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「来るとは思ってませんでしたよ」にやにやと笑う、タキシード姿の男の赤い髪は、天に向かい燃える炎の様だった。「『火消し』の言いなりの、臆病なお仲間達がね」”盾”の黒い戦闘服を着た朱雀は、静かに愛刀を構えた。「私は過去を斬りに来たのだ」この灰色の空間は、異界との間(はざま)、『奴等』の領域だった。和樹の導きで、ここまで鞍人(くらうど)を追って来たのだ。(お父さん・・)和樹は少し離れて、朱雀の緊張した背中を見ていた。戦いには手を出さぬ様に、和樹は朱雀に厳重に言われていた。和樹の”銀の身体”が限界に近い事を、朱雀は知っていた。それでも和樹は、朱雀が危険であれば戦うつもりだった。どうせ長くない命であれば、少しでも誰かの役に立って死にたいと和樹は思っていた。朱雀の身体が宙を飛んだ。刃の触れ合う音がした。鞍人の手にも、細い剣が握られていた。火花が散るほどに激しく、幾度も剣がぶつかり合った。「今日は遊びがありませんね」朱雀は黙っていた。鞍人は大きく跳び退った。「もっと楽しめると思ったのに、当てが外れてしまいましたよ」朱雀は刀を構えなおし低くつぶやいた。「お前も死に場所が欲しいだろう」鞍人は目を見開いた。赤い光が目に燃えた。そして笑い始めた。「それは、アナタもではありませんか?」「ああ、そうだ」朱雀はあっさりと認めた。「だが、ここで死ぬつもりはない」風が吹いた。朱雀は猛烈な勢いで、鞍人に斬りかかった。鞍人はそれを受け止めた。じりじりと刃で押し合いながら、朱雀は言った。「死ぬ時は美女の膝枕で、と決めているのだ。ここは女っ気がないからな」鞍人から大きな力が湧き上がり、朱雀は後ろに吹き飛ばされ、灰色の壁に激突した。鞍人はゆらりと宙に浮き上がった。「灰色の床で我慢してもらいましょうかね。死んだらどこでも同じですよ」朱雀もゆっくりと起き上がった。朱雀は、口元の血を手の甲で拭いながら、にやりと笑った。「キミには、美学と言う物がないのかね」鞍人もうれしそうに笑った。「少しは調子が出て来た様ですね。さあ、お楽しみはこれからだ」鞍人の姿が空中でぼやけはじめた。異様な気配が、鞍人を中心に広がって行く。「離れろ!和樹!」朱雀が叫んだ。和樹は背後に気配を感じた。「お前の相手は俺がしてやるよ、感謝しな」建角(たけつぬ)が、黒い顔に一際目立つ白い歯を剥き出して笑っていた。「お前こそ感謝せよ、私が相手をしてやるのだから」建角が慌てて振り返ると、そこには白き美影が立っていた。純白の髪がさらさらと肩にかかり、穏やかな白い顔に、うっすらと微笑が色を添えていた。建角はその美しさに、一瞬あっけに取られて魅入ってしまった。建角の視界が白くなった。風が白き者のマントをなびかせ、建角の視界を遮ったのだ。和樹は素早く、翻る白いマントの後ろに身を隠した。建角は吼えた。「お前は弟だな!」三峰はうなずいた。「そうだ。お前如きに、兄の手をわずらわせる必要もないからな」「見くびるな!」建角の全身から湧き上がった、無数の黒い羽根が、三峰に襲い掛かった。三峰はマントをふるい、和樹を片腕で抱きかかえて跳んだ。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/11/12
三峰が慌しく店に駆け込んで来た。こんな事は珍しかった。それもまだ昼間、”人でない者”が眠りについているはずの時間に。「何かあったのかい?」「朱雀が、和樹様と『奴等』の領域へ」幸彦は驚いた。「え、神内さんは、何も言っていなかったよ」古本屋の事務所兼神内の書斎で、幸彦は今しがた神内と言葉を交わしたばかりであった。『奴等』との戦いを宿命としている『火消し』、神内威(じんない たけし)は、古本屋の真の主人である。幸彦達は、神内の戦いをサポートするのが本来の役目である。朱雀は、神内と共に『奴等』と戦う定めであるが、一人で行く事はないはずである。『奴等』はそんなに弱くはない。神内とて『奴等』と一人で戦う事はない。「三峰、お前なら検討はついているのだろう?」「おそらく、あの異人を追って行ったのでしょう」「鞍人(くらうど)かい」「はい、百合枝様の為に。そして朱雀自身が過去と決別する為に」幸彦は声を低めて言った。「舞矢(まいや)の事だね」舞矢は真彦の実の母であり、鞍人の妹だった。そしてかつての朱雀の恋人であった。異人となってしまった舞矢を殺したのは朱雀だった。鞍人はそれを恨みに思い、朱雀の愛した百合枝の両腕を切り落とした。真彦は店にいなかった。自室で盾の一人を家庭教師として勉強に励んでいた。年相応の学力を身につける様に、神内から厳命されたのだ。「朱雀は百合枝様と、近く正式に婚姻を予定しているのです。あの男は昔から、物事のけじめに五月蝿い奴でしたから」三峰はそう言いながら、ある気配を感じて天井を見上げた。(行っておあげなさい)二人の脳裏に、優しいアルトの声が流れた。(何度生まれ変わっても、あの意地っ張りな性格は直らないらしいわ)『道標』と呼ばれる女性、『火消し』の導き手であるサギリの声だった。「幸彦様、私が行って参ります。和樹様の事も心配です」「僕も行くよ」長身の三峰は、幸彦の肩にやさしく手を置いた。「幸彦様には、店番という大事なお役目があります」「でも・・」「これは『火消し』の許した戦いではありません。それに鞍人は幾ら事情があろうと、貴方には伯父にあたる。たとえ敵であろうと、身内を殺める手伝いを、貴方にさせたくないのです」幸彦はうなだれた。「どうか、真彦様のお側に。何か起きれば、影響を受けてしまわれるでしょう」「分かった。お前も十分に気をつけておくれよ。敵地へ行くのだから」白き守護者は微笑んだ。「ありがとうございます」(和樹の作った道を辿って、朱雀の所へ送るわね)「よろしくお願い致します、サギリ様」白き優美な姿は、忽然と幸彦の目の前から消えた。「貴方はいいの?神内さんが許可しない戦いに手を貸しても」幸彦が問いかけると、鈴が転がるような笑いが幸彦の頭の中に響いた。(本当は、行ってやりたくて仕方ないのよ、神内は)「だったら」(でもね、今『火消し』が動くわけにはいかない。もうすぐ次の大きな・・)「幸彦様!すぐに奥へいらして下さい!」事務所に通じる廊下のドアが開き、そこから若い”盾”が顔を覗かせていた。「すぐに行くよ」幸彦は感じた。空気に細波のような不安が広がっている。「何だろう、サギリさん」問いかけてはみたが、『道標』の気配はすでに消え失せていた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/11/09
キミが恋しくなる時がある空色の思い出をまとったキミ遠い風の中に消えてしまった僕らの過去そして訪れる事のない未来の中に永遠に閉じ込めてしまったキミを僕らはいつも同じ時間の中で繰り返し歌い続ける神にしてみればつかの間の閃きの中で空色をまとったキミキミの事を思うたびに僕はいつも立ち止まるそして気が付いてしまうのだ前を見るのも振り返る事も同じ場所を見る事だと世界はなんて小さくてそして遥かなのだろうと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/11/06
「今日はドーナッツを持っていないのですね」財布を取り出した時、店員にいきなり言われた。そう言えば・・この前に来た時、人気のドーナッツ屋の箱を抱えていたのだった。大きくて平たくて、嵩張るのが嫌だけれど、食べたい誘惑には勝てずに買ってしまった、あの派手な赤と緑の箱。黒と金で統一された、仄かに香水の漂う店には、あまりに似つかわしくない代物であったのは分かっていた。けれどもあの時は、どうしても買わねばならぬ物があったのだ。けれども店員の目は好意的だった。「僕も甘いものが好きなんです」この店員は、きっと指名で来るリピート客が多いだろうなと思った(笑)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/11/01
挑発に・・のるべきか のらざるべきかthat is the question?
2007/10/29
手を離しておくれ行くあてなどどこにもないのだから空はあんなにも広いけれど私には一枚の羽根も無い世界が眠りについたら私も目を閉じて誰も知らない歌を探してみよう空よりも広い心の中で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/27
「柚木(ゆずき)様の事は・・内密に・・事を運ばねば」「しかし・・様がお許しにはなるまいと」「彼らには・・すでに・・言い含めております」「・・様は?」「・・様の事は・・竹生・・」どこかで複数の男のささやく声が聞えた。真彦は目を開けるとベッドから起き上がった。自分の部屋である。もちろん真彦の他は誰もいない。(誰かの・・夢?)人の夢や感情を感知する能力を持つ真彦は、無意識の内に何かを受け取ってしまう事がある。(柚木って、聞えた)柚木と真彦は、同じ日に同じ場所で生まれた。柚木は、真彦のたった一人の同年代の友達である。ずっと逢っていないが、真彦は今でも柚木を友達以上の存在だと思っている。珈琲の香りがする。トーストの焼ける香ばしい匂いもする。いつもの朝、お父さんが二人分の朝食を作っている。パジャマを乱暴に脱ぎ捨て、真彦はシャツとスボンを身に付けた。洗いざらしの木綿の服が、肌にひんやりと感じられた。佐原の村にいる時の真彦は、いつも上等な服を着せられていた。汚すと世話係の女達に叱られた。彼女達にとって、真彦を遊びに連れ出す柚木は、天敵の様な存在だった。表で遊ぶと、真彦の服はいつも泥だらけになってしまうから。ふと、その事を思い出し、真彦は一人で笑った。笑うと同時にさみしくなった。(柚木・・逢いたいな)「おはよう、真彦」父の幸彦の白いシャツが、朝の空気に良く似合うと真彦は思った。優しいお父さん、大切な人。キッチンはあまり広くない。テーブルと二人分の椅子が大部分を占領している。本当は向こうのリビングへ行けば良いのだけれど、二人はこの狭い空間で、寄り添うように食事をするのが好きなのだ。ずっと遠く離れていたから、出来るだけ側にいたいのかも知れない。こうして暮らせる時間も、もう残り少ないのだと、真彦は知っていた。「おはよう、お父さん」真彦も朝の挨拶をして、席に着いた。パン皿が置かれている。スプーンとバターナイフが銀色に光っている。紺色のマグカップが幸彦の、黄色いマグカップが真彦の。淡い花模様の外国製の陶器の砂糖壷とミルク入れのセットはサギリさんからの贈り物。骨董品屋の女主人であるサギリさんは、お父さんの古い友人。チンと音がして、トーストが二枚、銀色のトースターの上部に顔を覗かせた。真彦はパン皿を持って立ち上がると、熱いので気をつけてトーストを皿に取り、テーブルに戻った。バターケースも陶器だけれど白い無地。目玉焼きを作っているお父さんの分も、トーストにバターを塗ってあげる。朝食は二人の共同作業。真彦はもう一度立ち上がり、冷蔵庫を開けながら言った。「マーマレード?」「うん」フライパンから目玉焼きを皿に移しながら幸彦が答えた。朝食が始まる。二人の会話以外、ここには音が無い。繊細な神経を持つ二人は、静かな方が好みなのだ。「何か、始まるの?」真彦は先程の会話が気になっていた。「何か?」「柚木って、聞えた」幸彦の顔が真面目になった。「何が聞えたのだい?」目玉焼きを切りながら、真彦は答えた。「内密にって・・」幸彦は少し黙っていた。白身の端を口に押し込み、飲み込むと、真彦は硝子の塩入れを取り、少しだけ玉子に塩を振りかけた。真彦が塩入れを幸彦に差し出すと、幸彦は首を軽く左右に振った。真彦はテーブルに塩入れを置くと、言った。「僕は、柚木に逢いたい。まだ、柚木は僕に逢いたくないのかな」幸彦は珈琲を飲んだ。そして息子を優しく見た。真彦はトーストを齧っていた。「三隅と須永が、柚木と話したそうだ」真彦は顔を上げた。「逢ったの?柚木と?」「うん、また逢いたいと、柚木は彼らに言ったそうだ」佐原の村人をずっと避けていた柚木が、彼等を受け入れた。「じゃあ、僕にも逢ってくれるかな」「まだ、夢を送っては駄目だよ」幸彦に釘をさされ、真彦は少しふくれた顔をした。「しないよ」「今が大事なのだから」「うん」真彦は勢い良くトーストを食べ始めた。幸彦は息子のはずんだ気持ちがキッチンに漂うのを感じていた。入り口の方から声がした。今日の警備の当番の”盾”が挨拶に来たのだ。幸彦は立ち上がるとキッチンを出て行った。真彦は食事を続けた。真彦はうれしかった。(もうすぐ、柚木に逢える)真彦の質問に、結局幸彦が答えていない事に、真彦は気づいていなかった。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/26
