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1年ぶりの日記。ハロウィンといえば思い出されるのは、服部君射殺事件。被害者や関係者には本当に辛い事件だと思うが、あえて指摘すれば、前回の日記の武庫川女子大学集団レイプ事件と同様の側面もある。繰り返し述べてきているが、腐っても国土の広さは日本の25倍のアメリカは、どこもかしこも「まんべんなく」治安が悪いわけではない。治安が悪い地域と全くといっていい程問題のない地域が偏在しているのだ。問題の無い地域は日本と同等か、日本よりも治安が良いと思えるような場所もある。さて、服部君射殺事件に話を戻すと、事件が起きたのはルイジアナ州バトンルージュ。たとえばこのサイトによれば、バトンルージュの治安は全米の下から4%。アメリカで生まれ育ち、止むを得ず地元から離れられないといったような事情があるならともかく、行き先に選択の自由がある留学で、なぜあえて治安の悪い地域を選ぶのか、いつも疑問に思う。日本ではさんざん「アメリカは治安が悪い(上記のような理由から、個人的にはこれは必ずしも正しい表現でないと思っている)」と言われているのに、なぜ留学となると治安に関する下調べをしないんだろう。痴漢は起きてはいけない事だが、混雑した埼京線に乗って痴漢にあったと言われれば、人は「ありうる話だな」とは思うだろう。アメリカの事情を知っている者からすれば、服部君射殺事件のような事件がバトンルージュで起きても、残念ながら「ありうる話だな」と思えてしまう面は否定できない。今後、同じような事件を起こさないためにも、、服部君射殺事件の情報を出す時には、『「全米でも治安の悪い」ルイジアナ州バトンルージュで起きた事件』と書いて欲しいと思う。
Oct 31, 2015
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恐ろしい。2年1ヶ月ぶりの日記か。留学なるものから離れて月日は流れ、かかわる事ももうほとんどなくなってしまったけど、ネット上でたまたま昔ここに書いた事に関連する情報が出て来たので書いてみる。プリーページの「留学環境 番外編 Sxxxxxx」に、日本の女子大の現地分校に送り込まれた女子大生の集団レイプ事件について伏せ字書いたけど、検索すれば他でもいくらでも情報が出て来るし、もう時効だろう。その大学は武庫川女子大学だ。フリーページでは、そもそも治安の悪い場所にあえて分校を創った事に対して、日本の大学関係者の無頓着ぶりとからめて疑問を呈した。そしてたまたま今日、ヒマに任せて全米の約20000市町村を網羅する住環境ランキングサイトを見ていたら、「ワースト100」の中にしっかりその街が入っているのが目に留まった。相変わらず環境劣悪なんだね。犯罪発生率はワシントン州内で最悪(ワシントン州内においてこの街より犯罪発生率が高い街は0%、つまり無いに等しい)。あれだけ日本では「アメリカは治安が悪い、悪い」と言いながら、なんであえてそのアメリカの中でも輪をかけて治安の悪い所に分校を創ったんだろう。(ちなみにアメリカはどこも「まんべんなく」治安が悪いのではなく、治安の良い所と悪いところが偏在しており、治安が良い所は日本かそれ以上に治安が良い。)武庫川女子大学のプログラムの中には、この分校への「海外研修」が義務づけられているものもあるようで、そのプログラムに入ってしまったらいやでもここに送り込まれる事になる。自分に娘がいたら、絶対にこんな大学には入学させない。
Nov 27, 2014
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こんな記事を見かけたので、ちょっと書いてみる。「米大学ランキングが当てにならない5つの理由」記事の内容に同意するかは個人個人の判断にもよると思うけど、個人的な感想を先に言っちゃうと、「またしてもアメリカの(そこそこの)州立大学関係者の対私立(エリート)大コンプレックス文化」から出てきた記事か、というとりかたもできるような気もした(自分に都合の良い情報だけかき集めてランキングの挙げ足をとるっているだけと見て取れる内容もあったため)。日本では国立大>私立大という認識が社会に浸透しているのに対し、アメリカは一般に、私立大>州立大と認識される事が多い。たとえばエリート校の代表とされているアイビーリーグ校は全て私立大学だ。州立大学でも私立大学と肩をならべるようなところもあるんだけど、日本の国立大vs私立大の構図のようにどうしても「越えられない壁」のようなものがあり、それについてなんとか「ケチ」をつけようと次から次へと色々な記事が出てくるのも、日本の「東大偏重批判」と非常に似ている。ただ、日本とアメリカの大きな違いはそれでもアメリカの大学はランキングの順位というものから想像されるよりは、大学間の差はないということかもしれない。日本での「東大」重さと比べてアメリカでの「ハーバード」の重さはそれほど重くないと思う。話を冒頭の記事に戻すと、注目したのは『「難関校へとりあえず入る」よりも「中堅校でトップの成績」のほうが就職に有利」』という意見だ。このブログの留学関係のフリーページを読み流してもらえればわかると思うけど、自分はこの意見に全く同意する。ただし「アメリカであれば」という条件つきで。アメリカでは日本と比べて大学(や大学院)の成績が将来に与える影響が大きい。なので、ヘタに背伸びをした大学に入ってしまってどうしようもない成績をとってしまった場合は取り返しのつかない事になる。日本のエリート高校からハーバードに入った学生などがとりあげられたことがあるけど、個人的にはハーバードに入った後に、更に彼がその粒ぞろいの学生の中で競争に勝ち残っていけたかどうかが気になる。(ただし後段で述べるけど、日本に帰るのであれば、卒業さえできれば成績はあまり関係がない。)成績はあくまでも「その集団の中での比較」になってしまう傾向にあるので、「その集団」の母集団のレベルが高ければそれなりに厳しい競争を強いられ、ひとコケしてしまうともうそこで将来への道が閉ざされてしまったりする。というわけでアメリカでやっていくつもりであれば、むしろ背の丈か、へたすりゃ若干レベルを落としてでも(経済面を考えれば学費の安い州立大で)粛々と高成績を維持したほうが有利であることは本当だと思う。もちろんこのような安全策をとるか、ギャンブルに打って出るかはもう個人個人の判断でもあるんだろうけど。ただ、若干レベルを落とすどころか超安パイにも程があるところまでレベルを落としている日本からの留学生も見受けられるので(参照:「エコノミー or ビジネス?」)そのへんは、しっかりとしたバランス感覚が求められると思う。そう、このあたりが冒頭の記事に同意しかねる部分なんだけど、確かにランキングの上下は同じレベル帯の大学の中ではあまり関係がないけど、例えばランキング50位の学校と350位の学校では如実に差があることは否めず、というわけで、大学を選ぶ際の「ゆるやかな」基準ということであればランキングは大いに参考になると思う。さて、冒頭の記事(日本語訳)は、英文原文にはない『日本でも「どの大学に入るか?」より「大学で何を学ぶか?」の方が重要だ、と言われるようになって久しい』からはじまる訳者の意見(?)で記事を締めているけど、個人的にはこの「久しい」の時間的尺度は少なくとも「30年以上」であり(自分が物心ついた頃からずっとそのように言われているような気がするので)今後も日本での大学選びの際の最重点項目が「大学で何を学ぶか?」になることはないような気がしている。日本では依然大学の名前が前面に出ることが多く、これは出身校がアメリカの大学であっても同様で、そのあたりは「営業的留学」というページにもまとめてある。
Sep 6, 2010
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asahi.comに以下のような記事が載っていたので書き留めておく。「草食化?学生、米留学に尻込み 10年で1.3万人減」 97年に日本からアメリカへ留学した留学生は47000人で、この時がピークだったそうだ。この数字がどこまでのものを含めているのかはわからないけど、個人的感触からいけば、「遊学」も含めればピークはもっと前だったような気もする。自分は94年に留学したんだけど、そのあたりが恐らく「バブルの余勢」をかって、「自力で」海外に飛び出せた最後の時期だと思うからだ。詳しくは「バブルと留学」に書いてある。実際、皮膚感覚的にもそのあたりが一番まわりに日本人が多かったような気がする。なにはともあれ、この記事の日本の学生の「草食化」という内容を鵜呑みにするのであれば、日本が今後歩むであろう「中堅国化」に向かって成熟してきたのかも、と思わされる内容である。団塊の世代などが支えてきた高度経済成長時代の「より速く、より大きく、より多く、より(物質的に)豊かに」という価値観からの脱皮だ。(話は脇道にそれるが、そもそも日本の「外」で学ぶという価値を認める一方、外からは日本では学ぶものがないという評価を受けている(日本に来る留学生は少なく、さらにその多くはアメリカなどに行き損ねた人材という事実)という点で、日本は既に十分「中堅国」だとは思うけど。)さらに、アメリカへの留学から中国などへ留学先がシフトしているとの指摘もあるが、これもある意味正解だと思う。地理的にも直近にあり、近い将来大国となる中国との関係を近い将来中堅国となる日本は無視できないからだ。現実問題としてすでに最大の商売相手はアメリカから中国にシフトしているわけだし。ちなみにアメリカが世界中から留学生をかき集める意図の一つは、留学生を受け入れ親米の人材を養成し、その人材を介在して各国との対米関係を有利に運ぶというものであるが、その意味で、アメリカは、「アメリカの価値観の方が中国の価値観よりも肌にあっている」と自分に言わせたという点で成功しているわけだけど、でも、今後の世界地図を考える限り、日本は中国の価値観に迎合していかざるをえないだろうとも思う。そもそも自分が肌に合うという、「アメリカの倫理的価値観」は、「より速く、より大きく、より多く、より(物質的に)豊かに」という道を経て「他に先んじて豊かさを享受できる立場に立てた者」だからこそ唱えることができる、ある意味贅沢な価値観という面も否めないわけだし。
Dec 20, 2009
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「中国から優秀な留学生が来ないEUや米国の大学との競争で敗北感」なんとなく予想はついていたが、このくだりには改めて驚かされた。「東京大学には約700人の中国人留学生がいて、毎年増加している。ところが優秀な学生は年々減ってきている。 中国の大学ランキング100位以下の大学卒業生が東大の大学院を受けて合格してしまうからだ。」ただ、本論はこのあたりなのではないだろうか。「(文部科学省は)奨学金を与えたり、生活費の面倒を見たり、 特別枠を設けたりすれば、つまり入り口を広げさえすれば、優秀な学生が来ると思っているような施策は改めねばならない。優秀な学生は、どんなに金銭的な問題があっても、それを解決して将来のために今一番大切な スキルアップできる国、大学、教員を選ぶ。」ただ、個人的にはこれは文部科学省だけの問題ではなく、日本の大学、さらに日本社会の閉鎖性にも原因があるような気がする。まず、日本の大学院を出たところで、日本人ですら就職に困っているような状態なわだから、外国人が就職できるような機会があるわけがない。さらに、なんのかんのいいつつ英語が世界の共通語になりつつあるにもかかわらず、相変わらす日本の大学は日本語が主流、まあ、日本の大学なんだから当たり前といえば当たり前なんだけど。だったら、そもそも英語で教育を受けられる国に行こうと思うのは人情だと思う。そもそも「自宅からの通学圏」などということを考えなくても良い留学生にとって留学先の選択は全く自由なわけだし。だから、留学生の獲得において、日本の大学が欧米の大学と肩をならべるのは非常に難しいと思うなぁ。逆に、英語のみの授業などになってしまったら、日本人の学生が来なくなるだろうし・・・。
Dec 15, 2008
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「中台留学生50人が大学除籍、文書偽造の疑いで―英国」このたぐいのことは、アメリカでも頻発しているんだけど、今回はまとまった人数だったので、ニュースとしても配信されたんだろう。もちろん日本の大学にも中国からの留学生が多数留学してきているわけで、たとえば以前、こんなことがあった。「佐賀大学は27日、大学院工学系研究科の中国人の男子留学生(24)が、偽造 された本国の大学卒業証書を使って入学していたと発表した。 男子学生が今年10月に在留資格の延長を申請した際、入国管理局の指摘で 発覚した。 男子学生は卒業証書などを中国のブローカーから約3万円で購入したという。 本人は既に帰国した。」そもそも日本の大学院の入学には、乱暴な話、大卒であることが条件とされていないから、大学を卒業してなかったこと自体は問題にならなかった(?)のかもしれないけど、卒業証書を偽造したってことが問題なんだろうね。なんてことはさておき、これはたまたま情報が第三者(入管)に露見してしまったから大事になっちゃったけど、もしこれが氷山の一角だったら「水面下」のケースについては日本の大学はどのように対応しているんだろう。なんとなく、見て見ぬふりをするか、発覚しないように情報を隠蔽してるんじゃないかな、って気もするんだけど・・・。そもそも大量に発覚した暁には、大幅な定員割れをおこしてつぶれちゃう大学もあるだろうし・・・。
Nov 14, 2008
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さて、日本人を避けるという前提で留学先を選ぶとしたらどうしたら良いか、という話の続き。前回のエントリーへのコメントで現役lecturerさんも指摘して下さっているように、日本の大学などとの交換留学先に(実際には、日本から大量に日本人学生が押し寄せ、アメリカから日本へいく学生は極端に少ないという、「一方通行」状態になっていることが多いのだが)なっている大学がある所は、当たり前だけど日本人が多い。フリーページの「留学環境 番外編 Sxxxxxx」に出てくるSxxxxxxは、一見日本人に縁も縁もないような田舎町だけど、町内に日本の某マンモス私立大学からの交換留学プログラムを受け入れている学校があり(お金が落ちるから、受け入れ大学としても美味しいんだな、これが)、さらにまた別の私立大学の分校(?)のようなものもあり、時期によっては日本人であふれかえる(というのは大げさかもしれないが、キャンパスなどで頻繁に日本人を目にするくらいには)ような状態になるそうだ。また、学校によっては留学斡旋業者の「ターゲット」になっている学校もある。もちろん留学斡旋業者は上位校に大量に留学生を送り込むなんてことはできないから、当然「入りやすい」学校がターゲットとなっていることが多い。今はどうなっているかわからないけど、自分がテネシーにいた頃、テネシー州立大学系列にマーティン校という僻地キャンパスがあったんだけど、語学学校はもちろんのこと、大学本科も含めて斡旋業者のターゲットになっており、これも大げさな表現をすれば、ハワイの団体旅行よろしく、メンフィスの空港に飛行機が着くと、「ようこそテネシーへ ○○留学会社」という「のぼり」をもったエージェントが出迎え、留学生を満載したバスがひたすらメンフィス空港からマーティン校まで往復していた、という噂があった。実際、キャンパスの周りには何もなく、というわけで、マーティン校に留学しているという日本人留学生が、週末になると当時自分が住んでいたナッシュビルまで何人も遠路はるばる遊びにきていたから、「本拠地」にはそれなりの人数がいたことは容易に想像がつく。話はすっかり逸れてしまったけれど、学校が日本人にはまったくなじみのない田舎にあったとしても、留学斡旋業者のターゲットになっていれば、へたをすれば数十人単位で日本人がいる可能性があるということだ。話はがらっと変わって、軍の大きな施設がある所には一見日本人にはなじみがない所でも日本人が多い。これは米軍人と結婚した女性が多数住んでいるからだ。たとえばカリフォルニアのサンディエゴ。東海岸ではバージニア州のノーフォークには大きな基地があり、市内でバスに乗ったら運転手が日本人女性でびっくりした、なんていう話を聞いたこともある。サンディエゴやノーフォーク以外にもそういった場所は何カ所かあると思われる。とまあ、思いつくままにつらつらと書いてみたけど、なにはともあれ最初に挙げたシアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク、ボストンの日本人の数は、それ以外の場所よりもダントツで日本人の「濃度」が高い。特にニューヨークは街自体が小さな範囲に圧縮されているので、観光客の多さもあいまって、日本人遭遇率はこれでもか、というくらいに高い。そして交換留学先や留学斡旋業者のターゲットになっている学校は、学校内での日本人の濃度が高いので要チェックだと思う。また、上位校なら上位校で、研究者や派遣留学生の人数がかなり多いことが多く、思ったより日本人の「濃度」が高かったりする。と、こんなところかなぁ・・・。
