむのかもそんな事を思いつつ・・「私はこの人の方がいい」等ご意見ございましたらお気軽にどうぞ(笑)
2006/06/13
『火消し』を巡る人々主に「燃える指」「哀しみの異称」「金糸雀は二度鳴く」に登場する人物です。 神内威(じんない たけし) 『火消し』と呼ばれる。青石剣を持つ。『奴等』との戦いを運命とし、転生を繰り返す。最初の名前はアウル・マシヤ。長老の剣に触れた時から戦いの宿命を背負う。その剣が役目を終え消えるまで、彼に安息は無い。この時代では古本屋を営んでいる。がっしりした体格の美丈夫。体育会系な外見に関わらず意外と読書家。数ヶ国語が話せる。ネクタイはサギリの趣味にまかせっきりらしい。コーヒーはキリマンジェロが好み。 サギリ 『道標』(どうひょう)と呼ばれる。『奴等』との戦いの為に転生を繰り返す。前世の記憶をすべて持つ唯一の人。『火消し』の仲間を探し出し、戦いに導くのが役目。予言の力がある。この時代では骨董屋の店主。その店の奥に『火消し』が戦いに赴く為の部屋がある。神内との出会いと別れは「閉ざされた瞳」に詳しい。 木波マサト(きなみ まさと) 青の退魔師。その霊力で『奴等』を倒す。神内と共に転生する。呪いに寄り少年の姿のままで長い時を生きる定め。幾つかの人格を持ち、適宜に入れ替わる。青い服が好きで甘い物が好き。 狩野幸彦(かのう ゆきひこ) 夢狩人。夢を操る力を持つ。佐原の村の当主の血筋。『奴等』をあざむく為、名前を変え、幼少時から神内の元で育つ。本人はその事を知らずに育つ。引っ込み思案の青年だったが、竹生との出会いの中で戦いと使命に目覚め、成長していく。(「燃える指」) カヅキ 火消しの仲間。転生を繰り返す。『奴等』を滅する銀色の身体を持つ。前世の記憶はほとんどないが、カナ(加奈子)との出会いと別れの記憶だけは覚えている。仲間思いの優しい青年。 久須美加奈子(くすみ かなこ) カヅキの銀色の身体を癒せる人物。カナと呼ばれる。和樹の母親。一度はその運命から逃れようとするが・・それは形を変えて彼女に再び戻って来る事になる。後に朱雀の献身に心を開く。 久須美和樹(くすみ かずき) カヅキと加奈子の子。普通の人の目には見えない銀の身体を持つ少年。内向的な性格だが、母子二人で育ったせいか芯はしっかりした少年。マサトを慕う。幸彦や間人と仲良くなる。ゲームが好きだったが、白露との出会いで(?)料理に目覚める。『奴等』を滅する力故に狙われる。(「金糸雀は二度鳴く」) 竹生(たけお) 幸彦を守る”盾”と呼ばれる集団の長。風を操る力を持つ。風になびく長髪、長身と人並みはずれた美貌を持ち、道を歩けば老若男女が振り返る。だが本人はそれに無頓着。その運命は過酷であり、やがて人でなくなる。作者に一番気にいられた為に、その行く末は更に過酷になっていった傾向がある・・らしい。 三峰(みつみね) 幸彦の盾の一人。竹生の組の者。竹生の弟。兄に劣らぬ美貌の持ち主。温厚な性格で人々に慕われる。竹生といる時は影に徹していたが彼に次ぐ高い戦闘力を持つ。後に村の長と盾の長になるが、不治の病に冒され、言い伝えに従い山へ登る。間人との絆は深く、それが後に村を支える事になる。 火高(ひだか) 幸彦の盾の一人。竹生の組の者。寡黙な強力の者。三峰の良き同僚。後に奥座敷の番人として君臨する。彼を押しのけて侵入出来た者はいない。 セバスチャン・メルモス 壁の管理者。ピアノ教師。彼とアナトールの出会いと確執が十五年続く戦いへの予兆となっていく。恵美子と深い絆があるが、それは隠されていた。 神津恵美子(こうづ えみこ) 壁の管理者の一族の娘。セバスチャンと暮らす。伯母の意思は知ってはいても、力に目覚める事にないままの自分に悩む。 神津初子(こうづ はつこ) 壁の管理者。恵美子の伯母。一族の最後の役目を担う者。時の流れの中で忘れられた役目を復活する為、姪の恵美子に期待をかける。 