日記

日記

2003.7.



私たちはとても迷った。選択肢はいくつかあった。家族全部でいっしょに引越し。主人だけ先に行き、2学期の始まりとともに引っ越す。もしくは単身赴任で、数年後に家族で暮らす。

もともと転勤族でこの土地に来た私たち家族。親戚も友達もいないこの土地に来てもう9年の年月がたっていた。そして人も気候も自然(海、山、川)も気に入って家まで建てた。

迷いはひとつのことに絞られていた。基本的に家族全員で暮らすのが一番だと考えていた私たち。それは、子供の「ソフトボール」のことだった。

今、6年生の長女は3年生の終わりから、4年生の長男は2年生のはじめから、ずっとやっている。その子供たちは今まで日の目を見ることもなく、暑い日も寒い日も練習し、そしてベンチを暖めてきた。長い長い下積みの期間を経てきたのだ。それを主人も私もわかっていた。そして「これから」と言うときに、移動するのは余りにもコクだと感じたのだ。

転勤族という私たちの生活体型はいつでもそうだ。すべてが半端で終わってしまう。そしてそれは子供たちにも少なからず影響を与えるものだと思ったのだ。「練習してがんばったって結局は結果として何も得るところはなくやめなくてはならない。」「どうせ半端で終わるんだから」とか、とても充実感などもてるものではないのだ。

そのことが主人が単身赴任し、私が子供たちとこの土地に残った理由だ。
よくよく話し合った。主人も私がここに残り「子供たちに結果を与える」ということを望んだのだ。

そして二人が満足してソフトボールを卒業する日、また家族4人で暮らそうとしていたのだ。それは2年後の長男が小学校を卒業するときだった。

6月の終わりから単身赴任の準備をした。単身赴任といっても、寮に入るため炊事、洗濯は寮の方がしてくださった。その寮には会社と往復するバスもあり、不自由はしなかったと思っている。

しかしながら、こんなに短い彼との時間とわかっていたなら、みんなで暮らしたほうがよかったのかもしれない。彼は本当はみんなで暮らしたいと言う思いもあったかもしれない。と思っている。それが悲しい。

これから先、なくなるまでの数ヶ月間は主人が与えた、親子三人で暮らす練習の期間だったような気がしてならない。なぜなら生活の中身は基本的に彼が単身赴任を始めたこのときのままだからだ。心は全くちがうものの。

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