Nov 11, 2008
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結局、楽天ブログ自体とともに、「留学とは何なのか」シリーズも随分間があいてしまっているけど、そちらのほうはもうしばらくお待ち下さい(爆)。とりあえず今日は、「日本人避け気味留学」について書いてみたいと思う。留学先の選定条件の中に「日本人の少ないところ」という希望を入れている人が時たまいるわけだけど、たとえば語学留学などだったら、多少なりとも日本語環境から遠ざかっていたほうがいいだろうし、日本人コミュニティーがあったらあったで「余計な気を遣う」ことにもなりかねないわけで、そういった意味でも(せっかく日本から出るんだから?)日本人が少ない地域に「滞在」したい、という希望もわからんでもない。かたや日本人にとって有用な情報源がある、などという、日本人が周りにいたらいたで役に立つこともまた事実なわけだけど。さて、というわけで、もし自分がこれからアメリカに留学するとして、もし、日本人が少ない地域や学校を選びたいとしたらどう考えるかを書いてみる。当たり前だけど、アメリカは広く、留学先として考えられる学校や地域は数限りなくある。留学系のブログなどで、カリフォルニア州では・・・などと書いている人もいるけれど、とんでもない。カリフォルニア州の面積は日本と同じくらい広いんですぜ。というわけで、たとえ同じ州内でも千差万別、いわゆる日本人が多いという州や町でもぽっかり日本人空白地帯があったり、日本人が少ない学校もあるだろう。だからそのあたり、かなり大ざっぱ(つまり留学先がしぼりこまれたら、あとは直接その学校に当たるしかない)にならざるをえないということは書き添えておく。また、「どんな日本人を避けたいか」ということも考えてみて欲しい。アメリカにいる日本人といっても色々な人がいる。駐在員はもちろんのこと、日系人くずれ(へたをすれば不法状態になって長期滞在している人)、ミリ妻(米軍人と結婚してアメリカにいる女性)、語学学校でチャラチャラ遊んでいる遊学生、大学などで研究している研究者、某州に留学してすっかり宗教にはまってしまった人、日本では静かにしていたのにアメリカでは「日本の目」が届かないため、ハメを外している芸能人や富裕層のご子息ご息女、観光客、官僚、そしてもちろん留学生・・・あげていけばキリがない。留学生でも自費留学もいれば、交換留学生もいる。ただ、場所によっては「特定の人種」が「濃縮」されているケースもあるわけで、たとえば田舎町の研究型大学にいる日本人のほとんどは研究者、ということは容易に想像がつく。そういった意味で、たとえば一緒につるんで遊んでしまいそうなので、遊学生は避けたい、という場合は田舎の研究型大学であれば大丈夫ということになる。随分前置きが長くなってしまった。さて、まず避けるべきはハワイ・・・は言うまでもなく、シアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ボストン、ニューヨーク。これらの都市はとにかく日本人が多い。また州でいえば、カリフォルニアはかなり日本人が「浸透」している。先に書いたように、もちろん「空白地帯」はあるだろうけど。それから、いわゆる上位校は日本人が多い。UCなどは留学生も多いけど、それ以外の上位校は普通の留学生は少ないけれど、研究者、そして企業や公官庁からの派遣留学が多い。理由は言わずもがなである。それから当たり前だけど、日系企業が集中している所には日本人が多い。特に注目すべきは自動車メーカーの現地法人がある所。自動車メーカーがあるということは、たとえばタイヤ会社、パーツ会社、商社、運輸業者からはじまって、日本食材店から日本食レストランまで、そこからの受益企業も全てそこにあるということで、かなりまとまった人数の「日本人村」を形成する。自分もあまり正確には把握していないけど、たいていは、デトロイト周辺からずーっと南に辿っていったところに帯状に集中していて、たとえばトヨタはケンタッキー州ジョージタウン、インディアナ州プリンストン、アラバマ州ハンツビル、テキサス州サンアントニオ、ウェストバージニア州バッファロー、ミシシッピー州ツペロ、また、ミシガン大学のあるアナーバーには研究所を持っている。ホンダだったらアラバマ州リンカーン、さらにオハイオ州に数カ所、ノースカロライナ州にも数カ所、インディアナ州グリーンスバーグなどなど。ニッサンはミシシッピー州カントンの他、バンダービルド大学のあるテネシー州ナッシュビル近郊に北米本社があり、テネシー州内何カ所かに工場をもっている。そんなわけだから、たとえばケンタッキー州やインディアナ州、アラバマ州やオハイオ州、テネシー州などの、日本人にはなじみのなさそうな観光地などでもけっこうな確率で日本人に会ったりするが、これはたいていそれらの関係者だ。他にも自動車メーカーは色々あるし、上に挙げたメーカーも他にもカリフォルニアなどにも工場や営業所を持っているところもあるけれど、後は自分で調べてくれ(爆)。(つづく)
Nov 9, 2008
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今日はちょっと切り口を変えてみよう。そもそも「日本以外の活動の場がある」ということを知らなければ、その選択肢自体が自分の中に存在しないように思う。その場合日本が全てであり、その中でなんとかうまくやっていこうとするだろう。ところが自分の場合はそのような選択肢があることを知ってしまった。これは考えようによっては不幸だったのかもしれない。そもそも海外旅行に行ったことがないか、行くとしてもいわゆるサファリパーク形式のツアー旅行でしか海外に出たことがなければ、そこが自分が生きていく場としてどのような環境を提供してくれるのか、などということには考えは及ばないだろう。なにはともあれ知ってしまったからにはやはりどうしても「可能性」を考えざるをえないことになる。その「可能性」を胸に納め、日本で一生を送るか、その「可能性」を試してみるかはそれはもう本人の人生の選択でしかないだろう。ただ、自らの選択肢がアメリカである場合、そのレールは意外にしっかりと引かれている。今までも何度かネタとして出してきたけれど、日本の人は日本は世界に名だたる学歴社会だと思っているかもしれないけれど、実はそれはアメリカの足下にも及ばない。もちろん例外的な成功者はいるだろうけれど、ごく普通の人生を歩む場合、まず大卒か否かで地位や収入がかなり左右され、さらに大学院を出ているか否かでも人生の選択肢がかなり左右される。日本では院卒を条件に入れている求人はまだ希だけど、アメリカの場合、求人の条件に院卒であることが入っていることはそれほど珍しいことではない。我々外国人にとって学歴が直接かかわってくるのはたとえばビザの審査要項だ。学歴が高ければ高いほどより優先的に扱われるようになる。さて、自分が日本で学校に通っていた頃を考えてみよう。たとえば高校のころは本当に勉強は嫌いだったし、自ら稼いで好き勝手のできる社会人に早くなりたかった。ところが社会に出たとたんに学校というところがいかに「楽」だったのかを思い知らされることになる。学校というところは先生というガイド役がおり、さらに教科書や参考書というものがあって、それをこなしていれば、「試験の点数」という明確な結果となってそれが現れてくる。評価の尺度が非常にわかりやすく、受験の際は地獄のように思われたが、高校の勉強なんて後々になって振り返ってみれば本当に狭い範囲のことだし、少なくとも何をすべきかは教科書や参考書というものに明確に示されている。大学でこそ多少こなさなければならないことの範囲は広がるが、それでも先輩などからの情報で「最低限何をすればいいのか」ということは明確に示されていた。ところが社会に出るとそういった教科書的ガイドラインが途端になくなってしまう。営業であればとりあえず営業成績を上げればいいんだろうけど、これさえやっていれば営業成績が上がるという方法論が明確に示されているわけでもない。また、営業成績が良かったとしても職場の人間関係が全くだめで、上司に嫌われようものならいずれは職を失うかもしれない。学校というところであれば、最悪孤独になったとしても成績さえ良ければ先が見えるが、一般の職場だとそうはいかないということだ。話を戻すと、というわけでアメリカは学歴社会。ということはここに来てやるべきことは明快だ。学校に行き勉強すること。繰り返しになるけど、学校というところは先生というガイド役がいて教科書がある。その通りにひたすらこなせばいいわけだ。(実際にはそれほど単純でもないんだけどね。)「学校で勉強することなんて役に立たない。」それはアメリカでも同じ。でも、社会の構造がそういうことになっているのだ。では日本の無能な官僚はなぜクビにならないの? 外により有能な人がいるのになんで中途で採用されないの? 答えは「だって、社会の構造がそういうことになっているから」ということにはならないだろうか。社会の中にはいくらでも「理不尽」というものが存在する。なにはともあれというわけで、アメリカ社会への入り口として、留学というのは非常に有効な手段のような気がする。そして、一度一般社会で社会で試行錯誤した経験があるなら、教科書やガイド役がいる「学校」という環境は、むしろ非常に楽なのではないだろうか。(つっこみが入りそうなので念のためフォローしておくと、実際には話はそこまで単純でもないし、分野などによってはさんざん苦労したあげくに仕事がみつからず、結局アメリカを去らざるをえないことになる場合もある。ただ、少なくともアメリカにいる間にすべきことは明確に示されているという点に変わりはない。)(つづく)
Oct 23, 2008
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今日はまた、今までにいただいたコメントにコメントを返すかたちでエントリーを書いてみようと思う。10月14日のブログには、kbtさんが、自らの体験に基づいて非常に丁寧なコメントをつけて下さっている。kbtさんも最初は「気軽」に外に飛び出されたようだけど、それができたのも、ご本人がおっしゃっている通り「手に職」があったからだ。ごく普通の事務などをこなすような会社員の場合、それを辞めて留学に打って出た場合、日本への帰り所がなくなってしまう危険性は確かに高いように思う。またこれもkbtさんがおっしゃっているように「手に職」があれば、アメリカでもそれが評価されるという可能性もある。ちなみに直接それだけで職につながるようなものでなくても、自分のやってきたことが役に立つことはあるような気がする。それはそこに留学の「入り口」を見いだすということだ。今でこそ全く関係のないことをやってるけど、自分の場合も留学当初は日本でやっていたことと関連性の深い専攻を選んだ。そこで気づいたのは、手法や考え方などが、分野がかぶっていれば国は違っても似通っているということ。そして、話の内容も想像しやすかったので、英語にも入っていきやすかったことだ。なので、留学初期段階の「勢い」をつけるには、とりあえず日本でやっていたことにからめてみるのも悪くないような気がする。kbtさんのコメントの後半部分では、とりあえず「留学」という入り口をくぐったあと、目的もなく生きている人たちの例に触れられているけれど、実際、自分もこれまでこのような人たちを幾人も目にしてきた。ちなみに、こういう書き方をするとフェミニストに怒られそうだけど、圧倒的に女性が多い。kbtさんのコメントにも書かれているように、女性であれば、水商売などが可能だからだろうか・・・。フリーページの「アメゆきさん」でもそのあたりのエピソードに触れている。ポイントは「本人の意識」だと思う。そのように生きて、後になって後悔しないというのであれば、それはそれで本人の生き方なわけだから放っておくしかないだろう。また、他人に迷惑をかけないという条件もつけておきたいと思う。その点では、そのような女性の存在は、たとえば女性の場合ビザ審査が多少厳しいという結果になって現れているわけで、さてその責任はどのようにとってくれるんだろうか、とは思う。また、どうにもならなくなって日本に逃げ帰り、いい歳をして親にたよったり、はたまた生活保護に頼ったりということになるのであれば、それはそれで無責任極まりないと思う・・・が、残念ながらそういった人も何人か知っている。10月16日のブログにはCalperchさんがコメントをつけて下さった。自分も、Calperchさんがおっしゃるように、逃避的留学というものは一概には否定しないけど、失敗に終わった時にはさらに悪い結果をもたらす可能性があることは知っておいたほうが良いと思う。もう耳にタコができるような言い回しかもしれないけど、逃避的留学だろうが何だろうが、目的意識がはっきりしていなければ、途中でドロップアウトする確率が高い。そして逃避的留学が揶揄されがちなのは、そもそも逃避的留学をする人の場合、たとえば「日本がいやなので日本『以外』に行く」といったような「消去法的、消極的な目的」で留学する人が多く、結果として失敗する人が多いからのような気もする。繰り返しになるけど、それでも振り返ってみて自分の人生の選択に満足できるのであればそれでもいいと思う。しかし、どのような形であれ、志半ばで日本に帰ることになった人の多くはその後、様々な局面で不平不満を言いがちではないだろうか。(つづく)
Oct 18, 2008