アナトール 魔に魅入られし者。異人となり、かつての師のセバスチャンと対決する。最後は火口に身を投じたはずだが・・ 藤堂(とうどう) 先代の盾の一人。佐原の家のまとめ役。間人の義父。竹生と三峰の父義豊(よしとよ)が自分より優れていた為に、彼を恨んでいた。 臥雲(がうん) 佐原の一族の長老。村の長(おさ)。三峰に長の役目をゆずった後も、なかなか楽隠居とは言えない事ばかり続く気の毒な老人。今の悩みは自分の講義から逃げ出す間人をどうやって机の前に座らせておくか。 間人(はしひと) 盾の家の者。幸彦の結界となる。 盾の家の者。素直で明るい美少年。見た目は華奢だが、戦闘力は高い。義父の咎に寄り仲間より排斥される。それを救ってくれた三峰を慕う。後に本当の出自が明らかになる。様々な試練を受けるが、寒露の支えを受け村の為に生きる決意をする。 久瀬(くぜ) 坂の家の者。盾にずっと憧れ、盾の家に生まれなかった事を悔やんでいた。竹生にその豪腕を買われ幸彦の結界となる。間人の良き理解者。豪快な大男だが、意外に良く物事を見ている。 保名(やすな) 佐原の村の女。三峰の恋人。その性格の甘さからマサトの厳命を破り、幸彦の心を狂わせてしまう。三峰との間に息子の鵲(かささぎ)を授かる。 白露(はくろ) 幸彦の盾の一人。三峰の組の者。三峰の有能な補佐役。幼少より三峰を敬愛している。歴史の好きな理論家。後の村の長。無表情で若い盾を怖がらせる厳しさを持つ反面、料理上手で女達の受けは良かった。彼も又、過酷な運命を科せられていた・・ 寒露(かんろ) 幸彦の盾の一人。白露の双子の弟。三峰の病に心痛める白露と間人を気遣う。後の盾の長。機械いじりが好きな現実主義者。間人の本当の出自を知り、彼を守る為に竹生と対決する事になる。そして彼にも哀しい別れと人でなくなる運命が・・・ 間宮(まみや) ゆりかごの女。厨のまとめ役。陽気な婦人。親のいない間人に何くれとなく気をかけたり、無理をしたがる若い長達を叱咤激励する。料理が得意だが、若い盾達がそれを感じてくれていないのが不満。村の守護者にも『火消し』にも恐れず口が聞ける貴重な人。佐原のお母さん的存在。 篠牟(しのむ) 寒露の有能な部下。風の家の分家の出身。眼鏡をかけているが美形。穏やかな性格で文学青年に見えるが、盾の中でも有数の猛者。後に盾の長となる。悩みが多い憂愁の青年。(「忘却の河渡らば」「金糸雀は二度鳴く」) 高遠(たかとお) 白露の有能な部下。見た目は軽そうな美形だが、真面目で事務的能力が優れている。村の外での幸彦の警備の為、しばらく村を離れていた。後に村の長となる。彼の恋人の撫子(なでしこ)は村一番の美人と名高く、それが周囲のやっかみとからかいの種になる事が多い。 朱雀(すざく) 篠牟の兄。かつての三峰の良き友でありライバルだった。”外のお役目”と呼ばれる特殊な役目に就いた為に盾を辞し、村を離れた。表の顔は大会社の社長。命を狙われた和樹を守る為に義理の父親となる。風変わりな言動と性格の人だが、和樹の学校の授業参観の時に先生も父兄も生徒も見惚れる程の品格を感じさせる容姿を持っている。実はかなりの実力者で、現役の盾もかなわない。ぼんやりしている盾の襟に釘ならぬ針を刺し、たるんでいる態度を戒める厳しさ(?)もある。 御崎(みさき) 朱雀と篠牟の弟。優しい顔立ちの華奢な青年。幼い頃の事故で視力を失い、盾になる事はかなわず老医師の元で医術を学ぶ。彼の手は癒しの手と呼ばれるようになる。笛の名手。彼の笛は特殊な力があるらしい。兄二人に溺愛されていたが、長じて兄を支えたいと思うようになる。 郷滋(ごうじ) 塚の家の者。父親に代わり佐原の家令を務める。朱雀の親友であり、遠く離れた弟を心配する彼の気持ちを思いやり、篠牟と御崎に気をかけている。腕っ節は強くないが、精神的には強い人。 更紗(さらさ) マサトの代から奥座敷に仕える者。高く優しげな声をしている。身軽で敵が来ると良く屋根の上で戦っている。 斤量(きんりょう) 更紗と共に奥座敷に仕える者。低く太い声をしている。力自慢らしい。やや融通が利かないというか、独特な解釈で動くというか、命令する方は苦労するらしい。 萱(かや) 久瀬の母親。坂の家のゴッドマザー。皆が恐れる竹生にも平気で口が聞ける。母のいない間人に母親のような気遣いを見せる。ゆりかごの間宮とは気が合い、お互い何かと融通しあっている。 鶴来(つるぎ) 間人と同年代の盾。群雲の息子。間人へのいじめの中心人物。後に心を入れ替え有能な盾になる。