百合枝は退院した。鍬見(くわみ)が週三回往診に行く事を条件として。百合枝は竹生の屋敷へ住む事になった。元々百合枝の生まれ育った家である。百合枝の心にも身体にもその方が良いだろうという、竹生の心遣いであった。屋敷は手直しを終え、建物も庭も往時の面影を取り戻していた。百合枝はそれを素直に喜んだ。鞍人から百合枝を守る戦いで、片足が不自由になった千条は、”盾”でいる事が出来なくなった。竹生は彼にも慈悲深き計らいを見せた。盾を辞した千条は百合枝に仕える事になった。百合枝を守れなかった償いが出来ると千条は喜び、竹生に感謝した。千条の押す車椅子で、曽祖父の黎二郎と妻の艶子がそぞろ歩いた屋敷の庭を巡るのが、天気の良い日の百合枝の日課となった。伴野(ばんの)が庭の手入れをしていた。彼もかつては”盾”であった。草木を愛する男であったのを見込まれ、佐原の村からやって来たのである。百合枝と行き会うと、麦わら帽子を取り、伴野は深く頭を下げた。百合枝はどの花が気に入ったとか、こういう花も欲しいとか、気軽に言葉を交わした。伴野は日焼けした頬に笑みを浮かべ、言葉は少ないながら丁重に百合枝に返答をした。修復された東屋で百合枝と朔也が過ごす時もあった。百合枝の乳母だった津代という女が呼び戻され、料理番として屋敷の台所を預かる様になっていた。津代の作るケーキや菓子と共に午後のお茶会が東屋で開かれる。百合枝と朔也、そして千条が側に控えている。そこに時折杵人(きねと)という老人が加わる事もあった。彼もこの屋敷に竹生が連れて来た者であった。品のある物静かな老人である。朔也の遠縁にあたり、他に身寄りがないのだと、竹生は百合枝に説明した。多忙な朱雀は、マンションとこの屋敷を必要に応じて使い分けていた。それでも週の半分程は、百合枝と共に過ごす時間を作る様に努力していた。たった一人で百合枝が暮らしていた屋敷で始まった、この奇妙な同居生活を、百合枝はむしろ面白がっていた。竹生が主人であるから、彼の故郷である佐原の村に縁がある者が多いが、個々にどういう人物であるのか、百合枝には良く解らない。しかし彼らは誰もが穏やかで、百合枝に敬意を持って接してくれた。竹生がこの屋敷に百合枝を住まわせ、これらの人々を呼び集めた本当の理由を、百合枝はまだ知らなかった。この屋敷には、昼の住人と夜の住人がいた。”人でない”竹生は夜を活動時間としている。百合枝を中心とした人々は普通の生活時間で暮らしている。だが広い屋敷内では、何の不都合もなく、夕暮れから夜が更ける時間帯は、双方が交じり合い、この屋敷が一番に活気付く時となっていた。ベランダに続く仏蘭西窓に、楽しげに揺れる影が映り、明るい笑い声が庭まで響く。そんな時、この屋敷自体が、百合枝の祖父や曽祖父の時代の、古き良き華やかなりし時代を思いはせるかの如くに、淡いセピア色に彩られ、夜の底にたゆたうのであった。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/25
鏡をもらった小さな鏡 Not for Sale ささやかな感謝をこめて確かに・・普段売っている物より小振りストラップチェーンが付いているバッグに忍ばせて時折自分の顔を覗き見る化粧で作った顔の向こうに別の世界が見えてくる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/25
「カナと和樹の事もお前に任せっぱなしだったな。礼を言う」「和樹はすっかり会社経営が板についてますよ」「元々戦いに向いていなかったからな」神内の声が深くなった。「カナも幸せだった様だな」亡くなった妻の事を言われ、朱雀は目を伏せた。「幸せであってくれたなら、良いのですが」神内は拳骨にした右手の人差し指の関節で、コツコツと机を叩いた。「遠回しの会話はやめよう。お前だって気が長い方ではあるまい?」朱雀は神内を見て苦笑した。「さすが『火消し』ですな」神内はずばりと言った。「御影百合枝の事だろう」「ええ、まもなく姓が変わりますが」「らしいな」朱雀は尋ねた。「彼女も『仲間』ですか?前の私、黎二郎の妻、艶子の生まれ変わりですか?」神内はすぐには答えなかった。二人は互いの目を見詰め、どちらもそらさなかった。朱雀の目を見詰めたまま神内は言った。「彼女の容態はどうだ?」「遠まわしな会話をやめようと言ったのは貴方ですよ、神内」「彼女を戦場に引き出しても、お前は後悔しないのか?」「彼女が運命を受け入れるなら」朱雀の目が燃えた。魔性の輝きが瞳を赤く染めた。「私が彼女を守ります」神内は言った。「その為にお前は、一人であの異人を倒しに行こうとしているな」「はい」朱雀は即座に答えた。強い決意がその声にあった。「それは『火消し』の戦いではない」「解っております。ですから貴方に加勢はお頼みしません」「すべてを断ち切って、次の戦いへ臨むと言う事か」「はい」神内は両手を頭の後ろに組むと、椅子の背にもたれた。ギイと椅子が鳴った。「俺達の仲間はとても少ない。これほどに少ない事は今までになかった」朱雀は顔をそむけた。「私には解りません」「お前には無事でいて欲しい」朱雀は身構えた。「行くなとおっしゃるのですか」神内は唇を尖らせた。椅子を左右に小刻みに回転させた。ギイギイと椅子が鳴った。神内は正面を向くと両肘を机に着き、両手で顎を支えた。「生きて帰って来い、死ぬ事は許さん」神内の瞳の中には黒々と踊る楽しげな感情があった。「どうせ、止めても無駄だろうしな」朱雀は立ち上がると深々と頭を下げた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/24
古本屋のビルの雰囲気は一変していた。本当の主人が帰って来たのだ。朱雀は一歩足を踏み入れた途端、心地良い緊張を感じた。古い建物の隅々まで生気に満ち溢れ、人々はそれぞれの職務の細部にまで神経を行き渡らせている様だった。朱雀は最初の名前”赤い髪のイサク”を思い出してから『火消し』と顔を合わせた事はなかった。一階の店舗の裏に、古本屋の事務所兼『火消し』の神内威(じんないたけし)の書斎がある。灰色の安っぽいアルミの扉をノックしてから、朱雀は中へ入った。今まで幸彦や三峰が座っていた一番奥の書物机に、一人の美丈夫がいた。黒革張りの肘掛け椅子に濃灰色の背広姿の身を深く沈め、彼は笑顔で朱雀を見た。「相変わらず、色男だな」「貴方にそう言われても、皮肉にしか聞こえませんな」ベージュの粋なスーツ姿の朱雀は答えた。神内は明るい声で笑った。立ち上がると朱雀より少し背が高く、肩幅も胸の厚みも朱雀よりあった。黒々とした髪は波打ち、太い眉の下の大きな目は強く輝いていた。神内は朱雀の肩を乱暴に掴んだ。乱暴だが親しみが込められていた。朱雀より低く豊かな声が言った。「思い出したそうだな」「はい」「”お前”に逢うのは、何百年ぶりだろう」「サギリにお聞きになりませんでしたか」神内は肩をすくめた。「アイツはそこまで親切ではない」そしてバンバンと勢い良く朱雀の肩を叩いた。朱雀の筋肉の張りを確かめるかの如くに。「戦いの時、いつもお前は俺の前にいた。先に出て戦っていた」「それが私の役目でしたから」朱雀の声は真面目な響きを帯びていた。「この人生に置いても、私はその役目を全うするつもりです」朱雀を見る神内の目に真剣な光が宿った。「イサク」「はい」「お前と又、巡り合えて良かった」その目を朱雀も見返した。「私もです。神内様」神内は微笑した。「様はいらん、神内と呼べ。お前は部下じゃない、俺の大事な仲間だからな」朱雀も微笑した。「貴方がそうおっしゃるのなら・・神内」神内は自分の席に戻った。朱雀は机の前の客用の応接セットのソファに座った。「幸彦は店番をしている。真彦は部屋で勉強中だ。三峰が家庭教師をしている」「家庭教師?何を教えているのですか?」「真彦も最低限の学問は身につけておかねばな」「まあ、そうですがね」「柚木が一緒なら、学校へ通わせる事も考えないでもないが」朱雀は神内が佐原の村の出来事を知っているのを感じた。柚木はまだ”外”に出てから幸彦や真彦と顔を合わせていないのだ。佐原の村の象徴たる人物だけに、村を嫌悪する柚木は、二人の事を避けていた。周囲もあえて逢わせようとはしなかった。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/23
百合枝の容態が持ち直し、面会が許される様になった。柚木は進士と共に百合枝の病室を訪れた。百合枝はベッドを少し起こしてもたれかかっていた。「柚木くん・・逢いたかった」百合枝は笑顔で言った。百合枝の肩には、白い毛糸で編んだ厚手の肩掛けがかけられていた。その下にあるはずの両腕がない事を、柚木は知っていた。そして百合枝が歩く事が出来なくなってしまった事も。「ごめんなさい、百合枝さん・・」それだけ言うと、こみあげてくる熱いものが柚木の喉を塞いだ。もしも自分が百合枝を避ける事をせず、百合枝を哀しませる事がなかったら、彼女は一人で出て行く事はなく、”異人”に襲われる事もなかったかも知れない。そう思うと、悲惨な百合枝の姿のすべてが自分のせいである気がして、柚木は何も言えなくなってしまったのだ。百合枝はすぐにその事に気がついた。「柚木くんのせいじゃないのよ。これは私が馬鹿だったせい」「だって、僕・・」「私が出て行ったのは、自分がどう生きるか迷ってたから」「どう・・生きるか?」「そう、あのまま朱雀の世話になって、中途半端に暮らすのが嫌だったの」今まで黙っていた進士が遠慮がちに言った。「百合枝様、あまりお話になるとお身体にさわるのでは」百合枝は軽く首を振った。「大丈夫よ、ありがとう」進士は手にしていた荷物を病室の応接セットのテーブルに置いた。「朱雀様から言い付かった物で御座います。花束は花瓶に生けてよろしゅう御座いますか?」「ええ、そうして頂戴」進士は花瓶を手に部屋を出て行った。それは進士の気遣いであった。「こっちへ来て、座ってくれる?」百合枝の言葉に柚木は素直に従った。ベッドの側の椅子に柚木は腰を下ろした。「貴方の事、色々と朱雀に聞いたわ。忍野さんの事も、村の事も」「・・・僕が”外”へ出た訳も?」「全部理解出来たわけではないけれど。貴方が家族と離れている理由は解ったわ。お母さんを許せないと何故思ったかも」柚木は言った。「だけど、それに百合枝さんを巻き込んじゃいけなかった。ごめんなさい」「すんだ事は、もう言わない事にしましょう」百合枝は明るく言った。「これからも、仲良くしてくれる?」柚木は気にかかっていた、もうひとつの事を口にした。「朱雀おじさん、僕が百合枝さんに甘えると嫌だと思って・・」百合枝は笑った。「いいのよ、朱雀は貴方の親代わりなのだもの。私も同じ、どんどん甘えて。だけど柚木君が悪い事をしたら、ちゃんと叱りますからね」柚木も笑顔で返事をした。「はい」廊下で進士と鍬見(くわみ)が小声で言葉を交わしていた。進士は難しい顔で言った。「その話は、信用出来るのですかな?」「間人(はしひと)様のお身体を治した方法と同系統ですから、見込みはあります」「柚木様が、村へお戻りになる事が、必要だと言うのですか?」「そうしなければ、成功するのは難しい。それが術者達の一致した意見です」「しかし」「村でも、長期の準備が必要です」「その間に、柚木様のお心を・・」「はい・・あの方にも、ご協力を・・」(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/22
やるせない夜不甲斐ない自分を嘆くなら長い夕闇を抱え込む秋がいい短すぎる悔恨は苦い思い出にしかならず明けてゆく空にはニセモノの希望を見ようとしてしまうからどちらにしても忘れてしまうその程度の痛みなら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/21