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今日は、最近ちょっと気になっている留学に関する「トレンド」から話を始めてみよう。最近留学系の掲示板などを回っていると、「奨学金について教えて下さい」系のメッセージをより頻繁に目にするようになった。留学斡旋業者のサイトなどでも「奨学金つき」を謳っているところも多い。掲示板にそのようなメッセージが増えてきているのはそうった業者のサイトなどによる「宣伝効果」なのか、「どうやら留学すると奨学金がもらえるらしい」という考え方が一人歩きしているようだ。ちなみにこのことを書くきっかけになったのは、某掲示板にて「語学留学のための奨学金を教えて下さい」というメッセージを目にしたことからだ。個人的には奨学金というものは、「もらえて当たり前」というよりはむしろ「選ばれた、それもそれなりに優秀な人がもらえるもの」といった程度の認識は常識だと思っていたのだが、最近は変わってきているのだろうか(苦笑)。中には留学斡旋業者による、顧客内の成績順位の上位者に、中位以下の顧客の手数料の一部を「還流」させるタイプの「手前味噌タイプ」の奨学金もあるけれど、通常の奨学金というものはそれなりにもっと客観的評価を受けた上での成績優秀者にのみ支給されるものではないだろうか。将来的に返還義務のある奨学金であればある程度はハードルは下がるのかもしれないけど、個人的にそういったタイプのものは借金に近いもののような気がする。そもそも漠然と「勉強しま~す」といっている人全員に無条件でお金をくれる善人なんていないことは、ちょっと想像すればわかるような気もするんだけど・・・。さて、一昨日から続けてそれなりの年齢から留学することが、「現実逃避」と揶揄されることについて書いてみよう。そもそも周りの人が決めた現実から逃避することにどのような問題があるのだろう。日本の社会から切っても切れない問題となっているいじめ問題。日本の学校で一度いじめられる側に回ってしまったら、そこから逃避することはシステム上非常に難しくなっている。引っ越しをせずに転校をすることができる回数は制限されているし、転校したところで「外様」を警戒しがちな日本社会の構造からして、(いじめを避けて)幾度も転校を繰り返した子供が移り先ですんなり受け入れられることはあまり期待できない。これは「周りの人が決めた現実」に順応できない人には何かと生きづらいことになっている日本社会の一面を表しているような気がする。何もこれは悪いことばかりではなく、皆で決めた現実の中にいることができれば、しごく効率よく快適な生活が送れるという面も併せ持っている。ただ、残念ながらどうしても「周りの人が決めた現実」に順応できなければ、そこから逃避してしまうのも一つの生き方ではないだろうか。無理をして周りが決めた現実に自分を合わせて生きたところで、自分にとってどのようなメリットがあるだろう。また、無理をして周りに合わせている人がいることで、周りの人に迷惑がかかる面もあるかもしれない。もちろん安易な気持ちで外に出てしまって、そこでも行き詰まり、とどのつまり「振り出しに戻って」しまったとしたら、それこそ目も当てられない結果が待ち受けているに違いない。だから、一度決心したら真に不退転の決意で外に飛び出すしかないことも確かだとは思う。(つづく)
Oct 16, 2008
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今日は昨日のエントリーにひよこまめ2006さんがつけて下さったコメントへのコメントから書き始めてみようと思う。留学の目的はひとそれぞれなので、何をもって成功とするか失敗とするかも人それぞれ、とまさにその通りで、そもそも普遍的に留学に失敗成功のワクをはめるのははっきりいって不可能だと思う。まあ、それでもあえてはめるのであれば、世間一般では留学後にいわゆるキャリアアップができれば成功ということになっているのではないだろうか。ただ、少なくとも自分のまわりを見回せば、留学の結果、誰の目から見ても明白なキャリアアップ(つまり、大幅な収入増をともなったキャリアアップ)ができた人というのはかなり希だ。ちなみに個人的に、ああこの人は留学しなければよかっただろうにな、と思ってしまうのは、どのような形であれ、留学を終えた後に不平不満を言う人だ。学校をドロップアウトしたことになんとか「自分ではどうにもならなかった」理由をつけて言い訳をする人、日本で留学したこと(英語がしゃべれること、日本の学生とは比べものにならないくらい勉強させられたこと)が評価されずに怒り出す人などなど。もちろん最近は親にレールを敷かれて、自分でもわけのわからないうちに留学している人も多いような気もするから、そういった事情であれば万が一途中でめげてしまった場合、かろうじて「親のせい」にもできるような気がする。しかし今回主眼をおいている、多少社会経験を積んでからの留学の場合、そりゃ留学の決心をしたのは自分でしょう。ということは大人として結果責任も負うべきではないだろうかとも思う。本当に自分にはどうにもならない理由で日本に帰らざるをえなくなってしまった人もいるとは思うけど、留学を途中で断念する理由はたとえば「留学資金が底をついた」「プログラムが厳しすぎた」などなど。えっ、それって留学する前にわかってたことじゃない? そして「日本で英語がしゃべれることが評価されない」というのも、渋谷のセンター街のにーちゃんねーちゃんでもブロークンな英語を振り回すご時世、もういやというほど知られていることだと思うけど。そして日本に帰ってから過去をふりかえって不平不満を言っているようであれば、それは「失敗」と言えるのではないかと思っている。さて話を戻すと、へたをすれば20代後半以降、そして30歳を超えてからの留学は、2~3日前のコメントでそおぷさんも指摘されているように、「現実逃避」「自分探しの旅」などと揶揄されることがある。「自分探しの旅」についてだけど、もし本当に留学をしてから何かを見つけるつもりだったら、留学したところで現地で自分を見失なってしまうことが多いような気がする。しつこいようだけど、無論例外はある。海外に出て、新たなものと劇的な出会いをし、それにのめりこんで大成する、という例は探せばあるだろう。ただ、あくまでも自分の周りを通り過ぎていった「自分探し系」の留学生を見ていると、結局どうやら捜し物は見つからなかったような人が多かった。「現実逃避」についてはまず現実とは何か、ということを考えてみたい。ここで言われている現実とはどうやら「周りの人が決めた現実」のことではないだろうか。つまり留学=日本の社会の現実からの逃避ということなんだろうか。ただ、現実はもう一つある。自分という現実である。これからはなかなか逃れることはできない。なので留学先でも自分という現実は歴然と存在し、逆にそれから逃避したらむしろ目標の達成に至ることができない。そういった意味では留学はむしろ現実を直視する場とも言えるような気もする。留学中はなんか仏門に入って修行をしているようだな、と思ったこともある。(つづく)
Oct 14, 2008
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結局ゲートウェイ21の件についてもフォローアップができていないわけだけど(といってもゲートウェイ21はワーホリなど「遊学系」がメインなので自分にとってもジャンルがちょっと異なる)破産管財人が設置したHPによると、被害者の方には申し訳ないけど「全くお手上げ」の状態のようだ。(既に払い込んだ費用は一切手もとに戻らず、現在留学中の人も後は自分で何とかしてくれという状態。)一部の語学学校や現地エージェント、さらには留学受け入れ先となっていた学校がボランティア的に被害者向け割引サービスを提供したりしているようだけど、恩恵を被れるのはごく一部の被害者に過ぎないように思う。何はともあれ「次」も囁かれているようなので、個人的にはそもそも留学斡旋業者というものを使うことはお勧めしないが、あえて使われる方は重々注意されたほうがいいように思う。さて、一つ前のブログにそおぷさんがつけて下さったコメントに触発されて、留学とは何なのか、何だったのかということに対する自分なりの考えを書いてみようと思う。相変わらず飛び飛びでネタもあっちこっちに飛びまくること受け合いだけど、よろしくお付き合いの程、よろしくお願いします。「進学」というスタンスで留学するのであれば、たとえば高校を卒業してからすぐに海外の大学へ留学、大学を卒業してから海外の大学院へ留学というケースが考えられる。そのような留学をして、その後素直に日本に戻るのであれば、英語で勉強する環境におかれる、などという点を除いては日本で進学するのとあまり変わりがないような気がする。こと大学留学においては、少なくともアメリカでは日本の企業のジョブフェアなども年々大規模になり、多少の有利不利はあっても日本の新卒大卒とあまり変わらず、そのまま仕事に就けば少なくともその後の収入における留学というものの「経済効果」はそのまま日本にいた場合とあまり変わらないか、英語ができるということが評価されればごくわずかにプラスになる程度ではないだろうか。もちろん全体を平均して、の話だ。中にはとてつもなく優遇されるケースもあるだろうし、またその逆もあるだろう。(念のため付記しておくが、まともにまともな大学を卒業できれば、の話だ。日本の大学生と比べて留学生の卒業率が低い(失敗率が高い)ことを忘れてはならない。)ところが世の中にはそれなりに年齢を経てからふと留学を思いつく人がいる。恐らくそおぷさんの場合もそうであろうし、自分の場合も「進学」とはほど遠いほど学校というものから一端離れてから留学している。もし、日本で普通に仕事についていて、それを辞めてまで上記のような留学をするのであれば、経済的にプラスになる可能性は極めて低い。しつこいようだけど、もちろん例外はある。ただ、たとえば30歳まで普通に会社員をした上で大学院留学をしたところで、海外で就職できればまだいいが、状況はそれほど甘くはなく、日本に帰ったところで以前勤めていたところより厚遇の仕事にありつける確率はそれほど高くないと思う。そうなると、果たして経済面以外で留学が自分に与えてくれるものはないか、と考えざるをえなくなる。もしかしたらそれは生きがい、というやつなのかもしれない。自分は何のために生きているのか。自分の人生とは何なのか、その人生の中で自分は何をするのか、といったようなことだ。遅くとも20代前半までにそれを見いだして、後の人生はその道をまっしぐらに進める人は幸せだ。しかし悲しいかな、そのようなことを真剣に考え始めるのはけっこう30の声を聞いてからという人も多いような気がする。そして日本は社会構造上、人生半ばでの方向転換が非常にしづらい仕組みになっている。ちなみに、20代前半の次にそのチャンスが訪れるのは定年前後の年だ。30代、40代、50代と、本当に自分のやりたいことではないような気もするがなんとか勤め上げ、定年になってからさて、自分の本当にやりたいことを、というのも一つの生き方だと思う。でも、そうでない人もいる。その場合、一番安直な選択肢は日本を出てそのような生き方を受け入れてくれる所に活動の場を移すことだ。そして留学というのはその入り口としての選択肢の一つなのだと思う。(つづく)
Oct 12, 2008
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留学斡旋業者のゲートウェイ21がどうやら夜逃げしたようだ。元々評判のよくなかった会社だから言い方は悪いけどある程度予想はされていたと思う。留学費用を払い込んでしまっていた人は経済的被害を被るだけ、という言い方も悪いけど、すでに海外に出てしまっている人たちはどうなるんだろう・・・。なにはともあれ詳細はまた追ってアップしようと思う。
Sep 26, 2008
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「『手のひら静脈』で替え玉受験防止、GMATに導入へ」ついにここまでってかんじだけど、まあいずれ留学生にとってはもっと身近なTOEFLにもこのような本人認証システムは導入されるだろうな。が、しかし、試験の実施を委託されている団体自体が不正に関与していたら、やっぱり意味のないシステムのような気が・・・。というのも、中国で行われていると言われているアメリカ留学用の各種テストの不正は試験実施団体も加わって組織的にやっていると言われているわけで・・・。(たとえば中国からの出願者は各種テストで「満点」をとっていることが多い、というネタは前に出した。)とはいえ中国が急速に発展するにつれ、今現在でも以前よりもずいぶん、そしてこれからはさらに中国からわざわざアメリカに留学するメリットというのも薄れていくだろうし、あんまり関係なくなるかな。そういえばこないだ発表された、自らの国の発展ぶりに満足しているかどうか、という国際的な国民調査では、中国は1位か、少なくともトップ3に入ってたような・・・。
Jul 28, 2008
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「『暴走で家の明かりつくのが面白い』 暴走族ら36人逮捕、3グループを解体」実は暴走族のネーミングセンスの密かなファンだったりするんだけど、今回摘発されてしまったチームの一つは「姉崎三鬼鼠(みっきーまうす)」というチームらしい。三鬼鼠・・・次から使わせていただきましょ(爆)。さて、もう昨日の話になるかもだけど、野茂の引退が発表された。野茂がアメリカに来た時期は、自分がアメリカに留学してきた次期とも重なりなんとなく特別な思い入れがあった。特に、通訳込みの代理人は最初からついてるは、日本の球界からも後腐れなく送り出されるは、裏取引や日本人の観客やグッズの売り上げの期待もあって、実力以上の高額な移籍金にのっかってアメリカへやってくるような最近の日本人選手と違って、彼は本当に自分で道を切り開いてきたと思われるので、そういった意味で、当時自分とイメージを重ねていた留学生も多かったと思う。ある意味、最近の日本人大リーガーは留学斡旋業者にのっかってくる日本人留学生的イメージなのに対し、野茂はまさに個人留学といったかんじだったんじゃないだろうか。ちなみに当時、他の留学生と話していてよく話題に上ったのは、実は電波少年だ。一部はやらせだったのかもしれないけど、にもかかわらず、言葉もろくに話すこともできず、たいして金も無い中、自ら道を切り開いていくといったイメージから、猿岩石からはじまったヒッチハイクの旅シリーズに自らを重ねていた留学生はそれなりにいたんじゃないかと思う。そう、もう今となっては記憶の彼方だけど、自分にもスーパーで物を買うだけでもちょっとした勇気が必要だった瞬間はあった。そして今更のように考えてみると、当時のほうが今よりより「なんとしてでも前に進もう」という積極性があったようにも思う。というわけで、また明日からがんばろっと。
Jul 18, 2008
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ずっと前に「トリアージ」をネタにしたこともあるけど、最近の日本はますます「ルー化」進行中のような気がする。政治家に始まって最近耳についたのは、ミスター円こと榊原英資氏。出演番組で、カタカナ語を連発していた。特に繰り返していたのは「プレジャディス」。思わず回数を数えようかと思ったよ(汗)。(しかしプレジャディスはプレジャディスで、日本語にするとなんだかずいぶん耳障り的に違和感があるような気もするし、だからなおさらカタカナにして使うのはどうかと思ったが・・・。)いや、トリアージのように、日本語に言い換えづらいコンセプトのものならまだかろうじて理解できるんだけど、プレジャディスはわざわざカタカナで言わなくても・・・。「固定観念」でそのまま言い換えられるのでは?それとも「その程度の英語が分からない奴とは会話したくない」ってことなんだろうか・・・。なにはともあれ、そういった意味ではルー大柴は、まさに時代のトレンド(あっカタカナだ)に乗ってるってことなのかねぇ(爆)。
Feb 8, 2008