2006/05/17
火消しシリーズの用語や世界観など・・いつの頃からか『奴等』はいた。人の心に忍び込む物達。それを何と言って良いものか。人の心を支配する物・・ある時は自分の意志で、ある時は操られて・・『奴等』の手先となる者がいる。それが騒ぎを起す前に狩るのが『火消し』の役目。 概要 『奴等』やつら この世界に進入しようとする存在。こちらには直接介入は出来ない為、異人を手先として使う。彼らの世界とこちらの世界は壁で仕切られている。 異人いじん 『奴等』に心を奪われ、操られた者。或いは自ら『奴等』に心を渡した者。人でありながら『奴等』の加護に寄り超常的な能力を持つ。心を奪われた度合い、個人の能力に寄り、その力には格差がある。 悪鬼あっき 心を完全に奪われた異人の状態。戦闘力は高くなるが、精神は崩壊し、やがて『奴等』の制御も受け付けなくなる。 壁かべ 『奴等』の進入を防ぐ魔術的防壁。世界の領域の境界を維持する物。世界中に存在し代々守る者がいる。セバスチャンや神津家、佐原の群青家もその一部。 佐原の村さはらのむら 夢の力を操る佐原家を中心とする村。見た目は普通の農村。特殊な刻印の作用と結界に守られている。佐原の当主を喰らうと『奴等』の力が増大する為、盾と呼ばれる一団が当主の身辺を守る。佐原の村では家に寄り役割が決まっている。家の中は更に細かい役目で分かれている。盾の家・・盾となる定めの者の家、風の家、霧の家、露の家等がある。坂の家・・日々の営みを形作る家。自然に対する感性が強い。塚の家・・佐原の家の家令を務め、切り盛りする役目。 盾たて 佐原の当主と村をを守る為の集団。戦闘力に優れた者達。当主の警備の他に『火消し』の仕事の補佐をする事もある。盾の家の者は幼少より宿舎に入り訓練を受ける。実力主義と徹底した上下関係があり、兄弟であってもそう呼ぶ事は許されない。 組くみ 盾は一人では行動しない。三人で一組となる。それぞれの組には長がいる。たとえば竹生を長とする場合は「竹生の組」と呼ばれる。単に「竹生」と呼ばれる時もある。大きな組織としての”盾”は上の組、中の組等と呼ばれる区分けがあるが、これはこういう三人一組の組が幾つか集まったもの。 ゆりかごゆりかご 盾の家の男は”盾”となり、女は”ゆりかご”となる。佐原の屋敷内や村での様々な役割につく。主に当主の周辺の世話を受け持つ。 風の力かぜのちから 風の家の者が持つ力。使うと命を削る為、強い力を持つ者ほど短命になる。寿命が近づくと髪が白くなっていく。竹生は強大な力を持つが故に幸彦と出会った時はすでに灰色の髪をしていた。(「燃える指」) 一角の力いっかくのちから 遥か昔にその力故に危険視され滅ぼされた一族。心の力で物を動かす事が出来た。髪に一房の赤い髪がある為、そう呼ばれた。村にその血が混じった為、今でも時折一角の子が生まれるが『忌むべき者』として密かに殺されるか幽閉される。暴発した力が悲劇を・・・(「燃える指」「哀しみの異称」) 村の守護者むらのしゅごしゃ 『奴等』に狙われる佐原の村を守る者。木波マサトが数百年に渡り務めた。マサトは自分の寿命を悟り、一人息子幸彦と次代の守護者を村に残す事にする。(「燃える指」) 奥座敷おくざしき 佐原の屋敷の最奥部にある。マサトの長年の住まいだった。彼とさゆら子が暮らし、幸彦が生まれたのもここ。