百合枝が”異人”の鞍人(くらうど)に拉致され、悲惨な姿で戻った事は少数の者にしか知らされなかった。出張先から急ぎ帰宅した朱雀は、進士(しんじ)を伴い百合枝の運ばれた病院へ向かった。出掛けに朱雀は柚木に言った。「お前は家の留守を頼む」最近の柚木が、朱雀や百合枝の事を避けていた事、そしてその理由を、朱雀は感じ取っていた。だからこそ柚木にあえて留守居を命じたのだ。「ここを空にしてしまうわけにはいかんからな。『奴等』が何時現れるか分からない」「朱雀おじさん、僕・・」罪悪感と混乱の中にいる柚木に、朱雀はいつも変わらぬ微笑を投げかけた。「須永が直に来る。頼りにしてるぞ、柚木」朱雀と入れ違いに須永がやって来た。二人の部下を連れていた。須永の後ろで頭を下げた二人に、柚木は見覚えがあった。「高綱(たかつな)と五瀬(いつせ)です。覚えておられますか?」物静かで寡黙な須永の部下であるのに、この二人は上司とは正反対に陽気で饒舌だった。「柚木様、お久しゅう御座います。木登りの得意な高綱ですよ」「いやいや、木登りは私の方が得意でしたよね、柚木様」柚木はたちまちに警戒心が解け、昔二人に遊んでもらっていた頃の子供の気持ちを取り戻した。「五瀬の方が、高くまで登れたよね」「ほら、みろ。柚木様は正直でいらっしゃる」小柄で敏捷そうな五瀬は、大きな目を輝かせて悪戯っぽく高綱を見た。ひょろりと背の高い高綱は肩をすくめた。柚木と二人の様子を穏やかに見ていた須永が口をはさんだ。「挨拶がすんだら、交代で表を見張れ」さっと二人は真面目な顔を取り戻し、一礼して出て行った。強くなりたい、一人で生きて行かれる様にそう思ったはずなのに・・柚木は自分を守る手がこんなにも多くあった事に初めて気がついた。須永も三隅も何も言わなかった。だが彼等は元々”外”へ出る事を願う盾ではなかった。高綱も五瀬もそうだった。皆、柚木の義父の忍野を慕い、柚木にも特別の親しみをこめて接していた盾達であった。柚木も彼等に懐いていた。村のすべてを嫌悪し、誰にも会いたくないと柚木は朱雀に言った。朱雀も強いて誰かに会わせようとしなかった。しかし柚木に心をかける人々は、柚木に気取られぬ様に、ずっと柚木を守って来たのであった。柚木の”風の力”が呼び寄せる敵達から。突然、柚木が言った。「須永、ありがとう。三隅も皆も、ありがとう」須永は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻り、柚木を促した。「奥へ入りましょう。いつまでも玄関先にいるのも何ですから」柚木は明るく言った。「僕、珈琲をいれるよ。進士に習ったんだ」「ありがとうございます」「あの二人にも飲ませてあげたいな」須永は微笑んだ。「後で、三隅と交代致しますので、奴にもお願いします」「うん、まかせて」柚木も笑顔で須永を見た。須永はかつての柚木の笑顔をそこに見出し、後でその事を三隅に教えてやろうと思った。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/17
知らないままで過ごすなら聞かないままで過ごすなら都合の良い住所不定の旅行中行き先は誰にも告げず告げるべき人すら持たず荷物は自分と思い出とさっき買った花束ひとつ私自身が世界を彷徨う届かない手紙のように・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/15
小説&詩まとめサイト更新のお知らせです。「金銀花は夜に咲く」第15~16話掲載オリジナル詩篇追加menesiaのプロフィール更新致しました。最近多忙の為、更新が遅くなっております。ゆっくりでも続けていくつもりですので、長い目で見守ってやって下さい。今後とも、こちら共々よろしくお願い致しますm(_ _)m!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜゜↓当ブログに掲載された作品はこちらのHPでまとめてご覧になれます!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜゜
2007/10/14
巷で流行している相関図ジェネレータを『火消し』シリーズの人物で試してみました。何となく・・それらしいのが可笑しい(笑)竹生が「やりたい放題」なのを弟の三峰が「心配」しているのもそうですね。竹生と忍野の関係については、BL小説だったらこれも歓迎なのでしょうが、生憎その方面は疎いもので・・三峰と忍野はどういう「○○仲間」なのか、想像すると楽しめそうです。「苦手」と「無関心」が多いのが、生きるのに不器用な人達なのだなと。たまには、こういうのも良いですね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/13
目に見えぬ流れが光りいかずちの恐れは人の記憶に落ちる太陽の熱した大地を冷やす雨あめつちの理を見る心地する生温き風吹く夜も青白く冷たき顔を見せる三日月乾く喉水を求める百日紅褪せる色にも焦がれる思い汗拭う目先に白き雲湧きて秋近き空高く澄みゆく重ね行く日々疑わず過ごす時月なき空にも何故と思わず迷いつつ犬に引かれてゆく道の果てを思いて一人で笑う鶏頭の赤き飾りを振り立てて軽ろき中身を隠して騒ぐ柿色に染まりゆく陽の落ちる午後秋駆け足に渡る空かな崩れゆく夏の牙城に鳴く虫の声弔いの響き含みて風吹きて空再びの狂乱に叫ぶ如きの天変を見るたわむれを風にまかせてコスモスと蝶は秘密を持ちつつ笑う半袖の夕暮れ寒き食卓に湯気立ち上る鍋の恋しき街灯に長く後ろに影を引き見上げる窓に笑い声聞く侘しさに染み入る紅き色なれど折るを躊躇う彼岸花かな秋の声聞くといえども残る陽の熱さいまだにさめやらぬ宵湯上りの肌吹き抜ける風にさえ混じり行く秋彼岸の近し夜の空月も冷たき光帯び暑き季節も夢の彼方へ揺れるのは風とトンボと彼岸花儚く過ぎる日々の想いと夕暮れの色吸い込みて茜色手に暖かき柿の実ひとつ黄金の波を刈りつつ仰ぎ見る空青くして白鷺の舞う肌寒く上着羽織てみたものの寒きは肌のみでなきを知る不可思議な絵を青空に描くのは如何なる巨匠の筆かと思う静けさを肴に一人飲む酒の染みるは胃の腑ばかりではなく雨音に見やる窓には笹の葉のうなだれる庭朽ちる草花風白く小径を抜けるその先に人影もなし秋の夕暮れ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/13
朱雀の住居と繋がる扉を誰かが叩く音がした。夜の闇がすっかり部屋を支配していた。泣きながら柚木はいつしか眠っていたらしい。手探りで灯を点け、扉の鍵をはずした。そこには百合枝が立っていた。「お夕食にも来ないし、どうしたのかと思って」百合枝は白いナフキンをかけた銀の盆を持っていた。「これは柚木君に」それが進士の心遣いである事は見当がついた。百合枝に涙の跡を見せまいとして、柚木は乱暴に顔をこすった。「うっかり、寝てしまったんだ」百合枝は微笑んだ。「入っていい?」柚木は後ろへ下がった。百合枝は盆を持って部屋の中へ入った。四角い薄茶色の敷物の上に木を磨いたテーブルがあり、百合枝はそこに盆を置いた。床に座ると丁度良い高さのテーブルだった。柚木は家具をあまり置きたがらなかった。寝台と勉強机と作りつけの箪笥の他は、このテーブルだけだった。同世代の少年が遊ぶようなものは何もなかった。盆の上の物をテーブルに並べている百合枝の様子を見ていると、柚木はこの人になら話しても良い気がした。柚木はテーブルの側に座り込んだ。「親がいない事には、そのうち慣れる?」百合枝は早くに両親を亡くしていた。柚木はその事を知っていた。百合枝は少し驚いて柚木を見て、すぐに視線を手元に戻した。柚木がこんな事を聞くのは初めてだった。食器を並べる手を休めずに、百合枝は言った。「そうね、そのうちに。代わりに愛してくる人がいてくれたから。私にはおじいさまが」百合枝は食器を並べ終え、柚木の傍らに横座りに腰を下ろした。「貴方には、朱雀や沢山の人がいる」薄青く長いスカートの裾が広がり、柚木の胡座をかいた片方の足先に掛かった。足先が少し暖かく感じた。それはほんのわずかなぬくもりであったが、柚木は意地を張る気持ちが崩れてしまった。横を向いたまま、柚木は、弟との再会、母を許せない気持ちを立て続けにしゃべった。普段は胸の内を話さぬ子供であった柚木だけに、話し始めると、鬱積していた思いが一気に堰を切って溢れ出し、柚木の言葉は止まらなかった。百合枝は余計な口は挟まずに、軽く相槌を打つだけで、柚木の話を聞いていた。話がとぎれた。再び涙が柚木の目から溢れていた。柚木は百合枝を見た。百合枝は微笑んでいた。柚木が欲しかった優しさがそこにある気がした。柚木は百合枝の腰に手を回し、その胸に顔を埋めた。涙の中に甘い香りを感じていた。母とは違うが、柔らかく暖かい胸に安らぐ思いがした。百合枝は柚木を抱きしめ、髪を撫でていた。柚木の告白は、父を想う柚木の切なさと、母を慕いながらも許せずにいる引き裂かれた柚木の心の叫びだった。不意に朱雀が入って来た。桐生と逢って戻って来た柚木が心配で、様子を見に来たのだ。百合枝は驚いた。朱雀は軽く微笑み、百合枝に頷いてみせた。「柚木は、すっかりキミに心を許しているようだね」そう言い置いて朱雀は出て行った。柚木は気がついていた。朱雀は柚木の行為に不快感を覚えたのだと。優しく言った言葉の裏の苦さを、柚木は感じ取っていた。(誰もが大切な人を持っているのだ。それは、僕じゃない)柚木は身体を起した。「ごめんなさい」「あやまる事なんて、何もないのよ」柚木は目をそらした。「食べ終わったら、食器は自分でキッチンに返しておきます」柚木は硬い声で言った。百合枝は立ち上がった。「じゃあ、私は戻るわね」再び一人になった部屋は、さっきよりも更にがらんとして見えた。柚木はテーブルの上の食事を口にしたが、いつも美味いと思う進士の料理を味気なく感した。柚木はすぐに箸を置いてしまった。(強くなりたい)柚木は思った。(一人でも、生きられる位に)(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/11
懐かしき甘き香り冴え々々と冷たき夜の風にふりかえるなかの甘き過去の想いを暮れゆく街に流れるは金色の淡き未練ばかりなれど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/10
重なる事が嫌なのか一列に並んで僕に迫り来るあれは過去を隔てる鉄格子思い出したくない記憶捨ててしまえるならこれほど都合の良い事はないけれども忘れてしまうのは忘れたくないことばかり隙間に手を差し入れて過去に伸ばした指先は誰にも届かず何もつかめず風がこんなに空しいなんて今始めて気がついて壁のない檻の中で僕は途方にくれている・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/04
佐原の村の手前に一軒の家があった。群青の家が管理する”壁”の監視の為の家であった。見た目はありきたりな農家である。夜中近くに一台の車が家の前に停まった。降り立ったのは白く美しい影であった。その後から少年が続いた。少年の眼鏡をかけた顔は強張っていた。白き守護者は言った。「ここだ」家の戸が静かに開き、彼等を出迎えたのは東士(とうじ)であった。「柚木様、お久しゅうございます」東士はすっかり白くなった頭を下げた。東士と妻の早乃は忍野と麻里子の家に仕え、柚木が生まれた時からずっと世話をして来た者達であった。五年前のあの日まで。柚木は何と言って良いのか分からなかった。三峰が取りなす様に言った。「夜も遅い、まずは中へ」東士に導かれ、ひんやりとした木の廊下を歩き、奥の座敷へ入った。そこには東士の妻の早乃がいた。早乃は柚木を見ると目頭を押さえた。「柚木様、背がお高くなって」三峰が尋ねた。「早乃、あの子はどうした」「先程まで起きておられましたが、お休みに」「そうか」「柚木様のお布団もお隣に敷いておきましたので。ご一緒のお部屋でお休みにと」ずっと黙っていた柚木が行った。「あの子は僕を覚えているだろうか・・」隣の部屋との境の襖が開いた。子供が顔を覗かせた。子供は大人達の話し声で目が覚めたのだ。子供はじっと柚木を見詰めた。柚木も子供を見詰めた。やっと小学生になったばかりの子供の顔は父の忍野にそっくりであった。柚木はそっと子供に呼びかけた。「桐生(きりゅう)・・」じっと見ていた子供の目に不思議な光があふれた。子供は自分の倍の背丈の柚木に駆け寄りしがみついた。「おかえりなさい」あどけない声が言った。柚木の目から涙があふれた。柚木は弟を抱きしめた。「ただいま、ただいま・・桐生・・」涙で喉に声がつかえた。傍らで様子を見ていた早乃も前掛けで顔を覆って泣き出した。三峰は微笑み、東士に言った。「明日の夕方、迎えに来る。それまで頼む」「かしこまりました」東士の目も涙でうるんでいた。桐生が柚木を即座に兄と解ったのは、佐原の夢の力のお蔭だった。幸彦は真彦とも会おうとしない柚木の心の傷を気にかけていた。