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なにはともあれ「今は日本が大好き」とのことだから、彼女は今居る日本に居所を見つけた、ということだろう。それはそれでよかったと思う。自分だって今いるアメリカが必ずしもベストの居所とは限らないし、もし、途中でドロップアウトして日本に帰っていたとしたら、果たしてどうなってただろう、なんて想像してみることもある。日本にも良いところはたくさんあるし、案外、今いる所よりも居心地が良い場所を見つけてうまいことやってたかもしれない。しかしてそうなったらそれはそれで、彼女のように「またアメリカに住むことはできるんだろうか・・・」なんて考えてたりするんだろうか。未練・・・難しい問題だと思う。ちなみに自分が日本にいた頃の彼女の「ウリ」は「アメリカに住んでいたことがある」と同時に「英語がしゃべれる」ことだった。彼女の口からでる英語の「ちょっとした一言」は、当時、アメリカの「ア」の字にも縁がなかった仲間うちにとって、非常に説得力があった。さて、そんなこんなで彼女の毎年の「アメリカ詣で」は繰り返されるわけだけど、例えば「元アメリカ在住の友人」と二人旅となることもある。「二人ともアメリカに住んでいたこともあって、着いたとたんにガンガンの英語モード。『うん、そうそう、That’sright』などと、ついつい会話が英語になってしまう。そもそも日本語でうまい言葉が見つからないこともあるのだ」ってのはど~よ。ってーか、それって (C) ルー大柴では・・・(汗)。ところが「アメリカ人の友人とディナー。ところが恋愛話とかになると、なかなか会話が続かない。自分の英語力のなさが悔しい」とのこと。(つづく)
Feb 7, 2008
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当時の彼女は何かというと「私は昔、アメリカに『住んで』いた」という点を強調していたような気がする。たとえば彼女は更新期限が来るたびにアメリカに免許を更新しに行っていた。すでにアメリカからひきあげた身にとって、それを維持するのはどの程度意味があることだったのかはわからないけど(ちなみに今はシステムがかわったので、実質的に日本の住んでいるのに、アメリカの免許は維持できません)彼女にとっては、アメリカに住んでいた証という、自分にとって価値あるものだったのかもしれない。実際、アメリカの「ア」の字にも縁がなかった仲間内の飲み会の席などで、アメリカの免許を出してみれば、やはり「おおっ」という反応があったのは否定できない。(異論はあるだろうけど、日本人の「舶来物」への興味はアメリカ人よりも強いような気がする。彼女がアメリカの免許を取り出すと、必ず「見せて見せて」となったものだけど、アメリカ人に日本の免許を見せてと言われたことはただの一度もないような気が。)なにはともあれ彼女にとって、恐らく「アメリカに住んで『いた』自分」というのが一種のアイデンティティだったんだと思う。ただ、それはあくまでも過去形だ。月日は流れ、彼女のブログを見てみると、言葉上は「今は日本が大好き」となっていた。が、年に一度のアメリカ詣では続いているようで、そこでは「またここに戻って来る(住む)ことはできるんだろうか・・・」となっている。もちろん人間、「古き良き時代」に戻りたいという気持ちは常にある。自分だって、日本に帰ると時たま小学校の頃に住んでいたあたりなどにふらっと戻ることだってあるけど、すでにそこは自分の居所でないこともまた現実なわけで、つまり今の自分の居所はあくまでも、今自分が居るところであるべきだとは思う。しかして彼女にとって、再びアメリカに住むことは「夢」なわけで、ただ残念ながら、それが再び実現する可能性は非常に低いと思われる。彼女が普通に日本に住んでいて、もしくはせいぜい旅行程度で表面的なアメリカを体験した上で、アメリカに住むことにあこがれているのであれば、それはごく純粋な「夢」だ。が、彼女は留学してしまった。一度なりともアメリカに住むという夢を実体験として実現。そしてそれを知った上で、「再びアメリカに戻ってきたい」という夢を持つというのは、これまた純粋な「夢」とはちょっと違うような気がする。(話、それまくりだな・・・。タイトルとは全く関係ない方向に話が進んじゃってるけど、まあぼちぼち書いているうちになんとかなるだろう・・・。)(つづく)
Feb 6, 2008
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世間一般では、キャリアアップに成功すれば、留学は成功、途中でドロップアウトしてしまえば失敗と見る傾向にあるような気がするけど、どちらかというと、留学後に「居所」を見つけられた人は成功、どうもシリが落ち着かない状態になってしまった人は失敗ということなような気もする。ただ、本人は口では「お金で買うことができない貴重な体験ができて満足」と言えども、さすがにドロップアウトなどをしてしまうと「世間体」が気になるらしく、たとえば留学ブログなどを公開している場合、留学生活の維持がやばくなり始めると、だんだんブログエントリーも減り、ドロップアウトした時点でそのブログは自然消滅、という運命をたどることが多い。(関連話を「留学生と傭兵の共通点?」にアップしてあります。)なので、留学情報はバラ色の情報が多く、ドロップアウトする課程まで公開しているケースは希だ。留学を商売にしている留学業者や雑誌の提供する情報はなおさらだ。商売にマイナスになるような情報を公開するはずがない。あらら全く別な話を書こうと思ったのに、話が明後日の方向に行ってしまったな。話を元に戻そう。というわけで、ブログ消滅とともにいったん行方不明となった留学生に、日本に帰ってから再開したと思われる別のブログ上で再会することがある。自分が留学した頃はブログなんてものはなかったわけで、でも、ひょんなことからかつての留学仲間のブログに行き当たることがある。たとえば最近、留学仲間というよりは自分にとっては留学の先輩、のブログに行き当たった。彼女には日本にいた頃に会ったのだけど、その頃は自分はまだ留学の「り」の字も考えていなくって、でもその時すでに彼女はNYでの留学を終えて日本に帰ってきた後で、つまり彼女が留学をしていたのはヘタをすると20年前。それもダンス留学、ということは、今、ネイルとならんでブームになっているダンス留学の草分けも草分け、といった立場の人といったかんじなんじゃなかろうか。ちなみに個人的には、次はスイーツ留学が「くる」と思っている(爆)。(つづく)
Feb 4, 2008
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こういうのって、ネタバレさせちゃったらやばいのかな。「山田洋行 元常務が入学口利き 守屋氏二女、米大学院に」記事内では「この大学は、米ニューヨーク州にある名門校。米国の情報調査会社による格付けでも、上位にランクされている」なんて微妙な書かれ方されてるけど、それはあまりよろしくないニュース内容だから固有名詞をあげてないのかそもそも日本じゃあまり名前を知られていないから、固有名詞を使っていないのか。で、この大学だよね。親やスポンサーが寄付金などをエサに、口利きで自分の子供や関係者を入学させるというのは、日本の感覚だと裏口入学的だから、この記事の論調もそんなかんじになってしまってるけど、アメリカの大学、特に私立大学ではありがちな話で別にどうということはない。(会社派遣のMBAとかも、公然の秘密状態。)そもそもその寄付金や、企業とのつながりを持つことで得られる恩恵のほうが、大学の席をちょこっと増やすことよりもはるかに大きいという、アメリカ的合理主義の結果とも言えるかもしれない。個人的にも、表口から堂々入っていく裏口入学なので、日本のように「なんとなく後ろ暗い雰囲気の中」コソコソ裏口から入っていくよりはよっぽどすがすがしいと思っている。しかし、ここってバリバリの理工系大学だけど、某氏の二女とやらは理系だったんだろうか。さらに某社の寄付先(寄付先は記事の内容に登場している奨学金基金だけじゃない)を見てみると、なんとなくきな臭いにおいもただよってきたりするわけだけど、それもアメリカの基幹産業だから仕方ない。さて、このあたりの話を見てて、留学中の経験を一つ思い出した。(つづく)<オマケ>今年も盛り上がりそうです。” Yamanote Halloween Train 2007: October 27th! ”燃えるノバうさぎ。” Nova Files For Court Protection From Creditors ”
Oct 27, 2007
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久々の留学ネタ。留学系のブログなどをつらつら回っているとよく、「次のペーパー用に70ページも読まなければならない」といった表現に出くわすことがあるけれど、70ページもはしからはしまで読んでしまうから、必要以上に苦しむことになってるんじゃないかなぁ、と思うことがある。自分は理系だから文系の Advance のクラスの実態はわからないけれど、一般教養の科目でそういったアサイメントはいくらでも出たし、理系だってそこそこのページ数の論文などを読まされる。さて、アメリカ人の学生が言われたままの量を生真面目に読んでるかって? ありえないでしょう(苦笑)。そもそも自分の通った語学学校では「英語の読み飛ばし方」を教えていたし、だから例えば60ページのアサイメントが出ても、実質読んでたのは10ページ程度じゃないかなぁ。当たり前の話だけど、ポイントさえ押さえてしまえば枝葉末節は必要ないわけで。逆にむしろ枝葉末節まで読んでしまうと、ポイントが見えなくなるような・・・。ちなみに、日本の大学と比べてアメリカの大学がいかに大変かという強調するためにもよく引き合いに出されるこの「何十、何百ページも読み込まなければならない」という表現だけど、これが日本語だったら、それなりには大変かもしれないけど、こなせない量では全くないよね。(その上、日本語の語学上の特性のため、英語の100ページは日本語だと50ページ程度になる。ちなみに中国語だと、もっと減る。)その上、日本語だったら重要な部分だけが目に入ってくるから、1ページ1ページ丹念に読んだりする必要もないわけで・・・。そして、少なくとも自分が語学学校で教わったことによると今度は英語の語学上の特性のため、英語は「シロウト」でも非常に読み飛ばしやすい言語だということらしいし、教わってからずっと、それを実践しているわけだけど、実際、教わった通り(英語は読み飛ばしやすい)のような気が。生真面目にアサインされたリーディングを端から端まで読もうと意気込んで、苦しんでしまっている留学生の人は、どうやって要領よく「手を抜くか」ということを考えてみるのも手だと思う。「読めば読むほど読む速度が上がるはずだし、これは多読トレーニング」、もしくはマゾ的に「自分に課された試練だと思って(自分のためにも)むしろこの苦行を甘んじて受ける」なんて思っている人もいるかもだけど(自分もそう思ってた時期があった)そのやり方では恐らく必ずといっていいほど限界(天才でもない限り、人として絶対に読み切れない量が、目の前に積み上がる日)が来ると思う。
Oct 20, 2007
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さて、コミカレ留学談義を続けてみよう。前回までは留学当初、慣れない環境や英語のハンディがある中、それなりに良い成績を維持するには、授業内容などが比較的簡単なコミカレくらいが丁度良いのでは?といったような事を書いたけど、(さらにコミカレには学費が安いというメリットもある)コミカレを留学先として選ぶには当然リスクもある。同じ基礎学力の上に同じだけの努力をすれば、コミカレでは確実に一般の四大より(数字の上では)良い成績がとれる。ただこれは、コミカレは、大学に経済的、時間的、そして特に能力的理由で行けなかった地元の人たちの受け皿という役回りがあるため、往々にして(言い方は悪いけど)周りの基礎学力と向上心が低く、それに助けられてのことだ。というわけで最終的にそこそこの四大を目指してるなら、コミカレにいる間はそこはあくまでも「仮の場所」、良い成績がとれたとしてもそれは自分の能力ではなく、周りのレベルが低いからと思うようにして、周りにあまり流されないようにしないと四大に移ってから大変なことになる。まちがってもコミカレで「こんなもんか」なんて思ってしまわないように。さらにもし日本人が多いコミカレを選んでしまった場合、その点でも周りに流されないようにしないと、「周りのレベルが低いことによって、英語のハンディがカバーされている」という、それなりの成績を維持しつつ英語のレベルを伸ばすことができるという、貴重な「執行猶予期間」を無駄に過ごしてしまうことになる。これ、人によっては難しいかもしれないし、だから周りに流されてしまいそうな人は、最初から四大に行ってしまったほうがいいかもしれない。ただ直接四大に行ったら行ったでコミカレ並の(数字の上での)良い成績を初っぱなからとるのはなかなか難しいだろうし、結果、「次」につながる道は断たれてしまうかもしれないわけで、そのあたりはもう自分で決めるしかないように思う。 ←ブログ内フリーページの留学ネタリンク集。 各フリーページの簡単な説明つき。ブログHOMEに戻る
Sep 24, 2007
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まずはニュースを二つほど。「南部言葉は本当に広まっているのか?~I’m fixin’to…の浸透で静かな議論」へ~。「米国人観光客に査証義務付け、対等主義でとボリビア」アメリカにペコペコしているどこかの国と違って、アメリカに毅然とした態度をとる南米諸国のこういった動きはなかなかすがすがしい。アメリカが入国者に指紋押捺を義務づけた時、ブラジルが、即座に入国者のうちアメリカ人のみに指紋押捺を義務づけたのは本当に拍手喝采でした。さて、昨日からのコミカレ談義は続く。周りがよく見えない(英語でものごとが要領よくこなせない)中、足の速さ(基礎学力など)だけを頼りに天敵から逃げ切るには、足の遅いネズミのグループに入って他のネズミが襲われている間に逃げ切るほうが有利。いきなり同じような足の速さのグループに入たら、真っ先に命を落とすことになりかねない。で、それで終わり。もちろん卒業できない、と言っているわけではない。そもそもアメリカの大学は卒業するだけだったら簡単だ。だけどアメリカでの「次」には非常につながりにくくなる。万が一、周りがよく見えない状態でもそこそこ足の速い連中を遙かに出し抜ける「とてつもない」足の速さを備えていたとしても結果は同じだ。最初から足の速いグループに入るのか、後から加わって、結局そこから巣立っていくかの違いだけ。トランスファー(転入)が難しい超有力大学は逃すかもしれないけれど、英語のハンディがあるところでいきなりそんな環境に入って、さらに他のアメリカ人新入生を出し抜ける(そして超有力大学の学費を払うことができる)日本からの留学生ってどれくらいいるだろう?念のため付け加えれば、例えば大学院進学を考えれば超有力大学でへっぽこな成績をとるよりも、そこそこの大学でちゃんとした成績をとってたほうが有利だ。さて話を元に戻すと、「巣穴型」の時は、入り口から入ったら出口から出るまで同じ巣穴の中にいなければならないけれど、「草原型」であれば、より美味しいエサがある所へいつでも自由に移っていける。だから、天敵から逃げる要領をえてから美味しいエサの元へ移りたければ移ればいいし、自分の命を守るにはこれくらい、と思ったらそこにいればいいのだ。(つづく) ←ブログ内フリーページの留学ネタリンク集。 各フリーページの簡単な説明つき。ブログHOMEに戻る