地下への通路や隠し部屋がある。人でないモノも棲んでいるらしい。 奥の間おくのま 佐原の家や村の大事を諮る為に集まる場所。板の間で正座は辛い。 執務室しつむしつ 村の長と盾の長が事務的な仕事を行う場所。二人の長と通常は部下が数人いる。三峰は二つの役割を兼ねていたので個室のようになっていた。その後に白露と寒露が使い、のちに高遠と篠牟が使う事になる。 禁忌の山きんきのやま 結界に寄り封印された山。佐原の村のはずれにある。時間が澱む場所。その山の奥に呪われた者が棲むと言う。その者の力を借りれば、今しばらくの命と力を得るが、人でなくなると言う言い伝えがある。人でなくなるとはどういう事なのかは定かではない。呪われた身に何が起きるのかも。何年かに一人、山を登る者がいる。不治の病に冒された者、更なる力を得たい者・・しかし戻って来た者はいなかった。 封ぜられし者ふうぜられしもの 禁忌の山の奥に棲む呪われた者。試練を与える者。その者は生き物の命を喰らい生き続ける者。長い流浪の果てにこの地に辿り着いた者。その者は山の生命を啄ばみながら、今も罪を悔いているという。その罪が何であるかは誰も知らない・・ 厨くりや ゆりかごと呼ばれる盾の家の女達が仕切る場所。佐原の屋敷内の食事を受け持つ場所のはずだが、ここには村中の噂が集まる為、時として盾の隠密担当を凌ぐ情報が得られる。神内が時折それを利用した。ここのまとめ役の女丈夫の間宮に睨まれると、村の長老格でも屋敷に居心地が悪くなるらしい。
2006/05/17
篠牟(しのむ)は腹ばいになり、幽かな灯を頼りに、布団の枕元の眼鏡に手を伸ばした。はっきりとした視界の中に、傍らに眠る藤乃(ふじの)の幸福そうな寝顔が見えた。彼女の裸の肩が、障子を通して射して来る廊下の灯の光を受け、仄かに光っていた。篠牟はそっと布団を抜け出すと、布団を引き上げてその肩を隠してやった。裸足に畳が冷たかった。足元から立ち上る冷気が篠牟の全身を包んでいった。藤乃を起こさぬようにそろそろと服を着ると、足音を忍ばせて篠牟は部屋を出た。夜更けの道を宿舎を目指しながら、篠牟の心は重く塞がれていた。愛する女と結ばれたというのに、このやりきれなさはどうした事だろう。(雄醍(ゆうだい)、お前が生きていてくれたら)雄醍は半年前に『奴等』と異人の襲来で死んだ親友だった。快活で冗談が好きな男だった。同じ年に”盾”の宿舎に入り同室となって以来、共に盾としての道を歩んで来た友だった。藤乃は彼の恋人だった。同い年なのに姉の様に二人に接した。大きな目に愛嬌があるのにふっくらとした唇はむしろ挑戦するような官能を含んでいた。篠牟はこの恋人同士を見ていると自分も幸福になるような気がしていた。盾の命は短い。その中でつかの間の夢を見て過ごす恋人同士の姿は、村のあちこちで見られた。三峰(みつみね)が村の長となり、白露(はくろ)と寒露(かんろ)が補佐をするようになった。篠牟は寒露の直属の部下のだった。細面で優しげな風貌に眼鏡をかけている篠牟は、刀を取るよりも本を読んでいる方が似合いそうに見えたが、盾でも指折りの猛者だ。雄醍と共に寒露の組の者として寒露を支えるはずだった。佐原の当主の幸彦様は正気を失い、その身を案じた村の守護者マサト様の指示で眠りについていた。佐原の当主の夢の力の守護のない”盾”は『奴等』と戦う時、心を奪われる危険が伴った。しかしそれでも敵に向かうしかない。当主を守る為、村を守る為、戦うのが”盾”の役目だった。夜道に冷えた心に、あの日の出来事が甦って来た。いつもより敵の数は多く、盾は苦戦を強いられた。『奴等』の領域は”壁”と呼ばれるこちらの世界との見えない障壁の向こうにある。”壁”に近付き過ぎると『奴等』の影響を受け、心を奪われ支配される。支配されれば奴等の意のままに動く”異人”になってしまう。そして更に心を奪われると、殺戮以外に意志のない”悪鬼”となってしまうのだ。