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思いっきりテレビの悩み相談でご主人か息子さんか、忘れましたが、「飲酒運転をやめないので困っている」との相談があったそうです。いろいろと解決方法を述べられたらしいのですが、その相談に、みのさんがこう答えたそうです。「彼に、さださんの『償い』という歌を聞かせなさい」と。私はそのテレビを見ていなくて、そのことを新聞のコラムで知ったのですが、その記事を書いた方が、「その歌を聴けば、飲酒運転はしなくなるだろう」と語っていたので、どんな曲なのが気になってしまいました。「夢の轍」というアルバムの中から「償い」「さだまさしさん 全曲歌詞集」責任を取るって、なんて大変なんだ。絵画:「灰色と青の鳥 」ーcherchemidiのアドレス帳ー
January 29, 2006
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予備校に通っていたときに、国語の先生が「さだまさし」さんのファンでした。若い女性の先生だったので、ちょっとしぶいなあ、なんて思ったりしたものです。現代文の、少し時間があまったときに、彼女は私たちに、彼の曲を歌詞と共に紹介してくれました。「さだまさし・ベスト」のアルバムの中より。「関白宣言」そして「関白失脚」二曲続けてどうぞ!(といっても、歌詞だけですが・・・)「さだまさしさん 全曲歌詞集」彼女がなぜ彼のファンなのかが分かった。さださんて、いろいろな引き出しを持っている方なんだなあと、思って、そのまんま。今でもこのときのことを覚えている。また思い出して、彼の歌詞にまた出会う。先生、教えてくれてありがとうね。ーcherchemidiのアドレス帳ー
January 29, 2006
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幸せになりたかったら、「聞く耳」をもたなきゃ!☆あなたのために、 厳しいことを言ってくれる人がいる。あなたは人にアドバイスするとき、うそをいいますか?その人にためになることをいいますよね?でも、人はめったにそれに耳を貸しません。私も例外ではありません。ばかですねえ。。。よく耳をすましましょう。自分の選択がうまくいかない、八方塞だと思うのなら、身近な人の言葉に耳を傾けましょう。きっと新しいドアが開く。そこであなたを待っている人たちがいる。出会うのを待っている。ーcherchemidiのアドレス帳ー
January 24, 2006
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モモの親友で、掃除夫のベッポは自分の仕事に誇りを持っています。彼の仕事は汚れた道路を掃除することです。「いちどに道路全体のことを考えてはいかん。 次の一歩のことだけ、次のひと呼吸のことだけ、 次のひと掃きのことだけを考えるんだ。 いつもただ次のことだけをな。 すると楽しくなってくる。 これが大事なんだな。 楽しければ、仕事がうまくはかどるよ。」言葉:「モモ」ミヒャエル・エンデ絵画:「モモ」ーcherchemidiのアドレス帳ー
January 24, 2006
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小さな円形劇場の廃墟に住みついた小さな女の子モモにできたこと、それは本当に相手の話を聞くことでした。特別に助言するわけでもなく、じっとただ聞いているだけ。相手が大人であれ子どもであれ、話を聞く態度には少しの違いもありません。話の途中で口を挟まずに最後まで聞けるかな?言葉:「モモ」ミヒャエル・エンデ絵画:「モモ」☆アドバイスもなく、批判もなく、 ただ「相手の話を聞くこと」。 できていない自分に気がつきました。ーcherchemidiのアドレス帳ー
January 24, 2006
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一つの不幸にとらわれて すべてのものを不幸な眼で見ようとするのはいけない。ーcherchemidiのアドレス帳ー
January 18, 2006
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冬があり夏があり、昼と夜があり、晴れた日と雨の日があって、ひとつの花が咲くように、 悲しみも、苦しみもあって、私が私になってゆく。言葉:星野富弘さん 絵画:Apex Trio出典:「癒しのことば」さん☆当たり前のことだけれど、 何度でもそのことを思い出したかった。ーcherchemidiのアドレス帳ー
January 18, 2006
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「知っていること」を「できること」にする!絵画:Gebogene Spitze 1924(カンディンスキー)ーcherchemidiのアドレス帳ー
January 13, 2006
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「私は自分で生まれたくて生まれてきたのではない」という人がいます。その通りです。私は私のはからいで生まれてきたのではありません。しかし私が今お預かりしているこの「いのち」は、生まれたくて生まれてきたに違いありません。生まれたくて生まれてきたいのちは、だから全く迷うことなく生きようとしています。今この瞬間も、心臓も肺も他の内臓も神経も筋肉も生きるという明確な目的のものに働いています。さらに地水火風すべてが私の生を支えています。そこに大きな願いのはたらきを感じずにはいられません。そのことを思いますと、不思議な安心感が生まれてきます。その働きにのって思い通りにならない娑婆(しゃば)を安心して生き、そして生きる縁が尽きると、いのちのふるさとへ安心して帰らせていただく。その帰る先は、私が仏に成らせていただく浄土です。これを「往生(おうじょう)」といいます。その安心に立ったとき、与えられた現実にひるまず、いのちを燃焼させ、自分のできる限りを尽くす意欲が出てくるのでしょう。「私のいのち」と言いながら、そのいのちを真剣に考えることさえしないこの私が、いずれ仏に成るべきいのちを生きていると、仏さまから拝まれているのです。そして仏さまから願われて生きていると気づくと、不完全な弱い愚かな私が見えてきて、だからこそ願われていると教わります。さまざまないのちに支えられ、共に現に生きているという、そのこと自体が尊いのだということに思いがいたると、生きることへの元気がでてきます。帰る先がはっきりすると、現実のさまざまな問題に対して、安心して尽くしていけます。新しいことや、ためらっていたことに着手したり、やり直したりもできるでしょう。そうなったとき、今営んでいる毎日の生活の中の一つひとつが、私が私になっていく大事なこととして、意味ある歩に感じられるようになるでしょう。その歩を「往生」というのでしょう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆お座敷に置いてあった冊子 「真宗の生活」の中からみつけた心に残ったお話です。 「生かされている」「自分一人ではないんだ」と 考えてしまいました。言葉:真城義磨さん(京都、大谷中・高等学校長)関連リンク:「真宗大谷派宗(東本願寺)」ーcherchemidiのアドレス帳ー
January 8, 2006
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