そして柚木が弟の桐生の事をとても可愛がっていたのも知っていた。だから密かに桐生に柚木の夢を送っていたのだ。兄の存在を忘れぬ様に。それも幸彦の罪滅ぼしのひとつであった。五年ぶりの再会を果たした兄と弟は、次の日の午後までを共に過ごした。桐生はいつもそうであったかの様に柚木に甘え、柚木は桐生の笑い声を聞くと幸せな気持ちになった。小さな手の感触、まだミルクの匂いが残るような柔らかい肌のぬくもり、すべてを自分に預けてくる無垢の信頼。かつての自分も、こうして父に甘えていたのだろうかと、柚木はぼんやりと思っていた。柚木は幸福でいながら、胸のどこかで痛みを感じていた。夕刻になると、三峰が迎えにやって来た。柚木は再び黒塗りの車に乗せられ、朱雀のマンションへと運ばれた。自室に戻った柚木は、妙に明るい部屋を見渡した。故郷は緑と土の匂いがしていた。ここには何もなかった。クリーム色の清潔な部屋の真ん中に座り込むと、やりきれない思いが込み上げて来た。別れ際に柚木の上着の裾を掴み、せがんだ桐生の言葉が柚木の胸を切り裂いた。「早くおかあさんの所へ帰ろうよ」桐生は何故に兄が村を出たのか知らないのだ。あの出来事があった時、桐生はまだ乳飲み子であった。桐生は大きくなり、ますます忍野の面影を色濃くしていた。失ったものは大きく、残された者と離れがたい想いもつのる。なのに柚木の中には消せない痛みがあった。どうしても柚木は、母である麻里子を許せなかった。悩み苦しむ父を助けようとしなかった母を。柚木は泣いた。泣く事は恥ずかしいと思っていた。だが今は身体の中が溶けて流れ落ちる様に、涙があふれて止まらなかった。柚木の心も崩れそうな程に涙に満たされている気がした。柚木は泣く事に自分をゆだねた。それだけが、今の悲しみから抜け出す為の最上の方法だと、柚木は思った。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/10/03
「貴方の仮面を身に着けて」小説&詩まとめサイト更新のお知らせです。「金銀花は夜に咲く」第11~15話掲載オリジナル詩篇追加短編小説「樽の家」掲載致しました。最近多忙の為、更新が遅くなっております。ゆっくりでも続けていくつもりですので、長い目で見守ってやって下さい。今後ともこちら共々よろしくお願い致しますm(_ _)m!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜゜↓当ブログに掲載された作品はこちらのHPでまとめてご覧になれます!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜゜
2007/10/02
手を合わせて心を閉ざし知らずにいた風景を見る時が訪れた光は頭上から床に落ち私は空を仰ぎ見るそして私は理解する敬虔という言葉が天から降るのではなく大地から湧き出るのでもなくこの手の中にある事を私は最初の微笑を見つけ私は最後の慟哭を捨てる光は頭上から床に落ち私は空を仰ぎ見るそして私は理解するそれはとても簡単な事絡まりあう世界の中では見つからずにいただけなのだと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/28
「先にご飯食べて、寝ていいからね」電話の向こうから和樹さんの声がする。苛立ちが滲んでいる。別に僕に怒っている訳ではない。「宿題、ちゃんとやれよ、柚木」だから僕を気遣って、わざとこんな事を言うのだ。「うん、わかった」電話が切れた。今日も忙しいのだ、仕事が。大学を卒業して、和樹さんは朱雀おじさんの会社に入社した。学生の時からおじさんの仕事を手伝っていたから、和樹さんはすぐに大きな仕事を任された。だからずっと忙しくて、週末も出かけている事が多い。僕は中学生になってから、一人で食事をする夜が多くなった。和樹さんが何か作って置いて行く事もあるし、僕もカレー位なら自分で出来る様になった。朱雀おじさんは、僕らにあまり干渉しない。でも僕の事を大事に思ってくれているのだ。学校で何か行事がある時は、必ず来てくれる。運動会でも参観日でも。朱雀おじさんは大会社の社長で、背が高くて誰が見ても立派な人に見える。僕は同級生に羨ましがられるけれど、今ひとつ分からない。誰もが本当のお父さんがいるのに、何故、僕が羨ましいのだろう。今日も参観日のお知らせの紙をもらった。和樹さんが帰って来たら、朱雀おじさんに渡してくれるように頼まないといけない。帰宅した和樹さんは、玄関から真っ直ぐに自分の部屋へ行って、ベッドに倒れこんだ。気配で分かる。僕らの部屋は隣同士だから。それに、僕は・・・「和樹さん」僕は声をかけてから、ドアを開けた。常夜灯の淡いオレンジの光が部屋を照らしていた。和樹さんは上着も脱がずにベッドに仰向けになっていた。片手の甲を額に当てていた。少し酒臭くて、酷く疲れた顔をしていた。「何、用事?明日にして」和樹さんは声を出すのも億劫そうだった。僕は恐る々々言った。「あの・・」和樹さんが怒鳴った。「明日にしてくれないか」和樹さんのそんな声を聞いたのは、初めてだった。僕は驚いて動けなくなってしまった。持っていたお知らせの紙を握りつぶしてしまいそうになり、僕は慌てて力を抜いた。和樹さんは目を閉じて動かなかった。僕は足音を立てない様にベッドに近寄り、枕元のテーブルにお知らせの紙を置いた。かさかさと紙が音を立てた。和樹さんが目を開けた。「お父さんに渡す奴?学校からの」僕は頷いた。「うん」いきなり和樹さんが起き上がって、僕を抱き締めた。「柚木、僕はお前が大好きなんだ、大切なんだよ」僕は和樹さんの腕の中で言った。「僕も、和樹さんが大好きだよ」和樹さんは、僕に怒鳴った事に自分で傷ついていた。五年前の雨の日を思い出す。雨の中で倒れていたお父さん。あの時の僕も、今の和樹さんと同じだった。お父さんを助けたいのに、十歳の僕は、お父さんを背負うには小さすぎた。大好きだったお父さん、なのに僕は抱き上げる力すらなかった。和樹さんだって、まだ支える手が欲しいのに、僕をずっと支えてくれた。今も抱き締めてくれている。この五年間、ずっと僕を守ってくれた。僕も和樹さんが好きだ。だから僕は和樹さんの為に、出来る事をしたい。「明日、僕が自分で朱雀おじさんに渡すよ。だから、会社に連れて行って」和樹さんの腕に力が篭った。僕の髪に鼻を埋めたまま、和樹さんは言った。「お前は・・それでいいの?」「いいよ」僕が答えると、和樹さんはもっと腕に力を篭めた。和樹さんのすすり泣きが、僕の頭の上から聞えた。「ごめん、柚木、ごめん」和樹さんは何度も繰り返して言った。僕はずっと和樹さんの腕の中で、和樹さんがそう言う度に、首を振った。だって和樹さんは悪くない。悪いとしたら、それはまだ僕が子供だと言う事だ。和樹さんには和樹さんの人生があり、それだけで和樹さんは精一杯なのだ。そうして僕は、朱雀おじさんの家で暮らす事になった。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/27
戸棚を整理していたら花火が出て来た。何時の物だろう、少し古い絵が付いていた。子供の時は、夏の間は毎夜花火をした。歩けない妹が何時もせがんだからだ。縁側から降りて、古いバケツに水を汲んでいると妹が窓際まで這って来る。私は窓の下で花火をしてやる。簡単な線香花火や、シュウシュウと火花が飛ぶ奴だった。煙が白く、家の中から射す灯に映っていた。煙があるから蚊取り線香は焚かなくて良いと言われたけれど私の足は良く蚊にさされていた。何時頃から、花火をしなくなってしまったのだろう。色褪せた花火の袋を手にしばらく考えてみたけれど、結局思い出せなかった。人の記憶も儚いものだ。すぐに消えてしまう、花火のように。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/25
重ねた唇は逃げ出す愛を畏れるのではなく愛が終わるのを畏れて傷ついた指をくわえ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/21
今年の夏は帽子をかぶる機会が増えた。髪型を変えたせいだ。つばのあるフェミニンなものから渋谷の人達がかぶっているようなものまで色々と試してみた。気がついたら10個以上の帽子が箪笥の中に並んでいた。お気に入りはラベンダー色のありふれた形の帽子。ベイジュの大き目のキャスケットもすっぽりとかぶれるのが好き。気がついたら・・今年は日傘を一本も買っていなかった。去年買ったオフホワイトのレースの日傘もあまり活躍しないまま。夏はもう過ぎて行こうとしている。暑さ寒さも彼岸まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/20
さゆら子様の”盾”の長だった父は、生まれてまもない幸彦様の許へ私を連れて行った。白絹の褥に横になられたさゆら子様の傍らで、幸彦様は眠っておられた。「お前はこの方を守る盾になるのだ」父は言った。私は私の主となる小さな人を誇らしい気持ちで見ていた。いつか父の様になる、それが私の望みであったから。幸彦様が目を覚まし、私に向かって手を伸ばされた。私はその手を握った。すると美しい夢が私の中に流れ込んできた。それはありふれた野原のようであり、どこにもない約束の地のようであった。汚される前の楽園だったのかもしれない。静かで清らかな場所・・幸彦様はどこからその夢を得たのだろう・・さゆら子様はすぐにお気付きになられた。「この子が力を使ったのは貴方が初めてよ」さゆら子様はおっしゃった。あの小さな手を取った時から私の運命は決まっていたのだ。何があってもこの方をお守りしようと。美しい夢を下さった人を・・・(そして私は、人である事も捨ててしまった)竹生はソファの傍らに跪き、幸彦の寝顔を見ていた。今でも竹生にとって幸彦は唯一無二の主人であった。幸彦が幸福である事が竹生の幸福だった。その為に竹生は弟の三峰にまで呪われた運命を与えてしまった。”人でない”者にしてしまった。弟には愛する妻と生まれたばかりの息子がいたと言うのに。その事を後悔していないと言えば嘘になる。三峰は竹生を恨んではいない。盾の家に生まれた以上、佐原の家の血筋の者を守るのは使命であったから。彼等の父も祖父もそうであった様に。それだけに一層竹生は辛くなる時があった。しかし竹生の周囲の者達は言うのだ。「竹生様のお考えは誰にも分からない」と。心を隠すのも盾としての心構えのひとつであった。神業と言われた剣の腕前同様に、竹生はそれが上手かっただけなのだ。竹生にも喜怒哀楽はある。弟の三峰と朱雀、共に暮らした忍野だけが、竹生の隠した思いを感じる事が出来た。そしてもう一人、今ここに眠る幸彦だけが。幸彦が目を開けた。目の前の白き極上の美貌を見て、幸彦は微笑んだ。幸彦は手を伸ばした。その手を竹生はそっと握った。美しい夢が流れ込んで来る。二人は同じ夢を見る。二人だけの夢を。「来てくれたのだね、竹生」幸彦がかすれた声で言った。竹生は微かに頷いた。白く長い髪が揺れ、さらさらと幸彦の上に雪崩落ちた。幸彦は青く甘い香りに包まれた。幸彦がつぶやいた。「いつか、目覚めると良いね」「私も”あれ”も、共に貴方の為に」竹生のささやきが幸彦の耳に流れ込んだ。まだ醒めぬ酔いが更に深くなった。「ありがとう・・」「礼など、不要です。私は永遠に貴方の”盾”です」「あれも、だね・・」「はい」「安らかな夢をみている・・今は哀しむのをやめている」地下に眠る者の夢を幸彦は感じたのだ。「そうですか」竹生は微笑んだ。少なくともその眠りが安らかであるのなら目覚めを待つのも辛くない。幸彦は酔いと疲れでもつれた舌で言った。「竹生・・僕は眠い」「朝までまだ間があります。ゆっくりとお休み下さい。お側におります」幸彦は目を閉じた。微笑みがその顔を彩っていた。そこだけ花が咲いた様だと、その微笑を見ながら竹生は思った。それは懐かしい思いだった。閉ざされた石牢で、奥座敷の暗がりで、いつも竹生はこの寝顔を見守っていた。”異人”とはいえ、人であった者達を殺め、自分の手が血で染まり続けた日々、今宵も無事に安らかな寝顔がそこにある事が、竹生の心の支えでもあったのだ。三峰に守護者の地位を譲っても、竹生は幸彦を守る事をやめるつもりはなかった。おそらく、これからも。竹生の手を握っていた幸彦の手から力が抜け、ぱたりと落ちた。その手を両手で掬い上げる様に取り、竹生はその手に額を押し付けた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/18
その重みに耐えられないと言うのなら私に下さいその羽根を羽ばたくには弱すぎて隠すには大きすぎる貴方の背中で揺れている白い羽根を私に下さい狭すぎる世界で羽根は役目を失ったなのにこれほど美しく震える揺れる震える揺れる私に下さいその羽根を星に届くほど高くそびえたつあの山の上に広がるあの空の風に吹かれてみたならばこの羽根は思い出せるかもしれない昔々の蒼い空と白い雲その更なる高みに置き忘られた消せない夢の数々を・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/17
酔いが回り、昼間の疲れが一気に出たのか、幸彦は床に伸びて眠ってしまった。朱雀はそっと幸彦を抱き上げ、ソファに寝かせた。華奢な体は驚くほど軽かった。(この方も、悩みも苦労も、まだまだ多いのだろう)朱雀はそう思い、幸彦の胸の上に置かれた片手を見た。男にしては、ほっそりとして指が長く、綺麗な手だった。爪の形に朱雀は眼を止めた。それは遠い昔、朱雀がその甲にまだ汚れを知らぬ唇を押し当て、永久の忠誠を誓った手の、爪の形に良く似ていた。(この方は、さゆら子様の御子なのだ)朱雀はまざまさとそれを感じた。朱雀の時は止まっている。だが幸彦は普通の人間である。この十年で、まだ残っていた少年めいた匂いは消え、幸彦は良き父親の態度が似合う様になっていた。それでも柔和な顔立ちの幸彦は若々しかった。寝苦しそうであったので、朱雀は幸彦のシャツのボタンを幾つかはずした。あらわになった喉元から胸にかけ、白い肌は滑らかに、少し汗ばみ艶を帯びていた。それを見ていると、朱雀は悩ましい気持ちになった。かつて朱雀が愛したのは、彼の母、そして彼の叔母であった。朱雀の生涯を捧げた人の面影を、どこかに感じさせるのは、当たり前と言えば当たり前の事であった。竹生が何故幸彦とあえて距離を置いたのか、朱雀は分かった気がした。(竹生様は、幸彦様の時を止めてしまいたいと、お感じになったのだ)それは許されぬ事であった。愛する者に、毎日訪れる昼間の苦痛を、他の者の血を糧にする苦悩を与えてしまう。そして今の朱雀は知っている。愛する者の血を求める、激しく暗い思いを。まさにそれは渇望なのだ。それがどういう種類の愛であるかも、朱雀には理解出来た。幸彦が生まれた時から、竹生は幸彦を守る為だけに育てられたのだ。竹生の関心はすべてその一点のみに絞られていた。最初は仕向けられたものであったかも知れない。いつの間にかそれは、竹生のすべてとなったのだ。もし『奴等』の介入がなければ、村の守護者たるマサト様の寿命が来なければ、幸彦は順当に佐原の当主となり、竹生は当主に仕える盾の長として、代々受け継がれた役目を全うした事であろう。だが、運命はそれを許さなかった。朱雀は真彦がしていた様に、絨毯に座り込んだ。瓶の中の琥珀色の酒は、まだ残っていた。朱雀はグラスを満たし、口に運んだ。上質の酒の香りを楽しみながらも、朱雀の心は重く沈んでいった。(真彦様と柚木も、そうなのかも知れぬ)主従、守られる者と守る者。その様に運命付けられたはずなのに、世界は二人を引き裂いた。(まだ少しだけ、次の『奴等』がやって来るまでは、時間があるはずだ。それまでに真彦様と柚木が昔の様になるように・・村が元に戻る様に何か方法を見つけねば)思いにふける朱雀の耳に、幸彦のつぶやきが聞えた。鋭い朱雀の耳には、誰を呼んだのか聴き取る事が出来た。(寝ていても、どこかでお感じになっておられるのだな。今側で支えて欲しい者の事を)部屋の外には、二人の盾が見張りに立っていた。朱雀が出て来ると頭を軽く下げた。普段はここまでの警戒はしない。今が非常事態であるという事なのであろう。朱雀も軽く頷き返した。「お前達は、もう良い」「しかし」「私がお側にいるのだから」二人はもう一度頭を下げると去って行った。朱雀は地下へ降りて行った。朱雀が扉の前で立つと、扉はひとりでに開いた。それは入室を許されたという事である。機械仕掛けではない。風の力であった。朱雀は奥へ進んだ。朱雀の目には、床に腰を下ろし寝台に寄りかかる美しき影が見えた。影が身じろぎした。白く長い髪がさらさらと流れた。無愛想な声が言った。「日に何度も、お前の顔を見たいとは思わぬぞ」朱雀はにこやかに応じた。「貴方のお顔でしたら、一日中でも拝見していたいものですがね」「何の用だ」朱雀は単刀直入に言った。「幸彦様に、ご挨拶を」竹生は答えなかった。やや経ってから返事があった。「必要ない」朱雀はその返事を予想していた。「ならば何故、ここへいらしたのですか」「ここは三峰の部屋だ。兄が弟を頼って何が悪い」朱雀は続けた。「この様な事態です。貴方がここに居る事が、幸彦様をお守りするのに、最良と思われたのではありませんか。貴方が居るだけで異人は近寄りたがらない」物憂げな声が言った。「人を買いかぶるな」「過度な謙遜は嫌味になると、貴方は私におっしゃったではありませんか」闇の奥で微かに微笑が広がったのを、朱雀は見逃さなかった。さらさらと白く長い髪が揺れ、竹生は立ち上がった。「これ以上、お前のおしゃべりを聞くのもかなわぬ」朱雀は頭を下げた。「留守番はおまかせを」竹生は出て行こうとして振り向いた。「朱雀」「はい」「私とあれの身の回りの物、用意して欲しい」「はい」竹生の顔に、今度ははっきりと微笑が広がった。「お前からの、我らへの差し入れとして、な」朱雀は素直に負けを認めた。「はい、心をこめて、ご用意させて頂きます」(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/16
涙が紅く流れても蒼褪めた唇に微笑みは戻らなかった手を伸ばしてごらんキミの指に触れたのが未来この世で最期の楽園はキミの為に残された熱い血を持つ者達の鼓動が途絶えたその先でキミの歌が聞きたくて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/15
「珈琲でいいかな?真彦も一緒だから」「幸彦様にお手数をおかけしては・・どうかお構いなく」「いいんだよ、僕がしたいのだから」「では、いただきます」幸彦はいそいそとキッチンの方へ行った。幸彦と真彦の部屋は、強大な権力と莫大な財産を持つ佐原の家の当主親子の住居としては、あまりにも質素であった。リビングに続いたキッチン、リビングの向こうに小さな座敷がある。そして二人の寝室。それがすべてであった。あらゆる事象を感知する能力者である二人は、広い場所は返って居心地が悪いのだと言う。真彦は広大な佐原の屋敷にいる時も、屋根裏に近い小部屋を好んでいた。ソファに座った朱雀の正面に、真彦は絨毯の上に直接腰を下ろし、膝を抱える様にして何か言いたげな顔をして、朱雀を見ていた。朱雀は優しく真彦に語り掛けた。「眠くありませんか?真彦様」真彦は上目遣いに朱雀を見た。「昼間、沢山寝てしまったから、今は眠くないよ」昼間の騒ぎの際、村の人々の感情の影響を受けて苦しむ真彦を、幸彦が夢の力で眠らせたのであった。不意に真彦が言った。「柚木の気配がするんだ。なのに柚木の夢が追えない。僕を拒んでる」朱雀は真彦には隠し事は出来ないと悟った。「柚木は哀しい事があったので、混乱しているのです。真彦様を嫌いになったわけではありませんよ」「忍野が村人に殺されたのだね」朱雀は笑顔を消して頷いた。幼くても真彦は佐原の家の当主である。「三峰が真相を調べに行っております」「僕もお父さんが死んだと思った時、とても辛かった。柚木もきっと・・」真彦は子供ながら毅然とした態度を取ろうとしていた。「朱雀」「はい」朱雀も大人に対するのと同じ返事をした。「僕は柚木に会いたい。だけど柚木が落ち着くまで僕は待つよ。柚木が僕に会う気になってくれたら、教えて欲しい」「はい、必ず」幸彦が珈琲を載せた盆を持って戻って来た。真彦は急に子供に戻って甘えた声で言った。「お父さん、僕のは?」「ちゃんとミルクと砂糖を入れて来たよ」そんな真彦の様子を、朱雀は微笑ましく思い、暖かく見ていた。思えば真彦も柚木も同じ日に奥座敷で生まれた時から、苛酷な将来の預言の為に、多くの子供らしさを犠牲にして来たのである。その中で寄り添い支えあって来た二人が、今は離れている事が、互いに寂しくないわけはない。(もし、真彦様が柚木の側にいて下さったら)朱雀は、起きてしまった悲劇は今更どうにもならないのだと知りながら、そんな事を思った。「お前は好きにやってくれ」幸彦は朱雀の前に珈琲と一緒にブランデーの小瓶を置いた。「ありがとうございます」幸彦は真彦の隣に、絨毯の上に直に座り込んだ。朱雀を客として迎えるのではなく、家族の団欒を隠そうとしない事で、朱雀を受け入れている自分達の気持ちを伝えようとしているのだと、朱雀には解った。朱雀は上着を脱いだ。「少し、楽にさせて頂きます」幸彦は微笑んだ。「ああ、そうしてくれ」ブランデーを少したらした珈琲は薫り高く美味かった。覚えのある味わいがした「その珈琲はね、進士が持って来てくれたのだよ。そのチョコレートもね」「これ、美味しいよ」真彦はすでにチョコレートを幾つか平らげていた。欧州の名の知れた店が、最近こちらでも売る様になった品である。進士に指示した訳ではないが、”盾”に差し入れをする時に、幸彦達へもこの様な物を届けたのであろう。(さすがだな、進士)後でねぎらってやらねばと朱雀は思っていた。古本屋の日常や外国の小説、真彦が最近探偵小説が好きな事、盾達の噂話など、たわいの無い事をしゃべりながら、夜の時間は穏やかに過ぎていった。しばらくすると、真彦が欠伸をした。幸彦は真彦を寝室に連れて行った。戻って来た幸彦は琥珀色の瓶とグラスを二つ携えていた。「さあ、これからは大人の時間だ」幸彦はグラスに酒を注ぎながら言った。「こういう時は、酔って少し神経を鈍くした方が楽なのだよ。まだ昼間の名残りがあるから」特殊な力を持つ事で、代償を払う事もある。人の負の感情を身にも心にも痛みと受け取ってしまう幸彦にとって、今日は辛い日であったのだ。「本当は地下で宴会をしたい所だけれどね」「やはりお気づきでしたか、幸彦様」グラスを朱雀に渡しながら、幸彦は微笑んだ。「僕に分からないわけはないさ、竹生もそれを知っている」今でもこの主従は特別なのだと、朱雀は思いながら、グラスを掲げた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/14
キミにあげたい言葉があった大切な言葉だったペンでもキーでもケータイでもなくましてや筆でもありえないその言葉を綴るのはそれはボクだけの文字だったそれをどこかに置き忘れてしまった伝えられない言葉がボクの舌先で苦く変わってゆくあの文字は何処へいってしまったのだろうボクだけのキミに伝える為だけの音でも色でも匂いでもないボクだけのモノ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/13
古本屋のビルに滞在中の自室として、朱雀に割り当てられた部屋は一間きりで、寝台と簡素な机と椅子、作りつけの小さなクローゼット、そしてユニットバスがあった。朱雀は灰色のビニールを張った椅子に腰掛け、傷だらけの事務机に片肘を付いて頭を支え、部屋を眺め渡した。窓のカーテンも綻びている。これでもこのビルでは最上級の部屋だと朱雀は知っていた。他の者達はもっと質素な生活を送っているのだ。「朱雀様、よろしいでしょうか」”外”の盾のまとめ役をしている白神の声がした。「入れ」朱雀が言った。扉に鍵はかけていなかった。「失礼致します」地味な紺色の背広を着た白神が入って来た。警備部の者は建前は会社勤めであるから、普段から背広で通している。古本屋を根城としている盾達も、戦闘に出る時以外は、周囲に怪しまれぬ様に背広姿であった。盾達は鍛え上げられたすらりとした長身で端正な顔立ちの者が多かったので、背広姿も様になっていた。盾には美しい者が多かった。苛酷な任務の中で凡庸な者は脱落していく。「強い盾ほど美しい」と言われていた。その頂点として崇められているのが竹生であった。そしてそれに次ぐ者として三峰と朱雀がいた。彼らが人でなくなっても、それは変わらなかった。白神は頭を下げた。「進士様から、盾の者全員に差し入れを頂戴致しまして、ありがとうございます」「気にするな」白神は少し困った様な顔をしていた。「どうした?」「ネクタイは重宝致しますが、いささか高級過ぎないかと」白神は自分の青いネクタイに指先で触れた。上質の絹の滑らかな手触りが指に心地良かった。「皆は喜んでいたか?」「はい、それはもう。若い盾は、そういう類には敏感な者が多いですから」かつて白神は和樹の護衛として常に身辺に控えていた為、朱雀とは他の盾よりは気安い間柄であった。「進士様は凄い方で御座いますな。全員に一本ずつ頂きましたが、各自の趣味を良くここまでと思う程に理解しておられ、誰もが満足しております」朱雀は白神に微笑してみせた。「それは良かった」白神は遠慮がちに聞いた。「しかし、この様な時に何故」「この様な時だからだよ。良い物は人の心に潤いを与える」「しかし、今は・・」朱雀が白神の言葉を遮った。「頼んでおいた調べ物はどうなった?」白神は姿勢を正した。「失礼致しました。警備部と我等を合わせ、戦闘に役立つ強さの風の力を持つ者は、私と千条以下五名です。あとは殆ど無きに等しく、例の影響を受けた者はおりません」「このビルの”結界”は?」「健在です。専属の者達にも、今の所影響は出ておりません」「では、警備体制に変化はないな」「はい」「磐境との連携は?」「従来通りです」「よろしい。ではあまり過敏にならぬ様、なるべくお前も普段通りの態度で通せ」「はい」「三峰が戻るまでは、私はこちらに専念する」朱雀は白神に片目をつぶってみせた。「社長業は休業だ」朱雀は立ち上がった。「さて、幸彦様にご挨拶して来るか。来た早々、お客様のお相手をしてしまったからな」「では、幸彦様にお知らせして参ります」一礼して出て行こうとした白神に、朱雀は声を掛けた。「ネクタイ、似合っているじゃないか。お前は色が白いから、その色が映えるな」「恐れ入ります」白神は頬を少し染めた。彼も真っ直ぐな黒髪と切れ長の目が美しい青年だった。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/12
白く長い髪が夜風になびいていた。摩天楼の屋上に黒き美影が立っていた。真夜中の街は、通常の眠りと眠らない夜が入り乱れ、街を見下ろす眼に、瞬く無数の灯が、倦み疲れた夢の名残りを見せていた。狩りから戻る前に、美しき者は何を思ったのか、この場所で先程から佇んでいた。美しき影はゆっくりと振り向いた。向こうから歩いて来る、もうひとつの影があった。「わざと気配を消さずにいましたね」白く長い髪がさらさらと流れ、月明かりの下に神の美貌があらわになった。「抑えてはいる」「それでも十分に強いではありませんか。ほら、生き物達が怯えている」「お前は、まったく動じていないだろう」やって来た影は、くくっと笑った。「私も動物扱いですか」白き顔は静かに笑う者を見ていた。影は笑うのをやめた。「そんなに怒らないで下さいよ」「怒ってなぞ、おらぬ」影は両手で己の身体を抱き締め、二の腕の辺りを手でさすった。「ほら、鳥肌が立ってます」「ここは寒いからな」影はまた、くくっと笑った。「貴方がそんな事をおっしゃるとは」「私はお前と無駄話をしたいとは思わぬ、鞍人(くらうど)」鞍人と呼ばれた男は、片手をタキシードの胸に当て、大げさな身振りで頭を下げた。「これは失礼を」「今回の事は、お前の仕業ではなさそうだな」「あれは私の趣味ではありません。照柿(てるがき)という、無粋な輩の仕組んだ事」「そうか・・では、今はお前を斬らずにおこう」鞍人は肩をすくめた。「敵に情けをかけられるとは、私も落ちぶれたものですね」「お前を斬るのは、元より朱雀の役目だ」鞍人は笑った。不意に笑いが途切れ、鞍人の笑っていた口が耳まで裂けた。「あの男を斬るのが、私の役目ですよ」今までの軽妙な口調とは打って変わり、低く濁った声だった。「憎しみは、私達を強くしますから」白き顔は無表情のまま、何も言わなかった。濁った声が言った。「この街は、今日も血の匂いがする」鞍人は踵を支点に、くるりと一回転した。そして白き美貌ににやりと笑ってみせた。その顔は普通の人間の顔であった。普通の人間の声で鞍人は言った。「私達を幾ら狩っても無駄ですよ。人が人である限り、欲望は幾らでも生まれ、心を売り渡す者は絶える事はないのです」鞍人の身体が空に舞い上がった。「所詮は悪あがきですよ。いつか私達の主人たる”あの方”達が、この世界を覆い尽くすでしょう」鞍人は宙で止まった。「では、今宵はこれにて」深々と頭を下げた姿は、突如湧き出た灰色の霧に包まれて消えた。後に残った美しき”人でない”者はつぶやいた。「あれでも、あれなりに借りは返したつもりなのだな」黒い外套を翻し、白く長い髪の美影も又天空を目指し、欠けた月の照らす果ての何処へか消えていった。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/11
もしも誰かの犠牲で世界が出来ているなら誰も犠牲にならない世界を作ってみたいその世界を作る為にボクが犠牲になるとしても・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/10
「何度もやって来るとは、良く飽きないものだな、キミ達も」夜風に吹かれ、赤い髪をなびかせながら、朱雀は楽しげに言った。古本屋のビルの屋上に、朱雀は立っていた。ベージュのスーツを粋に着こなし、手には愛刀”焔丸(ほむらまる)”を携えていた。悪鬼と化したモノ、まだ人型を保っているモノ、幾つもの異人の影が、朱雀を囲んでいた。だが低く獣の如く唸りながら、異人達は一定の距離を保ち、それ以上誰も朱雀に近寄ろうとはしなかった。この男は容赦をしない、彼等の本能がそう告げていたからである。「こちらから、行っても良いかね?」朱雀は爽やかな笑顔で、異人達を見回した。業を煮やし、雄叫びを上げ、一匹の悪鬼が朱雀に襲い掛かった。朱雀の身体が宙を舞い、刀身が閃いた。悪鬼は上下に真っ二つとなり、屋上に転がった。コンクリートの床が鮮血に染まった。好ましき血の匂いに、朱雀は思わず軽く舌先で唇を舐めた。異人達は後退った。朱雀は正眼に構えた。「次は、誰かね?」魔性の目が赤く燃えていた。異人達は蜘蛛の子を散らす様に逃げて行った。逃げながら、濁った声で、異人達はわめき散らした。「守護者は留守ではなかったのか?」「あれは、白き守護者ではない」「”人でない者”は、いないはずではなかったのか?」「向こうの奴がしくじったのか?」朱雀の耳には、その声が聞えていた。朱雀は口元に笑みを浮かべた。「どうやら、三峰への評価は高いらしいな」朱雀はくるりと向きを変え、いつもの何かを面白がる様な笑顔で、背後に控えていた”盾”達に声を掛けた。「お客様はお帰りだ。私も退散させてもらうぞ」朱雀とはあまり顔を合わす機会がなかった、白神(しらかみ)配下の盾達は、驚嘆のまなざしで朱雀の後姿を見送った。「朱雀様はお強い」「三峰様は優雅、朱雀様は華麗。お二方の剣技を間近に見られるとは」「うむ、こんな幸運はめったにないぞ」「三峰様と同じだ。お召し物をまったく汚す事もない」「返り血なぞ浴びている、我等が恥ずかしいな」「しかし良いスーツをお召しだな」「羨ましくても、きっと我等の安月給じゃ買えないぞ」興奮した若い盾達の私語の上に、白神の怒声が響き渡った。「お前達、いい加減にしろ!さっさと後始末をしないか!」朱雀の耳にはその騒ぎも聞えていた。朱雀の口元に再び笑みが浮かんだ。地下の部屋に灯はなかった。だが暗闇を見通す朱雀の目には、何の不都合もない。部屋の奥に寝台があり、床に座り込み、寝台に寄りかかっている者がいた。寝台の上には横たわる者がいた。朱雀は床に座る人物に向かい、頭を下げた。「私が”それ”を見ておりましょう。どうか”狩り”にいらして下さい。今宵は獲物も近くに沢山おりますよ」白く長い髪が、さらさらと夜の闇に揺れた。燐光の如き薄明が人影の輪郭に散った。「しばらくは、お前がここを守るのか」「貴方が気配を抑えていらっしゃらなければ、恐れて誰もここへは近寄らないのですがね」「それはお前も同じ事であろう?」「私なぞ、とてもとても」「過度な謙遜は嫌味になるぞ。何事も程々にだ、朱雀」「恐れ入ります、竹生様」竹生は立ち上がった。「私がここにいると知られては、隠れている意味がなかろう」朱雀は横たわる人物に目を向けた。”それ”は朱雀の良く知る者であった。「”それ”の具合は、如何ですか?」「眠っている・・それだけだ」竹生は”それ”に目を落とした。竹生のまなざしには情があった。(やはり、そうであったか)朱雀は柚木を運んだ風の主を知った。「竹生様」「何だ」「ありがとうございました」「何の礼だ?」竹生は”それ”から目を離さぬまま言った。「柚木は、私が引き取る事に致しました」竹生は顔を上げた。朱雀を見た顔からは、何の考えも読み取れなかった。ただただ美しく、その顔は朱雀の前にあった。暗闇に青い魔性の目が輝いた。「出かけて来る」「はい、後はお任せを。私のすべてをかけて、この場所を、大切な方々をお守り致します」朱雀は深々と頭を下げた。「朱雀」月の光が音となり、朱雀の耳に届いた。朱雀は顔を上げた。目の前の美影を見詰め、心地良さに陶然となりながら、朱雀は答えた。「はい」月光の音楽に、軽妙な悪戯っぽい響きが加わった。「何事も程々にと言った筈だ。私への返事もな」「はい」朱雀はもう一度、頭を下げた。二人の唇には、共に微笑が、夜を渡る花の香の様に、淡く漂っていた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/09
哀しい事はすぐに忘れる便利な心を持っていたら笑顔がなくても生きていかれる無理に笑顔でいようとするのは哀しい心を隠す為ピエロの化粧のようなもの涙を小さな瓶に詰め海に流してしまえばいいやがて波間に揺れながら自分が涙か海なのか分からぬままに流されて遠い小島に辿りつくそこには誰もいないから笑顔も涙も気にせずに眠ってしまえば朝が来る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/08
柚木は目が覚めた。すっかり夜になっていた。小さな常夜灯が暖色に天井を照らしていた。(ここ・・どこ?)柚木はベッドに寝ていた。柚木はそろそろと起き上がり、周囲を見渡した。枕元のテーブルに柚木の眼鏡が置かれていた。手を伸ばし、眼鏡を取ると、柚木はゆっくりと眼鏡をかけた。こういう時は急がない方が良いと、頭のどこかで思っていた。はっきりとした視界に、机が見えた。パソコンと本が並び、筆記用具や文房具を投げ込んであるペン立てがあった。(和樹さんの部屋だ・・)少しずつ、何故ここにいるのか、柚木は思い出して来た。すると一人でいるのが不安になり、柚木はベッドから滑り降りると、ドアを開けてリビングへ行った。和樹はソファで本を読んでいた。分厚い難しそうな本だった。「目が覚めたかい?」和樹は本から顔を上げ、柚木に微笑みかけた。「お腹がすいただろう?」「朱雀おじさんは?」「お父さんは帰ったよ」和樹はリビングの入り口に立ったままの柚木の側に来ると、しゃがみこんで柚木の顔を覗き込んだ。「心配しなくていいよ。柚木が村に戻らなくてすむ様に、お父さんがしてくれたから」柚木は不安な気持ちで、和樹の顔を見ていた。和樹は安心させる様に微笑んだ。「大丈夫だよ。ソファに座ってて、今シチューを温めてあげるよ」キッチンのテーブルで、二人は進士特製のシチューと温めたバケットを食べた。「これ、美味しいよ」深皿から大きな匙で、柚木は夢中でシチューをすくっていた。一口食べたら猛烈に腹が空いて来たのだ。面取りした野菜と、鳥と牛と何か柚木には分からぬ肉が入っていた。どれも柔らかく煮えているのに、黄金色のスープは透明で、良い匂いが食欲を更にそそった。「進士が聞いたら喜ぶよ」「誰、それ?」「お父さんの執事だよ」「しつじ・・?」「お父さんの身の回りの世話をする人だよ」「佐原の家令の郷滋(ごうじ)様みたいなもの?」「まあ、そうだね」自分から佐原の村の事に触れてしまい、柚木は後悔して黙ってしまった。和樹はすぐにそれに気付き、話題を変える様に言った。「柚木は、僕と一緒にここに暮らすので良いかな?」柚木は皿から顔を上げた。「お父さんの所より、ここの方がいいかなって思ったんだ。お父さんは忙しくてあまり家にいないし、大人ばかりだからね」柚木は恐る々々聞いた。「和樹さんは、僕がいてもいいの?」和樹はパンを乗せた籠に手を伸ばし、自分のパン皿にパンを取ると、柚木にも一切れ取ってやった。「僕は兄弟がいなかったから、その方がうれしいな。言ったじゃないか、お父さんが。僕と柚木は兄弟になるって」柚木の胸に、幼い弟の桐生(きりゅう)の姿がよぎった。それをかき消す様に、柚木は急いで言った。「僕も、和樹さんと一緒がいいな」「じゃあ、決まりだ。ここは僕一人では広すぎたからね」和樹はうれしそうに言った。和樹の母であり、朱雀の妻であった加奈子が不意の病で亡くなった後、三人で暮らした家を出て、二人は別々に暮らす事にした。母の加奈子が朱雀と再婚してから七年余りが過ぎ、和樹は大学生になっていた。すでに父親を必要とする時期は過ぎ、独立を思う年頃になっていた。環境を変える事で、加奈子を失った悲しみを忘れようとする気持ちもあった。一人住まいに際して、和樹は学生である自分に相応の住居を希望した。義理の父親であり大会社の社長である朱雀は、和樹の意見に反対はしなかった。だが”純潔の嫡子”と呼ばれ、『火消し』の仲間である和樹は、今も『奴等』に命を狙われている。和樹の身を守る為、警備部がすぐに駆けつけられる場所である事、それが朱雀の出した条件であった。そして二人が折り合ったのが、この場所なのである。朱雀の所持する物件の中で一番小さな部屋であった。それでも2LDKの広さがあった。「明日、買い物に行こう。柚木のベッドも買わなくちゃ」「うん」柚木は元気良く答えた。「掃除もしなくちゃね。柚木も手伝うんだぞ、自分の部屋なのだからね」「ちゃんと手伝うよ」柚木は再びシチューに夢中になった。そんな柚木を見ながら、和樹は朱雀と出会った頃の自分の事を思い出していた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/07
どんなに小さな星にさえ心が宿っているなどと夢見た事が恐ろしい踏みしめる足元に心があると言うのなら僕は星を傷つける罪びとになる後悔を風の中に捨て去って歩くたびに罪は増え背負い切れない過去の重さに僕の星は砕け散る夢を見ずに眠りたい痛みを知る指先に柔らかい夜を触れさせて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/06
「貴方は、外国のお酒しか召し上がらないの?」女が聞くと、男は少し唇を尖らせ、困った様に微笑んだ。男の手には琥珀色の酒が入ったグラスがあった。開け放たれたベランダから夜の海が見えた。灯が摩天楼の輪郭に瞬いていた。白いテーブルクロスは清潔で、他の客のざわめきも、低く流れる音楽も、夜の海に吸い込まれて消えていった。「僕の故郷の村に、一軒だけ造り酒屋があってね・・」不意に男が語り出した。女は赤い色のロングカクテルを少し啜り、男の話に耳を傾けた。そこは古い家で、村では”杉の家”と呼ばれていた。影では口の悪い連中は”樽の家”と呼んでいた。酒樽が沢山並んでいたからね。当主が代々杜氏を務めるのが慣わしで、実に美味い酒を造っているのだ。芳醇だけど、やや口当たりが重くてね。だけど後味が良くて美味いのだ。今の当主は頑固な親父でね、「村から出ると、酒の味が変わる」と言って、自分の造った酒を村の外へ持ち出すのを嫌がるのだ。村の連中は馬鹿にしていたけれど、事実、そうだった。村以外の場所で飲むと、あの芳しい香りが消えて、何だか旨味も抜け落ちてしまうのだ。飲めない事はないが、本当の美味さは失われているのだ。僕にとって酒と言えば、あの酒なのだ。時々、無性に飲みたくなる。だが故郷の戻らない限り、本当の味は味わえない。だからといって他の酒を飲む気にもなれなくてね。そうかと言って飲まずにはいられない。異国の酒なら、まったく別物だから諦めもつく。男はグラスを振って、カラカラと氷の音をさせた。「だから、いつもこれなのさ」女は薄くマニキュアを塗った指を軽く組み合わせ、男を見た。「そんな、不思議な事があるのね」「世の中には、そういう事もあるのさ」男は海の方を見た。女は言った。「飲んでみたい、そのお酒」男はグラスを置き、女を正面から見た。「行くかい?飲みに」男は手を伸ばし、女の手を握った。「僕の奥さんになる人を、故郷の皆に紹介出来るな」女は目を見張った。男は女の目を覗き込んで言った。「プロポーズのつもりだけど、駄目かな」女は首を左右に振った。「駄目じゃないわ」「きっと歓迎してくれるさ。美味い酒を飲ませてあげるよ、好きなだけ」男は女の手をもう一度握った。「何せ、酒を造っているのは、僕の親父だからね」女はもう一度目を見張った。「貴方の・・?」男は女に微笑してみせると、グラスを一気に空にした。(終)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/06
「お父さん、どうしたの?その荷物」チャイムの音に扉を開けた和樹は、大小幾つもの荷物を抱えた朱雀を見て驚いた。普段の朱雀は、紙入れの他は何も持たないのを粋とする人物である。「お前に持っていけと、進士が色々用意してくれたものでね」和樹は笑って、荷物を半分引き受けた。入って来た朱雀を見て、柚木はソファの上で身を硬くした。好んで佐原の村に遊びに来ていた和樹と違い、実の伯父と言っても、ずっと”外”にいる朱雀とは、柚木はほとんど顔を合わせた事がなかった。それに朱雀は”外のお役目”という重要な役割に着いている人物である。子供の柚木には詳しくは分からぬものの、佐原の村を守る為の重要なお役目なのだと、忍野に聞かされていた。(村に連れ戻されるかもしれない・・)そんな不安を柚木は感じたのであった。「やあ、柚木」良く通る声で朱雀は言った。朱雀の笑顔は暖かく魅力的で、柚木は少し警戒心を解いた。「荷物を置かないと、お前と握手も出来ないな」朱雀は身軽に荷物を柚木の前のテーブルに置いた。キッチンの方から和樹の声がした。「お父さん、この鍋は何?」朱雀はそちらを向かって言った。「進士特製のシチューだ。今日の夕飯用だそうだ」そして床に片膝を付き、荷物の包みを解きながら、朱雀は柚木に笑顔で言った。「進士の料理は美味いぞ、柚木」瀟洒な白い箱には、繊細な飾りつけをしたケーキが入っていた。甘い香りが漂い、思わず覗き込んだ柚木は目を見張った。佐原の村にはこういう菓子はない。柚木の様子を見て、朱雀の微笑は更に濃くなった。「お前の好きな店でケーキを買って来たぞ、和樹」「ありがとう」和樹がキッチンから礼を言った。「珈琲が欲しいな、和樹」「いきなり来て、人使いが荒いな」文句を言いながらも、和樹の声は弾んでいた。朱雀は今でも和樹にとって”大好きなお父さん”なのである。「そうだ、そうだ」朱雀は立ち上がり、柚木の隣に座り込んだ。「お前に逢えてうれしいよ、柚木」朱雀に抱き締められて、柚木は戸惑った。朱雀の腕は力強く、服の上からでも鍛え上げられた筋肉の硬さが感じられた。柚木は忍野もそうだった事を思い出した。厚い胸は暖かく甘く青い香りがした。どこか懐かしい香りだった。「心配するな、私がお前を守ってやる」深く豊かな声が言った。それは頭の上からも、胸に押し付けられた耳からも聞えて来た。その声にも、忍野に感じたのと同じ優しさがあった。柚木は身体の力を抜いた。「お前は、村には戻りたくないのだね?」柚木は朱雀の腕の中で素直に頷いた。「分かった。お前が”外”で暮らせる様にしてやろう」朱雀は柚木の髪を撫でながら言った。「村から何を言って来ても、お前を渡さない」柚木がつぶやいた。「朱雀様・・」朱雀は微笑した。「朱雀おじさんとでも呼べ。お前は今日から私の家族になるのだからな」「家族・・?」「そうだ。”外”には”外”のルールがある。お前は私の息子になるのだ。和樹はお前の兄になる」「おじさんが、僕のお父さんになるの?」「別にお父さんと呼ばなくていい。私は細かい事は気にしない男なのだよ」わざとおどけて朱雀は言った。柚木はすっかり甘えた口調で言った。「おじさんと和樹さんなら、家族になってあげてもいいな」「それは、ありがたいな」朱雀は楽しそうに笑った。「おじさん・・」「何だね?」「僕は、村の人とは誰とも会いたくない。”外”にいる人とも」柚木はきっぱりと言った。「柚木」朱雀の口調が真面目になった。「はい」柚木も真面目に答えた。「どうやって、ここに来たのだね?」柚木の身体が緊張した。朱雀は柚木の背中を大きな手でゆっくりとさすった。「怖い事は、もう何もない。言ったはずだ、私がお前を守ると」柚木の身体から力が抜け、再び朱雀の胸にもたれかかった。「覚えていないんだ・・僕」柚木は小さな声で言った。「お父さんが・・倒れていて・・それから・・僕・・何も」「気がついたら、和樹の所へ来ていたのだね」「風が・・吹いたんだ・・強くて・・凄い風・・覚えているのは、それだけ」柚木の言葉が途切れた。柚木は朱雀の腕の中で、柚木は寝息を立てていた。「強い・・風か」朱雀はつぶやいた。和樹が三つの珈琲カップを載せた盆を持ってキッチンから戻って来た。和樹に向かい、朱雀は唇に人差し指をあて、目顔で眠る柚木を示した。和樹は頷き、そっと盆をテーブルに置いた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/05
貴方と 私の 心臓が同じ リズムで 時を 刻む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/04
「貴方の仮面を身に着けて」小説&詩まとめサイト更新のお知らせです。「金銀花は夜に咲く」第6~10話掲載オリジナル詩篇追加「DARKER THAN BLACK 黒の契約者」二次創作小説『暁の星の涙は燃えながら流れる』掲載致しました。!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜゜↓当ブログに掲載された作品はこちらのHPでまとめてご覧になれます!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜゜
2007/09/04
和樹のマンションの呼び鈴が鳴った。和樹がドアを開けると、柚木が怯えた顔で一人ぽつんと立っていた。「柚木じゃないか」蒼白の顔色を見て、和樹は柚木を急いで部屋の中に入れた。柚木の身体はずぶ濡れで冷え切っていた。柚木の髪からぽたぽたと落ちる雫を見ながら、和樹は思った。(今日は、雨は降っていなかったはずだ)大学の授業が休講になったので、和樹は早めに帰宅した所だった。和樹は風呂場で柚木の濡れた服を脱がせ、熱いシャワーを浴びせてやった。柚木はされるがままになっていた。和樹は自分が濡れるのもかまわず、柚木を洗ってやった。子供の体は華奢で、大人の中で育ち、兄弟のいなかった和樹は、何かに打ちひしがれて怯えている柚木を、たまらなく哀れに思うと同時に、愛しく思った。「自分で拭けるだろ?」わざと明るく言い、和樹は厚手のバスタオルを柚木に渡した。柚木はのろのろと身体を拭き始めた。和樹は自分のトレーナーとジャージを持って来ると、柚木に着る様に言った。柚木がそれを身に着けている間に、和樹は新しいタオルで柚木の眼鏡の水気を丁寧に拭った。(何があったのだろう、こんなに怯えているなんて)和樹の知る柚木は活発で明るい子供だった。盾の家の子らしく、ちょっとした事では動じない強さを持っていた。和樹は眼鏡を柚木に差し出した。柚木は微かに頭を下げ、それを受け取った。和樹は柚木をリビングに連れて行き、ソファに腰掛けさせた。そして毛布で柚木の身体を包んでやると、和樹は柚木に言った。「ちょっと待ってて」和樹は鍋でミルクをあたため、マグカップに入れて持って来た。柚木の隣に腰を下ろすと、柚木の手を支える様にしてカップを渡した。「飲めるかい?熱いから気をつけて」柚木はカップを受け取ると、目顔で礼をいい、それから少しずつ啜った。和樹は黙ってそれを見守っていた。何故か和樹は、子供の頃に大好きだった朱雀の暖かいまなざしを思い出した。(今の僕も、少しはお父さんと似た目をしているのだろうか)身体が温まると気持ちも和らいだのか、柚木は初めて笑顔を見せた。「ありがとうございます、和樹様」和樹は優しく尋ねた。「一人で来たのかい?」柚木は和樹を見て口を開いたが、唇を震わせただけで言葉が出て来なかった。柚木は混乱している様だった。和樹はいたわりをこめて言った。「ゆっくりでいいよ、あせらなくていい」やがて柚木はぽつりぽつりと語り始めた。村であった忍野に関する出来事、強風にさらわれ、気が付いたらこの近くにいた事などを話した。和樹は柚木の背を軽くさすってやりながら、黙って話を聞いていた。柚木が話し終えると、和樹は苦々しげに言った。「すべては『奴等』の策略か」柚木は顔をこわばらせた。「でも、みんながお父さんを殺したんだ」柚木は激しい言葉を吐いた。「お父さんは病気だったのに、村を追い出されて、雨の中ですっかり身体が冷えて・・そして、そして僕が見つけた時には・・」柚木は両手で顔を覆って泣き出した。「僕は村に帰りたくない、お父さんを殺したみんなのいる村に」無断で佐原の村人が村を出る事は禁止されている。禁を破れば厳罰に処せられる。「しばらく、ここにいるといいよ」泣き続ける柚木を和樹は抱きしめた。かつて朱雀がしてくれたように。「お父さんや幸彦さんに相談してみよう。柚木が”外”にいたいなら、そう出来るように」柚木は泣きながら頷いた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/03
