napirin 家庭の一歩

napirin 家庭の一歩

旦那様と病気



旦那様は、病気をすると大騒ぎだ。
風邪をひいただけでも大重病人の様になってしまう。
熱なんて出そうものなら、死んでしまうのではないかと思うぐらいぐったり。
そのたびに、私には献身的な看護を要求される。
まるで子供のように、我がままをいい、
自分が死んだら、後の事は頼むとブツブツ言っている。
普段威張っている旦那様が、弱気になるのだから、私もかなり気を使う。
もちろん、病院なんか自分で行けるわけも無く、私が送り迎えをしなくてなはならない。


しかし、私の病気に対しては、大変冷淡である。
どんなにぐったりしていようとも

「仮病だろう。」

「具合が悪いといえば、優しくしてもらえるなんて思うなよ。」

「どーでもいいけど、俺の飯は?」

そう、彼にとって私の具合は、どーでもいいのである。
むろん、どんなに熱がでようと、骨を折ろうと、私は自力で病院に行かなくてはならない。


そんな中、離婚を考えた出来事があった。

妊娠中である。

妊娠初期、切迫流産の危険があり、自宅での安静を余儀なくされた。
しかし、お腹も大きくなっていない頃の安静など、彼に理解できるはずもなく、
横になっている私を忌々しそうに見て、

「怠けているんじゃないか?」

「妊娠は病気じゃないんだからな。」

「お前の気の持ちようだろう」

である。
おいおい、この時代、意地の悪い姑だって本人に向かってそんなこと言う人は、そうそういないぞ。
第一、気の持ちようで切迫流産が回避できるのか?

多分、その頃の私は、労わって欲しい光線が出ていたのだろう。
私のそういう思いが見えると
天邪鬼の旦那様は、かえって労わるものかとムキになる。
それどころか、わざと高い所にある物をとる様に命じたり、
わざわざ階段の上り下りをするような用を言いつけた。
さすがにこの時は、言いなりにならず、

「流産したらどうするの!!!」

と断固拒絶。
それに対し

「流産するかどうかやってみれば」

これには、切れた。
こいつは絶対、人間としてどこかおかしい。


まあ、後で売り言葉に買い言葉だったということで、本気ではなかったと謝ったが、
何度と無くこんなやり取りと大喧嘩を繰り返した。
安静にしなければならない時期に、ソファーを動かして掃除しろとどなり飛ばされたりもした。
お腹が痛くて一人でソファーを動かせるか!!!

その度に本気で離婚を考えた。

「流産するかどうかやってみれば」
この言葉、私は一生忘れない。

その後、さすがにつわりの時は、げーげー吐きまくる私にかなりびびって労わってくれたけど…


最近は、体調が悪そうにしていると、

「大事にしてくれよ。お前が倒れたら、俺とちっちが困るからな。」

と、優しい言葉を掛けてくれる。

「じゃ、お言葉に甘えて先に寝させてもらうね。」

「そうしろ。それがいい。でも、寝る前に風呂洗っといてくれ。後、俺の布団もひいてから寝てくれよ。それから、部屋の片付けも忘れるな。」

なんだかな~
どこかずれているというか、分かってないというか…


最近は、そんな言葉を無視してさっさと寝てしまうくらい強くなったけどね。

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