Sep 22, 2007
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さて、コミカレ留学談義のつづき。日本とアメリカの教育システムの大きな違いの一つは、日本は「瞬発力型」なのに対してアメリカは「持久力型」ってことなんじゃないかと思う。日本はとにかく「一発勝負」。例えば高校の成績がどんなにめちゃくちゃでも、大学の入試にさえ受かってしまえばそれが全て。その部分だけに関しては日本はアメリカ以上の敗者復活社会だし、ある意味フェアでもある。一方アメリカは、「いつもの」成績が重視される。そして大学院進学など、次につなげていくのであれば、たった一回コケただけでも致命傷になることがある。医学部志望の学生がオフィスの外で泣き叫んでBをAにしてくれと懇願したという話は前に出したと思うけど医学部志望などの場合だと、たった一回のBが致命傷になったりするわけだ。見方を変えると、日本は一点集中的に人材選抜が行われるけど、アメリカは常にマイルドに人材選抜のプレッシャーが、かかっているということかな。アメリカは弱肉強食の競争社会。たとえば広い草原にネズミが暮らしているとする。片方の種類は巣穴を掘って暮らしているタイプ。天敵に狙われるのは巣穴から巣穴へ移動する一瞬だけで、巣穴の中は全く安全。巣穴から巣穴への移動の時だけ全力疾走すればよく、足が遅いネズミでも、穴から穴へ移るタイミングをうまく計ったり、巣穴から顔を出したときに運悪く天敵と出くわさないかぎり、生き残るチャンスはある。もう片方の種類は、常に地上を走り回っているタイプ。天敵の目にいつもさらされていて、足の遅いネズミは相当運がよくない限り生き残れない。このたとえ話でどこまでうまく説明できてるか、わからないけど、前者が日本型、後者がアメリカ型というわけ。さて、足の速い「巣穴型」のネズミが「地上型」の群れに加わった。ところがこのネズミ、巣穴から巣穴へ移動する一瞬の経験しかないので、天敵がどのような姿をしているのか見ても(英語の読み書き)わからないし、その羽音の区別(英会話)もできない。そうこうしているうちに、自慢の足を使う前にあっけなく天敵のえじきに。もちろん「とてつもなく」足が速ければ話は別だけど、はたしてそんなネズミはそう何匹もいるものだろうか。さて、そこそこ足に自信はあるけど、天敵が見えず、羽音を聞き分けることもできない状況で生き残るにはどうしたらいいか。とりあえず、足の遅いネズミのグループに加わればいい。(つづく) ←ブログ内フリーページの留学ネタリンク集。 各フリーページの簡単な説明つき。ブログHOMEに戻る
Sep 21, 2007
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ここんとこまたしばらく留学ネタから離れていたけど、ブログリンクさせて頂いている KSD_farfalla さんのこのエントリーに刺激されて、またちょっと書いてみる。お題はアメリカ留学ネタとしては「古典」といってもいいくらいのネタ、「コミカレ留学について」。これ系のネタの時の大前提は、留学のスタイル、目的は本当に十人十色。「成功」の定義も人それぞれ。例えば1年間のバケーションの「ついで」に語学留学する人もいれば、そもそも実家に強力な資金力やコネがあり、めちゃくちゃな留学生活を送ろうが、結果オーライな人。金銭的にどんなに貧しくてもとりあえず「アメリカンライフ」が送れれば(永住できれば)いいという人。本当に様々。なので留学に「王道」はなく、留学ネタに「一般論」は存在しない。ので、これもあくまでも一意見ということで。KSD_farfalla さん同様自分もコミカレからの「たたき上げ」組で(詳しくは「留学ネタリンク集」参照)、彼女のエントリーを見ていて、ああ自分もそんな時があったなぁ思わされたこともあり。キーワードは「コミカレと同じ感覚では絶対にダメですね」。やっぱりコミカレと四大では内容がかなり違うのだ。日本の教育水準から考えるとアメリカのコミカレの教育内容は基礎も基礎。実際、英語というハードルさえクリアできてしまえば、良い成績をとるのは簡単。もしその「先」を考えているのなら良い成績を取って当たり前なくらいの感覚でいるべきのような気がする。(「コミカレははじまりのはじまりにすぎない」参照。)日本の人から見れば「英語で授業をこなしてるなんてすごい」と思えるかもだけど、現地の人(アメリカ人)にとっては、そんなの当たり前すぎて評価の対象にもならない。日本の大学で、留学生が一般教養のクラスで「日本語で試験を受けたからエラい」という理由で成績をオマケしてもらえる、なんてことがないのと同じこと。話を元に戻すと、自分はコミカレから「それなりの四大」に移る前、さらに「しょぼい四大」でのワンクッションがあったけどいきなりそれなりの四大に移った KSD_farfalla さんの戸惑いは相当なものがあると思う。なにはともあれ、がんばって切り抜けていって欲しい。(つづく) ←ブログ内フリーページの留学ネタリンク集。 各フリーページの簡単な説明つき。ブログHOMEに戻る
Sep 19, 2007
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「街路樹に激突大破 ボストン・日本人留学生2人死亡」「Mount Ida students killed in car crash」「College students from Japan killed in single-car crash」原因はスピードの出し過ぎらしいけど、しかし、映像を見ると、本当に相当のスピードを出していたらしい。ちなみに2人のうち1人は今日日本に帰る予定だったそうで、いやはやなんと言っていいのやら・・・。
Jul 3, 2007
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昨日のエントリーにさっそくKSD_farfallaさんとひよこまめさんがレスをつけて下さったけど、(KSD_farfallaさん、ひよこまめさん、ありがとうございました)というわけで、アメリカは大学によって成績のつけかたはまちまち。だから昨日のエントリーの例のようにシステム上GPAが低めに出てしまう学校だとGPAが高めに出てしまう学校の卒業生と競った場合に不利になるのでわいわい騒ぐことになるわけ。さて、昨日も書いた通り成績の基準の「建前」はあくまでCが平均(Aは本当に抜きん出ている学生のみ)となってるんだけど、実際はC~Bの間くらいが平均といった感触じゃないかと思う。実際、自分が大学にいた頃、平均GPAは2.6と言われていた。と、ここまで書いてからちょっと調べてみたら、現状はもっとひどかった。2001年~2002年の全米推定平均GPAはなんと約3.1!なにはともあれ平均が本来あるべきところ(2.0)より高いのは、卒業生が他校の学生よりも有利になるようにといったような親心から年々ジリジリ上がっていったからとも言われている。自分が学生の頃は本当に平均GPAが2.0だったという教授もいたし、その「伝統」をかたくなに守っている教授もいた(当然、学生からは嫌われていた)。ただ「建前(2.0)」よりは高くなってしまってるとはいえ、各大学も体面上、全米平均GPAからさらに抜きん出て高い平均GPAを容認するわけにもいかないといったプレッシャーもあるので、それなりの公平性は保たれているのかも。もちろん「我が道を行く」大学もある。よく引き合いに出されるのはハーバード大学。2001年10月23日付Boston Glove紙の記事「Harvard asks faculty tojustify grading methods」によれば、ハーバード大学では半数の生徒にA(もしくはA-)を出しており、このあたりは、ある程度金とコネで何とかなる私立大学よりも公立(州立)大学の方が公平性が保たれているという議論にもつながってくるんだけど(ちなみに私立大学の方が成績のつけかたが全般的に「甘い」のは既出のページでも示されている)、今回のネタとは関係ないのでとりあえずそれは脇においておく。話を元に戻すと、そういった成績の基準がバラバラという現状を踏まえて選考先(大学院など)が出身校の成績分布(例えばAは全体の何%でBは何%、もしくは全学生中この学生は何番目くらいの成績なのかなど)の資料を要求してくることもある。出身大学がアメリカの大学、それもそれなりに知られている大学なら選考側も要領をえてるだろうけどね。成績の基準が根本的に違う日本からの出願の際には要求されなくても資料を添付すべきというアドバイスを見かけることもあるけど、それも一理ある。そういえば、アメリカの大学の成績のシステムで重要なことを忘れていた。いわゆる「カーブ」。例えば目安としてAはそのクラスをとった学生の20%、Bは40%、Cは30%、Dは10%に出すことにしたとして、学期の終わりに最終的に「建前」通りにちょうどうまいこと90点~100点の学生が20%、80点~90点の学生が40%・・・になるなんてことはまずありえない。というわけで、成績配分を調整するために学期の最期などに点数に「ゲタ」をはかせることがある。例えば実際には85点以上の学生が全体の20%だった場合、全員の点数に5点上乗せする(結果的に85点以上ならAになる)など。このカーブ、自分の経験からすると成績を「救済」する(点数を上乗せする)方向に調整されることがほとんどだけど、まれに厳しい教授だと、逆に90点ではなく93点以下はBなどとしたりすることもある。さらに当初から、Aは(数字的な点数は関係なく)上から20%・・・などと言い渡されることもある。といったところでついにcum laudeネタに突入しよう。とりあえずウィキペディアのLatin honorsの項(英語)にリンクしておく。この卒業成績によってもらえる「アンタはエラい」の称号一番ポピュラーなのは三段階。「cum laude系」で言えば、上かsumma cum laude、magna cum laude、そしてただのcum laudeというパターン。もちろん別の名称を使っているところもあって、例えば自分が通っていたペンシルバニア州立大学では、highestdistinction、high distinction、そしてただのdistinctionとなっているけど、内容はcum laudeと同じ。さて、じゃあこの称号を出す基準ははっきりしているかというと、これも学校によってバラバラ。最終GPA3.9以上にmagna、3.75以上にmagna、3.5以上にcum laudeというのも見たことがあるし(厳しいところではmagnaは4.0にしか出さないというのも見たことがある)、上で引き合いに出したペンシルバニア州立大学の例でいけば、上位から2%にhighest、2~6%にhigh、6~12%にdistinctionということになっているので、卒業生の成績分布によってGPAベースでの線引きは多少変わるわけ。ちなみに前者のシステムだと極端な話、最終GPAが高い学生が多ければ多いほど、Latin honorsも「量産」されるわけで、この例としてよく引き合いに出されるのがやはりハーバード。ハーバードは実に卒業生の9割以上がwithhonorで卒業していると2001年10月23日付BostonGlove紙の記事「Harvard asks faculty to justify gradingmethods」には書かれていて、とするとハーバードの場合、honorなしで卒業のほうが「稀少」ということになる(汗)。もちろんこういったhonorのシステムを採用していない学校もあるし、だからこのネタを書くきっかけになったにわか旅人さんの「GPA4.0の維持が簡単だと、コミカレでは毎学期大量のsumma cum laudeが出るのでしょうか」という質問への答えは「学校による」ということになる。
Jun 29, 2007
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今日のピックアップ。「倉庫火災で燃えた大麻で消防官がぶっ飛び--米テキサス州」メキシコからの密輸ルート上にある倉庫が火事になっちゃって消火にあたった消防士が軒並み大麻を吸ってラリっちゃったってニュース(汗)。さて、先日の「コミカレははじまりのはじまりにすぎない」というエントリーににわか旅人さんが、「GPA4.0の維持が簡単だと、コミカレでは毎学期大量のsumma cum laudeが出るのでしょうか」というレスをつけて下さったんだけど、このネタを含めてこれを機会にアメリカの大学の成績システムについてちょっと詳しく書いておこうと思う。実はアメリカの成績システムについては、フリーページ「GPAのインフレ」に既に軽く書いてあって、よければそちらを先に見てもらえると話がわかりやすいかもしれない。さらに、今回の一連のエントリーを書き終えたら「GPAのインフレ」をそれをまとめたものに差し替えようかな~とも思ってたり。さらにさらに、自分はこのようにいわゆる成績を気にしなければならない立場から離れて早○年だし、アメリカの学校の成績のシステムはそれこそ千差万別で(決まったルールがあるわけではないので)うちの学校はぜんぜんちがうよ~んというケースも十分ありありだと思うし、逆にもしそういうケースがあるのであればコメントをつけていただければありがたいかも。さて本題。アメリカの成績の配分は、建前ではA(4.0)大変良くできました:90点~100点B(3.0)良くできました :80点~90点C(2.0)平均 :70点~80点D(1.0)がんばりましょう :60点~70点F(0.0)落第 : ~60点ということになっているんだけど、はっきりいって実態はかなり違ったりして。でも話をわかりやすくするために前半はあくまでもこの建前に基づいて話を進めます。さて、学校によってはこれを更に細分化している。例えばA+ (4.33):97点~100点A (4.00):93点~97点A- (3.67):90点~93点といったようなパターン。鋭い人はもう気づいたかもしれないけれど、A+のある学校に通っている人は4.0以上のGPAをとることも可能だし、万が一、B(3.0)をとってしまってもA+(4.33)を何度かとれば、GPA4.0に復帰することも可能なのに対しAまでしか採用していない学校の場合、最高でもGPAは4.0どまりで、さらにA(4.0)以外を一度でもとってしまうと、GPA4.0に復帰するのはほぼ不可能となる。さらに不利なのはA-を採用してるのにA+を採用していない学校。なぜかと言えば、A+/-を採用していない学校は90点でもA(4.0)なのに対し、A-のみ採用している学校の場合A(4.0)をとるには93点以上が要求されるから。ちなみに自分が通っていたペンシルバニア州立大学は、少なくとも自分が在籍していた時は、まさにこのA-のみ採用してA+を採用していないシステムで、他校卒業生と比べてGPA的に不利(だからA+も採用すべき)という議論が何度も出ていた。大学からは話がそれてしまうけど、いわゆるエリート高校(ボーディングスクールと呼ばれる寄宿舎形式のエリート校)は、競争力アップのために当然のごとくA+(4.33)を採用しているところが多く、そこからの出願者のGPAを見ると軒並み4.33だったりする。(つづく)
Jun 28, 2007
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当たり前と言えば当たり前なのかもしれないけれど、自分にとっては「留学」は過去のものになりつつあり、ブログのタイトルは相変わらず「留学」になってるけど、留学ネタはめっきり減ってきていることは確かだな。そんな中、ここでも時々コメントして下さっているkbtさんのブログの中に「これは」というネタがあったのでちょっとトラックバック。ネタ元のブログエントリーはこれ。「Communitiy Collegeでの成績とは。」既に自分もコメントをつけているので、それと重複する内容もあるかもしれないけど、悪しからず。ちなみにこのエントリーの注目点の一つはコミカレのレベルについて率直に語っているところ。コミカレを含めて留学生のブログというのはなにかというと「ガンバってるね」「スゴいね」といったような、お互いの努力をとにかく褒め称えあう「ヨイショ系」が多い中、ここまでしれっと「コミカレで良い成績をとるのは簡単」と言い切っているものは珍しい、と同時に自分の経験に照らしてそれは率直にいって「事実」だと思う。あえて付け加えれば、「英語の壁」がなければ、だけどね。既に自分とは留学生の世代もかわっている(例えば「ゆとり世代」の登場など)から、今の日本からの留学生にとってのアメリカの学校の感触はまた違うのかもしれないけど、自分の世代から言えば、アメリカのコミカレ、もしくは大学の1~2年次の内容は日本の高校レベルだった。もちろん日本では「アメリカ史」なんて授業はとることはないけど、ここで言っているのは、授業の内容のレベル、という意味。例えば日本の高校での「日本史」の授業内容はアメリカの大学でとった「アメリカ史」と同等か、ヘタをすると日本の高校のほうが内容が濃かったような気がする。このへんについては「米大学卒業は難しくない」とそこからのリンク先にも書いてある。話を元に戻すと、というわけで特にコミカレについてはあえてキツい言い方をすれば(英語さえなんとかなれば)多少良い成績を維持できたところで大した自慢にもならないような気がする。kbtさんのブログへのコメントにも書いたけど(アメリカで大学まで行くつもりであれば)むしろコミカレで良い成績をとるのは当たり前で、本番は大学から、という心構えが必要なようにも思う。さらに言えば、もしコミカレについていけないようであれば、それは「大学に行くのは無理だよ」と教えてくれているという面もあると思う。「留学生活 井の中の蛙」に詳しく書いたけど、アメリカは引き際は自分で決める所。英語で授業をこなしている自分を振り返れば「日本にいた頃よりスゴい自分(だから多少の足踏みは仕方がない)」に見えるかもしれないけど、そもそもここはアメリカなわけだし、英語で授業をこなすのは当たり前以前の話なわけで、一歩下がって冷静に考えて、もしコミカレレベルで足踏みしてしまうようであれば、潔く撤退する勇気も必要だと思う。もちろん留学の目的は人それぞれだから、アメリカの大学を修了するのが目的でない場合はその限りではないけどね。 ←ブログ内フリーページの留学ネタリンク集。 各フリーページの簡単な説明つき。ブログHOMEに戻る
Jun 20, 2007
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オクラホマシティーで以前失踪した邦人女子留学生の人骨らしいものが見つかったようだ。「Remains May Be That Of Missing Student」「米オクラホマ州で人骨発見 失踪邦人学生との関連捜査」ちなみに彼女の事件については以前、日本のTV番組(TVのチカラ)でも取り上げられたようだ。何はともあれオクラホマシティーの情報をCities Ranked & Rated で調べてみる。凶悪犯罪率のスコア7、その他の犯罪率も7。ちなみにスケール1~10で数字が大きい程治安が悪く、全米平均は両カテゴリーとも3だ。
Jun 1, 2007
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「記者の目:06年に一言 フリーター『奴隷ですから…』◇労働の尊厳奪う格差社会--いじめ、過酷残業も拡大」こういった記事はここ2~3年、いやという程目にしてきたからか半分食傷ぎみになってはしまったけれど、内容に目を通してみればやはり「みんなでのほほんと仲良く」という古き良き(と、もう言ったほうがいいんだろうか)日本はどこへ行ってしまったのという印象はうける。数字の上では他の先進国、特にアメリカと比べれば日本の格差なんてまだまだ甘いと言われているけれど、少なくともなにかアメリカよりは、下に流れてしまった人に「必要以上の苦痛を与える」もしくは「人生の希望を断ち切られた」と感じさせるような日本特有の構造的な問題があるような気はする。それともそれは国民気質の問題なのかな。でもこういったようなことは、もうそこらじゅうで語り尽くされているだろうし、そんなわけでこの記事を紹介したのはそんな話をするためではない。記事中にこんなくだりがある。「派遣社員で事務の仕事につく女性(40)は、数カ月ごとの細切れ契約を繰り返しながら働いた。海外留学で鍛えたネーティブ並みの英語力も時給には反映されない。」自分も腐ってもぼちぼち留学経験を元に就職活動をしているわけだけど、その経験からいってこの内容はにわかには信じられないか、もし本当だとしたら彼女を評価しない社会環境の問題ではなく、彼女自身の問題のような気がしてならない。留学志望者は留学前に耳にタコができるほど「英語だけでは食っていけない」言われるので、もし彼女が「それでも自分はなんとかなる」と思って、英語だけを身につけて帰ってきたのであれば、それは彼女のミスだ。そして、自分の経験からして留学経験者の中で「ネーティブ並みの英語力」を身につけている人は極めて稀だ。だからもしかしたら彼女自身、もしくは記者の人の過剰評価?とも思ってしまう。そして、万が一本当に彼女がネーティブ並みの英語力を身につけていたとしたら、彼女のアピール力不足に他ならない。本当に(いかなる専門用語にも柔軟に対応できるという能力も含めて)ネーティブ並みの英語力が身についているような人が食うに困っているという話は自分のまわりではあまり聞かない。
Dec 29, 2006
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米「オーバーステイの韓国人小中学生は国外退去」 アメリカに留学している韓国人小、中、高校生が1万2千人超ってのはちょっとびっくりしたな。これは、駐在員とかの家族を含めた数字なんだろうか。ここ最近、初、中等教育での留学に対して、アメリカは厳しい姿勢をとっているからまさか・・・とは思うが・・・。しかし、子供の教育というものに対してものすごいエゴをむきだしにする親を時々見かける。留学系掲示板などでも時々そういう人を見かけることがある。少子化で子供に投資できる額も大きくなり、「親子二人三脚での競争」が激しくなってきているからだろうか。日本型格差社会(下流が子供を作らない)においては、上流の子供の間での椅子取りゲームが激化(現在の社会体制ではスタート時点では上流でも、「下支え」がなければ将来的に必ず下に流れるグループができるため)するんじゃないかというブログを以前に書いたことがあるんだけど、つまり、そういうことなんだろうか。なにはともあれこの記事を読んで、ふと留学初期に出会った親子のことを思いだした。留学してはじめて住んだ(転がり込んだ)友人の部屋のあるコンドミニアムに住んでいた日本人親子(母子)だったんだけど、元々アメリカ駐在のために家族そろってアメリカに移住。子供は現地の学校で勉強していたんだけど、父親の赴任期間が終わり日本に帰ることに。その場合、子供については留学生としてアメリカに残るという選択肢があったんだけど、当然、親として子供(高校生)だけ残して日本に帰るというのは不安だったんだと思う。そこでその母親が講じた裏技は、息子達の高校に高校生として在籍して、学生ビザで滞在を続けること。就学年齢に日本ほどこだわりがないアメリカのことだから、最初はなんとかなったみたいだけど、当然彼女は出席なんかしなかった。その間、何度か日本とアメリカを往復していたようだけど、ある時からめっきり見かけなくなった。結末は入国拒否&強制送還 from テキサス州ダラス空港。留学初心者として、その母親の豪腕ぶりにもびっくりしたけど彼女の強制送還の話がすみやかに現地日本村に広がっていったのにもびっくりした。なんせ自分は彼女と挨拶くらいしか交わしていないのに、なぜか詳細を知っているんだから(爆)。
Dec 17, 2006
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今日こっそり「University of Texas Austin 出願手順」と「ペンシルバニア州立大学(Penn State)出願手順」というフリーページをアップした。こういうブログをやっていると、時々「留学手続きのやり方を教えて下さい」というメールをもらうことがあって、そういった時に返しているメールをちょっと再利用してみたり。(ちなみに依頼者にメールをした時にはもっと依頼者の事情に沿った細かい情報も含めていて、今日アップしたフリーページはあくまでもそれを一般化したもの。)自分のコンセプトは「100%ボランティア」。そしてやるなら「徹底的に」。だから「良心的な留学業者?」に書いたように、本当に良心的に留学手続きなどの代行をやったら絶対にビジネスとして成り立たないと思っている。必ず自分がやることは「大学担当者に電話をして徹底的に確認をとる」こと。例えば今回の「テキサス大学への出願手順」にあるような「テキサス大学は出願時に財政証明を必要としない」といったような例外的なケースについては、特に徹底的に電話をして言質をとったりしているんだよね。(単なる電話好きという説も・・・。)電話で担当者と直談判をするというのは、依頼をいただいた方の状況にあわせた出願方法をお伝えできるという面でも必要なことだと思う。例えば学校のHPではTOEFLの提出を義務づけていても、本人の事情を話して免除してもらう、なんてことはよくあるケース。でもアメリカの大学の出願手続きをしたことがある人だったら、手続きや、必要書類、さらに選考基準が大学によって千差万別でさらにHPなどに出ている「表向き」の情報がそんなにあてにならないので、結局電話して担当者に直談判するのが一番確実、というのは誰でも認めるところだと思う。さて、実はそんなことはどうでもいい。実はそういうメールを下さる方は、留学斡旋やその類似業者のサポート不足の結果、せっぱつまって自分で手続きなどをやらざるをえなくなった人が多い。その際、それまでに留学業者が提供した情報を念のため教えてもらったり、さらに自分のサポートと並行して業者からの情報も受け取り続ける人もいて、それを適宜転送してもらったりしてるんだけど(一例は「業者が送り込むケース」)、腐っても留学のプロなはずなのになんでそんな簡単なこともできないの?と思わされるケースはまだいいとして、間違った情報を流し続ける業者も多い。例えば学校の選択肢の中にすでに出願が間に合わない大学が入っていたり。プロだったら、一日中その仕事に専従してられるわけでしょう?なんで本業の合間にちょこちょこ事を処理している自分よりも情報を持っていなかったり、さらには間違った情報を(料金をとっている)顧客に平気で提供するんだろうねぇ。ちょっと大学とかに電話かければすぐに判ることばかりじゃないか。プロとしてのプライドとかないのかなぁ(ないんだろうけど)。念のため書いておくと、こういったことは中小の業者に限ったことではなく、大手の業者でも平気でそんなことをしている。最近の傾向で気になることは、「アメリカの留学歴」をウリにしているカウンセラーが増えてきていること。自らの出身校なども明らかにしていたりして、でもアメリカの大学を出てるんだったらそれこそアメリカの大学の担当部署に電話の一本入れるくらいお茶の子さいさいでしょう? なんでしないの?そもそもその「アメリカ留学歴」って本当?もし本当ならアメリカ留学歴なんてその程度のものってことでアメリカ留学経験者のはしくれとして深くお詫びします(爆)。
Dec 9, 2006
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とある事情で今更ながらにアメリカの大学出願プロセスの総ざらいをやってるんだけど、そこで気付いた珍現象。アメリカ人でもTOEFLを受けなければならないケース。アメリカの大学の出願には、ACTやSATという共通テストを受けなければならないことがあるんだけど、その中の科目には当然「英語」、つまりアメリカ人にとっての「国語」がある。で、けっこうな数の大学でこの点数が悪かった場合、アメリカ人でもTOEFLの受験を義務づけているのだ。昔からそうだった?まあ生まれてすぐアメリカに来て、基本的にネイティブスピーカーなのに、アメリカ国籍でないからTOEFLを受けなければならない人もいれば、アメリカで生まれてすぐに海外に出て、全く英語がしゃべれないのに、国籍をもっているのでTOEFLを受けないでいい、なんていう「逆転現象」は以前からあったんだけど、その上、最近のスペイン語人口の増加とあいまって、そんなことになってるんかいねぇ?それはともかく、英語の「シャンプー」「パジャマ」「バンダナ」ってヒンズー語(インドの現地語)だったんだね。(以下の記事参照。)「『ヒングリッシュ』って?英で流行、その背景は… 」
Dec 7, 2006
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というわけで、TOEFL遍歴を書いてみよう。自分がTOEFLを受けたのは一番最近でも8年以上前なので今とは全く状況が違うと思う。バリバリのペーパーベースだったのはもちろんのこと、今はライティングやスピーキングがあるらしいけど、もちろんそんなものもまだなく、ライティングはTWEというセクションが試験的に導入されはじめた時期だった。ちなみにこのTWE、例えば全く文法を間違えずに数行書く方が、多少文法を間違えつつも、しっかりとまとまったパラグラフを一つ書き終えるよりも点数が高いなど、採点基準が非常にあいまいだったのを憶えている。(だから試験的な位置づけだったんだろうけど。)さて自分は大きく分けてコミカレに入る前と、それなりの4大にトランスファーする前にTOEFLを受けている。一番最初は語学留学して約半年後の570点。その後立て続けに2~3回受けたように記憶しているけどあまり点数が伸びることはなかった。結局この570点(か、それより若干高い点数)を使ってコミカレに入学している。そして確実に言えること。570点程度では「使える英語が身についている」とは全く言えなかった。一昨日のブログで、ましてや「500点(だけ)では『留学して授業について』もいけない。コミカレくらいに『入学』はできるけど、普通の大学の授業にはついていけない」と言っているのは、この時の経験に基づいている。その後スコアの有効期限が切れてしまい、それなりの4大に移るためにもう一回だけ受けている(留学して3年半経過)。この時は「有効なスコアをもっている」という事実を作るだけでよかったので、準備なしで受けて627点だった。リーディングなどのセクションで大量に時間が余ったけど、途中退室は許されなかったので困ったことを憶えている。大学院出願の際はTOEFLは免除か、免除と明記されていなくても免除にしてもらったので結局受けていない。ちなみに唯一最後までスコアの提出を要求したDUKE大学には結局出願しなかった。一般に、願書を受け取ってもらうための最低限のスコアさえ満たしていれば、後はあまり点数を追求する必要がないと言われているTOEFL。実は学校によってはそのスコアが合否に影響してくることもあるので注意が必要。例えば自分が卒業した大学院のある大学は内々に出願に必要な最低限のスコア+20点を目安にしているらしい。ここいらへんの情報は、合格者の点数分布が載っている本があるので、そのあたりを参考にすれば良いと思う。逆に最低限のスコアを満たしていなくても、その他のファクター(例えば語学学校からの推薦状など)によって願書を受け取ってもらえるケースもあり、そこいらへんのフレキシブルさはいかにもアメリカっぽい。
