せ・ら・ヴィ

せ・ら・ヴィ

玲唯の妊娠中




 2001年4月、我が家にも赤ちゃんがやってきた。私は子供は早く欲しいと思っていたので、この妊娠はとてもうれしかった。けれど、まだ自分の身体には何の異変もなく『本当に赤ちゃんがいるの?』という感じ。予定日は12月14日。寒い時期にやってくる予定の赤ちゃんだ。
 こうして、ここからが楽しい楽しい妊娠ライフ、そして育児の始まりとなったのだった。



~頭痛、これもつわりの一種??~


 5月のはじめ頃より何となく右の後頭部が痛い。もともと頭痛持ちでもないし、なんだろうって思ってた。その痛さといったら並みじゃない。本気で脳腫瘍でもあるんじゃないかと思うぐらい。医者に見てもらったところで何の検査も出来ないし(妊娠初期のため)、とにかく我慢で過ごした。でも、ひどかったよ。何とか仕事には行っていたけれど家に帰るとダウン。食事もまともに作ってなかったなあ。
 なんだかんだいいながら、この頭痛は7月のはじめ頃まで続き自然に治まっちゃった。たぶん、これもつわりの一種だったんだろうなあ。
 私の場合、よくある気持ち悪くなるつわりはあんまりなくて、仕事中、長時間立ちっぱなしのときや、夜勤のときに何回か気分が悪くなったぐらい。戻したりとかはなかったなあ。



~出産場所選び~


 妊娠前から出産はなるべく自然な形でしたいと思っていた。ただ薬を使わないとかそういうことだけではなく、本当の自然。赤ちゃんの産まれてくる力に任せて、自分の産みたいところで産みたい姿勢で赤ちゃんを迎える。それが理想だった。だから私は迷わず出産場所には助産院を選んだ。実家の近くの助産院。
 助産院での出産では医療行為が行えない。医師の立ち会わないお産だから。
 だから分娩がスムーズに行くように妊娠中は自己管理が非常に大切だ。だから、妊娠中の生活には頑張って気をつけた。特に体重管理には。助産師としての意地もあったしね。そのかいあって体重増加は5~6kgのアップで終了。我ながら上出来だったと思うょ。



~胎動~


 私がはっきりこれが「胎動だっ」て確信したのは、7月31日。20週に入ってからのことだった。それまでも、これかな?っていうのはあったんだけど、しっかり確信したのは7月31日。だから、この日が胎動確認記念日なんだ。
 はじめは、モニョモニョって感じで腸が動いてるのか赤ちゃんなのかわからない。でも、いつのまにか大きくなるにつれて胎動はどんどん激しくなりそのうち蹴られたり頭で下腹、ぐりぐりされたり。あの感触、とっても懐かしいなあ。



~切迫早産~


 私の母は私たち兄姉全員を早産で出産している。そして姉も3人子供がいるが、3人とも切迫早産で入院したりお腹の張り止めの薬を飲みながら産んでいる。だから私もお腹は張りやすいだろうなって何となく覚悟していた。でも心のどこかで半分は大丈夫かなって…。
 でも、16週ぐらいのときに何となくお腹の張りを感じて、ドクターに相談したら結局19週ぐらいから私も張り止めの薬を飲むことになった。やっぱり体質って似るもんなんだ。
 私の場合、入院するほどではないんだけど本当に結構お腹は張ってた。こんなに張ってもいいの?っていうぐらい。週数がアップするに連れて薬の慮も増えたけど効いていたのかどうか。飲んでも張るときは張ってた。でも、のんきな私はこれだけ張りを感じていてもどこかで「私は大丈夫。早産にはならない」って思ってたんだよね。



~産休突入~


 34週に入りようやく産休に入った。本当にようやくって感じ。これでしばらくゆっくりできるぞ、妊娠ライフもっと楽しむぞって思ってたんだ。ただ、1週間ぐらい前からお腹の張りは増えて何となくベビーが下がってるようなきがしてた。だから、先生に診察してもらった。やっぱり…。
 もともとベビーは下がり気味だって言われてたんだけど、さらに下がっている様子。更に、子宮口も開きかけ。ひぇ~~~。ここまできてどうしよう。
 出産は実家のある倉敷ですることになっていたのだが、果たして帰れるのか??その不安をもとに、その3日後にもう1度診察して所見が変わっていなかったら即座に帰ろうということになった。
 そして、その診察の日。恐る恐る診察を受ける。「思い切って帰ろう。今しかないね。」その言葉を励みに、いざ倉敷へ里帰りをしたのだった。







© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: