貴方の仮面を身に着けて

貴方の仮面を身に着けて

2006/09/18
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カテゴリ: 忍野恋歌(完結)



佐原の屋敷の裏手に石牢はある。崖を掘りぬいた中に術の力も届かない特殊な造りがなされている。罪人を入れるのは当たり前だが、貴人の幽閉場所に使われる事もあった為、最奥の牢は贅沢に手を掛けられ、風呂や洗面用の部屋、寝室など数室がひとつの牢になっていた。

その部屋に、今は幸彦(ゆきひこ)と幸彦の守護者である竹生(たけお)が暮らしていた。幸彦は夢の力を代々受け継ぐ佐原の家の当主の直系であった。幼少より『火消し』と共に戦いの中にいた。子までなした恋人の舞矢(まいや)が実の母の妹という濃すぎる血であった事、その兄が宿敵の異人であった事が幸彦の精神を狂わせた。だが過酷な運命に立ち向かい、舞矢の兄の異人の『奴等』に奪われた心を取り戻した幸彦は、力を使い果たし眠りについた。竹生は安全に幸彦が眠れる場所として石牢を選んだ。そして幸彦を守りながら、この人でない者は、いつ終わるとも知れぬ時を過ごしていた。


最奥の牢の、最も奥の部屋は漆黒の闇であった。滑らかに磨かれた石の床に極上の絹の褥が敷かれていた。神が丹念に創り上げた如き美を持つ身体が、そこに横たわっていた。枕からこぼれた艶やかな白く長い髪が、冷たい床に広がっていた。見た者は目をそらす事さえ忘れ果てる美を有した顔は、今は蒼褪めており、瞳は硬く閉ざされていた。

白く薄く翻る外套を纏った者が、どこからともなく部屋に現れた。その顔は横たわる者に良く似た美貌で、肩にかかる純白の髪は、窓のない部屋の中で軽やかになびいていた。その者は褥の傍らにかがみこんだ。
「随分と無茶をしましたね、兄さん。貴方らしくありませんね」
「そうかな、三峰」
「ええ、お顔の色が悪い」
二人の目には闇は問題ではなかった。

三峰は二人だけの時は竹生を兄さんと呼んだ。それ以外の時は、かつての人の時の習慣で竹生様と呼んだ。”盾”の規律は厳しい。盾になった時から親兄弟ではなく、そこにあるのは盾の上下関係と席次である。彼等は盾の長であった実の父親を”義豊様”と呼び、弟の三峰は兄の事を”竹生様”と呼んだ。長い『奴等』との戦いの中で、人でなくなる道を選び、この世の法則から解放された二人は、その時から再び兄弟としての睦まじさを取り戻したのであった。


「ああ」
「狩に行こうにも動けぬほどに、何故それほどまでに、あれを」
「さあな」
「お寂しかったのですか。ずっとお一人で、眠れる幸彦様を見守る事が」
「かも知れん」
「しかしあれは、すぐに手放さねばならぬ小鳥ですよ」
「ああ、分かっている。あれの傷が身も心も共に癒えるまで、我が手元に置こう」
三峰は竹生に寄り添うように横になった。
「私の血をお取り下さい」
「良いのか、三峰」
三峰は微笑んだ。闇の中に白い微笑が広がった。

「すまぬな、弟よ」

細く繊細な指が闇に泳いだ。弟の首を抱き寄せ、竹生は喉元にその顔を埋めた。啜るような音が微かにした。
「ああ・・」
三峰はため息と共に切なげな声を漏らし、顔をのけぞらせた。白い髪が闇に舞った。三峰の腕が竹生の背中に回された。絹の褥がさやさやと音を立て静寂に波紋の様に広がっていった。この世のものでない美がふたつ、重なり合ったまま闇に溶けて行った。


忍野は目を覚ました。見慣れぬ天井が見えた。

自分は森の中で腹を斬った筈だった。そして・・
「目が覚めたんだね」
優しい笑顔が忍野を覗き込んでいた。
「幸彦様・・お目覚めに?」
「少しだけね。まだ、すぐに眠くなるのだ」
ではここは石牢の中なのだと忍野は思った。幸彦は白い上下の寝巻を着て、横たわる忍野の側に腰を下ろしていた。両手で膝を抱え、興味深げに忍野を見ていた。この部屋の床には畳が敷かれていた。忍野は褥からそろそろと身を起こした。

忍野は腹の傷に巻かれた包帯以外は、何も身に纏っていなかった。それに気がつき、忍野は慌てて手に触れた掛布を引き寄せ、身体を覆った。幸彦は面白そうに言った。
「お前の服は汚れていたからね。更紗(さらさ)がすぐに代わりを用意するそうだ」
更紗とは佐原の奥座敷に仕える者だが、幸彦の世話をする為にこちらへ来ているものであった。幸彦は忍野に身を寄せささやいた。
「お前の、立派だね」
忍野は真っ赤になった。幸彦と竹生の前でずっとこの姿でいたのだと思うと、忍野は恥かしくてたまらなかった。幸彦は笑った。
「竹生が、良いものを拾ったとうれしそうだったよ。あんなに楽しそうな竹生を見るのは久しぶりだ」
「竹生様は、どちらに」
「今は奥で眠っている。奥の部屋はもっと暗いからね」
「ああ、今は昼間ですね」
「ここは窓がないから、分かりにくいけれどね」