Nov 11, 2006
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さて、とりあえず留学談義に話を戻してみよう。KSD_farfallaさんが一昨日のブログに「NYCで見かける日本人の大半が日本人の同伴です。一人で携帯で会話しながら歩いている子の会話は日本語です。タイムズスクエア周辺の待ち合わせは新宿のアルタ前を思わせます。」というコメントをつけて下さったけど、もちろん彼、彼女らが全員留学生だとは思わないけど、はっきりいって「旧来の留学」のイメージからかけ離れた留学をしている日本人が増えていることは確かなようだ。それが入り口となって、不法滞在、不法就労に流れていってしまう人もいるので批判の対象になりやすいのも確かだけれど、結局「周りが何を言おうと本人の気持ちはかわらない」というのもまた確か。そして特に若いうちであれば、失敗からまた学ぶものもあるだろうし、それはそれで仕方がないんじゃないか、とも思う。逆に言えば、アメリカは日本以上の競争社会。行動に日本以上にストレートに結果はついてくる。その結果、sanfrancisco_cat さんのブログに書かれているように掃除婦に落ち着いたとしても、本人が「それでも今の自分に満足しています」と言うのであれば、それはそういうことなんだろうし。ちょっと問題なのは、結果を甘んじて受けるのではなく、最終的に日本人ならではのセーフティーネットに甘えてしまう人かなぁ。親の経済力とか、はたまた生活保護とか。それはちょっと(自分の行動には最後まで自分で責任をもつという)ルール違反なのかな?とは思ってしまう。その自己責任のルールを守ろうとすると、逆に「日本人ならではの問題」も浮上してくる。KSD_farfallaさんが「再チャレンジする人間にあまり優しくないですから。」と書かれている通り、日本は途中下車した人に厳しい。中途採用などが増えたとはいえ、アメリカと比べたら無きに等しいし「効率よりも長年同じ道を歩んできた上で培われる信頼関係(浪花節)」というのはもう文化。安倍首相は「再チャレンジできる社会へ」などと言っているようだけど、むしろ変える(変わる)のは無理と言い切ってしまったほうがスッキリする。「レールから外れると大変な人生になる」「その柔軟性の無さが日本の良くないところ」というのは自分が子供の頃から言われてきたことだし、ということは少なくともここ30年、根本は全く変わっていないということだ。(ちなみに個人的にはその日本のシステムが悪いなどとは思っていない。それはそれで優れている面がいくらでもある。ただ、日本での論調はなぜかいつも否定的・・・だったんだけど、小泉改革による急速なアメリカ型のシステムの導入への反発からか、最近は旧来の日本のシステムを肯定するような本なども出てきたかな。)というわけで、留学という「途中下車」をして万が一失敗して日本に帰らざるをえなくなった場合のリスクは(日本人だからこそ)非常に高いということは知っておいたほうがいいとは思う。あちゃ~、今日で終わるかと思ったけど、まただらだら長くなってしまったな。明日はひよこまめ2006さんにいただいたコメントからの派生ネタのアイデンティティクライシスについて書いて、それでいったんこのネタは終わり・・・になればいいなぁ・・・(爆)。(というわけで、明日につづく)
Oct 25, 2006
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いつどこで見たのか忘れてしまったけど、異文化に触れた際(もしくは環境が急激に変化した際)の心理的変化(と書くと難しそうだけど、要するに海外に行った時の心理変化)の話。具体的な数字や細かい部分は忘れてしまったけど、こんなかんじだったと思う。最初の一カ月くらい(第一期)は「興奮期」。異質なものとの接触で「興奮ぎみ」になり、あらゆる現象をポジティブに捉えがちになる。(逆に、自分が元いた社会についてのネガティブな評価は誇張されぎみに。)その後、多少状況を冷静に捉えられるようになると、自分が「異質」であることに気付きはじめ、まわり(例えばアメリカの)いやなところが目につくように。「グチ」を言うことが多くなるらしい。さらに滞在が長期になると、自分の中に「現地の価値観」が多少なりとも入り込んできて、元いた社会と現在いる社会の「よいところ」「悪いところ」を冷静にとらえることができるようになり、心理的にも落ち着いた状態になる。(かすかに残ってる記憶が確かなら、この状態に至るまでが、約一年じゃなかったっけかな。)さらに時は流れ、十年ほどたつと、現地の価値観が元いた社会の中で培われた価値観を逆転し、元いた社会に戻る時に、逆に「異文化との接触プロセス」(「readaptation プロセス」とかなんとか言ってたような気がする)を経なければならないようになる。(自分はこのラインを「踏み越えて」しまっているのでかなり気を付けるようにしている。)そんな中、注目したいのは「第一期」。ちなみに人は徹夜をするといわゆる「脳内麻薬」が分泌され、だから夜遊びには一種の習慣性(中毒状態)がある。個人的にこの「第一期」にも同じことが起こっているんじゃないかと思ったりすることがある。実際「海外旅行中毒」という話はある。タバコを止めやすい人、止めにくい人がいるように、人によって中毒に対する感受性が違うから、中毒にかかりやすい人とかかりにくい人はいるだろうけど、「留学」を(途中で失敗しても)何度も繰り返す人は、多少なりとも「第一期」(留学初期の周囲が全てバラ色に見える興奮状態)に対する中毒症状にかかっているという説明はどうだろう。確かに留学してから出会った他の留学生や、留学系のブログを見ていると、言動や内容がこのタイムラインに沿っているような気がすることがある。最初は積極的(興奮状態?)な発言が連続し、それからグチ。そのまんま落ち込んでいって(ブログの場合エントリーの頻度がしりすぼみ的になることも多い)約一年後に帰国、とか。ただ、一度帰国してしまうといやだったことは忘れ、「第一期の刺激」を思いだし「また行きたい」という気になってきたりして。もしこの仮説が本当だとすると、第一期だけを経験することになる短期留学をした場合、「良い時期」だけを経験することになるので、逆に「また行きたい」という気持ちになった時に多少冷静になるようにしたほうがいいのかもしれない。
Oct 23, 2006
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以前、テネシー時代に「日本は性能のいい車を輸出するけど性能の悪い人間も輸出するんだな」という皮肉を言われた話を出したことがある。背景は、不良化して高校を中退してしまった裕福な(?)家庭のご子息ご息女が送り込まれてきている高校がテネシーにあったからなんだけど。後にその「輸出元」の(自称?)慈善団体の存在も知ることになるわけだけど、さすがにここでは話に出せない。「テネシー明治学院高等部、閉校へ」別にこの高校のことじゃないんだけどね。ただ残念ながら、このテネシー明治学院の評判も芳しくなかったことは書き留めておこう。とにかく地域社会とかかわりがほとんどなく、「奴らは一体何者なんだ?」という話はよく聞いた。ちなみに今、HP内の掲示板を覗いてみたら、それを裏打ちするようなメッセージが残されていた。その他、写真などを見るにつけ、つまりここは「アメリカにある日本」だったってことかと理解する。日本はバブル時期に海外駐在員の人数も爆発的に増やし、こういった学校は一種の「バブルの塔」なのかも。話はかわって、バブルの崩壊以外にも色々原因はあったんだろうけど、日産の凋落は自分がテネシーにいた頃に起きた。テネシーには日産の大工場がある。(だから皮肉の出だしが「日本は性能のいい車を輸出・・・」になってるわけ。)凋落の引き金の一つは北米ビジネスでの失敗とも言われてるんだけど、つま自分はその震源地の間近にいて、色々な「現象」も目の当たりにした。(つづく)追記:今また気付いたんだけど、テネシー明治学院の卒業後 進路にコミカレのESLが入っているのは目の錯覚か?
Sep 27, 2006
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今日は小ネタをちょこちょこと。「悪いのは私? 試験場ミスで免許失効、『無免許』で罰金」留学中に免許を失効してしまい、日本に帰ってから再交付を受けようとしたところ、不慣れな係員のミスで「単純失効」扱いとなり無免許状態にされてしまった学生が、そのまま運転してしまって捕まって無免許運転扱いとなり罰金刑となってしまったという話。(現在、手続き無効ということで裁判中。単純なミスから本人にとっては大変面倒なことになってしまっているらしい。)海外在住組として、海外滞在中に免許を失効した場合、再交付ができる期限が特例として先送りされるということくらいは常識として知っておきたい。ただこの手続き、思ったよりは「お役所の都合」で複雑なので、多少は勉強しといたほうがいいかも。(詳しい話しは「海外在住者の免許事情」に書いてあります。)さらに比較的最近、それでもあまりにも失効期間が長くなってしまった場合は本当に失効になるというように法律が改正されたので、長期滞在者は注意した方がいいかも。「6割超の親が『学力低下はゆとり教育のせい』 民間調査」これが日本の面白いところだな。このように教育行政に不満があっても、最終的に「訴える」というところまではもっていかないんだよね。結果として「ゆとり教育」を導入した役人は責任をとらないばかりか、責任を感じることすらなく定年まで勤め続けるんだろうなぁ。公の場に訴えないということは、結果として「現状を受け入れている」というのと同じことだと思うんだけど。いくらアンケートなどで辛辣な意見を述べたところで。「吉川温泉よかたん 家族風呂に県『待った』」へぇ~、家族で風呂に入るってのは日本の文化だと思ってたけど6才以上の公衆浴場での混浴は禁止だったんだ。(ちなみにアメリカ版「となりのトトロ」ではお父さんと娘の混浴シーンがカットされているのは有名な話。)この記事内ではこの自治体の条例に限った話しだけど、「各地の公衆浴場にも混乱が広がっている」というあたりからすると、他にもそういう条例がある市町村が多いんだろうな。ってことは、例えば将来的に娘ができて、6才になったら一緒に銭湯や温泉にいった時、一人で女湯へ行けと言え、ということですかね。
Sep 4, 2006
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「日本人学生、オーストラリアへ亡命申請」記事になっている部分だけではなく、もうちょっと詳しい事情を見てみたけど、要するに指導教官も含めて大学との折り合いがうまくいかず、ただ自分の信念(「大学側の対応が間違っている」)を通すために(法学専攻だからというのもあってか?)訴訟まで持ち込んでズルズルやっているうちに、容赦なくビザの期限がやってきてしまって、無理矢理滞在期間を延ばすために最後の手段として亡命申請をしたってかんじだな。ここまで事がもつれ込むと、たとえ学生の側に多少なりともまっとうな言い分があったとしても、初期の段階でもうちょっと何とかならなかったの?とは思ってしまう。もう留学の当初の目的を忘れて「戦い」が目的になってしまっているようなかんじだしね。悲しいかな、大学院というところは学部のようにクラスに出て試験を受けて一定の単位をとれば卒業、という単純な世界ではなく、特に博士課程は「大学という世界でどう振る舞うか」(もしくはキャリア「戦術」ではなく「戦略」)というのも重要な要素になってくる。そういった面では彼女は既に「負けている」。ただあえてあっぱれなのかもしれないのは、内容の善し悪しはともかく「裁判にまで訴え出た」という点だ。大学院というところに身をおいた者として「あまりにも酷いケース」というのも目にしてきた。これはとりもなおさず教官と学生の比べものにならないほどの権力の差から生ずるものなんだけど、学生側が(捨て身で)唯一教官に一矢報いることができるとすれば、それは裁判にして全てを公にすることかもしれない。日本ではどの程度実現性があるのかわからないけれど、うちの大学では過去に「裁判に勝訴」して、博士号をもぎとった(ただ、そのような経緯をへて取得したものなので、どの程度意義があるものなのかはわからないけど)というケースがあったという話も聞いたことがある。自分のためにはならないかもしれないけれど、「大学院というシステムの理不尽さ」を将来的に払拭するためにも「我が身を犠牲にして裁判に訴えたら?」と思わされる(どう考えても教官側の原因で、卒業を断念させられる)ケースも間々ある。ある意味レイプ事件にも似てるかも。羞恥心から訴えでなければ自己保身にはなるけど、再犯を助長することにもつながる。それはともかく今回の件を色々調べていく過程でもう一つ思ったことがある。「オーストラリアって実はアメリカよりも人種差別がすごいのかも」。(オーストラリアの人、実際どうなんでしょう?)本当ならちょっとがっかりだな。
Jul 26, 2006
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今日、日本の野球選手は実は韓国籍や北朝鮮籍の人が多いという記事を読んだ。芸能人も実は・・・という話もよく聞く話だ。事務所の力関係や、本人が日本名で通している場合など、表に出ないケースも多いんだと思う。そもそも個人レベルではどうでもいい問題だとしてしまいたいけど、歴史的背景や社会的背景を考えると、もっと真剣に考えなければならない問題もあるのかもしれない。自分は中高一貫校の出身で、友人の一人が中学から高校に進んだ時に、韓国名に変わった(カミングアウト)。だからといって友達は友達だし、別に何がかわったわけでもなかった。聞いた話では、最近私立高校などで多い海外への修学旅行の際などに、立場の違いなどが突如浮き彫りになって(パスポートの色やビザ取得の必要性など)その後に妙に関係がぎくしゃくしてしまうということもあるらしい。なにはともあれ、今日の本題。そんなことをつらつら考えていたら、思いだしたことがある。北朝鮮とアメリカの関係から考えて、アメリカに北朝鮮国籍の留学生はほとんどいないのではないか、と以前は思っていたんだけど実はそれなりにいるんだよね。もちろん彼(女)たちは北朝鮮ではなく、日本で生まれ育った人たちだ。留学中に何人か、そういった北朝鮮籍の留学生と出会ったけど彼(女)らの話を聞く限りでは、日本で生まれ育っている場合(ちなみに話を聞いたのは9・11前だから、今は状況が変わっているかもしれない)日本人とほぼ同じようなかんじで学生ビザがおりていたらしい。それなりに親しくなった女の子からもうちょっと詳しい話を聞いたことがある。生まれてから「祖国」に帰ったのは万峰景号での修学旅行で帰った2~3週間だけ。それ以外は日本で生活してきたけどやはり「何かが違う」というのが留学のきっかけだったらしい。来てみれば、やはり「多民族国家」もしくは「移民の国」アメリカ。言葉は通じなくても「日本よりも居心地がいいと思った」そうだ。というわけで、永住を目指して色々手をつくしていたけど、彼女はその後どうしているだろう。だからといってどうするわけでもないけれど、自分とは全く別の人生を歩んでいる(歩むことを強いられてしまった)人もいるんだなぁとは思わされた。恐らく日本で彼女に出会っていたら、ただ単に(こう言うと語弊があるかもしれないけれど)「日本人」としてつき合っていただろうけど、これもまた日本ではあまり聞こえてこない話がアメリカでだからこそ聞けたと思っている。