盾達はそうならないように、その手の感覚の鋭い者の指示に従い『奴等』の影響を受けない場所で戦うのだ。だが敵に押されるうちに、盾は乱れた。篠牟は立て直そうとしたが、彼等の一団は分断された。敵を追い『奴等』の領域に近付き過ぎた雄醍は、心を奪われた。白目を剥き、泡を吹きながら、自分に向かって来た雄醍を篠牟は見た。篠牟は彼を切るしかなかった。そしてそれが彼への友情でもあった。他の同僚の命を奪う前に、誰かの手にかかる前に。盾の掟は身に染み付いていた。しかしそれでも心は血を吹いた。戦いが終わると寒露は黙って篠牟に休暇を与えた。篠牟は雄醍の弔いをしてやった。藤乃は雄醍の亡骸にすがり泣いていた。涙が枯れる事がないのかと思われる程に。盾の家に生まれた藤乃は、篠牟のした事が正しいと理解していた。そしてその友情に感謝していた。篠牟は恨まれずにすんだ。だが親友に手をかけた罪の意識は、篠牟の脳裏から消し去る事は出来なかった。藤乃の打ちひしがれた様子は哀れであり、篠牟は知らず知らずその肩を抱き、その胸で藤乃の涙を受け止めていた。藤乃はそれが雄醍への友情か自分への愛情かわからなくなっていた。それは篠牟も同じだった。雄醍は死の河を越え、残された二人の悲しみは深かった。特にそのまま崩れ果てそうな藤乃を見捨てる事は、篠牟には出来なかった。篠牟は多忙であったが、その中で時間を割いては藤乃と過ごした。二人は雄醍の話ばかりをしていたが、次第に藤乃は篠牟の事を聞きたがったり、”ゆりかご”としての自分に起きた出来事を話すようになった。彼女は医療に使われる建物でお役目をもらっていた。雄醍との出会いも、怪我をした雄醍の世話をしたのがきっかけだった。いつのまにか篠牟と藤乃は恋人同士と見られるようになっていた。亡くなった親友の恋人をいたわる篠牟は、周囲にむしろ好意的に受け取られていた。明るい顔を取戻していく藤乃を見ながら、篠牟は愛しいと思うと同時に、胸に痛みを感じていた。藤乃の中の雄醍が薄れていくようで。藤乃は篠牟と所帯を持つ事を望んだ。ささやかな家庭を夢見るのは女なら当然の事だろう。篠牟は自分が器用ではないのを知っていた。今のお役目と家庭の主人としての責務との両立は出来ないと思った。そして自分も又いつ倒れるかわからぬ身なのだ。雄醍を失った時の藤乃の嘆きを篠牟は覚えていた。篠牟は藤乃と深い仲になる事は務めて避けていた。腕の中に藤乃の熱い身体を感じて男の血が騒いでも、それを見ぬふりをした。藤乃はとっくにそうなる事を許していた。だが篠牟は、自分に向かって来た雄醍の顔を思い出すのだった。三峰が山へ登り、白寒が村の長を寒露が盾の長を継ぐと、篠牟はますます多忙になり、あまり藤乃と逢う時間も取れなくなった。それは寂しいと同時にどこかで安堵する気持ちもあった。愛していないの?と藤乃は聞いた。愛していると篠牟は答えた。その気持ちに偽りはなかったはずだった。では何故抱いて下さらないのと藤乃は迫った。お前が大事だからだと篠牟は答えた。大事なら私に女の幸福を与えて下さいな。藤乃は篠牟にすがった。私は盾だからと篠牟は言った。藤乃は低く笑った。盾の男はそれがすべての免罪符になると思っているのね。篠牟は傷ついた。私もいつ倒れるかわからないのだ、お前を幸せに出来る保証はない。藤乃はなおも篠牟の胸にすがりついた。保証なんていらない、一時(いっとき)でもいいの、ねえ・・お願い。雄醍・・私は・・脳裏の面影は微笑んだのか嘲笑ったのか、篠牟には分からなかった。藤乃の身体が熱かった。藤乃の布団は藤乃の香りがした。甘い、そして押しつぶした草のような青くほろ苦い香りが幽かに混じる。どこかに雄醍の汗に濡れた身体が発散していた匂いと同じものを嗅いだような気がした。あの男はどのようして藤乃を抱いたのだろう。篠牟は他人とそのような話をする事はなかった。人が話すのを止めはしなかったが自ら進んでする事はなかった。雄醍もそうだった。藤乃の唇は積極的だった。