罪の繁みに花が咲く苛立ちと悔恨を糧に花が咲くその花が純白であるはずはなくその花が醜悪であるはずはなく罪の繁みに花が咲く偽りと偽善を糧に花が咲くその花は甘く香りその花は誰をも魅了する人はいつだって自分の影を愛しく思い影の暗さを愛しているのだだから罪の繁みに咲く花は美しいそれは思い出を飾る為の花だから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/02
雨はやんだものの、どんよりと淀んだ灰色の空の下を、うちひしがれた村人達はとぼとぼと歩いていた。人々を佐原の屋敷の前で出迎えたのは鵲(かささぎ)だった。臥雲(がうん)長老は可愛い曾孫にすがりつき涙ながらに言った。「ワシらはすべてを失ってしまった・・」今年十三になった少年は澄んだまなざしで臥雲を見た。「何をおっしゃいます、ひいお爺様、”疾風(はやて)の臥雲”様」そのまなざしと同じく凛と澄み切った声が言った。「雲の切れ間から太陽が見えて来ましたよ。田畑には坂の家の者達が丹精した実りがあります。風の力はなくとも、我ら”盾”には鍛えあげた剣の技があるではありませんか」臥雲は目を見開いて鵲を見た。人々の視線が少年に注がれた。「我らはすべてを失ったわけではないのです。幸彦様と真彦様の夢の力は健在です」臥雲は呻いた。「何と、お二人はご無事か」村にはまだ”夢の加護”が残されている。一同に安堵の気配が広がった。「幸彦様が夢で語りかけて下さいました。皆が心を強く持つようにと。我が父の三峰の風の力も健在です。父は只今こちらに向かっております」歓声が沸き起こった。人でない者になろうとも、三峰の温厚で優れた人柄は今でも人々の尊敬を失ってはいなかった。臥雲は曾孫に勇気付けられ、腰を伸ばし一同を振り返り、声を張り上げた。「皆の者、くよくよしても始まらん、持ち場へ戻れ!日々の営みに励め!いつか土地の許しを得ようぞ」霜月も声をあげた。「今一度、我らの務めを思い出すのだ。我らの誇りを忘れるな!」和する声がそこかしこから上がった。村人達は、先程までとは打って変わった力強い足取りで、めいめいの持ち場へ散って行った。臥雲は頼もしげに曾孫を見た。「鵲よ、お前は人々に希望の星を渡す掛け橋となると、幸彦様がその名をお与え下さった。その様に育ったな」鵲は控え目に首を振った。「それはひいお爺様や皆様のお蔭です。そして母の・・」「お前は母の許に行き、三峰が戻る事を知らせてやりなさい」鵲は笑顔になった。母の保名(やすな)が、夫の三峰の帰りをいつも待ちわびているのを知っているからである。「はい、そう致します」鵲は一礼し、軽やかに雨上がりの道を駆けて行った。劉生と霜月が二人を温かく見守っていた。霜月が言った。「鵲様は、ますますお父上に似て来られましたな。将来が楽しみですな」臥雲は胸を張った。「当たり前じゃ、ワシの血を引く子、風の家の長になる子じゃ」二人の家の長は長老の溺愛ぶりを微笑ましく思った。「劉生殿」霜月があらたまった声で語りかけた。「忍野様の事は諦めなさるな。私にはどうも亡くなられたとは信じがたい」臥雲も言った。「身体が見つからんとは妙だ。何か最後のご加護が忍野にはあったように思える」劉生は二人に頭を下げた。「お二人共ありがとうございます。私もまだどこかで忍野は生きていると思っております」霜月は劉生にいたわりをこめて言った。「どうか後始末は我らにまかせ、露の家のお屋敷へお戻り下さい。麻里子様がお待ちでしょうから」「はい、では、そうさせていただきます」劉生は二人に頭を下げると歩き始めた。その後姿を見送りながら、霜月は臥雲にささやいた。「すべての加護が消えたわけではないと、臥雲様もお気づきだったのでしょう」臥雲はにやりとした。「お前もな」「おそらく、劉生殿も」「どうやら我ら老人はお目こぼしにあずかった様じゃ」「ですが、今は」「ああ、一度はやり直さねばならん。潮時かも知れぬな」「いつまでも同じではいられませぬな。変わるものは変わる」「それでも我らは、守れるものは守る」「佐原の当主様がご無事な限り、我らのお役目は終わりませぬぞ」「霜月よ」「はい」臥雲はじろりと劉生を見た「老いたりと言えども、この臥雲、今も”盾”じゃ」霜月は破顔した。「この霜月も、同じで御座います」二人は頷きあい、屋敷の門の中へ消えていった。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/09/01
「承知した」電話の向こうの朱雀の声は落ち着いていた。三峰の”絆”は朱雀の心の揺れを感じたが、それは微かなものだった。それよりも、次の朱雀の言葉の方が、三峰を驚かせた。「柚木が和樹の所にいる。忍野が『奴等』の計略で殺されたと言っているそうだ」「何だと」「お前が村に戻るなら確かめて来てくれ。柚木の件は・・」「ああ、内密にする」「柚木は戻りたくないと言っている」「向こうの事情が分かり次第、それも手を打とう」「磐境(いわさか)を先に送る。白神と警備の打ち合わせをさせてくれ。私もすぐにそちらに向かう」「分かった。私もすぐにここを発つ」「三峰」「何だ」「私の寝る場所はあるのかね」「気づいていたか」「ああ」「私の部屋の客人の件は」「ああ、内密にする」「適当な部屋を用意させておく。必要なものは後で進士に持って来させるがいい」「心遣い、感謝する」「お前に感謝されてもな」朱雀は良く通る声で笑った。三峰は電話を切った。三峰は幸彦の部屋へ行った。「朱雀は参ります」「引き受けてくれたのか」「はい」幸彦は真彦の寝顔を優しく見守っていた。「三峰」「はい」「真彦も僕も、朱雀を恨んではいないよ。それを朱雀が分かってくれるとうれしいな」「ええ、きっと。朱雀もお二人を大切に思っておりますから」「朱雀とは、良い友達になれるといいと思っているのだ」幸彦もずっと孤独の中にいたのだと、三峰は今更ながら思い知った。夢の力を持つ者は、人の負の感情を身体の痛みと受け取ってしまう。幸彦に痛みを与えない強い心を持つ者は少ない。「朱雀はまだ、幸彦様が酒に強いのを知らないでしょう。落ち着いたら、ゆっくりと飲みましょう」幸彦は三峰を見て微笑んだ。「ああ、いいね」三峰は声の調子を変えた。「時に幸彦様、村の事でお話が」「何だい」「柚木がこちらに来ております」「え、柚木が?どういう事だい?」「和樹様の所に居るそうです。忍野が『奴等』に騙された村人達に殺されたと言ったとか」「ああ・・何て事だ」幸彦は額に手を当て、苦しげに目を閉じた。「この感情は・・そういう事か・・」「大丈夫ですか」幸彦の顔色は相変わらず良くない。「少し、時間をいいかい?」「はい」幸彦は大きく息を吐き、そして吸った。腰掛けたまま背筋を伸ばし目を閉じた。柔らかい光と暖かさが幸彦から広がるのを、三峰は感じた。(夢の力だ、村を視ていらっしゃるのだ)「ああ・・」幸彦は辛そうに息をした。「三峰・・」「はい」「村は、土地の加護を失った・・」「何ですと!」思わず三峰は声を上げた。「柚木が消えた時に、一切の力が消えた様だ。”壁”は生きている。これは土地とは別の力だから。しかし”結界”も風の力も・・消えている」三峰の髪が舞い上がった。「私の力は健在です」「僕もだ」幸彦は言った。「おそらく、僕らは、忍野を断罪しなかったからだろう」「今、”外”にいる村の者達は、ほとんど”力”はありません。もし影響を受けた者がいても、こちらの体制には大きな変化はありません。後は私が直接見て来ましょう」「頼むよ、これ以上は僕も・・」幸彦は更に蒼褪めた顔で無理に笑おうとしたが、上手くいかなかった。三峰はそれに気がつき、幸彦をそのしなやかな腕に似合わぬ力で抱き上げた。「三峰」幸彦は驚いた。「真彦様とご一緒に、お休みになっていて下さい」三峰は二人を並べてベッドに寝かせると、夜空の月よりも美しい笑顔で幸彦を見た。「朱雀も、そこまで来ております」”絆”がそれを知らせていた。布団の中から幸彦が呼んだ。「三峰」「はい」「鵲(かささぎ)は、やはりお前の子だね」突然出て来た息子の名前に、三峰は戸惑った。「鵲がどうかいたしましたか」「混乱した村の中で、真っ直ぐな強い光を感じた。今はそれが村を支えている。それは鵲の光だ」「そうですか」三峰はうれしそうな顔をした。「お前も早く行っておやり」「はい、行って参ります」三峰は幸彦に頭を下げた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/08/31
三峰は地下の寝所で昼の眠りについていた。白き守護者は、幸彦の声に、暗闇の中で目を開いた。それと同時に、強き風の力を感じた。寝所の扉がひとりでに開き、黒き影が入り込んで来た。三峰は素早く起き上がった。それが誰であるか、三峰にはすぐに判別出来た。「しばらく場所を借りるぞ」白く長い髪をなびかせた者は言った。両腕に何かを抱えていた。三峰は理由を問う事はしなかった。「はい、ご自由にお使い下さい。兄さん」「そうさせてもらう」「私は、幸彦様と真彦様の許へ参ります」竹生の方が三峰に尋ねた。「お前の風は健在か?」二人の白い髪が舞い上がった。「ええ、変りはありません」「ならば良い」村で何かあったのだと、三峰は思った。真彦の悲鳴が、三峰の鋭敏な耳に届いた。三峰は竹生に一礼し、寝所を出ると二階へ駆け上がった。三峰が部屋にたどり着くと、真彦は自分のベッドに寝かされていた。傍らの椅子に幸彦が座り、息子の寝顔を見守っていた。「真彦様は?」「大丈夫だ、眠らせた」三峰は、自らも昼間の激痛で蒼褪めた顔をしていたが、幸彦の顔色の悪さが気になった。「幸彦様も、ご無理はなさらずに」「真彦よりは鈍い分、我慢出来るよ。この子は僕より影響を受けやすいから」「何があったのですか」「分からない。村で何かあったのだけは分かるが、今はそれ以上探れない。あまりに混乱した感情が・・痛みを・・」幸彦の身体がぐらりと傾いだ。「幸彦様」三峰が素早く支えた。「ありがとう、お前も昼間で辛いだろうに」「いえ、私の事はお気になさらずに」三峰は幸彦に微笑んでみせた。三峰の穏やかな白い顔を見た幸彦は、緊張がたちまちに解れ、安らぐ思いがした。それが三峰であった。「失礼致します」白神(しらかみ)を先頭に数人の”盾”達が足早に入って来た。三峰は彼等に言った。「お二人とも、ご無事だ」白神がほっとした顔をした。だがその顔はすぐに厳しい表情となり、三峰に訴えた。「村と連絡が取れません」幸彦が言った。「三峰、村へ戻って様子を見て来てくれ。お前が行けば、村人も心強いだろう」三峰は戸惑った。「しかし、お二人を置いてはいけません」「朱雀を呼んでくれ」意外な幸彦の言葉に三峰は驚いた。「朱雀をですか?」「ああ、彼もお前に劣らず強いのだろう?」朱雀と幸彦は、かつて同じ女性を愛した。『奴等』に心を奪われた彼女の命を朱雀が奪った。それはお役目の上の事だと、もちろん幸彦も納得している。しかし朱雀が幸彦に対して負い目を感じているのを、幸彦は返って辛く思っていたのだ。「朱雀が引き受けてくれるならばだが」「分かりました」幸彦と朱雀とのわだかまりは、もちろん三峰も知っている。「朱雀に、ただちに連絡致します」三峰は白神を見た。「私の不在の間の指示をする。詰所で待機を」「はい」三峰は、白神の隣に立つ背の高い盾に言った。「須永、村へはお前も同行しろ」須永は頭を下げた。「はい」後ろに控えている部下を振り返り、白神は言った。「霧島と陣岳(じんがく)、お前達はここへ残り、お二人をお守りしろ」三峰はそっと幸彦の身体から手を放した。「それでは、用意が出来次第、お知らせ致します」「ああ、頼むよ」幸彦は三峰を頼もしげに見た。かつては村の長であり盾の長であった三峰の、こういう時の手際の良さを、幸彦は知っていた。(続く)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『金銀花(すいかずら)は夜に咲く』主な登場人物『火消し』シリーズの主な登場人物『火消し』シリーズの世界の解説掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007/08/30
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