忍野は身体が軽いのに気が付いた。胸の痛みも消えている。何より腹の傷が癒えているのが不思議だった。
「竹生がお前を助けたのだ。毒の血を吸い出し、佐原の土地の力を呼び集め、お前を癒したのだ」
「佐原の・・」
(土地の意志が、お前に生きよと言っている)
忍野はそう言った竹生の言葉を思い出した。
「竹生にしては無茶をしたようだ。疲れ切って、今は深く眠っている」
「竹生様が」
「本当に珍しいね、竹生が誰かに興味を持つなんて」
忍野は幸彦が以前の幸彦に戻っていると思った。舞矢との秘密を知る前の。

竹生が入って来た。忍野は座りなおそうとしたが、身体がうまく動かなかった。
「まだ無理をするな」
竹生は忍野を見下ろした。
「しばらくは、大人しくしているが良い」
忍野は言った。
「何故、私をお助けになったのですか」
竹生は、いつものあらゆる表情を含んで見える無表情で言った。
「お前が捨てた命、私が拾った。だからお前は私の物だ」
「私が竹生様の・・ですか」
「捨てた命、幸彦様と私の為に使わんか」
忍野は戸惑った。
「どういう事でしょうか」
「いずれ幸彦様は”外”の『火消し』の古本屋に戻られる。お前も一緒に来い」
「幸彦様の護衛には、盾がおります」
竹生は笑った。忍野は竹生が笑うのを初めて見た。
「護衛ではない。私が幸彦様と共に生きるように、お前も幸彦様のお側にいるのだ」
幸彦が言った。
「竹生は夜しかいられないしね。お前は僕と歳も近いし、食事も出来るし、遊びにも買い物にも一緒に行かれるだろう、と竹生は思ったらしいよ。僕もお前ならいいな」
竹生は言った。
「お前がいてくれるなら昼間も安心だ。私も楽になる。お前は一度死を選んだ。どうだ、違う人生を生きてはみないか。”盾”ではなく、外の世界で我等と共に」

村から離れる。”外”で暮らす。
(それも良いかも知れない・・)
忍野は思った。新しい暮らしになれば、変る事もあるだろう。この心も・・
「急ぐ事はない。まずは身体を癒す事だ」
「そうだね、三人暮らしの予行演習かな」
幸彦はそう言って小さく欠伸をした。
「ああ、もう眠気が・・」
竹生はゆらりと傾いだ幸彦の身体を抱き上げた。
「幸彦様にも、まだ時間が必要だ」

石牢に忍野が無事でいる事は皆に知れ渡った。竹生の保護下にいる以上、他の者は手出しが出来なかった。忍野の身体が健康になるであろうという三峰の言葉は、吉報と受け取られた。しかし忍野を手元に取り戻せない劉生の嘆きは深かった。御岬はそれらの事をすべて、麻里子にも話していた。麻里子は忍野の無事を喜んだし、父親の劉生の嘆きも同じように哀しんだ。

或る日の夕方、麻里子は屋敷の中で竹生に行き合った。このような場所に竹生が来るのは珍しかった。黒光りのする渡り廊下は寒々としていた。麻里子は厚手のソックスを履いていたが、足元から冷気が立ち上って来た。麻里子は思わず、竹生を呼び止めてしまった。
「竹生さん」
竹生は麻里子が「竹生様」と呼ばなくても不快な顔はしなかった。他の者がそう呼んでも怒らないのかもしれないが、恐ろしくて麻里子以外は誰もそうは呼べなかった。

麻里子は思い切って言った。
「忍野さんを返して下さい」
竹生はじっと麻里子を見た。人でない戦慄の美が麻里子の足を震えさせた。
「何故だ」
柔らかいが、夜の底冷えを感じさせる声が言った。
「忍野を嫌っている者が、何を言う」
麻里子は精一杯の気力を揮い起こし、竹生を睨みつけ、気丈に言った。
「忍野さんを嫌ってなんかいません」
「だがお前は忍野を避けていた。それで忍野は絶望した」
青く光る瞳が、麻里子の心の底まで見透かすように、麻里子を見詰めていた。麻里子は竹生の視線に負けてなるものかと思った。
「それは、忍野さんには女の友達も多くて、余所者の私が忍野さんに頼ってばかりだと、気を悪くするし・・それに、篠牟さんの事も気持ちの整理が・・」
竹生の月の如き美貌に柔らかい光が灯った。ふふっと声を上げて笑った。そんな竹生を見たら村人が腰を抜かしそうな程、それは奇跡の如き事であった。
「そうか」
麻里子はその奇跡にも気付かず、一生懸命に言葉を続けた。
「篠牟さんが死んだばかりなのに・・でも忍野さんを嫌ってません。誰よりも頼りたい人で・・でも、色々ありすぎて・・」
竹生は頷いた。
「お前の気持ちは分かった」
竹生は身を翻すと、白く長い髪をなびかせ、屋敷の奥へ去って行った。麻里子は急に足が萎えて、その場にへなへなと座り込んでしまった。

竹生の去った後には青く甘い香りが残った。その香りが麻里子の記憶を揺り動かした。それは篠牟や朱雀にも感じた事がある香りだった。
(篠牟はキミが幸せになる事を望んでいた。私もそう望んでいる)
篠牟の兄の朱雀の言葉を、麻里子は思い出した。




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Last updated  2006/09/18 06:15:25 AM
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