狂おしく自分の上で乱れる姿態を、篠牟は感動を持って眺めていた。女は不思議だと思った。夜空を見上げると、細い月は雲間に隠れ、また現れた。私の心はどこにある・・篠牟は自嘲した。獣になった自分の中に悪鬼達の思いを感じた。彼らには悲しみはないのだ。支配された心には。『奴等』の意志のままに迷いなく殺戮を行う者達。藤乃の意志に支配された自分。心を奪われたのは、私だ。雄醍、お前はあの世の河を越えたのか。そこの水を飲み、死者は生前のすべてを忘れ去るという。お前は私を、藤乃を忘れてしまったのか。藤乃はお前を過去に追いやってしまった。お前が私を忘れたというのなら、私もお前を忘れたい。だが、雄醍よ、ここには河はない。河はないのだ。遠い水音を風が運んで来たように思った。「それは、お前の心を流れる河だ」快活で陽気な声が聞こえたような気がして、篠牟は立ちすくんだ。雄醍・・その河を私は越える事が出来ない。今は出来ないのだ、雄醍。心の内で叫びながら、篠牟は夜気の中を宿舎に向かい歩き始めた。掲載小説はこちらでまとめて読めます
2006/04/30
今日は春の風が吹いていた。森の向こうから薄紅色の夢がやって来た。その夢の方へ行ってみたいと思った。義豊(よしとよ)は今はいない。私にはお父さんもお母さんもいないから、臥雲(がうん)と綾乃が世話をしてくれていて、義豊は二人の息子で十二になった私より七つ上だけれど、もっと大人のような顔をして、私に文句ばかり言う。遠くへ行かないよう、危ない所へ行かないよう、あれも駄目、これも駄目・・義豊は私の”盾”だから、私が危険な目に合わないように心配してくれているのだ。でも私はもっと自由に遊びたい。野原を走って横切ろうとして、私の足が止まってしまった。見た事のない少年が立っていた。少年は私を見ても驚いた様子はなかった。私はどうして良いのかわからなくて、自分の名前を言ってしまった。「私はさゆら子」「知ってる。俺はお前が生まれた時から知ってる」私と同い年か少し上位に見える。そんな事はありえない。少年は面白そうに私を見た。「俺を知らないの?」そう言えば彼は私の苦手な意識を撒き散らさない。澄んだ透明な空気に包まれている。「俺は木波マサト」マサト・・マサト様。この村を守って下さる方と義豊に聞いた名前。「マサト様?」「うん」「もっとずっと年寄りかと思ってた」マサト様は笑った。きれいな笑顔だった。女の私が羨ましくなる程、その笑顔はきれいだった。「俺はずっとこのままだ。今にお前の方が大人になる」マサト様は寂しそうに見えた。私もお友達がいない。「私が大人になってしまったら、マサト様とお話出来なくなるの?」「いや、お前は佐原の当主になるのだもの。俺は必要があればお前と話す」「必要?それ以外にはお話してはいけないの?」マサト様はまた笑顔を見せた。「お前は俺と何を話したいの?」そう聞かれると困ってしまう。私は赤くなった。「私の最初に見た夢とか、昨日咲いた芙蓉の事とか・・」「大人しかいないからな、今のお前の周りには。それと、辛いんだろ?他の人間て」マサト様は私の手首をつかんだ。「おいで、向こうに桃の花がきれいな所がある」「遠くへ行くと義豊に叱られる」「俺と一緒なら誰も叱らない。俺もお前の話をもっと聞きたくなった」私の見た薄紅色の夢は、桃の木の見た夢だった。この村のはずれの桃の木は沢山の春を憶えていて、その春の思い出が薄紅色の夢になって、私の所まで来たのだ。その事をマサト様に話すと、マサト様は昔この木がもっと小さかった頃の話をして下さった。桃の花の咲く木陰で私達は沢山お話をした。それが始まりだった。私達は沢山の夢を分け合った。そしてこの世界に私達二人の夢を生み落とした。それは男の子の形をした夢だった。掲載小説のまとめサイトはこちらです
2005/12/19
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