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その3・哲学


哲学は昔からその響きといい、複雑そうな感じといいたまらなく好きだったんだけど、ホントの意味で「好き」だと実感したのはさる方の一言がきっかけだったと思います。

最初の講義は、はたしてどんな感じなんだろう?って少し心配もあった。どんな教授なのか?厳しくないか?でもその考えはすぐに粉砕された。

教授はキリスト教の信者で、でもキリスト教が正しいワケじゃない、なんてあっけらか~んと言ってくださった方。普通自分の信じてるものをあそこまで否定できんって!って言うくらいの勢いだった。かつ堅物じゃない。若者の、若者たるゆえん、みたいなものもちゃんと理解してくださって。
でもだからといってすべてを許してるワケじゃない。ちゃんと授業を聞く生徒のみに対してはちゃんと対応してくれる。苦情も、文句も受け付けてくれる。

そんな方が、最初の講義の時に哲学とは?の質問の答えとして話してくださったのが、「人間誰もが哲学者になる素質がある」ということだった。
人前でむちゃくちゃ明るいお調子者な人が、家に帰るとひとり寂しく日記をつけていたり、お酒を飲みながらひとりの世界にひたっていたりする。人には言えないような難解な問題に取り組んでいる人もいるし、外面と180度違う性質を持っていることもある。だから人間はおもしろい。

そしてもうひとつ、哲学と宗教の違いを教えてくれた。宗教は教祖という存在があり、それを中心にまわっていて、そのものは絶対無二の存在。逆らえば死を招くこともある。その中では平等というものはない。ある者の考えを押し付けられるばかり。
一方哲学は、教えてくれる師はいる。でも深くまで入りこんでいくのは自分であり、自分の考え方によって思想はいくらでも変わっていく。ある人の意見を批判したからといって罰せられるワケでもないし、個々の自由である。その通りだと思ったんだよね。何か目が覚めたような気がした。

人それぞれ、いろんな考え方があるし他人には言えないような暗い部分を持って生きている人もいる。私みたいに、くだらないことをぐちぐちと悩んで、両極端な答えを導いてどうしようか考える人間もいるし。

私の中での「哲学」とは?自分が生きていくうちに考えるすべての考えであり、考えている自分自身であり、存在。決して高尚なものじゃなく、誰にでもありえるもの。
たとえばさ、えんぴつはどうやって作られるんだろう?まず材料を用意して、それを加工して形を作る。作ったら売ろう。売るにはココでこうして…その中で売る人間たちはたくさん売ろうと思ってこんなことを考えて、時には売れなくて悩んで…なんて。これもひとつの「哲学」だと勝手に解釈してるんだ。
恋愛も、ある意味哲学だと思う。悩むことから産まれるものは何もない、ってある人が言ってた。けど時には暗くなるほど悩んでも私はしかたないと思うし、いいと思う。その暗さが、次に明るさを呼ぶものだと信じているから。

大学から数年過ぎた今でも、哲学の教科書は大切にとっていて、たまに見てます。
今からでも、もう一度きちんと勉強したい!!

              ☆ ☆ ☆

3-1 何故私は存在するのか?

一度はみなさん考えたことがあると思うんですが、私はよくこんな台詞を耳にします。
エセ哲学者としては(エヘン ̄ー ̄)、そう聞かれたらきちんとお答えしたいなぁと思うんだけど、正直これについては一生の質問だと思っていたので、今まではちゃんとした答えを言ってあげられませんでした。

はじめてこう聞かれた時、私は「何かしないといけないことがあるから、ここ(質問してきた友人が生きているその一瞬)にいるんじゃないの?」と答えました。
その答えが合ってるにしろ、間違っているにしろ、前世でやりのこして現世まで持ってきてしまったもの(人によって違うけど)があるから、それを来世まで連れていかないようにしよう、そう思っています。

自分はなぜ存在するのか?これについては、いろんな哲学者たちが説いています。

スピノザは、『エティカ(倫理学)』という著書で、この世界の出来事はすべて、必然的に決められているものだから、希望も恐れも抱く必要はないのだと、人間は運命を受け止めるだけでいいのだ、と言っています。
ライプニッツは、この世界は、すべてがあらかじめ調和するように定められている、と。
けちをつける気はないんだけど、この考え方には同調できないなぁと私は思う。
私のようなへそまがり者には、最初から決められてるなら何もしなくてもいいやぁとか思っちゃうので^-^;

私の意見と近いことを言っているのが、かの有名な『方法序説』を書いたデカルトです。いろいろ調べてみると、結構勝手なことを言っている人なんですが、それもまた哲学者っぽいのかもしれないな。
(自分が真と認めたもの以外は真と思ってはならないとか。でもまたよくよく読んでみるとまとを得たことを言っていらっしゃる)
彼は、「私は考える。それゆえに私は存在する」という言葉を遺しました。他に、すべてを疑っている自分の存在だけは疑えない、とも。
そうだな、と思います。

前にその3で哲学について書いた時に、私の中の哲学とは、『自分が生きていくうちに考えるすべての考えであり、考えている自分自身であり、存在。決して高尚なものじゃなく、誰にでもありえるもの。』と言いました。
デカルトの考えに多少あてはまるものがあるけど、私は私自身でこう考えました。
人間そのものが、実は哲学なんじゃないか?と。

医学的に考えると、人間とは遺伝子や胃腸、細胞があって血管があって・・・いろんな物質で出来ているんだけど、哲学的に見るともっとちいさなもの(単体)で出来ているのですよ。それひとつだけだと何の意味ももたないような、ちっぽけなもので。それが固まって形成されて、意思を持って動く。

こう書いてみて、はっきり言って合ってるとか合ってないとかはどうだっていいことだなぁと思いました。だって、哲学っていうのは正解不正解な学問じゃないから。
人それぞれ、自分が生きていく上でいろんなこと考えると思うんだけど、自分がこうだと信じたのならそれを信じて生きていけばいいんです。
恋愛していく上で、相手の哲学が信じられないのなら、付き合わなきゃいいわけ。自分の哲学に相手をひきずってこれると思うのなら、そうすればいい。相手が押し付けだと思った時点で関係は壊れてしまうだろうけれど。

ただ、人間には衝動ってものがあるから、それはまたそれでたまにはいいんじゃないの?とも思う。頭でっかちになって年取っていったら、後から絶対後悔しちゃうもの。
経験を重ねていく上で、哲学を知る。それが、私の理想的な生き方かな、と最近思っています。


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