Jul 23, 2006
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珍しくニュースになった、留学がらみの裁判。「会社側、90万円支払い 大津地裁 留学生訴訟」これは珍しく「言ってたことと実際が違った」ってことを立証できたんだろうね。にしても所詮は90万円のことだし、やっぱりよっぽどのことがないと業者を訴えたりする留学生はいないんだろうな。ましてや「あなたならできる」と良いことだけ言われて、おだてたれて留学してしまって結果、ドロップアウトしてしまったなんていう場合は「良心的留学業者?」にも書いたように「勉強しなかったあなたが悪かった」と言われてしまえばそれまでだから、いくら当初の業者の美辞麗句が現実と違っていたところで、裁判に持ち込むのも難しいんだろうな。本人にとっては自分の人生を左右してしまったかもしれないくらいの大事件なのかもしれないけれど。お金は戻ってきても、時間は戻ってこないからね。「『日本人、差別なくして。異なる人種を認め合って』カナダ人絵本作家が講演」このニュースはもうソースが消えちゃってるから要約すると日本に永住しているカナダ人(黒人)が、肌の色などでの偏見をなくして、という内容の公演をしたという話。「国際理解のためには英語だけでなく、 そういうことも学んでほしい」という話をしたらしい。まあ日本は特に地方なんかだとまだまだ「アジア人でない人種」は珍しいし、だから「見た目に基づく人種差別」と向き合う機会も少ないから、そもそも人種差別とはなんぞや?という概念が育ってなくて、時たまフツーの人がとんでもない人種差別的行動をとってることがあるよね。英会話の広告に堂々と「教師は全員ネイティブの白人」なんて書いてあったり。(それでも絵の具から「肌色」はなくなったらしいな。)以前、self-discrimination というネタのブログを書いたことがあるけど、日本の人種差別で一番面白いのは自分自身を差別してるってことだな。たとえ英語のネイティブスピーカーでも、日系アメリカ人の採用を断ってみたり。ま、顧客側の意識もそんなかんじだからビジネス的にはそれが正解なのかもしれないけど(爆)。
Jul 7, 2006
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ふぃ~旅から帰ってきました。といってもまた月末から月アタマにかけて旅。来月も月末から月中頃まで旅。そして10月にも一週間ほど旅。ほとんど流しの研究者と化しております。さて、今日ひょんなことからコミカレの「後輩」のHPを発見してしまった。ずっと以前にも書いたけど、自分が通っていたコミカレは、学校関係者によれば自分が初の日本人学生。その後「ウワサ」を聞きつけた日本人がパラパラ入ったんだけどその更に後、いまだつき合いのある学校スタッフから「日本人のカントリーミュージッシャンが入学したよ~」という話は聞いていた。で、恐らくこちら(Nakashima Family Band)のことでしょう。学校のことはちらっとしか触れられてないけど、専攻は「ビジュアルコミュニケーション・グラフィックデザイン」だそうで、まさに自分の後輩(爆)。もちろんプロフにも書いた通り自分は途中から転校してしまったけど、彼女は最後までやり遂げたようだ。というわけで、実は次の旅の目的地はこのコミカレ時代を過ごしたナッシュビルだったりして・・・。久しぶりにカントリーを聞きながらテネシーを走ることになるのか(謎)。
Jun 20, 2006
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今日、アメリカの理系大学院留学志望者の方のブログをつらつらとまわってみたんだけど、まあ、大学院留学志望者だけあってTOEFL はけっこうすんなりクリアしてる方が多いみたいだけど、GREの、特に Verbal に悪戦苦闘してる方が多いみたいだな。もちろん学校やプログラムにもよるだろうし、自分が大学院に出願した時とまた状況は変わってるかもしれない、という保険はかけさせてもらいたいけど、少なくとも自分の出願した大学院(特に理系)は、そもそも留学生に高い Verbal のスコアを要求するのは理不尽ということで、評価対象にしない、というところが結構あった。ウェブなどにその由しっかり明記していあるところもあったけど、というわけで、もしかしたら必要もないことに時間と労力をかけている人はいないだろうか?もちろん留学前に少しでも英語の実力をつけておくべきだとは思うけど、GREの Verbal の勉強は「そういった」英語の勉強とちょっと方向性が違うような・・・。何はともあれ、気が向いたら自分が出願する予定のプログラムは海外からの出願者を「何をもって」選考する方針なのか、今一度確かめたほうがいいかも。
Jun 7, 2006
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このニュースは sanfrancisco_cat さんのブログで知った。元留学生の男が、恐らく就職のことで親にプレッシャーをかけられた反発から両親を殺害し、自分も焼身自殺を図ったというもの。もちろん事、ここに及んでは全て憶測でモノを語るしかないけど、やはり(元?)留学生として一言いいたい。留学をファンタジー化するな、と。少なくとも自分の周りでは留学はキャリアチェンジのきっかけになりこそすれ、留学経験が直接日本でのキャリアアップにつながったというケースは皆無だ。(海外での就職によるキャリアアップの例は知っているし、元々立派な職歴を持った上で、留学。そして日本帰国後にキャリアアップというケースはある。)もちろんアメリカのそれなりの大学を出た連中で普通に日本のいわゆる一流企業に就職していった奴はいる。しかしそれは日本の大学卒業後の新卒採用となんら変わりはない。だから必ずしも留学経験が如実にプラス評価された結果ではない。(採用後に海外関連部門に配属されるといった程度のことはあるだろうけど。)日本の高校からストレートか、悪くても語学学校などでワンクッションおいてから大学卒業。その後すぐに新卒ワクで就職しない限り、日本ではまだまだむしろマイナス評価になりかねないような気がする。それとは別の話として、日本以外の企業にかなり良い条件で就職していった奴もいるけど、それには本人にかなりの柔軟性が求められる。ただきっかけは何だったにしろ、大人になってからの留学であれば、最終的には自己判断、自己責任(であって欲しいなぁ…)だから周りがとやかく言うことでもないと思う。自分が問題視するのは(自らは留学経験がない)親が高校卒業後すぐ、もしくは高校から留学させるケース、親が留学にファンタジーを感じているケースだ。子供がファンタジーとして留学にあこがれることはもちろん自由だ。ちなみに今回の事件をおこした元留学生はインターナショナルスクールから、高校、大学、大学院(MBA)と進んでいったパターンらしい。フタを開けてみなければ、日本に帰るという選択肢がなくなってしまった場合でも、海外でバリバリやっていけるだけの柔軟性が本人にあるかはわからない。そして親が後押ししたんだろうが、自分で出て行ったんだろうが、結局ケツを拭かされるのは本人だ。日本で日本社会にあった教育を受け、少ないながらも何人か友達でもいれば、かろうじて何とかなったかもしれないケースでも、海外に出てしまって日本の感覚、日本でのコネクションを構築する機会も取り上げられてしまった場合はもうにっちもさっちもいかない。sanfrancisco_catさんの言葉を借りれば「留学難民」化だ。こういった話をするたびにいつも思い出す、もう随分以前に消えてしまったある留学経験者のHPがある。そのHPの管理者は、かなり若いうちにアメリカに語学留学(留学前には自らもまた留学にファンタジーを見ていたと本人も書いていた)、帰国後まだかろうじて「年齢制限」に引っかかる歳でなかったのでなんとか就職し、結婚。子供(娘)もできたわけだけど、もし娘が「留学したい」と言い出したら「オレを倒してから行け」と言うと書いてあった。もちろん誇張だろうけど、それに続いて列挙されていた留学をとめる理由(留学の現実)は非常に説得力があった。
Jun 1, 2006
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中国人留学生のGRE(アメリカの大学院留学に必要な共通テストのようなもの)のスコアははなはだ怪しいという話は以前に出したことがあると思う。「中国人同士の競争」も熾烈になってきてるらしくって、最近自分のまわりでもとみに「中国人出願者のGREパーフェクトスコア」の話を耳にする。念のため言っておくと、彼らは Verbal(英語)のセクションでも満点のことが多い。これから間違いなく中国は台頭してくると思う。そして世界の歴史を顧みた時、多数こそ正義であったケースが多い。例えば最近「中国初の半導体開発のニュースは虚偽」(外国製半導体にシールを貼っただけ)というニュースが出たけど、これからこういったニュースはもっと出るに違いない。別の例を挙げると、少し前の話になるけど「中国が色を識別できるロボットを開発」というニュースがあった。中国のニュースソースの日本語版上で発見したんだけど、当然中国の人には「この部分」だけしか伝わってないよね。で、日本の科学玩具メーカーのサイトを見てみれば、こんな製品がある。上から二番目の製品と中国のニュースで発表された「研究成果」を見比べてもらいたい。なにはともあれ「こちら側」から見れば、彼らの倫理観は「かなり違う」。なんだ、日本だって(アメリカだって)論文ねつ造してるじゃんという意見もあるかもしれないけど少なくとも西側諸国の場合はやった側に、本人は表向きそれを認めないけど、そのやり口を見れば「悪いことをしている認識(隠蔽しようとしたりするので)」があるような気がする。ところが中国の場合、なんかあっけらかんとしてるんだよなぁ。日本を含め西側諸国は完璧でないにせよ、二重三重のチェックシステムを講じて「できるだけ」正しい研究成果を積み上げてきた。最近時々そこに中国の物量にものをいわせた再検証不可能な量の「研究成果」が多量に流入してきた場合、どうなるんだろうか?という話が出ることがある。もちろん一部サンプリングして「捏造データ率」が高ければ中国からの研究成果は一律閉め出すということも可能だろうけど、そうすれば恐らく彼らは数にものを言わせて自らの「研究グループ」を作ってしまうような気がする。そしてゆくゆくは「数こそ正義」として総体的な倫理観すら置き換えられてしまわないかなぁ。中国的倫理観を良しとする人もいるのかもしれないけど、自分はいやだなぁ。
May 13, 2006
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以前、ブログに官僚留学ネタを書いたことがある。官僚留学(その1)/官僚留学(その2)そして昨日、ウェブ上をウロウロしていたら、相当古い(1992年)の記事だけど、企業派遣(MBA)留学の暗部に鋭く切り込んでいる記事を見つけた。まあ、実態はそんなもんなんだろうなぁ・・・。一般ワクで出願する人があれだけヒイヒイ行ってるGMATを在職しながらスラスラ解けるほどの能力を身に付けられるような人材は、さすがにいわゆる一流企業と言えどもそんなにいないよねぇ、やっぱり。ちなみにMBAに限らず研究分野でも一般の人の頭(GRE)を飛び越して院に入ってくる官僚や企業派遣の人は稀にいる。メインの内容はさておき「もしこれ(TOEFL)を難しいと感じるならアメリカの大学の授業にはまずついていけない」という表現はかなりキツいけど、当たっていなくもないような気がする。
May 11, 2006
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留学生活レビューシリーズも随分長くなってしまったのでそろそろ今日あたりで一区切りにしよう。大学院への出願も終了して年が明けるとインタビューの申込みが届きはじめ、全米(といっても東海岸の学校のしか出願しなかったので、東海岸を北へ南へ)インタビュー行脚がはじまった。インタビューの旅費等は全て学校持ちだったので、「ハワイ大学に出願するべきだった」というおきまりのジョークが飛び交うようになる。全ての出願校の合否が出そろったところで、最終的に今の学校に入ることに決め、他の学校にごめんなさいレターを書いて、大学院出願プロセスは全て終了。さて、留学生活レビューシリーズの最初のほうに書いた通り自分は語学学校~大学卒業まで計6年かかっている。これははっきりいって時間かけすぎだ。だからといってどこまで短縮できたかといえば、成績維持のことを考えたら5年が限界だったのではないかと思う。語学学校は明らかに半年で十分だったし、大学の最後のセミスターはわざと卒業せずに居座っているので、大学卒業までにかけた時間は実質4年半だ。両方足して5年。(余談になるけど、というわけでアメリカの大学は自分から卒業申請しなければ、永遠に卒業にはならない。古いネタだけど、このあたりを古賀元議員や日本のマスコミはよく知らなかったみたいだね。ついでに言うと、ついついこの卒業申請をやり忘れて予定通りに卒業できない学生が毎年必ず何人か出たりする。)そんなわけで、大学卒業までは常に「人より一歩遅れている」という感覚だった。だからこそキツい中にも(特に英語で)余裕を持てた部分もあったような気がする。なにはともあれもう終わってしまったことだから、どうしようもないけど、少なくとも自分の場合は失敗は許されなかった(途中でドロップアウトして日本に帰ったところでまともな仕事なんてありっこないし)わけだし、万が一事を急いでコケてたよりはマシなんじゃないかな、と思っている。
May 10, 2006
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過去のブログをつらつら見てたら、昨日のブログで話に出したTAがらみの記事が出てきた。在学中に、学部の学生から留学生TAの英語がひどくて理解できないというクレームがつき、留学生がTAになるのに厳しい口語英語の試験が課されるようになった。(実はこの動きは当時、全米に広まっていた。)まあ学費払って教育(サービス)を受けにきている学部の学生(顧客)からしたらごく当たり前のクレームだとは思うけど。当然自分も受けなければならず、その顛末などを書いている。もう一つ、当時のことを書いている記事が出てきた。同じ大学院には進学させないアメリカの大学は学生に広い視野を持たせるために、卒業大学の大学院にそのまま進学しづらいシステムを取り入れていることがある。実際自分も「セーフティーネット」としてそのまま大学院へ進学できるかどうか、在籍していた大学の大学院のディレクターに念のため訊きに行ってみたけど、「内部からの出願は基本的に後回しになる」とのこと。このあたりはアメリカの大学は日本の大学と逆のポリシーを持っているといってもいいかもしれない。まあなにはともあれ、大学最終年度の秋にGREを受け、推薦状をかき集め、大学院に出願することになる。ちなみにアメリカの大学から卒業予定ということで、ほとんどの大学はTOEFL免除だった。最後までTOEFLを要求してきた一校には出願しなかった。(つづく)
May 9, 2006
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